シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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シュバルツバースで収穫と建築

 不意の来訪者にお帰り願ってしばし経った後、

「さあ、アンタが何でヤマダの中に棲みついていたか、きりきり白状してもらおうじゃないっ! 一体何を企んでいるの!!」

 "箱庭"の居住区画にはトラちゃんさんに詰め寄られている、頭に花を模したアクセサリーを乗せた半透明の少女の姿が加わっていた。

 彼女は一見しただけでは人外と全く思えぬ見てくれをしていて、袖の広い赤パーカーの上からでも容易に分かる女性らしいラインが、スレンダーofスレンダーなトラちゃんさんとは対照的な存在感を醸し出しいる。

 ――と、改めてトラちゃんさんの大平原ぶりに気づかされたところで、小生の腹に衝撃がやってきた。我らが女神様に強く踏みつけられたのだ。

 

「今失礼なこと考えたでしょ、ヤマダ!」

「……人の子を傷つけるような真似はおやめなさい。また、いたずらに信仰を失いかねませんよ」

「へんっ! ヤマダはね、死なない限りはアタシを信じてくれるって言ったもの! それに怪我しちゃうほど強くは踏んでないし!」

「それはそれで性質の悪い気がするのですが……」

 少女はパイプ椅子に腰掛けて、ゼレーニン中尉に差し出された白湯を優雅に飲んでいる。

 先ほどトラちゃんさんによって力ずくで小生の腹から引きずり出されたというのに、全くなんたる余裕であろうか。

 ちなみに小生の生命力を使って無理矢理顕現させているせいもあって、小生の方は全く余裕がない。ウンウン何か大事なものを吸い出される感覚に悶えながら、彼女の横に横たわっていたりする。

 半透明であるにもかかわらず飲んだものが消えていくという非現実的な光景を目の当たりにし、住人たちが目を丸くする中で、少女はほうっと息を吐いた。

 

「……白湯、まことにありがとうございます。けれども、お話の前にはお茶が飲みたいところですね」

「ちょっと、折角のこちらの善意にケチ付けて何!? 喧嘩なら買うわよ! お!?」

 腰に手を当てて精一杯のメンチを切っているトラちゃんさんを手でうるさそうに払いながら、少女は住人たちを見回した。

 

「まずはご挨拶致しましょう――。私は"レミエル"。大天使"メタトロン"様の配下にして偉大なる主より幻視(ヴィジョン)と雷の権能を授かり、人の子らの魂を見守るお役目を任された天使の端くれです。貴方たちのことはヤマダの身体を通して常に心を痛めながら見ておりました」

 "レミエル"という名からある程度は察せられていたが、やはり彼女は一神教の"天使"であった。ならば、当然の疑問が湧いてくる。

 何故、彼女は難癖をつけにやってきた"天使"側につかず、我々"箱庭"の面々をかばい立てするような行動をとったのか?

 その思惑が読みとれず、自ずとリーダーや"ギガンティック"のエースが半身に身構える。マッチポンプか何らかの策謀を警戒したのだろう。

 口火に切ったのは、元々キリスト教徒のゼレーニン中尉であった。

 

「"レミエル"といえば、かなり位の高い大天使様よね……。でも想像と違って女性で、それに羽根も生えていないようだけれども」

「これは以前の依り代の姿を借りているだけですよ、ゼレーニン。"天使"の姿は貴女たちを余計に警戒させるだけだと思いまして――」

「そんなこと言って、最近のアンタって人の姿を借りる時は胸のでかい女の姿しか借りないじゃない。何時から無性特有の平たい胸板がそんなに嫌になったの? アンタの偉大なる主が仰ってるじゃない。平たい胸板を胸覆いなしに、主の栄光を鏡に宿すようにって。平たい胸板許されてるわよ」

 優雅な気配にひびが入ったかのような音が聞こえてきた。多分、幻聴だろう。

 

「……今の貴女も大平原ではありませんか、トラソルテオトル。いつもヤマダが貴女のことを見るたびに、その脳裏に平坦の二文字を踊らせておりますよ。これから二文字様とお呼びしても?」

「ちょっ」

「はっ倒すわよ、サナダムシ型天使ッッ!」

 トラちゃんさんとレミエルさんの額がぶつかり合った。

 何、この二人って犬猿の仲なの……?

 呆気に取られ、口をぽかりと開ける"箱庭の住人"たち。

 肩の力が抜けたように、リーダーが剃った頭に手を当てて二人の喧嘩に割って入った。

 

「……コンプレックスは誰にでもある。それより、女神と貴女は古くからの知り合いなのか? 我々が警戒を解くに足る証があるのならば、それを見せてほしいのだが……」

 レミエルさんはトラちゃんさんの額をがしっと掴み、じたばたもがく彼女を締め上げながら、恥ずかしいところを見せたとばかりに咳払いをした。

 

「失礼……。もう長いこと或る女性を見守り続けていたこともあり、私の人格も人間のそれに大きく影響を受けてしまっているようです。天使たるものこれではいけませんね。まずはっきりとさせたいことなのですが、この世界において私と"マンセマット"は相入れません。はっきりと、私にとっての障害……、敵であると言い切ってもいいでしょう」

「口だけなら何とでも言える。だが、それをどう証明するんだ?」

 眉間に皺を寄せたままそう問いつめたのは、エースだった。彼が"天使"に抱く第一印象は最悪と言っても過言ではないようで、少しの嘘を許さぬとばかりに両のまなじりをつり上げている。

 レミエルさんは彼の射抜くような視線を柳に風と受け流し、

「百の自己弁護を行うよりは、貴方の仲魔に一度確認した方が早いかと思われます」

 とハルパスさんに目を向けた。

 何処から調達したのか、何かの生肉をずっとついばんでいた彼はレミエルさんに水を向けられたことで、呆れ混じりに羽根を羽ばたかせる。

 

「貴様、よりによって堕天使に力を借りようとするとは……、天使の誇りはないのか?」

「私も必要に応じて堕天使へと身を落とすことがあります。他の同僚と違って、堕天使であるから、異教の神であるからとすぐに噛みつく性分はしておりませんよ。それに私の存在は、必ずや貴方たちの役に立つはずです」

 ハルパスさんは彼女の揺るぎない物言いに深いため息をつき、エースに向かって声をかけた。

 

「……まあ、現状特段の警戒をする必要はなかろう。こやつは他の天使どもと比べて、輪をかけて頑迷な変わり種だ。頭が"固すぎる"ゆえに信用はできる」

「その言葉の何処に信用できる要素があるんだ……?」

 戸惑いつつもエースが返すと、ハルパスさんがさらに言葉を付け足してくる。

 

「こやつは自らの言葉を決して偽らぬ。そして、一度こうと決めたものに関しては上位の天使に何を言われようとも聞く耳を持たぬ。そんな面倒くさい在り方をしているモノなのだ」

「お褒めに与り、光栄です」

「褒めてはおらぬがね」

 レミエルさんは心持ち誇らしげに胸に手を当て、ハルパスさんの台詞を引き継ぐ。

 

「まず私が主より与えられた使命は、この世界にあまねく全ての魂を見守り続けること。世界が終焉を迎えるその日まで、ただ見守り続けることが私に課せられた使命なのです」

「それと"マンセマット"とやらの動きに、どのような利害対立が生じるんだ」

 リーダーの問いかけに、レミエルさんは少しばかり思案した後、不愉快そうに答えた。

 

「さて、私も彼ではありませんから、正確な思惑まではわかりかねますが……。恐らく、彼はこの地に生まれし"悪魔"どもを全て討ち滅ぼした後、地球の本来的に持っている浄化作用を利用して、人間文明を彼に都合の良いよう根本から作り替えるつもりのようです」

「根本から、作り替える……、ですって?」

 中尉をはじめとする"箱庭の住人"たちが驚愕に目を見開いた。

 

「にわかに信じがたい話だが……。そんなこと、できるのか?」

「可能です。はるか昔、"大洪水"の起こりし時には天使たちがそれに乗じて人の子らに"箱船"を造らせ、選別した種を次なる世界へ残しました。他の天使に行えたことを、"マンセマット"が目論んだところで何ら不思議ではありません」

「……その話が仮に事実として、だ。オレからしてみれば、何故アンタがお仲間の思惑に刃向かおうとしてるのか、説明になっていないよう思えるんだがね?」

 エースが胡散臭そうにそう問いかけて住人たちの注目が集まる中、レミエルさんは少し黙り込んでから小さく、けれどはっきりと言った。

 

「守りたい人間が、いるのです」

「守りたい……、何だって?」

 拍子抜けしてエースが返すと、レミエルさんは大真面目な表情で頷いた。

 

「この世界にはまだ自らの意思で過ちを正せる者たちがいます。他の大多数が救いがたい罪を犯したとしても、裁かれなければならないのだとしても、彼女らの努力まで貶めるわけにはまいりません。"マンセマット"の思惑通りにことが運べば、人類は皆未来永劫にその自由意志を奪われてしまうことでしょう。彼女らの与り知らぬところで、その意思を奪わせるわけにはいかないと思ったからこそ、こうして貴方たちに力を貸そうとしているのです」

 レミエルさんの言う"彼女"とは、恐らく今現在に姿を借りている女性のことなのだろう。

 彼女らの間に一体何があったのかは知るよしもなかったが、その絆だけは一見して本物であることが見て取れた。

 

「……人間サマが仲間を捨てて、天使サマがこう来るのかよ」

 そう、エースがぼりぼりと頭を掻いて毒づいた。

 大事な人を守りたいというえらく人間臭い動機を語られたことで、さしものエースも振り上げた拳の行く先を失ってしまったのだろう。

 困ったように目を向けられたが、小生は今も何らかのエネルギーを吸い取られ中であり、それどころではないため他を当たって欲しい。

 と、ここで中尉が再び口を開く。

 

「大天使様がそこまで入れ込む人間がいるなんて驚きだけど……。というか、その方々にシュバルツバース現象の解決を手伝ってもらうわけにはいかなかったのかしら? 大天使様が見込まれるほどなのだから、何か特別な力を持っていそうなのだけれども」

 確かに、と住人たちが中尉の質問に同意すると、レミエルさんは深刻な面持ちで首を横に振った。

 

「それは……、なりません」

「……それは何故かしら」

「……今は大学受験の真っ最中なのです」

「未成年かよ」

 さらに住人たちの毒気が抜かれていくのが良く分かった。胡散臭く見えた大天使が、いまや過保護な受験生の母親にしか見えない。

 取り繕うようにレミエルさんは続ける。

 

「さらに言うならば、この世界において彼女らは既に力を失っています。そんな彼女らに他人が重責を背負わせようとすることこそ、恥であると知りなさい。自分たちの犯した過ちを自分たちで解決できねば、人間の未来に先などありませんよ。1年のブランクがあったというのに、全国模試でようやく志望校のA判定が出せたのですよ。彼女の邪魔をしないでいただきたい」

 正論に身じろぐべきか、隙あらば差し込まれるお気に入りの近況報告に戸惑うべきか――。困惑に揺れる住人たちに向けて、彼女は絶好調に回る舌で続いて同僚に対する不満とお気に入りの人間たちに対する自慢をまくし立てていく。

 

 曰く、そもそもこのシュバルツバースが生まれてしまったのはお前ら人間の行いが悪かったからだ。そこはきっちり反省しろ。

 曰く、それはそれとして"マンセマット"は気に入らない。絶対あいつの企みはろくでもないから、とりあえず邪魔した方が良いぞ。

 曰く、最近お気に入りの子の化粧の仕方が様になってきた。未だ恋敵が多いんだからここが頑張りどころだと思うんだが、どう思う?

 知らんがな。

 こうして彼女の演説がひと段落ついたあたりで、じたばたともがいていたトラちゃんさんがキャンキャンと大声で言った。

 

「それで肝心のヤマダにとりついた件はどういうことなのよ! そっちを早く説明しなさいよっ!!」

 確かに、と小生は悶える。だって、そろそろ小生の中にある何らかのエネルギーが枯渇してしまいそうなのだ。あまり横道に逸れてもいられない。

 レミエルさんは唸り声をあげるトラちゃんさんを呆れた目で見つめつつ、

「貴女が出会うよりずっと前から彼の中にいたのですよ、私は」

 と意外すぎる事実を暴露した。

 

「正確にはもう4年近く前になるでしょうか? 見守ってきた人間たちが世界を救い、もう私の助言も必要がないと判断できたため、次なる依り代として見いだしたのが彼なのです。ちょうど彼は人の悪意を感知しやすく、神魔の依り代と成りやすい体質をしておりましたし、善性の強い魂を持っておりました。また、見守ってきた人間の一人の親類でもありましたから、潜り込むのは容易でしたね」

「え、誰です……?」

「アツロウ君ですね。バンダナがトレードマークのあの子ですよ」

 まさかこんな場面で聞けるはずのない名前が飛び出したことで、小生は顎が外れるくらい驚いた。

 そりゃあ、年に1度会うか会わないかの年離れた従兄弟が世界を救ったことがあると言われれば、誰だって驚くだろう。

 レミエルさんはさらに小生の腹に潜り込んでからのことをも語り始める。

 

「正直、以前の子と同じような巫女を見つけるまでの仮の住処のつもりでしたが、ヤマダの中は思ったよりも居心地が良かったのです。学生時代のボランティアに内戦地での善行……、戦争孤児用の学校作りも難民用のキャンプ設営も、彼は人としてかくあるべき行動をとっておりました。ですから、私も彼を救うために加護を授けたのですよ。人の悪意を受けた時、悪魔の脅威と向き合った時、持病の腹痛が増す加護をです」

 小生の業界では、それを端的に呪いと呼ぶ。そんな加護は受けとうなかった……。小生は絶望に染まった視界を両手で覆って大いに嘆く。

 

「そして、彼が救世の使命を帯びてこの地へとやってきた直後、私は彼を救うためにトラソルテオトルを呼び出しました」

「ちょっと、アタシはアタシの力でヤマダを見つけたつもりなんですけど!?」

「彼の放つ善き魂の信号を辿ってやってきたのでしょう? それを送ったのが私なのですよ」

 トラちゃんさんが悔しそうに歯ぎしりを始めた。今にもレミエルさんへ飛びかかりそうな形相をしていたが、レミエルさんの方はといえば、それを気にする素振りも見せない。すぐさま飛びかからないということは、トラちゃんさんにも思い当たる節があったのだろう。小生としても一応合点はいったのだが、何とも複雑な気分であった。

 

「まさか奴らと同じ天使の仲間が俺たちに女神様を遣わしてくださったとはなあ……」

「じゃあ、一応感謝しておくべきなのか?」

「僕たちはヤマダさんに助けられていますから、間接的には恩人ですよねえ」

「それより、"天使"と"悪魔"の肉体組成って違うんですか? 人造で"天使"は造れますかね?」

 一人天罰を受けそうな罪深いことを考えている理系脳を除いた住人たちがレミエルさんの取り扱い方を巡り、こそこそと議論をし始めた。

 そんな議論がある程度まとまった辺りで、中尉がぽっと出の疑問を口から漏らす。

 

「そういえば、大天使様は何故女神様を我々に遣わしたのでしょう……? こう言ってはなんですが、異教の間柄ではありませんか」

 この当然過ぎる疑問に対して、レミエルさんはまるで用意した回答のように即座に答えを返した。

 

「偉大なる主は別格として前置いても、トラソルテオトルは私にとっては特別な神ですからね」

「……は?」

 この答えには当のトラちゃんさんが素っ頓狂な声をあげて驚く。

 

「ちょっとアンタが何言ってるのか分からないんだけど」

「これでも一応褒めているつもりなのですよ。貴女には他のいかなる蛮神にもできないことができるのですから」

 今まで警戒心しかなかったトラちゃんさんの鼻が、徐々に徐々にと高くなっていく。

 

「……へえ、一応アタシにできることとやらを聞かせてもらおうじゃない」

 この問いかけに、レミエルさんは真顔で返した。

 

「人間には自立の心こそが大事なのです。主よりこの世界を委ねられた人間たちには、神魔などに頼らず自らの手で世界の行く末を善き方向へと導く権利があります」

「……まあ敬ってくれてるって前提が抜けてなければ、アタシにも納得できるわ。それで?」

「貴女は間が抜けていますから、人間が貴女に頼りきることはまずないと思いまして。頼りないという一点において、我々天使よりも、他のいかなる蛮神よりも優秀と言えるのです」

 言った瞬間、トラちゃんさんの頭突きがレミエルさんの額へと思い切りヒットした。

 そしてレミエルさんの半透明な身体が掻き消えていったところで小生の意識もプチンと途切れる。

 エネルギーがついに切れたのであった。

 

 

 

 ……というような経緯があり、小生ら"箱庭の住人"たちはレミエルさんを一応仲間として受け入れることにしたわけである。

 彼女は意外と役に立った。

 "トカマク型起電機"から余剰エネルギーを取り出すことで小生とは別個に存在することが可能になった彼女は、主に"天使"たちとの折衝においてその猛威を振るうことになる。

 何でも"天使"たちの世界においては厳しい上下関係が設けられており、"天使"たちはレミエルさんの存在を決して無碍にはできないようなのだ。

 今も彼女は"箱庭"の入り口に立ち、やってきた"天使"に人間用の食料を提供しているところであった。

 

「大天使"レミエル"よ。何故人間の姿などをとっているのですか……?」

「愚問ですね、"プリンシパリティ"。今の世において天使とはいたいけな少女の姿をとるものなのですよ。人々の自立した善性を育むためには、萌えというものが大事だと私はとある善き魂を持った少女からそれを学びました」

「はあ……」

 絶対勘違いしてるゾと思いつつも、小生をはじめとする"箱庭の住人"たちは敢えてそれを指摘しようとは思わなかった。

 手暇の時間にしばしばおかっぱ頭の悪霊や"スダマ"たちと共に、「天罰☆てきめん!」と決めポーズを取っている姿を目撃しており、最早突っ込む気力も失せてしまっていたのである。

 彼女はいわゆるオカン気質の天使だった。

 良く言えば寛容。悪く言えば踏み込み過ぎ。

 自身の母親がスマホを買ってLINEを始めた途端、絵文字を大量に送りつけてくるという経験をした人間ならば、容易に想像のいくメンタリティを彼女は持っているのである。

 彼女の上司であるという"メタトロン"なる大天使も、まさかこんなメンタリティを持っているのだろうか?

 そんなことを考えながら、小生は住人たちとたわわに実った畑の作物を次々に収穫していった。

 500坪の農地に植えられた作物は、たったの二、三日足らずで収穫時期を迎えてしまっている。

 トラちゃんさんの加護のお陰だということはわかっているが、先日の嘆きが最早遠い昔のようにすら思えてしまう。

 ……これ、本当時間間隔狂いそうだなあ。

 小生はデモニカスーツを腕まくりにし、赤や緑の果実を精密作業用の小型ニッパーで丁寧に切り落としていった。

 

「しかし、仲間を売ったような連中にまで食料を提供する必要があるのかよ? 未だに納得ができねえんだよな」

 とはタオルを頭に巻いたエースの言葉だ。

 彼は作物の収穫をもっとも楽しみにしていた人間の一人であり、「これだけの種類があれば、ポトフが作れそうですね。得意の料理です」と腕を鳴らす助手さんの言葉を原動力に、猛烈な勢いで作物を居住区画へと運んでいる最中だった。

 こうして発せられた彼の不平は彼個人だけのものではなく、例えば強面やヒスパニックもまた言葉には出さずとも賛同の気配を醸し出している。

 ちなみに彼らは芋掘り中だ。

 

「昨日タダノ隊員が言っていましたが、艦長たちが"外様"を選択してミトラスに売り渡したという容疑について、"レッドスプライト"号内でも激しい議論が巻き起こっているらしいですよ」

 ドクターの言葉に、強面が泥だらけの指で頬を掻く。

 

「……そいつはしょうがないことだな。特にヒメネスの奴が黙っちゃいないだろう」

 強面が言うに"ブルージェット"号のヒメネス隊員は、こうした裏切りを特に嫌悪する性格をしているらしい。

 ドクターも仕入れた情報がそのとおりに推移しているようで、少し暗い口調で彼に返した。

「緊急避難も度を越してしまえばただの人権侵害ですからね……。事情が事情ですし、全面的に彼女らに非があるとすべきではないと思いますが、それでも信用の低下は避けられないでしょう」

「ドクターのセンセは考えが甘いんだよなあ。仲間を売るような奴は、その時点で敵だろっと」

 そう言って、エースはずた袋に詰め込んだ大量のジャガイモを抱えて居住区画へと走っていった。その足取りは実に軽やかで、デモニカスーツの身体強化機能が農作業にも効力を発揮していることが容易に見て取れる。

 彼の残した言葉を受けて、タオルを首に巻いていたリーダーがカブを引き抜きながら静かに言った。

 

「結局のところ……、なるようにしかならんと俺は思う。仲間の命も、彼らのことも。このシュバルツバースはそういう場所だからな」

「リーダー」

「今は俺たちにできることをやっていこう。さしあたっては女神たちへの恩返しだな。この"箱庭"が完全に拠点として機能し始めれば、女神たちの要求もひとまずは満たせる上、調査隊の活動だって格段に楽になるはずだ。大丈夫、俺たちは前に進んでいるよ」

 リーダーが畑の片隅に半埋没した小さな石材の林立する箇所へと目を向けた。

 その中に"レッドスプライト"クルーと交渉して手に入れた野球帽を被せた石材がある。つまるところ、それは仲間の墓地であった。

 

 そうして一通りの収穫作業が終わった時分に、小生らは道頓堀へと向かう。生活用水をタンクに汲み上げるためだ。

 これもなるべく早く電動化するべきだとタスクボードの課題に上がっていたりするが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 ケロケロと歌うカエル型"悪魔"に挨拶しつつ、一人当たりでたっぷり20リットルの水を二つ分汲み上げ、その足で居住区画へと帰還した。

 何時の間にやらアヒルのような、ガチョウのような"悪魔"が水辺に増えているような気がするが、それは最早気にしないでおく。

 

「あ、お帰りなさい!」

 と小生らを出迎えてくれたのは助手さんとリリム、それに複数人の"レッドスプライト"クルーであった。

「って、タダノ君にメイビーさんも。どうしたんです?」

「どうしたじゃないよ、ヤマダ君! こんな場所を独占するなんてずるいと思わない!?」

 ぷりぷりと怒るメイビーさんに親指を向けて、タダノ君が苦笑いを浮かべた。

 どうやら、クルー内で"箱庭"の視察を本格的に行うべきだとする意見が大多数を占めたことにより、EXミッションの一つとして機動班の護衛の下でその一部がこちらへと遣すことになったのだそうだ。

 あちらへは彼らを中継して映像も送られる手はずになっており、今頃何人もの隊員たちが呆気にとられていることだろう。

 メイビーさんが不貞腐れたように続ける。

 

「何で、こちらが大変な思いをして"悪魔"だのセクターだのと調査している時にヤマダ君たちは畑を耕してポトフ作ってるのよ……。鬱屈してたこちらがまるで馬鹿みたいじゃない」

 言われてみれば、調理区画からトマトやらコンソメやらがベースになった温かい香りがこちらまで漂ってきていることに今更ながら気がついた。

 これは不満に思われても仕様があるまい。

 一応、「いや、これまではほんとに大変だったんですよ」と自己弁護混じりに言い返すと、「それは勿論分かっているけどね……」と彼女も一旦は退いてくれた。とは言え、ポトフは絶対に食べて帰るつもりのようだ。

 

「あ、ムッチーノ隊員にパックに入れて持ち帰れって言われてるから、食材と一緒に一部をもらっていくからね」

「それは良いんじゃないでしょうか。良いですよね、リーダー?」

「既に受け渡しに関する手続きは終わっているよ、ヤマダ隊員。後でタスクボードを見ておいてくれ」

 えっ、とハンドヘルドコンピュータを起動してタスクボードを起動すると、簡素化された事務報告書が何時の間にやら上がっていた。もしかして、リーダーが農作業をやりながら仕上げたのだろうか……。だとしたら手伝わずに申し訳ないことをしてしまった。

 慌てて頭を下げると、彼は苦笑いを浮かべて手を振ってくる。

「今は働きたい気分なんだ。気にしないでくれ」

「うーん、分かりました」

 不承不承ながらも無理やり自分を納得させ、そのまま居住区画の奥へと向かう。

 そこではトンテンカンテンと金槌の音を響かせながら、"タンガタ・マヌ"さんたちが木造の建造物をいくつも組み立てている姿があった。

 献身的に働く彼らを、右へ左へと動かしているのはエースの仲魔から"箱庭"の親方へと転職を遂げたハルパスさんだ。

 

「良いか? 良き建物は良き基礎によって生み出されるのだ。基礎を疎かにしてはいかんぞ」

「貴方の指示に沿って。滞りなく作業は進みます」

 大盤振る舞いで使われている木材の数々は、どうやら歓楽街の建物から無理矢理に剥ぎ取って持ち込んでいるようだった。

 ……その内に石造の建物まで建ち始めるのだろうか?

 先日まで二件のテントしかなかった居住区画は、最早5棟の掘っ立て小屋と一軒のハルパス宮殿(パレス)(木造)が並ぶ村落へと急成長を遂げていた。

 その中にあって不自然な二つの空き地に目が行ってしまう。

 空き地には化学繊維のロープが張られ、その中心には一つにトラちゃんさんが、もう一つにはディオニュソスさんが座り込んでいた。

 思わず目が点になってしまったが、彼女らの手に掲げたプラカードに踊る文字列を認めて成る程と合点する。

 

『ここはトラちゃんのカッコカワイイ寺院予定地』

『ここはディオっちゃんのデカダンス酒造庫予定地』

 

 ……焼け野原になった戦後の地権者か何かだろうか?

 とりあえず、見なかったことにしよう……。

 小生は水タンクを適当な場所へと設置して、そそくさとポトフを食べに戻った。

 

 

 

 

 仮初の青空が星空へと移り変わり、皆が休息を求めてテントや掘っ立て小屋へと引っ込む頃合。小生は皆と行き先を逆に畑の片隅へと向かっていった。

 手にはディオニュソスさんが作ったというメチルアルコール(無害)をパック詰めにしたものを携えてである。

 こんな愉快なものを手土産にしない手はない。

 刈り取られた作物の茎を掻き分けて、目的地へとたどり着くとそこには意外なことに先客が居座っていた。

 

「ヤマダ隊員か」

「リーダー、いたんですね。それに……」

 野球好きの墓地の横。そこで寝息を立てている"ハーピー"の姿に目を丸くする。

 リーダーは彼女を見ながら笑って言った。

 

「契約はまだ切れていないから、飽きるか腹が減るまではここに居座るらしい」

「それは、仲が良かったんですねえ」

「餌付けが完了していたとも言えるんじゃないか」

 小生は小さく笑い返して、リーダーの隣に座り込む。

 

「お酒、要ります? 野球好きさんに持ってきたものですけど」

「ああ、頂こうかな……」

 リーダーが静かに頷いたのを見て、小生はコップに2杯分のメチルアルコール(無害)を注いで彼に渡した。

 本当は野球好き用のコップであったのだが、石材に直接かけることでここは許してもらおうと思う。

 

「……こいつがどうやって死んでいったかは、もう聞いたのか?」

「実はまだ聞いていないんですよ」

「そうか、ならまずは君に礼を言いたいと思う。君が"あの河"で老人に掛け合ってくれたお陰で、俺たちは被害を最小限に食い止めることができたんだからな」

「えっ――?」

 仰天する小生に向けて、リーダーがぽつりぽつりと語り始める。

 

「敵は"ギガンティック"クルーを壊滅させたと噂の、堕天使"アドラメレク"だった。奴のことをエースは『次元が違う』と評していたが、それは本当のことだったよ」

 リーダーの拳が握り固められた。そしてさらに言葉を紡いでいく。

 

「まず遭遇した直後の火炎放射で、俺を含めた4人の内の3人が"あの河"へと送られた。たったの一撃で、だ。困惑もしたし、絶望もした。あんなものに勝てるわけがない、と。その絶望から真っ先に立ち直ったのが、戦死したこいつだったんだ」

 リーダーの語る野球好きの活躍はまさに、現代に生きる英雄とでも呼ぶに相応しいものであった。

 いち早く復活のからくりに気がついた彼は、"死に戻り"を駆使して"アドラメレク"に痛打を与えることに成功したらしい。

 腕を切り飛ばされ、大火傷を負い、首を半ばまで切り裂かれながらも、最低でも12回は致命傷を食らい、なおも強大な敵に立ち向かったのだ。

 小生は言葉を失い、野球好きの笑顔を思い出した。

 こみ上げるものを感じ、そのまま静かに俯く。

 

「……無敵だと思っていたゴア隊長も殉職なさった。はっきり言って、俺は怖いよ。ここの"悪魔"は強すぎるんだ。"アドラメレク"が退いていったのも、結局は俺たちの不可解なしぶとさを面倒に思っただけでな。決して勝てたわけじゃない。今日、メイビー隊員が言っていたろう。『こちらが大変な思いをしているのに』と。分かっているんだよ。分かっているが、言い訳を付けて"箱庭"に篭ってしまっている。きっと臆病風に吹かれたんだな」

「……これは内戦地の経験談ですけど、ずっと前線に出ずっぱりの兵士なんかいなかったと思いますよ。少しくらい休んでも良いんじゃないんですか?」

「そんな余裕は、今の人類には無いんだよ」

 言って、リーダーは立ち上がった。

 

「シュバルツバース現象が急拡大する今、我々に残された時間はごくわずかだ。それなのにただの人間にできることは、あまりにも少なすぎるんだよ。このままではいけないと思う、絶対に――」

 諦観の篭った物言いに、小生は何と言葉をかけたものかと思い悩む。

 結局、彼はこちらがフォローする前に居住区画へと戻ってしまった。

 残された小生は、墓石代わりの石材の一つ一つに酒をなみなみとかけていく。

 

「野球好きさんなら、何てフォローするんでしょう……。貴方、仲間思いでしたから小生よりも絶対フォロー上手いですよね?」

 当然ながら、死者が答えを返すわけが無い。

 しかし、別方向から予期せぬ答えが返ってきた。

 

「それは本人に直接聞けば良い、魂は未だそこに在るよ」

 耳にしただけで身震いすら催させる、気高さを感じる女性の声だった。

 声のする方へと向き直ると、トラちゃんさんの心象風景を投影しているだけの壁の"向こう側"に真っ白なドレスを身に纏った金髪の少女が立っている。

 彼女はまるで超一流の芸術家が何人も生涯をかけて作り上げた彫像のように、何処にも欠点の見受けられない端正な顔かたちをしていた。が、何処か作り物めいている。

 ありえない場所にありえない少女が存在している……、これは絶対にありえないことだ。

 そう、ありえないと分かっているのに、小生は彼女がそこにいることがまるで当たり前のように感じてしまっていた。

 

「君は、誰です?」

 かすれる声で問うてみるも、彼女は明確な答えを返してくれない。

「私のことは気にせずとも良い。ただ、旧き知人の姿を見に来ただけなのだ」

 彼女の言う知人とは一体誰のことだろうか? トラちゃんさんか、それとも――。

 彼女はやがて何かに気がついたように小生をちらりと見て、

 

「……いや、気が変わった」

 と小生に対して名を告げた。

 

「私はルイ・サイファー。別段覚えずとも構わない。私はこの世界においては正しく傍観者であるのだからな」

 




【メインミッション】
 悪魔に囚われた隊員の救出→クリア!
 他艦への救援要請→クリア!
【EXミッション】
 暫定拠点の構築→クリア!

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