シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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DSJの漫画連載あるらしいですね。
色々と本編では明らかにされなかった設定も盛り込まれるんじゃないかと期待してます。
矛盾が出たら、手直し予定です。


シュバルツバースで潜入と便所

 気づけば、小生は再び深い霧の中に立っていた。

「……そなた、もしやわしをおちょくっとるのか?」

「ひえ、すみません、すみません……」

 トラちゃんさんが"アケロンの川"と呼んでいた大河にたゆたう渡し船の上には、相も変わらず白ずくめの老人が静かに佇んでいたが、その表情ははっきりと苛立ちにまみれている。最早青筋のはっきり見える怒り具合だ。

 

「ええとですな。トラちゃんさんの異能に巻き込まれまして……」

「――ジャッジメントか。あの馬鹿女神……」

 頭を下げながら、先ほどの光景を思い浮かべる。

 小生らはとある通路にひしめく"悪魔"の大群を片っ端から蹴散らしながら、宮殿の内部を目指してひたすらに進んでいた。が、いくら吹けば散る小物とはいえ、千や万を越える大群を延々と相手取ったせいか、トラちゃんさんが自棄になってしまったのだ。

 

『ああああっ、もうっ! う”ざったい! いい加減いなくなってちょうだい!』

『あ、ちょっ――』

 彼女の掲げた両手から発せられた目映い光が通路を、"悪魔"を、そして小生を飲み込んだ次の瞬間、目の前の景色が変わっていた。要するに、あの強力な異能は敵味方関係なく、周囲を消し飛ばす力を持っているのだろう。

 そうして、小生はめでたく超高速成仏リターンズを経験することと相成ったわけだ。

 うっかりミス、だと思いたい。被害を自覚してやったなんてことは……、いや彼女に限ってそれはないな。

 

「……ただ小生、これ戻れるんでしょうかね?」

「加護を受けている以上、戻れるには戻れるだろう。何故、そなたがあの馬鹿女神なんぞを信頼できているのかは不可解でしかないが」

 老人の鋭い舌鋒に何も言えない。気まずい沈黙が両者の間を流れたため、何とか場を持たせようと小生は話題を変えた。

 

「あ、ああ。そういえば、ダグザ先輩っていらっしゃいますか?」

「トゥアハ・デ・ダナーンのひねくれ者ならば、大分前に別宇宙の小生意気そうな小僧を捕まえて旅立っていったが、それが何か? いや、そもそも何の先輩なのだ……? そなたの言うことはまこと分からぬ」

 ああ、もういなかったのか。道理で前回もこの場で見かけないわけだ。一人合点する小生を胡散臭そうに眺めていた老人であったが、その内に何を思ったのか、小生に対して黒豚直葬時の如く手をかざした。

 

「ちょ、冥界送りは……っ?」

「何、これは何ということもない児戯。ただ、そなたの魂を読みとるだけよ。他に何をするわけでもない」

 身構えるこちら側の事情など知ったことではないという風に老人はふむふむと何度も頷き、すぐに邪悪な笑みを綻ばせる。 

 

「"マッスルパンチしか能のない知恵の神"。彼奴と再び会うことがあらば、伝えておこう」

「あいや、これはオフレコでっ――!」

 言い終わる前に、トラちゃんさんの焦り声が頭上の坂の上より降り注いできた。

 

『や、やややっちゃった……。ヤマダ! まだ完全に成仏しないでよ!? 戻ってきなさーいっ』

 そして、小生の体はふわりと浮き上がり、前回のように現世へと向かい始める。

 良かった……。どうやらさっきのはうっかりミスで、まだ成仏しないで済むらしい。

 ほっとしたところで、小生はふとした思いつきに身を任せる。

 胡散臭そうにする老人に向けて、バックパックに入れてあった"マッカ"を一部投げ寄越したのだ。

 老人は無造作に放り投げられたそれを難なく手のひらで受け取った。おお、老齢にもかかわらずのナイスキャッチ。小生も老後はかくありたい。

 

「これは……、何だ?」

 老人は"マッカ"を受け取るや否や目を丸くする。

 投げ渡された理由が分からなかったからだろう。

 小生は頬を掻きながら、老人に語る。

 

「……迷惑料を兼ねたお賽銭です。多分、小生と同じ服を着た人たちがこれから来ることがあるかもしれないので……。あまり来て欲しくはないですけど。って、もう時間ないや。とにかく、色々と大目に見ていただけると。おねがいしまーす!」

 遠ざかっていく老人は、ぽかりと無邪気に口を開けていた。

 その姿を見つめていた小生は驚く。

 

 ――走馬燈の一種だろうか。

 老人の姿が、甲子園球場を舞台にバッテリーを組んでいたタダノ君と重なって見えたのだ。

 グラウンドにおいては燦々たる陽光の降り注ぐ中、左手にボールを握りしめ、野球帽を深くかぶり、こちらのハンドサインに対して静かに頷くだけの彼であったが、私生活においては意外と間が抜けていて、今の老人のような表情を浮かべることがあった。

 

「タダノ君、元気だろうか……?」

 彼が自衛隊入りしてからは手紙や電話のやりとりばかりで、面と向かって話す機会に恵まれなかった。こちらがシュバルスバースへ行くことを伝えた時だって、互いのスケジュールが上手く合わなくて再会することは叶わなかったのだ。

「またキャッチボールしたいんだけどなあ」

 口に出しておいて何だが、難しい願いだとは分かっている。

 何せかたや海外派兵で各地をかけずり回っており、こなた異空間の遭難者。

 願いを果たすためには、少なくともこの空間から脱出しなければならない。そのためには、まず生存……。そう、生き延びなければならないだろう。

 

 小生は目を閉じる。

 浮遊感に身を任せ、まぶたの向こう側に強い光を感じ取り、そして再び目を開いたときには目の前にトラちゃんさんの焦り顔が見えていた。

 つまり、小生は再び現世へと帰還できたわけである。

 

「お、起きた! ご、ごめんなさい、ヤマダ……」

「いえ、死ななければ安いもんです。それより急がなくては……」

 ほっと胸を撫でおろしながらも、まずは周囲の様子を窺う。

 "バケツ頭"のモニターに表示される周辺の景色は、赤外線センサーを通じて、ほぼ鈍色(にびいろ)に塗りつぶされていた。

 今、小生らは大の大人が少し腰を屈めてようやく通れそうな円形の通路の中にいる。"悪魔"の気配は手近にはなかった。トラちゃんさんやカンバリ様が小生の旅立っている間に掃討してくれたのであろう。

 

「ようやっと、起きたか。女神の方も落ち着いたようじゃし、ほれ先へ進むぞい」

 決まりの悪そうなトラちゃんさんとは対照的にカンバリ様は上機嫌そのものであった。

 カンバリ様にしてみれば、小生らが今やっていることは"カワヤ掃除"の一環でしかないのだろう。事実、間違っているわけでもないため、訂正するつもりは毛頭ない。

 

「……分かりました」

 気を取り直して、通路の奥へと目をやった。

 ハンドヘルドコンピュータを操作して、モニターに表示された通路の先を機械的に拡大表示させる。

 トリミング技術を応用した高精度のデジタル処理が施された拡大画像には、血色の塊が所狭しとひしめいている。

 脈動するグロ画像……、ではなく"スライム"の大群だ。この先へと進むためには、まず"あれら"を根気強く掃討していかなくてはならない。

 

 頭上から、みしりと大型の"悪魔"が闊歩する振動が伝わってきた。こちらの存在に気づいている様子はない。

「……上のあいつらも、アタシらが下水道を進んでいるなんて思ってもいないんでしょうねえ」

「でも、油断は禁物ですよ。潜入経路としては王道も王道ですから」

「ん、分かった! じゃあ、アタシの後ろをついてきてっ!」

 トラちゃんさんの背中を追い、小生は調査隊の仲間たちで作り上げた歓楽街のマップと地下通路の新規マッピング分とを代わる代わるに睨みつける。

 目指すは"魔王"ミトラスの宮殿直下だ。

 敵に知られず本丸の懐へと潜り込むため、小生は息を殺して歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 4号艦"ギガンティック"号の生き残りが発する通信を拾い取った小生は、震える声のまますぐさまリーダーに連絡を取った。

『……リーダー、緊急事態です。"魔王"ミトラスの住む宮殿内部で4号艦の生き残りが"悪魔"に追われています』

 直後、回線越しに天を仰ぐようなうめき声が聞こえてくる。リーダーは思考を吟味するように、言葉を選ぶように重々しく返してきた。

『そうか……、良く知らせてくれた。だが、これは大変悩ましい問題だ。我々は未だ宮殿内部へ侵入する術を持ち合わせていない。……ここは、ヤマダ隊員の意見も聞きたいところだが』

 苦渋に満ちたリーダーの声色は、彼がこのアクシデントを必ずしも歓迎してはいないことを暗に示していた。

 いや、彼個人としては今すぐにでも救出のために動くべきだと考えているのかもしれない。ただ、タイミングが悪かった。

 突発的な潜入プランの変更は、"エルブス"号の同僚たちを救うというメインミッションにも悪影響を及ぼすことだろう。

 下手に宮殿内の"悪魔"たちを刺激して、メインミッションを前に警戒を強めては元も子もないのである。

 彼は恐らく、カルネアデスの板を手に取った遭難者と同じ心境に至っていた。

 だからこそ、小生に判断材料を求めたのである。人命が両の秤に掛けられていた。これは断じて問題の丸投げではない。 

 小生は答えた。

 

『通信の内容は、あまり猶予のある感じには聞こえませんでした。とにかく……、もっとも近くに待機している小生らで潜入と接触を試みてみようかと思います』

『いや、それは危険だ。無理を承知で前線へと出張ってもらっていたが、君は本来後方人員なんだぞ』

『だからこそ、見捨てるしかない仲間の救出に、人員を割けると考えることもできます。多分、メインミッションに与える影響はずっと少ない』

 リーダーが押し黙った。

 そして、恥入るように言葉を紡ぐ。

 

『……すまないな。判断も危険も、君に押しつけた。卑怯だったと正直に思う。私は暫定リーダー失格なのかもしれない』

 それはないだろうと即答しつつ、小生は通信を打ち切った。今はとにかく、時間が惜しい。

 急ぎハンドヘルドコンピュータを操り、4号艦の生き残りへと超短距離通信を試みる。

 

『ハロー。こちら3号艦"エルブス"号クルー、ヤマダ隊員であります。4号艦のクルー、小生の通信は届いていますか?』

 反応は即座に返ってきた。

 

『ああ……。は、ははは……! 届いた。届いているぜ、ヤマダ隊員。ハロー、こちら4号艦のクルー。通信は良好だ。聞こえてるんだ。やったぞ!』

 せっぱ詰まってはいたものの、思ったよりも声に活力が満ちている。これが彼の心的強靱さに由来するものか、藁にもすがりつく思いであるのかは良く分からない。

 

『……そちらの状況を教えてください。生き残りは他にいるのですか?』

『さあ。まだいるのかもしれないし、くたばったのかもしれない。オレは殿を務めていたんだ。曲がりなりにも、こっちの"エース"だったからな……。それで化け物相手にチームで立ち向かって、逃げ出して……、戦って。これ以上の継戦は無理だと、負傷者を先に逃がした』

 表情を歪め、小生は他に生き残りの通信が飛び交っていないかと通信チャンネルを切り替えては探し求める。結果は静かなものであった。

 黙り込んだ小生に対し、"ギガンティック"号のエースは問いかけてくる。

 

『……オレの通信に応えてくれたということは、援軍が、オレは助かるということなのか? 無理に応えなくてもいい。分かってるんだ……。化け物を倒した銃弾の大半は、くたばった仲間から譲ってもらったものを使っていた。覚悟は決めている。あのクソったれな化け物ども以外の声を聞いて、前のめりにくたばれるのなら、それはそれで悪くねえ』

『正直に言います。まとまった援軍はありません。ですが、小生がどうにかしてそちらに行きます。だから……、何とか生き延びてください』

 先程とは違い、すぐには答えが返ってこなかった。ただ震え、声を押し殺している様子が、回線越しに窺い知れる。

 

『……涙が出るほど嬉しいぜ。お前、良い奴だな』

『何かあれば、このチャンネルにお願いします。それではご武運を』

 小生は回線を打ち切り、トラちゃんさんらを見た。

 

「すいません、無理をします」

「取り残された人の子を助けるため、でしょ? これは霊性の問題だから、アタシからは何も言わない。ただ、アンタにはアタシとの契約があることも忘れないで。まあ、無理なんてしなくても何とかなるわよ!」

「ただ、現実問題としてどう侵入したものか悩ましいのう。まさか、この無勢で正面突破というわけにも行くまい」

 あくまでも希望と自信に満ちたトラちゃんさんの表情には勇気づけられ、カンバリ様には理性的な判断を求められる。

 確かにカンバリ様の言うとおり、歓楽街の外へと出て宮殿の内部へと向かうのは愚策も良いところであった。

 

「やはり、"隠れ場"を通すこともできないのですよね?」

「カワヤの気配を探ってはみておるが、無理じゃのう。恐らく魔王が宮殿周囲を巻き込んでの強力な結界を張っておるんじゃ。これがかなり悪質なもんでな。下手につつくとアクマですら朽ち果てるまで囚われの身になりかねん。まあ、少なくとも人が通れるような道は下手につくれんなあ」

「そうですかあ」

 便所があるならば、何処にでも"隠れ場"を通すことができるのでは……? と思ったのだが、ちょっと虫の良すぎる発案であったようだ。

 やはり、異能に頼らず通行の可能な道を探し出す必要がある。

 

「かといって、今までの探索で宮殿に通じていそうな道なんて――」

 と、その時小生に天啓の如き閃きが下った。

 

「……そうだ、カンバリ様。貴方は歓楽街のあちらこちらでカワヤの掃除に励んでいたのですよね?」

「そうじゃな。だが、それが今の問題と関係があるのかのう?」

「何処の便器も"スライム"が詰まっていたのですか?」

 カンバリ様は少し考え、そう言えばと小生の質問に頷いた。

 

「詰まっておった。目に見える範囲では破魔の浄化を施しておいたが、それでも奥の方までは無理だったでな。まったくしつこい汚れじゃったわい」

 小生は彼の言葉を脳内で反芻し、トラちゃんさんに向き直る。

 

「トラちゃんさん。拠点下の"スライム"ですが、夥しい数の気配が感じられたのですよね。"どのような範囲で"感じられたんです?」

「んーと、網の目みたいな感じかしら? こう、多分下水道に詰まっているような、そんな感じ?」

 仮説の信憑性が強まった。小生は二人に言う。

 

「"スライム"を退治しながら、宮殿まで下水道経由で進みましょう。この世界が人間文化を模しているのならば、十中八九で宮殿と下水道は接しています」

 かくして、小生らは潜伏していた屋内の一部を取り壊して、下水道へと降り立った。

 

 戦闘はもっぱら、トラちゃんさんに任せっきりだ。

「マハブフーラ! もういっちょ、マハブフーラ! まだまだいくわよっ」

 何でも彼女は多少の消耗を、打ち倒した敵から生命力のようなものを吸い取ることで自己回復できるらしい。

 小生は温存にまわるカンバリ様と列を為して、トラちゃんさんの後をついていく。

 歩いてみて分かったことだが、この異空間は別段人間世界を完璧に再現しているというわけではないようだ。例えば、下水道に"スライム"は詰まっていても汚水の類は流れていなかった。トラちゃんさんが「湧き水が出ない」と言っていたが、とにかくこの世界は水気が少ない。

 いや、もしかしたら悪臭は再現されているのかもしれないが、デモニカの空気清浄機構がそれを感じさせなかった。

 鼻をつままずに済むというのは潜入経路としては願ったりだなあ、と内心でほっと息を吐く。

 

「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! ……詰まりすぎでしょ、どんだけいるのよっ! パンチしてやる!」

 トラちゃんさんの異能を受けて、たちまちに凍り付いた"スライム"の数々は、続く動作で彼女に拳を叩きつけられ、粉々に砕け散っていく。

 後にはどす黒い染み以外、何も残らなかった。

 他の"悪魔"たちと違い、"スライム"は顕現の仕方が不安定なのだそうだ。力を失えばただの液体と化し、地面へと吸われていってしまう。

 それはつまり、死体の処理に困ることはないということでもあり。突き進むのに面倒もなく、ぐんぐんと先に進んでいく。

 

「トラちゃんさん、大丈夫ですか?」

「へ、平気! 数が数だから面倒くさいけど、まあ雀の涙程度にはアタシの力として取り込めているし? ……ちょっと面倒くさいけど!」

 実際、戦闘の悉くを彼女に押しつけてしまっていることは申し訳なく思う。だからこそ、延々と続く駆除作業に業を煮やした彼女のジャッジメントに巻き込まれても、特に文句を言う気はなかった。

 むしろ、かなり先の"スライム"まで消し飛ばしていることに喝采を送りたいくらいだ。

 そうして、延々と下水道を突き進んでいき、モニターに表示されたマップ上で、宮殿と重なる部分へとたどり着く。

 少なくとも、宮殿のすぐ側にまで歓楽街の"悪魔"に気づかれることなく近づくことができたわけだ。

 だが、ここから先が問題であった。

 周囲を見回し、小生は顔をしかめる。

 

「うーん、やっぱり上に繋がっているのは配管くらいかあ。道ばたにマンホールなかったもんな……」

 一応、トラちゃんさんに隠されたゲートがないかも確認してもらったが、上層へと続く道は見つからなかった。

 

「地下にも"悪魔"の気配もなさそうなんですよね」

「んー、多分ね。"スライム"以外は皆、上にいる感じ」

「となると……」

 小生はバックパックからレンチを取り出し、周辺の壁を叩き始める。

 

「え、何してるの?」

「いや、向こう側に空洞がないか探してるんです。深さ的にはあると思うんですよね。小生の見立てだと……」

 こんこんと根気強く続けていくと、その内に"当たり"らしき手応えを感じた。

 

「ありました。ここ、掘りましょう」

「え!? 何で空洞があるって思ったの?」

 小生は親指をくいっと立てて、地上を指し示す。

 

「この宮殿、高層建築過ぎるんです。基礎を打ち込まなきゃ立ってられないですよ。設計的にはレトロな杭打ちの基礎もありえるんですが、まあ恐らく地下に空隙のできるベタ基礎の類だろうと……。それに、高層建築なら昇降の手間暇を考えてエレベータが設置されていてもおかしくないですからね。エレベータの入り口は普通1階のレベルに合わせて水平に作りますから、クッションになる部分を設置するためにも、当然地下にブランクを残してあるだろうと考えました」

 カンバリ様が「ほう」と息を吐き、トラちゃんさんが呆気に取られた表情を浮かべていた。

 小生はバックパックからアセチレン混合気体式のバーナーを取り出しながら、更に続ける。

 

「トラちゃんさん。今からこの壁をバーナーで炙りますから、赤く灼けたところを氷の異能で冷却お願いします」

「えっと、マハブフーラを当てればいいの? 分かったわ」

 彼女はいまいち理解しがたいといった様子で頷いていたが、小生が加熱した壁に異能をぶつけた瞬間、

 

「ふえっ!?」

 ピシリと乾いた音を立てて、壁にひびが生じたことに驚愕した。

「な、何で!?」

「あー、熱膨張と収縮の応用です。叩いた感じ、スチール材じゃなく石材だからいけるとは思ったんですが……、まさかこんな上手く行くとは思いませんでした。元々は、ちょっと脆くなればめっけもんだくらいの発想で。加重に無理があるのかな。それとも材質が外界と違うせいかなあ」

 ひび割れた壁の隙間をのぞき込むと、間違いなく壁の向こう側にほの暗い空間が広がっていた。

 再びレンチで壁を叩き、音響を確認する。

 

「……ちょっと響くな。ドリルまで使い始めたら流石に上に気づかれそうだ」

「そこな女神様にひび割れた壁を一瞬で殴り飛ばしてもらったらどうじゃ?」

「いや、それは流石に無茶では……」

「やってみましょうか。えいっ!」

 試してみたら、何と上手くいったではないか。

「は、はえっ!?」

 パァンと鈍い破裂音を伴って、広葉樹の枝みたいにひびの走っていた壁が砕け散った瞬間、小生の鼻からも鼻水が思わず飛び出てしまった。科学の無様な敗北に涙を禁じ得ない。

 

「ま、まあ気を取り直して……」

 宮殿の内部探索を開始することにする。

 小生らが入り込んだその場所は、予想通りにエレベータのクッション機構が組み上げられていた。

 昇降装置が動いていないが、本体は上層の何処かに吊り下がっているのだろう。

 とりあえず、"ギガンティック"のエースに連絡を取る。

 

『ハロー、こちらヤマダ。エース、聞こえますか? 宮殿内部へと侵入できましたので報告いたします』

『通信良好だ。自分で言って何だが、エースって呼ばれるのもアレだな……。まあ、いいか。オレは待機するだけで良いのか?』

『とりあえず、潜伏場所が何階か教えていただけますか――? あ、いや。やっぱ良いです。ただ待っていて下さい』

 通信してから、妙な違和感に気がついた。経験上、こういう違和感は大抵の場合はろくなことに繋がらない。

 通信を即座に打ち切り、トラちゃんさんに問いかける。

 

「上層に人の気配ってあります?」

 小生の問いかけに、彼女は目を細めて天井を見上げては答えを返した。

「かなりいるわね……。ただ、ちょっと変。動き回っているのもいる」

「えっ?」

 驚き、しばし考える。

 

「確認です。動き回っている人の近くに、"悪魔"の気配はありますか?」

「えーと。あるわ」

「追いかけられている感じですか?」

「そういう切羽詰まった様子ではないみたいだけど……」

 先ほどに感じた違和の正体に行き着いた。

 

「……まずったな。さっきの通信聞かれてたかあ」

「どういうこと?」

「多分、ここの"悪魔"に味方してる人がいるんです。脅されてか、進んでかは分からないですけどね。まあ、死んじゃってるより大分マシですけど」

 となると、状況はかなり切迫している。敵に回った"元味方"によってデモニカの識別反応を辿られれば、身を隠している"ギガンティック"クルーも直に見つけられてしまうだろうし、こちらもこちらとてミイラ取りがミイラになってしまう恐れすらあるだろう。

「そもそも、人間相手なんてなあ……」

 鎮静化していた胃腸のあたりがしくしくと痛みを訴える。

 うだうだと考えている時間はなさそうだ。

 

「とりあえず……、早く上に上っちゃいましょう」

 言って、バックパックから電動ウィンチを取り出して、エレベータの昇降に用いているはずのワイヤーに取り付けた。

「カンバリ様は……、浮遊できますね。トラちゃんさん。背中に乗って下さい」

「分かったけど……。何か、アンタ妙に慣れてるわね」

「前職で、反政府組織にやたら追いかけられたせいで、道なき道を逃げ回るスキルだけは磨かれたんです……」

 思い出しただけでも胃の痛みが増していくが、その経験が今になって役立っていると思うと複雑であった。

 

「行きますよお」

 ウィンチが稼働を始め、小生とトラちゃんの身体が宙に吊り下がる。そして、そのまま一定速度を保って上昇。

 下はなるべく見ないように心がけた。小生は高所恐怖症なのである。

 

「……孤立している人の気配を感じたら教えて下さい」

「分かったわ!」

 2階と3階は特に人の気配がなく、4階以降から等間隔に人の気配を感じ取る。恐らくは監禁されている同僚たちの気配だろう。更に5階。6階……。

 

「あ、待って。ここよ! 一人、妙な気配が入り交じってて分かりづらいけど、多分近くに隠れてる!」

 6階を通り過ぎようとする寸前に、慌ててウィンチを止めた。

「トラちゃんさん。ドア開けられます?」

「これくらいならね……、うぎぎ! っと、ほら」

 エレベータのドアは難なく開いた。確かに、壁をぶちこわすのと比べたらずっと難易度は低そうだ。改めて彼女の力には驚かされる。

 まず、カンバリ様がふわりとドアの外へ飛び出て、

「うりゃっ」

 更にトラちゃんさんが飛び移った。小生は二人に引っ張られての安全策でいく。上るのはいけたが、飛び移るほどの度胸はないのである。失敗したら怖いし……。

 

 宮殿の6階は何というか、不良貴族か成金の悪趣味を混ぜ合わせたかのような、ロココ調に装飾過多な空間になっていた。薄紫色のカーテンが提げられたあちらこちらから、女性の――多分"悪魔"なのだろうが――嬌声があちらこちらから漏れ聞こえてきており、トラちゃんの表情が不快なものへと変わってしまっている。

 

「アタシは生殖行為を否定しない。それは生き物が持つ"自然"な本能だから。でも肉欲に溺れて……、咎を重ねるのは絶対に駄目よ。ヤマダは快楽に負けて、アタシを貶めたりはしないわよね?」

「後半は良く分かりませんけど、そもそも小生童貞なんですよね……」

「なら安心ね!」

 言ってて恥ずかしくなりつつも、孤立した気配のもとへと急ぎ向かう。

 気配は、よりによって宮殿の隅。ダメージゾーンを越えた便所の中にあった。

「うーん」

 どうもシュバルツバースに来てからというもの、外界にいた頃よりも便所との縁が強まっているように感じられる。

 

「まあ、いいか」

 便所内は広く数十の個室に分かれていた。妙な気配が充満しているせいでどの個室に何が潜んでいるのかが判然としない。

 さっさと呼び声をあげるべきか、と一瞬考えたが妙な気配が気にかかる。外の連中に気づかれる危険性や、個室内に"悪魔"が潜んでいる可能性をも考えると、手早く、静かに一つずつ個室を確認していった方が良いだろう。

 

「ま、片っ端から開けていけばいいじゃろ」

 カンバリ様の意見に頷き、小生らは手分けをして個室の扉を開けていった。カンバリ様は手前から、トラちゃんさんは中央から、そして小生は奥からである。

 

 一つ目、何かがいる気配を扉の向こう側に感じ取る。

「……"ギガンティック"のクルーですか?」

 小声で呼びかけるも、応えがない。

 コンコンとドアをノックしてみると、ノックの返事は返ってきた。これは――、いよいよおかしい。

 

「……開けますよ?」

 鍵はかかっていなかったため、古めかしいドアノブを回して隙間から内部を窺うと、

 

「ワシの、自慢のイチモツがぁぁ、こんなふにゃふにゃにぃぃぃぃ……。おおぉぉぉ、力が足りぬうううぅぅぅ……」

 と名状しがたい形状の"スライム"が何かを嘆いていた。

 静かにドアを閉じて、バーナーでドアノブを溶接して封印を施す。これで、"スライム"が外部へ飛び出してくることもなくなっただろう。

 

 トラちゃんさんから「何かあったのか?」とハンドサインが飛んできたので、「お気になさらず」と返しておく。あれを彼女に見せるのは、何というか絶対ダメだと思う。

 

 二つ目の個室には、何もいなかった。

 臭い消しだろうか? お香のようなものが脇に備え付けられていたため、それは頂くことにする。世の中、何が必要になるかは分からない。

 

 更に三つ目の個室をそっと開ける。

 これははっきり言って迂闊であった。一つ目の"スライム"と二つ目の不在が、小生の警戒心を弱めていたのだろう。

 中を窺い見た瞬間、小生は目を見開く。

 

「えっ?」

 中にいたのは、半透明の少女であった。

 便座に腰掛け、うずくまっては身体をふるわせている小学生くらいの少女であった。白いシャツに赤い吊りスカートを身に纏っていて、その髪型は古めかしいおかっぱ頭だ。

 小生はその正体に察しがついた。

 少年時代から、プレッシャーに見舞われた際にはトイレに駆け込んでいた自分にとって、"彼女"という都市伝説は何年も身近に感じていた存在であったからである。

 

「ヤマダ、人の子いたわよ! ヤマダ!」

 トラちゃんさんの声が実際よりもずっと遠くから聞こえてきた。

 ……まずい兆候だ。気づけば、移動した自覚もないのにいつの間にやら個室の中へと呼び込まれている。

 "マカーブル"の時のように、この個室という空間が切り離されつつあるのかもしれない。

 ただ、不思議とすぐに逃げ出そうという気にはならなかった。

 目の前の少女が震えて泣いていたからである。

 

「……もしかして花子さんですか?」

 おかっぱ頭の少女は、こちらを見上げて目を赤く腫らしながら頷き、答えた。

 

「お母さんには……、はなこがここにいること"絶対に言わないで"ください」

 途端、胸が締め付けられるような不快感を覚える。多分、何らかの異能をかけられたのだ。黒豚の呪殺に近い何か――、命の危機に身の毛がよだつ。しかし、

 

「……わ、分かりました。ちゃんと"約束"しますね。"絶対にここに君がいるなんて言いません"。指切りします?」

 小生は笑顔を無理矢理作って快諾した。

 故郷に伝わる、"彼女"という都市伝説にはいくつかのバリエーションが存在するが、母親から逃げ隠れるパターンと言えば、遠野の都市伝説が有名だろう。

 都市伝説といっても、悪霊の類ではない。生前の彼女が遭遇したとされる悲劇のエピソードだ。 

 曰く、無理心中を図る母親から"彼女"は学校のトイレへと逃げ隠れた。"彼女"を見つけた用務員が、母親にそれを知らせ、"彼女"は後日に変わり果てた姿で発見された。

 故に、彼女の霊は今もトイレに囚われ続けている。そう、子どもの時分に聞き知った。

 

「ただ……」

 小生は、もし彼女と出会えたならかけてやりたいと、常々思っていた一言があった。

「もし、外が安全そうだったら、外に出てみませんか? ずっとトイレにいるだけでは息が詰まってしまいますから」

 "彼女"はおっかなびっくり頷き、手を差し出してくる。

 

「いきますよ……。指切り、げんまん……。指、切った」

 半透明の小さな指と耐衝撃性のグローブ越しに、小生は"彼女"と指切りを行った。絡めた小指を離した瞬間、小生の身体は個室の外へと弾き出される。

 どうやら、何事もなく生還できたようだ。

 こわばっていた全身から、どっと冷や汗が吹き出していき、小生はへなへなと床に座り込んた。

 

「ヤ、ヤマダ。どうしたの!? その中で何があったの?」

「あっ、いや……」

 慌てて抱き起こそうと近寄ってきたトラちゃんさんを手で制して、小生は言う。

 

「何でもないんです。中には何もなかったです。それよりも、遭難者の方は……?」

 と便所内を見回すと、カンバリ様からそう遠くない場所に、デモニカスーツを着た隊員の姿を認めることができる。精悍な顔つきの青年で、肩に提げたマシンガンを腰溜めに構えていた。

 

「化け物と、調査隊の人間……?」

 困惑して呟く彼の片手にはナイフが握られており、その切っ先は赤色とは異なる人外の血で汚れている。

 小生は焦り、青年に呼びかけた。

 

「ま、待って下さい! こちら、"エルブス"クルーのヤマダです。撃つのも切るのも待って。この方たちは小生を助けてくれた神様なんですよ!」

 しかし、彼はあくまでも体勢を低くしたまま睨み合いを止めようとせず、銃口はカンバリ様へ、切っ先はトラちゃんさんへと向けられたままだ。

 仲間割れという最悪の事態が、まず脳裏に浮かびあがる。

 故に。小生は咄嗟に諸手をあげて降参のポーズを取った。

 

「何の真似だ」

「……ここで戦闘は厳禁です。」

 諸手を挙げながら、顔だけで周囲への注意を彼に促す。

 ここは敵地で、彼は逃亡者。そして小生らは、潜入調査の真っ最中だ。

 とにかく、不用意に敵にこちらの所在を知らせることだけは避けねばならなかった。

 こちらの譲歩を見て青年の顔に逡巡の色が浮かんだ。が、警戒を解くには至っていない。

 両者のにらみ合いが続く中、

『ストップだ、相棒(バディ)。このまま無為に時間を過ごしても状況が悪化するだけだろう。ここは彼にいくつかの条件を課して、とにかく情報収集を図るべきだと考える』

 突如、"バケツ頭"越しに機械音声が聞こえてきた。

 

「えっ? この声は一体……」

 状況から考えて、音声は青年のデモニカから発せられているようだ。

 だが、デモニカのサポートプログラムにこんな人格再現型のAIは組み込まれていない。

 困惑するこちらをよそに、青年は表情を歪め舌打ち混じりにこちらに呼びかけてきた。

 

「"ダグラス"……。分かった。おい、お前! さっき通信をくれたのは、お前か!?」

「は、はい!」

「何故、化け物どもと共に行動している。オレを騙したのか!?」

 小生は"エルブス"号のクルーが今までに辿った数奇な経緯を手短に説明する。

 青年はあくまでも半信半疑であったが、小生の頼みを受け入れ、トラちゃんさんたちが青年と小生から距離をとる様子を見て、ようやく警戒レベルを一つ下げてくれた。もっとも、小生はナイフを突きつけられて人質のような体になってしまったが。

 

「さ、さっきの機械音声は何なんです?」

「……"ギガンティック"号由来の疑似人格プログラムだ。艦を放棄する際に、一部の人格データを追加アプリケーションとして、オレのデモニカへ移行させた。しかし……」

 ここで、青年はようやく深く息を吐いて肩の力を緩めた。

 

「少なくともこの化け物どもがお前の味方だっていうのは、間違いがなさそうだな……。お前を人質にとってからというもの、化け物どもの殺気をびんびんと感じるぜ」

「ヤマダを離しなさいよ! 助けてあげるっていうのに、何でそんなひどいことするのよ!」

 トラちゃんさんに至っては、怒髪天に達する勢いで拳を握り固めている。これ以上刺激をすれば、小生を蘇生させること前提で、強硬手段に及んでもおかしくはない。

 青年がナイフをおろし、小生に対して頭を下げる。

 

「オーケイ……、悪かった。お前はオレにとって恩人だ。ただ、オレもどうにかしていたらしい」

 生命の危険から解放されて、再び小生は床に座り込む。鉄火場はいつまでも慣れそうにない。

 

「ヤマダ!」

 青年は、小生がトラちゃんさんに抱き支えられるところを見て、素直に驚いているようであった。こちらとしても何だか気恥ずかしい。

 咳払いまじりに小生は口を開いた。

 

「とりあえず、情報交換しませんか?」

「あ、ああ。そうだな……」

 青年の口からは、この宮殿の最上階へと墜落した"ギガンティック"号と、そのクルーたちが辿った道のりが語られていった。

 何でも、不意の事態に見舞われた"ギガンティック"号のクルーたちは最初期の混乱と襲撃を自力ではねのけることができたらしい。

 

「よく"悪魔"たちを退散させられましたね」

「奴らを、お前たちは"悪魔"と呼んでいるのか……。いや、奴らには銃もナイフも通じたからな。物理攻撃が通じるということは、殺すことだってできるってことだ。幸い、俺たちは戦闘経験のある機動班ばかりで構成されていた。"レッドスプライト"のエリート様と比べたって、単純な戦闘力では負けていないってのが良かったんだろう」

 青年の言葉の端々には歴戦の兵士としてのプライドを感じ取ることができた。しかし、と青年は顔を曇らせる。

 

「直に格の違う化け物がやってきたんだ。二度目の襲撃でやってきた奴らに、まずうちの隊長が丸焦げにされた」

「それは、どんな"悪魔"なんです?」

「孔雀の羽根だか尾だかが生えた、馬面の化け物だった。羽根の一枚一枚から高温の炎をまき散らし、とにかく手がつけられない」

 青年の言葉に、先ほどまで不機嫌そのものであったトラちゃんさんが仰天した。

 

「……堕天使"アドラメレク"!? 地獄の上院議長、混沌勢力の顔役じゃない。良く生き延びることができたわね」

 彼女の反応を見るに、"ギガンティック"号のクルーを襲ったのは、相当な高位悪魔のようだ。

 青年は当時を思いだしているのか、顔色を青くして、更に続けた。

 

「あいつは……、C4爆薬の直撃にも平気で耐えやがったんだ。それで散々に追い掛け回され……。あんな滅茶苦茶な奴。今でも手傷を負わせて追い返せたことが不思議だと思えるぜ」

 言って、身体を震わせる。相当な地獄を経験したのだろう。目の焦点が定まっておらず、呼吸が荒くなっていた。

 そこに"ダグラス"の機械音声が割って入ってくる。

 

『だが、成形炸薬弾によるモンロー・ノイマン効果を期した物理攻撃は比較的有効に働いていた。決して勝てない相手じゃない』

「んなもん、無理に決まってる」

『相棒、物理攻撃が効くのなら殺すことだってできると言ったのは君自身だ』

「……揚げ足を取るな」

『更なるデータが入手できれば、もっと有効なプランを提示してみせる。保証しよう』

「データのためにまず死ねって言うのか! このクソAIがッ」

 あくまでも機械らしい冷静な口調で展望を語る"ダグラス"に対して、青年が癇癪を起こしてヒステリックに叫んだ。

 しかし、"ダグラス"は堪えた様子もなく更にまくしたてる。

 

『……あの"悪魔"と称される未知の生命体がシュバルツバースの外に出ることがあれば、それこそ人間社会は破滅の一途を辿ることだろう。データは集めなければならない。"悪魔"に対抗するための手段が、人類には必要なんだ』

「んで、そのための人柱がオレたちってわけか? 寝言は寝て言え!」

 理性の申し子とでも言うべき人格プログラムと、感情が重きを占める人間とでは意見が合わないのも無理からぬことであった。このまま会話を続けたところで、両者の関係に溝を深めるだけだろう。

 小生は恐る恐る口を挟んだ。

 

「とにかく……、この宮殿を脱出して、小生らの拠点に向かいましょう。水も食べ物もありますから。落ち着くと思いますよ」

「水……、分かった」

 青年は喉の渇きを訴えるように、ごくりと喉を鳴らして頷いた。

 小生はトラちゃんさんに支えられて立ち上がり、原子時計へと目を落とす。

 少し時間をかけすぎたかもしれない。

 

「エースさん、それにええと、"ダグラス"さん。急ぎ、ここを離れましょう」

「……オーケイ、脱出ルートは確保できてるのか?」

「潜入経路をそのまま辿れば、外には出られると思います。ただ……、トラちゃんさん。周囲に"悪魔"の気配はありませんか?」

 小生に問われたトラちゃんさんが、鼻をくんくんと働かせて周囲を窺う。そして、

 

「あー……。結構いるわね。ばれたかまでは分からないけど、少なくとも一度もアクマに遭遇せずに宮殿から出るってのは無理みたい。というかさ、アンタが調べてた個室からも感じるんだけど――」

「あ、それは無視して大丈夫です。何もいませんでした?」

 言っておいてなんだが、3番目の個室からじろじろと"見られている"気配を小生はひしひしと感じ取っていた。これは信頼関係の問題であり、おそらく生命にも直結するフェイタルな契約だ。決して小生の口から事情を語るべきではないと肝に銘じる。

 

「……どうした? 脱出するんじゃないのか?」

 事情を知らぬ"ギガンティック"の青年は何のことだか分からないといった表情を浮かべており、カンバリ様は小生を黙したままに見つめていた。

 カワヤの神様なのだから、もしかするとカンバリ様には事情が分かっているのかもしれない。

 トラちゃんさんはというと、納得はできない様子であったが、深く追求しようという気もないようであった。

 

「……そう? まあ、アンタがそれで良いんなら、良いけどね」

 そう言って、すぐに頭を切り替える。

 これは彼女の美徳だろう。信頼すると決めたものを、全面的に信頼しきるというのは決して容易いことではないのだ。

 彼女はぐるぐると腕を回し、ぱしんと手のひらに拳をたたきつけた。

 

「それじゃあ――、下までさくっとアクマたちを蹴散らしていきましょうか」

 その表情はまこと自信に満ちあふれていて、小生の持ち合わせるなけなしの勇気を呼び起こしてくれる。

 光明なのだ、彼女は。

 この外界から途絶された"悪魔"の領域にあって、人間の命を救おうとしてくれる光明こそが彼女であった。

 だからこそ、何の疑問も抱かずにその後ろについていくことができる。

 小生は頷き、意気揚々と前を行く彼女を追って便所の外へと踏み出した。

 

 

 

「アッ」

 と同時に、やたらとうじゃうじゃ廊下を飛び回り、駆け回る大型のモザイクと対面を果たす。

 どうやら未知の"悪魔"であることは間違いないようだ。

 

『"エルブス"のヤマダ隊員。データリンクの承認を頼む。こちらには奴らの解析データの蓄積がある』

 "ギガンティック"のサポートAIから、"悪魔"の解析データが送られてきた。

 解析に従い、モザイクが肉体へと置き換わり始める。

 まず、でっぷりとした毛むくじゃらの巨躯に山羊か牛の頭を乗せた怪物が数体。

 そして燕尾服を着込み、燭台を手に持ったしゃれこうべの紳士がまた数体。

 "ハーピー"とは違う、羽根を持った緑色の女性もまた数体。

 それに――、

 

「うげっ、"フォーモリア"に"ビフロンス"、"コカクチョウ"……」

 トラちゃんさんの顔色が変わった。 

 というか、"コカクチョウ"って姑獲鳥のことだろうか? あれって、某小説家の小説タイトルでしか知らないんだけど……。

 

「と、トラちゃんさん……、ここはどう動けば?」

 すがるように問いかけると、彼女はぐぬぬと歯を食いしばりながら口惜しげな目つきで後方に控える面々を睥睨した。

 

「……走るわよ」

「へっ?」

「一体ならまだしも、あんなうじゃうじゃと来られたらまだ勝てないじゃない! ここは逃走あるのみよ! とりあえず、出し抜けのマハブフーラッ!」

 言うが早いか、彼女がお得意の異能を手のひらから放つ。

 彼女のマハブフーラは、装飾過多な廊下を瞬時にして氷柱のぶら下がる冷凍空間へと変質せしめ、同時に"ビフロンス"と"コカクチョウ"の群れを、物言わぬ氷像へと作り変えた。

「す、すげえ……」

 "ギガンティック"の青年が絶句しているが、トラちゃんさんの表情は優れない。

 残る"フォーモリア"に全くダメージを受けている様子が見られなかったからだろう。

 

「うん、分かってた! やっぱ逃げるわよ。ほら、早く!」

「は、はいっ」

 エレベータへ向かって駆け出した瞬間、攻撃を受け激昂した"フォーモリア"の群れが、小生らを追いかける雪崩と化した。

 

「う、うおお!?」

 物凄い密度だ。廊下を進む曲がり角という曲がり角に衝突しながらも、無理矢理なカーブを決めては猛追を続ける彼らの豪快さには戦慄を覚える。

 小生と"ギガンティック"の青年は廊下を並び、必死に走った。

 走力には自信があったが、ちょっと振り切れる気がしない。それほどまでに、"フォーモリア"たちの勢いは凄まじかった。

 

「ちょっと、あのヤギ頭。さっきから、コロス、コロスって後ろで叫んでるんですけどっ!?」

「化け物が人間様を殺すのは当たり前だろうがよっ!」

 "ギガンティック"の青年が悪態をつきながらもマシンガンで反撃を試みる。

 "エルブス"の強面にも比肩する正確無比な射撃。だが、やはりやはり目立ったダメージは与えられていないようだ。

 

「"ダグラス"! 戦闘解析を頼むッ。奴は何が弱点だッッ!」

『オーケイ、相棒。15秒くれ』

「長すぎだ、バカヤロー!!」

 5秒もしない内に、小生らの背中にまで食らいついてきた"フォーモリア"の第一陣が、人の胴体ほどある豪腕を高々と持ち上げ、小生らの頭上へとその拳を振り下ろしてきた。

 歴戦の経験も手伝ってか青年は即座に回避行動へと移ったが、小生に回避はできなかった。

 "見えて"はいても、身体が追いつかないのだ。

 両手で身体をかばうようにし、続く痛みを覚悟する……、が衝撃のひとつもやってこない。

 

「テトラカーン」

 カンバリ様の異能であった。

 "マカーブル"を一撃で葬った物理反射の障壁が、第一陣を後続もろとも遠くへと吹き飛ばす。

 目を丸くする小生らに対し、カンバリ様が涼しげに言う。

 

「時間稼ぎにしかならんぞい。ほれ、えれべーたとやらを目指して走れ。走れ」

「あ、ありがとうございますっ!」

 危機一髪のこの状況において、貴重な時間を稼ぎ出せたことは何よりも大きい。

 走り、走り、そして6階のエレベータへと辿り着く。

 かごは現在7階にあるようであった。ボタンを押して、6階への到着を待つ時間も惜しい。

 

「トラちゃんさん!」

「分かってるわよっ」

 トラちゃんさんが掛け声と共に、エレベータのドアを思い切り開く。

 そして上りと同様にウィンチを取り出し、ワイヤーロープへと手をかけ、

 

「あっ、無理です。小生」

 あまりの高度に二の足を踏んだ。

 

「じゃあ、飛び降りるわよ。カンバリはそっちのお願い!」

「ほいよ」

「あっ、ちょっ。ヒエッ……!」

 肩に担がれ、一瞬の浮遊感。

 次の瞬間、トラちゃんさんとともに小生の身体は1階へと直通で続く吹き抜けの暗黒空間へと躍り出た。

 

「いや、いやいやいやいや!?」

 とてつもないマイナスGが下腹部を襲う。当然、小生は失禁した。

 これは死ぬ。"アケロンの川"が既に見える。死ぬ。死んだ。

 

「死んでないでしょ!」

 トラちゃんさんが吼えた。落下中に姿勢を制御して、エレベータのワイヤーロープを片手で掴み、制動をかける。

 見る間に落下速度が緩んでいくが、それより彼女の手が心配だった。

 

「トラちゃんさん、手が……っ」

「後で回復するから平気!」

 頭上で何かがひしゃげる音がした。あの"フォーモリア"の群れがエレベータのドアを粉砕したのかもしれない。

 小生は叫んだ。

「落下物来ます! 頭上に気をつけてっ」

 その声に反応したカンバリ様が青年を大足に乗せながらも機敏にドアを避けてみせる。

 しかし、問題は小生らだ。ロープを握って降下している手前、あちらほど自由な回避行動を取ることができない。

 重量のあるエレベータのドアがギロチンのように小生らの頭上へと迫り落ちてきていた。

 あー、これは――。

「ちょっと、ヤマダ!?」

 小生は肩に担がれたまま、壁を思い切り蹴飛ばして無理やりな回避行動を試みた。

 "見える"からこそ分かることもある。

 あれを完全に回避するというのはちょっと無理だ。だから、トラちゃんさんだけでも五体満足で下ろす努力をした方が、理にかなっている。

 急にこちらが暴れたせいで、トラちゃんさんの小生を担ぐ手が緩まり、小生は空中に放り出された。

 

「ヤマダ! ヤマダ!?」

「落ちたところで蘇生してくださいッ!」

 落下死もドアで真っ二つになるのも真っ平ごめんだったが、二人共死ぬというのは小生だけが死ぬよりもずっとまずい。

 

「ぐえっ――」

 と格好つけてみたものの、放り出された身体に襲い掛かるエレベータのドアは洒落にならないほど痛かった。

 即座に意識が遠のいていき、視界も黒く塗り潰されていく。その中にあって、

 

「あれ?」

 エレベータのお代わりだろうか?

 頭上から黒よりも暗い漆黒の何かが自由落下に勝る速度で、小生の目の前にまで迫って来た。

 

「堕天使を退散せしめたニンゲンどもと、我が知恵を貸し、築き上げた宮殿に土龍攻めを成功させたニンゲンがいると聞いて飛んで参ったが――」

 ああ、分かった。

 これは鳩だ。鳩が貴公子の身なりをして、サーベルまで提げて飛んでいるのだ。

 鳩は老人にも似たしわがれた口調で、更に続けた。

 

「小を捨て大に就く……、とは。戦術が存外分かっておるものよ。愉快である。ただ、やはり弱く、秩序にも偏っておるな……」

 ――駄目だ、もう意識を保てそうにない。

 

「これは、手を差し伸べるならあちらのニンゲンか……。おい、ニンゲン。我の名を呼べ! 畏れ、刮目し、そして契約せよッ!」 

 "ギガンティック"の青年が何かを叫び、鳩が目を赤々と光らせて、腰に提げたサーベルを引き抜く。

 そして、小生は意識を手放した。

 鳩ってくっそ強いんだなあ、と素っ頓狂なことを考えながら――。

 


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