シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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遅れました。あけましておめでとうございます。


シュバルツバースで断たれた退路

 悪趣味なオブジェの飾られた控えの間にて、二体の"悪魔"がつむじ風と化した。

 

 "ラリョウオウ"と呼ばれた仮面の"悪魔"は色鮮やかな衣装を翻し、舞うようにして飛び上がる。そして独楽を思わせる空中機動で放物線を描き、馬面の堕天使"アドラメレク"の脳天をかち割らんと掲げた長剣を振り下ろす。

 地を這うようにして距離を詰めたのは、"ラリョウオウ"に指示を出した黒ずくめの方だった。床をする懐剣の切っ先が火花を散らし、一足一刀の間合いにまで踏み込んだ瞬間、反転する。

 上下からの同時攻撃。先ほど発せられた「ツーマンセル」というひどくニンゲンじみた指示出しが耳にこびりついて離れない。

 彼は、彼らは――。

 

「リーダーっ!」

 小生の呼びかけに黒ずくめの"悪魔"は振り向こうともしない。

 ただ、眼前の堕天使を屠らんと気炎を吐き出し、迅雷の速度で剣先を突き込む。

 完全なる奇襲。だが、浅かった。

 相手は地獄の上役、大悪魔の"アドラメレク"なのだ。

 上からの斬撃は広げられた孔雀の羽根から生み出される炎の壁によって阻まれ、下からの突撃は不気味に光を発する腕によって寸でのところでいなされる。

 反撃とばかりに放たれた火炎放射を遠巻きにするように、二つのつむじ風がその風向きを変えた。上下が駄目ならば左右。それも駄目ならば連撃。波状。瞬きする暇すらも与えない。

 二振りの刃が閃くたびに、"アドラメレク"が身じろぎするたびに控えの間の壁に大きな亀裂が走り、裸婦や死体を模したオブジェが両断される。

 トラちゃんさんと魔人の戦いだって人智を超えた余波を周囲にもたらしていたが、目の前で繰り広げられるこれは先刻の戦いですら生ぬるいと思えるような激戦であった。

 一向に吹き止まぬつむじ風に防戦を強いられた"アドラメレク"の馬面が忌々しそうに歪む。

「しつこい方々ですね、アナタたち……!」

「我々を窮鼠へ転じさせたのは、貴様らだ。化け物ども」

「弱者は弱者のまま、強者の糧となって置けばいいものを」

「我々と貴様の間にはどうやら深刻な見解の相違があるようだな。貴様はニンゲンという生き物をまるで理解していない」

 反撃とばかりに振るわれかけた"アドラメレク"の腕が、投げ槍を思わせる無数の光線によって蜂の巣にされた。

 "ラリョウオウ"が異能の光線を放ったのだ。恐らくはカンバリ様の八百万針と同質の攻撃であると思われるが、その威力は桁違いに大きい。

「ジャベリンレイン……、味な真似を! だが、この程度で私を止められるとでも思いましたか――!」

 "アドラメレク"の身体が一瞬、雷で撃たれたように硬直したが、それも一瞬のことに過ぎなかった。

 彼は馬面の大口を開けて奇声をあげると、人間ではあり得ない色の血が吹き出る腕をそのまま棍棒のごとく振り回す。

 元より体格の良い馬を思わせる巨体である。魔王"オーカス"ほどに絶望的な威力とはならないだろうが、その質量は運動エネルギー次第で十分すぎる凶器となり得た。が、

 

Suppressing(制圧射撃)!!」

「――イエッサー」

 馬面が波打ち、多量の鉛玉がその表皮にめり込んだ。

 気づけば、"ラリョウオウ"の片手に調査隊標準装備のマシンガンが握られている。銃声が轟き、さらに多くの鉛玉が"アドラメレク"の顔面にめり込んだ。

 大したダメージではない。しかし、それによって稼がれた時間は千金に値した。

 

「……弱ぇ弱ぇニンゲン様の9mmパラベラム弾だぜ。まあ、てめえの分厚い面の皮にゃ届かねえ(・・・・)のは分かってる。だから、俺たちは上手く使う!」

 再びジャベリンレインなる光線が"アドラメレク"の両足を床に縫い付けた。

 化粧まみれの眼が見開かれ、"ラリョウオウ"へと殺意が向けられる。孔雀の羽が揺らめいて、辺りの温度を急激に上昇させた。

 大技を撃つ腹積りなのかもしれない。しかし、黒ずくめの"悪魔"がそれに先んじて動いていた。

 制圧射撃とは足止めを示す。何のための足止めか? その答えは明白であった。

 ガラス色の瞳が驚きに白く染まる。

 

「ハ――?」

 馬面の鼻先に、異能の力が籠った石が放り投げられていた。

「ニンゲンは進化の過程でまず道具を使うことを覚えたのだ。……マイナーチェンジができる対応能力を甘く見てくれるなよ」

 直後、馬面が氷塊に包み込まれる。あれは、氷の異能が込められた石であったのだ。

 首から上をオブジェに変えられた"アドラメレク"はよろめき、氷塊越しに黒ずくめの飛びあがる様を見上げた。

 馬面の脳天目掛け、長剣が大上段に振りかぶられる。

「ジャッッ!!」

 そして全身のバネを用いた唐竹割が、"アドラメレク"を真っ二つに断ち斬った。

「――、――」

 時間にして、30秒とかからぬ高速域の攻防であった。

 

 両断された堕天使の身体が力なくその場に崩れ落ちていく。唐竹割の衝撃で氷塊が砕け散ったせいか、瞳から命が失われていく様子が遠目からでも良く分かる――、いや、何か変だ。

 ガラス色の瞳に亀裂が走ったかと思えば、徐々にその巨体が孔雀の羽根へと変わっていってしまうのだ。

 羽根が吹き上がるたびに肉塊が消え、肉塊が消え……、最後に残ったものは何の変哲もない一欠けらの石ころのみであった。

 懐剣を鞘に収めた黒ずくめが、忌々しげに息を吐く。

 

「……本体ではなかったか。相も変わらず、慎重な奴だ。いや、ここはエースの奴に持たせていたC4爆薬を節約できたと喜ぶべきか――」

「本体ではなかったって……」

 小生の呟きに黒ずくめがこちらへと振り返る。

 

「ヤマダ隊員」

 まるで心臓を鷲掴みにされているかのような心地がした。帽子の隙間から見える"悪魔"の顔には見知ったリーダーの面影がある。けれども、

「これからエースに通信を送り、当方との合流をまずは図る。そして我々の"箱庭"に帰ろう。これからのことを協議しよう。一つ、妙案を得たんだ。人類を次代へ導くための――」

 彼の言っている"妙案"について、何故か小生には手放しで賛同できない奇妙な確信があったのだった。

 

 混濁した意識が浮上して、目に見える世界が色づいた。

 呆と眼球を動かして、まず抱いた感覚は違和である。これは人為的に見せられた夢なのだという確信があった。

 その証拠というわけではないが、何やら目に見える景色の時系列がおかしい。

 まずトラちゃんさんを讃えているのであろうピラミッドの大きさがざっと見るだけでも10倍以上に拡張されており、その天頂部からは柔らかな色の光柱が立ち上っていた。ピラミッドを囲んでいるはずの牧歌的な村の景色や偽りの心象風景は何処にも見当たらず、青や緑の光を発する紋様が描かれた石造りの宗教都市が高台から見渡す限りに拡がっている。

 確か、先程変わり果てたリーダーたちとともに"箱庭"へと帰還を果たした小生は、レミエルさんに誘われるままに小屋で小休止をとったはずだ。その際、レミエルさんが小生に対して何か術を施しているように見えたのだが、今思えばあれは小生に夢を見せるための仕掛けだったのだろう。

 ……でも、一体何のために?

 突然の明晰夢に戸惑う小生に対していつの間にやら傍にいたトラちゃんさんが嘆くように言った。

「……ハルパスの奴も負けちゃったみたいね」

 彼女に対して小生は二重の意味で驚いた。まずは言葉の意味するところに対して。彼女の視線の先にはミトラスの居城をも思わせる石造りの高層建築がそびえ立っていた。その至る所から争いの痕跡がゆらゆらと立ち昇っている。

 次に彼女の見てくれに対してだ。10代前半の少女の姿をしていたはずの彼女の容姿は、5歳も10歳も歳を取ったように見えた。

 だが、小生の口から疑問がついて出てくることはない。苦笑いを漏らしながら、トラちゃんさんに柔らかく返す。

 

「ハルパスさんもエースも歯ごたえのある相手に望むところだなんて笑っていましたけどね。結局は彼らの"選択"ですよ」

 小生の言葉にトラちゃんさんの瞳が濡れ、「でも……」と縋るように続けてきた。

「ねえ、逃げちゃいましょうよ! また適当に創った小さな"箱庭"に隠れて畑を耕しながら暮らせばいいのよ。だって、相手が悪すぎるわ」

「うーん、そうしたいのは山々なんですが、ここのエネルギーを奪うだけで"彼ら"が満足するとは思えないんですよね。それ絶対に後で見つかるパターンだと思います」

「じゃあ……、全部あげちゃえばいいじゃない!」

「そうするとトラちゃんさんが消えちゃう流れじゃあないですか。トラちゃんさんだけでなく、他の皆も……。トラちゃんさんが今ここに在ることができるのも、宇宙卵のエネルギーを有しているからなんですから」

 皆が"消える"……? 小生は一体何を言っているのだろうか。一体自分は何を知ったのだろうか。

「でもヤマダは消えないのよ。ニンゲンもみんな……! それに、ほら! アタシたちだって何時かは復活できるかもしれないし」

 青く透き通った長い髪をしゅんとさせ、肩を落としながら彼女が言う。だが、小生はあくまでも頑なを徹す腹積もりのようであった。

「いやあ、それは無いでしょう」

 小生は宗教都市を見下ろしながら、静かに続ける。

「"彼ら"の地球に次は無いです。断言しても良い。この宇宙が消滅するまでエネルギーを使い切って、それでお仕舞いです。エネルギーが無ければ復活なんてできませんよ」

「でも……」

「それに、トラちゃんさんにとっての小生は第一村人なんですからね。1人で舞台を降りちゃうのは無しでしょう?」

「ヤマダぁ……」

 泣きじゃくるトラちゃんさんに微笑みを返したところで、不意に背後から降り注ぐ光の厚みが増した。

「――ゼレーニン中尉も頑張っている。けれども……」

「――その懸念は当たっていますよ、ヤマダ。彼女の聖柱化を以ってしても、この世界の切り離しは不可能です。たった今、通路をつなげられてしまいました」

 小生の独り言を遮ったのは、全身がメカメカしさに満ち溢れた金髪の天使であった。彼? の姿には見覚えがある。確かルイ・サイファーなる少女が見せた幻覚の中でもその姿を見せていたはずだ。

 一見すると神々しくも威圧的な容貌だというのにチキンハートなはずの小生は気安い口調で話しかける。

「マジですか。エ――」

「……コホン」

「メタトロンさん」

「それで宜しい、人の子よ。今は緊急事態なのですから」

 えらく人間らしいやり取りに戸惑ってしまうが、小生と彼? というかメカ? の間には何やら親密な関係性があるようだ。それでいて、何処か緊迫した様子で目配せをしあう。

 そこに続いて現れたのは、6本腕の牛頭の悪魔であった。

 

「小僧。酒神と、大天使、それに厠の小娘の守る拠点が落とされたようじゃ。この分では"悪魔人間"どもの張っていた突撃破砕線とやらも危ういのう。この"方舟"まで敵が攻め寄せてくることは必定と言って良いじゃろう」

 彼の姿は見慣れぬものであったが、その口調は"小生"にも聞き慣れたものであった。

「皆さんは無事に逃げられたのでしょうか?」

「さてなあ、"ウン"のあるなしは日頃の行いによるじゃろ」

 言って愉快げに腹を揺らす牛頭の悪魔。ニヤリと口角を持ち上げたまま、彼は続けた。

「まあ、小僧がこの地に迷い込んでからの腐れ縁じゃ。最後まで付き合ってやるわい」

「ありがとうございます、それでは――」

 召喚、"ウカノミタマ"。

 その言葉を合図に小生の身体に変化が訪れた。まるで燃えるように全身が揺らめき、大きな尻尾が腰に生じる。

 男の尻尾なんて誰得なんだよ……、とセルフツッコミを入れている間に、小生の顔に狐面らしきものが貼りつく。そして、全身から溢れんばかりに力が湧き上がってきた。

 第一陣として、ピラミッドの天頂部へと至る祭壇にまでやってきたのは、黒いデモニカスーツを着込んだ武装集団だ。

 隊長らしき人間が険しい表情で小生に問いかける。

「……先だってぶりですね、ミスター。さてさて、狂信者にビジネスのお話が通じるとも思えませんが、"特級霊的資源"を引き渡すおつもりは?」

「申し訳ありませんが、ご縁がなかったということで――」

 そいう小生が言い終わらぬ内に、人間の兵器、配下の悪魔の異能による猛攻が小生ら目掛けて降り注いできた。どうやら、端から今の会話は時間稼ぎにすぎなかったようだ。

 敵の一斉攻撃を一身に引き受けたのは牛頭の悪魔であった。彼の背後に隠れながら、小生は右手を掲げる。右手からほとばしる光が、仲魔たちの力を何倍にも引き上げているようであった。

「メディアラハン」

 続いてトラちゃんさんが回復の異能によって、仲魔たちの怪我を完全に癒し、

「理性を失った人の子らよ、悔い改めよ。メギドラオン――」

 メカ天使の引き起こす、まるで大量破壊兵器が目の前で起動したかのような爆風が武装集団を軒並み消し飛ばし、

「ちょっ、わしが雑魚掃除とはなあ」

 6本腕の暴虐が辛うじて生き残った面々に絶望を植え付けていく。

 完全なるワンサイドゲームであった。

 

 第一陣が粗方片付いたところでやってきたのは、別口の武装集団であった。彼ら彼女らの着込んでいるそれも恐らくはデモニカスーツなのだろうが、昆虫の複眼を思わせるバイザーや何の役に立つのか分からない触覚、陣羽織にも似た白色のスーツに特色がある。

 何だろう。いつぞやに襲いかかってきた黒いデモニカスーツの女性もそうだったが、デザインの違い以上に別系統の技術を感じさせる。もしかすると発展型や改良型ではなく、独自開発されたものなのかもしれない。

 武装集団は先客の死屍累々たる有様に警戒心を強めながらも、あくまで武器は構えずに交渉を行おうとする素振りを見せてきた。

「……ソーリー申し上げる。ヤマダ君。貴殿の取ろうとしているプロセスは、人類の延命は成し得ても、その将来を奪うセオリーだ。手を引くことは叶わないのかね」

 何だこのルー語。とのツッコミは、残念ながら小生の口からは放たれてくれなかった。口ぶりから察するに、知り合いではあるのだろう。

 小生は飄々とした風を装って答える。

「うーん、確かにその危険性はあるんですが……。ニンゲン次第だと思うんです、それ。途中でこのままじゃまずいと気づければ、あるいは」

「――セルフで欠片もビリーブできていないことを言うものではないよ」

 男性はため息をついて、腰に提げていた筒状の金属を握り締める。

「貴殿の優先順位は既に人の身からリーブしてしまったようだね。人を語る時のそれが人としての立場ではない。……全隊サモンデビル、総員抜刀。日本国自衛隊特設特務機関"ヤタガラス"、推して参る」

 第二陣は一陣よりも明らかに悪魔との共闘に慣れた手練れだけで構成されていた。だんびら刀を振り回す赤い面を被った悪魔と、光の刃を伸ばした人間の兵がとんぼの構えで牛頭へと斬りかかる。小さなトカゲたちが一斉に異能のブレスを小生らに吹きかける。どうやら、敵に不調を強いることで有利に戦いを運ぼうとする戦闘スタイルを得意としているようだ。敵を状態異常に陥れる戦術の強さは、魔人デイビッドとの戦いで痛いほど良く分かっている。多分、型にはまれば彼らは強力極まりないのだろう。けれども――、

 

「メシアライザー」

 厳然たる相性差の前に、彼らの戦術は無意味と化した。

 小生がまるでお祓いでもするかのように手に持った稲をゆっくり振ると、その途端に仲魔の怪我と不調が回復していく。

「ラスタキャンディ」

「ラスタキャンディ」

 続いてトラちゃんさんとメカ天使が仲魔たちの身体能力を異能によって強化し、その恩恵を受けた牛頭が敷石を踏み砕き、高らかに咆哮した。

「我が名はシュウ。戦の魔王!! ニンゲンどもよ、我が暴虐の前にひれ伏すが良いっ!!」

 結果は特記するほどのこともないだろう――。完勝。小生らは"ヤタガラス"とやらをたやすく蹴散らしてしまった。

 それから、悪魔の一団、天使の一団が何故か人々に混ざって攻めかかってきたが、これも難なく撃退する。

 

 ……何だこれ、夢特有の万能感? でも明らかにレミエルさんが見せているであろう幻覚だしなあ……。

 最後に現れたのは……、正直予想できていたことであったがタダノ君であった。タダノ君は小生らの周囲に広がる惨状を見て、ぐうと悔しげに唸る。

 

「やっぱこうなるのかよ……」

「すいません」

「謝らんでいい。それよりヤマダ、お前たちだけで"何とか"できると思ってるのか……?」

 小生は大人びたトラちゃんさんをちらりと見て、苦笑しながら答えた。

「無理筋だとは思うんですけど、この期に及んで移籍なんてできませんって」

 

「ああ。そうだな。それがお前だった。お前、一つのチームにこだわるタイプだったもんな。ぶっちゃけ俺がプロ入りしなくたって……」

「――ストップです。だから、時間ないんですって」

「そか。ほんと残念だが」

 俯いたタダノ君がヘルメット越しに頭を掻く。

 ハンドヘルドコンピュータがタップされ、召喚された悪魔は3体。いつぞやに見せられた顔ぶれだ。ああ、そうか。これは――。

 

「――お前のやり方だと、シュバルツバース現象を止めたところでいずれ"こっちの"地球は滅びちまうよ。そういうの"ネグレクト"って言うらしいぜ、最近は」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから裏切れないんですって、性分だから」

「だから! 笑えないんだよ、友だちにそういう目されたままそんなことされるのはよ!!」

 

 目を開けると、そこは知っている便所であった。便座や床の磨き具合に、この執拗なまでのあくなき消臭への追究。ここはカンバリ様の聖堂と化した"箱庭"広場の便所である。

 

「え? え? 何で?」

 まるで意味が分からない……。目の前の現実にプロセスがついていっていない感がある。ほわっとはっぷん……?

 混乱する頭の中で、自分の行動ログを整理する。

 1、"箱庭"への帰還。

 2、個人スペースへの帰宅。

 3、レミエルさんの力で奇妙な夢を見させられる。

 4、気づけば、便所。

 待って。夢のことについて考えなければいけないのに。3と4を繋ぐミッシングリンクは一体何なの……?

 

「私がここに運んだのですよ、ヤマダ」

「うおっ!?」

 急に耳元でレミエルさんの声が聞こえたものだから、驚きで後頭部を壁にぶつけてしまった。いてぇ……。

 七色の光が収束し、便所内に少女の姿を形作る。彼女の登場はいつだって突然だ。故に理解する。いや、納得はできないけど。

「……んで何で小生、トイレに座っていたんです?」

「時間を稼ぐためです。ここに匿うにも人の目がありますから、花子の力も借りましたが」

「時間、ですか?」

 レミエルさんは頷き、続ける。

「先ほどあなたに見せたヴィジョンは限りなく確度の高い"予測"です。"預言"と言い換えてもよろしい。私にできることは主に与えられた権能で未来を"預言"することのみで、その詳細を知る術はありませんが、あのルイ・サイファーのことを考えると、この"預言"が貴方にとっても……、我々にとっても、あまり喜ばしい結果になっているとも思えないのです。故に、選択肢を増やしました。現代文化風に翻訳するならば、『強制イベントを回避した』わけですね」

 そう彼女が言い終わるのとほぼ同時に、小生を呼ぶ声が何処かよりこちらへと近づいてきた。

 

「ヤマダさーん、ヤマダ村長ー。あれぇー、ほんと何処行ったんだあの人……。もうすぐ"元リーダー"たちも交えた"箱庭"住民会議が始まるっていうのに」

「リーダー! ヤマダリーダー! やっばいなあ。こんなカンタンなニンゲン探しもできないなんて思われちゃ、オイラのイゲンがくずれちゃうよぅ。あ、パイセンどうもっス」

 声の主は先日より"箱庭"入りを果たしていたニューカマーたちだった。

 一人は療養先を求めてやってきた元"レッドスプライト"クルーであり、一体はそれについてきた小さな地霊なる存在だったと記憶している。

 てか、村長ってなんだよ。リーダーも引き受けた覚えはないぞ! パイセンについても全く分からん。いったい誰に挨拶しているんだろう……。

 色々と声をあげたい衝動に駆られたが、ここは涙を呑んで口もつぐむ。

 あの明晰夢を避けるために隠れているのだと言われれば、息を潜める他に道はないだろう。

 近づいては遠のいていく呼び声に、

「……行きましたかね?」

「そうですね、彼らは」

 ほっと安堵した瞬間、コンコンと。

 無慈悲なドアのノック音が小生の耳に届けられたものだからたまらない。

 

「あ、ぅぇ――?」

 息は殺していたと思うのだが、新参の探知にひっかかったんだろうか? いや、まったく気配は感じ取れなかった。つまり、外の存在は端から扉の前に待機していたのである。

 背筋が凍りつく。成る程、先程の挨拶にあったパイセンとは扉の向こう側に立っていた存在だったのであろう。今の小生の顔つきは、さながら処刑台の前に立たされた罪人のようになっていることだろう。油断していた。この便所が安全地帯であると、勘違いしてしまっていたのだ。

 コンコン。ノック音が再び響く。

 

「入っていますか?」

 覚悟していたその呼びかけは、花子さんによるものだった。小生はへなへなと脱力して壁に背中を持たれかけさせる。

 彼女は味方だと先ほど聞いたばかりだ。

 故に小生は気を抜いて答える。

「入ってますよ、花子さん」

「あっ、起きましたか」

 扉の向こう側から無邪気で明るい声が上がった。

 

「じゃあ、入りますね」

「でも、待って。その理屈はおかしい」

 こちらが制止する声も聞かずに、彼女はトイレの上方に存在するドアの隙間によじ登り始めた。

 んしょんしょ、と小さな指が覗き、次に赤い和服、足袋をはいた白く細い足が見える。

 ぷらぷらと揺れるぽっくり下駄が可愛らしい花柄で彩られているのは、間違いなく保護者(レミエルさん)の趣味だろう。

 程なくして便座の前へと降り立った花子さんは、心持ち自慢げにこちらを見上げてきた。

 

「かくれんぼは得意ですから。花子はお兄さんをしっかり隠し通せましたよ?」

「よくぞやってくれました。花子よ。後で手をしっかり洗ってから甘いものをあげましょう」

「やた!」

 レミエルさんと交わしたそのやり取りは大層可愛らしく、かつて"ミトラス"宮殿で独り泣いていた姿と比べ「元気になったなあ」と心穏やかにするものがあった。ただ、

「あの、トイレの外でやりませんか。そういうの……」

 正直、便所に3人というのは窮屈でたまらなかった。

 

 さて、至極素直に考えてみれば、レミエルさんが"強制イベント"と称するものにはおおよその察しがつく。

 人外と化したリーダーたちが先刻に語っていた妙案とやらを発表する会議が、恐らくはそれにあたるのであろう。

 小生が、そう推測を述べるとレミエルさんは大きくうなづき、花子さんの頭を撫でた。

「貴方にとって不都合な未来を変えるためにも、今は情報が必要な段階でしょう。人目を忍び、まずは観測班のフランケンシュタインを訪ねなさい。人の子らの"悪魔化"に立ち会いながらも人の身に留まった彼ならば、仲間たちの思惑について何か交渉できることがあるはずです。会議は取るべき道が定まってから向かっても遅くはありませんよ」

「やはり、リーダーたちは悪魔になってしまったのですね……」

「はい。しかし、そのことについては後ほど」

 彼女の助言に成る程と納得するが、それと同時に懸念も生まれる。

「問題があります。彼の居所が"箱庭"内の研究プラントだとしても、狭い村の中を隠れながら移動するというのは正直無理筋なんじゃないかと思うのですが、見つかってはやはりまずいのでしょうか?」

 こちらの問いかけに、レミエルさんは感情の読み取れぬ表情のままに一瞬目を落として思考するかのようなそぶりを見せる。

 やがて帰ってきた答えは、当然隠密行動を取るべきと言ったものであった。

 

「恐らく彼らは"悪魔化"による万能感も手伝って、自らが正義と思っていることを早く実行したいと躍起になっていることでしょう。私も人間としての理性を信じたくはあるのですが、"悪魔化"による精神の変容は、はっきり言って警戒に足るほど信用のならないものなのです。味方として同じ方向性を向いているならば問題ないにしても、意見が対立した場合に取り得る行動が未知数でして。彼らの"たが"がどの程度外れているのか分からない現状、やはり接触を避けて情報の収集に務めるべきでしょうね」

「そうですか……」

 リーダーたちの評価に少し気落ちしながらも対策を練る。現状小生が最も必要としているのは、やはり住人の目をごまかしてくれる協力者の手であろう。

「レミエルさんは協力してくださるのですか? それにトラちゃんさんの協力を仰ぎたいところですが……」

「私の助力を必要とするのならば、喜んで諸手を差し伸べましょう。しかし、あの平たい胸神族ならば、宴会で忙しいはずです」

「ちょっとどういうことなの」

 一体何を名目にした宴会なのだろうか。と、そこにドップラー効果を伴ったトラちゃんさんの泣き声が遠方より聞こえてくる。

 

「返しなさいよぉぉ!! アタシが大事に育ててた焼きトウモロコシ返しなさいよぉぉぉぇぇぉぇぇおぇおぇおぇ!!!」

 後半は最早言葉になっていない嗚咽であった。彼女から堂々と貢物をかっさらえる存在はそう多くはないが、とりあえずこの"箱庭"内の何処かで焼きトウモロコシをセルフでベイクドするようなどんちゃん騒ぎが行われていることだけは良く分かった。何やってんだ。

 小生がげんなりしたところに、ちょいちょいとデモニカスーツの袖が引かれる。花子さんの小さな手によるものだった。

 

「お兄さん。花子も缶蹴り遊びなら得意ですから手伝えますよ?」

 その提案にレミエルさんが手を叩く。

「ああ、確かに。それが間違いないでしょう。私が周囲を出歩く人の子らを誘導し、花子に周辺の警戒を任せるのです。幸い、彼女には連絡手段も渡してありますから。では、花子。頼みましたよ」

「任せてください!」

「逐一連絡は送るのですよ。怪しいものをみつけたら、まずは距離をとって大声をあげるのです」

「分かりました!」

 その後もいくつかの細かい確認をして、レミエルさんは便所の扉を開けて外へと出ていった。

 

「レミエルさん大丈夫ですかねえ」

「天使のおねいさんなら大丈夫ですよ」

 花子さんの信頼に応えるようにして、直に「そこの人の子よ。あなたの顔に迷いが見受けられますね」と穏やかな声が聞こえてきた。どうやら真面目に誘導をしてくれているのは確かのようだ。でも、

「えっ。俺が片思い中だってなんで判ったんですか!? もしかして……、愛とか!?」

「はい? いえ、はい。そうですね。愛のなせる技であることに違いはないでしょう」

「だが、俺には心に決めたカノジョが……。まあ、いっか。ど、何処か景色の良いところでゆっくり話しましょう!」

「はぁ。景色の良いところで、それは望むべきところですが」

 というやりとりに深刻な誤解が生じているように思えるのは果たして気のせいなのだろうか……? というか、あの人"レッドスプライト"の機動班だよね。暇なのかな……。

「あの人、花子にもすごい優しいですよ」

「え、大丈夫なのそれ。防犯ブザーしっかり持ってる?」

「それはそうと今の内ですよ、お兄さん」

「待って。これ結構大事な話だと思うんだけど……。アー、ハイ」

 思わず真顔になってしまった小生は、促されるがままに便所を出る。便所の上ではカンバリ様が偽りの太陽に大足を晒して日向ぼっこに興じていた。

 

「……小僧、出かけるのか? 長い用足しじゃったな」

「え、あ。はい、お世話になりました。お世話になったんですよね?」

「何をこそこそとしているのかは良く分からんが、匿ったという意味ではそうじゃなあ」

「そうでしたか。ありがとうございます。いや、小生にも良くわかってはいないんですけれども」

 頭を掻いてそういうと、カンバリ様は大きな指を揺らしながら、こちらへと寝返りを打った。

 

「いっトイレ」

「はい、行ってきます」

 えらく直球な厠ジョークに頬を緩ませ、小生は便所を後にした。

「それでフランケン班長のプラントまではどのように向かうんですか? なんだかんだ言っても小さな村の端から端までの距離くらいはありますよね」

 道すがらに小生は問う。

 掘っ立て小屋の立ち並ぶ生活区画は障害物も多く、隠れながら進むのに適しているが、フランケン班長の行動圏は中央広場から田畑の近辺に限定されており、どう経由しても人目につくことを避けられそうにはなかった。

 ある程度はレミエルさんが皆を遠ざけてくれるのだろうが、そのある程度から漏れてしまう人々をどう対処するか。

 小生のこの疑問に花子さんは心持ち鼻を高くして、ドヤ顔で答える。

 

「お任せあーれ。ええと、ちょっと待ってくださいね」

 そういって、花子さんがごそごそと取り出したのはタッチペン式のゲーム機だった。小生もパワフルな野球ゲーム専用機として自宅に保管しているので見間違えるはずもない。でもなんでこのタイミングでゲーム機……?

 

「これはケータイというらしいです」

「ああ、うん。ケータイ(ゲーム機)ですよね」

「未来のナウな道具です。これで花子は天使のおねいさんと連絡が取れるのですよ」

「え、マジで。それゲーム機じゃないんですか?」

 こちらの驚きように花子さんのドヤ顔はさらに深まった。

「そう、このケータイはげいむもできるのです。らてん語のお習字や聖歌当て遊びに聖書クイズが楽しめる優れものなのです」

「うーん」

 小生の業界でそれは宗教教育と呼ぶのだが、いずれにせよあのケータイゲーム機は小生の知るそれとは些かスペックが違っているようだ。いや、元からそういう機能あったのかな? わざわざ野球ゲーム専用機で友だちに連絡したりすることなんてなかったから、細かいスペックなんて全く理解してないぞ……。もしかしたら、ソフトウェアだけでも何とかなるのかしらん? あのゲーム機のメーカーさん、改造とかにすごい厳しそうだし……。

 色々と釈然としないところはあったのだが、小生は喉まで出かかった疑問を全ての見込み、花子さんに続きを促した。

「とにかく、そのケータイ(ゲーム機)でどうにかするわけですね」

「ちょっと待っててくださいね」

 花子さんは折り畳まれていたゲーム機を広げるとタッチペンで高速文字入力をし始めた。その鮮やかなる手つきたるや、花子さんも悪魔とはいえ子どもなのだなあと思わせるワザマエであった。子どもって何で新しいデバイスにすぐ順応してしまうんだろう。親戚のアツロウ君なんかも凄かったし。

 ひょいと画面を覗き込むと、成る程どうやら彼女はメールアプリを起動しているようであった。

 宛先は『R L』……。ああ、うん。レミエルさんか。

 文面の方は何処となく彼女たちが普段どう接しているのかが透けて見えるやりとりが交わされている。

『こんにちは。花子です。どうすればいいですか?』

『ごきげんよう。私の感知する周辺の人々を地図に記す形でお送りしましょう顔文字。くれぐれも寄り道をしてはいけませんよ顔文字』

『分かりました。頑張ります顔文字』

『顔文字』

 いや、初めから地図アプリをくれよと思わないでもなかったが、多分レミエルさんにしてみると顔文字の打てるメールで彼女とコミュニケーションを取りたかったんだろう。そう一見して判断できるほどの顔文字具合であった。

 

 こうして、顔文字の打てるメールアプリと地図アプリのおかげで、小生と花子さんは誰と出会うこともなくフランケン班長の研究プラントへと無事に辿り着く。

 まず、目につくのがマンドラゴラさんの植わっている菜園。その横には外部から収集してきた各種ガラクタがうずたかく積み上げられている。プラント奥に鎮座する彼のラボは綺麗な円筒の形状をしていて、壁材に"ボーティーズ"から持ち込んだであろう建築資材を流用しまくっているせいか、血管みたいな管が網目状に浮き上がっていた。おい。あれ、本当に無害な建物なんだよな……? まるで別世界のようなおどろおどろしさだぞ。

 

 その入り口にはエプロンドレスを着込み、箒を手に持った不可思議な生命体。いや、こうした物言いは"彼女"に失礼なのかもしれないが、不可思議と評するのには一応理由があるのだ。何故なら、このシュバルツバースにメイドの美少女が存在すること自体が明らかにおかしい。

 片目を隠した不均等なボブカットから覗く、憂いを帯びた瞳は透き通っている。箒を動かし、移動するたびにカチャカチャと音の鳴る片脚はもしかすると義足なのかもしれない。

 小生らが来訪に気がついた彼女は、長い睫毛をぱちくりとさせて、こちらに向かってピンク色に色づいた唇をぽかりと開けた。な、何を言われるのだろうか。よもや、秋葉原的な挨拶が投げかけられてしまうのであろうか?

 ごくりと生唾を飲み込みながら、彼女の言葉を待つ。

 

「うぉ、うぉ、うぉまえは、きゃ、客人カァ?」

 千年の恋も冷める瞬間であった。

 よくよく考えてみれば、あのフランケン班長のラボ前にまともな美少女メイドがいるはずもない。

 

「は、はい。班長に用事なん……、ですが」

 言葉が途中で詰まってしまう。明らかに堅気でない口調の美少女が、怪訝そうにこちらを睨みあげていたからだ。

「うぉうぉうぉまえ、うぉうぉれを見ているなぁぁ?」

「え、え? それは今こうやって話しているわけですから……」

 そう答えた瞬間、美少女メイドが発狂したかのように顔をかきむしって叫んだ。

「うぉれを見るんじゃねぇェ! うぉれのことをカワいいヤツだとか思ってやがるんだろぉぉ! やめろぉぉぉ!」

「ぶえぇ……」

 何言ってんだ、この美少女メイド。

 その後、「温かい目はくり抜かなきゃきゃきゃきゃ」といきなり襲いかかってきたところで、「天罰☆てきめん!」と花子さんの超電撃が情け容赦なく炸裂した。白目を剥いて口から煙を吐く美少女を後目に、小生らはため息混じりにラボの入り口をくぐる。こんなメイドを侍らせているマッドサイエンティストに今後の相談をしなければいけない状況に一抹の不安を抱きながら。

 

 

「あ、起きたのですね。多分、二日ぶりかなあ。おはようございます」

 ラボ内は巨大なガラス管や何に使うのかよく分からない機材が所かしこに配置されており、その中でうちのマッドサイエンティスト――、フランケン班長は何やら端末に情報を入力しているようであった。

 パイプ椅子をぎしりと鳴らし、班長がこちらへと振り返る。

 

「おはようございます。ええと、班長。色々と聞きたいことがあるのですが……」

 入口でのインパクトが強すぎて、聞きたいことが全部吹っ飛んでしまったんだよなあ……。小生、何聞こうとしてたんだっけ……? ちらちらと入口を見ながら小生が言うと、

 

「ん、何です? 出入り口のメイドのことなら、あれは"イッポンダタラ"ですよ。中身。昨日造ってみました」

おもむろに返ってきたマッドサイエンティストの一言は、ちょっと小生の理解の範疇を超えるものであった。

「……あー。"イッポンダタラ"って、外部セクターにうろついている、あの"イッポンダタラ"のことでしょうか? を造る? へ? へ?」

 小生は眉間を指で強く摘みながら、念押しとばかりに問い詰める。

 こちらの質問を受けて、マッドサイエンティストはパイプ椅子に座りながら嬉しそうに頷いた。

「ええ、そうですよ。人間の"悪魔化"には成功しましたから、悪魔の"人間化"実験も続いて行ってみたんです。大した難易度ではないと高をくくっていたんですが、ちょっと不安定なんですよね」

「……待って。待ってください。色々と突っ込みたいことが沢山ありすぎて、頭が追い付かない。って、やっぱりリーダーたちの"アレ"は班長の仕業だったんですか!?」

「そうですよ? 随分前から準備していました」

 何でもないという風に彼は答え、そのまま端末を操作する。

 端末に表示されている映像は、我々"箱庭"の住人たちややシュバルツバース調査隊が"ヒールスポット"と呼ぶ代物や、"ターミナル"と呼ぶ代物であった。

 

「こちらを見てください。この二種類の人工物(アーティファクト)は、炭素同位体測定法により10万年以上前の人工物であると確定しています。"ヒールスポット"はご存じだと思いますが、"ターミナル"の機能については聞いていますか?」

 班長がモノリス状の構造物を指さしながら、そう言った。

 確か、"ターミナル"に関しては"レッドスプライト"クルーによる綿密な調査が行われていたはずだ。ただ、"ボーティーズ"にも遺されていたそれらを小生は一度も利用していない。特に必要性を感じなかったからだ。調査隊によってもたらされたその概略を思い起こしながら、小生は答える。

「確か、"移動"に用いるものだと……」

 一体どんな不思議技術によるものなのかは分からないが、レポートを見た限りにおいてこの"ターミナル"は自らの搭乗する母艦へと一瞬で移動することが可能らしい。

 "レッドスプライト"クルーが凄まじい高効率でシュバルツバース探索を続けてこられた秘密も、この"ターミナル"の活用によるところが大きいという。

 班長は小生の答えを聞いて、皮肉げに口の端を持ち上げた。

 

「"移動"というのは語弊がありますよ。これは"転送"って言うんです」

「"転送"、ですか?」

「例えば、"レッドスプライト"号をはじめとする"ライトニング"型次世代揚陸艦には、プラズマ動力のスキップドライブ機能が搭載されておりますよね。これは広義の意味で超光速航法と定義づけられています。超光速航法――、Faster Than Light技術についての理論的研究はどの程度ご存じで?」

 いきなり専門外のことを問われて小生は戸惑う。これとリーダーたちと一体どんな関係があるというのだろうか。

 小生は物怖じしながら否と答える。

 

「SFの範疇はあまり……」

「それはまずいです。ニンゲンが想像できるものの大抵は実現できるものですから。知っておくことに損はありませんよ」

 要領の得ない小生の反応に、班長は残念そうな顔をしながらさらに続ける。

 

「古典的なワープドライブ理論の前段階に、我々の会得したスキップドライブ技術があります。これは単純に空間歪曲などのメカニズムを交えた"移動"と捉えても問題ありません。しかし、"ターミナル"は違う。端末に登録された生体データが、別の端末で再現されているだけなんですから」

「いや、いやいやいや! それって、"転送"の前後で一度小生らの身体がなくなってしまっている、ということですか!?」

 小生はたまらず声を荒げた。彼の理屈に従えば"ターミナル"の利用者は一度物理的に分解され、また"転送"前と同じ生命が遠隔地に再現されているだけということになる。となれば、夜通しで調査活動を続けている"レッドスプライト"クルーのほとんどはもう……。そんなまさか!

 班長は頬杖を突きながら、笑みを深めた。

 

「いいえ。利用者は別に"死んで"いません。肉体の核になる魂はデータベースに戻っていますから、肉体だけを廃棄、復元しているに過ぎないんです」

 班長の説明がいきなりオカルトへと飛躍した。

 とはいえ、魂ならば理解できる。小生だって死亡した時には"アケロンの河"にいる老人のところまで飛ばされていたわけで、人間が死ねば魂が何処かへ飛んでいくという事実は実体験として知るところであった。ただ、データベースというのが良く分からない。

 小生の疑問を察したのか、班長が頬を押える手の指をわきわきと開きながら言った。

 

「ヤマダさんの言っていた、"地球の記録"……。あれのことですよ。貴方の言葉が発想のブレイクスルーに繋がりました。想像さえできれば、近似した理論を見つけ出すことはさほど難しいことじゃありません。鍵はプラヴァツキー夫人の提唱した"アカシャ年代記"です」

「アカシャ……、オカルトですか?」

 班長が我が意を得たとばかりに大きく頷いた。

 

「"ターミナル"は現段階における我々の生体情報を一時保存し、"地球の記録"にアクセスして遠隔地へと"転送"できるデバイスなんです。"地球の記録"は過去から未来全てにまで及び、時間というものが意味を為しません。ですから、見かけ上一瞬で"移動"したように見えるわけです」

 班長は確信を持った眼でそう断言する。何だか分からないが、ものすごい自信だ。

 ただ、やっぱりリーダーたちとどうつながるのか、全く理解ができなかった。故に問う。

 

「それと……、リーダーたちとどう関係があるんですか?」

「"ターミナル"を利用したんです。"地球の記録"から人間を"悪魔化"する技術を検索するのに」

「は?」

 思ってもみなかった告白に、小生は目を剥いた。

 班長は続ける。

「"箱庭"の、人類側の戦力を拡充するためにも、それが最善と思ったからやったんですが……。今になってみると、これは失策でした。多分、発想が足りないんです。無限の智から、技術を取り出す有限の発想に問題が……」

 そのままぶつぶつと独白を続ける班長。突拍子もないことを言い続けてはいるが、ここまでくれば少しは小生にも理解できる。

 

「リーダーたちは戦力を増強するため、シュバルツバースの技術を用いて人間であることをやめたんですね」

「それは、はい。そうなります」

「元に戻すことはできるんですか?」

「普段の姿だけなら自力で再現することが可能ですよ。悪魔の身体を構成する生体マグネタイトを見かけ上の有機物に変換してあげればいいだけですから。ですが、ヤマダさんの望む形で彼らがニンゲンに戻ることはないと思います。彼ら自身が拒むでしょうから」

「何故です!」

 小生が苛立ちながら詰め寄ると、班長は困ったように表情を歪めた。

 

「単純に認識の問題なんです。ティーカップをティーカップと認識できるのは我々がニンゲンであるからでして。例えば、アフリカゾウにとっては良く分からない小石。ツムギアリにとっては良く分からない障害物。一度、ニンゲンという枠組みから解き放たれてしまった彼らは、ニンゲンであったというアイデンティティは持っていても、ニンゲンという種にメリットを感じていません。どうしても、我々と思考にギャップが生まれてしまうんです」

「リーダーたちはもう……、人間に戻るつもりはないってことですか?」

「はい」

 ですから、と彼は深く頭を下げる。

 

「ヤマダさんにお願いなんですが、ニンゲンの立場から彼らの舵取りをお願いできませんか? 彼らの目的は我々人類をシュバルツバースの脅威から救うことですが、その方法論や発想の段階で、我々とは相入れないものを取り入れてしまう可能性があります。勿論、僕もエースも全力で補佐します。ただ、彼らが素直に耳を傾けてくれる"箱庭"のメシアは貴方だけだと考えています」

 ずんと胃に重いものが伸しかかってきたかのような心地がする。

班長の言っていることは単純にして明快だった。

 外堀はもう埋まっている。お前がリーダーをやるしかないぞ、と。

 小生は声にならない呻き声をあげ、ただ天井を見上げた。

 


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