なおエロスを追加したロングバージョンが『艦と娘のあいだに』というタイトルで冬コミに出ます。紙の本で。
秘書艦っつーと……まあ、アレだ。数ある艦隊の中でも最主力たる第一艦隊の旗艦ってヤツだな。そんな栄光ある御役目に任命されたこのオレ天龍様ではあるが……実は、あんまノリ気じゃねェ。
っつーのもなぁ……秘書艦ってのはただ深海棲艦見つけてぶん殴ってりゃいい、って単純なモンじゃねェんだよ。七面倒臭ェことに、提督のスケジュールの世話を焼いたり、書類作りを手伝わされたり……ああああ、ウゼェ! オレは提督のお守りじゃねーっつーの!
刀だったら何千回でも振り抜いてやるんが、指先でペンを摘んで細けェ数字をカリカリカリカリカリカリカリカリなんてやってられっか! 何を思ってオレなんて指名したんだ、あの馬鹿提督。オレは第二艦隊の旗艦でいいんだよ。目につく敵を片っ端からぶっ潰してりゃいいんだからよ!
てなワケで、オレが如何に秘書艦に向いてねェか、ってことを知らしめるために、早速執務室に殴りこみだァ!
「オラァ! 提督はいるかァ!?」
バァンッ! と扉を開け放ってやると……提督の野郎、すっかりビビってやがるな。ここは一発メンチ切っとくか。
「オレの名は天龍。フフフ、怖いか?」
「呆れてるんだよ」
……フン。なかなか肝は座ってるみてェじゃねーか。だが、この程度で引いちゃァ天龍様の名が泣くってもんだぜ。ここは、主従関係をキッチリさせておかねェとな。
と、意気込んでみたものの――
……な……なんだコイツ……
部屋の隅に座ってたときにゃ小ぢんまりとしてたクセに、椅子から立ち上がってオレの前まで来てみると……ゲェ……頭一個分はデケェのかよ……!? 腕っ節で負ける気はしねェが、対峙してるだけで無駄に威圧的だなぁ、オイ。
この体格差だから仕方ねェが、何を言われても見下されてるようで気分悪ィぜ。
「勝ち気なのは悪くないが、非礼な部下に対しては容赦しないぞ?」
いきなり胸ぐら掴んでくるなら話は早ェ。ここは一発殴り合って、どっちが強ェか決めようぜ?
――と思ったんだが……
提督の方から勝手に手ェ離しちまった。何だ? ここで怖気づく理由が解らねェ。
「天龍……貴様……
服? どういうことだ? 何を言っているのか分からず、オレは適当に
「……これは
オレの胸にナニを疑ってんだエロ提督! パットも何も入れてやしねェよ!
だが、この変態男は自分の間違いを認めやしねぇ。
「ふざけるな!
って、いきなり鷲掴みにしてくるか、普通!? こんな掌底、普段なら避けることなど他愛もないんだが……提督があまりにアホなんで、つい食らっちまった。
「
揉まれ続けるのも癪だから、変質者の腕は横から弾き飛ばしてやった。が、こんな簡単な事もこの男は理解できないらしい。
「そんなハズは……ならば、何故貴艦は『オレ』などと自称する?」
「そんなの『オレ』の勝手だろ」
この天龍様が男だと? 気に入らねェなぁ。オレが女だってことを解らせるために、戸惑ってる提督の手を掴んで自分の胸に押し付けてやった。
「オラ、しっかり確かめやがれ。何なら直に揉ませてやってもいいんだぜ?」
これでようやく納得したらしい。マヌケ男は顔を茹でダコみてぇに真っ赤に沸き上がらせると、オレの手を振り払って……土下座だと!?
「すすすすすまなかった! まさか女とは! だがこれはあれだ! 私としたことが……!」
何を言っているのか解らねぇが……お……面白ェ!
床に平伏して丸まった提督の背中に、オレはドン、と座って足を組む。
「やっ……やわら……っ!? すまなかった天龍! 本当にもう勘弁してくれぇ!!」
オイオイ、さっきまでの威勢はどうしたよ。いい泣き声上げてくれるじゃねェか。
「乙女の胸を辱めておいて、この落とし前、どーつけてくれンのかねェ……提督サンよォ?」
尻に敷いた大男はガタガタ震えながら小さくなるばかりだ。
「わ……悪かった……! ここは、腹を切って詫びる所存であり――」
オイオイ、乳の一揉みで切腹かよ。こいつの倫理観どーなってんだ?
ともあれコイツ、本気で女体に弱ェみてェだな。こりゃあ……たまんねェなぁ……!
「腹はいいけどよォ、ちーっとオレからの頼み事を聞いて欲しいんだわ」
「分かった! 何でも聞く! この命に代えても!!」
いいねぇいいねぇ! 威張り散らしてた野郎が一転して縮み上がる様は大好物なんだよ。
「オレはどーーーも、机に座ってるのは性に合わねェ。だからさ、出撃ン時だけ呼ぶようにしてくれや」
「わかった! 是非ともそのように! だから……もう……!」
よォし、交渉成立! オレは軽い足取りで床に立ったが、提督はまだ丸まったままだ。
「それじゃー、提督からの出撃指示、楽しみに待ってるぜぇ♪」
野郎からの返答はない。聞こえてるかどーか分からねェが……こいつは完全勝利ってやつだろう。何しろ、誉れ高き第一艦隊旗艦の座に就きつつ、面倒事は全部まとめてぶん投げてやったんだからなっ!
***
秘書艦ってヤツは、本当に面倒臭い。毎朝キッチリ定時に執務室に出向いて、提督に言われるがままにあれやこれやと雑用に付き合わされ、昼休みを除けば夕方までしっかり拘束されちまう。たまんねェよなぁ。そんな小間使いに抜擢されて、一時はどーなるかと思ったぜ。
だが、今度の提督は間抜けで良かった。噂では何だかスゲェやつが来るって聞いてたんだがな。強くて真面目で頭も回る超優秀なイケメン指揮官……ふむ、初日で潰しちまったから、強くて賢くて超優秀かは判らなくなっちまったな。ま、そこは今後お手並み拝見、といこうじゃねェか。
オレだって、別に怠けてェわけじゃねェ。艦娘として生まれたのなら、やっぱその本分は海戦だろ。オレの
っつーこって、
ガンガンと心地いい号砲が響く中、ん……アイツは……龍田か!
「よォ、調子は――」
言い終わる前にグリンと振り向いて眉間に銃口を突きつけてくるたァ物騒だねぇ。ま、いつものことだから慣れたもんだが。流れてきた砲身をそのままグっと押しのけて、オレは平然と挨拶を続ける。
「――相変わらず良さそうだな」
「後ろから急に話しかけると危ないよぉ♪」
自覚してる割には治す気ねェんだなぁ。だが、コイツのこういうところも嫌いじゃねェ。
「こぉんなところでどぉしたのかなぁ? いまはぁ、秘書艦のお仕事中でしょお?」
「フ……それなんだが……ちょいと笑える武勇伝を聞かせてやるよ。飯でも食いながらな」
来たばっかだけど修練は後、後! 一杯引っ掛けるために、
で、やって来たのはいつものサ店。オレの主食はチョコパフェだ! いや、イチゴでもバナナでもいいんだが。やっぱ生クリームは最高だぜ。
「うふふふふ……太るよぉ?」
「いいんだよ、その分動いてるから」
それに、戦闘に必要な燃料は基地で補給してもらってるしな。食いモンくらい好きなの食わせてくれ。
「でぇ、随分ゴキゲンだけどぉ、評判通りの素敵な提督だったのかしらぁ?」
「フッ……フフ……もう素敵も素敵。あんな素敵なトンチキは初めてだぜ……!」
もう、どっからツッコンでいいのかわかンねェよな。喧嘩腰で偉そうな口を叩いてたかと思えば、こっちが女だと判った瞬間這い
だが、龍田が食いついたのは――
「天龍ちゃんったら、自分からおっぱい触らせたの? ダイターン☆」
「ぅ……、それを言うかよ……」
改めて言われると恥ずかしくなっちまうじゃねェか……
「そ、それはだな……アイツが女に弱ェから嫌がらせの意味で……」
「あらあらぁ? 掴んで触らせて、それで平伏せさせたのよねぇ? 弱み握ったの、触らせた後じゃないかなぁ?」
ちっ……よく覚えてやがる……!
「……ったくつまんねェことばっか気づきやがるな!」
「だってぇ、私の天龍ちゃんだもん♪」
まったく面白くねェ! 折角アホ提督のアホっぷりを知らしめてやろうと思ったのに、これじゃオレまでアホみたいじゃねェか。
「ほらほら、拗ねない拗ねない♪ はい、あーん☆」
龍田がスプーンに掬ってチキンライスを一口寄越す。ったく、こんなことで……
「ともかく、オレがこの時間に出歩いてるのは、サボリじゃねェ。レッキとした提督様のご指示、ってこった」
「ふぅん……いいのぉ? それでぇ」
「ん? 何がだ?」
どっか含みのある言い方しやがるなぁ。
「せぇっかく、楽しい提督の秘書艦になれたのにぃ、ほっとかれちゃって寂しくなあい?」
「いいんだよ。あんな狭っ苦しい部屋に押し込まれても、オレにできることなんて何もねェからな」
「でもぉ、一緒にいるだけで、面白そうじゃない?」
そう言われると、からかい甲斐はあるか……と少し考えて目を戻すと、異様にニコニコ楽しそうな龍田の視線が……ちぃと不愉快だな。まるで、オレの方がからかわれてるみてェだ。
「つまんねェよ! あんな提督、面白いことなんて何もねェ!」
「そっかぁ……。で、私なんでここに連れて来られたんだっけ?」
「知らねェよ」
何だか本当にワケがわからなくなってきちまった。
ただ……
あんなつまんねェ男とは、一秒たりとも顔を合わせたくねェ。
ヤツから呼ばねェ限り、提督の面倒なんぞ見てやらん!
絶対にな!!
絶対だかんな!!!
***
と意地になって修練に励むこと早三日。その間、出撃に備えて眠い目を擦ってまで朝から起きてやってたのに一向に梨の礫じゃねェか。優秀って噂はデマだったのか? 出撃どころか遠征すら滞ってるみてェだし、このままだと資材が尽きちまうぞ。
こーなると、燃料や弾薬も無駄にできねェ。こいつァ、愛刀の素振りで時間を潰すしかなさそーだな。ったく、提督のヤツ、何をやってんだか。オレの力が必要ならすぐに呼べばいいだろうに。
まさか……
ここは何もない海岸だけに、用のあるヤツはそういない。剣に集中することで研ぎ澄まされた感覚が、接近してくる気配を如実に知らせてくれる。
「……龍田か。ようやく提督からお呼びでも掛かったか?」
ナチュラルにこんな殺気を纏ってくるヤツは他に知らねェ。
「うふふ、何を言ってるのかなぁ?
……うわっと! とっと……。 思わず
チクショウ……道理で何の指令も来ねェわけだ。
「ったく……しゃーねェなぁ。悪ィ龍田、コイツを部屋に置いてきてくれねェか?」
司令官邸に刃物を持って入るわけにもいかねェからな。かといって、ここからわざわざ帰るのも面倒臭ェ。
「はぁ~い、いってらっしゃい☆」
部屋の鍵と得物を預けて、オレは
それにしても……何だろうな、この
ま、いっか。後で聞きゃ。いまは提督が何を考えてんのか問い質さねェとな。
早速到着して、執務室にドカンと景気よく突入してやろうとドアノブを捻る。
だが……
何だ、鍵が掛かってやがるな。留守か?
ここまで来て無駄足ってのも気に入らねェから、ロビーで昼寝でもして待ってようかと思ったが……ん? 扉のすぐ横にこんな小机なんてあったか? しかも、何やら怪しい封筒が乗っかってるし。読んでいいのか? 読むな、とは書いてねェしな。そもそもオレ、秘書艦だもんな。提督宛の書類には目を通す義務があるんじゃねーの? そいつは自分から放棄したばっかだけど。
中身は……おーおー、出撃指示書か。何だ、ちゃんと仕事してんじゃねェか。ふんふん、第二艦隊は警備任務、第三艦隊はタンカー護衛か。なるほどねぇ、先ずは停滞してた三日分を取り戻そう、ってハラか。
で、オレの第一艦隊は……ゲ、潜水艦狩りかよ。あんなつまんねェ奴ら相手にしたくねェ。
そういや、この小机、封筒の他にペンとメモ帳が置いてあるな。ここは秘書艦として、一筆残していってやるか。
『潜水艦とかいいから、カスガダマ往かせろ』……と。
他の誰かに改変されても嫌だからな。こうして扉の下の隙間から差し込んで……っと。
それじゃ、一先ず他の艦隊に遠征指示を伝えてやろうか……と思ったら、何やら部屋からコツコツと誰かが歩く足音が聞こえてきやがる。中に誰かいるのか? と扉に耳をつけてみると……
ス……
差し込んだばかりのメモ用紙が逆流して帰ってきた。しかもそこには追加が一行。
『却下。ボーキサイト不足につき当海域への進撃は不可』
――って、いるじゃねェか!!
「おい提督野郎! ナニ妙な居留守使ってやがんだ! 鍵開けやがれゴルァ!」
ドアノブごと引っこ抜く勢いで踏ん張ってみるも、さすがにそう簡単には壊れねェか。
そっちがその気なら、こっちもやってやる! サラサラサラ~っと。
『うるせー。そんな地味なことやってらんねーよ』
スッ。
カリカリカリ……。ふん、提督も扉の前で加筆してやがんな。
スッ。
『少なくとも、軽巡旗艦でカスガダマ海域は無い。リランカ島なら検討する』
サラサラサラ。
『今はカスガダマがアツいんだよ!』
スッ。
カリカリカリ……
スッ。
『そのような理由で戦場には送り出せない。あと、もう少し丁寧に書け。読み難い』
ンだとテメェ! 無駄に達筆だからって偉そうに!
「そもそも何で筆談なんてしてんだよ! バッカじゃねェの!?」
カリカリカリ……
メモを送ってもねェのに何かを書き始めた筆記音が聞こえてくる。
スッ。
『言葉遣いも改めよ。こちらは上官である』
「うるせーーーーーーー!!!」
「うるさい、ってぇ……天龍ちゃんの声しか聞こえないよぉ?」
おぉぅっ!? うっかり提督との
「龍田も提督に用があンのか?」
だとしたら……
「私はぁ、天龍ちゃんに忘れ物を届けに来たんだよぉ」
スッと差し出してきたのは……お、最初に支給された秘書艦セットか。よく使う書類とか官邸の鍵とか……
……鍵?
フッ、勝った。
が、ここまで侮辱されたんだ。徹底的に、完全勝利といきてェじゃねェか。
「なぁ、龍田……カスガダマに殴りこみに往かねェか?」
「ふふふ、天龍ちゃん、悪いこと考えてる顔だぁ~♪」
お前ほどじゃねェよ。いつも腹黒い笑み浮かべやがって。
さぁて、他の艦は……と。赤城に金剛に……それから、翔鶴と最上も加えてみっか? サラサラ、サラサラ~っと。クク……ククク……我ながらスゲェ艦隊だなぁ、オイ。
「あらぁ、それ、出撃指示書の予備よねぇ? 提督のサインはどうするのぉ?」
「こうするに……決まってんだろ?」
カーディガンのボタンをポコポコ外して、タイをシュルっと抜き去れば……
「いやんいやん❤ 天龍ちゃんたら、こんなところで恥ずかしい~ん♪」
両手で目を覆うフリして、露骨に中指と薬指の間から覗いていやがる。だったら堂々と見りゃあいいのに。
それじゃ、こっからが本番だ。往くぜぇ~……!
秘書艦用のスペアキーで容赦なくカチャカチャっと開けて……お、向こう側から引っ張ってるみてェだな。だが、所詮は人間。軽巡洋艦の出力に……勝てるかァ!
「ぬわ……っ!」
扉に引き摺られるように廊下にのめり込んできた提督は、ヨロヨロと体勢を崩してオレの谷間に顔面から突っ込んできやがった。
そして、己の醜態に気づくなり――
「ぬわーーーーーー!?」
うわぁーお、すげぇ爆風に当てられたみてェに部屋の中にゴロゴロと吹き飛んでいったぞ!?
「見てない! 私は何も見ていないっ! だが……何を考えてるんだーーーーー!!」
見えてんじゃねェか。オレの下着姿をよ!
「どうした提督。目でもやられたか?」
あまりの神々しさに失明されても困るんだがなァ? まだアンタにゃやってもらわなきゃなんねェことがあンだよ。
扉越しではあんなにエラソーだった提督も、面と向かえばすぐコレだ。いまのオレの格好はコイツにとって全身凶器。指一本触れることはできねェ。
ま、無理矢理触れさせるがな。
床の上で両手両足抱え込んで丸くなってる提督の背に、オレはグイーっと覆い被さっていく。
「やっ、やめろっ! あたっ、あた……当たってる! 当たってるぞっ!」
「ん~? 何が当たってるってェ?」
面白ェ……! やっぱ面白ェよ、コイツ! こんなにビビるなんて、脅し甲斐があるってもんだぜ!
答えは待たずに、オレは部屋に入る前に手にしておいた紙切れを一枚、俯く提督の枕元に差し込んでやった。
「コイツにサインを願いてェんだが……嫌とは言わせねェぜ?」
「こ……婚姻届か……?」
「アホかっ!」
オレはまだレベル70にもなってねェよ!
「つべこべ言わず、承認すりゃあいいんだよ! ホラ、ココだココ!」
指先でトントンと叩いて催促すれば、木偶人形は素直に自分の名をフラフラと走らせる。
「よぉーし、ご苦労さん♪ 後は戦果を黙って待ってろな」
やっと提督にオレの強さを見せられるぜ! 署名さえ貰えればもう用はねェな。よっこらせ、と開放してやると……コイツ、生意気にも口答えしてきやがった。
「……その編成では……無理だ……」
あぁ? 何だって?
「んん~? いま、何か言ったかァ?」
口は身を滅ぼすって知らねェのか? 一言多い提督にゃあ、ちょいとお仕置きが必要だな。もっかいオレの胸を味わわせてやるぜ。
「ぎぇ……が……はっ……何もっ! 何も言ってない! だから……もう……」
ふぅん、白々しいねぇ。
「素直に謝りゃあ、許してやってもいいんだぜ?」
そうやって耳打ちしてみりゃ……うをっ!? 触ってもないのに頭から熱が伝わってくるみてぇだ。こりゃあ、マジでヤベェかも。
「ごめんなさい! 申し訳ありませんでしたーーー!」
すぐに謝ってくれて、むしろホッとした。これ以上遊んでたら……死ぬんじゃね?
んじゃ、最後に戦利品でも貰ってくかな。
オレは改めて提督から身を起こすと、壁に掛かってた白い帽子をヒョイと手に取る。
「詫びの印、ってことで、こいつは頂いてくぜー」
ふむ……さすがにしっかりできてるな。指先でクルクルと回して遊んでいると、窮鼠が猫を噛むように、提督は果敢に飛びかかって来やがった。
「待て! それを持って行かれては――」
だが……所詮は鼠だったようだな。掴みかかろうとした手の軌跡から帽子をヒョイと退けると、その向こう側には……世界水準を超えたオレのボディが。
ムニ、と一握りすると……そのまま力尽きてズルリと床に突っ伏しちまった。
「おい、提督……って、ゲェ!?」
顔の下に血溜まりできてんぞ!? 殺人事件じゃねェか、コレ!
殺すつもりはなかったんだ――って、仰向けにひっくり返してみたら……ケッ、ただ鼻血噴いてるだけかよ。心配して損したぜ。
「天龍ちゃぁん、お疲れぇ~♪」
部屋の外でオレの一方的な奮闘を見物していた龍田に、親指を立てて勝利を報告する。
「ソレ、ホントに持ってっちゃうのぉ? 特注品みたいだからぁ、どんな言い訳で再支給してもらうつもりかなぁ?」
「半裸の部下に
なるほど。それで焦ってたのか。
と、なると……
「ク……クク……龍田……ちょっと手伝え」
「天龍ちゃんてば、まぁた悪いこと考えてるんだぁ~?」
とか言いながら、お前だって悪そうな顔してるじゃねェか。
まあ、今回ばかりは認めてやるよ。オレも随分とエゲツねェことを思いついたもんだ、ってな。
***
出撃予定時刻は一九〇〇。指令書には、確かにそう書いた。
が、一九一〇を過ぎたにも関わらず、オレは宿舎の中で隠れて待機している。
別に、中止したわけでもねェし、オレだけが遅刻したわけでもねェ。他のメンツにも、一時間遅らせる、と伝えておいたからな。
時間の変更を知らねェのは……たったいま、オレの部屋に這入っていった不埒なコソ泥野郎だけ、ってこった。
提督権限でオレの部屋の合鍵を持ち出してきたようだが、こいつはちょいと越権が過ぎるんじゃねェの? バチっと灸を据えなきゃなァ?
ダボハゼの口にしっかりと釣り針が食い込んだところで――
「オイ、
力いっぱい釣り糸を引く! 口では恫喝しながらも、その目的は分かりきっているだけに怒った表情を作る方が難しい。ついニヤけちまうぜ。ちなみに、例の帽子はオレの下着が詰まった引き出しの奥だ。例え場所が判ったとしても、この提督に持ち出すことは不可能だろうな。
提督は驚きながらも、暗い部屋への逆光のお陰か、オレの姿がよく見えていないらしい。バレてないつもりらしく、小賢しくも窓から逃げ出そうとしてやがる。ここは三階だが、提督、ガタイいいもんな。このくらいの高さなら無傷で飛び降りられる自信があるんだろ。
だが、甘ェ。チョコパフェよりも甘ェよ。
ガタガタっ、ガタガタっ!
「な――っ!?」
ククッ、驚いてやがんな。
よし、いまだ。いまが一番……
パチリ、と部屋の電気をつけると、泣きそうな顔の提督がこっちを見ていた。そして、オレが昼間と同じ姿だと気がついて――
「ギャアアアアアアアアア!?」
とんでもねぇ悲鳴が上がったが、廊下では龍田が
コソ泥提督は慌ててオレから目を逸らし、性懲りもなくガタガタガタガタと窓を開けようとしている。無駄だぜ。こんなこともあろうかと、龍田に窓を留めておいてもらったんだよ! アイツ、こういうところで器用だからなぁ。
扉を閉めて、オレはゆっくりと大股で提督に近づいていく。提督には逃げ場のない壁が迫ってきているように見えているのかもな。
それでも諦めずに、このアホは何とかならないものかとあちこちに視線を泳がせている。フン、こんな四畳半のどこに行こうってんだよ。もっと広い部屋を用意しなかったお前のミスだぜ。
あと三歩くらいのところで……意を決したらしい。身を低くして、オレの横からすり抜けようとしてきやがった。
が、他愛もねェ。
オレが軽く進路を遮ってやると豪快にすっ転んじまった! そこに飛び乗れば……捕獲完了、と。
「秘密の花園へようこそ。無断で荒らしに来るたァ……男の風上にも置けねェなぁ?」
仰向けにはなっているが、その表情は窺えねェ。両手でしっかりとツラを覆ってやがるからな。可愛すぎるだろ、コイツ。
「悪かった! 謝るから
焦り方が尋常じゃねェが……ん? もしかして……こうして跨ってるから、股間に股間を押し付けちまってるのか……!?
チッ、これはさすがにコッチも恥ずかしいぜ。ここは大人しく退いてやるか。
しかし……
この男には学習能力ってもんがねェんだな。昼間見たはずの下着に、よくもまぁここまで怯えられるもんだぜ。
それなら、どこまで言いなりになるか……一丁試してみるか。
「おい提督……脱げよ」
「はぁ!?」
ナニ素っ頓狂な声上げてんだ。隠している手の裏側がどんな顔になってるのか、と想像しただけで笑えてくる。
「脱げっつーてんだよ。もし脱がねェってんなら……代わりにオレが脱いでもいいんだぜ?」
勿論本気でこれ以上脱ぐつもりはないが、慌てふためいた提督は火の粉を払うように自分の服をバッサバッサと脱ぎ始めた。
改めて見てみると……ふぅん、やっぱいい身体つきしてやがんなぁ。艦としての力がなかったら、骨の一本や二本簡単に折られそうなほど腕は太いし、何発殴ってもびくともしなさそうな胸板だ。スゲェな……男ってやつは……
だが、提督は股間を覆う最後の一枚になると、膝を抱えてグズり始めた。
「ここだけは……勘弁してくれ……」
するわけねーだろ。
「ああ、そうかい。じゃあ、オレが代わりに――」
パンツの両脇に親指を通して、半分くらい……ズズズ、っと。
「わわわわわすまない! 脱ぐなっ! 脱ぐなぁぁぁ!!」
顔は上げてないから見てはいないんだろう。それでも、提督は涙声になりながら膝を抱えたまま尻を上げ、白い下着を腿から脛へと通していく。
「クク……ククク……」
やっちまった……オレ、提督を全裸にひん剥いちまったよ……!
「おい、それじゃ見えねェだろうが。股開けよ!」
「ぅぅ……ぅぅぅ……」
おお? いまにも泣き出しそうじゃねェか。図体ばっかデカイ割りには肝っ玉小せェなぁ。
でも……おぉ……随分立派なモン生やしてるねェ……! それに硬さもあるんだろうな。広げた両足の間で真っ直ぐ天井を向いてやがる。
なるほどなぁ……女を嫌悪してる男色家ってわけじゃなく、やっぱ単に女が苦手なだけか。身体は本能的に女を欲してるんだよなぁ? 何せ、殆ど裸の女が目の前に立ってんだからよ。でも、気持ちが追いついてねェ、ってか。滑稽だなぁ。こんな滑稽な男は見たことがねェ。
「よし、もう帰っていいぞ」
やっとのことでオレから許しを得られた提督は、とぼとぼと影を落としながら自分の服を集め出した。
が……
ククク……おいおい、オレってこんなに性格悪かったか……? また新たなイタズラを思いついちまったぜ。
上を向けない提督の手元にスっと近づいて、オレは床に集まった白い制服をガッと蹴り飛ばしてやった。
「……っ!?」
突然視界から衣類が消え失せ戸惑う提督に、オレは冷淡に言い放つ。
「誰が着ていいっつーたよ?」
さすがに、それを聞いた提督はガタガタ震えて、オレの前に土下座でひれ伏した。
「そう申されましても、この姿では帰れません……!」
おお、敬語が板についてきたじゃねェか。よーし、そんじゃあ、褒美をやろう。
オレはタンスから自分の私服を取り出し、裸の背中に向けて放り投げてやった。
「なら、貸してやるからソレ着て帰んな」
「コレを……!?」
提督は自分の身体に垂れ下がるオレの服を見て愕然としている。
「文句あんなら、いまオレが着てるのを脱いで着せてやっても――」
「すいませんでしたーっ!」
提督は瞬時に立ち上がって、こちらに尻を向けるとサイズの合わないオレのワンピースを無理矢理頭から被り始めた。
すんなり入ったのは最初だけ。すぐにピッチピチになって、肩口なんて弾けそうだし、正面を向かせてみりゃあ……股間がギリギリアブねぇ。
「ブハッ、ブハハハハッ、ダハハハハハハハハ!」
ヤベェ! ここまで女装の似合わねぇ男がいたとはな!
「ほら! 可愛いポーズとか取ってみろよ!」
筋肉の隆起がここまでしっかり表れると逆に全裸よりよっぽどエロいわ。ヤベェよヤベェ! ある意味超セクシーだぜ!!
「ハァ……ハァ……あー……マジ笑ったわ……笑いすぎて死ぬかと思った……」
これにはちょっと涙目になってきた。
「く……ぐ……」
あっちもあっちで涙目になってるな。これ以上辱めたら、本当に自害しちまいそうだ。
「そ……それじゃあ行きな。明日からも提督の業務を頑張ってくれ給えよ……お疲れちゃん♪」
提督はオレを振り切るように、顔と股間を隠しながら物凄い地響きを立てて走り去っていった。
「天龍ちゃん……ちょぉっとやり過ぎじゃないかなぁ……?」
提督が開けっ放しにしていった扉の陰から、龍田が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「いや、まあ、勝手に部屋に物色されたことには、ちょいと本気で怒ってんだよ、オレは」
もし、あっちがこんな姑息な手段に出なければ、ここまでするつもりなんてなかった。が、卑怯なヤツに容赦はいらねェ。二度と反抗できないよう徹底的に叩き潰してやったぜ。
「あんまり楽しみすぎると
「ふんっ、神だろうが仏だろうが、いまのオレなら負ける気がしねェぜ!」
提督さえも完璧に掌握し、向かうところまさに敵なし! こんなに気分がいいのは久しぶりだぜ♪
「よっしゃあ、こっからが本番! 往こうぜ龍田ッ!」
色々やらかしちまったが……あの男だってオレの戦果を見せればグゥの音も出ねェだろう。これでもう、あの男もオレの言いなりだ。好きなように出撃し放題だぜ。
あんな腑抜けはお飾りだ。この鎮守府の真の提督はこのオレ・天龍様、ってなァ!
ハァーッハッハァー!!
……なんて調子こいてたのが良くなかったのかもしンねェ……。まさか、本気でバチが当たるとはな……
***
ガォン! ……ガォン! ……ガォン!
いまさら撃っても何にもならねェ、ってのは解ってる。でも……チクショウ、撃たずにはいられねェ……ッ!
「チクショウ! チクショウ……!」
何が秘書艦だ!
何が旗艦だ!
あんな……あんな無様な敗北は初めてだ!
敵前衛部隊との戦闘を終えたオレたちは、すぐに敵の中枢艦隊を見失っちまった。
『おかしいね、駆逐艦も連れずに来るなんて。提督はどうしてこんな編成にしたんだろ?』
最上のこの呟きに、オレは何も言えなかった。オレが勝手に考えて、無理矢理認めせた……なんて言えるはずがねェ。
その後、結局目的の本隊は見つかることなく、右往左往しているうちに……焦ってたんだろうな。オレとしたことがなんてことない魚雷をモロ喰らいしちまった。
何も得られず、
何も残せず、
資材だけを浪費して、
ノコノコと強制送還。
……何をやってんだ……オレはよォ!
「クソッ! クソッ! ……チクショウッ!」
これじゃあ、提督に合わせる顔もねェ。
こんな失態の後じゃ、何も言えねェ。
オレが大破していたこともあって、報告は龍田が代行してくれたようだが……提督からの返事を聞くのが……怖ェ。
紅白の同心円の向こうに、オレは何を見る?
オレが破壊しているのは……何なんだ!?
そんなことも解らないまま、オレは砲身を標的に向ける。だが、引き金を引く前に――
「やっぱりここにいたんだねぇ、天龍ちゃん」
突然後ろから抱きしめられた。
いまは、会いたくなかった。
コイツといると……心が安らいじまう……
「そろそろ
「いまは、そんな気分じゃ……ねェ……」
とはいえ、銃をぶっ放したい気分でもなくなっちまった。力なく連装砲を下ろすと、オレの中には何もない。
オレが欲しているのは……
「泣きたいときには、泣いてもいいんだよぉ?」
オレは……オレは……!
「ああああああああああああああああ!!!」
抱かれた腕の中で龍田の方に向き直り、今度はオレの方から力いっぱい相棒を抱きしめる!
「龍田ぁ! オレ……オレ……悔しいよ……!」
ただ抱いて、泣き喚くことしかできない。
外に音が漏れない射撃場で、
いまだけは……いまだけは、甘えさせてくれ!
「情けなくて、不甲斐なくて、オレ……オレは……!」
「終わったことは仕方ないよ。明日、天龍ちゃんからも謝りに行くんだよ?」
「……あぁ……」
アレだけ侮辱した直後にこのザマだ。どうやって頭を下げたらいいのか見当もつかねェよ……
「――っ!?」
龍田の胸の中で一頻り泣いて落ち着いたからか、オレは……もうひとつの気配を察知した。ここにいるのは龍田とオレ……だけじゃねェ。もうひとり……誰かいる!?
「そこの衝立の裏にいるヤツ……姿を見せやがれ!」
龍田の抱擁を解いて、オレは不審者がいると思われる方に身構えた。チッ……恥ずかしいところを見られたもんだぜ。
どうやって口を封じたものかと思案を巡らせていたが、そこから現れたのは……いま最も遭いたくない相手だった――!
「て……提督……!?」
何で!? どうしてこんなところに!?
! まさか……龍田が!?
提督は、さすがにもうオレの服は着てねェか。いつもの白い詰め襟姿ではあるのだが……どこか様子がおかしい。
「天龍……あー……その……」
オレより一回りはデカイはずの体躯が、何故だかオレより一回り小さく見える。
反撃のチャンスはいましかねェだろ。
叩けよ!
蔑めよ!
どんな屈辱だって受けてやる!
「どうしたよ! 言いたいことがあるならハッキリ言いやがれ!」
つい喧嘩腰に啖呵を切っちまったオレに、龍田が肘でツンツンと突付く。
(天龍ちゃん、謝んなきゃ)
あ、あぁ……そうだった。しかし……気ィ使って会わせてくれたことには感謝するが、まだ、心の準備が……だな……
妙にモジモジしていた提督が、ようやく口を開く。どんな
「天龍……お前も……
「……あんだって?」
聞き違いか? いま、アイツ、オレのことを……?
(龍田、提督のヤツ、なんつーた?)
(天龍ちゃんが女のコ、ですってぇ❤ 私は知ってたよぉ?)
ンなの知ってて当たり前だ。てか、だからこそアレだけの狼藉を振るってこれたんだろ。この期に及んでナニ言ってんだ。意味が解らねェ。
戸惑っているのはオレたちだけでなく、言った本人までもが混乱してるみてェだ。
「ああ、解ってる。だが……私にも……何が何だか……」
お互い急だったもんな。ここは、まぁ……龍田には悪ィが……
「報告は、明日の朝、ってことで……いいか?」
「う、うむ。そうしてくれると、助かる……」
本当に提督、どうしちまったんだろうな。足つきも危ういし、顔も赤かったような気がする。酒でも呑んでたのか?
地上への階段の向こう側に提督の姿が見えなくなったところで、オレもすっかり毒が抜けちまった。
「……
「ううん。天龍ちゃんにはぁ、早く元気になってもらいたいからねぇ♪」
龍田とは射撃場の出口で別れて、オレは
それにしても……てっきり提督から勝ち誇った罵詈雑言が飛んでくると思ってたのに、いきなり何を腑抜けてたんだ? あんな調子じゃあ……謝るもんも謝れねェじゃねェか。
……ったくよぉ……調子狂うぜ。
***
オレの意識は、部屋の布団に入ると同時に一旦途切れる。
そして、薄暗くてぼんやりした世界の中で、オレの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「天龍……起きろ……時間だぞ」
ん……? 提督……か……? どうして……って、ああ……朝だからか……。ひとつ、いいことを教えてやる。軽巡洋艦ってのは夜戦が仕事でな、代わりに朝は苦手なんだ。
ということで、もう少し待っててくれや。あー……昨日の件は謝るよ。もう少し寝てから。
オレは再び無意識の安らぎへと還ろうとしたが――
――ぷに。
唇に触れる柔らかさが、オレを現実へと引き止める。何だよ、まるでキスみてェじゃねェか……とぼんやりと薄目を開けてみると――
「……ンにヤってんだゴルァ!?」
零距離からのヘッドバッドで提督の頭を吹っ飛ばす! そして、握り締めるのは枕元の愛刀。この切っ先で……その喉元を切り裂いてやろうか?
このエロ提督の野郎……ナニを驚いたツラ晒してやがる!
「ね……寝てたのではなかったのか!?」
事故でもなく、確信犯かよ!
「寝てると判って襲いかかるたァどういう了見だッ!」
もし本当に寝てたら、オレだけ何も知らないままだったじゃねェか。そういうのは……ズリィだろ!?
「スマン……お前の寝顔が、その……あまりに……
…………!?
オレは、思わず指を滑らせそうになった刀を再度握り直す。
かっ……かわっ……!? オレが……!?
「テメェ……殺すぞ」
オレは男の喉元に先端を更に近づける。アンだ? 朝から夢見てやがんのか? このオレが……かわっ……など……と……!
ビビって命乞いでもしてくれりゃあいいのに……何を考えてるのか提督の野郎、目を閉じて観念しやがった。
「お前に殺されるのなら……悪くないな」
「ハァ!?」
待てよ、待て待て! 殺してくれって相手を殺す趣味はねェよ!
てか、何で悪くねェんだよ!
悪いだろ!
死ぬんだぞ!?
冗談なら冗談らしく言えよ!
あああ……! 昨日からどうしちまったんだよ、この提督! 人が変わっちまったみてェじゃねェか。あまりに遊びすぎて壊れちまったのか!?
オレにはもう、剣を下ろすしかねェ。目もすっかり覚めた。今日くらいは規則通り執務室に出勤してやろうじゃねェの。若干遅刻気味だが。
「……もういい。着替えたらすぐ行くから、官邸で待ってろ」
寝巻き姿をいつまでも見せてるのも恥ずかしいしな。
だが、これから着替えようってのに、この男は一向にこの場から動こうとしねェ。
「オイ、出てってもらえねェと着替えらんねェんだが。出勤遅れるぞ?」
何をグズグズしているのかと思えば……この男、とんでもねェことを言い出しやがった。
「このまま見ていては……ダメか?」
「ダメに決まってんだろ!」
ナニ言ってんだコイツ!?
「だが、昨日は自分から見せていたではないか!」
いや……まあ……そうなんだが……
だったら、昨日みたいに怯えやがれ! 見たがる相手に見せるほど、オレの身体は安くねェんだよ!
……ダメだ。
この提督はダメだ。
頭でもぶつけたか?
昨日までと人格違いすぎるだろ。
こんな提督、オレの手に負えねェ。
頭が参っちまう。
「頼む……廊下で待っててくれ……。そしたら、今日一日何でも言うことを聞く従順な秘書艦やってやるからよ……」
ゲッソリしてきたオレは、口先だけの約束で、何とか提督を部屋から追い出すことに成功した。
が……
そんな約束守ってたまるかバーロォ!
オレは特急で一張羅を着込むと、そのまま窓から……
窓から……
……開かねェ。
何でだよ! 建て付け悪ィな……ってオレが龍田に頼んで留めてもらったんじゃねェか!
どーすんだよ! あんな約束しちまったら、出るに出れねェよ!
そこに、無慈悲なノックが追い打ちを掛ける。
「天龍? 何かあったのか?」
ハハハ……もう……どうすりゃいいんだよ……龍田……助けてくれよぉ……龍田ァ……
***
自分で撒いた種、とはまさにこの事か。
オレは自ら被害を拡大させて、提督と共に執務室へと向かっている。
が……
恥ずかしすぎて
何でも言うことを聞く、とは言ったが……いきなりこんな羞恥プレイを強要するかよ!?
これは、他の誰にも見せられねェ。だから、せめて人通りの少ない道で……って頼んだが……遠回りってのは遠いぜチクショウ! もう最短距離の倍は歩かされてる気がするぞ。
その間ずっと……提督はオレの手を離さねェ。手を繋いで歩きたい、とか子供みてェなこと言いやがって……!
「その……天龍、さっきは悪かったな」
「あぁ?」
さっきどころか、いまも悪ィよ。
「アレだ……接吻……など……」
……ぅ……、それをわざわざ蒸し返すか!?
「フン、あんなの、蚊に刺されるより涼しいぜ」
照れるのも悔しいから、オレは全力で強がってみせた。が……この場でこれはマズったらしい。
「ん……そう言ってもらえるなら……」
提督は横目でチラチラと周囲を窺う。誰もいない道を選んできたから、当然誰もいない。まさか……オイ……!
「もう一度……いいか……?」
いいわけねーだろ! ……とはいえ、何でも言うこと聞く、って約束だし、コイツはもうやる気満々で目を閉じて接近中だし……!
えぇい! こーなったら何度でも付き合ってやる!
こんなもん、蚊に刺されたほども……
蚊に……
ん……
提督の身体って、こんなにしっかりして硬いのに、唇はこんなに柔らかいんだな……。龍田との触れ合いも嫌いじゃねぇが、こうやって肩をしっかりと受け止められるのは……安心する……
何だか妙な気分になってきたな……。ちょいと、サービスしてやるか。
「……んっ!?」
フ、驚いてる驚いてる。当然舌入れなんて初めてだろうからな。だが、お前が言い出したことだぜ。本当のキスの味ってのを存分に味わいやがれ!
「ん……ふ……んちゅ……ん……」
あー……いいなぁ……こーいうの……。全体重乗せて抱きついても揺らぎもしねェ。大きな腕に支えられて、身を任せるってのも――
バサバサバサァっ!
「っ!?」
どっかの木から鳥が飛び立つ葉音が聞こえてきて、オレはようやく自分がしでかしていたことに気が付かされた!
「はぁ……天龍……天龍……」
おい……何だよ、その目は……ナニ見惚れてんだよ。
ナニ期待してんだよ。
テメェが変なこと言い出すから……ついノっちまっただけだ!
「オラっ! あんま道草食ってると仕事が始まんねェぞ」
呆けてる提督の手を引いて、オレは先を急ぐ。
……ん? こうやって引っ張っていく分には……あんま恥ずかしくねェのかも。
んで、規定時刻から一時間ほど遅れてようやく執務室に到着。だが……あれこれ頼んだところで、オレにゃ無理だぞ? 字が汚ェのは提督だって知ってんだろうし。
「それでは、今日のところはこれを使ってくれ」
提督から手渡されたのは……竹刀か?
「官邸内に持ち込めるのはコレが精一杯でな。型の修練くらいにはなるだろう」
「ん、まぁ、そうだな」
とはいえ、やっぱ竹じゃあ軽ィなぁ……。握ってる感じがしねェよ。だが、ま、無いよかマシか。
目を閉じて、オレは敵の姿を思い描く。至近距離からの砲撃と交差するように踏み込んで……斬る!
「うむ、お見事」
机で一人業務に向かいつつ、オレの一閃に賞賛を送ってくれた。提督にも、オレと同じものが見えていたらしい。なるほど、百戦錬磨は伊達じゃねェ、ってか。
だが、ひとつ気になることがある。
「なぁ……提督、訊いていいか?」
「何をだ?」
「オレ……何で呼ばれた?」
ココに来て、竹刀渡されて……オレ、いる意味なくね?
「私が……お前に傍にいて欲しいからだ」
ってぇ……恥ずかしげもなくまたそういうことを言う! オレがお前の傍にいる、って意識しちまうじゃねェか!
こうなると、もう敵の姿は見えない。目を閉じて浮かぶのは、オレと……提督……
提督の視線を感じる。
提督がオレのことを見ている。
くぅ……ダメだ……。見栄えばっかで、こんなの実戦じゃ使えねェ!
「ほう……剣舞、というやつか。……美しいな」
結局、ところどころで小休止を挟みつつ、オレは二時間ほど踊りっぱなしだった。……何やってんだ、オレ。艦娘は踊り娘じゃねェぞ。だが、昨日の今日だ。早く戦わせろ……とは言い出しにくい。
そして、ついには……
「天龍……そろそろ昼食時なのだが……その……」
出た! その乙女顔! 頬を染めるな、照れるだろ!
「一緒に、食事に……行かないか?」
だーかーらー! 何でそんな溜めて言うんだよ!? メシくらい普通に誘え! デートじゃあるまいし!
ダ……ダメだ……無理無理! こんな雰囲気の中でチョコパフェなんて食ったら、絶対言われる! また言われる!
「ま、まあ……待てよ、提督」
クソ……お断りの雰囲気を漂わせただけでそんなにしょげるか。たかがメシひとつをどんだけ楽しみにしてたんだよ。
「何でも言うことを聞くとは言ったが、それは、その……
愛想笑いを飛ばしながら、なんとか提督の束縛から逃れようと必死の弁解を試みる。ハァ~……何でオレ、こんな気ィ使ってんだか……
「私との食事は……嫌か?」
う……、嫌じゃあねぇけど……
「すまねェが……せ、先約が……」
ねェけどな。
「もしかして……龍田か?」
「そっ、そうそう! 龍田と食いに行く約束しててさぁ~! いやぁ、悪ィ悪ィ! 提督とはまた今度な~!」
嘘がバレねェうちに、オレはそそくさと執務室から逃げ出した。しかし、そーなると、意地でも龍田を探し出さねェと。だが、アイツがいそうな場所なんて……と思い返していたが……もしかして正門前でブラついてんのは!?
「はぁい、天龍ちゃん、お疲れぇ~♪」
「た……龍田ァ……」
さすがは相棒だ。いつでも期待に応えてくれるぜ……!
「デスクワークで疲れてるかなァって。甘いもの食べに行こぉ❤」
疲れてる原因はソレじゃあねェが、その心遣いは沁みるねぇ……
「あぁ……やっぱ龍田は龍田だなァ……」
「んん~? 天龍ちゃんは天龍ちゃんじゃないのぉ~?」
このままだとオレがオレでなくなっちまうみてェだ。
あー……コイツとのひとときで、自分を取り戻しておかねェとな。
ということで、例のサ店で今日はイチゴパフェ。クゥ~……癒やされるぜぇ~。
「変な言い訳してないでぇ、提督とお食事してくれば良かったのにぃ~」
「バカ言え。あの男の前でこんな恥ずいモン食えるか」
実のところ、龍田以外の艦娘の前でもちょいと気が引けるくれェだ。ぶっちゃけ、ガラじゃねェよな、こういうの。
「それにしてもぉ……提督、随分積極的になったもんだねぇ」
「積極的って……変なこと言うなよ」
それじゃあ、提督がオレのこと、好き……みてェじゃねェか……
というか、好き、なんだろうな……
それも、
よりにもよって、
オンナって意味で。
あそこまでガンガンに言い寄られたら、さすがに他に捉えようがねェからな。
だが、解せねェ。自分で言うのもアレだが、初日の初対面から徹底的に弄り倒してきたんだ。嫌われこそすれ、惚れられる理由なんてあるわけがねェ。……やっぱ、ぶっ壊れたんかなぁ……
「良かったね、天龍ちゃん♪ 提督と仲良くなれてぇ☆」
「良かったように見えるか……?」
嫌味かよ。昨日まではちょっと脱げば何でも押し通せるチョロい男だったのに、いまではむしろ普通に喜びやがる。どんなに脅しても動じねェし、妙に乙女チックでこっちが気を回しちまう。
あああああ! ったくよォ! 元のヘタレ提督に戻ってくれェ!
そんなオレの苦悩も知らずに、龍田は、
「うん、良かったように見えるよぉ♪」
なんて呑気なことを言いやがる。
「だとしたら……テメェの目は節穴だ」
クソっ、こっちの身にもなってみやがれってんだ。
「私の目はぁ、天龍ちゃん専用電探だよぉ? ピピ~☆ 天龍ちゃんのほっぺにクリームはっけ~ん♪」
ん? どこだ? 龍田の指が迫ってくる先に付いているようだが――
プニ。
オレの頬に指先が触れる。
が、龍田の指はまだオレの目の前だ。
じゃあ、この指は一体……って……まさか……ッ!?
「お前、こういうの好きなのか……
「どっから涌いて出たああああああああああああ!?」
嘘だろ!?
神出鬼没にも程があるわ!
ストーカーかよ!
追われてんのか、オレ!?
思わず椅子から転げ落ちちまったオレを無視して龍田は提督の方に困った顔を向けている。
「も~……出てきちゃダメじゃない~」
「スマン、可愛すぎてほっとけなくてな」
それを……それを言うなぁ! オレがそんなっ……そんな……っ! どうすりゃいいんだよオイイイイイ!
「――っ! 天龍、危ない!」
悶えるオレに向かって提督の手が突き出されるが、
「
今度はナニをやらかす気だ! とオレはその手を振り払う。
が、次の瞬間……
ゴッ。
頭に鈍い痛みが走り、それと同時にベチョリと頭が冷やされていく。それに続いて……ゴロッ……ゴロゴロ……と床の上を何かが転がっていく硬い音が聞こえてきた。
「割れてなぁい? 丈夫な器で良かったねぇ」
良くねェよ。
何も良くねェよ。
……クソっ……チクショウ……!
何で……何だってオレがこんなメに……
「チクショーーーーーーーー!!!」
オレは龍田も提督も、ひっくり返した食べかけのイチゴパフェも置き去りにして、衆目の前から逃げ出した!
大通りを走るオレに、道行く連中は奇異の視線を向けてくる。
見るなッ!
こんな……この天龍様が頭から白濁まみれになって人混みを逃げ回ってるハズがねェだろ!
秘書艦様だぞ!?
第一艦隊の旗艦様だぞ!?
そのオレが……チクショウ……チクショウ……!!
とにかく頭だけでも洗い流すために、オレは一先ず宿舎より近かった官邸の方に駆け込んだ。確か、シャワールームとかあったはずだし。
いまはすぐにでもすべてを洗い流してェ。生クリームも、屈辱的な記憶も。
脱衣所に着いたオレはファンシーなピンク色でベトついた服の襟元を緩めてポンポンと脱ぎ捨てていく。そして、個室のひとつへ適当に飛び込んで蛇口を捻れば――
「冷てェ!」
そりゃあ、そうだよな。だが、すぐに温かくもなるだろ。しかしココ、共有のシャンプーだのその手の類のモノが一切ねェな。水だけで落ちるかねぇ……。それに、服はどうにもならねェし。せめて、ヘッドユニットくらいは一緒に洗い流しておくか。は~ぁ、もう
何だか……酷く疲れちまったな……。オレはタイルの上にベシャリと胡座をかいて、ようやく熱くなってきた湯の雨を
これはきっと……神罰だな……。神にも負けねェ! ……なァんてイキってたから、神さんが提督に電波を送って、性格を反転させちまったんだろう。そうに違いねェ。そう思わなきゃやってられん。
だったら……祈るしかねェな、もう。頼むから、提督を元に戻してくれ……。あんなのと一緒にいたら、オレの方が……壊れちまう……!
そこに、ガララ……と引き戸が開けられた音が……? 誰か入ってきた……って、まさかあの男、ここまでやるのか!?
「天龍ちゃぁん、シャンプーとか替えの服、持ってきてあげたよぉ~♪」
「た……龍田かよ……サンキュ」
……ふぅ……脅かすなよ……。提督が背中を流してやる、とか言い出したら、さすがにぶん殴ってやろうか……と……――
「龍田……本当にいいのか……?」
「ん、だいじょぉぶ☆ 私がアリバイになってあげるからぁ。天龍ちゃんはぁ、
は…………
「謀ったなァ!? 龍田ァァァァァァ!!!」
素っ裸で戦えるかよ!
チクショウ!
見るな!
近寄るな!
どっか行けェ!!
「てか、龍田も見られてるぞ! いいのかよ!?」
ふたり並んで全裸で入ってくるとは思わなかったぜ! 人のこと大胆とか言っておきながら、コイツは……!
「平気よぉ、だってぇ、提督、
あ……あんだって……?
……確かに、提督の見惚れきった目つきは、オレの
コイツは、ただ女体に食い入るスケベ提督じゃねェ。
オレだけが……
「龍田……何でだよ……何でこんなことを……?」
どうして提督にオレを襲わせる? オレ……お前に何かしたかよ……?
だが、龍田はオレの問いに答えない。オレの問いに対して、更なる問いで返してくる。
「逆に訊くけどぉ……天龍ちゃんは、
「な……ナニ言ってんだ?」
龍田の考えてることがさっぱり解らねェ!
「
まさか……龍田のヤロウ……オレが提督のこと……ンなわけねェだろ!?
「私の両目は心眼だよぉ♪ もっと素直になったらぁ?」
そう言いながら、龍田は提督の腰をポン、と叩く。これがこの男のスイッチになっていたようだ。
「天龍……スマン……私は……もう……ッ!」
血走った目でオレを
***
ん……あ……。朝、か……。外が随分明るいが、目覚ましは……って、九時過ぎてるじゃねェか!
寝惚けて止めたか!?
掛け忘れたか!?
ヤベェ! 遅刻だ!
急がねぇとアイツが……アイツが来る……!
ベッドから飛び起きながら寝間着を脱ぎ捨て、下着も替えずに普段着を身に纏う!
急げ! アイツが……アイツが来る前に……ッ!
ガチャリ!
「おっ! ……おお、天龍……遅いから迎えに来たんだが丁度良かったな」
扉を開けたところに出くわしたのは……ク……クソめ……。あと少しだったのに……間に合わなかった……!
「さ、行くぞ。お前がいないと何も始まらん」
そう言ってさり気なくも図々しくオレの手を握ろうとして気がやる。
バッ、とそれを振り払ってオレは
チッ、何て目ェしてやがる……。そんな悲しげな顔されたら、こっちが罪悪感で胸糞悪くなるじゃねェか!
黙って情けない男の前まで戻ると、物欲しそうにしている手を掻っ攫って職場に向けて引っ張っていく。が、時間が時間だ。誰とも遭わずにこっそりと、とはいかねェ。
「天龍さん、今日も司令官さんと仲良しなのです」
「うふふ、羨ましいわねぇ」
クソっ、クソっ、クソっ! 見るな! オレたちを見るんじゃねェ!
そんな風に冷やかすな! こっ恥ずかしくて
真っ直ぐ向かえば五分も掛からねェのに、今日も
うっかり寝坊するといつもコレだ。朝っぱらから調子狂うぜ。頭は
この男、何のつもりでこんな嫌がらせを……。
その上、こないだ
「天龍……私は……その……」
ようやく周りに誰もいないところまで逃げてきたのに、ここで提督はピタリと立ち止まる。だから、手ェ繋ぐのは嫌なんだよ。軽く腕を引き寄せただけで、こうして簡単にヤツの胸の中に取り込まれちまう。
「少しだけ……な? 仕事の前に……」
なぁにが少しだけ、だ。いつも少しじゃ済まねぇクセに!
でも……まあ……ここで拒むとスッゲェ凹むんだよなぁ……
だから、キスだけだ。
キスだけだぞ、付き合ってやるのは。
「ん……んふ……ぅぅ……ふ❤」
舌くらいは入れてもいいが……
ここから先は絶対にダメだからな?
絶対に、これで終わりに――
これだけで――
…………
乱れた衣服を直しながら、オレたちはようやく執務室に到着した。
濡れたパンツが気持ち悪ィ……。早く穿き替えねェとな――って、秘書机に下着の予備を用意してる時点で我ながらどーかしてるぜ。
時間は……と、げぇ、もう一〇時過ぎてるじゃねーか! ざ……残業なんてしねェぞ! テメェに付き合っててこうなっちまったんだからな!
とはいえ、業務っつーても……オレは相変わらずこうして部屋の中で竹刀を振り回しているだけ。足を引っ張ることはあっても、手伝いなんぞしたことがねェ。
だが、それでもコイツはオレをここに置きたがる。纏わりつくような熱視線を送るために。
そんな雑念を振り払おうと、オレはすべての神経を竹刀に集中させる。オレは艦娘……軽巡洋艦だ。深海棲艦を屠り、弱き民草を守るのがオレの存在意義――
「……やはり、天龍は可愛いな」
がはっ……!?
バ……バッキャロウ! どーしてここでそゆことゆーかね!?
クソっ……もうダメだ……目頭の熱が下がらねぇ。これじゃあ、またオレの剣がアイツに見せるためだけのヘッポコ踊りになっちまう……! 本当にもう……勘弁してくれェ……
どうしてこんなことになっちまったんだ。
何でこの天龍様ともあろう
どこで間違って、どうしてこんなことになっちまったのか、全然分かんねェよ!
……あぁ……提督よぉ……本気でオレはテメェが怖いぜ……