喜助、一心、薫の三人が浦原商店に戻ると、客間に通された。
口火を切ったのは薫だ。
「”あらんかる”とは何です?」
一心はちらりと喜助を覗いていたが、喜助の方は薫から目を離さなかった。そうっスねえ、と彼は呟くと、一呼吸おいてから語り始めた。
「正確には”仮面を破ったモノ”の意味で”破面”と書いて”アランカル”と読みます。崩玉の力を用いて
「崩玉…!成程、藍染の手のものですか」
「それで間違いないでしょう。まあ、今回の破面はこちらの戦力の様子見程度に送って来ただけでしょうが」
それを聞いて薫は眉を顰めた。
(あれで様子見、か。一般の隊士では手も足も出ないレベルだったな)
「まだ上があるということですか」
「ええ。アタシはそれを成体と呼んでますけど、
虚の集合体、
考え込んでいた薫に、今度は喜助が切り出した。
「そこで百目鬼サン、貴方に三つ”お願い”を聞いてもらう権限をアタシにくれないっスかね」
「嫌です」
「即答っスか⁉」
顔を上げて喜助を見る。声はおどけているが、表情は真剣そのものだ。
「何故?」
「……浦原さん。貴方のヒトトナリは兎も角、僕ァ貴方のその悪魔的なまでの頭脳を信頼してます。信奉してるとすら言っても良い。だから、基本貴方の言には従います。それは貴方も分かってるはずです。その上で僕にそれをねだるって事は、僕が我慢できないような何かが起こるって事なんでしょう?例えば、大勢を見殺しにしなくちゃァならない、とかね。僕の信条は”自分の声に従う”です。そこは譲れない」
「若いっスねえ」
喜助の呟きは、薫をビビらせるには十分な重圧を含んでいた。彼の放つ殺気に近い冷気は、薫の全身の細胞を震え上がらせた。
「貴方は今の御自分の立ち位置を理解していらっしゃらないようだ」
薫は反論できなかった。口が、思考が動かない。
「藍染の能力が未知数な中、貴方の攻撃が有効である――どころかほぼ致命傷まで持っていけるという事実。隊長格の生粋の死神の中で唯一〈鏡花水月〉に掛かっていないという事実。そして何より藍染にとっても貴方の力が未知数であるという事実。これらがどれだけ今後の我々のアドバンテージになるか理解できませんか?貴方の行動一つで状況が180度変わる可能性だってあるんだ。そんな嘗めたこと、言ってる場合っスか?」
「………なら、何故三つなんです?それ程大事なことなのに」
脂汗をそっと拭う。まだ体の強張りが緩まない。
「百目鬼サンのお察しの通りっスよ。”お願い”は惨いものばかりなんです」
「……分かりました。受けます。浦原さんがそこまで言うなら、必要なことなのでしょう」
「勿論っス」
やっと緊張の糸が緩んだ。やっと真面に酸素を吸いなおせたような錯覚を覚えた。
「ちょっと待て。藍染を致命傷に⁉何の話だ!」
置き去りにされていた一心が入ってきた。喜助はまだ説明していなかったらしい。
喜助がここ百年のざっくりとした薫の行動を伝えると、一心は頭を抱えた。
「じゃあ、なにか?俺が昴ちゃんだと思って話してたのが実はそこの百目鬼だったって事か⁉」
「信じられませんか?」
「当たり前だろ!そんなの”はいそうですか”って受け入れられる方がどうかしてるぜ」
「そンじゃあ」
喜助が突然薫の方へ振り返って、持っていた杖を薫の額に押し当てた。
途端、薫の魂魄が義骸から押し出された。
このタイミングで死神化させられたということは、そういうことだ。
立ち上がって斬魄刀を構える。
「はァ…さざめけ、〈波枝垂〉―――――二ノ型、
薫は昴に化けると一心に向き直った。
「お久しぶりです、志波隊長?ちょっと老けましたね」
呆気にとられる、というのはこういうのを言うのだろう。一心は驚きすぎて目をぱちくり、ついでに口もパクパクさせて中々面白いことになっていた。
「冬獅郎には見せられない阿保面ですよ?あの子はあれで中々貴方のことを尊敬してたんですから、さっさと顔を戻してください。男の驚いた顔なんて需要無いんですよ」
「その毒舌っぷり…本当に昴ちゃんか…マジで⁉」
「往生際が悪いッ!」
一心の周りの空気を刀で撫でる。〈彼女〉に振動を弱められた空気の分子は、寒さという形で知覚される。
これは何も空気に限った話ではない。
温度というものはその物質を構成する粒子の振動の大小によって決まる。そのため薫は純粋な〈彼女〉の能力だけでそれを〈氷華〉に偽装できていた。
「寒っ!これは確か、書類仕事サボろうとしたときに脱走を防ぐためとかで彼女がやった技!」
「いつの脱走の話ですか…貴方ほぼ毎日脱走企ててたくせに」
とうとう信じざるを得なくなった一心は目を閉じて眉間に皺を寄せた。うぬぬ…と奇声を発している。
これは時間がかかりそうだ。
薫が喜助の方を向くと、喜助は楽し気に口の端を上げていた。完全に遊ばれている。
「浦原さん、もうこんな時間ですけど、彼を家に帰さなくていいんですか?」
「こんな時間⁉今何時だ?」
一心が飛び上がる。時計が指しているのは六時五十五分だ。
「何ィィィ!後五分で帰らねえと!ウチの夕食は毎日七時なんだ‼」
どたばたと一心は出て行った。家族思いのようで何よりだが……
「それじゃあ百目鬼サン、この続きは夕食の後にしましょうか!」
まだまだ、夜は終わらない。
「さて、そんじゃあ続きといきますか!百目鬼サン、地下勉強部屋に移動しますよお!」
ポン、と両手を重ねて食事を終えた喜助はそう言うと、食卓から立ち上がろうとした。
「ちょっと待ったあ!店長、ちゃんと食べ終わった皿は片していかなきゃ明日の茶菓子は抜きだぜ?」
元気すぎる声で注意しているのはここ浦原商店で世話になっている少年の花刈ジン太だ。昨日は彼の方が喜助にそう言われて皿を片付けさせられていたから、その仕返しのつもりなのだろう。
「ジン太くん、喜助さんは大人なんだからそんな事言わなくても出すよ?ね、喜助さん」
自信無さげにそう言うのは
「も、勿論っスよぉ!ごちそうさまでした」
慌てた様子で喜助が皿を流し台に持っていく。あれは絶対に忘れていたな。
「ちぇっ!おい、アンタも例外じゃねえからな!」
ジン太が薫に向き直る。不服そうなその顔は、年相応という感じだ。短気ですぐに手が出るのは玉に瑕だが、人の思いに敏感で思いやりのある子だ。
「ふふッ!勿論だよ。非常に美味しかった。ご馳走様でした」
皿を片付けて移動しようとした二人に、ジン太が声を掛ける。
「なあなあ店長!勉強部屋を使うってことは、ド突き合いするんだろ?俺も手伝おうか?」
ジン太の顔には”手伝いたい!”と書いてある。薫は勉強部屋とやらは初めて入るからどんな所か分からなかったが、ジン太の言い方ではきっとある程度の戦闘をすることができるところなのだろう。ここ数日一緒に過ごしてきてジン太と雨が普通の子供ではないことは分かっていたが、それでも恐らく彼では薫の足元にも及ばない。そんな気がした。
それは喜助も同じだったようだ。
「ダメっすよ!ジン太、君まだ宿題終わってないでしょ?それに、彼はあの時の黒崎サンとは訳が違う。ま、今日はそこまで派手にやるつもりもありませんし」
あの時、というのは一護の力を取り戻させたときの事だろう。喜助にされた修行――もとい
「見に行くだけでも~~!」
「仕方ない。宿題が終わったらの約束、守れますね?」
「守る守る~!」
「わ、私も見たいです……」
指切りをしている三人は完全に薫のことを見世物と勘違いしている。結構大事な話の続きをするはずだったんだが、もう突っ込むのは面倒だ。さっさと済ませよう。
(広ッ!)
勉強部屋の広さは薫の想像を遥かに超えていた。途中からは壁の模様なのだろうが、兎も角端が薫の位置からでは分からない程だ。そして地下のはずなのに青空が一面に描かれており、何故か昼のように明るい。
「こんなことになってるとは…近所の建物の耐震性とか大丈夫なんですか?」
「それは勿論!苦労したっス~!でも、苦労話を始めると本題に入れないんでそれはまたいずれってことで。さて百目鬼サン、さっきの続き―――三つのお願いなんスけど……」
一、 黒崎一護が戦闘及びそれに関わる事物に悩んだり、
二、 破面が現れた際は喜助の指示がない限り戦闘へ介入しない
「最後の三は―――」
ゴクリ、と薫は唾を飲む。既に今までの二つで嫌な予感はひしひしと感じている。一語一語の言葉に喜助の意図が見え隠れしているからだ。最後は―――?
「まだ、お伝えできません」
「……はァ⁉」
思わず大きな声を出す。”まだ”とは一体どういうことなのか。
「いえね、藍染惣右介という男がこれからどう動いてくるか次第では、三を使わずに済みます。できることなら使わずに済ませたい。でももし最後の最後、どうしようもなくなった時のための保険が三なんですよ。だから今はまだお伝えしないでおきます」
「それ程のこと、ということですか」
「ええ。そして貴方にしかできない事っス」
喜助が言いたくないのなら仕方ない。薫がこれからいくら言っても無駄だろう。
「……分かりました。一と二について、詳しい話をお聞きしても?」
一については何故黒崎一護限定なのか、”ある集団”とは何か、積極的にとはどれ位のことか、そして何故干渉を避けねばならないのか。
二については、その理由、目の前で戦闘が始まった時の対応、喜助がどういう展開を予想してそう言ったのか…
聞きたいことは山ほど有るが、取り敢えずはこんなところだろう。
「百目鬼サンにはまだお伝えしてなかったっスけど、黒崎サンには虚の力が混ざってるんスよ」
「死神の虚化ですか!まさか彼も藍染に?」
「いいえ。彼の場合は、死神の力を取り戻す際に
(偶然、ねェ?)
その拷も…修行は喜助主導だったはず。彼もまた虚化のことを研究していた過去がある。どこまでが本当か怪しいところだが、今は話を進めよう。
「そして、虚化をした死神は黒崎サンだけじゃない。本日、彼ら――”
「平子信子元隊長ですね?成程、一護にその虚の力を制御させたい、と。確かに僕じゃァ助言などに意味はありませんね」
「……ここは”な、何故ここに平子元隊長が⁉”ってシーンなんスけど」
食い気味で返した薫に存外残念そうでもないように喜助が言う。それどころか、口元に笑みまで浮かんでいる。
百年前の隊長格の虚化及びその逃走に喜助は深く関わっているのだ。ここでこういう話が出るということは少なくとも当時の被害者の何人かがその集団の構成員のはずだ、という薫の読みは外れていなかったらしい。つまりあの時の被害者は、虚化した自身の力を御することに成功したということだろう。
「ここまで言えば分かるとは流石っスね。頭の回転が速くて助かります。干渉しない、というのは不自然でない程度に、です。黒崎サンの方から相談してきたら話を聞いてあげてください」
「分かりました」
口で言うのは容易いが、その匙加減は難しい。薫が下手なことを言うと、一護の力を削いだり、最悪殺してしまいかねない。
しかし、未知の力に戸惑い苦しむ一護に手を差し伸べられないのは精神的にきついだろう。
「破面については正直どこまでのレベルが来るのか分かりません。最悪、大勢を見殺しにしなくてはならないかもしれない。しかし貴方の力の底を藍染に見せるようなことはしたくないんス。理解していただけますね?」
対応策を出来るだけ取られないように、か。確かにそう行動すべきだ。例え、目の前の人を見殺しに…しても。
「えェ。巻き込まれたときはどうすれば?」
「死なない程度に反撃しながら逃げてください。鬼事はお得意でしょ?」
「まァ。…浦原さん、僕ァ腹を括ったんだ。貴方も、ですよね」
「勿論。地獄の果てまでお供しましょう?」
今度はおどけて言った彼は、しかし今すぐにでも命を差し出せそうな気配を発している。ピリリとした空気を切ったのは薫だった。
「地獄?僕ァ勘弁ですよ。そこじゃァ昴に会えないじゃないですか!」
貴方一人でどうぞ、と薫が言うと、それはヒドイ!と喜助がおどけた。
そうこうしていると、ジン太と雨が下りてきた。宿題は案外早く終わったらしい。
「そういえば浦原さん、話だけならここじゃなくても良かったはずですよね?模擬戦でもするんですか?」
「いえ、百目鬼サンがどこまでの実力をお持ちなのか知っておきたいんスよ。適当に斬魄刀を振るってみてもらえませんか」
そういうことなら、と薫が了承すると、先ほどの杖で喜助はまた彼を死神化した。義骸の方はジン太達に手伝ってもらって安全なところに隠した。
「店長、あいつの始解ってどんななんだ?」
ジン太は興味深々、という感じだ。雨の方も、心なしかワクワクしているらしい。
「刀の形状は面白いことになりますねえ。さっ、百目鬼サン、お願いします!」
「見世物じゃァないんですよ?全く…さざめけ、〈波枝垂〉」
薫は渋々始解した。いや、始解しようとした。だが、いつまで経っても〈彼女〉が応えなかった。
「どうしたんスか」
様子がおかしいと喜助が声を掛けてきた。きっと相当動揺してしまっていたのだろう。こんなことは今まで一度だって無かった。
「僕の…声に応えてくれないんです。何で…?」
幕外
尸魂界から逃げおおせて現世に来た薫は真っ直ぐ浦原商店に向かった。
何故か猫の姿に化けた夜一に連れられて店に入ると、店の面子が勢揃いしていた。
親睦を深める為とかいう事で”缶蹴り”という現世の
「”瞬神”と鬼事なんて無茶言わないでくださいよォ…」
「本気なぞ出さんから安心せい」
「子供には、でしょう?勘弁してくださいよ…」
鉄斎は審判、鬼は夜一、後は逃げる役で散って行った。
喜助はあっという間に捕まった。
彼に逃げる気が全く無かったのが半分、夜一が見せしめに彼を選んだのが半分で、秒殺だった。
「皆サン、頑張ってくださ~い!」
ひらひらと手を振る彼に反応した者はいない。
「おい、アンタ!」
「何だい?」
ジン太が苛立たし気に近づいてきた。
「夜一さんを引きつけといてくれ!あの人とんでもなく速ぇんだ」
「分かった。では君たち二人に缶を蹴るのをお任せしよう」
二手に分かれ、薫は喜助の方に近づいた。
夜一が不敵な笑みを浮かべる。
「正面突破…いや、儂の目を引きつけるつもりかのう?笑止!」
「やってみなければ分かりません!」
適度な距離を保ちつつ、障害物で距離を取り、曲がり角で距離を取り、再び缶のある位置まで戻って来た。
「二人ともまだですか⁉仕方ない、僕が―――」
「そうはさせませんよお!」
………ん?
薫の腕が喜助にがっちり掴まれた。
「え?浦原さん?何してるんですか?」
「アララ、言ってなかったっスか?鬼に捕まった奴は鬼の下僕になるんスよ」
「はァ⁉そんなの聞いてま――」
「騙されんな!店長の嘘だっ!」
カァン
軽い音と共に缶がジン太に蹴り飛ばされた。
「ホラ、さっさと逃げろ!」
「ちょ、浦原さん、いつまで掴んでるんですか!」
「手なんぞ繋いで仲良しじゃのう?ほれ、”たっち”じゃ」
缶が蹴られてから喜助と薫が夜一に捕まるまでの間――二秒
「いやあ、ま~た捕まっちゃいましたねえ」
「誰のせいですか…」
薫が睨むと喜助はカラカラと笑った。
「しかし百目鬼サン、上手くなりましたねえ」
「鬼事がですか?嬉しいようなそうでもないような…」
「鬼事は初めてやったんで上手くなったかどうかは分からないっス!でも夜一サン相手に逃げ切るなんて普通は出来ませんよ」
「障害物も何もない場所なら速力で勝る夜一さんには勝てません。でも今は違う。それらを駆使すればどうとでもなります。はァ…折角もう少しで缶を蹴れたのに」
ため息交じりに薫がそう言うと、喜助は満足げに笑った。
「やっぱりっス」
「何がですか?」
「嘘を吐くのが上手くなったっスねえ」
沈黙した薫に彼は言葉を続けた。
「なにも悪い意味じゃないっスよ!この時期、それは立派な武器だ。でもせめてアタシの前でそれは止めてほしいんスよ。一々確認するの面倒ですから」
「…………」
「怒ってるフリ、必死で逃げてるフリ、疲れたフリ。完璧な演技です。夜一さんもそうですけど、ジン太も雨も聡い子なんです。嘘に目敏い。そんな彼らを騙すなんて凄いっス!それをした上でアタシが貴方に話があることを察してさっきは腕を振りほどかなかった。違いますか?」
「………さすが」
「こっちの台詞っスよ。貴方が藍染を騙してたって話は本当だったようだ」
喜助がそう言った直後、夜一が子供二人を脇に抱えて帰って来た。
ジン太も雨もピクリとも動かない。
「夜一さん、そんなクタクタになるまで追いかけまわしたんですか」
「軟弱な奴らじゃ。手は抜いたんじゃぞ?」
「……可哀相に」
夜一の”手を抜いた”がどの程度なのかは分からないが、少なくとも薫が思っていたよりずっとハードモードだったようだ。
薫は心の中でジン太と雨に合掌した。
―――ということがありました。
ちょっとしかやっていませんがゲームのお陰で浦原商店の面々と薫の人間関係は良好です。
今回の浦原さんの『鬼事はお得意でしょ?』の台詞の説明も込めて追記させていただきました。
こういう細々した思い付きをどう入れたらいいのかいまいち分かりません。
もう思いつき次第こういう所に書いてみようかなと思う今日この頃です。
…思いつければですが。
どんどん主人公に感情移入できない感じになってますね…
う~ん…何とかしたいですが、作者の力量が…
頑張ります…
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!