非科学的な世界で(略)追い詰められるが良い!   作:たたっきり測

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Kapitel.1 賢者の石
〇1.クラスメイト


「はあ……」

 

 …ああ、開幕同時にため息とは、失礼いたしました。時刻は十時半。みなさま、そろそろ働き盛りの時間なのでは?ターニャ・デグレチャフであります。

 いやはや、実はお恥ずかしい話、わたくし、現在道に迷っていまして。どうか許していただきたい。

 

「いや、わたしは、誰に、何を言っているんだ…」

 

 ぶつぶつと呟いたことにより、すれ違ったサラリーマンらしき風貌の男に怪訝そうな視線を向けられる。ああ、わたしはあなたと立場を交換したい。

 

 わたしは今、キングス・クロス駅にて、絶賛迷子になっている。この駅はロンドンの主要駅と言うにふさわしく、広く、人々は皆急ぎ足で歩き、油断すると人の波に呑まれそうになってしまう。迷うのも無理はない。

 しかし、しかしだ。

 

 わたしは再び汽車の切符を見た。九月一日の午前十一時、キングス・クロス駅発、ホグワーツ行、九と三/四番線、と確かに書いてある。

 わたしは再び駅のホームへと目を戻した。九番線のとなりには、十番線がある。

 それが何を示しているかというと、迷う迷わない以前に、九と三/四番線なんてあるわけない、ということだ。

 

 クソッタレの存在Xめ!!!!災いあれ!!!!!!!

 と絶叫したい気持ちをなんとか鎮め、わたしはよくよくホームを観察してみる。九のとなりは十。その間には柵がある。三/四ということは、そこに入り口でもあるのだろうか?

 試してみる価値はあるかもしれない。というか、それしかない。先程の独り言すらあんなに怪訝な目を向けられたというのに、その辺の人や駅員に、『九と三/四番線はどこですか?』『ホグワーツ魔法学校行の列車はどこから出るかご存じですか?』などと聞けるわけがない。

 わたしは、藁にもすがる気持ちで、そっと、自然に柵の三/四あたりに近寄り、それに触れてみた。

 しかし、柵は、ただひたすらに、無機質で、固かった。

 

 

 クソッタレの存在Xめ!!!!!死ね!!!!!!!!!

 そう叫びたいのを再びグッとこらえた。こらえたが、足りないので、もうやけくそで、トランクを思い切り柱に叩きつけた。直後、わたしはバランスを崩してしまった。

 柱と衝突して跳ね返るはずのトランクが、するりと中に吸い込まれてしまったのだ。経験に基づく身体の想定と異なる結果に、わたしの身体は追い付かず、頭は空っぽのまま、トランクと一緒に前のめりになりながら、ある意味では勢いがついて、そのまま(・・・・)前に進んだ(・・・・・)

 

「うわっ、とっと……」

 

 転びそうになったが、間一髪のところでバランスを取り戻す。

 ふと、今までとは質の違う喧騒に顔をあげると、見覚えのないきれいな紅色の蒸気機関車が目に止まった。ホームは、人でごったがえしているが、先程とは様子が違う。足元には猫たちが気ままに歩き、上を見ればふくろうが羽ばたいている。そして、ふくろうたちの隙間に見た。『ホグワーツ行特急 十一時発』

 今、わたしは柱を通れたのか、本当に?――驚きのあまりに振り返ると、誰かが思いきり衝突してきた。

 

「んぎゃ?!」

「うわ?!」

 

 わたしは無様な声をあげて、今度こそ転び、地面に尻餅をついた。その拍子に、ガコンとトランクに頭をぶつけてしまう。

 

「ど、どこを見て歩いてるんだこのウスノロ…!」

 

 鈍く痛む頭をおさえながら、思わず悪態が口から小さくこぼれてしまった―――よく考えれば、柱を出てすぐの場所でボケッとしていたわたしに非がないとは言えないのだが……。

 

「ご、ごめんなさい!前を、見てなく、て……」

 

 ん?

 どこかで聞き覚えのある声だ。わたしは、痛みも忘れて顔をあげた。

 

「…ポッター?」

「デグレチャフ!」

 

 わたしの目の前には、先日まではもう二度と会わないと思っていた少年、ハリー・ポッターが立っていた。

 大丈夫?とポッターが手を差し出してくれたので、わたしはその手を借りて立ち上がる。

 

「…なぜ、ここに?」

「君こそ!もしかして、君もホグワーツなの?」

「ああ、そうだ。もしかして、貴方もか」

「うん。また一緒だとは思わなかった……」

「…わたしもだ」

 

 どうやら、汽車の前の方はどこも満席のようだった。席を取り合う声まで聞こえてくる。わたしはポッターに構わず、後ろの方に進む。

 

「ねえ、デグレチャフは、知ってたの?」

 

 ポッターも遅ればせながらついてきた。わたしは、この腐れ縁を半ば歓迎しつつも言葉を返す。

 

「何がだ?」

「だから、その…魔法とか、そういうものがあるってこと」

「まさか。つい先日知ったばかりだよ」

「ああ、やっぱり、そうだよね」

「ポッター、知らなかったのか?」

「うん。…どうして?」

「いや、気にするな……わたしはてっきり、貴方なら知っているのかと思っていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だけだ」

 

 人混みを掻き分け掻き分け、ようやく空いているコンパートメントを見つけたのは、最後尾の車両にたどり着いてからだった。わたしは、汽車に乗るために、トランクを持ち上げる。が、上がらない。うーんうーんと必死に重量と格闘していると、見かねたポッターが手を貸してくれる。

 しかし、所詮栄養の足りていない孤児どもと私たちを嘲笑うかのように、トランクはほんの数センチしか持ち上がらない。

 

「手伝おうか?」

 

 ぜいぜいと息をしながらもうひとふんばり、というところで、親切な赤毛の少年が声をかけてくれた。

 

「ぜ、ぜひ、頼む」

「オーケー。フレッド!こっち来て、手伝ってくれ」

 

 すると、全く同じ顔の赤毛がもう一人現れた。どうやら双子らしい。が、それにしてもよく似ている。

 双子の協力もあって、今まであんなに重かったトランクふたつを無事に汽車にのせることができた。

 

「ありがとう」

「ああ、助かった」

 

 ポッターと一緒に感謝を述べると、双子は全く同じタイミングでにかりと笑う。

 ああ疲れた、とポッターが汗で湿った髪をかきあげる。すると、今度は双子は全くおんなじタイミングで身を乗り出した。

 ぎょっとしているわたしをよそに、双子はポッターをまじまじ見つめる。

 

「間違ってたら悪いんだけど」

「もしかして、君の名前って」

「え、ええと、何?」

 

 ポッターの困惑をよそに、二人は確信めいた表情を浮かべ、顔を見合わせた。

 

「「やっぱり君、ハリー・ポッター!」」

 

 やはり(・・・)、ポッターは有名人らしい。その証拠に、

 

「ああ、そのこと。うん、僕はハリー・ポッターだよ」

 

 と、ずいぶん手慣れた対応をしていた。

 肝心の双子はポカンとしてしまって、ポッターも特になにも言わず、場に妙な空欄のようなものができる。

 

『フレッド、ジョージ!どこにいるの?』

「ああ、ママが呼んでる」

「そろそろ行かなきゃな」

「「じゃ」」

 

 最後は二人とも同じタイミングで簡潔な別れの挨拶をすると、身軽に汽車から飛び降りて、人混みの中に消えてしまった。

 

「……」

 

 赤い嵐が去って、再び沈黙が降りてくる。

 わたしは無言でコンパートメント内の席に座る。ポッターもそれに続いた。

 特にポッターと話すことがない、というわけではない。むしろ、確認したいことが山ほどある。しかし、なんというか、らしくないのだが、タイミングがつかめない。わたしは、なし崩し的に、彼といるときいつもそうしていたように、本を取り出して読むことにした。いつもは図書館の本だが、これは、孤児院のみんなが、入学祝にとくれたものだ。著者はアダム・スミス。うん、やはり素晴らしい。

 慣性の法則に従って、身体がゆっくりと前のめるのを感じた。それから、ガタンゴトン、と音がしだす。

 どうやら、出発したらしい。本から目を話して窓の外を見ると、家族が乗っているのだろう、赤毛の女の子が、汽車を追いかけ走りながら手を振るのが見えた。

 ホームが見えなくなったところで、コンパートメントの扉が開かれた。

 

「ここ、空いてる?他はどこもいっぱいなんだ」

 

 そこには、先程の双子を彷彿とさせる赤毛の少年が立っていた。

 ポッターがちらりとわたしを見るので、頷きで返す。

 

「うん、大丈夫だよ」

「ありがとう」

 

 二人のその会話の後は、再び沈黙。音といえば、汽車が走る音と、わたしがページをめくる音が微かに聞こえる、それだけ。

 それから少しして、再びコンパートメントの扉が開かれた。

 

「ロン」

 

 見ると、先程助けてくれた双子だった。どうやら、赤毛の三人は兄弟らしい。

 

「俺たち、真ん中の方に行ってくるな」

「リー・ジョーダンにタランチュラを見せてもらうんだ……ああ、ハリー、自己紹介したっけ?僕たち、フレッドと…」

「ジョージ・ウィーズリーだ。君は?」

「ターニャ・デグレチャフだ。先程はありがとう」

 

 簡潔な自己紹介のあと、じゃあまたホグワーツで、と双子は真ん中の車両の方に行ってしまった。

 再びコンパートメントを静寂が支配するかと思ったが、そうはならなかった。ロンが、ポッターに話しかけたのだ。

 それから、二人は色々と話し出した。『例のあの人』がどうとか、ロンの家族がどうとか、ロンのネズミのスキャバーズが使い物にならないとか。

 わたしは本を読んでいたので、ほとんど聞いてはいなかったが、内容はだいたいそんな感じだった。

 

「…だから、僕の家族のこととか、なにも知らなかったんだ。魔法のことも、ヴォルデモートのことも…」

 

 それまで普通の会話が続いていたのに、ロンはいきなり身体をびくりと震わせた。足がトランクに当たって、がしゃりと音をたてる。

 

君、今、あの人の名前を呼んだ!今、君の口から……

「ああ、僕……違うんだ。僕、その名前を言って勇敢なところを見せたいとか、そういうつもりじゃないんだ。わかる?ただ、知らないだけなんだ。名前を言っちゃいけないなんて…」

 

 ポッターが黙り混み、ロンもかける言葉が見つからないようで、二人とも口を閉じた。

 確認するなら今しかない。

 わたしは本を閉じた。

 

「なあ、ポッター、質問いいか」

「え?あ、な、何?」

 

 いきなりわたしが声をかけたので、ポッターは、先程のロンと同じくらい驚いた。

 ロンは、こいつしゃべれたのかという目でわたしを見ている。

 

「お前がヴォルデモートを倒した、というのは、本当なのか?」

 

 ロンは、怪訝そうな目をすぐに引っ込めて、再び身体を震わせた。

 

「そうみたい。僕には、あまりわからないんだけど」

 

 そう言いながら、ポッターは額に手を当てた。

 ポッターの親は事故で死んだ、と前に風のうわさで聞いたことがあったが、違ったらしい。

 

 なるほど。情報が、やっと確実で、有益なものになった。

 ハリー・ポッターに、ウィーズリー。実に良いではないか。

 ほしいのはコネクションだ。そして、そのために持つべきものは強力な友人。

 わたしだって、あのダイアゴン横丁の日からなにもせずにぽややんと過ごしていたわけではない。教科書を読み、ここ十数年の魔法界のニュースを調べ、ホグワーツ卒業者の就職率を調べ、魔法界の基本的な常識は大体おさえた。

 まず、ウィーズリー。彼らは『純血』…つまり、まじりっけのない魔法族だ。魔法界では、純血主義というものが存在するらしい。非魔法族の生まれであるわたしはそこには含まれないが、こどものうちからその純血と仲良くしておけば、もしやおこぼれがもらえるのでは?!

 そして、ポッター。偉大なるハリー・ポッター!わたしも知ったときは驚いた。なんと彼は、赤子の時に、当時闇の帝王として魔法界に影を落としていたヴォルデモート…『例のあの人』を打ち倒した人物だったのだ。いやはや今まではとんだ腐れ縁の足手まといだと思っていたが、わたしの二年間のストレスは無駄ではなかった。ああ人助け万歳!ギブアンドテイク最高!!

 

「ねえ、二人は知り合いなの?」

 

 心の中で自分を胴上げしていると、ロンは戸惑いがちに口を開いた。

 

「うん。同じ学校だったんだ」

「へえ…ねえ、そのわりに、その、あんまり仲良くなさそうだけど、喧嘩でもしてるの?」

 

 ロンは声を潜めてポッターにそう言った。ポッターは戸惑ったような顔をして、わたしを見、それからロンに視線を戻す。

 もちろん全部聞こえているので、わたしは適当に言葉を並べる。

 

「人からは無愛想だとよく言われる。そう思われるのも無理はないな……ポッター、いや、ハリー。貴方とは長い付き合いになりそうだ。これから、改めてよろしく頼む」

「よ、よろしく…デグレチャフ」

「ターニャでいい。…よき友人と再び共に学べるとは、わたしは幸運だな」

「えっ?」

 

 え?

 

「ええと、今、友だちって…」

 

 え???

 まさかあれか?さんざん助けられておいてわたしと友達にはなってくれないとかそういう?いや、そんな、まさか、ポッターに限ってそれはないだろう。

 じゃああれか。わたしがもっとも恐れていた事態……わたしが打算で動いていたのがバレていたのか?!それが、今になって光速で手のひらを返したから、あまりの潔さに怒りすら忘れて戸惑っているのか?まずい、まずいぞ、やらかした、わたし!

 

「…違ったか?」

 

 取り返しがつかない状況に、思わず声が震える。

 しかし、ポッターはブンブンと頭を振った。

 

「ち、違うよ!そうじゃなくて…僕、デグレチャフが…ターニャが友達だと思ってくれてるなんて、知らなかった…ずっと、僕なんか足手まといだって、それで…」

 

 おおっと、どうやら自分が足手まといだというのは自覚していたようだ……ごほん。しかし、足手まといだったのは今までの話。これからはわたしのコネ友達だ。

 

「友達だよ、ハリー。そうじゃなかったら、貴方を助けたりしないし、こうして同じコンパートメントにもいないさ」

 

 そう言ってポッター……いや、ハリーの手を取ると、彼の頬に赤みがさした。

 

「そっか……よかった。僕…」

「仲直りできたってこと?」

 

 ロンがそう言うと、コンパートメントの扉が開かれた。車内販売のようだ。

 結局、廊下に甘味を買いに出たのはハリーだけだった。ロンとわたしは弁当を持参している。わたしは甘味を買う余裕などないのでそうしているのだが、純血なんてどうせ金持ちだろうに、腹に入れば皆一緒というわけか。溺れず驕らず節約とは、好感がもてる。

 

「あらためて、ターニャ・デグレチャフだ。弁当同士仲良くしよう」

「う、うん。僕、ロン。ロナルド・ウィーズリー。よろしく」

 

 自己紹介をしあって、ガッチリと握手をする。

 コネづくりは順調だ。あとは仲良くするだけ。素晴らしい!

 

「では、素晴らしき節約生活に乾杯」

「…乾杯」

「え、ふたりとも、なにやってるの?」

「これはこれは閣下。甘いもの食べまくりのセレブさんには関係のない話だ。なあ、ロン?」

「そうかも」

 

 ロンは笑いながら言った。ハリーは困ったように笑って、カボチャパイやチョコレートを分けてくれた。わたしもささやかながら、ソーセージを一本おかえしに分ける。

 それからは食べ物の交換会だった――といっても、大体食べ物を振る舞っていたのはハリーだったが――。ロンがコンビーフを嫌いだというので、がめついかとは思ったが、食べ物を粗末にするのはよろしくない。わたしがコンビーフのサンドイッチを食べた。

 それにしても、魔法界の食べ物というのは不思議なものだ。蛙チョコレートは勝手にコンパートメント内を飛び回るし、ついでにおまけのカードにプリントされた偉大な魔法使いたちや魔女たちは、勝手にいなくなったりウインクしてきたり、はたまた居眠りしたりする。百味ビーンズは奇妙な味で一杯、もちろん冒険などしたくないので丁重にお断りしておいたが。

 ロンがたわし味に当たって、ウゲーという顔をしていると、コンパートメントがノックされた。

 

「ごめん、僕のひきがえるを見なかった?」

 

 ノックの主は、丸顔の男子だった。なきべそをかきながらそう尋ねるが、わたしは首を横に振った。ハリーとロンも、見かけていないらしい。

 わたしたちの反応を見て、とうとう男の子はぐずぐずと泣き出した。きっと出てくるよ、というハリーの励ましにこくりとうなずくと、

 

「もっ、もし、見かけ、たらっ、よろじぐ…」

 

 と残して、コンパートメントを後にした。

 

「僕だったら、ひきがえるなんか早くなくしちゃいたいけどな……まあ、こいつの飼い主である以上、人のことは言えないけどさ」

 

 ロンはそう言って、彼の膝の上でグースカ眠るスキャバーズをつつきながら、こいつが死んでたって見分けがつかないよ、とぼやいた。それから、呪文をかけてスキャバーズを黄色にすると言い出した。

 なんだかカラーひよこを思い出すなあ、とわたしはぼんやりしている。食後だからだろうか?それにしても、カラーマウスとか、動物愛護団体とかに怒られないのだろうか。そもそも、魔法界にそんな団体はあるのだろうか?

 ロンはボロボロの杖を取り出した。なんだかキラキラ光っていてきれいだなあとぼんやり思っていると、『中身のユニコーンのたてがみがはみ出してるけど、まあいっか』というロンの声が聞こえた。そこでわたしははっと我に帰る。

 なんでそんなにボロい杖を使っているんだ。節約と言っても限度がある。暴発して爆発したりしないよな、いや、まさか、というところまで考えて、わたしはふと胸元のエレニウムを見つめた。――暴発したら、ここら一体クレーターになっていましたよ――と、マクゴナガル先生の言葉を思い出した。

 ロンが杖を振り上げる。やはり、やめておいた方がいいのではないだろうか。こういうものに関して、今まで平気だったから大丈夫という人間がよくいるが、それは、裏を返せば今まで壊れなかった分一気にガタが来てもおかしくないということだ。

 わたしが止めようとしたとき、またコンパートメントの扉が開いた。先程の、ひきがえるの飼い主が、今度は女子をつれてやってきた。

 

「ねえ、ひきがえるを見なかった?ネビルのがいなくなったの」

 

 たまに見かける、年頃特有の、何となく威張ったしゃべり方をする女子だ。

 わたしから見ればほほえましいものだが、ロンは魔法を邪魔されたこともあってか、顔をしかめている。

 

「さっきもそう言ったけど、見なかったよ」

 

 ロンがそう答えるが、女子はもうひきがえるのことなんて忘れたようで、ロンの杖に気をとられていた。

 

「魔法をかけるの?それじゃ、見せてもらうわ」

「あー………いいよ」

 

 ロンは咳払いをして、杖を振りながら呪文を唱える。

 

『お陽さま、雛菊、溶ろけたバタ~、デブで間抜けなネズミを黄色に変えよ』

 

 しかし、スキャバーズにはなにも起こらず、彼はグースカ眠ったままだ。

 

「その呪文、間違ってるんじゃない?…まあ、あんまりうまくいかなかったわね。私も、練習で簡単な呪文を試したんだけど、全部うまくいったわ。私の家族に魔法族は一人もいないから、手紙をもらったときちょっとビックリしたけど……ああでももちろん嬉しかったわ。ホグワーツは最高の魔法学校って評判だもの。教科書はもちろん全部読んだし全部暗記したわ。それで足りるといいんだけど………ああ、私、ハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャーよ。あなた方は?」

 

 ハーマイオニーのマシンガントークに、私たちは、しばらく呆然として返せなかった。

 営業職とか向いてるかも、とわたしが場違いなことを考えているうちに、ロンが正気を取り戻した。

 

「ぼ、僕はロン・ウィーズリー」

「…ターニャ・デグレチャフだ」

「えと、ハリー・ポッター」

「ハリー・ポッター?」

 

 女の子は目を輝かせた。

 

「もちろん知ってるわ。あなた、いくつかの参考書に、名前が出てたわよ」

「僕が?」

 

 ハリーは呆然とした。そんなハリーをよそに、ハーマイオニーはぐるりとわたしの方を向いた。

 

「あなたのことも知ってるわ、ターニャ。あなた、最近ニュースで取り上げられていたもの。国際物理オリンピックのブリテン部門で、確か……」

「二十六位だ」

 

 わたしは思わず、重苦しい声を出してしまった。いや、前世の経験から、どんなに勉強して出場しても、良い成績は出せないだろうというのはわかっていた。この年で出場経験をつくっておけば、箔がつくかと思った、それだけだ。そのつもりだったのだが、それでも、少し、わたしは期待していたようだ。

 

「あと一点で、ヨーロッパ進出の可能性もあったのだがな」

「ああ…ごめんなさい。でも、私は十分すごいと思うわ。史上最年少のベスト三十入りでしょ?ニュースだけじゃなくて、新聞にも載ってたし」

「よしてくれ。そんなに誉められたら、胸焼けしてしまいそうだ。だが、ありがとう、ハーマイオニー。わたしの努力も無駄ではなかったようだ」

 

 日本人の性で謙遜しつつもお礼を言うと、ハーマイオニーは頬を赤くして笑った。

 それから、彼女は立ち上がり、わたしたちの方を振り返って言った。

 

「そういえば、三人とも、どの寮に入るかわかってる?私、色々と調べたんだけど、グリフィンドールに入りたいわ。そこが一番良いみたい。ダンブルドア先生もそこ出身だし…ああ、でも、レイブンクローも良いかもね。ああ、そうだ。もうすぐホグワーツに着くみたいだから、着替えておいた方がいいわ」

 

 ハーマイオニーは、再び自前の機関銃をうちならすと、それじゃあね、とひきがえるの子と一緒にコンパートメントを去った。

 

「どの寮でも良いけど、あの子とは違うところが良いな」

 

 ロンはうんざりといった感じで、トランクに杖を投げ入れた。

 

「まあ、彼女も、新しい環境、知らない人ばかりで、緊張してるんじゃないか。口数が多かったのはそのためでは?それに、どうやら気が使えないわけでもなさそうだし」

「そう?」

 

 ロンはぶすっとして言った。

 

「僕には、あの子はただ自分のことを話したいだけのように見えたけど。それに、口数が多い何てもんじゃないだろ、アレ」

「……まあ、確かにそうなんだが」

 

 そこまで言われてしまっては、フォローしきれない。ロンの言うことも間違ってはいないし。

 しかし、彼女には、ただひたすらに悪い部分しかないというわけではない。そう、悪いところを叱りとばすなど時代遅れ、今は、相手の良いところを見つけ、それを伸ばす時代だ。

 

「そういえば、着替えなくて良いの?」

 

 ハリーの言葉に、三人で顔を見合わせる。

 それから、示し合わせたわけでもないのに、二人はフレッドとジョージみたいに同時に立ち上がった。

 ロンが扉を開けて、廊下に出て、

 

「ゆっくりでいいから」

 

 とハリーが残し、扉が閉められ、コンパートメントにわたし一人が残された。

 …ああ、わたしが女だから気を使ってくれたのか。さすがはイギリス、こどもまで紳士とは恐れ入った。

 トランクを開け、制服を引っ張り出す。それから、ブラウスを脱ぎ、指定のシャツを着る。シャツのボタンに手をかけて、わたしは我に帰った。

 

 

 

 

 ハリーとロンは、コンパートメントの外で、ターニャが着替え終わるのを待っていた。

 二人はすっかり打ち解けていた。しかし、ハリーにとって、ターニャが本当に友達だと思ってくれているのかどうかというのは、不安だった。

 

「え、なんで?さっき、あんなに仲良さそうにしてたじゃないか」

 

 ロンは、やれやれと呆れたかのように言った。それからこう続ける。

 

「君、さっきのターニャを見てなかったのか?」

「さっきって、いつの?」

「ほら、君が友達かどうか、聞き返したときの」

 

 もちろん見ていた。ハリーが尋ね返したとたん、ターニャは、驚いた顔をして、それから、しゅんと寂しそうな顔をして、違ったか、と声を震わせたのだ。

 

「ターニャがあんなになってるの、はじめて見たよ」

「あーあ、それじゃ、彼女、相当ショックだったんだろうな」

「ちゃんと否定したじゃないか、ちがうって」

「冗談だってば」

 

 ターニャに聞こえないよう、小声で軽口を叩きあっている間に、今度は別の疑問が首をもたげてきた。

 

「でも、ターニャはなんで僕と友達になってくれたんだろう」

 

 ターニャはすごい人だ。優等生で、なんでもできる。教師からの信頼もあつく、あのダドリー軍団が一目おくくらいには運動神経もあった。

 

「なんかすごいんでしょ?さっきのあの嫌な感じのやつが言ってたけど、国際…えーと」

「国際物理オリンピックね。ターニャは優等生で、ほんとに、僕とはすべてが正反対の人なんだ。なんで僕と一緒にいてくれたのかわからないくらい。僕と一緒にいるとき、ずっと本読んでたけど……」

「うーん、ターニャも自分で言ってたよな、無愛想だって。彼女、実は結構なシャイなんじゃないの?」

「…そうかな?」

 

 その考えはなかった。こうして悩みを相談して、自分では思い付かないようなアイデアを得る、というのは、ハリーにとってはじめての経験だった。

 

「あとさ、これも、さっき彼女自身が言ったことだけど……大体の人はみんなそうだと思うけどさ、普通、わざわざ嫌いなやつのとなりで読書しようなんて思わないだろ?」

 

 ハリーは、自分がダーズリーのそばで本を読むところを想像してみた。読む本は…ハリーは本を持っていない。ホグワーツの教科書くらいだ……怒り狂ったバーノンおじさんが、穴あけドリルで教科書を穴だらけにするところまで想像して、ハリーは顔を青ざめさせた。

 

「絶対無理」

「僕も。それに、君はさっきなにもないっていってたけどさ、友達になるってことは、なにか共通点があったってことじゃないの?」

 

 ターニャと自分の共通点?

 ハリーは考えて、ひとつ思い当たった。

 

「僕はダーズリー家で、彼女は孤児院だ」

 

 ハリーの呟きに、ロンがはてな、という顔をしたので、もう少し詳しく話す。

 

「ええと、二人とも、親がいないんだ。僕は親戚の家で、彼女は孤児院で暮らしてた。孤児院は裕福じゃなかった。けど、僕も同じだ。親戚は裕福だったけど、僕には親切じゃなかった…」

「彼女、孤児院出身なのかい?」

 

 ハリーの説明を受けて、ロンは信じられないという顔になった。

 

「そうだけど……なんで?」

「いや、彼女が首から下げてる、まるいのあるだろ?」

 

 ある。ターニャがいつも肌身離さず持っているアレだ。

 

「あれ、エレニウムっていう、相当高価だった魔道具だぜ。しかもその存在自体がだいぶ古いんだ、骨董品レベル」

「それ、何に使うの?」

 

 ロンは肩をすくめて、うちにあるのはパパがもらってきた故障したやつだからなあとぼやいた。

 

「でも、よかった。ターニャみたいな、いい人が友達になってくれて」

 『わたしは男だろうがド畜生が!!!!!』

 

 二人は顔を見合わせた。

 今、コンパートメントから、あり得ないくらいの怒声が聞こえてきた。

 

「た、ターニャ?!どうしたの?」

『あ、いや、その、うん。すまない。急にどこかで見た呪文を試したくなってしまった』

「呪文にしては、その、ずいぶん汚いね……もしかしたら、相当変な友達かも」

 

 ロンは、後半はコンパートメント内に聞こえないように、声をひそめてそう言った。

 

「ねえ、このコンパートメント内にハリー・ポッターがいるって聞いたんだけど、本当かい?」

 

 その時、後ろから急にそんな声がして、ハリーとロンは振り返った。

 そこには、ハリーがマダムマルキンの店で会った、青白い男の子がいた。彼は、後ろに二人、ダドリーを思わせるような、いや、もしかしたらダドリーよりも体格のいい、意地悪そうな子分を連れている。

 そんなハリーの視線に気がついたのか、青白い子は言った。

 

「ああ、こいつはクラッブで、こっちがゴイル。そして、僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ。それじゃあ、君がハリー・ポッター?」

「うん、そうだよ」

 

 ハリーは、またかと思いながら答えた。

 ロンは、マルフォイの自己紹介を聞いて、笑いをごまかすかのような咳払いをした。

 

「君、まさか、僕の名前が変だとでも言うのかい?パパから聞いたよ、ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかす面で、ついでに、育てきれないくらい子どもがいるって…」

 

 それから、マルフォイは、ハリーに向かって言う。

 

「ポッター君、残念ながら、魔法族にも良い家柄と悪い家柄があるんだ。前者はともかく、後者との付き合いは考えた方がいい。その辺は僕が教えてあげよう」

「…あー、悪いけど、間違っていることとそうでないことくらい、自分で見分けられると思うよ、誰でも」

 

 ハリーがそう言うと、マルフォイは僅かに顔を歪ませた。

 

「ポッター君、僕ならもう少し気を付けるがね。もう少し礼儀を身に付けないと、君、君の両親と同じ道をたどることになるぞ。ウィーズリーやハグリッドみたいな連中と一緒にいれば、君の身も同じところまで堕ちることになるだろうね」

「もういっぺん言ってみろ!」

 

 ロンが怒鳴った。それを見て、マルフォイはせせら笑った。

 

「へえ、僕たちとやるつもりかい?」

「今すぐここから去らないのならね」

 

 ハリーはきっぱりとそう言った。クラッブとゴイルがぎろりと睨みをきかせるから、後ずさりしそうになったが、こらえて、負けじとにらみ返した。

 

「生憎、そんな気分ではないな。僕たち、自分の食べ物は全部食べちゃったんだよ。ここにはまだあるかい?」

 

 マルフォイはそう言って、コンパートメントの扉に手を伸ばす。

 

「あ、やめろ!開けるな!」

「な、クラッブ、ゴイル、こいつら押さえろ!」

「こ、今回は特別だぞ、忠告してやる。君、今この扉を開けたら、お前の言うご立派な家柄に傷がつくぞ!」

「裏切りの血が、僕の家をとやかく言うな!」

 

 がらり、と音がして、乱闘は一瞬止まった。

 

「一体なんの騒ぎだ」

 

 そこには、制服に着替え終わったターニャが、悠然と佇んでいた。

 ターニャは、先程まで下ろしていた髪をひとつに結っており、滅多に身に付けていなかったスカートを履いていた(それが学校の制服なのだから、当然と言えば当然なのだが)。ターニャを見慣れていたハリーにとっては、すごく新鮮だったが、それ以上に、とても似合っていると思った。

 マルフォイは、クラッブとゴイル下がらせた。それから、先程のハリーに対して言ったことを、ターニャにも言った。

 

「…君も、付き合う仲間は選んだ方がいいんじゃないか?こっちのコンパートメントに来なよ……」

 

 ハリーは、マルフォイが、ターニャの胸元に下げられたエレニウムを注視しているのに気がついた。

 

「黙れ」

 

 ハリーは思わず口を開いた。

 

「君は、珍しいおもちゃで遊びたいだけだろう」

 

 ターニャはハリーが何を言っているのか理解したのか、胸元のエレニウムをローブで隠した。

 マルフォイは肩をすくめた。

 

「別にそういう訳じゃないさ。ただ、彼女の為を思ってね。そんな逸品を持っているような人間が、礼儀知らずと赤毛のネズミのコンパートメントじゃ釣り合わないと思ってね」

「お前!」

「ロン」

 

 マルフォイに飛びかかろうとしたロンを、ターニャが制止した。

 それから、マルフォイの目を見据え、きっぱりと言い放った。

 

「誰だか存じないが、わたしの友に向かって随分な侮辱だな。誰がお前のコンパートメントなど行くものか、去れ」

「……!」

 

 そのように言われるなど、想像もしていなかったのだろう。マルフォイは顔を真っ赤にして、こう叫んだ。

 

「君もずいぶんな礼儀知らずだな。ハリー・ポッターと、純血の面汚しであるウィーズリーを選ぶとは!」

「マルフォイ!」

 

 ロンは、髪と同じくらい顔を赤くして怒鳴った。 しかし、ターニャにぎろりと睨まれたため、飛びかかることはできなかった。

 

「マルフォイ……純血の、面汚し?」

 

 震える声でそう呟く声が聞こえた。それまで冷静だったターニャは握りこぶしを作った。そして、怒気を露にした顔で、ダドリーたちに向けていたものよりも怖い顔で、マルフォイを睨み付けた。

 マルフォイは、後ずさると、クラッブとゴイルをつれて、逃げるように前の車両へと姿を消した。

 

「……最悪だ」

 

 その後ろ姿を見ながら、ターニャが小さく呟いた。

 

 

「確かにあいつはサイアクだけど、君はサイコーだよターニャ!」

「ぐべっ」

 

 ロンはよっぽど興奮しているのか、ターニャに抱きついた。背の高いロンの突進に、ターニャは変な声を出した。

 

「見たかハリー、あのマルフォイの怯えた顔!」

「もちろん。さすがだね、ターニャ」

 

 ハリーの言葉に、ターニャは薄く笑った。

 

「……いや、はは、まあ、ははは、そうだな。やつは、わたしみたいに、ロンに飛びかかられなくて幸運だったな」

「あ、ごめん、痛かった?」

「いいや、大丈夫だ。ほら、今度は貴方たちが着替える番だ」

 

 ターニャがそう言って、コンパートメントを示すので、ハリーたちも着替えることにした。

 

 

 

 


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