聖陵院武谷は勇者である   作:ソウブ

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2話 終末戦争の始まり

 

 

 

 綺麗な音色が、心地よく耳朶を打つ。

 彼女はピアノを演奏する。

 ぼくはそれを聴く。

 この音楽室には、ぼくと彼女だけ。

 美しく長い水色の髪を揺らしながら、彼女は整った相貌を真剣に染め、指を、体を動かす。

 ぼくはその光景が好きで、彼女の演奏する曲が好きで。

 今日も、ここにいる。

 

 

 

 西暦二〇一八年、九月新学期。

 

 ぼくはいつもよりかなり早めに登校していた。 

 あまり寝付けなくて変な時間に起きてしまったから、なんとなく教室に来てみたんだ。

 

 自分の席に座り、ミュージックプレイヤーを学生鞄から取り出した。

 プレイヤーに繋がったヘッドホンを被り、曲を流す。

 このピアノ曲を聴くと、いつも心が落ち着いていく。

 優しい記憶に直結しているからだろう。

 

 と。

 ガラガラ。開けられる教室のドア。

 入ってきたのは若葉さんだ。

 ぼくを見止めると、少し目を丸くする。

 

若葉「今日は随分と早いんだな。おはよう」

武谷「おはよう。うまく寝つけなくてね、変な時間に起きただけだよ」

 

 挨拶を交わした後、若葉さんは箒を持って掃除を始めた。

 ド真面目だな、と思う。

 僕は席から立ち上がった。

 

武谷「手伝うよ」

若葉「軽く掃除する程度だ。これぐらい私一人で出来る」

武谷「だからって見てるだけというのもなんかいやなんだよ」

若葉「……そうか。お前がしたいのならば問題ない」

 

 ぼくも掃除ロッカーから箒を取り出し、床にある少しのごみを掃き始める。

 

武谷「若葉さんはよく眠れた?」

若葉「ああ、だが、それは人と話す時ぐらい外したらどうだ」

 僕の頭を指さして(たしな)めるように言う。

 なんのことだ? と一瞬考え頭に手を当ててすぐに気づく。

 ヘッドホンを被ったままだった。

 着けていることが多いと、その感触が自然すぎて気づかないことはよくある。

 

武谷「ごめんね」

  ヘッドホンを外して首にかけた。

若葉「それと、寝癖がついてるぞ」

武谷「本当ですか?」

 慌てて手で(きん)して整えようとするが、これだけでは直らないだろう。

若葉「君も勇者なら、もう少ししっかりしてくれ」

武谷「ごめんね」

若葉「あと、寝癖はここだ。水道で水を使って直してくるといい」

 ぼくの頭の一部分を指さして言った。

 

球子「おはよー!! ああっ、また若葉が一番乗りかぁ。って、今日は武谷もいる!」

 若葉さんと話している内に、タマさんが登校して来た。

 タマさんと仲のいい杏さんも後ろから続いて入って来る。

 

 今日も杏さん可愛いな。ぼくのドストライクな容姿をしている。

 天使の柔肌みたいな白い肌。慈母の如き優しげな表情。守ってあげたくなるようなオーラ。これこそが、ザ、女の子だ! といわんばかりに女の子女の子しているかわいい女の子だ。

 だからといって恋慕している訳ではないが。

 

球子「おい武谷! あんずはかわいいがお前には他にいるだろう! それに寝癖つけたまま言ってもしまらないぞ!」

武谷「ぼく口に出してたかな?」

球子「そんな顔をしていた!」

武谷「そう? あと他にいるってなに?」

杏「かわいいって……え、えと、あの……」

 顔を赤くして戸惑う杏さん。

 目の前でこんな話をされたらそれはそうなるか。

 かわいいけど。

 

球子「それにしても、昨日の様子が嘘のようなおどおどっぷりだなあんず」

杏「き、昨日のは初めてあんな光景を見れて、少し興奮してはっちゃけてしまっただけですっ」

 杏さんは顔を赤くしている。

 二人はいったい何の話をしているのだろう。

 

ひなた「おはようございます、皆さん」

 次はひなたさんが登校して来た。

ひなた「――それはともかく武谷さん」

 ひなたさんが、ぐぐいっ、と近づいてきて眉を八の字にしながら指を一本立てる。

ひなた「浮気はいけませんよ? 私は若葉ちゃん一筋です」

 

 なぜかしてもいないことで叱られた。

 浮気?

 どういうことなの。

 それにひなたさんが若葉さん一筋なのは関係ない。

 

千景「…………」

 騒がしい朝の中、千景さんが教室に入って来る。

武谷「おはよう、千景さん」

千景「!? ……お、おは、おはよう……聖陵院、くん…………」

 

 千景さんの様子がおかしい。

 明らかになにかに動揺している。

 目の下に薄い隈ができている。

 眠れなかったのだろうか。

 

 もしかして、昨日のことが原因なのかな。

 急にあんなこと宣言して、悩ませてしまっただろうか。

 だとしたら悪いことをしてしまった。

 

武谷「千景さん、昨日のことだけど」

千景「!?」

武谷「あまり深く考えなくてもいいよ、ただぼくがそう思ってるということを知っていてもらいたかっただけだから」

千景「そ、そう……」

 

 なぜか周囲の三人はニヤニヤとぼくらを眺めていた。

 変な勘繰りをされているのでは。

 訂正するのも面倒だけれど。

 

友奈「おはよーございまーす! 高嶋友奈、到着しました。良かった、遅刻じゃない!」

 最後の一人が登校すると、こちらへと足を進めてきた。

千景「おはよう……高嶋さん」

武谷「おはよう友奈さん」

友奈「おっはよー、ぐんちゃん! たけくん!」

千景「今日は……遅かったね」

友奈「うん。昨日、格闘技のテレビ番組を見て、見よう見まねで練習してたら興奮しちゃって眠れなくなっちゃって。てい! 縦拳! 回し蹴り!」

 

 友奈さんが激しく動いた。

 そう、スカートをはいた女の子が足を高く上げたんだ。

 

武谷「お……」

 見え……。

 直前、ぼくは、それを見てはいけない思いに駆られた。

 

 視界の隅に、千景さんが右手をピースにするのが見える。

 ぐさっ。

 

武谷「ギャーー!」

 

 千景さんに目潰しされた。

 

球子「あははははははっ!!」

 腹抱えて爆笑された。

 今目が痛くて抑えているのでその腹立つ光景は見れない。

 

千景「高嶋さん……あんまり足、高く上げない方がいい……パンツ、見えそうだから」

友奈「あ! えへへ……」

 恥ずかしそうにスカートを抑える友奈さん。

千景「気をつけて……ケダモノもいるんだから」

 

 千景さんはぼくに視線を向けて言う。

 そのケダモノってのは誰のことなのか。

 

友奈「そうだね。男の子がいる前ではしたなかったね」

友奈「それよりぐんちゃん、眠そうだけど大丈夫?」

千景「うん……大丈夫」

 千景さんは、また視線をぼくに向けたのだった。

 

 

 

 午前の授業。

 教室の壇上で教師が基本的なことを説明していく。

 

 バーテックスという人知を超えた化け物は、突然現れ、人類のほとんどを死に追いやった。

 通常の兵器は全く効かず意味を成さない。

 (たお)せるのは勇者のみ。

 四国や一部の地域は土地神に護られ、人類はあと一歩のところで抗っている。

 

 そう、勇者。

 勇者とは本来幼い少女しかなれない。穢れを忌み嫌う神に触れることができるのは、無垢な少女だけだから。それは神の声を聞く巫女も同じ。

 勇者適性を持った特別な者、選ばれた一部の無垢な少女が土地神から力を授かり勇者となる。

 

 けれどぼくは男だ。

 そして無垢でもない。

 しかし勇者である。

 

 理由は、恐らく。

 ここでいう勇者とは、また別の法則に則った勇者だからだろう。

 

千景「どうせだったら……土地神が戦えばいいのに……」

球子「多分、戦ったんだと思いますよ。ほら、バーテックスが攻めてくる前に、地震とか災害とか起こってましたし。あれ、土地神がやりあってたせいだったんじゃないですか」

千景「…………」

 ムッとしたように黙り込む千景さん。

武谷「ぼくに任せてくれていいよ」

千景「…………」

 一瞬だけ千景さんはこちらを見た。

 

 

 座学を終え、来たるべき戦いに備えるための戦闘訓練を経て、昼休み。

 ぼくたちは七人全員で食堂へ向かった。

 セルフサービス形式の食事だが、みんなうどんを取って来る。トッピングはそれぞれ違うが。

 ぼくも流れでいつもうどんを取って来てしまう。好きなのを食べればいいのだろうけど、うどんも普通に好きなので。

 

 談笑しながら食事していると、タマさんがボヤくように言った。

球子「……にしてもさー、毎日毎日訓練訓練って。なんでタマたちがこんなことしないといけないんだろーな」

ひなた「バーテックスに対抗できるのは勇者だけですからね……」

球子「そりゃ分かってるよ、ひなた。でもさ、普通の女子中学生って言ったら、友達と遊びに行ったり、それこそ恋……とかしちゃったりさ。そういう生活をしてるもんじゃん」

 

若葉「今は有事だ、自由が制限されるのは仕方あるまい」

球子「う~ん……」

若葉「我々が努力しなければ、人類はバーテックスに滅ぼされてしまうんだ。私たちが人類の矛とならなければ――」

 

 タマさんが声を荒げそうな顔で口を開きかけたとき。

 ぼくは思わず口をはさんだ。

 

武谷「ぼくがいつかそんな生活ができるようにするよ」

 タマさんを見てぼくは言った。

球子「武谷ひとりでそんなことできるのかよ……」

 勢いをそがれたように力無くタマさんは言葉を返してくる。

若葉「心意気は良いが、それはいささか大言壮語だと思うぞ」

武谷「難しいことはわかってるよ。それでもそのぐらいの気持ちでぼくはいるってことだよ」

 

 本当は、難しいどころの話ではないだろうけれど。

 若葉さんの言ったとおり大言壮語かもしれない。

 無駄に希望を持たせて後でタマさんにショックを受けさせないように言ってくれた言葉であろうことも分かる。

 

 それでもぼくは言葉を撤回したりしない。

 絶対に。

 

友奈「ごちそうさま! 今日も美味しかった!」

 

 場の暗い空気に差し込まれる明るい声音。

 

友奈「どうしたの、みんな? 深刻な顔して」

若葉「……友奈……さっきまでの話、聞いていなかったのか?」

友奈「え、えっと……ごめん、若葉ちゃん! うどんが美味しすぎて、周りのことが意識から飛んでっちゃって……」

 

 全員一斉のため息。ぼくは苦笑交じりに。

 この明るさは、綺麗で尊いものだと思うから。

 ――失われてはならない、救われるべきものだと、思うから。

 

友奈「ええ!? なんでみんなため息つくの!?」

 友奈さんは心外だと言うように周りを見回して、

 

友奈「大丈夫だよ。私たちはみんな強いし、みんなで一生懸命頑張ればなんとかなるよ!」

 

 笑顔で、そう言った。

 

 

 

 放課後、ぼくと若葉さんは放送室に来ていた。

 白鳥さんからの定期連絡を待っているが、何度も二人で諏訪へ通信で呼びかけても応答がない。

 

 焦りは募った。

 心臓の鼓動が早まる。

 チリチリと記憶が刺激される。

 

 夜になってようやく、回線が繋がった。

 

歌野『すみません……ザー……さん、せい……ザー……さん。少々こちら……ザー……ごたついておりまして』

 ノイズが多い、回線が安定しない。

若葉「いや、構わない。何かあったのか?」

歌野『本日午後、バーテックスとの交戦がありました』

若葉「……被害は?」

歌野『問題ありません……ザー……敵は撃退。人的被害は無しです』

若葉「そうか……」

 

 無事でよかった。

 ぼくと若葉さんは安堵の息をつく。

 記憶のチラつきは一旦鳴りを潜めた。

 

歌野『四国の状況はどうですか?』』

若葉「変わりない。こちらはバーテックスの侵攻もなく、訓練と学習の一日だった」

歌野『そう……ザー……安心しました』

 

 若葉さんは今日の昼に起こったことを白鳥さんに話した。

 みんなの不安とか、相談するように。

 

若葉「聖陵院も困ったやつでな。もしかしたらこいつが一番協調性がないかもしれない」

武谷「本人を前によく言ってくれるね」

 

歌野『そうですね……私も始め、似たような悩みを抱えていました。しかし、いずれその心配はなくなります……ザー……現実は想像よりも遥かに重く、私たちに決断を迫るのですから』

 

 それは、わかっていた。

 

 

 

 

 日々は変わりなく過ぎる。

 いつもと同じ、授業、訓練。

 大きな問題は起こらず、ただ過ぎた。

 

 諏訪とのノイズ交じりの通信も毎日行われた。

 一日、一日と消費され、続いていく。

 

 変わらない毎日のはずだった。

 

 だが、諏訪からの定期連絡は次第に時間が不安定になり、一日中繋がらない日も増えてきた。繋がってもノイズが大きく、聞き取りづらい。

 

 また焦りが襲い来て、記憶が過ぎった。

 息が辛い。

 

 そして数週間が過ぎた頃、諏訪の異常は決定的になった。

歌野『ごめんなさい、通信……ザー……悪くて……ザーー……』

 疲労がありありと伝わる声。

武谷「何があったんですか!」

若葉「聖陵院、落ち着け。白鳥さん、どうした? 何かあったのか」

歌野『……いえ、ちょっとしつこいバーテックスを退治してやっただけ……ザー……ックスの襲来の影響で通信機が壊れて……ザーー……しばらく通信はできなくなりそう……ザーー……そちらも大変だと思いますが頑張って……ザーー……なんとかなるものです。私も無理な御役目かと思いましたが……ザーー……予定より二年も長く続けられて……ザーーー……』

若葉「白鳥さん!? 聞こえているか!?」

武谷「白鳥さん! ぼくはあなたに生きてほしい! 死なないでください。せめてぼくが助けに行くまで!」

 今までの溜まった焦りとかをぶちまけた。

 長い長いノイズが続いた後――

歌野『……心配してくれてありがとう。優しいんですね、聖陵院さん。その優しさを、近くの人に向けてあげて。……乃木さん、後はよろしくお願いします』

 

 その言葉を最後に、通信は途絶えた。

 

武谷「…………」

 

 白鳥さん、やめてよ。それじゃまるで

 

 死ぬみたいじゃないか。

 

武谷「……今から助けに行くよ」

 

若葉「やめろ。無駄に命を散らすだけだ」

 

武谷「でも! それだと、白鳥さんが……!」

 

若葉「絶対に行くな」

 

 若葉さんはぼくの腕を掴んだ。

 その顔は、悲痛に染まっていた。

 

 助けに行きたいのはぼくだけではない。

 悲しいのはぼくだけではない。

 

 その顔を見ていたら、ぼくは何も言えなくなってしまった。

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 夜。ベッドの上。胸が苦しい。息が辛い。汗が気持ち悪い。

 

 助けに行きたい。けれどここから一人で出てもバーテックスに喰われるだけだろう。それはわかってるんだ。若葉さんに止められた時は冷静でなかったけど、わかってたんだ。

 

 ぼくは無力なんだと。

 無力。無力。無力。その文言が何度も叩き付けられる。

 

 勇者のくせに、何もできない。ただのひとりの人でしかない。

 

 …………。

 

 くそっ今すぐにでも助けに行きたいんだそれは不可能だと言われたさっき自分でも考えた焦燥心煮え滾る絶望失望怒り何もかもできないやりたい為したい救いたいいたいイタイ

 

 ――――――――――

 

 ――いや、まだ大丈夫だ。白鳥さんが死んでしまったとは限らない。確認していない。白鳥さんは生きている。まだ助けられる。いつか救える。

 

 奥歯が軋む。唇を噛み切った。

 

 

 ――――神様……。

 

 

 

 

 あれ以来、諏訪からの連絡は途絶えて、来ていない。

 白鳥さんは通信ができない状態。

 

 長野は終わった。

 

 白鳥さんはまだ生きている。

 どこかに隠れて生き延びている筈だ。

 生きている筈だ。

 生きている。

 いる。

 

 放課後から時間が経った、誰もいない教室でぼくは夕日を眺める。

 今日もヘッドホンを付けて、あの子のピアノ曲を聴いている。

 

 この曲を聴いても、いつもみたいに心が落ち着かなかった。

 

 

 突如――ぼくのポケットにあるスマホがヘッドホン越しからもよく聞こえる耳障りな警報音を鳴らした。

 

 

 教室の時計の針が停まった。

 窓の外を舞っていた木の葉も静止する。

 

 スマホを取り出すと、画面には『樹海化警報』という文字。

 

 樹海化――ぼくたちが住むこの場所を護るために神樹様が張った結界内に、バーテックスが侵入した際に神樹様が人々を守るため起こす現象。

 その樹海化された世界の中で勇者たちはバーテックスと戦って倒さなければならない。

 

 そうしなければ、人類は蹂躙されて終わる。

 白鳥さんのいた長野のように。

 

 巨大な植物の蔦や根に覆われていく世界。

 まるで世界の終末。

 これから始まるのは終末戦争。

 

 長野を潰して次は此処(ここ)、四国を潰したいのだろう。

 人間を殺したくて仕方がないのだろう。

 くそったれ。

 

武谷「だったら来いよ。ぼくがぶっ潰してやる」

 

 ぼくたちの、最初の防衛戦が始まる。

 

 

 

 


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