紫苑に誓う   作:みーごれん

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学名:Impatiens balsamina L.
科名:ツリフネソウ科
大きさ:背丈25~60cm 横幅15~30cm




”わたしに触れないで”





ホウセンカ

 喜助は胡坐をかいて瞼を閉じていた。足の上に斬魄刀が乗っていれば刃禅なのだが、彼の愛刀は鞘に入ったまま側に置いてあるだけ。しかし、彼の纏う雰囲気と集中の密度は刃禅に匹敵した。

 

 暫くすると、彼の瞼の奥にぼんやりとした人影が現れた。それは様々に揺れながら、最終的にまるでピントが合うかのように確かな像を結んだ。

 

 喜助の目の前に座っているのは薫だ。

 といっても本人ではない。喜助が今まで接してきた”薫”という人物像を、その切れすぎる頭脳で再現しているのだ。言い換えれば、禅問答の対話相手が自分ではなく指定した誰かになっているということになる。

 

 薫と向かい合って、一度目は沈黙を貫かれてしまった。

 それはそうだろう。喜助も、”慎重な薫”はそうするだろうと思った。

 薫は喜助の頭脳を信頼していた。そしてそれは、隠し事をする場合には警戒に変わる筈だ。

 だからもう一度持ちうる情報を洗い直し、”多少は協力的な薫”像を練り上げてみた。

 あくまでこれは対話形式の情報選別だ。薫の思考をトレースできれば、多少の性格のズレは起きても構わない。まずは話を始めるところから動かさなければお話にならない。

 

「まぁ~た、だんまりっスか? 百目鬼サン」

『そんなわけないでしょう? 貴方がそうじゃないように仕向けているくせに。酷い人だ』

「アララ、怒られちゃいましたねえ! ま、上手くいったようで何よりっス」

『”上手くいった”? …………へェ』

 

 意味深に笑う薫を前に、喜助は姿勢を正した。

 

「何故、あんなモノを?」

()()()()()、ですか。”馨”と、そう呼んでやってくれませんか』

「はぐらかさないでください。間接的にとはいえアナタも崩玉によって運命を狂わされた一人だ。アタシには、アナタが手を出すようには見えなかったんスけどね」

『ふふッ! 浦原さんが動揺しているところなんて、初めて見ましたねェ』

 

 薫は愉快そうに身を乗り出すと、胡坐をかいた膝の上にそれぞれ肘を乗せ、手を口元で組んだ。

 

『貴方の推察は正しい。僕ァ手を出すつもりなんて無かった。そんな発想自体無かったんですよ』

「なら、何故」

『冬獅郎たちから聞いたでしょう? 馨と僕ァ”出会った”んです。そして”知った”』

「何を」

 

 ニコリと笑みを浮かべた薫は黙った。

 

「……そう簡単には教えてくれないっスか。いいでしょう」

『案外諦めが早いんですね』

「そうでもありません。ただ、聞き方を変えていこうと思いまして」

『おォ、怖い。でも、僕に訊くより浦原さん自身が改める方が先じゃァありませんか』

「アタシが? 何のことです」

『言ったじゃァないですか。”浦原さんが動揺しているところなんて、初めてみました”って。視点が崩玉に行きすぎですよ』

 

 ゾクリ、と喜助の背筋が震えた。

 こんな感覚はいつぶりだろうか?

 

「これはこれは……確かにその通りっスね。いやあ、アタシもまだまだって事ですか」

『まだまだだなんて、そんな恐ろしいことはありませんよ』

 

 おどけて見せた薫は、真剣な顔に戻ると言葉を繋いだ。

 

『貴方はもう十分な情報(カード)を揃えている。その目を曇らせていたものは、もう無いでしょう。ならお分かりのはずだ。貴方の持つ情報(ソレ)は僕が生んだ手札(モノ)。僕が生むことのできる手札(モノ)は、僕が関わった状況(コト)。そして、貴方もまた僕に一枚、手札を作る手助けをしてくださった』

「手助け?」

『えェ。これ以上はお話しできませんよ。それでは、()()()よろしく伝えておいてください』

 

 蝋燭の炎の様に掻き消えた薫を作り直そうともせず、喜助は思索に耽った。

 

 

 百目鬼サンは立花サンに”出会った”

 そして彼女が崩玉であると”知った”

 ――――いや、それだけではない筈だ。他に何を知った?

 そもそも、何故彼は立花サンが崩玉であると分かったのか?

 

 

 アタシがした手助けとは何だ?

 松本副隊長に関係している?

 

 

 

 

 ズダァンッ

 

 いきなり派手な音を立てて立ち上がった喜助に(ウルル)が驚いているのにも目をくれず、喜助は自室の電話の前に直行した。

 受話器を取れば呼び鈴が鳴るソレは、ただ一つのところにしか通じない。

 

『何だ、浦原。追加で分かったことでもあったのか』

「日番谷隊長、今、松本副隊長と立花サンは何処にいますか」

『あの二人なら、揃って地下監獄に―――「今すぐに、呼び戻してください!」――どういうことだ』

「百目鬼サンの狙いは―――藍染惣右介っス!」

 

 

 

 

 

 

「ここよ。入って」

 

 救護詰め所から外出許可を取った馨が乱菊に案内されたのは、第三地下監獄・衆合だった。彼女はその突き当りまで移動すると、牢の前で立ち止まった。

 

「久しぶり、ギン」

 

 呼びかけられた人物はゆっくりと顔を上げると、胡散臭そうな笑顔を張り付けた。

 

「これはこれは、お久しぶりですなぁ、松本乱菊特別尋問官殿。今日は珍しくお客さんも居るみたいやね」

「ええ。どうしても、会わせたい人がいるの」

 

 乱菊はそう言うと、馨を乱菊と並んで立たせた。途端にギンの瞳が開く。

 

「乱菊、ソレ……」

「違うわ。彼女は立花馨。薫さんの弟子よ。馨、こっちは市丸ギン。あたしの幼馴染で、薫さんに命を救われたの」

「師匠に……?」

 

 乱菊によると、師匠は藍染との戦いからギンを無傷で戦線離脱させたらしい。

 それに加えて師匠は、ある手紙を浦原さんに託していた。

 ”戦いが終わったら四十六室に提出してほしい”、と。

 

 そこには、ギンの情状酌量を訴える嘆願が綴られていた。

 ”昴”であったころに集めた僅かな証拠と共に……

 

「薫さんは、ギンが藍染を討つために動いていたと証言してくれたの。行ったことは取り返しのつかないことだったけれど、十分に情状酌量の余地の有るものである、彼にはいずれ護廷隊に復帰してほしい、ってね」

「禁固五百年て、復帰させる気あるんかいなって長さやけどな」

 

 どこか柔らかくなった笑顔を馨に向けると、ギンは言った。

 

「せやけど、あのヒトはボクの恩人に変わりは無いんよ。お蔭でこうしてまた、生きて乱菊と会えた。藍染も捕まった。でもまさか、お礼言う前に亡くなってもうてたなんてな。人生なんて、分からんもんや」

「アタシも感謝してるのよ。以前はギンがいつもいるのは当たり前のことだと思ってた。でも、違うのよね。本当に分からないもんだわ。だから馨、代わりと言っては何だけど、薫さんへのアタシたちの感謝を受け取ってくれない? 本当にありがとう」

 

 乱菊がそう言うと、二人は馨に深々と頭を下げた。馨がそれに何か言おうとした時、乱菊の通信機がけたたましく鳴った。馨に背を向け、乱菊はそれに応えた。

 

「ンもう、誰⁉」

『日番谷だ。松本、今立花と一緒か?』

「隊長⁉ ええ、一緒ですけど」

『よし。今すぐ立花を連れて隊舎に戻れ。隊長命令だ』

「何かあったんですか? 急に戻れなんて」

『浦原から新たな情報が降りてきた。詳しいことは隊舎で話す』

「‼ ……わかりました」

 

 通信機を切った乱菊に、馨が後ろから手刀を当てて昏倒させる。通信機が乱菊の手から滑り落ちて乱雑な音を立てながら地面と衝突した。

 

「乱菊ッ!」

 

 ギンが牢のギリギリまで駆け寄ろうとするのを、乱菊の体を受け止めた馨が片手で制した。

 

「利用してしまってすまない。でも、無理なく地下牢に入るにはこれが最善だったんだ。大丈夫、乱菊に責を負わせはしないよ」

「アンタ、まさか……」

 

 乱菊の体を寝かせた”馨”はギンに向き直った。

 

()()()()()()。生きていてくれて良かった。――――五百年か……長いな。すまない、僕自身が証言台に立てば、もう少し何とかなっていたかもしれなかったのに」

 

 苦しそうにそう言った彼女に、ギンはゆっくりと首を横に振って応えた。

 

「そないな事有らへん。ほんまにボクは感謝しとるんよ」

「……ありがとう。そう言ってくれると、僕も少しは救われる」

 

 彼女がギンに背を向けた。

 

「行くんか」

「あァ。急がないと、冬獅郎たちに追いつかれる」

 

 そう言って駆け出した彼女に、ギンは何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 慌しく通信機でやり取りしていた冬獅郎に偶々出くわした浮竹、京楽、及び随伴していたルキアと七緒は、冬獅郎の血相を見て一様に驚いた。

 

「日番谷隊長! どおしたの、そんなに取り乱して、キミらしくもない」

「京楽か……いや、今のところは何でもないことだ。気にするな」

「気にするなって……真っ青だぞ? 俺たちに相談できないようなことなのか?」

 

 最後の浮竹の発言に、冬獅郎は周りを見渡した。今いる五人以外に人影はない。

 

「浦原から立花に関して新しい仮説が出された。それによると、アイツを使って百目鬼が藍染を狙ってるかもしれねえ」

「「「⁉」」」「今、馨チャンは何処にいるんだい?」

「松本と共に地下第三監獄・衆合だ」

「⁉ ――――何でそんなトコロに……そうか、市丸元隊長に会いに行ったんだね」

「そういう事だ。松本には既に連絡を取ったが、胸騒ぎがする。これから監獄の入り口に向かう所だ」

「そういうことなら、僕もついてくよぉ!」

 

 のんびりとした口調とは裏腹に、京楽の表情は真剣そのものだ。

 

「中央四十六室も隠密機動も、緊急事態に融通が利くタイプじゃないからねえ? 隊長二人で詰め寄って何とかしないといけない事態があるかもしれない」

「なら、俺も行こう」

 

 京楽に当てられたのか、浮竹も同調した。

 胸騒ぎがするのは冬獅郎だけではなかったようだ。

 

「……分かった。朽木、伊勢、お前らは先に帰ってろ」

「私も一緒に行きます!」

「副官も連れずに隊長格が三人も集まっているのは不審がられるのではありませんか?」

 

 ルキアも七緒も帰る気はないらしい。

 冬獅郎は半ば苦笑しながら、”勝手にしろ”と地下牢へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、乱菊と馨のどちらにもすれ違うことなく冬獅郎たち五人は地下牢前まで辿り着いた。

 違う道を通ったという事も有り得るが、緊急の呼び出しに対してわざわざ遠回りをする理由が無い。

 冬獅郎は門番に尋ねた。

 

「おい、松本と立花はもう出てきているか」

「はっ! 松本乱菊特別尋問官は、現在尋問中につき中に入ったままでいらっしゃいます。同行の立花殿も、同様に中にいらっしゃいます」

「門番の交代中に出たという事も無いか」

「お二人が入られたときから、私が担当であります」

 

 冬獅郎は、眉間の皺を一層深めた。他の面々の空気も、緊張を孕んでいる。

 

「何の騒ぎだ? 隊長格が四人も勢ぞろいとはな」

 

 現れたのは、二番隊隊長兼隠密機動総司令、砕蜂だった。

 

「砕蜂隊長! い~いところに通りかかってくれたねえ! 実はさ、ちょこっと地下牢に入れてほしいんだよね」

「ほう? 人様に言えないような何かをやらかしたという事か? 良いだろう。京楽、貴様の後任は私が見繕ってやるから安心しろ」

「そういう意味じゃないよ! 今、面倒なことが起き掛かっちゃってるかもしれないんだよねえ」

 

 真剣な声音に砕蜂も眉を顰めた。

 

「どういう事だ?」

「う~ん……ややこしい話だからさ、説明する前に、“衆合”の扉を護ってる子と連絡取ってみてくれないかなあ」

「…………チッ、きちんと説明してもらうからな。――――参班、応答しろ。……おい、参班?」

 

 砕蜂の目が驚愕に見開かれるのに、分と掛からなかった。

 

「どういう事だ!」

「砕蜂隊長、その下の階層は⁉」

 

 浮竹が勢い込んで言い過ぎて、逆に咳を悪化させた。

 ルキアが心配そうに背に手を回している。

 

(よん)班! ここもか⁉ クソッ――――伍班‼」

『はっ!砕蜂隊長。どうなさいましたか?』

 

 急に通じた通信機に砕蜂は一瞬思考を停止させたが、すぐに持ち直した。

 

「何か侵入者などの異常は無いか、最大限警戒。必ずその位置を死守しろ」

『了解しました。――――ん? 何だアレは……侵入者⁉ おい、貴様っ! 其処で止ま――』

 

 ガシャン、という音と共に通信が途切れた。

 京楽が砕蜂に一歩進み出た。

 

「事態は急を要するんだ。中に通してくれるね?」

「ああ……だが、説明に一人残ってくれ。総隊長に報告せねばならん」

「なら、俺が残ろう」

 

 浮竹が片手を上げた。

 

「今は少し体調が悪いみたいだ。もしもの時、俺では足手纏いになる」

「浮竹隊長! そのようなことは――」

「朽木、良いんだ。俺の代わりに行ってくれるか」

「~~~っ! わかりました」

 

 斯くして、京楽、七緒、ルキア、冬獅郎の四人は地下牢の階段を駆け下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 “衆合”の門扉は開け放たれていた。

 

「これは――松本の霊圧か!」

 

 冬獅郎が、そこから僅かに感じられる乱菊の霊圧を感じてひとまず息を吐いた。

 最悪の事態は無かったようだ。

 

「そうみたいだねえ。この様子だと、気絶させられただけみたいだ。七緒ちゃん、彼女の様子と、目撃者の話を纏めて後から追いかけてきてくれるかい?」

「はい。京楽隊長、お気をつけて」

「ウン。七緒ちゃんもね」

 

 二人は頷き合うと、二手に分かれた。

 

 

 

 

 

 倒れている門番を横目で見ながら、京楽は呟いた。

 

「なぁ~んか、薫クンの掌の上って感じがするよねえ」

 

 冬獅郎は目だけで京楽の方を怪訝そうに覗いた。

 

「だってさ、何でわざわざこんなに分かりやすく侵入したんだろうね? 門番から通信機を奪っておけば、砕蜂隊長からの連絡を偽装できたでしょ? そうじゃなかったから、浮竹は説明の為に地上に残った。松本副隊長の霊圧だってそうだ。白伏を使っていれば僕らは彼女を探すことも必要になるはずだったのに、あんなに分かりやすく気絶させられていた。お蔭で一人をあそこに置いていかなくちゃいけなくなった。加えて、彼女の無事で大なり小なり僕らの気が緩んでる」

「戦力を分断されてるって事か。そこまでしてるってことは、下で戦闘になるかもしれねえと?」

「うん。ただ、もしかしたら彼の目的が僕らだけの戦力の分断じゃないかもしれないってことだよ」

「はっきり言え。何が言いたい」

「僕らが今向かっているのは“地下監獄”の最下層なんだよ?うっかりここに閉じ込められたりしたら、隊長二名と副隊長一名の戦力が地上から隔絶されることになる」

「「‼」……たった三人の隊長格を抑えたぐらいで崩れる護廷隊じゃねえだろ」

「まあね。考え過ぎかな」

 

(もしくは、僕らの()()()()を足止めしようとしてる、とか?)

 

 京楽が発言することなく終わったその言葉は、彼らが目にした“無間“の門扉の前に忘れられた。

 

 

 

 

 

 

 

 地下牢の最下層に辿り着いた彼女は、霊力を込めた淡く発光する球をいくつも浮かべて藍染を探した。幸い、入り口の近くにその姿があった。

 

「解」

 

 “馨”が藍染の拘束された顔のあたりに手をかざすと、視覚と聴覚に関する封印が弾け飛んだ。

 

「久しぶりだねェ、藍染」

「百目鬼薫……? いや、違うな。貴様は一体何者だ」

「ふふッ!やはり、気付かない方がおかしいか」

 

 そう言うと、“馨”は藍染の頬に手を添えた。

 

「僕らは()()なんだよ。過程は違えどね。君なら薄々感ずいていただろうけど。僕ァ亡霊だ。呼ぶとすれば――」

「立花殿⁉」

 

 ルキア、冬獅郎、京楽がなだれ込んできた。反応は三者三様だ。

 

「藍染の封印が解かれてる……馨チャン、君がやったのかい?」

「そうだとも言えますし、そうでないとも言えます」

「立花、てめえ……」

「ふふッ! まァまァ、そう焦らずに。ここまで来たら、もう誰も止められませんよ。お久しぶりです、京楽隊長、冬獅郎、ルキア」

「「「⁉」」」

 

 三人の目が皆同じく驚愕のために見開かれた。ルキアなどは、目が零れそうなほどだ。

 

「薫クンかい?」

「京楽隊長、世に満ちている物事の多くはイエス・ノーで答えられる質問ではないんですよ。僕ァ、百目鬼薫であり、立花馨であり、そして橘昴でもある」

「どういう意味だ」

 

 冬獅郎の殺気に眉一つ動かすことなく藍染の台座に片手を添えた“彼女”は、にこりと微笑んだ。

 

「御想像にお任せします」

 

 次の瞬間、彼女が斬魄刀を振り下ろした。凄まじい轟音と共に砂煙が立ち上る。

 同時に、ルキアたちは背筋が冷える感覚を味わった。

 

 藍染の封印は、最早完全に取り払われた。

 彼が立ち上る煙の中から現れるのにそう時間はかからなかった。

 

「何のつもりだ? 復讐を遂げたいなら台座に磔けておけばよかったものを」

「そんな事思ってもないくせに。君の崩玉だって、もう我慢ならないって言ってるんじゃァないのか?」

 

 一呼吸の後に二人から発せられたのは、膨大な霊圧と圧倒的な存在感。

 その場に立ち尽くしていた三人は、直感的に彼女の言葉の意味を理解した。

 

 崩玉は、その大きすぎる力ゆえに弱き他の存在を押しのけるかのように在る。そんなものが二つ同時に存在しているのだ。互いに壊し合わないわけがない。

 

「破壊衝動に駆られた復讐か。らしくない、とでも言っておこうか」

「それはお互い様だよ。君こそよくこれだけ理性を保てるものだ。だがどんなに取り繕っても、抑えられる衝動じゃァないだろう?」

 

 次の瞬間、薫と藍染の姿が消えた。現世で言う所の瞬間移動の様な消え方だった。

 

「不味い、奴ら外に出やがった! アイツらが本気で殺り合ったら……」

「タダじゃすまないねぇ。僕らもここを出て、山じいに伝えないと。ルキアちゃんも早く!」

「はいっ!」

 

 最後尾で牢に入ったルキアが最初に出ようとした瞬間、その首根っこを京楽に掴まれた。

 

「うわっ⁉ 京楽隊長、如何なさいました⁉」

「参ったね、どうも……」

 

 ルキアが入り口を見直すと、其処には透明な壁のようなモノが張られていた。

 

「これは……断空ですか!」

「うん。でもこれ、断空以外にも複数の鬼道を掛け合わせてあるみたいだねえ。七緒ちゃんが合流したとしても、解除までどれだけ掛かるかな……」

「俺たちが分断されてたってのはこういう意味かよッ……」

 

 冬獅郎が拳を握り締めた時、何処からともなく人影が現れてその壁に手を突いた。途端、それがさらさらと崩れていく。

 

「お前っ……! 誰だ⁉」

「酷いじゃないですか、()()()()()()()()()をお忘れですか?」

 

 振り返った人影は、ついさっきここから出て行ったのと同じ――立花馨のモノだった。

 

「立花、か?」

「“元”、が正しいんですけどね。日番谷隊長、京楽隊長、朽木五席。お願いが有るんです」

 

 彼女は悲し気に顔を歪ませると、頭を下げた。

 

「どうか師匠を……百目鬼薫を助けて下さい!」

 

 

 




幕外

 早く、速く、はやく!

 急がなきゃ。出来るだけ遠くに逃げなきゃならない。

「ッ⁉」

 身体中が悲鳴を上げている。
 尋常ではない量の汗が皮膚を嘗める様に伝っていくが、そんな事に構ってる暇はない。

「アララ、こんなトコロに居たんスねえ」

 しまった――――
 よりにもよって、この男に見つかってしまうとは。

「お久しぶりっス、松本副隊長。そんな()()を抱えて、そんな身体で、ピクニックにでも行くつもりっスか?」

 彼女は――乱菊は、状況を打開する策を必死に考えながら後ろに立つ声の主に振り返った。

「ええ。折角の日和なんだから邪魔しないでもらえる? ――浦原さん」

 乱菊の精一杯の威嚇を意にも介さない様子で、彼――浦原喜助が飄々と笑う。

「やだなあ、貴女の邪魔なんかしませんよぉ♪ 用が有るのは貴女の()()の方っス」
「……同じ事よ。いくら貴方が相手でも、容赦しないわ」
「分かってないっスねえ」

 いつの間にか乱菊の隣に立っていた喜助は、彼女の右下腹部を軽く弾いた。途端、激痛に眩暈が奔る。

「~~~ッぁ」
「この程度の瞬歩にも対応できない。この程度の衝撃にも耐えられない。それ程貴女はギリギリの状態なんス。これ以上は命に係わる」
「らん……ぎく……ボクを、おろして」

 乱菊の左側に抱えられていたギンが目を覚ましたらしい。薄く目を開いた彼は、弱弱しく顔を上げると乱菊の方を見た。込み上げるのは安堵感と更なる焦燥感。

「駄目よ! アンタ、分かってるの⁉ 藍染が捕らえられた今、尸魂界にアンタが引き渡されたら――」
「ええんよ。ボクはそれだけのことをしたんや。覚悟なんてとっくにしてる。それより乱菊の方が――」
「ハイハーイ、お二人とも落ち着いて下さぁい! アタシが来たのは、ちょっと意味が違うんスよ」

 そう言うと、喜助は懐から二通の便箋を取り出した。一通をギンに差し出す。

「ドーゾ! 頼まれ物っス」
「頼まれ物? 誰からや」

 そっと乱菊がギンを降ろすと、受け取った手紙の封を切ってギンがそれに目を通した。途中からギンの瞳が開き、その美しい色を覗かせる。

「こんなん……ありかいな」
「何? 一体誰からの、何の手紙だったの?」
「百目鬼サンからの思遺の情っスよ」

 喜助がもう一通を仕舞いながら言った。

「しい?」
「親近感、同情の念って奴っスかね。百目鬼サンは市丸サンに肩入れしてたんス」
「何でそんなこと……」
「……それはアタシの口から言う事じゃないっス。ね、市丸サン?」
「せやな。乱菊、後でちゃんと話す。――にしてもあのヒト、性格悪いで」
「全くです」

 苦笑した喜助は踵を返して歩き始めた。

「あたしたちを、捕まえないの?」
「まさか! アタシは今から一通、四十六室にこれを届けなきゃならないんスよ。そういう約束だったっスから」
「約束?」
「”全部終わって、もしギンが生き残っていたら、ギンへの手紙と証拠の書類をそれぞれ届ける”。それが百目鬼サンとの約束――いえ、契約に近いかもしれませんね」
「証拠って……」
「ボクが尸魂界を裏切った()()をしとった証拠や」

 乱菊の瞳が見開かれるのを見て、ギンは優しく笑った。

「ま、フリとはいっても色々やったんはホンマのことや。それに、そこの浦原喜助を嵌めたんもな。嵌められた奴に嵌めた奴の擁護の片棒担がせるなんて、えげつないわ、ホンマ」

 そう言って暫く笑ったギンは、乱菊に全てを話した。いつの間にか、喜助の姿は無かった。

「ご免な。乱菊傷つけて、色々心配させて、結局乱菊の大事なモン取り返せんかった」
「馬鹿ね。なんにも分かってないんだから……」

 乱菊はギンの顔を両側から勢いよく平手で挟んだ。手が痛い。多分ギンの方がずっと痛いが。

「何で一人で何とかしようとすんの⁉ アタシはそんなに足手纏いだった? そんなに奪われたことに不幸そうだった? そんなにアンタが居なくて平気そうに見えた? 嘗めんじゃないわよ!」

 ギンの頬から手を放す。案の定紅葉が咲いているが、ギンは眉一つ動かさない。乱菊は顔を歪めると、優しく彼に抱きついた。

「誰かの為に一生を(なげう)つ覚悟が有るのがアンタだけだと思う? ホント、馬鹿……」
「乱菊……」

 何度かギンが乱菊に抱きしめ返そうとしたのが分かった。しかし彼は結局、ゆっくりと乱菊を自身から離した。

「――ご免な。ボクは行かな。行って償わなあかん」
「ギン!」
「ここで逃げるんは失礼や。そんだけ言うてくれた乱菊にも、必死に擁護してくれとる百目鬼さんにも。どんな判決になっても、真摯に向き合う義務がボクにはある」

 そう言うギンの瞳はいつの日か見た彼のもので、不思議なことに乱菊はそれ以上彼を引き留めようとは思えなかった。

「もし……もし、ボクが罪を償って外に出られたとして、そん時もボクと一緒に居たいと乱菊が思ってくれてたら、ボクから言う」
「言うって……」

 いつも通りの笑みを浮かべたギンは、乱菊の独り言とも問とも取れる言葉に返すことなくその場を去った。

(……そういう時は”待ってて”って言うのよ。――ホント馬鹿ね)

 その時塩辛い雫を流させた感情に付ける名を、乱菊は未だに知らない。








挿入話は、藍染との最終決戦が終わって一時間経ったくらいを想定しています。

なんやかんやで次回で最後です。
長かったような短かったような……
感慨深いです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
願わくば、最後の一話まで読んでくださることを願って――

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