非科学的な世界で(略)追い詰められるが良い! 作:たたっきり測
今、魔法界で最もホットなスポーツ、クィディッチ。
世界各地にオフィシャル・チームも存在する、空飛ぶ玉と箒を用いた、
グラウンドも奇妙なもので、グラウンドの両端に、柱の先に丸い輪がつけられたものが三つずつ設置されている。
一つのチームにそれぞれ七人の選手。その奇妙なグラウンドを、二チーム合わせて十四人の魔法使いや魔女が箒で飛び交う。
チームの七人のうちの三人、チェイサーは、真っ赤なボール、クアッフルを投げて、前述した輪に入れる度に十点。キーパーは、その輪の周りを飛び回って、クアッフルが自分のゴールに入らないよう阻止する。
二人のビーターが、その陣地内にいる選手を妨害してくるブラッジャーという玉を相手の陣地に打ち返し、ブラッジャーから仲間を守る。
そして、シーカー。金色のスニッチという玉を見つけ、それを捕まえる役目。スニッチを捕まえると一五〇点。スニッチが捕まらない限り試合は終わらない。
分かりにくい。しかも、これに加えて、反則が七〇〇以上もある。
このスポーツを、わたしの前世の知識を総動員してわかりやすく説明するならば、シーカーがスニッチを捕まえるまでひたすら箒とボールで相手のゴールにシュゥウー!超、エキサイティン!!
……ごほん。ま、まあ、とにかく、重要なのは、クィディッチは、魔法界で最もホットなスポーツであるということだ。
だから、ハリーの話を聞いたロンが、思わず叫んでしまうのも仕方がなかった。
「はあ?グリフィンドール・クィディッチチームのシーカーに選ばれたあ?」
「シー!」
ハリーは、自分の口に人差し指を立てた。
しかし、夕方の大広間は、一日のカリキュラムから解放された生徒たちのおしゃべりでなかなかに騒がしい。周りの生徒は誰一人、ロンの言葉に気がついていないようだった。
ロンは、今度を声を潜めて、ひそひそ話す。
「でも、一年生はクィディッチ寮代表選手にはなれない決まりだろう……つまり、君は最年少ってやつだ」
「…百年ぶりだって、ウッドはそう言ってた。来週から練習があるんだ。でも誰にも言うなよ、ターニャもだ。ウッドに絶対言うなと言われているんだ……」
ハリーは、マクゴナガル先生に連れていかれたときとは、様子が全く違っていた。聞けば、退学にはならず、学校のクィディッチ・チームのグリフィンドール寮代表に選抜されたのだそうだ。
ハリーは、先ほどは真っ青だった頬を赤く染め、よほどおなかが空いているのか、ミートパイを掻き込むように食べている。そしてむせた。
ロンは、そんなハリーを、驚いたような、感動したような、羨望するような眼でぼんやりと見つめた。
一部の生徒、グリフィンドール・クィディッチチームのメンバーである一部の上級生は、既にハリーがチームに入ることを知っているらしい。上級生のアンジェリーナ・ジョンソンは、先ほどハリーと目があったときにウインクしていたし、既に夕食を食べ終えたフレッドとジョージなどは、素早くハリーに近づいて、低い声で、こっそりと、
「「すごいな、ハリー」」
と言ってきたのだ。さらに、
「ウッドから聞いたよ。僕たちも選手なんだ。ビーターだよ」
「これで今年のクィディッチ・カップは俺らのものだな…」
「「じゃ、来週から頑張ろう。また後で」」
そう言うと、赤い嵐は足早に去っていった。
「また無駄に有名になりそうだな、ハリー」
最年少シーカー。それが、あのハリー・ポッターとなったら、学校中が放っておかないだろう。
わたしとしてはやぶさかではない。むしろハリーにはこれからどんどん有名になって、わたしに良質なコネを提供していただきたいのでな。
ハリーは、わたしの言葉にムッとした顔をした。
「無駄って、僕は別に有名になりたくてなってる訳じゃないんだけど?」
「それはもちろんわかっているさ。…しかしまあ、そうなると、面倒な連中にさらに目をつけられやすくもなろう。例えば、マルフォイとかな」
「デグレチャフ、今、僕をなんて言った?」
噂をすればなんとやら、今度はマルフォイがやって来た。後ろには、いつもの二人もいる。
「いえいえ、まさか、なんにも」
わたしが真面目に、丁寧に否定すると、ロンはふざけているとでも思ったのか、隣で小さく吹き出した。
その様子を見て、マルフォイは、憎々しげに顔を歪める。
ああ、笑うんじゃないロン……違うんだマルフォイ……
「地上ではずいぶん元気そうだねマルフォイ。小さな友達もいるし」
「小さくはないだろう」
ハリーの言葉に、わたしが思わずそう口に出すと、ロンがまた隣で吹き出した。ああ、違う、今のは口が勝手に……
マルフォイは、再びわたしを睨み付けるが、上座の方には先生方が座っているため、手出しはできない。
「ふうん、いいよ。僕ひとりでいつだって相手になってやろうじゃないか。なんなら今夜、決闘でもしようか?使うのは杖だけ、相手には触れない――どうした、ポッター、魔法使いの決闘なんて聞いたこともないんじゃないのか?」
「もちろんあるさ。僕が介添人をやる。お前のは誰だい?」
ロンが口を挟んだ。
「クラッブとゴイルだ。ゴイルはクラッブの介添人。ウィーズリー、ポッターの介添人はデグレチャフに譲れ、君は、彼女の介添人だ」
え、わたしも?
自分には関係ないと思っていた……と言えば嘘になるが、正直関わりたくない。わたしは、思わずマルフォイを見た。
その様子を見て、マルフォイの口元に、いつもの人を小馬鹿にしたような笑み浮かぶ。
「はあ?介添人が二重の決闘なんて、そんなの決闘じゃないだろう」
「おっと、まあ、落ち着けよウィーズリー。なんなら、三人それぞれが戦うトーナメント制にしてもいいし、君たちにとっても、仲間は多い方がいいだろう?真夜中の、トロフィー室にしよう。あそこはいつも鍵が開いてるからね…」
それじゃあね、とマルフォイはひらひら手を振って、スリザリンのテーブルに行ってしまった。
あいつ、きちんと挨拶できたんだな、とわたしは感心しながらパスタをよそう。
「決闘、介添人?どういうこと?」
「…つまり、もしもハリーが死んだら、わたしが代わりに戦い、その上でわたしが死んだら、ロンが代わりに戦うということだ」
死、と聞いて、ハリーは顔を青ざめさせた。それを見たロンが、慌てて補足をする。
「大丈夫だよ、君も、マルフォイも、その後ろのゴリラも、もちろん僕も、まだ相手を殺せるような呪文は使えないだろう?せいぜい火花の飛ばしあいさ……ターニャは、わかんないけど」
ハリーはロンの説明を聞いて安心したようだったが、ロンが最後にをそう付け加えると、ハリーは再び顔を青ざめさせた。
「た、ターニャ……」
「お、おい、ハリー?なにか勘違いをしていないか」
「ちょっと、失礼?」
わたしが誤解を解こうとしたとき、会話に割り込んできた人物に、ハリーとロンの目が一斉に向いた。わたしも声の主を確認する。
そこには、ハーマイオニーが立っていた。
ロンがやれやれとミートボールをつつきながら、わざとらしい大声で言った。
「全く、ここじゃあ落ち着いて食べることもできないんですかね?」
今度はわたしが吹き出す番だった。視界の隅でハーマイオニーが顔をしかめたので、わたしは慌てて誤魔化さなくてはならなかった。いや、しかし、こういうときのロンの言い回しは結構面白いのだ。
ハーマイオニーは、そんなわたしたちを呆れたように無視して、ハリーに話し続けた。
「聞くつもりはなかったんだけど、あなたとマルフォイの話が聞こえちゃったの」
「聞くつもりがあったんじゃないの」
ハーマイオニーは今度は見逃さなかった。今に怒り出しそうな顔でロンを睨んだのだ。彼は肩をすくめて、ミートボールを口に運んだ。
「……とにかく、夜、校内をうろうろするのは絶対ダメ。もし捕まったらグリフィンドールが何点減点されるかわかってるの?本当に自分勝手なんだから」
「大きなお世話」
ハーマイオニーはもっともなことを言ったが、ハリーはというと、おまえはこの上なく鬱陶しいぞ、という目線をハーマイオニーに向け、冷たくそう言い返した。
「バーイ」
とどめをさしたのはロンだった。
ハーマイオニーはフンッとそっぽを向くと、プリプリしながら大広間を出ていった。
「…ターニャ、もう来てたんだ」
わたしが、真夜中の談話室で本を読んでいると、ハリーとロンが現れた。これから決闘だというのに、二人はパジャマにガウン姿だ。しかし、顔つきは決心したようなそれだった。
「なあ、行く前にちょっといいか。作戦を思い付いた、最強の作戦だ」
「なに?」
わたしが暖炉脇のロッキングチェアに座ったまま言うと、ロンは目をきらめかせながら聞いてきた。ハリーはごくりと唾を飲んだ。
「一回しか言わないぞ?良く聞け――」
ハリーとロンの間に、緊張と期待が走った。
「『行かない』」
「…へ?」
「最強の作戦は、『トロフィー室に行かない』だ。さあ、わかったら大人しくベッドにもどれ」
わたしは、笑いながら言って、読書に戻ろうとする。
しかし、ハリーによって阻まれた。
「冗談だろ?今さら何を言ってるんだよ」
「それはこちらの台詞だが。わたしはハーマイオニーではないが、真夜中にうろつくなんて言語道断だ。貴方たちは、一体、グリフィンドールから何点奪えば気が済むんだ?特にハリー、箒の件はラッキーだっただけだ。今回も罰がないとは限らないぞ」
『一度あやうくなったが、なんとかそのピンチを潜り抜けた』という経験は、油断に繋がる。例えば、連続殺人犯。警察にばれそうになって、しかしその危険をどうにか遠ざけることができると、油断からその後の犯行がより大胆に、より雑になるのだとか。今のハリーには、それと似たものを感じる。
それに、なにかひっかかるのだ。マルフォイのあの説明を思い出す。なにかはわからないが、なんというか、見落としているというか……
わたしの言葉に、ハリーは驚いたような顔をした。ターニャがそんなこと言うなんて、とでも思っているのだろう。
当たり前だ。わたしが何点グリフィンドールに貢献したと思っている。それを、こいつらは一晩で無下にするつもりなのだ。止めないわけがない。
それに、『私も一緒に行く流れ』になっているが、行くわけがない。当たり前だ。もしばれれば、わたしのまだ高くはない信頼が、一気にマイナスまで墜落してしまう。
ロンは、あり得ないといったふうに両手をあげた。
「正気か?マルフォイをやっつけるチャンスだぜ?」
「もう飛行訓練で、ハリーが目にもの見せてやったじゃないか。せっかくクィディッチのシーカーに選ばれたんだろう?ここで信頼を失ってどうするんだ」
しかし、ハリーとロンはなかなか納得しなかった。いわく、ここで引けば、マルフォイに馬鹿にされる、と。
まあ、そうなるよな。そこで、わたしは、新たな見方を彼らに提供する。
「もしもそう言われたら、こういえばいいじゃないか。『ああ、あんな幼稚な決闘方法、冗談だと思ってたよ。君はわざわざ、真夜中のトロフィー室で一晩中僕らを待ってたのかい?それは無駄足ご苦労。そんなに決闘をご所望なら、今すぐ、人気のないところで、闘おうではないか』って」
「それだって、どうせ違反になるだろう?勝手に魔法を撃ち合うんだから」
「でも、そんなこと、兄上方はよくやってるじゃないか、ロン。彼らから学ぶに、真っ昼間にやるほうが罰則は遥かに少なく済むだろう。……ようは、どちらにせよ、見つからなければ問題はない」
だから、万が一見つかったとき、言い逃れができる昼間にやった方がいい。
「…いや」
ハリーはきっぱりと言った。
「今夜、僕は行く――マルフォイは、今夜来いと言ったんだ」
ロンは、ハリーを見た。ハリーも視線で返した。
それだけで、二人は通じあうことが可能だった。ロンは、こくりとうなずいた。
いやまて。なんでそうなる?
こいつらには、理性とか知性とか、動物を人間たらしめいている要素が存在しないのか?
ロン、今さんざん説明したことを、二秒で突っぱねやがったな。お前視線通わせてうなずくとかまあ見ようによっては友情エピソードとなるかもしれない二秒を築き上げてたけどな、ちょっと待ってくれよ。間近で見ている者の気にもなってほしい。シチュエーションに対する選択の愚かさが滲み出ていて笑えないぞこっちは。
そしてハリー。もはや論外だぞお前。確かにずっと黙ってるなあとは思ってたがね、しかし考えるような顔つきだったから、もしかしたらロンよりもわたしの話を聞き入れてくれているのだと思っていたよ。それがまさか、精神統一のための瞑想だったとは思わなんだ。
「さあ、時間だ」
そしてなぜ、わたしを見据えながらそう言えるのだ。この流れでわたしが行くと思っているのか、正気か?
その時、談話室の奥でボッと炎が燃える音がした。
「あなたたちが、本当にやるなんて思ってなかったわ」
失望の色を含んだ、聞き覚えのある声だ。
ロンが小さく怒鳴った。
「ハーマイオニー!また君か、ベッドにもどれ!」
瓶に入れられた炎を掲げ、その明かりに照らされているのは、パジャマにピンク色のガウンを羽織ったハーマイオニーだった。
「本当はあなたのお兄さんに相談しようと思ったのよ、パーシーにね。彼は監督生だし、絶対にやめさせるわ」
ロンとハリーは、その言葉を聞いて絶句した。
わたしとしては、嬉しい限りだ。ハーマイオニーは心強い援軍だ。このまま二人を止めて、さっさとベッドに潜りこみたい。
しかし、そんなわたしの考えとは裏腹に、ハーマイオニーはこちらに鋭い視線を向け、震える声で言った。
「そして、まさかあなたが、ここまでおバカさんだったとはね、ターニャ。私、そんなおバカさんに負けるなんて思ってなかった」
「へ?」
思わず、間抜けな声が口から飛び出た。
おバカさん?負ける?一体なんの話だ。
「あなた、授業ではあんなに優秀なのに――なのに、こんなことに手を貸すなんて、バカげてる。間違ってるわよ!」
「ち、違う、ハーマイオニー聞いてくれ。貴方は誤解している。わたしはただ二人を止めようと…」
「嘘ばっかり!聞いてたわよ、『見つからなければ問題ない』って言ってたじゃないの!」
「いや、それは――」
ハリーがこちらににっこりと笑いかけているのが視界の隅に映る。ハーマイオニーはそれを見て、やっぱり、とさらに声を震わせた。
「行こう。ロン、ターニャ」
「いや、待てハリー。ちょっと、なあ!」
「大丈夫だって。見つからなきゃいいんだろ?」
違う!それはそういう意味で言ったんではないぞ!ああ、なるほど。薄々そうではないかと思っていたが、やはり誤解されていたか!
孤児で幼女で元リーマンの抵抗などむなしく、わたしは、ハリーとロンに手をとられ、ずるずると引っ張られていった。わたしの方が人生経験値は高いはずなのだが、平日はデスクワーク、休日はゲームに読書に録画鑑賞エトセトラという高尚かつ文明的な生活をしていたせいなのか、全く歯が立たない。これが、前世での職がプロレスラーとか、警官とか――あるいは、軍人とか、そういう肉体資本の職業だったりしたら、なにか変わっていたのだろうか。
そんなわたしの気持ちも知らず、ロンとハリーは談話室から廊下へと繋がる出入り口にわたしを押し込む。
ああ、ハーマイオニー助けてくれ。わたしの声にならない思いは届くわけもなく、ハーマイオニーは至極真っ当な言葉を紡いでいく。
「ねえ、あなたたち、グリフィンドールがどうなるかはどうでもいいわけ?自分のことばっかり気にして。あなたたち、わたしが変身術で稼いだ点数を無駄にするつもりなんだわ!」
「うるさいな。君よりも、ここにいるターニャの方が点数高かったじゃないか。それに、君のはただの銀色のマッチだったけど、ターニャのは完璧な針だった。マクゴナガル先生だって、本当は五点ぽっちなんかじゃなく、プラス十点くらいあげたかったに違いないよ」
「それに、ターニャには飛行訓練での五点もある」
二人の言葉に、ハーマイオニーは顔を歪ませた。
ああ、この感情を、わたしは知っている。才能では天才たちに敵わず、努力は秀才たちに及ばず、いつもあと少しの所で駄目で、いつしか上に行くことを諦めたわたしが、まだ彼らに勝とうとして、匹敵すると信じてやまなかったわたしが、もがき苦しんでいる時と同じだった。
「おい、ロン、それからハリーも。そういう言葉は彼女に向かって言うべきものではないぞ」
わたしは、ロンにぎゅうぎゅうと廊下に押し出されながら、そう言った。
ハーマイオニーが、はっとしたような表情で顔をあげたのが、ほんのわずかな隙間から見えた。
「そういう言葉は無能に言うべきだ。ハーマイオニーは今のわたしに劣るかもしれないが、無能ではない」
わたしは、冷たい廊下におり立ちながら、懐かしい記憶を思い出した。
かつてわたしは自分を無能と卑下したが、決してそうではなかったのだ。物事を二極で考える人間がいる、とはこの前も考えたことだが、わたしはその限りではないと考えている。その証左に、わたしは、最終的には、まあまあ有能な――いや、少なくとも無能ではない、と言うべきかもしれない――人間として扱われ、そして今に至っている。あのとき、わたしはもがいて苦しんで、結局勝てずにそのまま挑戦することをやめてしまったが、それも、振り返ってみれば、間違いではなかった。
「ターニャ…」
あのとき、諦めたら諦めたわりに、案外いい人生があった。
だから……
「…だからまあ、諦めも肝心なのだろうけどな」
「え」
突然、ハリーとロンが潰れた蛙みたいな声を出した。
なんだ、とわたしが二人を見ると、二人は恐る恐る視線でハーマイオニーを示す。
見ると、ハーマイオニーも、廊下に出ていた。しかし、見るべきはそこではない。彼女は、俯いて、ぶるぶる震えていた。
それから、キッとわたしを睨んで、恐ろしい形相で言った。
「大きなお世話よ!ああ、ここまでついてきた私がバカだったわ。明日の朝、汽車のコンパートメントの中で、三人ともあのとき私の言うことを聞いておけばよかったって心から思うのよ、でももう遅いわ!明日の朝、いちばんに、マクゴナガル先生に報告しに行くんだから!」
そう言って、ハーマイオニーは振り返った。談話室に戻ることにしたらしい。
「は、ハーマイオニー?何をそんなに怒ってるんだ?」
「もしかして君、ハーマイオニーが言ったとおり、勉強以外で頭回らないのかい?」
「え、いや、そんなことを言われても、わたしはなにか言ったか?」
「ワーオ、余計にたち悪いよな、それ。ようするに、無意識で、思っていたことがそのまま口に出たってことじゃないか」
「な、いや。違う、違うんだ。わたしがおそらく言ったであろう諦めというのは、わたしの経験に基づく肯定的なもので、決して否定的なものでは――」
「おい、二人とも!ここは談話室じゃないんだぞ。静かにしないと、誰か来るかも」
ハリーの注意に、ロンとわたしは慌てて口を閉じた。
そうだ。ついついされるがまま、廊下に出てきてしまった。今すぐ談話室に戻らねば。
わたしが太った
「ねえ、これ、どうしてくれるつもり?」
ハーマイオニーは、肖像画を指差した。誰も座っていない椅子が描かれている。
太った
ハリーは一瞬ぎょっと身動ぎしたが、ロンはふんと鼻をならした。
「知ったことかよ。
そんな冷たい言葉に愕然とするハーマイオニー。
いや、まずい。なぜいないんだ
どうする?わたしは頭をフル稼働させる。理想は、ここで
「ちょっと、なによ、それ――」
「静かに!――なにか、聞こえるぞ」
ハリーが小さく、鋭くそう叫ぶと、言い合いを開始しようとしていたロンとハーマイオニーは押し黙った。
耳をすますと、確かに、何か微かな、生き物の息のようなものが聞こえる。
全員の頭に同じ考えが浮かんだ。フィルチの猫――ミセス・ノリスだ。わたしは懐に手を忍ばせ、かたく杖を握った。
わたしたちは緊張と寒さで震えながら、息を潜めて索敵した。敵に見つかる前に排除しなくてはならない。彼女に一鳴きされたらこちらは終わりなのだ。
しばらく経った。なかなかミセス・ノリスは現れない。
途端、ハーマイオニーが小さな悲鳴をあげた。
悲鳴に全員が勢いよく振り返った。わたしは杖を構え、
「ペトリフィカス・トタ…」
まで唱えて、止まった。
「ねえ、ハリー。ここまだ談話室なんじゃない?それなら、
ロンがそう茶化してしまうのも仕方がない。
真夜中の廊下に、ネビルが、横になって、すやすやと寝息を立てて眠っていたのだ。
しばらく全員で押し黙った。一番に行動を起こしたのはハリーだった。
「ネビル、ネビル」
彼が揺すり起こすと、ネビルはむにゃむにゃと目覚めた。
「ぅん……ハリー?……ああ、よかった、助かったあ。合言葉を忘れちゃってさ、談話室に入れなかったんだ…」
「シッ、静かに。新しい合言葉は『豚の鼻』だけど、今は役に立たない」
「『太った
「うん、マダム・ポンフリーに治してもらったよ」
ハーマイオニーの言葉に、ネビルは飛行訓練で負傷していた腕を曲げ伸ばしした。
「それはよかったね。悪いけど、僕たち行かなきゃ」
「そんな、置いていかないでよ!」
「もし君たちのせいでフィルチに捕まったら?僕、クィレルが言ってた『悪霊の呪い』をかけられるようになるまでは許さないぞ」
ロンがものすごい顔でそう言うものだから、ネビル、それからハーマイオニーは、じり、とわずかに後退りした。
「まあ、落ち着けロン。なあネビル、ここで
「君も、こんなところに僕をひとりで置き去りにするつもり?」
わたしの言葉に、ネビルは素早く、鋭くそう言った。
「え?いや、わたしは、置き去りとは……」
言っていないぞ、ネビル。
いい案があるのだ。談話室の外からどんどんと音がしていたので見てみると、そこには医務室帰りで遅くなったネビルがいた。合言葉を忘れてしまったと言うので教える際、うっかり外に出てしまった。合言葉をネビルに教え、さあ帰るぞというところになって、ようやく
流石のフィルチも、友達を思ったこの行動に重い罰則は課さないだろう。しかし、ここまで大人数となると不自然だ。なので、ハリーたちには悪いが、適当におだててトロフィー室に行ってもらう。最悪ハーマイオニーは残っても大丈夫だ。彼女とわたしは隣のベッドなので、わたしが不審な物音を怖がって彼女について来てもらったという設定にすればいい。ああ、完璧だ!
しかし、ネビルは、静かに、しかし勢いよく、わたしの言葉を遮った。
「ターニャ、僕を置いていったりしたら、絶対に許さないよ……それこそ、『悪霊の呪い』を君にかけられるようになるまでは」
そして、さっきのロンが乗り移ったのではないかと思うくらい、ものすごい表情でわたしを睨み付けてきた。
わたしは思わず後退りした。
五つの影が、窓から差す細い月明かりの廊下を、素早く移動する。曲がり角では十分に気を遣い、連携して何度も周囲の確認をとる。
それを慎重に繰り返して、なんと、ラッキーなことに、フィルチにもミセス・ノリスにも会わず、四階のトロフィー室までたどり着くことができた。
トロフィー室の扉を少し開けて、隙間から滑り込む。
マルフォイたちはまだ来ていなかった。トロフィー室なんてものを作るだけあって、かなりの量のトロフィーや盾などがたくさんの棚に飾られていた。それらは月の光を浴びて金銀にまたたいていた。
「ドアから目を離すな…」
入り口からの奇襲に備えてだろう。杖を構えるハリーの指示に従い、ドアを見つめる。
マルフォイは来ない。なんだろう、心の中でなにかがひっかかっている。懐から杖を取り出す。
夜、真夜中に、わたしたちと、マルフォイたち、合わせて八人もの生徒がベッドから抜け出して、見つからないという確率はいかほどだろうか。見つからないという確証は?でも、そんなもの、確信してさえいれば……
ひっかかっていたものがするりと落ちて、あ、とわたしは小さく声を漏らした。
ああ、わたしは、あのとき強引にでも、なんならひとりでも、肖像画前の廊下に残るべきだったのだ!
それか、もう少し早く気がつくべきだった!わたしがマルフォイの立場だったらどうするかを考えるべきだった!ハリーたちを止めるわたしの頭には、真夜中に出掛けるリスクしか頭になかった。絶対に相手を滅ぼしたいとき、わたしなら――『今夜トロフィー室に誰かが来ると告げ口する』!!
「ミセス・ノリス、しっかり頼んだぞ。いい子だ……もしかしたら、隅の方に潜んでいるかもしれんからな…」
暗闇に、声が遠く響く。
ハリーはとたんに顔面蒼白になって、メチャクチャにみんなを手招きした。それから、棚に沿って隠れつつ静かに走り、フィルチの声が聞こえた方とは逆の扉に、素早く飛び付いた。みんながハリーに続いた。
扉を出た先の、鎧が並んでいる回廊を、音を立てないよう静かに進む。『この辺にいるはずだ…』フィルチの声がどんどん近づいてくる――次の瞬間、血迷ったか、ネビルが叫び声をあげて、やみくもに走り出した。そして、つまずいて、ロンを巻き込み、二人揃って鎧にぶつかり倒れこんだ。
静寂が包む城に、鎧が倒れる音がけたたましく響き渡った。
「走れ!」
ハリーが声を張り上げるまでもなく、わたしたちは一斉に走り出した。全速力でドアを通り、矢のようにいくつもの廊下を抜け、疲れも知らずに階段を登り降りし、たまたま見つけた隠れ通路を普段から使ってますと言わんばかりに抜けると、トロフィー室からだいぶ離れた『妖精の魔法』の教室のそばに出た。
フィルチが追ってきていないことを確認すると、みんなで一斉に胸を撫で下ろした。
「もう――追ってきてない――よ」
ぜいぜいと息をしながら、ハリーがそう言った。
「ま、マルフォイに――嵌められたのよ――」
「ひきょ――卑怯だぞ―――あの――クソッタレ――」
「とにかく、グリフィンドール塔にもどらないと――できるだけ、早く」
「行こう」
息を整え、こっそり歩きだす。しかし、何歩も進まないうちに、邪魔が入った。ドアが開き、なにかが勢いよく飛び出してきたのだ。最悪なことに、ピーブズだった。
ピーブズはこちらを見つけると、身体のわりに大きい顔いっぱいに、ニタァと厭らしい笑みを浮かべた。
「おやぁん?真夜中にふらふら、駄目じゃないか一年生ちゃん。悪い子、悪い子……」
「頼むよピーブズ、静かに、黙っててくれ」
「いやいや嫌だよ。それじゃあ君たちのためにならないだろう?」
優しげな声とは裏腹に、ピーブズの目は意地悪く光った。こいつとの対話は無駄だ。今に叫びだす筈!
「どいてくれよ!」
わたしが杖を握り直すと、ロンが怒鳴ってピーブズを払い除けようとした。これが間違いだった。
「――生徒がベッドから抜け出したぞ!!『妖精の魔法』教室の――」
ピーブズが叫び終わらないうちに、みんな一斉に走り出した。
「ペトリフィカス・トタルス、石になれ!」
わたしは走らず、ピーブズを黙らせようと、慌てて杖を振った。しかし、それがまずかった、外した!
「『妖精の魔法』の教室のそばにいるぞ!!」
ピーブズは、叫び終わるとケケケと笑った。途端に、ドタドタとやかましい足音が聞こえてくる。間違いない、フィルチだ!
「おい、速く!」
ハリーの声が廊下に小さく響く。
わたしは、走る前に、ピーブズが飛び出してきた教室に向けて杖を振った。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ、浮遊せよ!」
教室じゅうの机や椅子がふわりと浮かび上がった。それを確認して、わたしは走り出した。走りながら、杖を振る。机たちは、わたしの杖の動きに呼応して、次々と廊下に飛び出した。これでしばらくは先に進めないはずだ!
わたしはひたすら走ることに専念した。十一と三十いくつという年月の中で、こんなに命がけで走ったことがあっただろうか?いや無い!
全力疾走のかいあり、わたしはハリーたちにすぐに追い付き、さらに彼らを追い越し、廊下の突き当たりのドアに飛び付いた。しかし鍵がかかっていて開かない!わたしは杖を鍵に叩きつける勢いで唱えた。
「アロホモラ!」
カチリと軽快な音がして、ドアがパッと開いた。わたしはすぐさま室内に入る。慌ててドアを閉じようとすると、すれすれのところでハリーたちがなだれこんできた。急いでドアが閉められた。
それから、みんなでドアに耳をつけ、外の様子をうかがった。
がしゃがしゃと机をどかす音が聞こえたのち、再びどすどす足音が聞こえた。足音はドアの前で立ち止まる。
『いない、どこに――ピーブズ、奴らはどっちに行った?』
『どうぞ、と言いな』
『ごちゃごちゃ言うな、さあ、さっさと言え!』
『どうぞと言わないなーら、なーんにも言わなーいよ』
ピーブズが、いつもの変な抑揚の、勘にさわる声で言った。フィルチはぐぬぬと唸ったが、仕方がないと観念したようだ。
『……どうぞ』
『
ピーブズかヒューっと消える音ののち、フィルチの悪態と足音が聞こえ、だんだん遠ざかっていった。
今度こそ、全員で胸を撫で下ろした。
「オーケー…ネビル、もう大丈夫だから、離してよ…」
ネビルが、ハリーにしがみついているらしい。
「ねえってば」
見ると、ネビルはふるふると首を横に振って、しきりに部屋の奥を指差していた。
わたしは、ネビルが差す方へと振り返った。ハリーにロン、ハーマイオニーも。
そして、はっきりとそれを見た。嘘だろ、と思った。これ以上、わたしを追い詰めて、どういうつもりだ?ああ、どれもこれもすべて、存在Xの差し金に違いない。
部屋だと思っていたそこは、廊下だった。わたしは、ダンブルドア先生の言葉を思い出した―――『とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入らないこと』―――パーシーはあのとき首をかしげていたが、彼だって今この場に立てば、あの忠告に納得するだろう。
床から天井まで、いっぱいいっぱいに広がる三つの首。血走った六つの目玉。生臭い息を吐き出す三つの口から覗く、いくつもの牙。
そこには、三頭犬がいた。間違いなく、紛れもなく、それは怪物の類いだった。グルルルル、とまるで雷のような唸り声が聞こえる。
わたしは、杖をぎゅっと握って、しかし、それだけだった。呪文、唱えたところで、こんなに大きな怪物に効くか?いや、声がでない、動けない!
怪物犬がけたたましく吠えて、飛びかかろうと構えをとるのと同時に、誰かが勢いよくドアを開けて、みんなそれで一斉に廊下に飛び出た。それから、再び走って、走って、走って、七階の太った
「まあ、一体どこへ行っていたの?」
「なんでも、ない、なんでもないよ……『豚の鼻』」
ハリーがやっとそう言うと、肖像画はパッと前に開いた。
何とか談話室への穴へよじ登り、恐怖と走りすぎで震える膝をなんとか使い、肘掛け椅子へともたれかかった。
「あんな怪物を学校に置いておくなんて、この学校の連中は何を考えているんだ――」
「この世で一番の運動不足犬だよ、あれは」
わたしの憤慨に、ロンも同意した。
しかし、ハーマイオニーは、突っかかるように言った。
「あなたたち、どこに目をつけてるの?あの犬が何の上に立ってたか、見なかったの?」
「ええと、床じゃなくて?」
ハリーが一応意見を述べる。
わたしは思い出そうとした。怪物の足は、確か――
「扉を、踏んでいた……」
ハーマイオニーは、わたしを睨み付けて、それからうなずいた。
「そう、仕掛け扉の上に立ってたのよ。何かを守っているんだわ」
それから、ハーマイオニーは、すたすたと女子寮に続く階段を上っていって、最後に振り返る。
「あなたたち、さぞかしご満足でしょうね。もしかしたら、みんな殺されるか、退学になるかもしれなかったのに――じゃあ、みなさん。おさしつかえなければ、休ませていただくわ」
ハーマイオニーの後ろ姿を見つめ、ロンはあんぐりと口を開けた。それから、信じられないといったふうに肩をすくめる。
「おさしつかえなければ、だってさ。そんなわけないよな。あれじゃあ、まるで僕らがあいつを引っ張りこんだみたいじゃないか。なあ?」
そう言って、ハリーとわたしを見る。
わたしは、疲れて言葉を返すのが面倒だったので、曖昧に笑っておいた。しかし、ハリーはなにも返さなかった。
「――グリンゴッツは何かを隠すには世界で一番安全な場所だ――たぶん、ホグワーツ以外では……」
「……ハリー?」
呼び掛けると、ハリーはハッと顔をあげた。それから、何でもないよ、おやすみ、と呟くように言うと、ロンと一緒に、腰が抜けたネビルをずるずると男子寮に引っ張っていった。