シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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シュバルツバースで遭遇する危機と便意

 先行した機動班の作るハンドサインは「こちらへ来い」を指し示していた。

 3号艦"エルブス"号の生き残りたる小生らは、息を殺して機動班の背に従い、人の住めぬ歓楽街を物陰から物陰へと移動していく。

『解析を開始します。解析を開始します……』

 一行は大通りに比べて物静かな小路へと入り込む。すると耳元で"バケツ頭"の通知音声が周辺環境の変化を知らせてくれた。

 音波探知、電磁波探知、放射線測定、サーマルセンサー……、ありとあらゆる内蔵センサーが目まぐるしく働き、目の前の小路が小生らにとって著しく危険なものであることを予告してくれる。

 解析の結果を受け、通信機越しに先行する強面の隊員が忌々しげに呟いた。

 

「……ここを通るのは無理だ。デモニカスーツをもってしても人体に看過できぬ悪影響が出る」

 差し詰めダメージゾーンとでも言えばよいのだろうか。

 医療設備が充実していれば強行突破もあり得ただろうが、今の小生らは補給を受けられぬ孤立無援の状態であった。

「けど、迂回路もないでしょう? 付近の大まかなマッピングは終えてありますが、"エルブス"号は間違いなくこの方向へと進んだところにあるはずです。いち早く母艦にたどり着くことが、今の我々のミッションでは?」

 観測班の言葉に一同は渋面を深める。

 彼の言うことも尤もで、小生らには早急に母艦へと戻らなければならぬ理由があった。

「急がば回れという言葉も、アジアにはある」

「いっそのこと、班を分けてみては?」

「それはダメだ。各個撃破の的になる」

 隊員たちの言葉に熱気が籠もり、共有の無線回線がにわかに騒がしくなる。

 船頭多くしてというわけではないが、こう言う時は民主的に答えを見出そうとしても駄目だ。後に禍根を残すことを小生は経験則で知っている。

 小生と同じ結論に至ったのか、暫定リーダーを努める黒人隊員が口を開いた。

 

「……迂回しよう。直行したところでこの先に道が続いているとは限らないからな。リスクは可能な限り排除するべきだ」

 隊員たちが静かに頷く。一度全体の方針が決まれば、話は早い。皆が皆、この危機的状況で我を張る危険は重々承知しているのだ。

 即座にしんがりを努めていた機動班の隊員が先行役へと早変わりし、

 

敵性存在(エネミー・アピアランス)。インジケータに感あり! あぁ……、サノバビッチ。"奴ら"が来た」

 引き返そうとしたところで、大通りをふらふらと動く影を複数目視できた。

 生気のない眼に青黒い不気味な肌。それに、不自然なほど膨れ上がった腹。トラちゃんさんはあれを"ガキ"と呼んでいた。

 恐らくは故郷に伝わる餓鬼のことだろう。言われてみれば高校時代に何処かで見かけた地獄絵図で見かけたものに良く似ている気もするが、大事なことはあれが"悪魔"だということだ。

 

「あっ! ちょっと皆、こっちに隠されたゲートがあるわよ!」

「助かる……! 全く女神様の加護がなければ、俺たちは今頃悪魔の腹の中だろうな……」

「もっと誉めてくれてもいいのよ?」

 我々の"女神様"と見比べるように、"悪魔"たちの醜悪な姿を視界の端に捉えつつも、小生は隊の後尾に付き従う。

 そう……、"悪魔"である。

 小生ら"エルブス"号の生き残りは、何時の間にやら"悪魔"を認識する手段を入手していたのであった。

 

 

「ええと、ごめんなさい。まだ状況の整理ができていなくて……。つまり私たちは突入任務に失敗し、シュバルツバース内に閉じこめられた。そして、孤立無援の私たちをその、女神様が助けて下さった……、ということなのかしら?」

「んー、成り行き上はそうなるわね」

「ああ……、ああ、ごめんなさい。あの時私は女神様に酷いことをしてしまったわ。折角私を助けようとして下さっていたのに」

「別に良いのよ! 元々、ヤマダとの契約のついでだったしね」

 顔をくしゃりと歪めて申し訳なさそうにする、ゼレーニン中尉に対して、気にするなと言いつつも何処か誇らしげなトラちゃんさん。

 これがシュバルツバース内のやり取りでなければ、微笑ましい光景だったことだろう。だが、小生らの置かれている状況は依然として危機的であり、彼女らの傍では他の隊員たちが大激論を交わしていた。

 

「母艦にはダチが取り残されているんだ! ここは一刻も早く救出に行くしかないだろう!!」

「バカ言うな! 化け物どもと戦うにしたって、弾が要る。もういくらも残っていないんだぞ!」

「仲間を見捨てるっていうのかよ!」

「そもそも生きているという保証がないと言っているんだ!」

 このセクター……、小生らが最初に足を踏み入れたA番目の土地という意味で、通称"アントリア"と呼ぶことになった世界において、小生らは"魔王"なる存在の遣わした追っ手を撒き、ひとまずの安全を確保することに成功した。

 安全が確保できた以上、生き残りを糾合したこの混成部隊は次なるミッションを定めなければならない。

 が、いざブリーフィングをする段になって、隊員たちの意見が真っ二つに分かれたのである。

 

 まず、"エルブス"号の奪還と仲間の救出を試みようとする意見。これはシュバルツバース調査隊発足当時から参加している古株の隊員が強く主張した。帰属意識と同胞意識が、彼らの義侠心を駆り立てているのであろう。

 そしてこの意見に真っ向から対立する意見が、とにかく生存環境を確保して、デモニカスーツ内蔵の通信機能を使い、他艦の救助を待とうというものであった。

 前者は感情が先行していて、後者は理性が勝っている。はっきり言って、どちらにも分がある以上はどのような結果に落ち着いても隊の団結にしこりを残すことになると思う。

 

 小生の胃がきりきりと痛む。

 本当に嫌な空気だった。自身の経験則から考えてみると、こういう空気になってしまった場合、十中八九仲間割れが遠からずに起こるのだ。

 近い未来に敵対者から向けられる敵意を予測し、小生の腹がぎゅるぎゅると鳴った。

 

「ゼレーニン中尉はどう思うんだ!」

「わ、私は状況がまだ掴めていなくて」

「まさかアンタまで仲間を見捨てるなんて言うなよ!?」

 ああ、来た。来たぞ。にっちもさっちもいかなくなった対立が傍観者にまで飛び火してきた。このままでは小生にも意見が求められる。

 胃の痛みに耐えかねて、小生は救いを求め、トラちゃんさんを見た。

 

「……何よ、ヤマダ」

 彼女は困惑した表情で、隊員たちの対立を遠巻きに見ておられた。

「いや、女神様なら何とか導けないかなー、と思いまして」

 人ならぬ女神様ならば、ヒト猿の諍いをうまく収めることができるかもしれぬと期待してはみたものの、女神様のお答えはすこぶる渋いものであった。

 

「無理。と言うかアタシ、ニンゲンの信仰を失ってもう百年も千年も経っているもの。正直、今のニンゲンは考え方がめんどくさすぎて良く分からないわ。便利な道具を作るようになったなーくらいにしか」

「良く分からない、ですか」

「それに、もしアタシがどちらかに(おもね)る判断を下したとして、一時反対派を押さえつけたとする……。でも確実に不満は溜まるわけで、下手をするとアタシに矛先が向くじゃない。アタシ、折角得た信仰を失いたくない」

 正論であった。ぶっちゃけ、小生の言っていることは責任をトラちゃんさんに丸投げするだけの他力本願な提案だ。

 彼女に得がない以上、断られるのも無理からぬことではあった。

 

「アルパカかリャマなら、群れのボスが何となく方針を決めて、皆も何となく従っていくんだけど……」

「リーダーの存在ですか」

 自然と、暫定的に皆をまとめる立場へと就いた黒人隊員へと目が行く。

 彼は静かに目を閉じ、皆の言い分を聞く傍観者へと回っていた。

 

「だから――」

「それは――」

 口論は平行線を辿り続け、自然と皆が黒人隊員の動向を注視するようになる。

 黒人も皆の頭が冷えてきたと見たのか、ようやく閉ざしていた口を開いた。

 

「……諸君、我々は今、危機に瀕している」

 彼の物言いは、1号艦"レッドスプライト"号に乗艦する調査隊隊長を思わせるものであった。

 隊長と彼は同じ国の軍人出身だそうだから、何らかの影響を受けているのかもしれない。

 

「だが、決して楽観視できる状況にはないとは言え、ミッションの障害を一つ一つ取り除いていけば、必ずや活路は開けるだろう。"レッドスプライト"号のゴア隊長なら、きっとこう言うはずだ。『諦めるな』と」

 隊員たちの顔つきが変わった。個としてバラバラになった各自の心が、集として再びまとまりつつある。

 

「まず問題意識の共有を図り、大目標を定めよう。大目標を"現状の建て直し"とするところに皆の反論は無いと思うのだが、どうか?」

 隊員たちが頷いた。黒人は身振り手振りを交え、熱弁する。

 

「こういう時は、問題点を洗い出すんだ。必ず、何か改善点が見つかる。機動班。現状の問題点は何だ?」

「戦力の不足。それに、銃弾があと2、3戦分ほどしか残っていない」

 機動班の指摘は、ともかく継戦能力の無さに重きが置かれた。黒人は頷き、続ける。

 

「資材班。君たちの考える問題点を教えて欲しい」

「……何をするにも資材が足りません。このデモニカスーツも母艦の充電で動いていた以上、何処かでエネルギーの補給源を確保する必要があります」

 資材班の指摘は、この部隊の余命宣告にも等しいものであった。

 例えば、篭城する際に必須となる水分の確保はデモニカの水分循環機能をフル稼働すれば1ヶ月は余裕で持つ。

 また、人体の必要とするカロリーも栄養剤の注射で2週間近くは賄えるだろう。

 だが、動力だけはどうにもならない。この着脱拡張型・次期能力総合兵器は局地活動に特化したハイテク兵装であり、自前の蓄電だけでその高機能を発揮することはできないのだ。

 隊員たちの意識にある、何処かに籠城するという選択肢がにわかに現実味を失っていく。

 黒人が苦々しげに言った。

 

「つまり、我々には"エルブス"号が絶対に必要ということだな……。良し、奪還プランを一考に入れる。観測班からは何かあるか?」

「北方に"エルブス"号と思わしき大型の金属反応を捉えています。反応を辿れば母艦へ辿り付く事自体、不可能ではないでしょう。それに、我々には逃走に用いたあの不可思議な"通路"もあります」

「秘神の"隠れ場"はダメよ。もう"遊びふける国"の魔王に目をつけられちゃってるもの」

「では、やはり別ルートを模索するより他にないのでしょうね……」

 と、ここで観測班とトラちゃんさんのやりとりに、機動班の強面が口を挟む。

 

「そもそも奪還できるのか? "エルブス"号は飛行中のプラズマ・シールド展開中に撃墜されている。つまり、我々は万全の状態で母艦を物理的に奪われている訳で、突入時より少ない人員で奪還を行うミッションにはリスクしかないと考える」

 成る程と皆が頷かされた。

 しかし、こうも八方塞の現状を突きつけられると頭が痛くなってくる。

 奪還の望みは薄く、篭城するにも補給がない。いくら、しばらく水も食べ物も要らないとはいえ……。

 

「アッ」

 水という言葉で思い出す。そういえば、用を足してから小生はまだ手を洗っていなかったのだ。

 冷や汗がどっと流れ落ちる。

 まずい。どさくさに紛れてウンコマンの汚名を有耶無耶にできたというのに、ナンカニオウマンがすぐ近くにまで忍び寄ってきていたとは。

 更に記憶がフラッシュバックする。

 ゼレーニン中尉が倒れ掛かったその時、小生は拭いていない手で彼女を抱き留めてしまった。これはもう間接スカトロではないだろうか……?

 どうしよう。意識した途端、急に手を洗いたくなってきたぞ。それにストレスからまた便意がうずき始めてきている。だが、手近に便所はない……。

 

「インフラ班のヤマダ隊員。どうした? 何か思うところでもあるのか?」

「あ、いえ」

「どうか忌憚のない意見を言ってくれ。君の優秀な"経歴"は俺も知っている。平和維持活動で東ヨーロッパに出向した時、君の話を聞かぬ日はなかったからな」

 ほう、と辺りから息が漏れた。不意に来るプレッシャーに小生の尻からも息が漏れそうだ。

 しかし、急に水を向けられると正直困る。

 小生という人間は挫折と妥協の申し子であった。新しい何かを生み出す能力に欠けるし、誰かに引っ張ってもらわないと何もできない。

 だからこそ、高校野球でキャッチャーとして好成績を残しながらも「手っ取り早く確実なお金が必要だったんだ」と辛うじて引っかかったプロの育成枠を蹴飛ばして自衛隊入りした友人に巻き込まれて人生航路を迷い始めてしまったわけで、こういう難題の解決者としては致命的に向かないのである。

 

「し、小生は"外様"ですから」

 とりあえず、逃げ道を模索しようとごねてみるが、黒人は苦笑いしてこう続けた。

「この限られた人的資源で、内だの外だのを論ずるのはナンセンスだ。ゼレーニン中尉も客員士官で、インフラ班はほとんどが外部の出向員……。全体の30%以上を占める層をマイノリティと呼ぶべきではない。そう思わないか?」

 一同から笑いが漏れて、張り詰めていた空気が緩んでいった。畜生、何て皮肉の効いたジョークなんだ。ジョークで人の逃げ道を防ぐなんてずるい。優雅か。

 

「何なら、隊の皆を納得させるために君の"武勇伝"を語っても良いのだが」

「分かりました。ちょっと考えてみます!」

 もう観念のしどころであった。

 目の前の黒人隊員から尻尾でも生えていやしないかと睨みながら、定められた大目標からハードルを徐々に下げていく。

 

「"エルブス"号の奪還は無理なんですよね?」

「機動班の見解ではそうなる。個人的にも望みは薄いと感じているな」

 となると、奪還対象のハードルを下げていくのが妥当だろう。

 頭を捻り、言葉を続ける。

 

「ならば、"機能"の奪還ならばどうでしょうか?」

「我々には君の説明が必要だな。続けてくれ」

「要するに小生らが何故"エルブス"号を必要としているか、なんです。銃弾がないなら、"エルブス"号に潜入して銃弾を確保するだけでもミッションは達成できます。エネルギー源が必要なら……」

 ここで資材班が声をあげる。

 

「"トカマク型起電機"さえ手に入ればいいのか!」

 小生は頷いた。

 

「"エルブス"号のエンジン・リアクターである"トカマク型起電機"は半永久的に大出力を生み出すエネルギー炉です。持ち運びの困難な大きさでもありませんし、これさえ艦外に持ち運べればエネルギー問題は解決します。それに加え、予備のデモニカスーツさえ手に入れば、トラちゃんさんの言う『この世界の何処かに拠点を作る』こともさほど難しくはなくなるでしょう」

「そうなの!?」

 トラちゃんさんが目を輝かせて食いついた。小生は続ける。

 

「これは希望的観測になるんですが、デモニカスーツには高度な空気浄化装置が備わっています。ならば、"トカマク型起電機"と複数のデモニカスーツを直結させることで小さな密閉環境を人間の活動に適した空間へ作り変えることもできるんじゃないでしょうか?」

「……資材班、彼の言う案は無理筋か?」

「……可能です。というか、そうか。完全に拠点を移すなんて発想、盲点だったなあ」

 資材班がお手上げとばかりに両手を挙げて降参のポーズを取った。

 黒人隊員もまた思案げに口元へと手を当てた後、小生の案に賛同する。

 

「潜入任務は仲間の救出任務と兼ねることもできる。これで直近のミッションが決まったな。諸君、我々は現時刻をもって『"エルブス"号潜入任務』を発動する!」

 先ほどまで対立していた隊員たちが、意気揚々と手を上げて応えた。

 小生も皆に合わせて手を上げる。

 上手いこと思惑が順調に進んだものであった。実のところ、先ほどから腹の調子がやばいのである。

 早急にトイレへと駆け込まねばならぬ。

 故に皆が「お前やるな!」と肩や背中をぽんと叩く行動も割と致命的であり、小生は顔色を保つのに必死であった。

 

「いや、助かった……! これで仲間を助けに行ける」

「は、はい。ですが、なるべく戦闘は避けなければ。残弾数も心許ないのでしょう?」

 特に深い感謝を示していた古株の機動隊員に暴走せぬよう釘を刺しておく。

 この状況下で戦闘要員を失うわけにはいかないのだ。

 古株は緩めた表情を締め直し、

 

「……そうだな。なるべく、"悪魔"を見かけたら隠れて進むようにすべきだろう。近接武器で倒せる相手なら奇襲をかけてもいいだろうが……」

「ん?」

 今の言葉、何か小生との間に認識の齟齬があるよう感じられた。

 

「"モザイク"で倒せる倒せないをどう判断するのですか?」

「初見の"悪魔"は警戒すりゃ良いが、すでに解析の済んでいる"悪魔"ならば対処できるだろ」

「んん?」

 ようやく、何処に齟齬があるのか分かってきた。どうやら、彼には一部の"悪魔"が見えているようだ。

 

「デモニカの機能で"悪魔"の解析と認識ができるのですか?」

「俺は機動班だから解析も早く済んだんだよ。……もしかして、"悪魔召喚プログラム"。追加アプリの通知が来ているのに気がつかなかったのか?」

「そもそも、小生は追加アプリをインストールできる環境に無くて……」

 はあ? と周りの隊員が詰め寄ってきた。

 

「もしかして、ビジターモードで着用してるのか? さっさとデモニカ・セッティングやっちまえよ。拡張機能を解禁しなきゃ、こいつは単なる宇宙服だぞ」

「と言われましても……」

 止むに止まれぬ事情があったのである。

 実は小生、機動班の説明後にはちゃんと大人しくデモニカ・セッティングを進めていたのだ。しかしながら、パーソナリティ診断プログラムを終えた辺りで投げかけられた最後の質問が難問であった。

 

『……最後の質問です。貴方はこのミッションが成功すると思いますか?』

 小生は即座に『分かりません』と回答した。成功すると言って、もし失敗した時責任を押し付けられたらたまったものではないからだ。そんな未来を想像するだけでも胃が痛くなってくる。

 だが、このAI様は小生の回答を『エラー』と言い張り、断固として受け付けてくれなかった。仕方が無しにビジターモードで起動して、今の今に至るわけである。

 小生がそう皆に説明すると、何やら生暖かいまなざしが返ってきた。止めてくれよ。お腹が痛くなるじゃないか……。

 

「そこは嘘でもいいから、成功すると答えとけよ」

「回答を録音して、後で裁判にかけられたりとかしません?」

「お前、どんな悲惨な人生送ってきたらそんな発想に至るんだ?」

 いい加減、周囲の反応に居た堪れなくなってきたため、デモニカ・セッティングを再起動する。

 

『ようこそデモニカ・セッティングへ。これから、あなたに最適のデモニカ反応システムを構築するための"パーソナリティー診断"を行います。この後に出されるストーリータイプの設問に、自然に、偽ることなく回答してください 』

 偽ることなく回答したら拒否してくれたじゃないかと内心毒づきつつ、ぱぱっと以前の回答をなぞっていき、最後の質問に対しても「皆の意思を一つにできれば、ミッションの完遂も夢ではないと思われます」と答える。

 AIから「エラー」の言葉は返ってこなかった。

 しかし、隊員たちから呆れた目を向けられる。

 

「ヤマダ……。お前、責任を俺らに今投げただろ」

「そんな、ことは……?」

 胃が痛い。小生は皆の顔を素直に見ることができなかった。

 

 

 

 

 こうして、小生らは迫り来る危機を回避し、あるいは迅速に排除しながら"エルブス"号を目指した。

 頭上では不気味な月が外界とは段違いの速度で満ち欠けを繰り返している。デモニカの原子時計ではまだ一日と経っていないのに、満月と新月を代わる代わるに見続けたお陰で、もう何日も探索を続けさせられているかのような気分だった。

「見えました。"エルブス"号です!」

 終わりの見えない隠密を重ね、そろそろ後方人員の体力が尽きようというその時、ようやく観測班の打ち上げた気球型カメラが、ハッチを無理やりこじ開けられた"エルブス"号の姿を映し出す。背の高い建物を挟んではいるが、彼我の距離は100メートルほどで、周囲に"悪魔"の反応は無い。

 よもや天佑かと声にならぬ喝采をあげる隊員たち。が、まだ油断はできない。何故なら、"エルブス"号は敵の手に落ちていたのだ。

 小生も思わず真顔になった。そろそろ腹の限界も近い。

 ぎゅるぎゅると鳴る腹を小生が抱えつつ、黒人隊員の指示に耳を傾ける。

 

「……ミッションの再確認をしよう。まず、潜入は機動班と資材班が中心になって行う。観測班などの後方人員は付近に潜伏し、"エルブス"号に悪魔の出入りがあったらこれを潜入チームに報告する。潜入チームの最優先目標は"トカマク型起電機"をはじめとする各種資材。途中、生き残りの隊員がいたらこれを助ける。何か質問は?」

「あのっ」

 慌てて小生は口を挟む。今の指示に大人しく従うと、小生は便所に駆け込めないという理屈になる。それだけは避けねばならない。

 

「小生も潜入チームに加えてください」

「……ヤマダ隊員を潜入チームに加えると、後方の守りが薄くなってしまう。あの女神様は君の傍を離れられないんだろう?」

 道中に気がついたことだが、トラちゃんさんは現状単独で行動ができないらしい。

 彼女曰く「契約者が未熟だから」だそうだが、確かに黒人隊員の言う通り、小生が離れては後方が無防備になってしまう。

 ぐうと腹が大きく鳴った。

 

「チームを危険に犯してまで艦内に行かなければならない理由があるのか?」

 強面が黒人隊員に便乗して言った。

 確かにいかに腹の調子が悪いと言えども、チームの規律を乱すべきではない。

 他人の命と社会的名誉。秤にかけて、傾く方向は明らかだ。

 大人しくウンコモレルマンの称号を受け入れることにして、「アッハイ」と答えようと口を開いたところで、

 

「けど、ヤマダはカワヤで秘神と約束したじゃない。『戻ってくる』と言った以上、神との約束は守らなきゃダメよ」

 思わぬところから援護が入った。

 思わず、トラちゃんさんを見る。

「何よ?」

 彼女は青髪をなびかせきょとんとしていたが、まるで後光が差しているかのように眩しく見えた。

 黒人隊員が問う。

 

「女神様、秘神とは何者だ?」

「アンタたちが逃げ道に使った"隠れ場"の管理者よ。ヤマダは神と約束をしているから、会いに行かなくちゃダメだわ」

「あの空間の……」

 彼女の言葉に黒人隊員は思案し、後方人員に目を向けた。

 

「この謎深き地で貴重な協力者だ。君たちにはしばらくリスクを負ってもらうことになるが構わないか?」

 後方人員が思い思いの反応を示す。が、強硬に反対する者はいない。

 

「正直足が震えて仕方ありませんが、それが必要なら受け入れますよ。チームのためにも」

 観測班の一人が放った言葉が小生の心に突き刺さる。めっちゃ私心で動こうとしていたよ……。

 小生はチームメイト失格だよ……。

 

「……こんな恐ろしい場所で神様との約束を反故にするべきじゃないと思うわ。私はリスクを仲間に強いてでも、ヤマダさんに向かってもらう必要があると思う」

 ゼレーニン中尉のナチュラルな援護が、居たたまれなくて辛い。

 更にインフラ班の同僚には肩を叩かれる。

 

「……ついでに用も足して来い」

 小生の涙腺が決壊した。

 

「決定だな。ヤマダ隊員には女神様という護衛がついている以上、単独行動が許される。速やかに秘神と接触し、可能ならば協力を取り付ける。それができなければ、さっさと後方人員に合流。このプランで問題ないか?」

 黒人隊員の言葉に、隊員全員が頷く。

「良し、今は時間が惜しい。決断はファストに、ベストを選ばずベターに行こう。それでは機動班、資材班、ヤマダ隊員、突入の準備を」

「えっ、あっ」

 準備って何すりゃ良いの、と問える雰囲気ではなかった。

 

「5秒後に潜入作戦を開始する。5、4……」

 潜入チームの皆が物陰から飛び出す体勢をとる。小生も前のめりになった。

 

走れ(ゴー)!」

 そして黒人の号令の下、機動班を先頭に潜入チームが腰を屈めて走り出す。皆、思い切りが良い。体力的には負けていないが、後ろについていくので精一杯だ。

 一つ目の角を曲がる。敵性の"悪魔"は見られない。

 更に二つ目。クリア。

 そして"エルブス"号まで後20メートルと言う小路の出口で、

 

『ギッ』

 

 歓楽街を我が物でうろつくガキの集団と出くわしてしまう。

 

「サノバビッチ!」

 強面が毒づき、ホルダーから作業用ナイフを取り出した。黒人ともう一人の機動班もそれに続き、一斉に"悪魔"の群れへと飛び掛る。

 まず、強面が一合でガキの首を半ばまで断ち切り、一体を仕留めることに成功した。別の一体に襲い掛かった黒人の一撃はガキの胸元を貫いているも、まだ暴れまわる余力を残しており、絶命には程遠い。もう一人は攻撃を避けられ、距離を取られてしまっている。

「リーダー、敵を纏めて!」

「分かった!」

 ここでトラちゃんさんのフォローが入る。

 彼女の意図を察した黒人隊員が痛みにもがくガキを残る一団の方へと蹴飛ばした。

 幸い、距離を取った一匹も集団と近い位置にまで逃げている。彼女が"隠れ場"とやらで見せた超能力ならば、十分に掃討が可能だろう。

 あの、氷を呼び出す超能力ならば……!

 

「どおりゃー!」

 果たして、彼女はガキの集団に飛び掛った。

 青黒い化け物どもを千切っては投げ、千切っては投げ……、氷の超能力は……?

 

「こいつら、氷結に耐性があるの!」

 だったら纏めなくても良かったんじゃと思わなくも無かったが、確かに彼女の身体能力は凄まじかった。

 拳の一振りがガキの骨格を陥没せしめ、足を持って振り回された一体などは地面に半ば沈んでいる。

 

「女神様はこえー女だな!」

 逃げるように集団から離れた最後の一体を強面が組み伏せ、その首元に作業用ナイフが刺し込まれる。

 時間にしてみれば、ほんの一瞬。だが、驚くほどに濃密な戦闘を目の当たりにし、小生をはじめとする非戦闘員は思わず息を呑んだ。

 為す術なく"エルブス"号を奪われてしまったと言っても、機動班は戦闘のプロフェッショナルなのである。

 

「騒ぎを"悪魔"どもに嗅ぎつけられると厄介だ。一刻も早くここを離れるぞ」

 少し焦りを匂わせる声色で黒人隊員が言った。

 皆もその言葉に頷き、"エルブス"号のハッチを駆け上がる。

 

 内部は電源が落ちているため、赤外線センサーに頼る必要があった。

 悪魔の存在は感知できない。が、生きている人間もまたいなかった。

 ハッチには散乱した備品と既に物言わぬ骸と化した同僚だけが残されている。

 その同僚も"悪魔"に一部を食われたようで、とても正視できるものではない。

 

「畜生、"悪魔"どもめ……!」

「怒りで我を忘れるな。まずは資材室へ向かうぞ」

 そう言って、黒人隊員は小生とトラちゃんさんを見る。

 

「我々はまず資材室で補給とデモニカスーツの回収を行った後、医務室、艦橋、生活スペースを見て回る。動力室で"トカマク型起電機"を回収するのは帰還する直前になってからだろう。ヤマダ隊員……、君とは別行動になる。幸運を祈っておこう」

「そ、そちらもどうかご武運を……」

 黒人隊員は無言で支給されたマシンガンをかちゃりと鳴らし、隊員を引き連れ資材室へと向かっていった。

 何というか、物凄く人徳に溢れた人間だと思う。生来のリーダー気質と言うべきか。

 こういう人物が生き残ったことは、小生らにとってまこと幸運だったに違いあるまい。

 

「ヤマダ、アタシたちも向かうわよ」

 もう一人の幸運であるトラちゃんさんが肩を小突いてきたため、小生も目的を思い出す。

 カワヤの神様との約束を果たし、便所を綺麗にするのである。ついでに用も足さないと。

 ……正直、他の隊員に申し訳なさ過ぎて涙が出た。

 だからこそ、せめて駆け足を早める。

 

「……早く皆に合流しなきゃですもんね」

 小生が篭っていた便所は生活スペースの一角にあった。

 男女の便所が複数並んでおり、その内の一つで用を足したのだ。

 目的地にたどり着いた小生は男性用と書かれたドアのノブを掴み、

 

「あれ、水を流せるようにしなきゃいけないんじゃないか……?」

 と今更ながら、致命的な問題に気がついた。

 現状、"エルブス"号は電気が通っていない。そして、この便所はオール電化だ。

 

「どうしたの? 目的地じゃない」

「いや、水を流す方法がね」

 ……思案する。

 一瞬でも操作パネルに電気が通れば、水洗機構が作動するのだから、何らかの手段で電気を通さなくてはならない。

 予備電源を起動させるべきだろうか?

 いや、それでは"悪魔"が艦内に残っていた場合、小生らの侵入を知らせることになってしまう。

 

「……あっ。デモニカの動力を流し込めれば良いのか?」

 それなら、インフラ班である自分の領分だ。

 ドライバー類の必要工具は常備しているから、必要となるのは動力を流し込むコード類くらいだろう。

 とりあえず手近な個室のキーパネルを分解して、コード類を調達する。

 こういう時にオール電化な環境は素材に苦労しなくて良い。

 

「これ壊しちゃっていいの? こんなんなっちゃったら、叩いても直らないわよ……?」

「昭和のおばあちゃんみたいな物言いを……。大丈夫ですよ。直そうと思えば直せます」

 不安げなトラちゃんさんに言葉を返し、再び便所のドアノブを掴む。

 確か、鍵はかけていなかったはずだ。便所に駆け込んだ時の小生は、色んな意味で余裕がなかった。

 意を決してノブを捻ると、ドアはすんなり開かれる。

 

 

「すいません! 掃除しに来ましたっ! 後、できたら小生らに力を貸していただけないかと――」

 が、ドアの向こうに広がる景色は小生の想像しているものとは違ったものであった。

 だだっ広い漆黒の空間に、ぽつりとモザイクが鎮座している。

 

「ヤマダ! 逃げるわよ!」

「えっ、あっ……?」

 焦りを帯びたトラちゃんさんの言葉を遮るようにして、小生とトラちゃんさんの体が謎空間への吸い込まれてしまう。

 そして、ドアが独りでに閉まった後は、この空間から跡形もなく消え失せてしまった。

 つまり、閉じ込められたわけである。

 

 

「――ニンゲンの手引きをした悪魔がいるとは聞いていましたが、まさか神族が関わっていたとは」

 

 

 モザイクが、小生にも分かる言葉を発した。

 そして徐々にモザイクが血色へと染まっていき、やがて人型の"悪魔"へと変化していく。

 中世を思わせるフリル襟が特徴的なピエロの格好をした"悪魔"であった。

 手には大鎌を持っており、その顔には表情がない。

 多分、いや断じて便所の神様では無いと思われる。

 

「トラちゃんさん、あれは……」

「悪霊"マカーブル"。アタシたちの手に負える相手じゃないわ……」

 小生の問いかけに、トラちゃんさんは歯噛みしながら答えてくれた。

 その正体を言い当てられた"マカーブル"は、表情のない顔を動かし、上機嫌に声を上ずらせる。

 

「対する貴女は女神トラソルテオトル。どうやら万全の状態ではないようですね?」

 言って、見せ付けるように大鎌を振り回す。

 その動きは何処か舞踏めいていて、小生の目を惹いて止まない。が、それと同時に小生の持つ生存本能が"あれ"を危険だと叫び続けていた。

 

「何を企んでいるのかは分かりませんが、ミトラス様の世界にあって貴女のような存在は害虫そのものなのです。そこなニンゲンと共に冥府へと旅立ちなさい。私の死の舞踏(ダンス・マカブル)をもって――」

 "マカーブル"の指先が小生へと向けられた。表情はないが、笑っているのが理解できる。あれは……、

 

「ヤマダ、危ない!」

 ムドオンなる言葉と共に発せられた黒い波動が、小生をかばったトラちゃんさんを包み込む。

 

「そんな、トラちゃんさん!?」

「大丈夫よ! けれど……!」

「……おや、すっかり失念していましたよ。死と再生を司る貴女に呪殺は効かないのでした。まあ……、それならこの鎌で直接葬れば良いだけのこと」

 そう言って、"マカーブル"が大鎌を構えて宙に浮いた。

 ――あ、これ死ぬな。

 死の直前はまるで時がスローモーションのように感じられるというのはどうやら本当のことだったようだ。

 

「ベノンザッパー」

 瞬時にして小生らの目と鼻の先にまで移動した"マカーブル"が小生らの首筋めがけて大鎌を横薙ぎに振るう。

 避けられない。

 意識は覚醒していても、身体が追いつかないのである。

 トラちゃんさんは小生を再び庇う体勢に入っていた。

 何故彼女は一人逃げようとしないのだろう……? 小生が彼女を召喚した契約相手だからだろうか?

 その存念は分からなかったものの、一人で死ぬわけではないことが不謹慎ではあるが嬉しく感じられた。

 そして、迫り来る大鎌の刃先が小生らの首筋に当たり――、

 

「は――?」

 その刃先が肉を断ち切ることはなく、ただ金属質の反射音だけが辺りに鳴り響いた。

 

「物理反射……? ナゼ――」

 擦れた声色で、斬り飛ばされた"マカーブル"の頭部が言葉を発する。

 そう、こちらの首を刈り取らんとしていた彼の頭部が、逆に刈り取られてしまっているのだ。

 周囲を見るも、あの一瞬でそれを為せそうな存在はいない。

 力なく崩れ落ちた"マカーブル"の胴体が横たわるのみである。いや、

 

「……随分と早い帰還じゃのう」

 小生より二回りは大きい、茶褐色の大足が傍らに浮かんでいた。

 

「もしかして……、カワヤの神様ですか?」

 小生がそう問うと、茶褐色の大足に浮き上がる老人の顔が笑顔を形作る。

 

「然様、秘神"カンバリ"。まだニンゲンも捨てたものでは無いと感じ入ってな。手出しをさせてもらったわけじゃ」

「助けてくれたのですか……?」

「お主こう言ったろ。『力を貸していただけないかと』とな。それに……」

 言ってカンバリ様は、トラちゃんさんを面白そうに見る。

 

「先刻、そこの女神が言うとったろうが。自分たちが死ねば、カワヤを掃除するものがいなくなる、と」

 そのからかい気味の物言いに、トラちゃんさんの顔が赤くなった。

 

「テトラカーン張るなら、もっと早く助けに来なさいよ!」

「お主、ほんと他力本願なのに態度がでかいのう……」

 カンバリ様の頭から生えた足の指を掴んで猛然と抗議するトラちゃんさんに、カンバリ様が呆れ顔を返す。

 

「まあ、折角のカワヤを変な空間に改造しおった曲者じゃ。さっさと追い出したかった所に、お主らがやってきたのは正直助かったわ」

「アンタ、偉そうなこと言ってるけど、体の良い囮が来たから利用しただけでしょ!」

「照れ隠しは良いじゃろ、もう」

「て、照れ……っ!?」

 カンバリ様の言葉にトラちゃんさんが飛びずさる。

 頬を両手で押さえて、本当に恥ずかしそうな顔をしておられた。

 

「ニンゲンを守るためにアクマが身を挺すなんぞ、中々あることではないからのう」

「"悪魔"……? トラちゃんさんは女神様じゃなかったですか?」

 小生はカンバリ様の"悪魔"呼ばわりに首を傾げる。

 その反応に、カンバリ様は声を出して笑った。

 

「神も天使もアクマと同質のものじゃよ」

「人間を助けてくれたら、神様ということですか?」

「それも違うのう……。まあ、ニンゲンを助けようとしたこの嬢ちゃんが変り種なのだということだけ弁えておけば良い」

「アンタ、ちょっともう黙って!」

 再び取っ組み合いが始まったが、その理屈で言うとカンバリ様もまた小生らに手を貸してくれた変り種ということになる。

 

「……助けてくれてありがとうございます。トラちゃんさんも、カンバリ様も」

 正直、まだ足が震えているのだ。東欧で地雷の爆破する様を間近で見たときと同じ感じがする。

 あの時は大人気なくその場で漏らしてしまった程であった。

 そして今も、

 

「アッ」

 下半身に感じる温かみに小生は色を無くす。

 ……やってしまった。

 これで小生はウンコマン確定である。

 二人はこちらの変貌に首を傾げていたようであったが、直に事情を察して生暖かいまなざしを向けてくれた。 

 

「予備の服ってあるの?」

「身体の浄化ならしてやれるぞ。カワヤの掃除は着替えてからでも別に構わんが」

 二人の優しさが心に沁みる。

 でも今は正直放っておいて欲しかった。

 

 かくして、

「ぬうん!」

 カンバリ様の力によって元の空間に戻ることのできた小生は、無事に水の流れるようになった便所にごしごしとブラシまでかけ、用を足す前よりも綺麗な状態にしてみせる。

 カンバリ様は上機嫌な顔で汚れ一つなくなった便器を眺めておられた。

 

「うむ……。これでお主は契約を果たせるニンゲンであると証明できた。力を貸せ、じゃったか? 構わんぞ」

 思わぬ提案に小生はブラシ片手に飛び上がった。

 あんな恐ろしい"悪魔"を一撃で倒せる神様なのだ。

 もし力を貸してくれたなら、さぞ心強いに違いあるまい。

 

「な、仲間になってくれるのですか!」

「その代わり、今後もカワヤは綺麗にせいよ。人のいるところ、何処にでもカワヤはある。目に付くカワヤを全て綺麗にしていくことが、お主の使命じゃと心得よ」

「分かりました!!」

 二つ返事で引き受ける。

 だが、綺麗にしていくというのは、便所の掃除当番を率先して引き受ければいいのだろうか? その程度が良く分からない。

 うんうん唸ってはみたものの、思い浮かぶ限りの希望的観測は、その尽くが続くカンバリ様の言葉によって粉々に打ち砕かれることになる。

 

「それでは今後ともよろしく、じゃな。まずは隣のカワヤの掃除へと赴こう」

「エッ?」

「目に付くカワヤ"全て"をと言うたろうが」

 カンバリ様が、"全て"一言を強調しながら口元を緩める。

 

「じょ、女子トイレもですか?」

「今の世は男女平等なんじゃろ?」

「あー……」

 生命の危機は過ぎ去ったものの、社会的危機の足音がすぐ傍にまで迫ってきているのが聞こえた。

 

「ほれ、まだ見ぬカワヤが掃除をしてくれと待っている。はよ、行くぞ!」

「アッアッ、今はお尻を蹴飛ばさないでください!?」

 尻を蹴られて、便所を出る。

 すると、タイミングが良いのか悪いのか、丁度生き残りを探している最中の一団とばったり出くわしてしまう。

 

「あれ、ヤマダ。それに女神様も……。もう用は済んだのか? って、何でブラシなんか手に持っているんだ……」

 インフラ班の同僚が怪訝そうに言うも、一言で説明できるものでもない。とりあえず、報告すべき結果だけを報告することにした。

「はい、神様の協力は取り付けられました」

 用が足せなかったことはこの際目を瞑る。

 隊員たちはふよふよと浮かぶカンバリ様におっかなびっくり挨拶をしつつも、先刻の礼を述べていった。

 

「……あの逃げ道は貴方が用意してくれたのだとか。改めて礼を言わせてください」

 カンバリ様は彼らの対応に目元を少し緩めたが、

「ん? ああ、構わん。構わん。それよりも、ヤマダと言ったか。はよう掃除をしていかんか。ほれ、ほれ!」

 すぐにやるべきことを思い出して、小生の尻を蹴飛ばす作業へと戻る。

 だから、今尻は……、止めて欲しいと……!?

 飛び跳ねながらも、なるべく振動の少ない謎ステップで隣の便所へと向かう。

 が、向かう方向を間違えた。

 

「ヤマダ、そこ女子便所じゃあ……?」

 目を丸くした隊員に釘を指しておく。

 

「ここここここれは神様との契約で……。止むに止まれぬ事情なのです! 何卒、他の方々にはご内密に!」

「わ、わかった」

 隊員と固い約束を交わし、泣く泣く女子トイレへと進入する。

 そして片っ端から掃除、掃除、掃除……。

 全ての便所を掃除し終え、ハッチへと戻った時には既に機動班と資材班が"トカマク型起電機"の回収を始めていた。

 

「おう、用は済んだのか。"ミスター女子トイレ"」

 ぎろりと便所前で出会った同僚を睨みつけるも、最早後の祭りである。

 掃除後、カンバリ様のお力で身体を浄化したためにウンコマンの汚名だけは避けられたことが唯一の救いであった。

 




【悪魔全書】
名前 カンバリ
種族 秘神
属性 LIGHT―NEUTRAL
Lv 27
HP 262
MP 131
力 21
体 17
魔 23
速 20
運 20

耐性
物理 弱
破魔 無
スキル
テトラカーン マハンマ 八百万針

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