ほのぼの回のつもりが、割とそうでもない感じになりました。
薫は五番隊の執務室へ訪れた。扉をノックすると、何十年も共に仕事をしてきた後輩の声がした。ここに帰ってくるのはほんの四日ぶりのはずなのに、随分と長い間ここを離れていたような気がする。
「やァ、森田、日下。久しいな」
「貴方はもしや……!」 「え、誰っすか?」
一呼吸おいて、薫は言葉を押し出した。
「僕の本当の名前は百目鬼薫。この百年、橘昴として名と姿を偽って生きてきた男だ。今まで君たちを騙してきて、本当にすまなかった」
「ふわあぁ~!話には聞いてましたけど、百目鬼さんってマジで美形すね」
「……はァ?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。いつものことながら、日下がいるとイマイチ空気が締まらない。どうしたものかと薫が思っていると、日下は続けた。
「いや、今のは冗談すよ、冗~談!百目鬼さん、話は聞いてるっすよ。この百年、敵討ちのために仕方なくやったことだって。そんなら良いんすよ、別に。相談してほしかったなとかはちょっと思ったりするけど、貴方のやったことは間違ってないって俺は思う。だから良いんす!騙してたとか、そんなことは!」
「皆が貴方のように単純な訳じゃない‼」
森田が両手で机を叩いた。これが普通の反応だ、と薫は冷静に思った。特に森田は真面目な男だ。納得などできようはずはない。
「~~っ!わかっています。日下五席が言ってることが正しいんだって!でも、理性と感情は別なんです!」
「そうだよねぇ」
ぎょっとして薫たちが振り返ると、京楽、浮竹、そして――ルキアが立っていた。
「ごめんねえ、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどさ」
ひらひらと手を振る京楽からルキアが一歩前に出た。
「百目鬼殿……我々のことをどう思って今まで過ごしていらっしゃったのですか」
そう尋ねるルキアの目は、悲嘆にくれたものでも怒りに震えたものでもなかった。唯ひたすらにその答えを求めるのみの、純粋な瞳だった。
その瞳に薫は真っ直ぐ視線を返す。
「或いは先輩として。或いは後輩として。或いは友として。或いは同志として――――挙げればきりがないが、これだけは言える。僕が”昴”であるために必要であったこと以外の全ての僕の言動に嘘・偽りは無い。誓うよ」
「それさえ聞ければ十分です、百目鬼殿」
満面の笑みでそう言うルキアは、今までに見たことがないほど晴れ晴れとした顔だった。
「本当に?僕ァ君を、藍染を討つための駒にしようとしていたんだぞ?」
「良いのです。それでも貴方は私を救ってくれた。でももう、二人目の私を作らないでください」
「勿論だ」
これを黙って聞いていた日下と森田は、やっと口を開き始めた。
「ほら、当人たちもああ言ってるじゃないすか」
「…………」
薫がそちらの方へ向き直ると、森田は顔を伏せたが、すぐに姿勢を正して薫の目を正面から見つめた。
「百目鬼さん、僕は曲がったことが嫌いです。だから、貴方のことを最初に聞いた時許せないと思った。今まで素知らぬ顔で我々を欺いていたんだ、と。しかし、貴方がそうするに至った経緯や今までのお二人の会話を聞いて考えを改めました。貴方の心根は橘四席と変わらない。今はまだ僕の心の整理がついていませんが、僕は貴方と以前の様な関係でありたいと、そう思っています」
薫は、つくづく良い後輩を持ったと思った。いや、違うな。これは―――
「僕は本当に良い同志を得られたのだな」
思わず口から零れた言葉は、薫自身の顔を赤く染めるのに十分すぎる威力を持っていた。
「昴さん」
つい反射で振り返る。百年の間に染み付いた癖は中々抜けるものではないな、と苦笑した薫は、声の主を見つめなおした。
「意地悪なことをしてくれるね、七緒殿」
京楽隊長が来ていたからもしやとは思っていたが、やはり彼女も先程の話を聞いていたようだ。
「薫さん、本当にお久しぶりです。貴方からしたらずっと一緒に居たも同然でしょうけれど」
彼女は戸惑いながらも毅然と振舞っている、という風だった。それもそうだろう。彼女が最もプライベートで昴と接していた人物なのだから。
「そうだね。七緒殿、君は…本当に強くなった。もう鬼道で君に敵う奴などいないだろう。僕を含めて、ね」
「そんなことありません…私はずっと、過去の貴方を目標に鍛錬してきて、貴方にまだ及んではいない。足りていないんです」
伏し目がちにそういう彼女は、いつもの気丈な姿からはかけ離れていた。
それを見た薫は、やれやれと息を吐くと腕を組んで首を傾げた。
「全く、どうしてそう自信無さげなんだ?胸を張って良いんだ。君は確かに僕よりもずっと成長しているよ」
「本当…ですか?」
「あァ。嘘は吐いていない」
「もし、本当に私のことを対等以上だと思ってくださっているなら、これから私のことをただの‘‘七緒‘‘で呼んでくださいませんか」
何故?と薫が思ったのは言うまでもない。今までの七緒ちゃんや七緒殿から殆ど変わっていないと思ったが、素直に従うことにした。
「勿論だよ、七緒。なら、僕のこともただの‘‘薫‘‘と呼んでくれて構わない」
七緒は一瞬固まった後、嫌です、と首を横に振った。
「薫さんは年上ですから、さん呼びも敬語も外しません」
「別に良いのに。あァ、でもその心意気は冬獅郎に教えてやってほしいな」
二人でクスリと笑った。きっと十番隊舎では派手にくしゃみの音が鳴り響いていることだろう。
結局その後も数日にわたって謝罪周りは続いた。大抵の場合は今はそれを受け入れる余裕は無い、だったり、元々関りが薄かったせいで影響がないかのどちらかだった。寂しい反応ではあったが、想定済みの事態だ。それに、どうせ薫はもう直現世へ行くのだ。ほとぼりはいずれ冷めていくだろう。
そして、結局後回しになっていた十一番隊に彼は来ていた。
(副隊長のこともあるし、ちゃんと謝りにいかないと。でもなァ、彼女に会うってことは、更木隊長に会うって事と同義なわけで)
うじうじ薫が悩んでいると、後ろから声がした。
「なんだあ?お前、ウチに何か用かよ」
「あ~~!かおるんだぁ~!」
この声は………
恐る恐る薫が振り返ると、そこにはやはり更木剣八と草鹿やちるがいた。
「ご無沙汰してます。草鹿副隊長、あの時は緊急時とはいえ、女性に対して失礼な真似を働いてすみませんでした!」
全力で薫は頭を下げた。‘‘あの事‘‘とは、双極の丘でやちるに白伏を掛けて昏倒させたことについてである。
「あはは!かおるん、まだ気にしてたの~?いいよ~、別に、全然怪我とかしなかったし!」
「ああ?やちる、そんなんで良いのかよ?折角なんだからちょっと斬って詫び入れさせるくらいさせればいいじゃねえか」
「あたしは忘れてたくらいだったし~。じゃあかおるん、ケンちゃんと試合してあげてよ!最近体が鈍っちゃってるんだって。ね~、ケンちゃん?」
結局こうなるのである。
斬魄刀の解放有り、白打有り、鬼道有り。結局何でもありで薫と剣八はタイマンを張ることになった。
「もう一回確認しますけど、致命傷に至る寸止めで試合終了ですよね?寸止めですよね?」
口ではそうだと言いながらも、あれは絶対本気で斬りにかかってくる。全く、何が悲しくて護廷十三隊最強の十一番隊の隊長と本気でやり合わなければならないのか………
うっかりすると目から水が零れそうだ。
審判役の綾瀬川弓親も同情しているのが伝わってくる。
「隊長、程々で切り上げてくださいね。それでは、両者構えて――始めっ!」
雄叫びを上げながら剣八が迫ってくる。仕方がない、これはやちるへの謝罪を含めているのだ。暫く打ち合って、人が増える前に一発アレをかまして退散するとしよう。現世への出立前だから、自分が斬られるのは無しの方向で。
ガアン!
剣八の重い一撃で、二人の試合の火蓋が切って落とされた。
「ほぉ!良い度胸だな、一護。良いのか?病み上がりだろうが手加減はしねーぞ?」
「病み上がりはお互い様だろ。つうか別に病んでねよ。怪我してただけで」
十一番隊の道場で一角と一護は言い合いになっていた。怪我を負ったときは病み上がりと表現するかどうかという議論だ。
「おおーし、わかったぁ!じゃあ、こいつで勝った方が正しいってことでどおだあああ!」
「おおし、来い……って、あれ?なあ、一角。何かものすごい勢いでこっちに向かって来てるものがねえか?」
一角も耳を澄ますと、何やら叫び声らしきものと共にこちらへ何かが来ているのが最早耳を澄まさなくても聞こえてきた。
「なんだあ?騒がしいな。一体――」
そこまで一角が言ったところで、道場の戸が荒々しく開いた。駆け込んできたのは――薫だった。
「薫さん⁉」
「あァ、一護じゃないか。こんなところで奇遇だな。おっと、済まんが今はそれどころじゃないんだ。先に失礼」
薫が意味深に笑いながら窓から飛び出していったのを呆然と二人が見ていると、もう一つの足音が駆け込んできた。
「百目鬼ぃぃぃ!待ちやがれ!あん?何だ、一護じゃねえか」
「イッチ―、はよーっ!」
「傷はもう良いのか」
姿を見せたのは剣八とその肩の上に居るやちるだった。
木刀を持っていない方の手で親指を立てて一護は答えた。
「おう、お陰様でもうバッチ――」
ザンッ
「リ――?んぇ?」
自分の木刀の先が消えたのを見て、一護は薫がこの元凶だというのを悟った。
「百目鬼に逃げられて丁度体を動かしてえと思ってたところだ。一護お前、付き合え」
薄々察していた言葉を聞くや否や、一護も薫と同様に逃げ出した。
というか、本能的に体が剣八から距離を取るために全力で行動を起こした。
「あっ、待ちやがれ!」
「あはは!ケンちゃんイッチ―にも逃げられてる~!」
嵐が過ぎ去った後、トタトタと弓親が走ってきた。
「隊長、もう諦めてくださいよ~」
「弓親か。隊長ならもう行っちまったぞ?何があったんだよ」
「一角!も~、見てたなら止めてよ。大体想像つくでしょ?」
げんなりした弓親を見て、またかと一角は口角を釣り上げた。
「ははは!百目鬼の奴、ま~た逃げ切りやがったのか!あいつもよくやるぜ」
「いや、今回彼は試合を受けたよ。何でも、副隊長へのお詫びとか何とかで」
それを聞くと、一角の顔色が変わった。
「何だと⁉そんなことになってたなら呼べよ!てか、どうなったんだよ!」
「一角ったら、久々の鍛錬って興奮してそれどころじゃなかったくせに…いいけど。百目鬼さんが勝ったよ。嫉妬するくらい美しくね。隊長の首筋に刀を突き付けてお終い」
それを聞いて、一角は違和感を覚えた。更木隊長は自他共に認める戦闘狂だ。そんなヒトが、首筋に刀を突き付けられたぐらいで試合を終えた?
「隊長が負けを認めたのか?」
「どうだろうね?少なくとも、あの時隊長は動きを止めていた。寸止めってルールだったから、審判の僕が隊長の負けを判断したのさ」
隊長の動きが止まった?一護の刀を顔に受けても突っ込んでいったあの隊長が?
百目鬼が何かしたとしか考えられなかった。
(あの野郎、何をしやがった?)
その笑みは、いずれまた戦ってみたいという闘争心を映し出していた。
翌日
今日はとうとう、黒崎一護一行が現世に帰る日だ。穿界門の前には、見送りに何名かの死神が来ていた。薫もその一人だ。
「薫さん、アンタは一緒に行かねえのか?」
一護が不思議そうに首をかしげる。
「あァ、僕の出立は明日だ。あまり一気に渡航するのは鬼道衆の負担が大きくなってしまうからな」
「そうなのか。迷惑を掛けちまうな」
「ふふッ!元を辿れば迷惑を掛けたのは護廷十三隊。君たちが気にすることなど無いよ。これくらいは当然だ。まァ、僕ァ全然開門に携わってないが!」
薫が笑っていると、後ろから浮竹が声を掛けてきた。
「ちょっといいかな。一護君。君に、これを」
「浮竹さん!……何すか、これ?」
「〈死神代行戦闘許可証〉――現れた死神代行が尸魂界にとって有益であると判断された場合、古来よりそれを渡す決まりになっている。これを使えば、いつでも君は死神になれる。勿論、君のしてくれたことにこんなことで報いきれるとは思わないが」
「良いっスよ、そういうのは。俺は俺の都合でやったんすから。こいつはありがたく貰っときますけどね」
にこりと笑う一護を見て、何とも清々しい男だ、と薫は思った。なにか惹きつけられる魅力がこの男には有る。
それは浮竹も同じだったようで、彼もまた微笑んでいた。
「―――時間だ」
「じゃあな、ルキア」
「ああ。ありがとう、一護」
「こっちの台詞だ。ありがとう、ルキア」
―――――お蔭で、やっと雨は止みそうだ。
穿界門を彼らが通っていった後もそこを見続けていたルキアに、薫は歩み寄った。
「ルキアに出会ったのが彼で良かった。君も僕も、あの男に救われてしまったな」
「ええ。大きな借りができてしまいました。薫殿、どうか向こうで一護たちを宜しくお願いします」
薫を捉えた彼女の双眸は、彼らに対する信頼に満ち満ちていた。
「ふふッ!全く、君ァ全然彼らのことを心配していないじゃァないか!良いとも!僕ァ邪魔にならないようせいぜい努力するとしよう」
「なっ!そういう意味ではありません!」
冗談っぽく笑う薫に真面目に訂正しようとする彼女は、最早以前のような影を脱ぎ去っていた。
(本当に良かった。ありがとう、黒崎一護。君が救ったのは、ルキアの生命だけじゃない。魂も洗い流してくれたんだ)
今日の空は彼女の心を映したかのように晴れ渡り、面白おかしく浮かんだ雲には彼女の楽し気な未来が映り込んでいるかのようだった。
そう、折角いい気分だったのに。
ひらりと一匹の黒い蝶が彼の指に舞い降りるまでは。
さてさて、そろそろ主人公も現世です。
さっさと行かせたいんですが、次話とこれを繋げるのは分量的に多すぎました。
デジャブ…
きっとこれは気のせいではありませんね。
技術不足はどうしようもありません!
すみません!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!