時刻は12時を回り、入須先輩との約束の時間は目前に迫っていた。僕とホータロー君はその間、何をするでもなくただぼーっとしていた。これから起ることを考えればとても雑談や読書をする気にはなれなかった。
そうしていると、ドアが控え目にノックされた。
「どうぞ」
ホータロー君の言葉に従い、ドアが開かれる。入ってくるのは当然、『女帝』こと入須冬実先輩だ。入ってきて最初に、先輩は僕の方を見る。分かりづらいがどうやら僕の存在に驚いているようだった。
とり合えず、僕たちは椅子から立ち上がり、向かいに用意した席を勧めた。先輩が座ったのを見て、僕たちも再び席につく。
「まず聞きたい。結論は出たか、出なかったか」
開口一番、先輩は本題を持ちだしてくる。ホータロー君が言葉ではなく。頷くことで返答する。先輩の視線が再び僕に向くが、僕は気付かないふりをする。
「……そう。では聞こう」
「はい」
ホータロー君の声は震えていたが、それでも話を始めた。
「あの謎のキーはやはり密室です。海藤が死んでいた部屋にはメンバーの6人は入ることもでることもできなかった」
先輩は頷く。ホータロー君は勢いに乗れたらしく、核心に入っていく。
「密室の構成については昨日話したので簡略化させてもらいます。上手袖は密室。窓は傷んでいて出入りできない。つまり犯人はドアから出入りしたとしか考えられない。ならどうやってか。ドアにトリックを仕掛けられたかどうか、映像には映っていません。なら、犯人は事務室に残されたマスターキーを使って出入りしたと考えましょう。だが、マスターキーを手に入れても上手袖に入るための右側通路にはいることはできない。それはロビーが杉村の監視下にあるからです。つまり、先ほども言ったように現場にはいれた人物は6人の中にはいません」
そこでホータロー君は言葉を切り、先輩の方を見る。先輩は彼の言いたいことをまだ理解できていないようでだまって続きを待っている。
「6人の中に犯人がいないなら答えはただひとつ。……あの場には7人目がいた」
「7人目?沢木口が言うようにか?」
「ある意味ではそうです。沢木口が言っていましたが、本郷は7人目の登場人物を探していたそうです。だが映像には6人しか写っていない」
先輩は尚も無言で続きを促す。
「でも本郷の脚本はフェアに書かれたとあなたも言っていました。つまり、突如現れた怪人が犯人、とは考えられません。そして、さっきビデオを見直して気付いたんですが、少しおかしい場面がありました。里志がそのことについて手長に書いてくれているので読みます。
……見取り図を見つける。懐中電灯らしき照明あたる
……通路暗し。懐中電灯つかわれる
どうですか?」
先輩はすぐに答える。
「懐中電灯だな」
「そうです。しかし登場人物の誰も、懐中電灯を持っているシーンが無い。そしてもうひとつ。映画好きのやつが言っていましたが、あの映画の致命的な欠陥は演出と、カメラワークの悪さだと。確かに、カメラワークには何の工夫もないように見えました。だが、それに理由があったとしたら?カメラマンがつねに一定の位置から動かないのは6人と同じ場所にいたからだとしたら?」
「……まさか、君たちはカメラマンが7人目の人物だと言うつもり?」
ホータロー君はうなずく。
「彼らは7人でグループだったんです。画面に出てくる6人とカメラで撮影する一人。映像を見直すと役者たちカメラを意識するような場面が多々あります。彼らはそこにいるカメラマン、いや7人目を意識していたんです。懐中電灯も7人目が持っていた。カメラワークも7人目が役者たちと同じ場所から動けない存在であることを示していた」
先輩がホータロー君の言葉に大きな興味を向けているのは僕にでもわかる。
「そして、メンバーが劇場内部に散った時、カメラは全員を見送ってからシーンアウトした。つまり、7人目は最後までロビーに残っていた。
ゆえに犯行は簡単です。7人目は全員がロビーから消えたのち、事務室からマスターキーを入手。海藤を殺害しそれを使って密室を作る。その後ロビーでメンバーが戻ってくるのを待っていた」
ホータロー君はそこまで一気に言い終わり、机の上に置いてあった緑茶の缶に手を伸ばす。
先輩は少し黙って考えていたようだが、やがて晴れ晴れとした表情で手を叩いた。
「おめでとう。君は見事本郷の謎を解いたようね。まったく大胆な発想だけど、矛盾点は一つもないあ。ありがとう。これで映画は完成するわ」
先輩はそう言ってホータロー君に右手を差し出す。
『女帝』がホータロー君の推理を認めた。
ならば
僕たちの勝ちだ。
「……というのがあなたの望み通りの結果なんですよね?入須先輩?」
僕の、夏目龍之介のその言葉に、先輩はどんな反応をするだろう。ずっとそう考えていたが、答えは意外にも単純だった。
『女帝』は、呆気にとられていた。
***
夏目のその言葉に、入須は呆気にとられていた。『女帝』がこんな表情をするのを果たしてどれくらいの人間が見たことがあるだろう。
「……どういう意味かな?」
そう尋ねる入須の表情には今までの余裕は一つもない。一方夏目は落ち着いた表情でそれに答える。
「入須先輩、あなたはさっきのホータロー君の推理に矛盾が無いと言った。確かに、映像と推理だけを見れば矛盾はありません。でも、映画を作っているのは映像だけではない、ということです」
尚も夏目は言葉を続ける。その様子は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。それは例えるなら、いたずらを楽しむ子どもの様だった。
「本郷先輩は脚本を書くということに関しては他の生徒より資質があった。でも彼女はミステリーに関しては全くの素人だった。だからこそ彼女はミステリーを勉強した。『シャーロックホームズ』を使って」
それはあの時羽場も言っていたことだ。俺も実際にピカピカの表紙の単行本を見せてもらった。
「以前里志から聞いた事なんですが、先輩は叙述トリックというものをご存知ですか?」
入須は黙っている。答えられないのか、それとも答えないのか。どちらにせよこのままでは話が進まないので代わりに俺が答える。
「叙述トリックは文章の見せ方で読者をだますやり方です。さっきの推理で言えば映像の見せ方で7人目を隠した。つまりそういうことです」
「そして、叙述トリックはホームズの作者であるコナン・ドイルの時代には『存在』していないんです」
そう。俺も里志がその話をしていた時一緒にいたから聞いている。あれはいつだったか、下校するときにミステリーの話になった時だった。里志の話だと叙述トリックが表舞台に出てきたのは20世紀に入ってかららしい。つまり、ホームズでミステリーを勉強した本郷には叙述トリックなんて概念は存在しないのだ。
「だが、本郷がホームズ以外のミステリーを読んだかどうかは君たちにも、そして私にもわからないことだ」
入須はなんとか反論を試みる。俺一人なら、夏目一人ならここで終わっていただろうが、俺たちは『二人』だ。
「確かに、今の夏目の話だけでは不十分でしょう。ですが、もっと大きな矛盾があるんですよ」
「……それは?」
「あのビデオの中には『ザイル』が登場していない」
そう、羽場達小道具班は本郷の指示によってザイルを用意していた。それも本郷はザイルの強度にやたらこだわっていたらしい。そこまで重要視していたアイテムが、さっきの推理には登場していない。当然入須がそれを把握していないわけがない。なのに入須はさっきの俺の推理を認めた。それはなぜか?その答えは―
「先輩が求めていたのは『探偵』じゃなくて『推理作家』だったんでしょう?」
俺の言葉に室内に沈黙が訪れる。しばらくして、入須が口をひらいた。
「まったく。やはり君たち二人には敵わないな」
「それは認めると言うことですね?」
「そうだ。だが、夏目君。君が約束を破るとは思わなかったな」
「僕は何も言ってませんよ?全部、ホータロー君が見抜いたことです」
その言葉に入須は再び驚きの表情を見せる。
「あなたと夏目に何か繋がりがあることはあの試写会の時から分かっていました。あの時、夏目の対応はいくらなんでも迅速すぎた。古典部にオブザーバーを提案したのだって。普段の夏目ならオブザーバーなんかじゃなくて自分から探偵役に志願したはずです」
なにせこいつは『娯楽至上主義者』なんだから。
「あなたはあの試写会以前に夏目に接触し、古典部に伝えたより細かい内情を伝えたんでしょう。そしてそれを俺たちには伝えないようにと約束した」
入須は黙って俺の言葉を待つ。
「いったいどんな内容だったのか、詳しくは解りませんが、一つ確かなのは、本郷の脚本は、クラスの人間たちが満足するには『不十分』だったと言うことです」
そう言って俺は胸ポケットからさっき夏目とともに吟味した2枚の用紙を取り出す。
「まずこっちの紙は、本郷が使っていたシャーロックホームズの本に挟まっていました。申し訳ありませんがその時一枚拝借させてもらいました」
俺は入須にそのメモをわたす。
その内容は以前見たとおり、各話のタイトルに○とバツが書かれているものだ。
「俺は最初、これは使えるネタに印をつけただけだと思っていましたが、千反田がとても気にしていたので、里志に聞いてみました。すると、帰ってきた返答はバツがついている話しは全部死者が出る話だとのことです」
「つまり、本郷先輩は、ハッピーエンドを好み、悲劇が嫌いだった。僕たちが注目したのは二つ。血糊の少なさと、アンケート結果のおかしさです」
夏目の言葉に合わせて俺はもう一枚の紙を入須に渡す。
「このアンケートですが、無効票というのが一つあります。他のアンケートには白票という記述があるのに、この『死者数をどうするか』というアンケートには無効票がある。『百人くらい』なんて解答すら記述されているのに無効票とはなんでしょう?」
俺はそこで一息つくと、話しを続ける。
「殺人がおこるミステリービデオで却下される死人数、それは0です。本郷の脚本では死者はでないはずだった」
入須は諦めたようには口を開いたが、同時にその口角が少し上がったようにも見えた。
「そう。本郷の脚本は死者が出ないものだった。私は夏目君に、『本郷はプレッシャーで続きが書けず体調を崩した、結末は決まっているが、まだ彼女はそれを書けていない。矛盾点が無ければ君のアイデアを採用する』と言った」
だが実際には本郷は脚本を書き終えていた。だがクラスメイト達が暴走し、脚本から大きく逸脱した映像ができてしまった。
「本郷先輩は、既に撮られた映像を否定できなかった。だからこそ入須先輩に頼ったんですよね?先輩は彼女を守るために完成している脚本を未完成にした。そしてクラスメイトやホータロー君たちをあつめて推理大会とみせかけたシナリオコンテストを開催した」
入須はそこでようやく、小さな笑い声を出した。
「お見事だ。折木君、夏目君。あの人の言うとおり、君たち二人は私には扱いきれなかった。しかしこのままでは結局ビデオは未完だな」
「いえ、未完にはなりませんよ。さっきホータロー君が話した推理をそのまま使えばいいんです」
「だがあれは……」
「確かにあの推理は間違いです。でもそれを間違いだと判別できるのは内情を知っている人たちだけです。何も知らない観客からすればなんの矛盾もない傑作ですよ?まあ、ザイルに関しては先輩が上手く誤魔化してあげてくだい。得意でしょ?」
夏目が目上の人間に対してこんな挑戦的なことを言うのを俺は始めて聞いた。もしかしたら白紙の上に、なにか色がついたのかもしれないな。
入須は自嘲的に笑った。
「最後に、折木くん。君はなぜ、夏目君の嘘を見抜けたんだい?彼には相当ポーカーフェイスを教え込んだのだが」
「それは単純なことですよ」
「こいつが一度も、『楽しい』と言わなかったからです」
理由はそれだけで十分だ。
***
「ところで先輩。一つ聞きたいんですが」
全てが終わり、入須先輩が椅子から立ち上がる前に僕は尋ねた。
「なんだい?夏目君」
「先輩、一昨日僕の家探してませんでした?」
「……なぜ知っているんだ?」
「駄菓子屋のおじさんが言ってました」
一昨日僕の家を探していた、神高の制服を着ていた女子。それはきっと入須先輩で間違いない。
「夏目、何の話だ?」
ホータロー君は訝しげに僕の方をみる。僕が何と答えようかと迷っていると、唐突にドアが開き、女性の声がした。
「それはあたしが説明したげるわ」
その女性をみて、ホータロー君と先輩は驚きを隠せないようだった。なぜなら、その人物は――
「あ、姉貴っ!?」
「久しぶりね、奉太郎」
そう、その人物はホータロー君の姉にして僕の恩人でもある折木供恵さんだった。
「先輩、なぜここに?」
入須先輩が尋ねる。その言葉にホータロー君は驚く。彼は供恵さんと先輩の繋がりを知らないのだから当然だね。
「何故って、それは可愛い弟たちと後輩の勝負の結果を見に来たからに決まってるでしょ?」
「おいまてよ姉貴、姉貴は先輩とどういう関係なんだ?それに弟『たち』って?」
「質問が多い!」
「あだっ!」
供恵さんのチョップがホータロー君の脳天に直撃する。うわあ、痛そう。
「ま、それはさておき」
「さておくのかよ……」
ホータロー君のツッコミは意に介さず、供恵さんは僕の方を見る。
「おめでとう龍之介。あんたはまた一つ『自分』をみつけられたみたいね」
「そうですね」
供恵さんから送られてきた手紙の真意はホータロー君を助けるなという命令では無い。自分に言い訳をして、友達を見捨てる助けをするなということだったんだ。そしてそれは、いつまでも楽しみを供恵さんから与えられているだけではいけないというメッセージでもあった。
「それにしても、冬実にちゃんと手紙送っとけって言ったのに『多分送れました』なんていうから自分で確かめに来ちゃったじゃない」
「先輩が明確な住所を送ってこないからですよ……」
「文句言わない!」
「ふにゃっ!」
今度は先輩にチョップがあたる。こんな可愛い反応する『女帝』を見てると笑いをこらえるのが大変だ。
「ってことは、姉貴は全部しってたのか……」
「そうよ」
「なんでこんな面倒なことを……」
「前にあんたに言ったでしょ。今はやすんでてもいいけど、きっとあんたをまたやる気にさせてくれる存在が現れるって」
何の事だか分からないけど、ホータロー君はしぶしぶ納得していたようだった。
「それじゃ、あたしはもう行くわ。今日の夕方には日本をでなきゃいけないしね」
そう言って、供恵さんは去って行った。まったく嵐のような人だよね。
***
「いやあ、楽しかったね!」
帰り道、僕とホータロー君は例の駄菓子屋のベンチでラムネを飲んでいた。
「楽しいというか、俺はかなり疲れたぞ」
そう言ってホータロー君は一気にラムネを飲み干す。
「まあ、少しは楽しかったか……」
「ホータロー君って、ひょっとしてツンデレなの?」
「ツン……なんだって?」
「はは、何でもないよ」
僕もラムネを飲み干し、立ち上がる。
「それにしても、ビデオはあれで完成するとして、里志たちにはなんて説明しようね」
里志や伊原さんが叙述トリックやザイルについて気付かない訳は無いし、千反田さんの勘も侮れない。三人を満足させる言い訳は僕には思いつかない。
それを聞いたホータロー君はげんなりした顔をする。
「やっと終わったと思ったのに……」
「ま、二人で考えようよ、ホータロー」
僕の言葉に、彼は少し目を見開く。だがすぐにいつものように薄く笑い、返事を返してくる。
「そうだな、龍之介」