ある日曜日。僕は千反田さんに呼び出された。なんでも学校以外で会いたいそうだ。しかも会う場所を、喫茶店「パイナップルサンド」に指定された。あの豪農千反田家息女の呼び出しに、よくわからないままイエスと返事してしまうあたり、僕も人間味あふれてるなと実感する。いや、何をのんきなことを言っているんだ。ああ、早く変わってくれよ、信号。
なんで僕が信号にこんなにも思いを馳せているかというと、ちょっと言い訳がましいけど、千反田さんからの電話が12時半にかかってきて、その電話で目が覚めた僕に対して提示された時間は1時半。つまり僕は一時間の間に準備をして、喫茶店まで行かなくてはならなかった訳だ。そして、「パイナップルサンド」については知ってはいたが実際に行くのは初めてだった。案の条、周辺で迷ってしまった。近くを歩いていたおばあさんに聞いたところ、通りを数本間違えていたらしくなんとか軌道修正しているうちに時計の針は1時20分をまわる。
うん。駄目だこれは、遅刻確定。千反田さんに謝罪したいけど彼女は携帯を持っていない。まあ、このペースなら遅刻って言っても5分10分くらいだ。到着してから謝罪しよう。
それにしても、このままただ罪悪感を抱えながら走っているのも楽しくない。せっかくだし、千反田さんの要件とは何かを考えてみよう。
まず、時間。今日は日曜日、大抵の高校生にとっては
休みの日である。そして場所。千反田さんは学校外で会おうというところを特に強調していた。「パイナップルサンド」に指定してきたのは、彼女の行きつけだとかそういう理由だろうか。それは最後に考えることによう。そして誰が。千反田さんと僕だ。何をするのか。これに関しては全く手掛かりがない。千反田さんは学校外で会いたいとしか言わなかった。つまりまとめると休日に学外で、千反田さんと僕が何かをするわけだ。
女性が男性を呼び出す理由として最も簡単に思いつくのは、色恋沙汰だろうか。いや、それにしては急すぎる。そもそもそういう類の用事なら前もってなんらかの兆しがあるはずだ。でも、先週末の僕は読書研究会の方に顔をだしていたので千反田さんとは会っていない。というわけで色恋説、却下。
後はなんだろう。そうだな、お茶した後買物に付き合わされる、とかだろうか。いや、でもそれなら確実に来てもらえるように前もっての誘いや向かう店の説明があってもいいはずだ。千反田さんは変わった人だけど、常識が無い訳じゃない。というわけで買い物説、却下。
新たに思ったのは千反田さんが何をするか言わなかったのは言いにくいことだったからということだ。とすると、ひょっとして人生相談とかだろうか。それだと、あんまり力になれそうにはないけど。そして、最後の疑問は、なぜ、「パイナップルサンド」なのかということ。普通、休日に待ち合わせを申し込むなら、場所の選択権が申し込まれる側に回ってくるはず。今回の場合、要件すら伝えてないのだから、それくらいの配慮があってもおかしくは無い。考えられる可能性は2つ。要件そのものがそこでしかできない場合と、『もう一人』の誰かがいて、その人物がそこを指定した場合だ。後者について補足すると、僕と千反田さん、そして『もう一人』にとって、その場所が行きやすい(交通面とか立地条件とかで)ところで、千反田さんはその案を採用したということだ。
もう一度まとめると、千反田さんは何か重要な相談をするために、僕と『もう一人』の人物に召集をかけた。って感じかな。
僕が到着したのは1時40分。予想通り遅刻は10分だった。店内にはいってあたりを見回すと、千反田さんはすぐに見つかった。いや、千反田さんは僕に背中を向ける形で座っていたので、僕が判別につかったのは、向かいに座る人物だった。どうやら二人とも僕の入店には気づいていないようだ。
「やあこんにちは。遅くなってごめんね、道に迷っちゃってさ」
席に近づきそう話しかけると、千反田さんはすぐに反応してくれた。
「あ、夏目さん!良かった……。遅いので何かトラブルに巻き込まれたのかと心配してました」
ありゃ、それは悪いことをしちゃったな。今度からは日曜でももう少し早く起きよう。
「それで、お前も呼び出された訳か、夏目」
「そうだね、待たせてごめんよ、ホータロー君」
『もう一人』の正体がホータロー君だとは驚いた。彼がせっかくの日曜に人の呼び出しに応じるなんて思ってもいなかった。でもまあ、彼は人の気持ちを無下にしたりする人でも無い。僕の見た限り、彼の『省エネ』主義は単なるものぐさとは違うようだし。
とりあえずホータロー君の隣に座り、コーヒーを注文する。コーヒーを待つ間、ホータロー君が何故この店を気にいっているか、千反田さんは自分がいかにカフェインに弱いかなんて話をしていた。コーヒーが来たので、僕は砂糖を入れる。
「おい、夏目。流石に入れすぎだろう」
「え?そうかな?いつもこれくらい入れてるんだけど」
向かいをみると千反田さんも目を丸くしている。どうやら僕の砂糖に関する常識は世間一般のものとはかけ離れていたようだ。
「それで、千反田。俺たちに何か用か」
「はい?」
ホータロー君は顔をしかめた。
「何のために俺たちを呼び出したかってことだ」
「このお店を指定したのは折木さんです」
「帰る」
「ああ、待ってください!」
もはや漫才の領域だね。僕は苦笑いしつつも助け舟をだすことにした。
「千反田さんは、なにか相談があるんだよね?」
「どうして分かったんですか!」
おっと、千反田さんの好奇心を刺激してしまったようだ。ここで僕の推理を長々説明していると今度こそホータロー君が帰りかねない。
「千反田、それならそうと早く言え。何の相談だ」
ナイス、ホータロー君。
「えっと……、その」
千反田さんはどうにも歯切れが悪い。どうやら僕が思った以上に重要な話らしい。
参ったな。僕はシリアスには向いていないんだよな。
「明日の晩御飯でも迷ったのかい?」
なんてジョークを言ったところ、場が凍りついた。里志って結構頑張ってジョーク考えてるんだね。
が、それがきっかけで千反田さんは話し始めた。
「実は私、お二人に頼みがあるんです。でも、本当はこれは私だけの問題ですから、お願いできる筋合いではありません。……なので、とりあえず話を聞いてください」
「話してみろよ」
「はい」
少し間を開けて、千反田さんは口を開いた。
「……私には関谷純という伯父がいました。十年前にマレーシアに渡航して、七年前から行方不明です。
昔の私は、伯父によく懐き、いろんなことを尋ねていました。どんなことを訊いたのかはほとんど覚えていませんが、伯父はそれらすべてに答えてくれました」
「それはなんとも博識な伯父さんだね」
「お前の伯父の事はわかったよ。だが、それがどう頼みにつながるんだ?」
「私がお二人に頼みたいのは……私が伯父から何を聞いたのかを思い出させてほしいということです」
そこまで話して、千反田さんは話をきった。僕は、いやホータロー君も唖然としていた。言われたことの意味が理解できなかったのだ。千反田さんが何を聞いたかを僕らに訊く、だって?
「……無茶苦茶だ」
「無茶苦茶だね」
「すみません、先走りすぎましたね。伯父にまつわる思い出の中で、ひとつだけ強く覚えていることがあります。思い出したいのはそれだけです」
千反田さんはココアで口を湿らせてから、また話しだした。
「私が幼稚園児の頃、私は伯父が『コテンブ』だったことを知りました。家に合った『スコンブ』に語呂がよく似ていたからだと思います。私は『コテンブ』に興味を持ちました」
すこんぶに古典部とは、さっきの僕のジョークより笑えないけど、子供の、それに千反田さんの好奇心なんて読み切れるわけがない。
「私は伯父に『コテンブ』の話をいろいろしてもらいました。そしてある日、『コテンブ』についてのなにかを尋ねました。いつもなんでもすぐに教えてくれた伯父がその時だけ答えを渋ったように思います。それが悔しくて随分駄々をこねて、伯父に答えてもらいました。そして、その答えを聞いた私は……」
「お前は?」
「……泣きました。恐ろしかったのか悲しかったのか、大泣きしました。でも、なぜか伯父はそんな私をあやしてくれませんでした」
「それで?」
「中学生になる頃に、私はそれが気になりました。伯父が答えを渋ったのは何故なのか、何故あやしてくれなかったのか。お二人はどう思いますか」
僕は少し考えてみた。千反田さんの好奇心にいちいち答えるような気さくな人が、泣く子をほうっておいた理由とは。
まあ、理由は一つしかないよね。
「千反田さんの伯父さんは撤回できないことを話したんじゃないかな。とても肝心なことを」
「だろうな」
「私も手は尽くしましたが、どうしても思い出せなかったんです。必要なてがかりが、みつからなかったんです」
それが、千反田さんが廃部寸前の古典部に入部した理由なんだろう。しかも33年前のことを知っている人なんて、いまの神高にはいないだろう。
「で、なんでそれを俺たちに?」
「それは、お二人が部室の鍵の時も、図書館での二つの話も、私が想像しなかった結論を出してくれたからです。お二人なら、答えを出してくれると思うのです」
千反田さんの言葉に、僕とホータロー君は言葉に詰まる。それもそうだ。千反田さんがわざわざ日曜に僕たちを呼び出したのは伯父さんの話を他人にあまり知られたくないからだ。そんな話をされてしまった上にそれを僕らに委ねられたわけだ。
「すみません。無茶な話だとは思います。でも、お二人は伯父同様に私の疑問に答えてくれました。だから……」
僕たちに伯父さんを重ねていたってことか。そういえば、何年か行方不明が続くと法律的に死亡扱いになるんだったっけか。千反田さんの伯父さんの失踪期間は七年。多分該当しているだろう。
ホータロー君は尚も黙り込んでいる。『省エネ』主義の彼からしたら、この話は『やらなくてもいいこと』だ。それに、僕たちには、千反田さんに対して責任がとれるとは思わない。それに……、僕にとってこれは『楽しいこと』なのだろうか。つまり、この話は僕たち二人の主義に反しているのだ。
しばらくして、意外にもホータロー君が口を開いた。
「俺は、お前に責任はとれないが、話を聞いてしまった以上、何もしないとも言わない。だから、その話を心に留めておいて、ヒントになることがあったら報告しよう。解釈に手間取るなら手助けもする。それでよければ」
「……ありがとうございます。折木さん」
ホータロー君は薄く笑う。ホータロー君が拒絶しなかったことには驚いた。多分彼自身も。里志に話せば、ものすごくオーバーリアクションをとってすっ転ぶだろうね。
「夏目さんは、どうでしょうか」
千反田さんの問いに対して、僕はためらいつつもありのままの気持ちを答えることにした。
「ごめん。僕は遠慮するよ」