シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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例の如く文章膨らんだので、2編に分けます。


シュバルツバースで再起と波乱

 自らの認識を疑え。お前はこの女神と自称する人外の存在に操られているのではないか――? と。

 そう問われた瞬間、小生の脳裏にトラちゃんさんが今までに見せた様々な姿が泡のように浮き上がっては消えていった。

 

『にゃ、にゃーん』

 とすぐばれる鳴き真似をして、"悪魔"にまで馬鹿にされる彼女の姿が……。

『ぴぎゃ』

 自らの異能で死にかける彼女の姿が……。

『どおりゃー!』

 と"ガキ"の群れに殴りかかる彼女の姿が……。

『て、寺? ジャパニーズの神殿が何故ここで出てくるの?』

『マッスルパンチでぶち壊してやるわっ!』

『なんたって、アタシは信頼も"信用"もできる女神様なんだからね!』

 思わず小生は真顔になる。

 

「トラちゃんさん、そこまで深く考えてないと思いますよ」

「真顔で急に何てこというんだ。ヤマダ隊員」

 小生の即答に、カトーから呆れた口調でツッコミが入った。失礼、と返しながらも発言は撤回しない。黙って彼らの反応を窺う。

「……深く考えていないと見せかけているだけではないと、言い切れる根拠でもあるのか?」

 この問いは肌の浅黒い女性――確かウィリアムズという姓であったはずだ――ではなく、機動班のマッキーから発せられた。どうやらウィリアムズは一度自分の中で結論の出たことに対して、深く考える性格ではないようで、既に先ほどまで露わにしていた警戒心は引っ込めてしまっている。腕組みをして明後日の方向へ目を向け、何やら思案するその態度たるや、まるで尋問を続けるなら他の奴がやれとでも言わんばかりだ。決断力と危機管理能力に優れた作戦班らしいパーソナリティと言えるのかもしれないが、このドライさは下手をすると軋轢を生むかもしれない。

 それに対して、マッキーは隊内の秩序を保つことを至上とする、軍人らしいパーソナリティを持っていた。多分、トラちゃんさんへ向けられた攻撃的な態度の最右翼にして、疑念払拭を試みる際に立ちふさがる最後の関門が彼だろう。

 小生はマッキーに対して、言葉を選びつつも明快に答える。

 

「恩神に対してこう言っては何なんですが、トラちゃんさんって……、すごく視野が狭いんです」

「視野?」

 小生は頷く。

「はい、多分。勿論、賢くないわけではないと思うんですよ。たまにドキリとさせられる指摘もしますから。何というか、思考に注力している時なら1手か2手先まで読めるんですが、目の前に目標が見つかるとそれしか見なくなるというか……。将棋のようなアブストラクトゲームだと安定して勝てない、そういう典型的なタイプなんです」

 語りながら、小生自身も独り合点する。

 要するに、彼女はとても感情的で近視眼的なのだ。これは欠点とも言えようが、その反面に愛嬌をも兼ねており、さらには人徳を備えていると言い換えても差し支えないだろう。

 基本、彼女は後先を考えない。だから失敗もするし、妙なこだわりも持つ。損得を省みず、身を挺して人間を、小生をかばおうともする。

 ああ。今思えば、女神から死神へと変貌した理由も、小生を蘇生できなくなったという後出しの理由からであった。そして小生の予測する限りにおいて、死神になった時の彼女も、実のところパーソナリティはあまり変化していないと見える。あの時、見せた彼女の行動は大抵が後出しの受け身で占められていた。大規模呪殺も、空間の破砕も、相手の反応を見てから必要となる行動を選択しただけだ。

 つまり、彼女は内に秘めた正負の両側面から見て双方ともに、戦略的行動……、布石を打つという計算を得意とはしていないのである。

 そんな彼女が迂遠な手段で"アーサー"が指摘したような勢力争いに大手を振って介入しようとするだろうか……?

 出会ってすぐに、彼女が語った目標がおのずと思い出される。

 

『アタシにもワンチャンあると思う。今度こそはちゃんと豊穣の大地を作ってみたいのよ』

 ……うん。彼女の言と、"アーサー"の語る状況のつじつまが合ってきた。つまり、彼女はニッチを、隙間産業を狙っているのだ。大手が勢力争いを繰り広げている片隅で細々と自分だけの"箱庭"を、小宇宙を作りたかったというのが正直なところだろう。

 そんな中で小生らと関わるようになったのは恐らく、予期せぬ形で信仰を手にすることができたからだと思われる。

 

 一度、今に至るまでの彼女の思考をシミュレートしてみよう。

 彼女が元々暮らしていた、または存在していた場所についての詳細は生憎と聞いていなかったが、『この世界でも、ここではない世界でも』などの言葉の端々から彼女が"複数の世界、または宇宙にまたがり存在していた"ことは薄々察しがつく。

 となると、まずは彼女がこの地に形を持って顕われた寸前から想像してみようか。

 

 まず、彼女はこの世界の状況を何らかの手段で知った。そして、

「は、はへ?? 何か地球が大変なことになってる……。って、これって地球にアタシの"箱庭"を作るチャンスなんじゃ……?」

 やはり何らかの手段でこの世界へとやってきた。

 ん? こう考えると、彼女がタイミング良く小生の前に現れたことにも何らかの理由がありそうだ。

 改めて、彼女の言葉を思い出す。

『道理で器も小さく弱っちいわけだ。まさか"女神"たるアタシがLV1の分霊バージョンで顕現する羽目になるとは……』

 という言を踏まえれば、小生の発する何らかのエネルギーをよすがに、この世界にやってきたと想像するのが自然だろう。何をよすがにしたのかは分からない。まさか、トイレで小生が神に祈ったから? まさかあ。

 

 いずれにせよ、彼女は顕現した後に思ってもみない形で調査隊の、人間の信仰を手に入れる。彼女は信仰を失った女神だそうだから、再びの復権を嬉しく思ったことだろう。

 そこで彼女はこう思考する。

「あ、あ、あれぇぇ? な、何か人の子らの信仰をいっぱい取り戻してしまったんですけど……! こ、ここれは女神としてビッグになるチャンスなんじゃないの!? や、やった! アタシの時代がついにやってきたわっ!!」

 そして、折角だから人間からも崇められる女神として"箱庭"で暮らしたい、と目的に二兎を追うような軌道修正を加えたのだ。

 どうしよう。……すごくしっくりくる。

 

「ヤマダ隊員、何やら苦虫を噛み潰したような顔になっているが大丈夫か?」

「……いえ、気にしないでください。自分の中で色々な疑問が解決したと同時に、厄介な"問題"に思い至りまして」

 マッキーが眉間に皺を寄せながら、小生の返答に首を傾げていた。と、彼が合点できない部分を問いつめるより早く、艦内の回線を通じて外部の状況がもたらされる。

 

『こちら機動第1班のタダノ。周辺にてエネミーアピアランス・インジケータに感あり。これから迎撃に向かおうと思うが……』

『こちら"レッドスプライト"コントロール。タダノ隊員の出撃を許可します。何やら歯切れが悪いようですが、どうしたのですか?』

『いや、"悪魔"の接近に気がついたのは女神の方が先でな。真っ先に飛び出していったんだ』

「え、トラちゃんさんが!?」

 仰天した小生の声を通信マイクが拾い取ったようで、タダノ君は困惑しながらもこちらに答える。

 

『ああ。今のレベルアップした自分が"信用"できる女神だってことを証明するんだって息巻いていてな。とにかく、援軍に赴きモニターする』

 言って通信が一端途切れ、艦内がざわざわと慌ただしくなった。その様子を見て、マッキーが禿げた頭に手を当て、嘆息する。

 

「……尋問している暇などなさそうだな。機動第2班は迎撃の準備を。ヒメネス隊員、今回はお前も前面に出てくれ」

「……わぁってるよ。流石に給料分の働きはするぜ。お荷物呼ばわりは真っ平御免だからな」

 マッキーに声をかけられたヒメネス隊員が、皮肉めいた物言いを返した。彼は確か、2号艦"ブルージェット"号のクルーだったはずだ。こうして"レッドスプライト"号に乗り込んでいるということは、彼らは小生らよりも前に2号艦のクルーとも合流を終えていたということなのだろう。

 つまり、これで行方不明になっていた4艦すべての消息が判明したことになる。

 そう言えば、4艦すべてを統括すべき隊長の姿が見えないが、一体何処にいるのだろうか?

 でも、今それを聞くのはあまりにも空気が読めていない行為の気がする。

 

 どうしよう……、聞こうか、聞くまいか。

 小生がまごついている内に、"レッドスプライト"の機動班は降車デッキから出撃し、しばししてから艦内モニターに戦闘映像が映し出された。

 そこにはいつぞやに出会った山羊頭の巨人たち。それと正面から体当たり気味に殴り合いを繰り広げているトラちゃんさんの姿があった。

 

『あ痛ぁっ!? こんの、お返しのマッスルパンチよ! マッスルパンチ! マッスルパンチ!』

『"エルブス"の女神! "フォーモリア"は体力があり、相手の攻撃力を減らす戦闘術に長けている。以前使っていたマハムドオンを使え!』

『この前、マッスルパンチに変えちゃったからもう無いわよ、そんなの!! でも、これで良いの。この前カンバリに相談したら、人に"信用"されるにはまず体当たりするしかないって言ってたわっ』

『色々と言いたいことはあるが、今は突っ込んでいる暇がない! とにかく、怪我をするな! というか、勝手に動くな! 俺がヤマダに怒られるんだよッ!!』

 現場は一見して調査隊優勢であることが読みとれたが、色々な意味で阿鼻叫喚の様相を呈していた。連携できない戦闘集団の統率って、あんなに大変なものなんだな……。

 とりあえず、トラちゃんさんには後で言葉の綾という概念を伝えるとして、

 

「"アーサー"さん、提案良いですか?」

『はい、何でしょうか? ヤマダ隊員』

 小生は今一番大事な問題を片づけてしまうことにする。

 

「トラちゃんさんの疑惑と、調査隊との折り合いについては結論を先延ばしにしていただけませんか?」

 この提案に、作戦班のカトーが色を変えた。

 

「何を言っている、ヤマダ隊員! あれは……、いや彼女の力は映像で見たとおりだろう。何の対策も打たずに放置するのは危険すぎる」

「だからこそ、今下手を打って敵に回すわけにはいかない、と考えるべきだと愚考します」

 カトーや他の隊員がぐうと押し黙ったところに、小生は畳みかける。

 

「小生がこう申しますのは、何も感情的な理由で我を張っているわけではありません。正直、この敵か味方か、操っているのか操っていないのかという問いかけは……、やぶ蛇になりかねないと思うのです」

『アナタの懸念をお聞かせください。ヤマダ隊員』

 "アーサー"に促されるまま、小生は続ける。

 

「まず、根本的にトラちゃんさんと我々調査隊の目的は反目している可能性が非常に高いです」

「は、反目?」

 カトーたちが絶句する中、

『成る程、アナタの懸念は理解できました。確かに、この件は深く追及するべきではありませんね』

 と"アーサー"が独り納得する。いや、

 

「どういうことなんだ、"アーサー"」

「そんなに難しいことじゃないわ。トラソルテオトルと名乗る彼女の目的と、私たちの目的を比較してみればすぐ分かることだと思う」

 ウィリアムズが"アーサー"の言葉に追随した。彼女は指を立てて、教師のように周囲を見回した。

 

「私たちシュバルツバース調査隊は、この不可解な空間現象の原因を突き止め、可能ならばそれを解決、もしくは原因そのものを破壊することを使命としているわ。そして、原因に関しては朧げながら予想もついている。4号艦のサポートAIが重要な情報をもたらしてくれたから」

『ワタシの同胞である"アイザック"を親とする"ダグラス"なるプログラムの分析ですね。トラソルテオトルが"箱庭"という異次元を生み出したように、このシュバルツバースも強力な悪魔によって生み出された可能性が強いという……』

 ウィリアムズが「ええ」と頷く。

 

「問題は、この『空間を生み出す』という悪魔の権能そのものにあるの。彼女らの生み出した空間は皆、このシュバルツバース内に内包された小宇宙として存在が許されているものだと仮定できるわ。では、これらの空間は果たしてシュバルツバースが消滅した時、存続していられるものなのかしら?」

「あっ」

 と隊員一同が顔色を青くした。

 

 そうなのだ。トラちゃんさんの目的が"箱庭"で細々と暮らすことである以上、"箱庭"の土台となるシュバルツバースの消滅を目指す調査隊の方針は、彼女の望みに真っ向から対立する可能性が非常に高いと考えて良い。

 もし彼女の現状を二兎に目が眩んだために、迷走を続けている状態だと仮定すれば、いずれは調査隊と彼女の道が分かたれる日がやってくる。そしてそれは決して遠い未来の話ではないはずだ。

 ゆえに小生は考える必要がある。彼女の望みと調査隊の望み、その双方がうまく落着する選択肢を。彼女が悲しまぬ、願うことなら笑っていられる選択肢を。

 小生は言った。

 

「とりあえず、おトイレを借りて良いでしょうか?」

 

「いや、何でこの流れでトイレが出てくるんだ!?」

 盛大に突っ込むカトーに対して、小生は真顔で答えた。決して、積もり積もったプレッシャーに胃腸が屈したわけではない……。いや、だけではない。

 

「カンバリ様との、小生らを助けてくださった秘神との"約束"があるんです。とりあえず、目に付いたトイレは片っ端から掃除するようにという……」

「待て、それは女子トイレもか?」

 男勝りな女性班員の険しい口調に、やや気圧されつつも「はい」と答える。直後、隊員たちから「うわあ」と哀れむような咎めるような眼差しが飛んできた。お、お花を摘みにレコーディングしに行きたい。

 皆が言葉を発しない中、"アーサー"が平生と変わらぬ口調で問いかけてくる。

 

『それがアナタたち、いやアナタが強力な悪魔たちから力を借りるために交わした"契約"だったのですね。ヤマダ隊員』

「うーん。今更ながら考えてみると、"契約"というよりは、"約束"……、でしょうか?」

 言霊というオカルトの範疇ではあったが、小生は後者にどうしてもこだわりたかった。

 辞書的な意味合いで、この二つの言葉は同じ"合意"を表しているが、個人的には"約束"の方がより善意や好ましい人間関係のもとに交わされるものという印象が強い。

 そう、小生は彼女らと敵対したくないのだ。気に入ってしまっているのである。

 先だって、信用はしていないが"信頼"していると答えたことはその好意の現れであった。だからこそ、

 

「質問があります、"アーサー"。今後、我々は"レッドスプライト"号の保護下、管理下に置かれることになるのでしょうか?」

『はい。当艦に合流する場合、クルーとして艦務分掌を担ってもらうことになるでしょう』

「ならば、小生は合流しないでいようと思います」

「待て、何でそうなる! お前が操られていないのならば、行動を共にしない理由がない。今は助け合うべき状況じゃないか!!」

 慌てるカトーに小生は少し思案した後、こう答えた。

 

「いえ、理由はあります。調査隊にとって、トラちゃんさんたちと距離を置くことはデメリットにしかならないと思うからです」

『アナタの言わんとすることが理解できました。ヤマダ隊員。アナタはトラソルテオトルと我々の決定的な衝突を防ぐ緩衝材になろうというのですね』

 彼の緩衝材という言い回しが初めから敵対を予期しているように聞こえ、小生は複雑な思いを抱きながらも苦笑いして頷いた。

 

「まだ1週間とちょっとの付き合いなんですけど、あの女神様は寂しがり屋なんですよ。"約束"がありますからね。小生は彼女から離れられません」

 小生の固い意志が伝わったのか、"レッドスプライト"クルーから特に反論は返ってこなかった。

 そして、"アーサー"が平生のままに結論を下す。

 

『分かりました。それでは、アナタには"隣接した中立以上勢力"に所属する交渉人(ネゴシエイター)としての働きを期待いたします』

「……お任せ下さい」

 彼のこの発言は、小生と"レッドスプライト"クルーとの完全な決別を示唆していた。"隣接した中立以上勢力"……、"隣人"とは結局のところ、身内でも仲間でもなく単なる他人でしかないからだ。

 それでも小生はそのことを寂しくも悲しくも思わない。今の小生は、トラちゃんさんと人間が争うところを見たくないという一心に自らの判断を委ねていた。

 

『我々は、アナタたちを"隣人"という意味合いでNeighboring Occupant in Association for Harvest……、とでも呼ぶことにします。略称は、"箱庭の住人"ですね。我々シュバルツバース調査隊は、"箱庭の住人"との友好的な距離感を望みます』

「こちらこそ、同感です」

 小生は彼の要請を快諾する。

 かくして小生は、人間でありながらも人外勢力に与する交渉人と化したのだ。

 ついでに艦内のトイレも隅から隅まで掃除し尽くしたのであった。

 あ、結局隊長の所在を聞けていないや。

 

 

 

 あの後、"フォーモリア"のお代わりが大群でやってきたらしく、しこたま殴られて目を回していたトラちゃんさんをタダノ君から引き渡してもらい、彼女をえっちらおっちら背負いながら"箱庭"へと戻ってきたわけだが、

「……何があったんです? これ」

 "箱庭"は、散乱していた資材こそ綺麗に片づけられ、"トカマク型起電機"にも肉厚の特殊金属によって放射線防護処置が為されていたものの、人の方がとっちらかってしまっていた。

 顔を赤くして伸びた隊員たちが死屍累々の様相を呈しているのだ。

「ああ、ヤマダさん。お帰りなさい。ええと……」

 数少ない素面のゼレーニン中尉が、目を泳がせながらどう説明したものかと言葉を濁す。いや、よくよく考えてみれば彼女の説明を受けるまでもない。

 彼らは明らかに泥酔して倒れているようであった。つまり、犯人は酒を司る神しかいない。

 小生はディオニュソスさんの姿を探す。

 彼はまだ生き残っている隊員たちと"アーシーズ"の大地に銀色のシートを広げ、車座になり、コップを片手に馬鹿騒ぎをしている最中であった。

 地面の所々に何かしらの染みができており、"アーシーズ"が『うごごご』と呻いている。

 

「これより呑み残し判定裁判を執り行うっ! もし杯に呑み残しがあったならば、呑み残し罪によって酒刑に処す!!」

 資材班の年長者がコップを片手にそう叫ぶと、周囲の生き残りとディオニュソスさんが盛大な拍手とともにコップを掲げた。

「どーきどーき魔女裁判! どーきどーき魔女裁判!」

 ……誰だ、東アジアの悪しき風習である呑みにけーしょんを皆に広めた奴は。

 開いた口がふさがらないままに、乱痴気騒ぎは続けられる。

 年長者がディオニュソスさんのコップをひったくり、ものすごい勢いで振り回した。で、当然アルコールの一滴が中から飛び散る。

 

「判定は、アウト!」

「はい、ディオっちゃんアウトー」

 有罪判定を食らったディオニュソスさんがおもむろに立ち上がり、お代わりに注ぎ足されたアルコールを一気に飲み干す。

 そして、上機嫌に一言。

 

「フフフ。新入生のディオニュソス。脱ぎます!!」

「へい、ダーンス! へい、ダーンス!」

「フフ、フフフ。このデカダンス……、素晴らしいですねぇ!」

 トーガを脱いだディオニュソスさんが、隊員たちの拍子に合わせて不思議な踊りを披露した。見るだけで意識を持っていかれそうな不可解な踊りだ。

 ああ、ついに伝家の宝刀、下ネタ隠し芸まで飛び出し始めた……。

『こ、これが純朴な学生を罠に陥れる悪質サークルの実態……。何故ワタシには身体がない……』

 "アーシーズ"の妄言はこの際どうでも良い。

 

「あんなになるまで……、一体何処にアルコールが」

「あの、機械洗浄用のメチルアルコールを……」

「ちょっと、ダメな奴じゃないですか!」

 顔を隠して色々と見ないようにしている中尉の言葉に、慌てて隊員たちのコップを取り上げると、ぶうぶうと不平の雨霰が降ってきた。

 

「おいぃ、ダメじゃないかチミぃ……。ボクぁね。逝ってみたいんだよ、イスタンブールに……」

「アルコールは旅客機じゃありませんよ!」

「ヤマダァ! 折角の酒取るなヤマダァ!!」

「メチルアルコールはお酒じゃないでしょ! 失明の危険があるでしょうがっ!」

 ドクターは何やってるんだと姿を探すと、助手さんの膝枕でダウンしていた。"リリム"に火照った顔を手で仰がれていたり、な、何だあの男の夢を具現化したかのような光景は。てか、ドクターも飲んでるのかよ。

 

「ああ、何でこんな体たらくに……!」

「ネモたちの追悼式のつもりだったのよ。最初は」

 顔を隠しながら中尉が言う。

 彼女の説明によると、初めは防衛戦で散っていった仲魔たちの墓作りと追悼式を大真面目にやっていたらしいが、途中で全滅したトウモロコシ畑から新たな芽が飛び出していることに気がついたようで、そのまま祝典にまで発展してしまったのだという。

 

「へ。芽が出たって……、マジですか?」

「ええと。本当よ。自分の目で確かめてみるといいわ」

 言われて畑を見に行くと、倒れた茎の隙間から、単子葉類特有の子葉が無数に飛び出している様子が目に飛び込んできた。それも以前よりも広域に。元々、異様に成長の早かったトウモロコシだったが、まさか再生力まで高かったとは……、驚きのあまりに我が目を疑う。

 

「いや、それにしたってメチルアルコールは駄目でしょう」

「それが、お酒の神様が毒性を抜いて下さって……。その御業に観測班の班長が大感動して……」

「ああ、状況読めました」

 恐らく、彼らはオカルトの科学的分析という名目で、無毒に変質したアルコールの賞味を始めたのだ。班長はチームワークを重んじる、後方人員の中ではストッパーの役割を担う人材だが、こと知的好奇心が絡む分野になってしまうと、ブレーキを踏まずにアクセルを全開で開いてしまう。

 そこに娯楽に餓えていた面々が合流し、自然と宴会が始まったというわけか。

 で、状況は読めたが、どうすれば良いんだ。これ……。

 正直アルコールが抜けるまでなんともしようがない。

 うーん。

 うーん。

 

「……よし、見なかったことにしよう」

 小生はトラちゃんさんをマットに寝かせて、生き残った酒飲みの狂人たちが理性を取り戻すまでひたすら待機することにした。

 資材の山を背もたれにして、その中から取り出したるはジップロック。コップに道頓堀由来の水を注ぎ、コップ片手に謎肉のブロックをちびちびと食べる。

 

「何だか、ごめんなさいね。私が彼らを諫めることができれば良かったのだけれども」

 中尉が小生の隣に座り込み、申し訳なさそうに頭を下げた。無言でトラちゃんさんの膝枕役を務めるあたり、彼女の信仰心は少しも揺らいでいないようだ。

 小生は中尉のメリハリがきいた太股が変形する様をちらちらと視界に納めながら、苦笑いして返す。

 

「いえ、中尉も大変だったのでしょう」

 小生は彼女の胸元を見た。いや、決していやらしい理由から見たわけではない。彼女の母性豊かな胸元がどうというよりは、胸ポケットに入っているらしき"物質"へと目を向けているのだ、小生は。

 

「ブレアさんから、"デビルソース"の説明を受けたんですね?」

 恐らく、彼女の胸ポケットには"ゴブリン"の……、根元の"デビルソース"が入っているのだと予想される。よくよく考えてみれば、根元もあれだけ彼女に惚れ込んでいたのだから、絆の一つも残さずに逝くとは到底思えなかった。惚れた女のためにさくっと身代わりに死んでいくような潔い性分の奴は、フライド謎肉を隙あらば独占しようとしたりはしない。

 中尉は小生の指摘に「あっ……」と驚き、すぐに表情を綻ばせた。

 

「帰ってくると良いですね、彼」

「"レッドスプライト"号ならば、蘇生の処置ができると聞いたの。後で、行ってくるわね」

 そしてしばらく無心で謎肉を口に放り込む。

 早く皆の酔いが醒めないかなあと考えながらぼおっと口を動かしていると、中尉が興味津々という風にこちらを見ていることに気がついた。

 

「どぞ」

「ありがとう。……やっぱり、ジャンクよね。このお肉。もう少し何とかならないものかしら」

「地上の動物とか家畜をここで飼えるようにならない限り、ちょっと難しそうですよねえ」

「そう。ここは地上ではないのよね。あくまでも人の業が生み出したシュバルツバースの中に、私たちはいる……」

 そう言うと彼女は難しい顔をして黙り込んでしまった。きっと難しいことを考えているのだろう。小生もまた同じだ。

 トラちゃんさんたちのこと。自分たちのこと。これからのこと。考えることが多すぎて、頭がパンクしそうであった。

 

「努力しなきゃですね、色々と」

「そうね」

 結局、隊員たちの馬鹿騒ぎは丸一日続けられた。

 

 

 

「ヤマダ、この種は何処に蒔けばいいの?」

「あー。えっと、班長さん! 土壌成分の分布図もう一回見せて下さい」

「ええ……? 今、解析で手が放せませんから口頭で勘弁を。というか、もう区画ごとに縄張って下さい。二度手間はごめんですよ、僕は」

 追悼式と祝宴を兼ねた宴会の翌日、小生と一部の後方人員、そしてトラちゃんさんたち仲魔組は滅茶苦茶に荒らされた畑の復旧につとめていた。

 いや、復旧というよりは拡張かもしれない。正直、トウモロコシ畑自体は抉れた地面を均す程度にしかやることがなく、そのまま捨ておいても直ぐに再生するだろうと思われる。

 本題は、新たな作物の植え付けだった。

 

「それにしても、珍しい人たちもいたものね。この土地にお野菜の種を持ち込んでいる人がいるなんて」

 トラちゃんさんが、明るい表情で地面に野菜の種を蒔きながら言う。

 彼女の言う「珍しい人たち」とは、"レッドスプライト"号の隊員たちを指していた。

 実は昨日に小生が"レッドスプライト"号に乗艦した折り、無理を言って植物の種を持っている隊員から何種類かの種を分けてもらっていたのだ。

 分けてもらった品種は、トマトにカボチャ、カブにニンジン、ダイズ、ジャガイモなどの食卓に世界各国で愛されている作物であり、小生の持ち帰った戦果に、同僚たちは沸き立った。

 彼女の何気ない一言に、小生は確かにと考え込む。

 

「んー、確かにそうですね。艦内で家庭菜園でも作るつもりだったんでしょうか?」

「それ多分、お国柄だと思うぜ」

 とトラちゃんさんに並んで、種を蒔いていた資材班のヒスパニックが口を挟んできた。

「その野菜の種を持っていたってのはロシアの出身者じゃないか? あそこの国はスプートニクやらミールやらの宇宙開発競争時代から、宇宙船に農業スペースを作る試みを続けていたんだ。"ライトニング"型次世代揚陸艦は宇宙船の技術が随所に使われているからな。大方、同じ感覚で種を持ち込んでいたんだろうさ」

「な、成る程。あ、でもイタリアの方もいました」

「通信班のムッチーノだろ? イタリアの宇宙機関は数年前までNASAの技術供与を受けていたはずだが、最近はコストの関係でロシアとの関わりを深めているから、流儀を準じても分からんでもないな。本人の趣味かもしれねえけど」

 ちょっとした疑問に細やかな説明が返ってくるのが、この調査隊の恐ろしいところだ。特にヒスパニックは、実家が畜産農家のトラちゃんさん信者という印象しかなかったから、思わぬ知識にびっくりであった。

 トラちゃんさんもまた小生と同様、彼の説明にほうっと感心しているようだ。

 

「良く分からないけど、お野菜が増えるのは良いことね!」

 いや、肝心の部分は理解していなかった。いや、肝心の部分だけ理解したのか……? ヒスパニックが「その通りですね、女神様」と微笑んでいるあたり、間違っているわけではないのだろう。多分……。

 

 気を取り直して、小生は無心で大地に穴を掘り、

『アッ』

 種を植える。

 中腰で後ずさりするように位置を変え、また大地に穴を掘り、

『アッ』

 種を植える。

「ちょっと"アーシーズ"さん、静かにできませんか?」

『え、今猿轡って言いました?』

「言ってません」

『というか、もう少し優しく』

「だったら自分で穴作ってくださいよ……」

『は、破廉恥な!?』

「何で!?」

 小生が嘆息したところで、芋畑を作っていたヒスパニックがおもむろに言う。

 

「ジャガイモ植えてると、あの映画思い出すんだよな」

「ひょっとして、火星でサバイバルするお話しですか?」

 彼の独り言に乗っかってきたのは、ダイズ畑を作ろうとしていたドクターだった。

 独り言を拾ってもらったのが嬉しかったのか、ヒスパニックも中腰にしていた体勢を持ち上げ、身振り手振りを交えた雑談を始める。

 

「そうそう、あれ面白かったよな」

「僕は原作小説読みましたよ。ダクトテープの使い道を学んだのは、あれのお陰です」

「確かにダクトテープはすげえ。魔法ってああいうもんを言うんだって思った」

 彼らのやり取りは、何と言うか完全に村人の会話そのものであった。

 いや、牧歌的なのは悪いことではないと思うが。良いのかなあ、これ。

 だって、彼らは"レッドスプライト"号への合流を断ってしまった面々なのである。

 それでのほほんとしていられる辺りがちょっと理解できない。小生なんてかなり覚悟を決めてようやく決断できたのに……。

 

「……本当に"レッドスプライト"号に行かなくて良かったんです?」

 どうしても合点がいかなかったため、小生はヒスパニックにそう問いかける。すると、彼に「アァ? 何言ってんだ。オメェ」というような顔をされてしまった。

 

「女神様のいる場所が俺の場所だろ? ブラザーだってそうだろうが」

「お、おう」

 信者レベルの高まりを感じる……。というか、小生は彼のブラザーだったのか。その内、異端者を攻撃し始めないか、本当に心配だ。

「あ、僕はフィールドワークのできる場所から動くつもりはありませんよ」

 とは観測班の班長。ちょっと理系脳には聞いてない。

「僕らも、この"箱庭"に人が居住する限りは動くつもりはないですねえ……。医者ですから」

 とはドクターの言だった。正直、彼には"レッドスプライト"号へと向かって貰いたかったというのが正直なところだ。というのも、小生を検査したゾイという女性が彼の熱烈なファンらしい。

 何でも彼は世界的に猛威を振るいつつあった難病の撲滅につとめた名医なんだとか。彼女からは何としてでもドクターを"レッドスプライト"に合流させるよう、強くせがまれていた。これで「何の成果も上げられず、説得できませんでした……」なんて言った日には、無事でいられる気がしない。

 そんな風に小生が戦々恐々としているところに、観測班班長の奇声が挙がった。

 

「あああああ! 理解した(エウーレカ)!」

「どうしたんです?」

「やはり、"マンドラゴラ"は生育環境によって能力差が生じるようなのですよ!」

「待って。ちょっと何してるの……?」

 慌てて駆け寄ってみると、満面の笑みを浮かべた彼の手元には、風呂に入ってのぼせたかのような、とろんとした表情を浮かべた人面の植物が土に植わっていた。どう見ても、"悪魔"です。本当にありがとうございました。

 

「何処から調達してきたんですか、この子!」

 こちらの剣幕に対して、班長は「え?」と不思議そうな顔をした。何でだ。

 

「そんなの、"箱庭"内を飛んでた骸骨ヘッドの鳥や"タンガタ・マヌ"たちを素材にしましたよ。実は神樹なるものが作れないか頑張っていたんですが、僕が何度やっても何故かDARK属性の"悪魔"しか生まれてくれないんですよね。あ、勿論合意の上での合体です」

「待って、ちょっと待って」

 しれっと発している言葉のすべてが爆弾発言すぎて、理解が全然追いつかない。

 

「合意の上って、どういうことですか!?」

「いや、"タンガタ・マヌ"と話し合ったのですけれどね。どうにも、ある種の"悪魔"にとって肉体というものは大して意味を持たないのだそうです。魂と肉体が分離していると言いますか」

 彼の説明を大まかにまとめると、おおよそ次のようになるだろうか。

 まず、秩序を重んじる"悪魔"は自らの肉体を仲間のために捧げることを苦にしない。魂もまた一定の寿命を持たないからか、何らかの役割を果たせるならば素材とされることに抵抗はないようだ。

 対して混沌を尊ぶ"悪魔"は自らが至高の存在に生まれ変わることを望む。故に他の"悪魔"の魂や肉体を糧に、より強い力が得られるのならばそれは喜ぶべきことらしい。

 さらに、こういった考え方に分霊と本体といった概念も混ざってくる。つまり、

「ほとんどの"悪魔"は自らの合体を肯定しているということですか?」

 班長は頷いた。

 

「うちの女神様や秘神さまたちは例外と言えるのでしょうね。彼女らは御自身の神格に信仰が集まることを喜び、特定の目的を持っていらっしゃいますし。ですから」

「ですから……?」

「おお! 成る程、じゃあ立ち止まる必要はないな。よおし。頑張るぞ! と」

「そこは止まって! 左右を見て下さいよっ!」

 小生は班長の肩をがっくんがっくん揺さぶった。

 彼の調査や発見は我々調査隊にとって直接的な戦力増加につながる重要なものであったが、実行に至るまでのプロセスをはしょりすぎている。これ、絶対後で他の隊員たちの間で物議をかもすやつだ。

 マッドサイエンティストとは、きっと彼のような人物を言うのだろう。ブレーキを踏まねばならぬ場面で、アクセルを全開に踏み切ってしまうその精神が恐ろしい。

 彼は自らの大発見が相当誇らしいようで、仮説の上に仮説を積み上げた夢物語を語りだした。

 

「とにかく、合体や召喚によって生み出す"悪魔"の個体特性が、その生育環境や"デビルソース"などの外的・内的要因で変化するという事実は非常に興味深いものですよ。これ、多分"悪魔"の品種改良や、人造の"悪魔"を作り出すことすらできるかもしれません。例えば、安定的に肉を供給できる家畜"悪魔"、フード種の生成など……」

「……班長、ひょっとして北極で倒れたマッドサイエンティストのご先祖様とかいません?」

「ああ、はい。フランケンシュタイン博士なら、僕のご先祖様ですけど。というか、姓も同じですよ。ヴィクトール・フォン・フランケンシュタイン。丁度名前もご先祖様と同じなんです」

 皮肉で言ったつもりが、本当に伝説的マッドサイエンティストの子孫であった。あれ、実話なのかよ……。

 その後もフランケン班長は上機嫌に"マンドラゴラ"の手入れをしつつ、捕らぬ狸の皮算用をしていた。

 

「人造"悪魔"の名称はどうしましょうか? 個人的には造魔(デモノイド)が通りも良いと思うんですが……」

「……その前に、"レッドスプライト"号にどう報告するか考えた方が良いと思います」

「ああ、研究レポートは大事ですよね!」

 そう言うことじゃないんだけどなあ……、と半眼でねめつけても、彼は全く意に介そうとしなかった。

 それどころか、トラちゃんさんにまで矛先を向ける。

 

「女神様はどう思います?」

「へ!?」

 恐らく、種蒔きに夢中で彼の言葉を聞き流していたのだろう。いきなり水を向けられた彼女は「んーと、んーと」と頭を抱えつつ、

「ええと。それって……、絶対にアクマを。命を冒涜することにならないって保障はあるの?」

 と意外に核心に迫る問いを発した。思わず、彼女を二度見する。

 

「……何よ?」

「いや、卓越した慧眼だと思いまして。確かにその通りですよ」

「え、頭良さそうな質問だった? 今の」

 途端に彼女の鼻が伸びるが、その確認は頭が悪そうでコメントに困る。

 フランケン班長は彼女の質問に満面の笑みを浮かべて、こう答えた。

 

「生命倫理に関する問いかけですよね! 流石生と死を司る女神様です。勿論、全ての生命に感謝をして、祈りを捧げる場を用意し、固体数が増えるよう保護も行い、無駄な殺生も減らしましょう。後、家畜とする"悪魔"に戦闘能力と労働力を期待するようにすれば、女神様の御懸念も解決できるのではないかと思いますが」

「ん? んー? それなら、良いの? かなあ? トウモロコシみたいな作物と同じように共生関係をとって感謝を捧げてくれるってことよね??」

 何か丸め込まれそうだが、小生の業界では彼の言う取り扱い方を馬車馬の如くと呼ぶ。

 良いのかなあ……? と思いつつも、"肉の安定供給"というパワーワードが小生の口を塞いでいた。

 ちらりとヒスパニックや、ドクターたちを見る。

 畜産農家出身のヒスパニックは、何を当たり前のことをという顔をしていた。ドクターと助手も無言でコクリと頷いている。

 成る程、彼らはフランケン班長の研究を黙認する腹積もりらしい。

 人間って業が深いんだなあ……、と小生は仮初めの青空が映る天を仰いだ。

 そんなやりとりを繰り返している内に、当面やっておくべき農作業も一通り終わる。

 

 改めて見渡してみると、方形に区切られた野菜畑が最低でも500坪くらいには広がっていた。各作物の間には畝が設けられており、立て看板を立てたことによってその識別も容易になっている。『女神様のトウモロコシ畑』やら『ディオニュソスの借地』やら『実験プラント』やら……。

 道頓堀の存在感も相まって、これはどう見ても農村の風景であった。いや、農村に『実験プラント』はあるのか……?

 いずれにせよ、この牧歌的な景色を満足げに眺めつつ、村人予備軍たちは玉のように吹き出した汗を手で拭った。

 

「良い感じじゃないですか」

「後、何かすべきことあっかな?」

 ヒスパニックの自問に、ドクターが「それなら」と手をぽんと叩く。

「いい加減、居住スペースを作るべきではないでしょうか? 特に医療面を考えて、隔離できる区画は重要です」

「家かあ。そこらはヤマダ隊員にお任せだな」

「えっ?」

「えっ? じゃないだろ。インフラ班、もうブラザーしか残ってないんだぞ」

 皆の呆れた眼差しに耐えかねて、小生はぷいっとそっぽを向いた。だが、言われてみれば確かにそうだ。

 

 "箱庭"に残った住人は今のところ、返事をまだ聞いていないゼレーニン中尉はさて置くとして、ヒスパニックとドクターに助手、フランケン班長に小生しかいないわけで、この中で建築の音頭を取るべきなのはインフラ班たる小生しかいないだろう。

 小生は咳払いを立てて、当面の仮設住居を建設すべく、皆にやるべきことを指示することにした。

 と言っても、最初は簡単なテントを設営するだけで問題ないだろう。

 何せ、まともな住居を作ろうにも資材がない。

 とりあえずは男女に分かれた宿泊施設を二棟かなあ……。"タンガタ・マヌ"さんたちの寝泊りできる空間も作らなきゃだから、広めに作るべきだろう。

 

「じゃあ、もう良い時間ですし……、ぱぱっと終わらせちゃいますかあ」

 小生の指示に村人と仲魔たちが頷き、各々で資材をかき集め始める。

 デモニカスーツという文明の利器と、意外にパワフルな"タンガタ・マヌ"さんたちや、明らかにパワフルなトラちゃんさんやディオニュソスさんのお陰で――スダマは基本的に邪魔をするだけである――、作業は驚くほどスムーズに進んでいった。

 

「支柱何処に置く?」

「そこで、斜めに組み合わせます。予備のダクトテープ何処でしたっけ?」

「あ、はい! ここにありましたー」

「ねえ、ヤマダ。アタシの仕事は?」

「何じゃ、戻ってきたと思ったら、本格的に村づくりを始めたんじゃのう。なら、カワヤ作りも忘れるなよ?」

「あ、お帰りなさい。カンバリ様。ええ、トイレは絶対に作りますよ」

「ふうむ、私も酒造庫が欲しい所ですが……」

「む、それならアタシだって神殿が欲しいわよ!」

「あの、そういうのは後でも構わないでしょうか……?」

 そうして、偽りの陽が地平線に落ちようというところで、二棟のテントが完成する。

 金属の棒をダクトテープで組み上げた、簡易式のテントである。日持ちはしないと思うが、どうせ間に合わせの住居のため、特に凝る必要もないだろう。

 

「後は照明とマットを持ち込むだけだな。他に必要なものってあるか?」

「ん、とりあえずはそれだけで良いんじゃないですかね。"タンガタ・マヌ"さん、お疲れ様です! 謎肉の余り用意しますから、今日はテントで休んでください!」

「それに沿って、遠慮なく」

 コクリと頷いた10体近くの"タンガタ・マヌ"さんたちが、ぞろぞろとヒスパニックの後に続いてテントの中へと入っていく。

 

「お、おい、これ狭いぞ!」

「遠慮なく」

「あ、うーん。少しは遠慮を、な!?」

 中から苦情が飛んできたが、今日はこれで我慢してもらうより他にない。

 彼らも"スダマ"たちもこの"箱庭"にとっては英雄であり、決しておざなりにできる存在ではないのである。

 今日は奮発して備蓄した謎肉を全部皆で分けてしまおう。お礼はできる時に、ちゃんとしておいた方が良い。

 そんなことを考えてジップロックをかき集めていると、

 

 

『……こちら、アルファリーダー。"エルブス"コントロール聞こえるか?』

 待ちに待った、リーダーたちからの経過報告がやってくる。

『リーダー!? ご無事でしたかッ?』

『ヤマダ隊員か……。そうだな。何とか俺は生き残っている』

 彼の声色は、明らかに消沈したものであった。

 まさかミッションが失敗したのか……?

 という可能性が脳裏をちらつくも、すぐに歓迎すべきニュースがもたらされる。

 

『"レッドスプライト"クルーの助力を得て、艦長たちの救出は成功できたよ。ミッション完了だ』

『それは……。でも……?』

 ならば、彼の暗い声色の理由に見当がつかない。

 一体何があったというのだろう。

 リーダーはぽつり、ぽつりと言葉を零す。

 

『あちらの事情を色々聞かされたよ。ゴア隊長は……、我々調査隊の隊長は殉職なさったそうだ。それに――』

 続く言葉に、小生は手に持っていた物を地面に落としてしまった。

 

 同僚の救出という一大ミッションの成功。

 それは決して無傷で得られた成果ではなかったのである。

 後日、リーダーたちの手によって、機動班の一人が変わり果てた姿でこの"箱庭"へと運ばれてきた。

 仲間に戦死者が出たのである。

 犠牲となったのは小生に好意を持って接してくれていた、野球好きの男性であった。

 

 

 そして、小生ら"エルブス"号の生き残りにして"箱庭の住人"たちは彼の死を悼む暇もなく、変転する事態に流され続ける。

 救出した艦長たちが多数の天使を伴い、"箱庭"の入り口にまでやってきてこう言い放ったのだ。

 

「これからアナタたちは、私たちの指揮下に入っていただきます」と。

 


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