氷菓 ~もう一人の探偵~   作:たけぽん

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6. 娯楽至上主義の決断

 

「楽しい」とはなんだろうか。凄く哲学的な話だが、人は楽しい事の無い世の中で生きていけるほど強い生き物じゃない。子供がゲームセンターに行くのはゲームが楽しいからだし、大人が仕事をした後にお酒を飲むのは楽しさで鬱憤を晴らすためだ。とにもかくにも、生きる上で「楽しい」ことは必要不可欠だ。

 では、夏目龍之介にとって「楽しい」とはなにか。それは僕にも分からない。例えば、本を読むのは僕にとって楽しい。でも、数学の勉強は楽しくない。結局のところ、「楽しい」

というのはその人の主観でしかない。つまり、『娯楽至上主義』というのは主観で成り立っているのだ。

 そんな僕にとって、入学してから起きた密室事件や図書館の二つの謎を解明するのは、とても楽しかった。それは、ホータロー君の言葉を借りるなら「やらなくてもいいこと」だったからでもある。つまり、もし解決できなくても誰も被害をこうむらない、気楽な話しだったのだ。

 だからこそ、僕は千反田さんの頼みには乗れなかった。僕は直感的にそれが「楽しい」事では無いと思ったのだ。

 千反田さんの誘いを断ってから、僕は古典部に顔をだしていない。里志もそれを気にしているようだけど、何かあるのを察してくれたのか無理に誘ってはこない。そんなわけで僕は今週、読書研究会の部室で、来るべき期末テストの勉強をしている。勉強も楽しいわけではないけど、何かしていないとどうかしてしまいそうだからだ。じゃないと頼みを断った時の千反田さんの残念そうな表情が脳裏をちらついて仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、古典部には行かないのかね?」

 

向かいでノートに数式を書いていた平塚先輩にそう聞かれると、僕の集中力はそこで途切れてしまった。

 

「ええ、まあ……テスト前ですし」

 

なんてごまかしてみたけど、僕の事だから表情にはっきりと出ていることだろう。平塚先輩がそれに気付かないとも思えない。

 

「そうか」

 

どうやら里志同様何かあることを察してくれたようだ。

しかし、それから僕は勉強に全く集中できなくなった。時間だけが過ぎていく。20分くらい経っただろうか。平塚先輩が教科書を閉じ、静かに立ち上がった。

 

「夏目君。場所を変えないか?」

「え?」

「君も集中力が切れているようだし、近くのファミレスにでも行かないかという提案だ」

 

場所をかえても、今日はもう集中なんてできそうにないけど、せっかく先輩が気を利かせてくれた訳だし、僕はその提案に乗ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

校舎を出て、正門へ向かう。ふと、横を見ると挌技場が目に入った。そういえば、あの建物だけやけに古いよなあ。里志だったら『時のとまりし格技場』とか命名するんだろうか。でも、今の僕はその謎を追求するような気分でも無い。

 

「そういえば」

 

先輩の声に僕の意識は空想から引き戻される。

 

「どうかしましたか?」

「君と学外で行動を共にするのはこれが初めてだな」

「そういえばそうですね。つまりこれは初デートですね」

 

なんて冗談めいた事を言ってみた。多分「年上をからかうものじゃないぞ」とおしかりを受けるだろうね。

 

「で、デートっ!?い、いや、その、そういうつもりでは無くてだな!」

 

なぜか先輩は慌てふためいている。なんだい随分と可愛い反応だね。

 

 

 

 

 

 

学校を出てしばらく歩くと、目的のファミレスが見えてきた。有名なチェーン店だ。とはいっても、僕は来たことは無かったけど。

入店すると店員が席へ案内してくれた。

 

「あれ、愛梨じゃん」

 

席に座ろうとすると、別の席から平塚先輩の名前が呼ばれる。声の方を見ると、神高生と思われる男女がひと組座っていた。

 

「やあ、二人とも今日も仲が良いな」

「まあな。今日はここの新メニュー、辛みそラーメンを食べにきたんだ」

 

男子の方が答える。どうやら、平塚先輩の知り合いのようだ。ということは先輩だろう。僕は会釈しておく。

 

「あれ、愛梨その子ひょっとして彼氏?なんだー隅に置けないなもう」

 

女子のほうが僕を見て先輩に尋ねる。

 

「い、いや、その、そう言うのじゃ無くてだな!彼は、わが研究会の部員なのだよ!だからその、彼氏とかでは……」

 

どうやら先輩はこういう話に耐性が無いらしい。慌てふためく先輩ってのもなかなか良いもんだね。先輩カップルとの話はそこで終わり、僕らも席についた。

 

「僕はパンケーキとコーヒーにしようかな。先輩はどうします?」

 

すると先輩は少しためらいながら答えた。

 

「そ、その……。辛みそラーメン……」

 

さっき男の先輩が言ってた新メニューか。どうやら乙女心より食欲が勝ったようだ。

そんなわけで、店員を呼び注文してから、僕らは勉強を始めた。

とはいってもやっぱり頭に入ってこない。比較的得意な英語をやってみても、簡単な単語のスペルを何度も間違える始末だ。仕方ないので、先輩から借りた本を読みながらパンケーキの到着を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、信じられない!」

 

いきなり大きな声がしたので、店内が静まり返る。声の方を見ると、さっきの先輩カップルの女子の方が走って店を出ていった。

 

「お、おい!」

 

取り残された方の先輩があわてて追いかける。ちなみに会計は済ましてから。

 

「どうしたのだろう」

 

先輩はそうつぶやく。確かに、さっきはいかにもカップルらしく仲良くしていたように見えたのに、急に喧嘩になった訳だから、一部始終を見ていなかった僕らにとっては大きな疑問だ。

 

「さあ、どうしたんでしょうね」

 

でも、今の僕にはどうだっていいことだ。再び本に意識を戻そうとする。

 

「夏目くん。二人に何があったのだろうか」

 

しかし、先輩はそれを許してくれなかった。

 

「電話で聞いてみたらどうですか」

 

あの二人と先輩は仲が良いようだったし。携帯番号くらい知っているはずだ。

そうだな、と言いつつ先輩は携帯を手にする。何回かコールした後、相手が電話に出たようだ。

 

「ああ、私だ。いったいどうしたんだ?……え?いや、ちょ、ちょっとまて!」

 

そう言った後先輩は携帯を耳から離す。

 

「どうでした」

「あんなやつ知らない。もう別れる。と言って切られてしまった」

 

どうやら相当ご立腹の用だね。まあ、女心となんとやらというし、多分明日には仲直りしてるんじゃ無いだろうか。

 

「どうしたものか……。あの子は一度言ったことは撤回しない主義だからなあ……」

 

どうやらそうもいかないらしい。意地というか、プライドが高いんだろうか、あの先輩は。

そして、平塚先輩は僕の方を見ると、

 

「夏目君。私は友達として、あの子たちがあのまま別れるのは見ていられない。どうにかして、原因をつきとめてくれないか」

 

と、頭を下げてきた。僕は、また日曜の事を思い出してしまった。千反田さんの残念そうな表情を。それに、今回の事だって、仮に僕が推理に失敗すればあの二人は、本当に別れてしまうだろう。そんな責任を負うのは「楽しい」事ではない。

 

「頼む、夏目君。君にしか頼めないんだ」

 

でも、あの平塚先輩がこんなにも必死に僕を頼ってきている。ここで断れば、僕は千反田さんと先輩にずっと申し訳ない気持ちのまま過ごさなくてはならない。そんなことになれば、僕のバラ色は崩壊する。

 

「……分かりましたよ、少し考えてみましょう」

「ありがとう。夏目君」

 

そして、僕は考えることにした。

 

僕たちがここに入店してから約30分。あのカップルが入店したのはそれより少し前だろう。でも、僕たちが来た時にはあの二人は喧嘩しているようには見えなかった。そうすると、事が起きたのは僕らが席に着いてからの間ということになる。その間に起きえることとすると、

 

 

食事を終える。

 

飲み物をおかわり。

 

何らかの会話。

 

店員と会話。

 

と言ったところだろうか。おそらくだけどこの中で直接喧嘩につながるのは何らかの会話だろう。問題はその内容。話題なんて考えるだけ無限にあるが、ここはファミレスで起こり得そうな会話を考えてみよう。

 

試験勉強について。現に僕たちは勉強しに来た訳だし、見てはいなかったけど彼らが勉強していて、それが原因で喧嘩に発展した。例えば「お前の教え方が悪い」「そっちの頭が悪い」みたいな。

いや、でもさっき男子の先輩が女子の先輩を追いかけた時、鞄に勉強道具をしまっている様子は無かった。

 

とすると食事に関してだろうか。「食べ方が汚い」とか。ふと彼らの座っていた席を見てみたが、すでに食器は下げられてしまっていた。ううむ。しっかりみていればよかった。なんとかして知る方法は……。

 

「お待たせしました。パンケーキとコーヒー。そして辛みそラーメンになります」

 

僕らの注文したメニューが運ばれてきた。そうだ、この店員さんは確かさっき注文を取りに来た人だ。もしかしたら……、

 

「すみません。さっき走って出ていった高校生が何を注文したか分かりますか?」

 

店員は唐突な質問に面喰っていた。まあ普通、そんな質問されないだろうしね。でも、僕の真剣さが伝わったのか、彼は答えてくれた。

「辛みそラーメンが二つと牛乳が3つです」

「ありがとうございます」

 

店員さんが去ってから、僕らは品に手をつけた。ふむ、このパンケーキ美味しいな。

 

 

「こ、これは随分辛いな……」

 

先輩の辛みそラーメンは名前の通り相当辛いらしい。そりゃあ牛乳くらい無いとやってられないだろうね。

 

「さっきの二人は、ラーメン好きなんですか?」

「ん?ああそうだな、彼氏君の影響でな、神山市のラーメン全てを食べると豪語していたな。こだわりもそうとう強いらしい」

 

とすると、喧嘩の種はラーメンか。そう思いつつ僕はコーヒーに砂糖を入れる。

 

「お、おい夏目君。流石に入れすぎだろう」

 

日曜のホータロー君と同じセリフだ。やっぱり僕の砂糖に関する常識は、一般とは違うようだ。

 

……ん?待てよ?常識?

 

 

「夏目君。何か分かったようだね」

「ええ、多分わかりました」

「説明を頼む」

 

僕は息を大きく吸い、話し始めた。

 

「おそらく、あの二人の争いの種は辛みそラーメンです」

「彼らはラーメンへのこだわりが強いから、その行き違い、ということか?」

「ええ。そうだと思います」

「しかし一体何の行き違いかね」

 

僕はコーヒーを少し飲んでから、再び話し出す。

 

「鍵となるのは、彼らの注文したメニューです」

 

彼らが注文したのは、辛みそラーメンと牛乳。そして何故か牛乳は3つ。何かの本で読んだことがあるけど、辛いものを食べた後、牛乳を飲むと、口の中の辛さが中和されるそうだ。だからこそ彼らは、牛乳を頼んだ。

 

「先輩、その辛みそラーメン。スープまでのめと言われたらどうしますか」

「どうにもこうにも、この辛さでは無理だ。断るだろうな」

「そう。でも、牛乳には辛さを中和する力がある」

「……!まさか……」

 

 

 

 

そう、おそらくあの男の先輩は食べ終わったスープに2本目の牛乳を入れて飲んだのだろう。もちろんそれ自体は個人の趣向だから責めることでも無い。だが、彼は彼女にもそれを強要したのだろう。もしかしたら強引に入れたのかもしれない。だからこそあの先輩は、それに激昂したのだろう。彼の常識は彼女の常識では無かった。これが真相だ。

 

「なるほど。それならつじつまが合うな」

 

平塚先輩は満面の笑みを浮かべていた。それを見た僕も、自然と笑っていた。

 

「久しぶりだな、君のその表情を見るのは」

「え?」

「君は、楽しいと感じた時、そういう笑顔を見せる。最近は全くだったがね」

 

そう……なのか。先輩の言うとおりなら、僕は今、楽しいと感じているようだ。この話が始まった時は全く楽しくなんか無かった。でも、今は……。

 

「そうですね、なんだか楽しいです」

 

そうか、簡単なことだったのかも知れない。人の気持ちは変化する。たとえその時楽しくなくても、いつか楽しいと思えるときが来るかもしれない。今の気持ちだけで「楽しい」かそうでないか決めつけるのは早計というものだ。ならば、『娯楽至上主義』というのは変容していくものだといえる。

 

「先輩、ありがとうございました」

「どうやら、迷いは晴れたようだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、僕は放課後になると地学講義室へ向かった。

扉をあけると千反田さんとホータロー君が来ていた。まあ、僕が呼び出したんだけど。

 

「その、お久しぶりです。夏目さん」

「どうも、このところ顔をだせなくてごめんね」

 

千反田さんは気まずいようだ。そりゃ僕だって気まずい。でも、僕にはやらなくてはいけないことがある。

 

「それで、何の用だ、夏目」

 

ホータロー君の言葉に、僕は深呼吸をしてから答える。

 

「その、いまさら都合が良いかもしれないけど。千反田さんの伯父さんの件、僕も協力したいんだ」

 

しばらくの沈黙のあと、千反田さんが口を開いた。

 

「ありがとうございます、夏目さん!とても助かります!」

「そうだな、夏目の助力が得られるなら大分助かる」

 

ホータロー君も承諾してくれた。

 

「それじゃあ、よろしく」

 

果たしてこれがバラ色につながるのか、いまの僕には分からないけど、それでも後悔はしないだろう。

 

 

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