シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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やっと次回でボーティーズ編が終わりそう。


シュバルツバースで失せモノ探し

 当然といえば当然というべきなのだろうが、野球好き改めバースさんの"箱庭"復帰と"トラちゃんズ"の4番バッターを務めるその後の大活躍は、小生のみならず調査隊全体の死生観と行動指針に多大なる影響を与えた。

 そう。今回の件をもって、"箱庭"の住人たちやその近隣の人間たちはたとえこの外界から隔絶された滅びの地で人生を終えることになったとしても、それが決して孤独な"終わり"に繋がるとは限らないことを理解してしまったのである。

 これは正しい意味で『この地に来世信仰を伴う強力な宗教が萌芽した』と言い換えたとしてもあながち間違いではないだろう。

 

 バースさんの復活、または転生を自覚の有無はさておいてもトラちゃんさんが成し遂げたことは既に皆が知るところとなっている。

 復活とはつまるところ来世の確約だ。そして来世の確約とは宗教の領分に他ならない。

 

 自分の来世を左右できると思わしき存在に対して、一体どうしておざなりな対応ができるだろうか。

 いや、勿論一部の攻撃的な隊員たちをのぞき、皆がトラちゃんさんに対して無礼な態度をとっているわけではなかったのだが、少なくとも彼女に向ける態度は友愛や尊敬を越えるものでは断じてなかった。

 例えば、"箱庭"の住人たちはトラちゃんさんへの直接的な感謝を抱きこそすれども、本当の意味での"信仰"を捧げる者は少なかったように思う。要するに誰もが手のかかる恩神の手助けをするような気分でいたのだ。

 

 だが、ここに来て潮目が変わった。

 彼女との良好な関係が、来世への片道切符の購入権に繋がることを皆が理解してしまったのだ。流石に世界各国から厳選された人材が顔を揃えているからか、これ見よがしに媚びを売るような輩は見受けられなかったが、彼らのトラちゃんさんへの接し方は少しずつ、だが確実に変化が現れていた。

 であるからこそ、彼らの抱いていた外界への帰属心、執着心に座視できぬ変化が現れてしまうこともまた、最早起こるべくして起こってしまったのかもしれない。

 

 

「合成甘味料入り炭酸水は3マッカ。合成コーヒーはコップ一杯10マッカ! 酒神印の天然スパークリング・ワインは30マッカだっ。折角の野球観戦に飲み物なしとかありえねぇだろう。お前ら、買っていくよな?」

 と査察に赴いた調査隊員や元"エルブス"クルー。それにちょくちょく食料の調達にやってくる"天使"勢力に対して堂々と売り口上を述べているのは、バンダナを巻いたヒスパニックだ。

「んー、俺はインフラ班の護衛できただけなんだが。まあ空き時間がないわけでもないし、一応見物していくかな? それより俺の知らないカワイコちゃんが住み着いてる件について詳しく! ちょっと年下っぽいけど、全然有りだよ。マジで!」

「……人の子よ。我々に下賤の食事は必要ありません。ましてや蛮神の作った酒など……。いつもの通り、我らが匿う人の子らの食料だけを頂きましょう。ああ、天使レミエル。息災のようで何よりです。これも主のお導きでしょう」

 商品の受け渡しや仕分けは、『女神屋』と刺繍の為された上着を羽織ったタンガタ・マヌさんたちがおこなっている。

 "箱庭"の中央広場に隣接する常設の宿泊施設"ホテル"と販売施設"ショップ"は、今日も今日とて大繁盛だ。

 調査隊員と"天使"勢力。まだ敵対こそしていないが、友好的な関わりを持ちようのない両者も、最近は食料と物資の集積地点としての"箱庭"の価値を認めつつあるようで、空間内でのトラブルは極力起こさないよう努めているように見受けられた。

 

 "箱庭"での宿泊と買い物には、物々交換か地獄の通貨であるマッカが用いられる。

 特にマッカは尊ばれており、売り上げの一部が空間の拡張用エネルギーへと回され、また一部が労働従事者の私財へと回されていた。

 

 そう、私有財産だ。配分の平等、譲り合いの精神が完全に捨て去られたわけではないのだが、何時の間にやらこの"箱庭"で行われる労働には対価が伴うようになったのである。

 例えば、ドクターたちの医療・検診を受けたいのならば、"ヒールスポット"の半額程度のマッカを支払わなければならない。"エルブス"号の残骸や、主のいなくなった魔王"ミトラス"の居城から人体実験に使われた医療設備を回収したことから、彼らの施す医療の質は格段な進化を遂げている。

 

 また、フランケン班長の実験プラントで製造されたレアフォルマは唯一無二の価値を持っているためか、大抵が"レッドスプライト"クルー相手に飛ぶように売れた。

 実験プラントには"ボーティーズ"の方々に散らばっていた科学的な設備から、外部の"悪魔"や"天使"との交渉で手に入れた良く分からない設備がごっちゃに置かれているらしく、プラントから聞こえてくる奇怪な音は小生をいつも不安な気持ちにさせてくれる。ほんと誰か何とかして欲しい、アレ……。

 

 "レッドスプライト"クルーが"箱庭"に出店を出す日だってある。特に遭難直後に苦境をともにした"エルブス"号出身者は里心でもついたのか、よくこちらへと手土産を携え顔を見せに来ていた。彼らの出す商品は今のところあまりバリエーションがあるわけではなかったが、変わり種には調査活動とは無関係の自作アプリや「イエス、ノー」で反応してくれるMIKEとかいう人格プログラムなんかも売りに出されており、君たちちゃんと仕事してんの? と首を傾げざるを得ない。

 

「ん? 食いもんじゃなくてフランケン班長特製の"成長促進因子"の方か。良いけど、高くつくぜ。はあ、物々交換? 構わんが、間違ってもセクターの拾いもんなんか出してくれるなよ。こちとら"レッドスプライト"と違って設備に限度があるから、エネルギー抽出の手間がかかる。武器や防具用モジュール、天然物の種やら食品なら大歓迎だ」

 現在の市場価値は、外界の文物や天然物、住人共同で管理している嗜好品や畑の収穫物などがインフレ傾向にあり、逆にシュバルツバースの調査中に拾えるようなアイテムは捨て値で取り引きされる。こういったナマモノ・実用品重視の市場傾向は東欧の内戦地では日頃見慣れたものであった。

 ……つまり、未だ我々は非日常経済の真っ直中にあり、真っ当に経済を回せるような状況ではないのである。

 

 だというのに、何故"箱庭"の経済にいち早く私有財産制とマッカ本位制が導入されたのか? "レッドスプライト"号がやっているようにチームで獲得した財産はすべて共有し、必需品は平等に分配すれば良いだけではないか。

 これは第一に"箱庭"という空間に注ぐエネルギーのより効率的な確保というお題目があったのだが、やはりマッカを欲する者たちの念頭にあるのは私有財産の確保であった。死後に、"先立つもの"がほしいのである。

 前例として、野球好きのバースさんは記憶を失った上で復活した。死後の転生に記憶を持ち越せる保証はない。ならば、一体何を死後の自分に持ち越せるのか。私有財産である。例えば、バースさんの場合は野球道具のような生前に外界から持ち込んだ私物が、そのまま所有権を保証されていた。

 それなら、なるべく私財を貯め込んでおけば、いざ生まれ変わったときに少しだけ楽ができるんじゃないだろうか? 強くてニューゲームができるんじゃないだろうか?

 

 敢えて口にする者はいなかったが、彼ら彼女らのとるようになった風潮は、小生からすれば"終活"以外の何物にも思えなかった。

 多分、浄土思想にかぶれた藤原道長が量産の暁には、こんな村社会が訪れるのだろうなあと無駄に納得してしまう。

 であるからこそ、

 

「やっぱ納得はしていないだろうなあ」

「何がだよ、ヤマダ。うちのゼレちゃんのことか?」

「そうそう」

 根本の問いかけに生返事をして、広場に置かれた野球用ベンチに座りながら、小生はボトルに汲んだミネラルウォーター『南道頓堀のよく冷えた天然水(道頓堀に北も南もあるのかよ……)』をぐびりとやりつつ、ヒスパニックと"レッドスプライト"クルーのやりとりを冷ややかに見つめるゼレーニン中尉の機嫌を窺う。

 

 当然というべきか、この"箱庭"で始まったネガティブな方向転換は内外で少なからぬ批判の声が挙がった。

 例えば、代表的な批判者であるゼレーニン中尉の言葉を借りれば『人類存亡の瀬戸際に、あなたたちは一体何で責任の放棄をしているの?』となる。

 責任感の強い彼女にとって、任務に従事せずに死後の準備を始めるなど、現実逃避以外の何物でもないわけだ。

 彼女は最近、"命"の在り方について深く思考することが増えてきた。在り方とはつまり使い方のことであり、他者を慮らぬ自分勝手はただの無駄使いとしか映らないのである。

 

「正直龍神の身体になってからは、手前勝手に生きりゃいいんじゃねえかって気持ちも湧いてくるんだがよ。ゼレちゃんの言葉が正しいぜ。ヤマダ。だって大正義ゼレちゃんのお言葉だぜ」

 ただの"ゴブリン"から高位悪魔たる"パトリムパス"へと進化? した根本であったが、彼の行動指針は「自分の思うがままにゼレちゃんの思うがままを助ける」であるようだった。

 要するに気に入った女が秩序を尊んでいるから、それを好き勝手に助けるというわけだ。

 レミエルさん曰く、本来"パトリムパス"は混沌傾向の強い性分をしているはずなのだが、こういう共存の仕方もあるのかと正直驚く。

 何処かからそっと耳に囁かれた「やはり愛なのですよ、ヤマダ」という幻聴は聞かなかったことにして、小生は中尉と意見を異にしている派閥へと目を向けた。

 

「今回はどちらが勝ちますかねえ」

「一応、私はヤマダ君のチーム応援しとくかなあ。でも、所属的にはタダノ隊員チームよね」

 何も考えず商売に勤しむヒスパニックはさておいて、野球観戦のためにドクターの隣をキープしている助手さんやリリム、"レッドスプライト"号から査察にやってきて長逗留しているメイビーさん、元"エルブス"号資材班、インフラ班たち。そして……、静かにスパークリング・ワインの入ったコップを傾けるリーダーたちだ。

 その傍らにはカワヤ守として、カンバリ様がふよふよと浮かんでいる。小生の手によって設置された公衆トイレは既にカンバリ様のマイホームだった。

 そしてマイホームの付近でバースさんあたりが"ホームラン"をぶっぱすると、カワヤ施設に被害が及ぶ可能性がある。

 つまりカンバリ様はお目付け役なのだ。いざ、殺人ボールがカワヤに飛んできた際に物理反射魔法で跳ね返すための。

 カワヤの隣が観客席になっているのは、何もトイレの便だけを考えているわけではない。安全性も十分に考慮した立地なのであった。

 ああ、カンバリ様がため息をついておられる。気持ちは痛いほど分かるんだよなあ……。

 

 小賢しくも騒がしい観客をじろりと見回し、その中にあってまるで地蔵のように存在感の薄くなったリーダーたちを小生は見据えた。

「はあ」

 小生は膝を土台に頬杖を突きながら、小さなため息をつく。

 まさか、リーダーたちが中尉の反対派閥に回るとはなあ……。

 

 元々小生ら"エルブス"号出身者は後方要員が多く、エリートや機動班で構成された"レッドスプライト"クルーと比べて「身を挺して人類社会を救ってやろうじゃないか」というオセオセの気概が薄い。だから、後方要員が任務そっちのけで保身に走ってしまう理屈は良くわかるのだ。仕方ないと思えるし、小生もぶっちゃけ保身に走りたい。

 だが、ここに来てリーダーや強面たちまでもが理由も言わずに私財を貯め込む路線に走ってしまったため、小生の中のバランス感覚とお腹の不和センサーが安易な保身を認めてくれないのである。

 

 何であんたたちがそっち側なんだよ。これじゃ中尉が"箱庭"内で孤立してしまう。小生が彼女の側に立つしかないじゃん、と。

 今、小生が彼らに対して最も強く抱いている感情は、明確な失望だった。

 

 リーダーには今まで路頭に迷った我々の手を引き、ここまで連れてきてくれた実績がある。たられば話になってしまうが、もし彼が最初の遭難時に脱出できていなかったら、小生らはここにいなかっただろう。

 強面はどんな時でも冷静にミッションの成功率を分析し、不和を鎮めるご意見番のような存在だった。彼がいなければ、チームは一体どうなっていたことか。少なくとも、今のようにまとまることができていたかどうかは疑わしい。

 そんなチームの柱石が、今や"レッドスプライト"号から委託されたミッションの手を緩め、私財の貯蓄に勤しんでいるのだ。

 既にストラディバリ捜索のための"ボーティーズ"探索回数もエースが彼らを上回り、小生も彼らと並ぶほどになってしまった。歓楽街に埋め尽くされた世界のマッピングを端から端まで終えたのも、最終的には小生たちだ。

 

 今まで皆を引っ張ってきてくれた彼らのすることだから、何か深い意図があるのだと信じたい。がその真意を直接問い質す気には到底なれそうになかった。もし、本気でやる気がなくなったとか返されたら、どう答えて良いかわからないんだもの。

 

 すっごくもやもやするんだよなあ……。

「悩んでるところアレだが、ヤマダの打順だぜ」

「あ、小生の番ですか。ハイハイ」

 というわけで、状況に流され続けている小生はバッターボックスへと小走りで向かい、マウンド上で険しい表情を浮かべるタダノ君と向かい合った。

 相変わらずのデモニカスーツ着用済みだ。グラウンドに出ている人間の選手たちは安全性を考慮して、物理衝撃緩和モジュールを組み込んだデモニカスーツの着用が義務づけられている。

 フランケン班長などは「試しにクエビコを憑依させてみては? 憑依時の耐久試験も兼ねて。色々参考にしたいです」などと提案してきたが、自分の身体で耐久試験を兼ねるというパワーワードは当然ながら聞き流した。んなもんしたくないよ、絶対……。と言うか、何の参考にするんだよ……。怖いって……。

 

「もうヤマダかよ」

 ……そんなに睨まれてもなあ。

 セットポジションを取る彼の姿が学生時代より近く感じる。そりゃあ、小生は彼とバッテリーを組んでいたキャッチャーだったんだから、近く感じるのは当然だ。

 勿論無視できないほどの異和は感じている。が、

 

「だが、勝ち取る!」

 迫り来るアンダースローの速球。本気も本気の一球だ。その軌跡は名刀のように鋭いが、上に伸びるタイミングは承知している。勿論インパクトのポイントも。

 

「ほいっ」

 難なくカキィンと左中間。

 何千球と受け続けたタダノ君のボールだ。初球で彼が選択したがる球種は上に伸びるストレート4割に、牽制も兼ねた高速スライダー2割、ある意味で見せ球のシンカーが4割。そう選択肢があるわけではないし、伸び方である程度の予測はつく。

 多分、プロも含めて世界で彼の投球を小生以上に理解できているものはいないと思う。

 

「オイ! オイ! オイオイオイ! 勝ちに行け、勝ちに行け、我らの我らの女ー神ー!」

 観客の声援を受けて出塁した後、前屈しながらホームを見やる。

 お次は4番打者のバースさんだ。

 タダノ君が険しい顔をしながら、無理矢理に付き合わせた"レッドスプライト"クルーのキャッチャーにサインを送る。普通、ああいう仕事はピッチャーがやることではないんだが、経験者不足が彼の役割を増やしてしまっているのだろう。

 それに対して"箱庭トラちゃんズ"が誇るバース・根本の上位打線。略してバ・ネ砲は伊達ではない。まさか根本までバッティングの才能があるとは思わなかった。まあ、名前が根本だしな……。

 

「あっ」

 カキィンと硬質な音を響かせて、"箱庭"の青空にバースさんのかっ飛ばした打球がロケットのように打ち上がっていく。あの軌跡なら、ピッチャーたちを軒並み土に返すような"葬らん"の心配はなさそうだ。

 ともかく、2得点が確定した。

 

「あっ、あっ」

 カキィン。

 あー、バースさんに続いて根本まで安打出したか。横に引っ張るような低い打球は主砲というよりは副砲を思わせる。これバースさんと打順変えた方がいいな。ネ・バ砲。語感で縁起の良い打順を組んでしまったが、逆なら3得点の流れだった。

 

「ラララ、オイオイオイ! オイオイオイオイ!」

 観客席から轟く住人たちによる応援歌も調子が鰻登りに上がっていく。反面、アウェーである"レッドスプライツ"は静かなもので、タダノ君の仲間である"ハイピクシー"と"シーサー"が小さなお手製の旗を振るっては「ヒトナリー!! 私を甲子園に連れていくのよー」と可愛らしい声を張り上げていた。あれはあれで微笑ましいし、癒されると思うけど、負け試合濃厚の中で甲子園経験者のオッサンにそれをいうのもちょっと酷だと思うんだ。「もう行った後だよ! 家のタンスにグラウンドの土眠ってるよ! タイミング遅いよ!」と返したい。

 そんな中、タダノ君が安全対策にかぶっていた"バケツ頭"を投げ捨てる。

 

「不公平だ! とりあえず、ヤマダを寄越せ!!」

「いや、そもそも野球やってる場合じゃないと思うんですよ。小生」

 小生はすかさず突っ込んだ。勿論、タダノ君は屁とも思わないようで真顔でこちらに返してくる。

 

「さては勝ち逃げかコノヤロー」

「いや、早くミッション進めなきゃでしょ」

「何でだ。こう見えても、第3セクター"カリーナ"の探索は今まで以上に順調に進めている。野球に使える仲魔のスカウトのため、ご先祖様頼りで今までおざなりにしてたTALKにも気を使ってるんだぞ。仕事の合間のレクなら何も問題ないじゃないか。いや……、レクではないな。俺にとってこれはEXミッションなんだ。EXミッション『野球の腕を競おうではないか』。退いてはならない戦いがここにはある!」

「お、おう」

 もしかすると、相当フラストレーションが溜まっているのかもしれぬ。ストレスケアくらいきちんとしとけよ、"レッドスプライト"の皆さん……。

 多分これ、今まで野球から離れすぎていた反動もあるんだろうなあ。こうなったらとことん行くまで彼に付き合うしかないだろう。

 

「とりあえずヤマダだけこっち移籍しろ。得点力がずるすぎるんだよ。こっちでまともにボール投げられてバット振れるの俺だけだぞ。毎回ホームランかっ飛ばさなきゃ、無理ゲーじゃねーか」

「嫌ですよ。"トラちゃんズ"の名前を冠している時点で小生が軽々しく移籍なんてしたら……」

 ちらりと観客席を見やると、"レッドスプライト"の資材班に頼んで作ってもらったらしいトランペットをプープー吹き鳴らすトラちゃんさんの姿が目についた。

 初めはルールをさっぱり理解していなかったものの、最近は『ボールが棒に当たってかっ飛ぶと、自分の名前が付いたチームが勝つらしい』ことが分かってきたようで、今も大喜びの表情を浮かべている。

 こんな中で小生が"レッドスプライツ"に移籍しようものなら、間違いなく道頓堀に沈められる。彼女の手によるものか、信者の手によるものかは分からないが、無事に済むとは到底思えなかった。

 

「とにかく、俺はヤマダに勝てるチーム作りを当面の目標とする。目星はつけてあるんだよ。エネミーサーチアプリで隠れた高位悪魔を総当たりにしているんだが、"幻魔"だか"魔人"だかがスペック的に有望そうだ。『対話で何とかなると思ってんの? 馬鹿なの?』だのと今のところ何か話が合わないんだが、根性さえあれば何とかなるだろう」

「あまり本筋と脇道がこじれるのは良くないと思うんですけど」

「結果オーライって言葉があるだろ。ネガティブな事実があるなら、ポジティブな未来と結びつけるんだ。そうすれば、決して悪くはならない」

 この前向きさがタダノ君の武器であり、小生らを甲子園へと導いて、今も調査隊に勝利をもたらしてくれる原動力だったのだから、決して馬鹿にできない。

 意気揚々と腕をまくる彼を苦笑いしながら眺めつつ、

 

「ネガティブな事実をポジティブに結びつける、かあ」

 ふと思いついた案に、思考を深く沈めることにした。

 

 

「生産区画を"拡張"する?」

 公民館の夜間臨時会議。リーダーの怪訝そうな声に小生はぶんぶんと頷いた。

 

「んー、話が見えてこないな。そもそも、現在俺たちがやっているマッカ回収だって空間の"拡張"に繋がっているじゃないか。それと違う話なのか?」

 ヒスパニックが先を急かす。彼だけではなく、保身に勤しむ皆が小生の意図を掴みかねているようであった。

 ゼレーニン中尉が無言に徹しているのが少し怖い。

 小生は微弱なプレッシャーに腹をさすりながら、口を開く。

 

「ええとですね。それだと効率悪いと思うんですよ」

「効率悪いといったって……、安全な拠点の構築にはそれしか選択肢がないから俺たちは専念してたんだろ。それは女神様のためでもある」

 ちなみに女神様は夜は寝る子だ。会議には基本参加しないため、意見がまとめやすいのはありがたい。

 すーっと深呼吸をして息を整え、小生は意図して「はて」とすっとぼけた声を返す。

 

「トラちゃんさんの目的はシュバルツバースをトウモロコシ畑で覆うことでしたよね」

「ん、まあそうだな」

「でも現在やっていることは"箱庭"を田畑で覆うことです。一応、シュバルツバースからエネルギーを奪い取って空間を拡張していますから、トラちゃんさんの目的から外れているわけではありませんけど……、ギャップがありますよね? 間に」

 この場にトラちゃんさんがいないのは正直助かったと内心胸を撫で下ろす。

 もしトラちゃんさんが「アタシはそれでも満足よ」なんて言い始めたら、話がそこで終わってしまう恐れがあったからだ。

 いや、別段小生だって「アタシはそれでも満足よ」な気分であった。難しいことを全部"レッドスプライト"クルーがこなしてくれるのならばそれに越したことはない。

 ただ、現状のままではゼレーニン中尉の不満点を解消することはできない。合同計画に小生らの価値を認めさせることもできない。内側に籠もるスタンスが、いずれ不和や外圧によって破綻を来すことは火をみるより明らかであった。

 ゆえに外へと活動の目を移さなければならない。保身をはかる住人たちが外へと出たがらずに破綻してしまうくらいなら、外へ出ることが保身と外聞に繋がるよう無理矢理に結びつける。戦国時代の終わりに豊臣秀吉が海外出兵をはかったように、ナポレオンがずっと戦争を続けたように。

 

「ヤマダさんのいう効率の話は良く分かりますよ。確かに外部セクターに直接田畑を作れるんなら、その方がずっと良いと思います。何せ馬鹿みたいに空き地が広がっていますしね」

 と小生の意見に乗っかってきたのはフランケン班長であった。ぶっちゃけ彼は住人たちの変化とは無関係なゴーイングマイウェイの途上にいる。責任感やら使命やらを前面に出さず、そもそも論を通しておけば食いついてくるのは容易に予想できた。これで貴重な一票をゲットだ。内心でガッツポーズを取りながら、アルカイックスマイルを貫き通す。

 

「だが、塩ばかりの不毛な大地なんだろ? 大気組成だって俺たちが生活するのに適しているわけじゃない。今のまま外部セクターからエネルギーを調達して、住みやすい"箱庭"を膨らませていく方がずっと安全だろうに」

 ヒスパニックが眉根を寄せる。最大にして最後の難関はやはり彼だなあと、小生は表情を作りながら静かに思考した。

 ドクターたちは日本人的な感性からか、こと人命が関わってこない限りは意見をぶつけ合うよりも多数派に同調しようとする傾向にある。

 この"箱庭"において発言権を保有しているのは、トラちゃんたち人外を特別顧問としてのぞけば小生、ゼレーニン中尉、ヒスパニック、フランケン班長、ドクター、助手さん、エース、リーダー、強面のたった9人だ。

 現状において外向けの活動を推しているのは小生、ゼレーニン中尉、エースの3人。班長をここで自派閥に引き入れたことで、ドクターたちを浮動票と考えれば全体の過半数を確保できたことになる。

 多数決をとれば勝利できる流れであったが、ここは後に禍根を残さないためにも引きこもり派の切り崩しをしておきたいところであった。

 さあ畳みかけていくべい、と勿体ぶった表情をつくりなおし、指をピンと立てる。が、それと間を置かずして――、

 

「……さっきから聞いていれば、貴方。女神様の望みも、生存拠点の構築も大事だけれど肝心の調査が疎かになっている現状をどう考えているの!」

「げぇっ」

 不発弾がついに暴発した。無言を徹していたゼレーニン中尉だ。

 彼女の言いたいことは明確極まりない。今が人類存亡の危機にあることをお前は忘れてしまったのか。崇高な使命を与っているという自覚はあるのか、だ。

 けれども、この場面で責任を論ずるのは悪手であった。

 ど、どどどどうしよう、と正直ドキドキが嫌な意味で止まらない。

 とにかく表情は冷静に努めなければ……。

 小生はさらに鼻息荒くまくし立てようとする中尉に対し、

 

「ゼ、ゼレーニン中尉、ストップです」

「ヤマダさん……?」

 手持ちぶさたになった自身の指を口元に持っていって、制止のポーズを取る。もう片方の手は悠然と腹の上に置いていた。当然ながら、腹痛対策である。

 多分、端から見たら芝居がかっていてすごい偉そうなポーズに見えることだろう。胡散臭い黒幕感と言うべきか。全部不可抗力だ。

 小生は彼女の勢いを挫くべく、さらに続ける。

 

「……その先を言うのはアウトですって。皆の目標は一致しています。共通しています。前へと進んでいます。我々は団結したチームであり、だから確認するまでもないんです」

 売り言葉に買い言葉ということわざが日本にはあるが、一度出てしまった言葉を引っ込めるのには大変な労力がかかるものだ。当然、言葉のナイフによって刻まれてしまった不和の溝を埋めるのにも相応の手間がかかる。

 

 ゆえに、この場において出してはならないNGワードというものがいくつもあった。

 その代表的な一つが「お前は人類を救う気があるのか?」に類する売り言葉だ。

 もし、「アァ!? ねえよ、そんなもん!」とか「自分の身が優先だろうが!」とまかり間違って返ってきてしまえば、このコミュニティはたやすく分裂してしまうことであろう。

 それはまずいのだ。このシュバルツバースに関わる問題解決の取り組みは、個人だけでは決してできないのだから。

 

 本当ならこういった制止役は強面の仕事だったんだけどなあ……、と恨みがましく彼を見れば、彼は無言で腕組みをして論議の趨勢を見守っているようであった。ほんと、何を考えているんだろう……。

 

 小生はフラストレーションを抱えたまま、あらかじめ準備しておいたデータをハンドヘルドコンピュータのディスプレイに表示させた。

 会議に参加する面々にもタスクボードを見るように指示する。

 ディスプレイには実験に用いたトウモロコシの苗が映っていた。

 

「これは……、トウモロコシの鉢植えか。って、これ外部セクターの画像? マジで?」

 目を丸くするヒスパニックに対し、小生は頷く。

 

「個人的に実験させてもらいました。結論から言えば、ヒーターを用いて温度さえ整えてあげれば、少なくとも"ボーティーズ"でのトウモロコシ育成は可能です」

「いや、土壌は……。ああ、カンバリ様の肥料か。しかしあんな滅茶苦茶な大気組成で……。女神様に調整でもしてもらったのか?」

「いや、トラちゃんさんから何も言わずに苗を分けてもらい、そのまま出しました」

「んな馬鹿な……」

 予想外だと方々から声が挙がっていたが、小生からしてみるとこの結果は予想の範疇にあった。勿論、こんなすんなりと上手くいくとも思わなかったが。

 驚きにざわつく住人たちの中から、前のめりに質問の手が挙がった。フランケン班長だ。

 

「ヤマダさん。もしかしてこの結果を予想していましたか? この結果に至る仮説を立てていたのなら、お聞かせ願いたいんですが」

 小生は息を呑み、一呼吸吐く。

 ここが多分、住人たちの意識を変える最重要説得ポイントだ。リーダーを見やると、資料に目を落としながら静かに沈黙を保っていた。

 小生は言う。

 

「ええと。まず、我々の取得した知識をまとめてみましょうか。このシュバルツバース現象は人々が地球環境を食いつぶしたことで生じた、"超科学的な公害"という認識に齟齬はありませんか?」

 住人たちが頷いた。小生は続ける。

 

「ではさらに前提の認識として、地球に"意志"があるということも共通の理解として宜しいでしょうか?」

 この呼びかけには住人たちは異なった理解を返してきた。

 

「ん? ん? ただの惑星が"意志"?」

「"意志"ですか。ウイルスのようなものから生命の意志を感じることは確かにあるんですが……。主観的にそう感じるという話ではないんですか?」

「人格のようなものがあるという意味で言っているとなると、それはちょっと納得できねえなあ。勿論、歓楽街やらショッピングモールやら、悪趣味な世界がコピーされているところには悪意みたいなものを感じるけどよ」

「大昔にあったという"洪水"も含めて、地球に何らかの防衛機構があるという点については、僕も認めていますけどね。人格についてはどうなんでしょう。立証しようがないんじゃないんじゃないですかねえ」

 エース、ドクター、ヒスパニック、班長が返してきたが、それらは概ね否定的な見解であった。

 小生はそれで良いのだという顔で続ける。

 

「以前のレポートを読んでない方はいらっしゃいませんね? これは昆虫もどきの発生に、バースさんの復活騒動を経験して気づいたことなんですが、どうにもこのシュバルツバース現象は人間だけを狙い撃ちにして滅亡させようとしているように思えるんです。狙うって割と高度な判断が必要な行為ですし、それを人類に限定した"敵対意志"があると予測するのはあながち間違いというわけではないだろう、と。そこから人間以外ならシュバルツバース内で生息することもあながち不可能じゃないんじゃないかなあ……、と仮説を立てた実験の結果がこれなんです」

 言葉を一端区切って様子を見る。

 さあ、どんな反応が返ってくるかなあと待ち受けてみたものの、住人たちから満足のいく反応は返ってこなかった。

 一瞬要領を得なかったのかという不安に駆られたが、どうやら杞憂だったらしい。

「……俺たちは地球に狙い撃ちされてんのか」

「あー、マジかよぉ……。そういう話か……。確かに筋は通っているけどよ……」

「……人類だけに対する敵意、ですか」

「それが、ヤマダさんの得た結論なのね……」

 皆が皆、深刻な表情で頭を抱えていた。

 多分、危機感が共有できたんだと思いたい。小生は、公民館の机をドンと叩く。

 

「現状、"箱庭"は確かに外部セクターよりずっと安全です。でも、それはこの星に見逃されているだけかもしれません。この安全がそのまま続くと考えるのは少し楽観がすぎるんじゃないでしょうか?」

「けれども、外部セクターは危険じゃねえか」

「危険じゃないようにしてしまえばいいんです」

 小生は拳を振りあげた。こういう演説は苦手なんだが、周りが後込みしている現状、自分でやるしかないのが辛い。

 

「一案ですが、"ボーティーズ"そのものを"箱庭"化する手段も考えてみませんか?」

「外部セクターを人類が生存できる環境に作り替えようっていうのか?」

 小生は自信満々そうに頷いてみせた。

「強力な空気清浄機を作るのでも良いですし、取り得る手段はたくさんあると思います。けど、大事なことはこのまま"箱庭"を拡張していくよりも高速で生存環境の構築を進めることができるという点です。"ボーティーズ"の地表面積がそのまま居住可能区域になってしまえば、合同計画の意向にもある程度添えるようになるでしょう。何故ならば……」

「より多くの人々を避難させることできるようになる。受け皿を広げることができる、から……」

 ゼレーニン中尉が目を見開いて言った。

 

「……シュバルツバースのテラフォーミング……。これは"レッドスプライト"号によるシュバルツバース現象の調査と並行する価値のある活動になると思うわ。暗中模索の現状、人類にとって救済の可能性がある活動は全部試すべきだと思うもの」

「合同計画が文句を言う類の話ではないというのが、面倒がなくていいですね。問題は過激な活動が地球の"敵対意志"とやらを刺激しないかという点ですが、何もしなくてもリスクが0になるわけではなし、ここはチャレンジするべきでしょう」

 中尉と班長が手を叩き、ヒスパニックが唸り、顔を上げる。

 

「ヤマダの提案は俺も妥当だと思う。"箱庭"全体の指針にしてもいいんじゃないか?」

「……皆の言うとおりだな」

 と、ここで沈黙を保っていたリーダーが口を開いた。

 え、ここでリーダー?

 

「俺たち機動班はこの提案に賛同するよ。それで良いな?」

「ん? おう。そりゃあ、オレがヤマダに反対する理由もねえわけだしなぁ」

「同じく。反対の理由はねえな」

 エースだけでなく、強面までもがすんなりと頷き、賛意を示す。

 ……どゆこと? リーダーと強面は引きこもり派のオピニオンリーダーだと思っていたのに……。

 小生が狐につままれた思いでいると、リーダーはさらに言った。

 

 

「ただし、この提案は指示を待つだけの下請けミッションと違い、自発的にゴールを見据えた全体計画を綿密に策定しなければならないだろう。生憎と"箱庭"には作戦班が存在しないため、いい加減、ヤマダを"リーダー"にした村の首脳部を設置する必要性を感じている。……個人的な意見だがな」

 ちょっといきなり何言い始めるの……? 小生は不意に訪れた責任という名の重いプレッシャーに眉をしかめながら。いや、奇怪な予定調和に不安を感じながら、リーダーに対して抗論した。

 

「ま、待ってください! "箱庭"は既にリーダーを中心にした合議制で回せていますし、今のところ不都合を感じたことがありません。今更、仕組みに手を加えても混乱の種になるだけですよっ!」

 どうですか!? と周囲に助けを求めてみるが、周りの反応は渋いものであった。

 

「俺は異議がないなあ」

 とはヒスパニックの言。おい、反対論者だったろ! もっと頑張れよ!

 ドクターや助手も賛成していた。ゼレーニン中尉だって同様だ。エースはそもそもいちいち小難しいことに口を出したがる性格ではない。強面も賛成のようだった。

 

「マッカの収集量的に、ちょっとタイミングが早い気もしますが……、ぎりぎりいけそうかなあ。リーダーが決めたんなら、ヤマダさんが新リーダーになることに異論はありませんよ。……このタイミングじゃなければと思ったんですよね?」

「ああ」

 フランケン班長も意味の分からない言い回しではあったが、賛成であることに違いはなさそうだ。

 満場一致のリーダー権委譲決定……。はっきり言って横暴過ぎて何と返したものかすぐに言葉が出てこない。

 顔面を蒼白にして震える小生に対して、リーダーが静かに頭を下げた。

 

「……自覚も責任も持たなくて良い。ただ、今まで通りで君は良いんだ」

「……だ、だったら、今まで通りじゃ……。何でリーダーがリーダーじゃ駄目なんですか!?」

 小生の問いかけに対し、リーダーは一瞬答えようと口を開き、すぐさま頭を振る。

 

「……その答えは明日まで待ってもらいたい」

 小生は猛烈に嫌な予感がした。リーダーの行っていることは、まるで寿命を間近に控えた人間の身辺整理そのものだ。もしくは自殺を考えた人間の行動――。何とか思いとどまらせようと必死に食い下がる。

 

「明日って……。何か命の危険があることをするつもりですか? だったら、駄目ですよ。そんなこと誰も望んでない」

「命の危険はないよ。信じて欲しい」

「そ、それじゃ何をするつもりなんですか!」

「今はまだ言えない。ただ、この"箱庭"の皆が外に繰り出すならば、絶対に必要なことだと考えている」

「必要なことを、まだ言えないって……」

 思わず言葉を失ってしまう。

 だが彼はあくまでも頑なで、少しも譲るつもりはないようであった。

 小生は苛立ちながら椅子を蹴飛ばし、立ち上がる。

 

「そ、それはチームにとって、あってはならない勝手ですからね。小生は断固として反対させてもらいます! 失礼しますっ!」

「そうか」

 この手応えのない反応を見るに、どうやらリーダーは小生の反対を振り切って"何か"をやろうとしていることは間違いがないようであった。

 ここ数日の変心に、突然の提案……。

 小生は公民館を後にしながら、今日より彼が何か縁起でもないことをしでかさないよう、夜通し見張ることを心に決めた。

 別段、自分のリーダー就任が嫌だからという保身からくる行動ではない。

 

 リーダーを大事な仲間だと考えていたからだ。

 

 

 かくして小生が席を立つという形で合議は早々に切り上げられた。

 新たに創られたらしき夜虫がリンリンと雑草の合間で鳴く中、小生はこそこそと行動を開始する。

 第一ミッション。

 まずはリーダーたちが機動班の寝泊まりしている掘っ立て小屋に帰りつくのを目で確認。

 掘っ立て小屋に明かりが点り、ドアの隙間から光がかすかに漏れ出でた。

 第二ミッション。

 足音を立てぬようドアの前まで近寄り、その場に静かに座り込む。

 偽りの星空が煌めく中にあって、左腕のハンドヘルドコンピュータをピピっとタップ。

 ぼんやりと電光を放つディスプレイ上に、リーダーたちのデモニカ識別信号を浮かび上がらせた。

 

 ……リーダーがリーダーという責任を小生に託そうとするからには、何か相応の危険を冒す腹積もりに違いあるまい。ならば、向かう先は外部セクターだ。デモニカ無しでは向かえない。

 ならばデモニカの信号を追っていれば、見逃すことはないはずだ。

 

「んんー。ヤマダ、何やってるの?」

 物音一つ聞こえない掘っ立て小屋の前で息を殺す小生に対し、トウモロコシ団子を頬張りながら声をかけてきたのはトラちゃんさんだった。

 ……何でこんな夜中に?

 慌ててしーっと指を立て、声を潜めるようにと彼女に請う。

 

「……どしたの? ヤマダ」

「むしろこんな夜更けにトラちゃんさんがどうなさったんです?」

「それは最近夜だろうがお構いなしでアタシの寺院にお供え物が置いてあることが多くなったからよ。お供え物がアタシの胃袋に入る前に傷んじゃったり、虫に先を越されちゃったりしたらまずいじゃない!」

 しーっと再び指を立てる。トラちゃんさんも口を両手で隠しながら半眼でこちらに問いかけてきた。

 

「ええと、ですね……」

 一瞬何処まで話していいものか悩んだが、別段秘密にする内容でもないため、素直に打ち明けることにする。

 最近の住人たちの行動や考え方に変化が現れてきたこと。今日のリーダーたちの様子。

 トラちゃんさんは「……随分複雑なこと考えているのねえ」という風に眉根を寄せていたが、やがて解せないと首を傾げた。

 

「でもあいつら、この家の中にはいないわよ」

「えっ?」

 色を失い、慌てて立ち上がってドアノブを握る。ガチャガチャと回すも開く様子がない。

「くっそ……!」

 小屋の側面に回って窓を確認すると、窓は開きっぱなしになっていた。

 明かりのついた室内に、リーダーも強面も、エースもいない。ただ彼らのデモニカだけが室内に起動したままで残されている。

 小生は頭をガシガシと掻き毟った。

 

「あああ! 一体何考えてるの、あの人ら……。トラちゃんさん……!」

「へっ? え? どうしたの?」

「リーダーたちが何処にいるのか、気配とか分かりませんか!?」

「ちょ、ちょっと待ってね……。んー、多分"箱庭"の中にはいないと思う。彼らの気配が感じられないもの」

「どういうことなんだよ、一体……」

 もう事態は小生の情報処理能力を優に超えてしまっていた。たまらず頭を抱えてうずくまる。

 

 ……本当に意味が分からない。

 住人たちが"終活"を始めて、任務そっちのけで経済活動を開始したかと思えば、この急な失踪騒ぎだ。探そうにも手がかりがない。

 ちょっと泣きたくなってきた……。

 

 小生は小走りで"バケツ頭"の保管場所にまで駆けながら、ハンドヘルドコンピュータを操作して身内向けの緊急回線を開いた。

 このアクシデントを"箱庭"内の仲魔と人間たちに伝えるのだ。

『緊急事態、機動班全員が失踪しました』

 すぐさま返ってくるいくつかの反応。建物から続々と隊員たちが飛び出してくるが、不可解なことに1名足りない。

 どうやら失踪者の中にはフランケン班長も含まれているようであった。

 

「機動班に班長まで……。ちょっとこれどういうことなの……」

「ヤマダ、大丈夫……?」

「だいじょばないです……」

 これは身内だけで何とかなる問題ではなさそうだ。至急応援を寄越してもらうべく、"レッドスプライト"号へのホットラインも夢中で開いた。

 

『グッドイブニング、ヤマダ隊員。何かトラブルですか?』

『前代未聞のトラブルです……』

 小生が状況を説明すると、"レッドスプライト"号の指令コマンド"アーサー"は即座に派遣中の隊員の貸し出しを提案。

 小生は二つ返事でこれを受け入れた。後から考えてみれば住人たちに話を通さないのは独断といえたが、現状はいちいち合議をしている時間が惜しい。

 住人たちがこの"箱庭"を安全と評している点について、小生もいちいち突っ込みはしなかったが、この場所は一度"堕天使"の侵入を許してしまっているし、ルイ・サイファーと名乗る女性の侵入だって許してしまっているのだ。

 リーダーたちの失踪が"悪魔"がらみだった場合、今この瞬間も命の危険にさらされている可能性があった。

 

『ヤマダ隊員。"レッドスプライト"号は可能な限りの支援をアナタがた"NOAH"に送る用意があります。ただし、セクターをまたいでの即時増員は物理的に不可能です。初動調査はアナタがた自身がやるべきでしょう。委託していたミッションのほうは優先順位を下げてしまってもかまいません』

「……分かりました」

 小生は"バケツ頭"をひったくるようにつかむと、乱暴に装着して探索モードを起動させる。

 

『探索モードを起動します』

 騒ぎを聞きつけてか、隊員たちだけでなくカンバリ様とディオニュソスさんも集まってきた。トラちゃんさんも傍にいる。

 外部へ飛び出す準備は一応できたようだ。

 動揺を隠せない隊員たちの中にあって、少し息を切らせた中尉が口を開く。

 

「ヤマダさん。観測気球の画像を確認したところ、デモニカスーツを着た一行が"ボーティーズ"内を行き来している姿を捉えたわ。識別番号を見たけれど、うちに保管された予備のものだった」

「何でそんな手の込んだことを……。向かった先は何処ですか?」

「"ミトラス"城」

 油断すれば何かに当たってしまいそうで、思わず拳を強く握り締める。

 今まで小生は何度もチームの足を引っ張ってきたが、それと比べても今回の動きは悪質が過ぎる。

 

「トラちゃんさん。カンバリ様。ディオニュソスさん。急で申し訳ありません。"ミトラス"城までお付き合い願えませんか?」

「別にそんなお伺い立てなくてもいいわよ。アタシも眠くないし。余裕ね」

「あまりそうカッカしておると痔になってしまうぞい。"キレ"るだけに。ふぁっふぁっふぁ……!」

「ぶどう畑は妖鳥に世話を任せてありますから問題ありませんよ。これも私をロンリネスな呪縛から解き放ってくれた礼と思えば……」

 あくまでもいつも通りな三人組に、少し沸点に至った苛立ちがおさまる。

 そこにレミエルさんが呼びかけてきた。

 

「ヤマダ。"ミトラス"城へと向かうのならば、言っておくべきことがあります」

「レミエルさん……?」

「あそこにはこの世界の元となった"宇宙の卵"があるはずなのです」

「"宇宙の卵"……、ですか?」

 レミエルさんは静かに続ける。

 

「はい。異空間の創造装置とでも言い換えましょうか。本来世界を"生み出す"という権能を魔王は持っておりません。故に外の"遊びふける国"は卵の力によって生み出されました。貴方がたがあの世界を造り替えようというのならば、とにかく卵を求めなさい。どの勢力が手を出すよりも先に――」

「でも、今はリーダーたちを探すのが先決です……」

「私には探し人と卵の存在が無関係であるとは到底思えないのです」

 小生は一瞬目を閉じて思案した。

 難しい。案ずるよりはさっさと出発しよう。

 小生はレミエルさんに頭を下げて、"箱庭"を出発することにした。

 

 急ぎ、急ぎ、急ぎ、急ぐ――。

 トラちゃんさんらと共に遭遇頻度の薄くなった"悪魔"たちを蹴散らしながら、"ミトラス"城へと辿り着く。

 往時は四方から嬌声が響いてきた城内も、今や不気味なほどに静まり返っていた。

 小生は通路を駆け続けながら、通信回線を開いてリーダーたちに呼びかける。

 

「リーダー! リーダー! 返事をしてくださいっ!!」

 反応はなかったが、"バケツ頭"のポップアップには予備の識別信号が4人分表示されていた。

 全員が4階の一室に集まっている。共有されたマップ情報の補足には、かつて"エルブス"号の隊員たちを素材に人体実験を行っていた一室だと添付されていた。思わず、全身から血の気が引く。

「リーダー! 何が起こってるんですかリーダー!」

 すぐさまエレベーターで当該階へと向かおうとしたところ、直通のエレベーターが何らかの原因で故障していることがすぐに分かった。

「トラちゃんさん」

「任せて! んぎぎぎ……!」

 扉を無理矢理に開けると、昇降かごがその場に留まっているのが一見して分かる。上部のハッチは何らかの要因で固定されてしまっていて、うんともすんとも動かない。

「どういうことだよ……!」

「ど、どうするの? ヤマダ!」

「階段を使いましょうっ」

 故障原因が分からない以上、あまり時間もかけていられない。

 小生はきびすを返して、階段へと向かった。しかし――。

 

「おい、嘘だろ……」

 どうやら階段は道の半ばで瓦礫に埋まっているようであった。

 誰かが小生の行く手を阻んでいるのか。もしそうなら、一体誰が……。

 

 小生は必死でマップを探し回り、タダノ君が使ったという大穴の存在に着目した。何でも一度囚われた際、脱出するために掘ったらしい。

 ワイヤーとウインチを駆使して何とか4階の旧人体実験室までは上がることができたが、この城は不運にも東塔と西塔に分かれる設計をしており、小生らが上がってきたのは西塔。リーダーたちと思しき識別信号が発信されているのは東塔だった。両者を繋ぐのは7階の連絡通路のみだ。しかもそこに行くには8階を経由する必要がある。

「ハルパスさん、ややこしい造りにしすぎなんだよなあ……!」

 歯噛みして牢屋を思わせる扉を開く。

 先に進む。

 5階、6階、7階。

 そして、8階。

 

 

 かつて魔王"ミトラス"が鎮座していたという部屋の手前。恐らくは控えの間にて小生は見慣れぬ"悪魔"と対面した。

 何処か"マカーブル"と似ているものの、楽士に寄った服装におぞましい骸骨姿の"悪魔"である。

 手にはヴァイオリンを構えていた。

 骸骨姿の"悪魔"が囁く。

 

「……ちょうど我が愛器の調律が終わったところなのですよ。不完全な演奏を聞かせては私の矜持に傷がつきますからね」

「……アンタ、魔人"デイビット"だったかしら」

 小生の前へと進み出たトラちゃんさんが言う。

 "デイビット"と呼ばれた"悪魔"はかたりと骨の顎を鳴らし、上機嫌に返してきた。

 

「ニンゲンに聞かせるのならば、『運命』などが宜しいでしょうか? いえ、やはり……、死の旋律でしょうか?」

 "デイビット"が弓を構え、弦を鳴らした。

 耳にするだけで吐き気を催す不可解な音に、小生は外部集音マイクのボリュームをオフにする。が、音は耳にこびりついてはなれない。

 

「妖樹"ザックーム"お出でなさい」

 再び弦をかき鳴らすと、"デイビット"の左右に人面のおぞましい植物が生え出した。 

 

「ぬぅっ――」

「この力……、貴方自身のものではありませんね?」

 ディオニュソスさんの問いかけに、"デイビット"が歌うように言った。

 

「快楽にふけったニンゲンたちは、やがて星を食い殺すほどに増長した。自ら病毒を撒き、そして自らを滅ぼさんとする――。この世界を歌劇にたとえるならば、これは悲劇なのでしょうか? それとも喜劇? いずれにしても――」

 彼の歌は途中で遮られた。トラちゃんさんが殴りかかったからである。

 鉄拳を寸ででかわした彼は、再び弦をかき鳴らした。

 

「自業自得の病毒をアナタがたに」

「うっさい! パンチしてやるから!!」

 かくして、小生らと魔人との間で戦いの幕が切って落とされる。

 ああ! こんなことしている場合じゃないのに!!

 こぞって「パンデミアブーム」なる言葉を発する人面樹めがけて、小生は火炎の力が篭った石を全力で投げつけた。

 


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