ラスト・スルクンムホという女性は、急遽別の用事が出来たと言って北の砦を去った。
男達は大層残念がった。
だが、その代わりの看護師が数日後にやって来た。
エンヴィー・スルクンムホという女性の看護師で、ラストの妹でもあるのだと言う。
エン子って呼んで下さいと言う可愛らしい自己紹介は、男達には大層ウケていた。
しかも、今度はあのモテまくりのいけ好かない美形のお手付きでも何でも無さそうだという。
近々、北の砦唯一の女性である彼女にファンクラブが出来るのだという話も盛り上がっていた。
尚、北の砦に女性が1人だと言った兵士は、頭にクールなコブを作って同じ部屋の兵士を驚かせたと言う。
まあ、それは完全に余談である。
名前と、ラストの交代要員というところから完全にエド達には正体の見当が付いていたが、
ホムンクルスに関係の無い人々を巻き込めない為に、周囲に迂闊な事は言えない。
ホムンクルスの事を自分たち以外で知っている人物である博愛主義の医者は、ホムンクルス
それにしても捻りは無いのか?
ホムンクルスって馬鹿なのか?
なんだ、スルクンムホって、ひっくり返したらホムンクルスじゃないか。
エドは、この国を裏で支配している巨悪達のレベルにある意味で驚愕していた。
今日、この砦に偶々離れた場所で野営訓練をしていたマイルズ少佐が砦に帰って来た。
マイルズ少佐は、浅黒い皮膚とサングラスが似合うクールな男であると砦でも評判だ。
彼は同僚であり、友である何時の間にか頭に大きなコブを作ったバッカニア大尉に、
北の砦に流星の様にキラッ☆とやって来た唯一の女の子、エン子の魅力を帰ってくるや否や教え込まれ、
付き合いでヲタ芸の練習をする事になり、ロザリオから流れる様なサンダースネークが出来るまでの練度に向上したところで、
その日の業務を終えてシャワーを浴びていた。
演習帰りで汗をかくような行動をしたこともあって、いつもより念入りな身体の洗いが必要だと言う自覚もあり、
軍人にあるまじき、長風呂をしていた。
その後、服を着て屋上へと向かう階段を歩いていると、白衣を着た青年が向こうから歩いてきた。
バッカニア大尉から、エン子ちゃんの姉を誑かした嫌味なインテリだと聞いていたが、
そういう偏見の類は、自身の過去の境遇の類もあって余り好きでは無い。
軽く会釈をしてすれ違った。
そして、その背後で、足音が止まるのを聞いた。
更に――――
「ああ、臭いますね。隠しても隠し切れないイシュヴァールの異臭が」
澄み渡る様な声で、その白衣の青年はそう告げた。
白衣を着た医者であるシルヴィオは、ラストが帰った事で別段に気が立っているという事は無い。
彼は基本的に常に激情の虜である故に冷静だ。
故に、彼は異常だった。
「排水溝でも匂わないような悪臭が此処まで漂ってきて吐きそうですよ。
排水溝の匂いを嗅いだことはありませんけれどね」
振り向いたマイルズのサングラスの奥にある、イシュヴァール人の特徴である紅い瞳を見透すように、
彼はそう真顔で告げた。
==◇◇==
不倶戴天の敵ではあるが、いなくなると面白くない。
ラストに対してそう感じていたオリヴィエだったが、今がチャンスであることは間違いない。
据え膳喰わぬは女の恥、若しくは据え膳口に押し込まぬは女の恥とばかりに、シルヴィオを探していた。
そして、そこで見たのは血を流して倒れたマイルズと、
その横に立って何か小さなものを手の上に乗せたシルヴィオだった。
「何の積りだっ!!」
咄嗟に剣を目の前の男に差し向けたオリヴィエ。
それに対して、何事も無いように青年は告げた。
「このイシュヴァール人が軍内に紛れ込んでいました。
スパイの可能性もあると思いませんか?
アメストリス人の私と、イシュヴァール人のどちらを信用するかなんて難しい事ではありませんよね?
それに、私が殺したとでも思うのですか?」
本人的には嘘を吐く心算では無く、ちょっとした小粋なサプライズのノリだった。
だが…、この質問は、オリヴィエ・ミラ・アームストロングには完全に逆効果だった。
「変わってしまったなシルヴィオ。お前が殺したのだなっ!!
…私は自分で部下を周りに置いている。イシュヴァール人だろうが何だろうが、この私が選んだ部下だっ!!」
「ええ、その通りですよ。
私が
…いえ、残してはならない存在を抹消しなければなりませんから」
アームストロング少将の本気の怒気を受けて尚、青年は再会した時と同じ表情を変えない。
彼の父親が亡くなった事は知っていた。
復讐とはこうも人を変えてしまうものなのか、彼女はそう思った。
「だが、どんな事情があれ、私の部下を手に駆けたからには私の敵だ。
排除するっ!!」
そう一足飛びに詰めて切りかかるアームストロング少将に対して、
「女性を傷つけたくはありませんからやめて頂けませんか?
本気で戦闘したら、貴女が僕に敵う筈が無いでは無いですか」
シルヴィオは足元のイシュヴァール人を踏みつけると、
その死体から全ての血液が引き抜かれて人型を造った。
その時、突如巨大な揺れが砦を襲った。
それに連動して、あらゆる場所から警報が鳴り響き始めた。
「お前の仕業か」
「いえ、そうではありませんよ。
怪我人が出ているかもしれませんから、早く向かいましょう」
人を殺した直後に、いけしゃあしゃあと人を助けなければならないと言う、異常極まりない青年に、
オリヴィエはつい先ほどまで感じていた感情を投げ捨てた。
尤も、彼にそれを指摘したところで、当然の様にイシュヴァール人は人間では無いと言い切っただろうが。
廊下を駆け抜ける二人の間には、一切の会話は無い。
少なくともオリヴィエは先程のシルヴィオが彼の本性だとすれば、
最早会話にならないかも知れないと感じていたことも大きかった。
その判断は、少なくともイシュヴァール絡みの事に関してだけは、間違いなく正解だった。
二人が駆けつけて行った先たる最下層には、
床に空いた巨大な穴と、その穴が出来た時に発生したと思われる砂煙が、穴から吹き出す風に乗って待っていた。
そして砂煙を引き起こした張本人であろう、両手に鎖を付けた巨大な男が立っていた。
恋愛レース一名脱落(理由:辞退)