シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
耐えがたい不快感が小生の内臓をかきまわした。呼吸がおぼつかず、あまりの痛みに立っていられない。
「ヤマダ!? アンタたちッ!?」
――何だ? 何が起こった? 思考が上手くまとまらないが、少なくとも今の小生が床に力なく横たわり、ただただ死を待つ状況にあることだけは確からしい。
"バケツ頭"のモニター上には装着者の健康状態を示すいくつものアラームがポップアップされていた。危険域を優に下回ったバイタル表示にごぼりと赤い色素がこびりつく。小生の吐いた血塊が、それを為したのだ。
霞む視界に瀕死のカンバリ様にディオニュソスさんの姿――、彼らも何らかの攻撃を受けたのか。そして、つい先ほどに戦端を開いた敵の群れが映る。
敵は骸骨姿の道化が1体に、燃え盛る人面の妖樹が1体――、あれは小生が投げた石の力によるものだろうか――。そして五体満足の妖樹が1体だった。
あれらは確か魔人"デイビット"、妖樹"ザックーム"という名前だったはずだ。
こちらがこうして倒れている以上は、敵の攻撃を受けたことに違いはないのだが……。
ああ、駄目だ。もう意識を保っていられ――、
「メディラマっ!!」
我らが女神の声が耳に届けられ、小生らは寸でのところでその命を繋ぐことができた。
思考が働く。身体が動く!!
「げほっ、げほっ――!」
ただ完治とは言えないため、よろよろと上体を起こしながらもデモニカスーツに内蔵された自己回復プログラム"HPリカバー"の展開を待つ。
このプログラムは"レッドスプライト"号のアーヴィンとドクターが共同で開発したものだった。
人類にとって致死性の毒素が蔓延しているこのシュバルツバースにおいて、最も恐れるべきは身体の露出だ。
例えば四肢の切断は血管やスーツの破れた箇所を伝って、毒素が体内に入り込む恐れがある。
嘔吐や吐血の場合、スーツを脱ぐことができないために致命的な不具合や窒息をもたらす可能性もあった。
新たに開発された回復プログラムは、こういった数々のリスクからの可及的速やかな復旧を目的とする。
モニターにこびりついた血はすぐさまに洗浄され、単純なナトリウムや他の栄養素へと変換されて体内に再注射された。まだだるさは感じるが、これなら何とか動けそうだ。
小生は命の恩人へと言葉を投げかける。
「あ、ありがとうございます。トラちゃんさん……!」
「お礼は後で! それより、早く自分たちにディスポイズンを使用してッッ!!」
「ディ、ディスポイズン……、ですか?」
言われるがままにバックパックから解毒の異能が籠もった石を取り出す。
握りしめた石に発動の念を込めると、小生の体に巣くった不快感が光り輝くそれへと吸い込まれていった。って、マジか。
先ほどまでの致命傷は、毒によるものだったのだ。あの短時間で仲魔たちもまとめて瀕死に至らしめるとは、さぞかし速攻性のある猛毒に違いあるまい。
そう結論づけた小生の勘違いを、トラちゃんさんが緊迫した様子で否定する。
「違う。ただの"風邪"よッッ」
彼女は既に次のメディラマを放つ用意を整えていた。あの隙さえあればマッスルパンチを放ちにいく彼女にしては、信じ難いほど防御的な姿勢だ。
代わりに瀕死から回復したカンバリ様とディオニュソスさんが動きを見せる。
「ぐっ、八百万針を食らえぃっ!!」
大足の身体から生み出された土の針が敵の群れへと襲いかかる。が、あまり効果があるようには見受けられない。
「ですが、私の力ならば……!」
飛び上がったディオニュソスさんが、そのまま五体満足の"ザックーム"に組み付いた。彼の怪力によって"ザックーム"の幹は大きく歪み、そのまま人面の吊り下がった枝がちぎりとられていく。
「ギャアァァ!!!!」
もがれる側の人面の実は、そのいずれもが憎悪の表情を浮かべて抵抗をしようと枝を揺らす。
が、ディオニュソスさんの攻勢はその程度でやむはずもなく、彼の怪力による蹂躙は"ザックーム"が完全なでくの坊と化すまで止まることはなかった。
「これで貴方の下僕は全滅しましたよ。"デイビット"!!」
活動を停止したでくの坊を"デイビット"に投げつけながら、ディオニュソスさんが勇ましげに吼える。
しかし仲魔をやられたというのに、ヴァイオリンを構えた"デイビット"は嘲笑を浮かべたままであった。
「……フフッ」
まず弓を優雅に弦の上を滑らせると、宙を飛ぶでくの坊が不自然な形で静止する。
まるで彼とでくの坊との間に不可視の障壁でもあるような挙動だ。
さらに弓を滑らせると、でくの坊が毒々しい色に腐敗していき、やがて分解された破片とも汚泥ともいえない代物が床へと散りばめられた。
「……この楽曲は"
聴覚ではなく、もっと別種の何かによって届けられるヴァイオリンの音色は、何処か母性を感じさせられるものであった。
その曲調は穏やかそのもので、何故か空間を創造する際に見せたトラちゃんさんの面影がちらついて見える。
ただし、音楽がもたらした結果そのものは小生らにとって無慈悲以外の何者でもない。
ニ体の"ザックーム"が、何事もなかったように復活を遂げたのである。
腐敗した汚泥が、まるで粘土細工のように悪魔の身体を形作り、程なくして人面の吊り下がった妖樹がおぞましい産声を上げる。
そのあまりの理不尽さにトラちゃんさんが悲鳴をあげた。
「何それ、ずるいじゃないの!」
「同じことを、貴女と相対した悪魔どもも思ったことでしょうね」
トラちゃんさんの抗議を涼しい口調で受け流し、"デイビット"が"ザックーム"たちをけしかける。
淀んだ胞子が人面の口より撒き散らされ、何処かより巻き起こった病毒混じりの風が再び小生らの身体を飲み込んだ。
「う、うわわっ!?」
改めて観測してみれば、この病毒の風は異常そのものといえる。
アデノウイルスの変異体らしきもの。ライノウイルス、コロナウイルス、新型インフルエンザウイルスから正体不明のウイルスまでがデモニカの解析によって割り出され、"バケツ頭"の中にアラームを破れ鐘の如く反響させた。
『致命的に危険です。対毒ガス戦用パッケージを展開します』
どうやら高度な解析機能とフィードバック機能を有するデモニカスーツが、内蔵された空気洗浄機能の限界をいち早く察知し、スーツ内の酸素循環を独立させたらしい。
幸いなことに恐怖にのけぞった小生の身体に先ほどのような変調が発生することはなかった。
――故に先ほどのカラクリを目の当たりにすることになる。
「永遠と続く、病毒の苦しみを」
"デイビット"が続けて弦をかき鳴らすと、小生とともに風に呑まれたカンバリ様たちが力を失い、地に崩れ落ちた。紛うことなく瀕死の状態だ。
「カンバリ様! ディオニュソスさん!!」
"バケツ頭"が二人の症状を冷徹に解析する。
解析結果は『風邪の"悪化"』。
この短時間で? まさか――。
「あの骸骨の弾いている曲には、ウイルスを活性化させる力があるっていうのか……?」
小生の呟きを拾い取った"デイビット"は、手に持つヴァイオリンの
「――己が不完全な生物であるという本分を忘れたヒトという存在は、死を拒み、病を拒み、病を根絶しようとして、ついには病の深刻な変異をもたらした。嗚呼、何と滑稽な喜劇ッッ! 病との付き合い方を忘れた生き物が、より恐ろしい病に苛まれる姿を目の当たりにできるだなんて……っ!! 大霊母の加護を受け入れた甲斐があったというものです。こんな愉悦……、中々味わえるものではありませんよ!!」
言って、その場で踊り狂う"デイビット"。
呆気にとられる判断の遅れた小生や、既に言葉すらも返せぬほどに体力を失ったカンバリ様の代わりに、ほんのひとかけらの余力が残ったディオニュソスさんが叫んだ。
「これは、拙い……。バッドネスです……! ヤマダっ。私たちにディスポイズンを投げ与えるのですッッ!!」
「えっ。あっ。わ、分かりました!!」
二人の風邪を治療しながら、小生は脳裏で計算を始める。
……はっきり言って、致命的に相性が悪かった。これは退却を考慮に入れるべきだ。
この1分にも満たない戦いの中で、敵が状態異常を攻撃の中核に置いていることが身を以て理解できた。
だが、攻勢に転じようにもディスポイズンの備蓄が足りないのだ。さらにカンバリ様の攻撃は彼らに有効でなく、ディオニュソスさんも風邪の疾患からの悪化コンボで常に即死のリスクを抱えている。皆の命を考慮すると、状況を打開するための手数が足りないのである。挙げ句の果てにトラちゃんさんまでもが戦闘不能に陥ってしまえば……。
「このーっ!!」
初手と同様、風邪にかからずに済んだトラちゃんさんが"デイビット"に対して殴りかかった。
そのいつも通りの姿に病毒を恐怖する気配は全く見受けられない。
彼女の拳が眩しく光り輝いた。マッスルパンチ発動の兆候だ。
これにはさしもの"デイビット"もヴァイオリンの弓を庇うようにして跳びのき、トラちゃんさんのマッスルパンチを骨の腕で受け流そうとする。
「何避けてんのよ、大人しく殴られなさい!!」
「……やはり、貴女は向かってきますか。面倒な」
「アンタのその力、異次元から引っ張ってきたのね!! アタシ見覚えがあるものっ!」
「そういう貴女も、この時空由来とは思えぬ力を行使しているようですが。イレギュラーなのでしょう。お互いに……!」
変則的なフックにフリッカーじみたパンチなど、がむしゃらにトラちゃんさんの攻撃が振るわれるが、どれも寸でのところで有効なダメージとはなり得ない。
"デイビット"はヴァイオリンを庇いながら上体をそらし、サイドステップにより回り込み、大振りのストレートを天井近くにまでジャンプすることで回避した。
そして、宙に浮いたまま反撃体勢をとる。
「ベノンザッパー」
「うぎゃっ!!」
振るわれた弓が空間を斬り裂き、トラちゃんさんの四肢から血飛沫が舞う。
「ト、トラちゃんさん!?」
「平気よ! 百倍にして返してあげるんだからッ!」
トラちゃんさんが床を蹴り、"デイビット"と彼女が空中で対峙する。が、"デイビット"は彼女との直接対決を徹底的に回避しようという腹積もりのようで、天井を蹴っての立体的な機動によって彼女との距離を引きはがそうとする。
「待ちなさ――、へぶぅっ!?」
それを追いかけようとしたトラちゃんさんであったが、再び不可視の壁に阻まれる。見えない壁? に顔から突っ込んだトラちゃんさんは一端ふわりと浮き上がった後、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。その動きに何か引っかかるものを感じたが、今はそれどころではない!
地面に叩きつけられたトラちゃんさんに敵の魔法による集中攻撃が雨霰の如く降り注がれる。"デイビット"の斬撃に"ザックーム"の火炎放射。
「ちょ、まっ。痛、痛、熱っつぅぅぅ!?」
うめき声を上げるトラちゃんさんの透明な肌にいくつもの裂傷と熱傷が刻まれていく。攻撃の手数に比べて、不自然なほどに傷の数が多い。
まるでもう1体余分に敵がいるような……、ってこのままじゃ!?
「トラちゃんさん!」
小生はここで切り札の一つを切ることにした。
バックパックから、ごとりと宝玉を高々と取り出して、彼女の回復を切に念じる。
すると掲げた宝玉から光の柱が立ち上った。白色の光柱は、やがて天頂から光のヴェールを静かにおろし、窮地にあった彼女を明るく照らし出す。
裂傷が跡形もなく消え去った。熱傷だって影も形もみられない。
両手で苛烈な集中攻撃から急所を庇っていたトラちゃんさんは、まるでバネが弾かれたようにその場を跳び退き、意気揚々とガッツポーズを取った。
「サンキュー、ヤマダ! ナイスタイミングだわっ」
「でも何度もできる手じゃありませんよ!!」
宝玉は念じた相手の外傷を、ほぼ完全に回復させることのできる高位の異界アイテムだ。
完全な拾い物である上に魔石と違って指の数ほどにも備蓄がないため、これを核にした戦術は正直組み立てづらい。
そんな小生の悲鳴を聞き、トラちゃんさんは構うものかと鼻息を荒げた。
「じゃあ、他の手を考えて! アタシはとにかく敵の数を減らすからっ!」
「ま、待って下さい!! あの病毒の風は危険ですッ。もしトラちゃんさんが病にかかってしまえば、全滅一直線ですよッッ! ここは一度退却すべきじゃ……」
小生の制止を聞く彼女ではなかった。
いや、ここに至っては彼女の判断が正しいのだろう。何故なら、"デイビット"が一瞬の隙をついて彼女の喉元にまで肉薄していたからだ。
暗く輝くいびつな骨の腕と光輝く女神の腕がぶつかりあう。そこから生じた衝撃で階層全体が大きく鳴動した。
トラちゃんさんは"デイビット"から目を離さずに、あくまでも強気な口調で啖呵を切る。
「逃がしてくれる相手じゃないのよ、魔人って奴らはっ! それにアタシなら大丈夫。今まで病気なんかにかかったことないものっ! うりゃああああああああっ!」
再び黒い光と白い光が交錯し、足下が揺れた。揺れる度にトラちゃんさんの体に生傷が増えていく。対する"デイビット"の方は対照的に、生じた欠損がその場で修復されていった。
"ザックーム"がひっきりなしに回復の異能を投げかけてくるのだ。
「だから、ずるいのよ。アンタ!!」
「悪魔が連携を覚えて、一体何がおかしいというのですか。どうせ、我々は愚かなヒトに取って代わるのですから」
あざ笑う"デイビット"の挑発に堪忍袋の緒が切れたのか、トラちゃんさんが両手を掲げた。
「だったら――、大冷界!!」
小生らの周囲までもが凍結する強烈な冷気が彼女の両手から放出された。誰が何処にいるかなど、形振り構っていられないということなのだろう。
『周辺の異常な温度低下を確認。体温調節のためにヒーターを自動調節します』
床や天井から急速に伸びていく何本もの氷柱が敵の、小生らの動きを阻害する。まるで氷の牢獄だ。
いかがわしい原色の空間が、瞬く間に青い光線以外の全てを反射する氷の世界へと取って代わられていった。
「ア、ア、ア――」
氷結の異能を受けた"ザックーム"たちの動きが鈍っていく。
彼らの人面から急速に水分が失われていき、やがて表面を霜が覆い、その尽くが氷の棺へと成長する。
彼ら妖樹が氷柱に飲み込まれ、氷のオブジェと化すまでに30秒とかからなかった。しかし、
「――"大霊母"のラプソディを再び貴女に」
形勢逆転かに見えたこの大打撃も、今だ無事の"デイビット"によって再度敵が有利な状況へと引き戻されてしまう。
ヴァイオリンの音色が氷から氷へと反響し、生命活動を停止した"ザックーム"たちの亡骸を汚泥へと変えていく。
汚泥は床へと吸収され、それを肥料に新たな"ザックーム"が形作られた。
最早きりがない状況だ。
新生した妖樹が病毒の胞子を撒き散らし始める姿を見て、トラちゃんさんはたまらぬとばかりに癇癪を起こし始めた。
「アアアァッ。もうっ、何これきりがないんだけど!!」
幸いというべきか、病毒の風をまともに受けている身であるというのに、彼女自身が病にかかる兆候は見受けられない。
まさか本当に風邪を引かない体質なのだろうか?
彼女よりもむしろ、小生やカンバリ様たちの方が必死であった。
風に巻き込まれぬように階層の隅にまで逃げ出すも、ここが屋内である以上は淀んだ"空気"から逃れる術はない。
いざという時のためにディスポイズンをバックパックより取り出しながらも、小生は必死に考える。
――この流れはとにかく駄目だ。後手後手で先がなく、何処かで戦術を変えなければならない。
逃走を諦め、手札を確認し、不要な手間を切り捨てていく。
既に"デイビット"側はある種の勝ちパターンを作り上げていた。
野球でもそうだったが、相手の勝ちパターンをそのままにして敵に打ち勝つことはまずできない。それができるのは地力が圧倒的に勝っており、横綱相撲ができるような場合のみだ。
まともに勝利を望むならば。敵の勝ち筋を切り崩し、無理矢理に自分たちの勝ち筋へと戦いの趨勢を組み立て直さなければならないのである。
「ヤマダ! 指示を下さいっ。この局面を何とか打開しなくては……!」
「分かっています! 分かっていますけど!!」
喉が渇きを訴えた。胃がひたすらにきりきりと締め付けられる。
一体、何で小生がこんな重大な判断を下す立場になっているんだろうか……! 自分はただの下っ端の、後方要員であったはずなのに……!
脳裏に浮かんだ恨み言の中に、仲間の顔が同時に浮かび上がる。
その多くは"エルブス"号のクルーたちであり、中には当然ながらリーダーと強面も含まれていた。
「……そうだ。あたふたしている場合じゃない」
凍結した景色に比例するように、沸騰した思考が急速に冷やされていく。
今回の突発的なミッションは、目の前の骸骨を倒しただけでは終わらないのである。
ちらりとカンバリ様たちを見やった。敵の洗練された戦術にどうしたら良いのか戸惑っているよう見受けられる。
続いてトラちゃんさんを見た。彼女は病毒の風を物ともせずに、新生した"ザックーム"たちを何度も何度も薙ぎ払っている。恐らく、あれらを放置しておけば"デイビット"を倒す障害になると判断したのだ。彼女は近視眼ではあるものの、その判断能力は他者に比べて図抜けて高い。
――ただ、判断は正しくとも正解にたどり着けるかは別問題だ。
今回の場合は、単純に彼女が抱える役割がパンクしてしまっていた。これでは上手く回らない。即死のリスクを抱える小生らの回復に、雑魚の殲滅、"デイビット"との対決……。たった一人で手数が足りるはずはないのである。
せめて、彼女の負担を減らさなくては……。
小生は意を決する。この場に"不要"なものを切り捨てる覚悟を固めた。
「カンバリ様、ディオニュソスさん! もう階段から下の階層へ逃げちゃってください!!」
「……ですが、女神がまだ戦っています!」
「そも大人しくこちらを逃がしてくれるような相手ではなかろうっ!」
ディオニュソスさんとカンバリ様の抗議は仲魔たち全員でこの場を離れることを前提とした抗議であった。味方を見捨てぬという確固とした仲間意識に、小生の胸はずきりと痛む。
だが、違うのだ。小生はディスポイズンを放り投げ、バックパックに手を突っ込みながら断言した。
「言い方変えます!! 戦術的にお二人を回復する手間が惜しいんですッッ!!」
事実上の戦力外通告に、二人の仲魔は顔を大きく歪めた。多分、言いたいことは多々あるだろう。何せ、それを言い出したのが大した力も持たないニンゲン風情なのだから。
しかし、二人は最終的に小生の言葉に従ってくれた。
「……分かった。だが、手が必要なときは必ず呼ぶんじゃぞ」
「狂神たる私が撤退などと……。ですが、ここは致し方なしか」
二人はあくまでも不承不承といった風ではあったが、やがて状況の不利を悟ってか階段を駆け下りようと"デイビット"たちに背を向ける。
その隙を"デイビット"たちが大人しく見逃すわけはなかった。
「――逃がすとお思いですか」
"デイビット"の指示を皮切りに、妖樹から吊り下がる人面の一つ一つから、おびただしい炎が一斉に階段の付近へ向けて吐き出された。
どうやら格好の"足手まとい"をこの階層から逃す腹積もりはないらしい。
至極、合理的な考え方だった。
であるからこそ、
「思うわけ、ないじゃないですか!!」
間髪入れずにバックパックから魔力の籠もった鏡を取り出しながら、小生は二人の肉壁になるべく駆け出した。
ニンゲンに"悪魔"の価値観は理解できない。倫理観などは尚更だ。
だが、その思考判断に用いる合理性だけはニンゲンである小生にも容易に理解ができた。
故に先読みをすることができる。
いくら"悪魔"の考えと言えども、選択肢さえ絞ってやれば理解できないものではないのである。
小生は一塁へと盗塁を決めるように前傾姿勢で階段の前まで駆けつけて、背中を炙られるカンバリ様たちの前へとその身を割り込ませていった。
『危険、異常な温度下にいます。危険、危険』
デモニカスーツの耐久温度を優に超える熱量がスーツを、そして小生の身体を無慈悲に炭化させていく。
あまりの苦痛に思わず顔が歪んでしまうのを自覚するが、これだけの熱量があるのならば"お誂え向き"だ。
小生は全身を呑みこまんとする火炎地獄に向けて、手に持った魔鏡を勢い良くかざした。
瞬間、迫り来る炎が異能の光に覆われ矛先を変える。
向かった先は放射した妖樹たちそのものだ。
――魔反鏡。この"箱庭"の市場に持ち込まれたレアフォルマは、物理属性以外の攻撃を相手にそのまま跳ね返す異能の力が篭められている。
果たして、自らが放った火炎に炙られる羽目になった妖樹たちは、断末魔の声を上げながら物言わぬ炭へと変質していった。
「ナッ……」
"デイビット"の口から驚きの感情が漏れ出でる。
先ほどまでの彼を有利たらしめていたものは、数的な有利と致命的な攻撃力だった。その起点になっているものは妖樹たちだ。
合理的に考えるのならば、手数を復活させなければならない。
あの厄介なヴァイオリンの演奏によって……。だが、そのためには一手を余分に費やす必要があろう。
反撃の好機はここだ。
「トラちゃんさん!」
「ナイスよ、ヤマダッッ!!」
トラちゃんさんが、今までのお返しとばかりに"デイビット"へと跳ぶ。
あの"大霊母"のラプソディとやらを演奏する隙を与えなければ勝機はある、と彼女も判断したのだ。
対する"デイビット"は突発的なピンチに少なからぬ動揺を受けているよう見受けられたが、それでもトラちゃんさんへの迎撃体勢はとらずに演奏を優先しようとする。
それはまるで、トラちゃんさんの攻撃が"失敗すると踏んでいる"かのようであった。
小生の中で、推測の歯車がカチリと嵌る。
そして、
「横から迂回してください! トラちゃんさんッ!!」
小生はハンドヘルドコンピュータを操作して、"バケツ頭"のモニター上に走る表示を睨みながら、そう叫んだ。
「えっ!? 分かったわ!」
突然の指示につんのめりつつも、トラちゃんさんは"デイビット"の脇を突くようにして姿勢を沈み込ませ、そのままの勢いで殴りかかった。
「アガッ――」
光り輝く彼女の拳が、"デイビット"の脇腹へと突き刺さる。
乾いた物が砕ける音が辺りに響き、道化師の身体が8階層の分厚い壁へと盛大に叩きつけられた。
「うそっ、クリティカルヒット!? 今まで肝心なところで受け流されていたのに、何で……」
自らがやったことながら目を丸くするトラちゃんさんに、小生が答える。
「"2対1"だったからですよ! すぐ傍に"見えない敵"が潜んでいますッ!!」
そう言いながら、小生は"レッドスプライト"クルーからもたらされたデモニカスーツ内臓アプリ、"エネミーサーチ"のソースコードを開き、モニター上の表示に映る異常な値を手当たり次第に叩き込んでいく。
「
やきもきしながらアプリの再起動を待つ。
程なくして、機械音声が"バケツ頭"の内でアナウンスされ、トラちゃんさんのすぐ隣、何もない空間に一体のモザイクが出現した。
『エネミーサーチ、起動。スキャンニング……。コンプリート』
モザイクはやがて形を変え、両腕のない異形のシルエットがゆらゆらと浮かび上がる。まだ必要なデータが足りていないのか。だが、潜伏している場所自体は視覚で判断できるようになった。
「トラちゃんさん、隣です! 思い切り腕を振り回しちゃってください!!」
「うん、分かった!!」
フック気味のマッスルパンチがシルエットの顔面へと叩き込まれる。
低級な"悪魔"ならば一撃で粉砕する彼女の拳であったが、意外なことに叩き込まれたシルエットの反応が鈍い。
ノーダメージ? シルエットの主とトラちゃんさんとの間に空間的な隔たりがあることを危惧するも、やがてシルエットは大きく揺らぎ影が弾け飛ぶようにして色づいていった。
痛烈な衝撃によって敵の姿を隠す異能が解除されたのだ。
現れた"悪魔は"角の生えたみずら髪の……、まるで古墳時代の日本人を思わせる姿かたちをしていた。
その姿を見て、トラちゃんさんが驚きの声をあげる。
「ちょ、鬼神"タケミナカタ"!? こんな奴が隠れていたなんて――」
「そっちは良いですから、"デイビット"をお願いします!!」
小生はバックパックからジオンガストーンを取り出し、"タケミナカタ"なる"悪魔"に向けて全力のオーバースローで投げつける。
ここ暫くタダノ君の野球熱に付き合わされていたためか、石の速度の伸びが良い。
唸りをあげるジオンガストーンは、トラちゃんさんによって砕かれた"タケミナカタ"の鼻先にめり込むと同時に強力な電撃を放出した。
「アガガガガガガ――!?」
自らを駆け巡る高圧電流に、"タケミナカタ"が口や鼻、目から白煙を出しながら絶叫する。
小生は内心喝采した。
この場にずっと潜んでいたということは、あの鬼神は先ほどトラちゃんさんが放った凍結の異能に易々と耐え、妖樹が撒き散らした火炎地獄をも物ともしない耐性を備えていることになる。
悪魔だって完全な存在であるわけではないのだから……、と消去法の選択ではあったが、思ったとおりにあの"悪魔"には他属性の弱点があるようだ。
一発目で"当たり"を引けた辺り、まだ小生らの運は天に見放されてなどいない。
――さて、どうする?
小生はハンドヘルドコンピュータを操作しながら、考える。
ダメージを負った"デイビット"に、姿を現した"タケミナカタ"。そして戦闘不能状態の"ザックーム"たち……。
開戦当初に比べれば、明らかに流れがこちらに来ているのは確かであると断言できよう。
まさに千載一遇の好機だが、さりとて有効な選択肢はさほど多くはないというのが歯がゆいところであった。
例えば、このままの勢いで相手に反撃する暇を与えずに畳み込んでいったならばどうなるか。
これは正攻法ではあったが、一度崩れれば再び数的不利に立たされて、今度こそ逆転の目を失ってしまうという怖さがあった。容易にこれと踏み切ることはできない。
ならば、この隙を突いてトラちゃんさんとともに、リーダーたちのもとへと突っ切る選択肢をとるか。
論外である。現在、リーダーたちは自前のデモニカスーツを着込んではいない。
デモニカスーツは戦闘経験によって成長する兵器であり、自前のスーツを着込んでいないということは、RPGでいえばLV1に等しい状態にあるといって差し支えない。
いくらリーダーたちが歴戦の戦士であろうとも、そんな状態の味方を窮地にさらすなど、ナンセンスにも程があるだろう。
「つまり、どっしり構えていくしかない……」
小生は長期戦を覚悟した。我々が有利になるような布石を置き、今の優勢を固めるのである。
下の階層に応援を呼ぶか――?
いや、"タケミナカタ"をこのまま放置できない。カンバリ様たちを呼びにいく間だけでも、アレを抑えておく仲魔をここで呼び出した方がいい。
小生はそう結論付け、ハンドヘルドコンピュータをタップする。
起動したのは、"悪魔召喚プログラム"だった。
確か一度召喚経験のある"悪魔"ならばマッカさえ余分に支払えば、契約を解除した後でも再召喚が可能だと"レッドスプライト"クルーが語っていたはずだ。
だったら、小生だって召喚できる。"箱庭"を形作っている4種の精霊とタンガタ・マヌさんあたりなら――。
そこまで考え、タップする指が止まった。
タンガタ・マヌさんたちが、あの"タケミナカタ"に太刀打ちできるのか。"使い捨て"ることになりはしないだろうか――。
勝利のために犠牲を呑みこむ。その覚悟を決めなければならないのである。
命の取捨選択を。ここで切る札は電撃の異能持ちである"アーシーズ"。
勝つために札を切れ。皆を生かすために札を切れ。
震えが止まらない指先に、小生はつくづく自分がリーダーには向いていないことを悟り、内心で毒づいた。
それでも――、
「震えないで」
意を決しようとしたその瞬間、ふわりと浮かんだ赤い振袖が目の前を横切った。
それは子どもが七五三で着るような小さくも豪華な代物だ。
「え、あ……?」
振袖の上には艶やかなおかっぱ頭が生えている。
何故この場に彼女が? 彼女はレミエルさんが安全に保護していたはずなのに。
振袖の主はおかっぱ頭を揺らしながら、くるりとその場でターンを決め、少女向けの変身ヒーローがやるようなポーズをとりながら"タケミナカタ"に向けて小さな指を突きつけた。
「えー、愛の戦士、マジカル・フラワー! わ、悪いアクマに 天罰☆てきめん! これで良かったんでしたっけ……。ぶっつけ本番だと花子には少し分かりません……」
「ちょっと小生も分かりません……」
彼女は紛れもなく、振袖をめかし込んだトイレの花子さんであった。ただ、何故一人で"ミトラス"城にまでやってきたのか。
「は、花子さん! ここは危険な場所なんですよ……! いえ、元から花子さんが住んでいた場所を腐す気はないんですが……、それでも危険なんですよっ!」
口から泡を飛ばす勢いの問いかけに、花子さんは少し焦りながらずれた答えを返してくれた。
「あっ、あっ。今の花子はマジカル・フラワーなので、花子呼びは駄目なんです。ルール違反なんですよ、お兄さん」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「危ないかどうかという話ならば、大丈夫です! 天罰☆てきめん! マハジオンガっ!」
「えっ?」
花子さんがそう叫んだ途端、8階層全域にわたってゴロピカドッシャンと強力な稲光が広がっていった。
稲光はまず、"タケミナカタ"へと襲い掛かり、その戦闘能力を完全に奪い去ってしまう。
続いて"デイビット"にも襲い掛かった。何と、彼は電撃が弱点であったらしく稲光に捕らわれた瞬間、声にならない悲鳴をあげてバラバラにと分解されてしまう。マジかよ。
更に"デイビット"と組み合っていたトラちゃんさん。こちらは特に弱点でもなかったためか、「あばばばば!?」と身体を震わせ、「けほっ」と刺青の入った口から白い煙を吐き出した。マジかよ。
敵味方双方共にもたらされた甚大な被害に、小生は思わず目を擦る。
「――嘘やん」
と洩らすより他に感想の出ない結末であった。
レミエルさん、子どもに一体何を仕込んだの……。
「ヤマダ……、宝玉お願い……。宝玉~~、ちょうだい……」
ふらふらと目を回したトラちゃんさんが頭から倒れこんだ勢いで、その場に散らばっていた"デイビット"であったはずの炭化物が更に細かく粉砕される。
正直納得感はまるでなかったが、病毒を司っていた魔人の最期である。
トラちゃんさんの額によって跳ね飛ばされたヴァイオリンが空しい弦の音を響かせた。
ころころと小生の足元にまで転がってきた卵状の奇妙な反応を示すフォルマを手に取り、小生は天井を仰ぎ見る。
「小生、これどうすればいいの……?」
「――大人しくその"宇宙卵"を私に渡してくだされば万事事が済むと思いますよ」
「えっ?」
声の主は、何時の間にやら小生の背後に現れていた。
振り返ると、馬面が見える。
孔雀の羽を生やした、けばけばしい化粧を塗りたくった馬面の"悪魔"であった。モザイクではなく、初めから"悪魔"の形として見えている。仲間たちとの共有データに、彼の情報があるのかもしれない。
……あっ、これまた死ぬことになるな。
花子さんの救援に馬面の出現。
正直、何もかもが急展開過ぎて思考が追いついていないのだが、"馬面"の時点で嫌な予感がした。
仲間たちが残した戦闘詳報の中で"馬面"と記録された敵など一体しかいない。
「随分と回りくどいことをして参りましたが、この瞬間を待っていたのです」
小生を援護すべく花子さんが動きを見せる前に、馬面が小生に向かって手を伸ばす。
その瞬間を突くようにして、また別種の"悪魔"が馬面に向かって襲い掛かっていった。
えっ? えっ……?
「――奇遇だな。俺たちもこの瞬間を待っていた」
剣を腰だめに構えた、全身黒ずくめで統一された"悪魔"の戦士である。
彼の目に宿る理性的な輝きに小生は「まさか」と短く呟いた。
さらに小生の「まさか」は続く。
「"ラリョウオウ"! ツーマンセルで対処に当たるッ」
「おい、エースの奴を待たなくていいのか。まあ良いけどよ。新しいチカラの、慣らし運転と洒落込むか……!」
黒ずくめの後を追うようにして現れたのは、筋骨隆々の仮面の戦士であった。
彼からもまた、その節々からニンゲンのような"理性"を感じ取ることができる。
そうして、馬面の"悪魔"と互角の戦いを演じ始める二体の、いや二人の"悪魔"に小生は夢中で呼びかけた。
彼らは、何処からどう見ても戦友たちの成れの果てであったのだ。
名前 トイレのはなこさん(マジカル・フラワー)
種族 属性
地霊 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 30
HP 274
MP 165
力 21
体 23
魔 35
速 30
運 28
耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
- - 弱 耐 耐 - - 無
スキル
マハジオンガ 電撃ブースタ 電撃ハイブースタ メディア ポズムディ