紫苑に誓う   作:みーごれん

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学名:Liriope
科名:ユリ科
大きさ:背丈30~40cm 横幅30~50cm




”隠された心”





ヤブラン

 彼女は、廊下を走っていた。見慣れた景色だ。でも、今はあのヒトに会えると思うといつもより少しだけ鮮やかに見える。

 そのヒトの後姿を見つけて声を張り上げた。

 

「昴さん! 待ってください!」

(――――昴? どこかで聞いたような……)

 

 彼女は――馨は夢うつつのまま、その”昴”と呼んだ人影が振り返るのを見ていた。

 

『田代? 何か用?』

(僕に、にてる?)

 

 こちらに顔を向けた”昴”を見てそう思ったのも束の間、返事をせねば、と少し上がった息を整えるために深呼吸した。

 

「昴さん、そのっ、今日昼食をご一緒してもよろしいでしょうかっ‼」

『昼? 良いけど。どうせ食堂で食べるんだから、わざわざ言いに来なくても良かったのに』

「あはは、まあ、そうなんですけど、なんというか、背水の陣、みたいな?」

『はあ? よく分からないが、シャキッとしろよな。仮にも田代は男子なんだから』

 

 顔が紅く染まっていく。暗に女々しいと言われてしまったこと、子ども扱いされてしまったこと、そして何より今、憧れの昴と話していること……色々な恥じらいが混ざり合って、心臓の音も五月蠅くて、逃げ出してしまいたいような、ここに居たいような、矛盾した気持ちのまま笑って誤魔化した。

 

 

 

 

 

 一呼吸の後、今度は仄暗い廊下を歩いていた。

 右手に今日中に渡す書類、懐にはいつでも修正ができるように墨壺も入っている。

 目当ての部屋の前に着くと、扉を叩いた。

 

「水上です。副鬼道長はいらっしゃいますか」

『あァ。入っていいよ』

 

 失礼します、と入室する。戸を開くとまず目につくのは大鬼道長の大きな机。今は珍しく大鬼道長はいらっしゃらないらしい。その隣にある一回り小さな机に彼は居た。こちらを見て彼が微笑む。

 

『水上がここにわざわざ来るなんて珍しいね』

「就任直後から貴方が鬼道衆を出づっぱりだったからでしょう……今日はいらっしゃって良かったです」

 

 苦笑しながら言ったが、胸の中は嬉しさで一杯だった。

 

(師匠だ! ほんの数週間しか経っていないのに、もう何年も前から会ってないような気がするなァ)

 

 薫も苦笑し返した。

 

『ふふッ! そこを突かれちゃうとなァ……降参だ! それで、本題は何かな』

「穿界門開通時の地獄蝶の搬送について、訂正案の書類が上がりました」

『あァ、やっと回って来たか……全く、四十六室は融通が利かなくて困る』

 

 再び苦笑しながら、書類を薫に渡す。ざっと目を通した彼は、ため息を吐いた。

 

『全然変わってないじゃァないか……何処をどうしてほしいって説明はうんざりする程やったのに……』

「どうしますか? 突っぱねてしまいますか?」

 

 それを聞いて薫は目を丸くしたが、直ぐに満面の笑みを浮かべた。

 それが自分に向けられている、その事実に心が躍る。

 

『大丈夫、後は僕に任せておいてくれ。ありがとう、水上』

 

 ――――アレ?

 僕の名前は水上だったっけ?

 他にも呼ばれていなかったっけ?

 これはいつの記憶だったっけ?

 

 

 一体、僕は誰だったっけ?

 

 

 

 

 

 

 ガバッと起き上がる。

 何かとても怖い夢を見たような気がするが、上手く思い出せない。

 

「やっと起きよったか。寝坊助じゃのう」

 

 顔を上げると、布団の上に黒猫が一匹座っていた。

 寝起きの頭で呆ッと眺めていると猫パンチを喰らった。

 

「何ぞ反応せんか、馬鹿者!」

「うにゃ…や、いたいです、よるいちさん……」

 

 その声に、猫はピクリと反応した。

 

「立花馨……お主――――⁉ 何じゃ⁉ どうした」

 

 その名を聞いて、彼女は――馨は涙が溢れるのを止められなかった。

 急に泣き出した馨に猫は相当混乱したようだった。

 

「僕の、名前は……馨だ…………立花、馨……」

 

 子供のように泣きじゃくる馨に猫はあたふたしていたが、しまいには”ええい、面倒くさい!”と言ってヒトの姿になった。そして何処からかタオルやらティッシュやらを取ってきてくれたのだが……

 

「え、ええええ⁉ さっきの猫? ヒト? いや、それ以前に、は……はだ…………」

「何じゃ、忙しい奴じゃのう? 女同士でそう恥ずかしがることもあるまい」

 

 豊満な胸の下で腕を組んだ元猫・兼・今ヒトは、猫がそうあるように全裸だった。

 動揺しながらも覚めてきた頭で周りを見回すと、見知らぬ和室に寝かされていたらしい。

 

「ここどこだッ? というか君は一体誰なんだ! いや、それ応える前に着替えてくれ~~~!!!!」

 

 馨が一人喚いていると、断りもなく襖が開いた。浦原さんがひょっこりと顔を出す。

 

「アララ、夜一さん、駄目じゃ無いっスか~! 立花サンをいぢめちゃあ」

「苛めてなど居らん! ようやっと目が覚めたから声を掛けただけじゃ」

 

 災難だったっスねえ、と喜助はカラカラ笑いながら馨の横に胡坐をかいた。

 帽子で半分ほど隠れた顔を、彼は扇子でさらに隠した。

 

「気分はどっスか、立花サン?」

 

 不思議な声音だ。軽い調子で言われたはずなのに、どこか詰問されているような気持になる。

 

「ええと、いい、デス」

「お前、質問の意図分かってんのか?」

 

 聞き覚えのある声に顔を上げると、冬獅郎が開いた襖に寄りかかって呆れ顔で馨を見下ろしていた。

 

「隊長! ……今っていつですか⁉」

「お前が気絶してから半日経った。気絶前のこと、覚えてるか」

 

 気絶前……と、薫は顎に手を当てながら記憶を探った。

 

(現世に着いてすぐ虚に襲われて、流れで浦原さんのお店に来て、身体を調べてもらって……確か、虚化とかってやつの検査を受けるときに――気絶した)

 

「僕に虚化とかの影響が無かったかって事ですか?」

「そうっス。変わったところは有りませんか」

「体の調子とかは特に変なところは無いです」

 

 ほう、と喜助が反応するのと入れ違いに、先程夜一と呼ばれた女性が声を出した。

 

「さっきいきなり泣き出しおったのは何じゃったんじゃ? 尋常ではない泣き方じゃったぞ」

「あはは、情けない話ですが、怖い夢を見てしまって……」

 

 裸体を直視できず顔を背けていると、丁度顔の正面に居た喜助が扇子を閉じ、僅かに真剣な調子で言った。

 

「具体的にどんな夢だったかって分かりますか」

「はっきりしたことは覚えていないんですけど、何故だか自分が誰なのか分からくなったような気がして怖くなったんです」

「そのきっかけの様なものは何か分かりませんか?」

「うーん……」

 

 馨がうんうん唸っていると、喜助はいつの間にかいつもの声の調子に戻っていた。

 

「ま、思い出せないならしょうがないっス。また何か思い出したら教えて下さい」

「はい……すみません」

「イエイエ! ところで立花サン、お腹空いたでしょう? 用意してありますから食べに行ってください。鉄斎サ~ン! 立花サンをご案内してあげてください」

「御意」 「ありがとうございます」

 

 今にもお腹が鳴りそうだった馨はご相伴にあずかるため、おずおずと鉄斎と呼ばれたムキムキの男性に付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 馨が完全に向こうに行くと、喜助は再び真剣な調子で部屋を見直した。

 

()()()、見ていらっしゃいましたね?」

「うむ」 「ああ」 「ばっちりだよ~!」

 

 京楽が、ヤレヤレという感じでため息を吐きながら曲光を解いた。

 

「いや~、危ない危ない。ボクは来てないことになってたんだったね」

「バレたらバレたで誤魔化しようは幾らでも有りますけどね。それ以上の問題は――」

「あ奴、猫の姿の儂を”夜一さん”と呼びよった」

 

 喜助は夜一の方を向いて頷いた。

 

「立花サンは元より、夜一さんの猫での姿を直に見たことの有る者は稀っス。彼女は一体、いつソレを知ったのか」

「似たようなことは一週間前にもあったな。立花は無意識の内だったようだが、”海燕”の名を口にした」

「そうだねえ。実は彼女、十三番隊に既視感があったっていうのも聞いたよ。あと、番号は怪しいけど五番隊にも似たような感覚があったんだって」

 

 続いた冬獅郎、京楽の言に、喜助は顔を伏せた。京楽が目敏くそれを見た。

 

「喜助クンさ、何か分かったことがあるんじゃないの?」

「――――そうっスね、この面子になら言った方が良いかもしれないっス。あくまで仮説として聞いてほしいんですが、立花サンの状態は虚化なんかじゃない可能性が有ります」

「「「⁉」」」

 

 三人同時に目を見開いた。

 

「どういう事じゃ? 詳しく話せ、喜助」

「勿論っス。隊長お二方は昨晩、立花サンが複数の虚の面をその内に秘めていたところを見たっスよね? あれは恐らく、()()()()()()()()()()()

 

 虚化とは、自らの魂魄の一部が虚に変質して起こるものだ。そうであるからこそ面は実質一つしかないし、一方がもう一方を取り込むことで安定化する。

 

「あれは、立花サンが()()()()()虚の魂と考えると、データと一致します」

「取り込んだ、だと? そんな芸当、死神には「だから、そういう事っスよ」――⁉」

「彼女は死神とは呼べない。魂魄の集合体かもしれないんス」

大虚(メノス)みたいなものって事?」

 

 京楽は自身の手をその顎に当て、撫でた。その手が僅かに汗ばんでいる。

 

「でもさあ、海燕クンや夜一チャンの記憶、隊舎の既視感はどう説明するの? 虚の寄せ集めにしては……え、ちょっと待って」

「流石、京楽隊長はお分かりになりましたか。百目鬼サンは、魂魄截取―――つまり魂魄を切り取る禁術を会得していました。もしそれを、我々の知らぬ場で行使していたとしたら?」

「切り取られた魂を、取り込む? それじゃあまるで――――」

 

 京楽の背筋につうッと汗が流れる。その不快感も、現在感じている胸のざわめきからすれば取るに足らぬものだ。

 

「……まるで、()()の成り立ちと一緒じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凍りついた空気を破るように、喜助はわざと軽い調子で言った。

 

「皆さん覚えてますか? これはあくまで仮説っス。もしかしたら、もっと別の何かが原因かもしれない」

「分かってる。だが浦原、お前の見解ではどれほどの確率でそうなんだ?」

 

 いつも以上に冬獅郎の眼光がきつい。それはそうだ。崩玉など、尸魂界の歴史を大きく揺るがした遺物であると共に、今でもあの男――藍染惣右介を生か差ざるを得ない要因なのだから。

 

「敢えて言わせていただくなら、ほぼ間違いなく。一般の虚が我を失うほどの霊的濃度、歪な霊紋、覚えのない記憶……そして、昨日確認したアタシの資料との符合。十分な判断材料です」

「じゃあ、馨チャンという人格は、過去に取り込まれた魂魄の現れ? そこから何か辿れるかな」

「いえ、それは無理でしょう。恐らく彼女の人格は、崩玉の意思――自我そのものでしょうから」

 

 崩玉をその身に取り込んだ男が言っていた。崩玉には意思がある、と。

 もしそれがヒトの形を成し、他のものと交わって暮らしたとしたら……そこに共存は叶うのだろうか。

 

「人格は、か。つまり、馨チャンの姿形についてはそう考えて良いって事で良いのかなあ?」

 

 京楽の言葉に、冬獅郎は弾かれたように顔を上げた。

 

「ちょっと待て。立花の中に橘の魂魄があるって事か⁉」

「あはは! 両方”たちばな”って読みで、ややこしいっスね! 初めてのことで可能性でしか話せませんが、そういう可能性は有ります。ここで問題になってくるのは、背景にいる百目鬼サンっスねえ」

 

 〈波枝垂〉は言っていた。薫は”全てを”知っていた、と。

 

「立花サンの存在自体、百目鬼サンが何かしたと考えるのが普通でしょう。何の為にそんな事をしたのか……場合によっては彼女を放置しておくわけにいかなくなる」

「じゃが百目鬼が居らぬようになったのなら、何を為そうにももう手は出せぬのではないか?」

 

 押し黙っていた夜一が口を開いた。彼女もまた崩玉のせいで運命を狂わされた一人だ。思う所があったのだろう。

 

「それが、ちょっと違うかもしれないんだよねぇ」

 

 京楽が首を傾げて言った。

 

 〈波枝垂〉に相対していた時、京楽は”薫は死んだのか”と訊いた。

 それに対して〈彼女〉は、”生きてはいない”と言った。

 

「生きてないけど死んでないって事だよね。それって、どういう状況ならあるかなあ?」

「そうですねえ。日番谷隊長が持ってきてくださった報告書にある十二番隊の報告も含めて考えるなら、その魂魄の一部を立花サンに取り込ませた、とかなら有り得るっスね。百目鬼サン魂の一部は消えることなく立花サンの中に在り続けている」

 

 そう言った喜助自身も背筋が冷えるのが分かった。そんな事、並みの精神の者がやることではない。

 もしそうだったとしたら、薫は一体何を意図したのだろうか?

 

 ふ、と喜助は短く息を吐いた。どう頑張っても、これは机上の空論の域を脱しない。

 

「これ以上は今すぐ答えの出るものじゃ無いっス。兎も角今お話ししたことは、口外なさらぬようにお願いします」

 

 三人は思い思いに頷いた。

 

 

 




思えば遠くに来たものです。
この投稿で、遂に総文字数が300,000字を超えます。
WOW、長い!
勢いって凄いですね。小中学生のころに出ていた読書感想文をいつもギリギリに文字を稼いで何とかしていた人とは思えません。
何処まで文字数が伸びるのか……乞うご期待!
と言えるほど残りの話数はありませんが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

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