第二ラウンド開始かと思われたが羽場先輩の携帯が鳴り、彼はそちらの対応をするために席を立ってしまった。そんなわけで僕らは取り残されたまま各自適当に時間を潰していた。
「ところでみんな、探偵小説はどれくらい読んでるのかな」
何かの文庫本を読んでいた里志がそれを伏せ、そう聞いてきた。
「ふくちゃん、なんでそんなことを?」
「さっきの中城先輩の話を聞いて思ったんだけど、一口にミステリー、探偵小説っていっても捉え方が人それぞだぞってね。だから僕らの探偵小説観を確かめておきたいなって」
確かに、中城先輩の二時間ドラマ的なものも広義で言えばミステリーだ。僕らの中でミステリーに関する考えに大きな差があったりしたらオブザーバーは務まらない。
「摩耶花はどうだい」
「私は、普通かな。クリスティーとかクイーンとか」
有名どこだね。
「なるほど、王道だね。日本のはどうだい?」
「日本のはあんまり読んでないかも。あまり好みの作家がいなくて」
伊原さんはかなりミステリーを読みこんでいるようだ。確かにビデオを見に行くときも興味を示していたし。
「ホータローは?」
「そんなに読まないが、まあ黄色い背表紙のを何冊かってところだな」
ものすごく分かりづらい言い方だ。
「となると日本人作家だね」
里志は今のでわかったらしい。さすがデータベース。
「龍之介はどうだい?」
「僕は……そうだね、米澤穂信かな」
「よねざわ?」
ホータロー君はなんだそれといった様子だ。
「なるほど、小市民シリーズだね」
里志がものすごく偉大に見えてきた……。。
そして里志の視線は千反田さんに向く。
「私は、読みません」
「え」
それは意外だ。日常からいろんな謎を引っ張り出してくる千反田さんのことだから推理小説は好みだとばかり思っていたよ。
「全く?全然?」
「私はあまりミステリーを楽しめないと思うくらいには読みました。ここ数年は全くです」
読んだうえで拒否してるなら、まあ真っ当だね。
「じゃあ、里志はどうなんだい?」
里志ならものすごくマニアックなのを知っているかもしれない。
「んーと、僕はね……」
ん?なんだかいつもと違う口ぶりだ。
すると伊原さんが笑みを浮かべながら言った。
「私知ってるわよ。ふくちゃんはシャーロキアンにあこがれてるのよね」
シャーロキアンってのは確かシャーロックホームズの熱狂的なファンのことだ。ホームズの本編についてはさることながら、ものすごいわき役なんかについてその末路を研究したりするらしい。
「シャーロキアンって言うかあこがれるのはホームジストなんだけど……」
違いがよくわからない。
それから数分後。やっと羽場先輩が戻ってきた。随分長い電話だったけど、まあそれはいいや。とくに興味が無いし。
「いやあ、すまない。少々面倒な要件でね。改めて、小道具班の羽場智博だ。よろしく」
僕らも適当に会釈する。
「君たち、ミステリーの話ができるんだってね。うちのクラスの連中はてんでミステリーに疎くてねえ」
しばらくはそんな話をしていたが、いよいよ羽場先輩が本題に入る。
「まあ、ミステリーが作家と読者の勝負だとするなら、相手がアマチュアの本郷じゃちょっと物足りないけどな」
随分と自信たっぷりな様子だ。これはいけるかもしれない。
「本郷さんはミステリーに詳しくなかったようですね」
「ああ、この企画を始めるまでは読んだことも無かったそうだ。ほら、あれが本郷の一夜漬けの資料さ」
羽場先輩は奥の机を顎で指す。話に夢中で気付かなかったけど、そこには何冊か本が積んであった。江波先輩が用意してくれたんだろうか。僕らは席を立ち、それを見に行く。
「わあ、延原訳だ。それも新装版」
里志が声を上げる
それはシャーロックホームズだった。なるほど、これは確かに一夜漬けといえる。本の表紙はまるで輝くように綺麗だ。つまり買われてから間もない事を示している。里志は興味深そうにホームズを手に取っているが、その横の伊原さんはなんだか冷めた様子だ。
「ホームズで勉強しようとしたの?」
確かに、ホームズはミステリーの中では素人向けという評判だから、それで勉強した本郷先輩の脚本に不安を抱くのも当然だろうね。
「そうなんだ、だから素人だっていうんだ」
この羽場先輩って人は結構無神経な人なんだな。里志がシャーロキアン志願者だってことは知る由もないだろうけど僕らの中にホームズファンがいないという確信はどこにもなかったろうに。仮に伊原さんがホームズファンだったらこの後の検討会は相当に面倒だったかもしれない。
「そうともいえるでしょうね」
しかし、里志は特に気にすることもなくそう答える。
「まあドイルの専門はミステリーではないですしね」
一応全世界のシャーロキアンのためにフォローしておく。その言葉がおきに召さなかったのか羽場先輩は渋い顔でこちらを見ている。気まずくなったので僕は適当に一冊手にとってみる。
「ん?」
適当にぱらぱらめくっていると、メモのようなものが挟まっていた。
「ホータロー君。こんなものがあったけど」
「折木さん、これを見てください」
偶然にも千反田さんと声が重なってしまう。
「あら、すみません。夏目さんからどうぞ」
「いや、千反田さんからどうぞ」
「お前らなにコントしてるんだ。どっちでもいいから早く言え」
千反田さんはこういう時、人に譲ることを譲らない性格なので、僕からになった。
「これなんだけど」
僕がホータロー君に渡したメモはこんな内容だった。
『シャーロックホームズの冒険
○ボヘミアの醜聞
△赤毛連盟
×花婿失踪事件
△ボスコム谷の惨劇
×オレンジの種五つ
◎唇の男
』
それは各章のタイトルと、その上にマークが書かれているものだった。
ホータロー君はそれを見た後、千反田さんのもつ紙に目をむける。
「ひょっとして、そっちのもこんなやつか?」
「あ、そうです。なんでしょうか、この印!」
「さあな、使えるネタに印をつけたとかだろ」
「そうでしょうか?私、気になりますよ」
ホータロー君は怪訝な顔でメモを見つめる。
「なあ、夏目……」
「そろそろ推理を始めないかい?」
ホータロー君が何か言いかけたところで、しびれを切らしたのか、羽場先輩が口早に言う。そんなに自分の推理に自信があるのだろうか。僕たちは本を机に置き、元の席に戻る。
「すみません。それじゃあお願いします」
千反田さんの言葉に羽場先輩は大いに頷き、胸ポケットにさしてあるボールペンを取り、くるくるとまわしながら咳払いを一つする。
「じゃあ聞いてもらおうか。まず聞くけど、あのミステリーは難しいと思うかい?そうだな、夏目くん。どう思う?」
急なご指名だね。難しいかどうかといわれるとそりゃあ今回の一件は難しい部類に入るだろうね。僕たちは本郷先輩の事を何一つ知らないし、まだ脚本すら見ていない。それに何より簡単な話なら女帝から依頼なんてされる訳もない。
「今もなお解決していない事を考えると難しいんじゃないですかね」
「そうかい、君はそう思うかい」
羽場先輩は何故か嬉しそうな顔をしている。
「まあ、君の言うことも間違いじゃない。あの入須ですら答えに至っていないわけだしね。ただ、僕に言わせればこのミステリーは簡単な部類だよ」
「そ、そうですか」
「それじゃあ前置きはこれくらいにして本題に入ろう。まず前提として、あの殺人は計画的なものじゃない。あえて言うなら半計画的といったところかな。犯人はたまたま条件が整ったから海藤を殺した。これはいいかい?」
それは確かに。どうやらミステリー好きというのは伊達じゃないようだね。
「……なぜですか?」
千反田さんは不思議そうに聞いた。すると羽場先輩は上機嫌に答えた。
「何故って、全てが計画的に行われたとしたら、どうやって海藤をあの部屋に誘導できたって言うんだい?鍵をとったあの時、各々は自分の意志で、無作為に鍵を選んだ。つまり、海藤があの部屋に行ったのは結果的にというだけだ。そこで犯人はその状況を利用しようと考えたってわけさ」
手品師のトリックでもない限り羽場先輩の言うことは最もだろう。そして羽場先輩は鞄からい一枚の紙を取り出す。それをみて里志が驚きをしめす。
「先輩、これをどこで!」
「ん?もしかして君らこれ貰ってないのか?町役場に残っていたそうだけど」
それは映画の舞台になった劇場の見取り図だった。各部屋の位置や窓の位置まで正確に書かれている。里志は大きなため息をはく。里志の書いた見取り図の存在意義が完全に消えちゃったからね。
「続けるが、あれは密室殺人だ。現場である上手袖に続くドアは封鎖されていて使えないのが2つと死体発見時に開けられたのがひとつ窓に関しても封鎖されたものと、劇中で開けられたものがある。もっとも開けられた窓の外には夏草が茂って足跡もない。つまり犯人は普通には逃げられなかったわけだ」
中城先輩の推理をあっさり飛び越え、そして笑う。
「だが、海藤は殺され犯人は部屋にいなかった。典型的な密室だな。だが、密室というのは死体発見時にそれが成立していればいい。じゃあどうするか。
まず思いつくのは犯人がマスターキーを使い現場に入り、その後で鍵を元の場所に戻した。これはどう考えても面白くない。それに鍵のある事務室に入るには玄関ロビーを通る必要がある。が、ロビーは全員の視界に入るところにあり、それをかいくぐって事務室に入るのはよほど幸運でなければ無理なんだよ。そして、ロビーを通ることができなかったということは1階の右側通路そのものが侵入不可能なエリアってことになる。この意味がわかるかい?夏目君」
また僕か。羽場先輩になにかした覚えはないけど、ここまで当てられるのはなにかしたってことなのかな。
「物理的トリックを仕掛ける余地が無いってことですか」
羽場先輩は一発で正解を言われたのが残念だったのか、怪訝な顔をする。しかしすぐに話を再開する。
「それと同じ理由で被害者が密室を作ったという説もない。機械仕掛けの殺人も早技殺人もありえない、うでが落ちるほどの斬撃をうけているわけだからね。つまり、この密室を正攻法で解くのは正面から突破するのは不可能だ」
先輩は一息つき、僕に向かって再び話し出す。
「それじゃあ夏目君。この密室、どう解けば良いと思う?」
まあ、先輩がこの話をどう持っていきたいかは大体予想がつく。なにせまだ検討されていない手段が存在するわけだし。ただ、さっきの反応からして普通に答えると機嫌を損ねるかもしれない。ホータロー君の方を見ると、『手短にしてくれ』と目で訴えてきた。
「さあ、わからないです」
これでいいかな。案の定羽場先輩は満面の笑みで声を高くした。
「駄目だなあそんなんじゃ!まあ、無理もないか。これを見ればわかるかな?」
先輩は再び鞄に手を入れると、ザイルを取り出した。
「僕は小道具班でね、海藤の手とか血糊も用意したんだ。しかしながら本郷はムラッ気があったのか、血糊なんかは圧倒的に量が足りなかったんだ。でも、このザイルに関しては強く念押ししてきた。人がぶら下がっても切れないロープを用意してくれってね。そして鴻巣はあれでも登山部なんだ。ここまで言えばわかるよな?」
周りを見ると、伊原さんとホータロー君はわかっているような顔をしている。里志はいつもの微笑なので判断できない。千反田さんは……わかって無さそうだね。
「つまり、1階から侵入できないなら2階から入ればいいんだよ。本郷のトリックは単純明快、2階の窓からザイルを使って現場に入り海藤を殺害、その後ザイルで2階に戻る。あの映画にタイトルをつけるなら僕は『不可視の侵入』と名付けるね」
羽場先輩は渾身のドヤ顔で僕らの方を見る。特に僕の方に胸を張っていた気がするけど、それは今は重要じゃない。
「さあ、次は君らの意見を聞こうか?」
聞こうかといわれても何か異議を唱えたとしてこの自信満々の羽場先輩が快く聞きいれるとも思わない。古典部の面々は全員そろって僕の方を見る。こんなに熱烈な視線を向けられたのは初めてだ。いやあ照れるなあ。なんてバカなこと考えてても仕方ないね。
「すばらしいご意見でしたよ。入須先輩に良い報告が出来そうです」
僕の言葉に羽場先輩は鼻をふん、とならし意気揚々と教室を出ようとした。
「羽場先輩」
しかしホータロー君がそれを引きとめる。
「なんだい?」
「いえ、大したことでは無いんですが、出来上がった映像を見ましたか?小道具、よく映ってましたよ」
すると先輩は苦笑して首を振る。
「実はまだ見ていないんだ。推理に明け暮れていたもんでね」
そういって今度こそ先輩は教室を出た。
***
「なんか、腹立つ」
先輩が出て行ってからすぐ、伊原さんがそう漏らす。
「どうしたのさ摩耶花」
「あの態度!ふくちゃんは何とも思わなかったの?ホームズまでバカにされて!」
伊原さんが怒るのはいつもの事だが、今はいつもの何倍もの迫力だ。
「まあ、ホームズが初心者向けなのは一面の真実さ。龍之介も言ってたけどドイルの本業は歴史小説とかなんだし」
「そうじゃなくて!……もういい!」
なんだか険悪なムードなので僕は話を進めることにした。
「それで、みんなは羽場案はどう思う?」
すぐに答えたのは里志だった。
「まあ、良いんじゃないかな。詰まらない結論ではあるけどね」
「確かに、本郷先輩がザイルを指示したのは決定的よね」
伊原さんも、不満そうではあるが賛同する。
これで賛成2票だけど、3票目はどうかな?
「ちーちゃんは?」
「私は……賛成できません。さっきの中城さんの案もなのですが、どうにも違和感を感じます。本郷さんの真意はそこには無いんじゃないかと思うんです。……すみません、説明になってませんよね」
反対に1票。
「ホータロー君はどう思う?」
するとホータロー君はジトーっとした目で僕を見る。
「夏目、お前わかってて聞いてるだろ」
「どういうことだいホータロー?」
里志が疑問を口にする。
「説明してあげなよホータロー君」
「お前なあ……」
「どういうことよ折木?反対ってこと?矛盾があるの?」
「……羽場案は実行そのものが不可能だ。ビデオの内容を思い出してみろよ、あの窓がどう映っていたか」
真っ先に気付いたのはやっぱり里志だ。
「そうか、あの窓は建てつけが悪いんだ。勝田先輩がなかなか手間取って開けていたのを思い出したよ」
「その通り。あの窓から侵入するにはザイルにぶら下がり、夏草を痛めないように不安定な体勢でがたがたやらなきゃいけない。その間海藤先輩がつったっているってのも間抜けな話だろう。現地での取材なしで脚本を書いたのならあれでも通るが映像をみると明らかに矛盾しているんだ」
「だから折木さんは羽場さんにビデオをみたか聞いたんですね!」
その通り。最初から本郷先輩は窓の建てつけなんて気にしていなかった。気にしているなら窓に油でもさすように指示したはずだ。
「てことは、これも……」
伊原さんが言い終わる前にドアが開き江先輩が入ってきた。
「どうでしたか」
「羽場先輩の案は却下です」
里志の言葉に先輩は「そうですか」とそっけなく言う。
「では、最後の一人を呼んできます。それと」
先輩はぼくの方へ来ると一冊の冊子を渡してきた。
「脚本です。予備ですので返却の必要はありません」
僕は先輩にお礼をしてから表紙を眺める。そこには当然だがタイトルは書かれていない。