神殺しの刃   作:musa

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八話  浅瀬の一騎打ち

 神無月宗一郎は本能に従い、死の腕を回避するべく、遮二無二に地へと身を投げた。

 それは武に優れた若き神殺しらしからぬ、反撃を度外視した泥臭い生への渇望がなせる無様な技だ。だがやらねば死ぬしかない以上、技に拘る贅沢など言っていられない。

 宗一郎はみっともなく地面に転がりつつ、素早く立ち上がる。紅蓮の長刀を構えて、五感を研ぎ澄まし周囲の様子を探る。が、相変わらず敵の姿はなく。影すら見ることは叶わない。

 即製の決闘場である森の広場には、いま宗一郎ひとりしか存在しなかった。

 だが宗一郎に驚愕の念はない。それも当然―――これで都合三度。

 それは同時に今日宗一郎が、幸運によって命を拾った回数でもあった。『神速』と『隠蔽』の権能の二重発動の威力たるや、まさに圧倒的であった。

 神速が武術の達人に脅威になり得ないのは、攻気の起こりを感じ取る技―――“心眼”を会得しているからだ。

 心眼の使い手は殺気を捉えた瞬間に行動を移す。

 どんなに速かろうが、確実に回避、反撃してくる心眼の使い手の前では、神速とて無用の長物に堕す。

 だが、この弱点を隠蔽の権能が補ってしまう。

 隠蔽の能力はただ外観を不可視化するだけではない。使用者の体臭を消し、移動の際に生じる騒音をも消し去るのだ。

 事実、宗一郎は二頭立て戦車の威容を見ていない上、走行音も聴いていない。それどころか、戦車が疾走すれば必ず立ち昇るはずの土埃すら眼にしていない。

 そして最後に―――この権能は殺気すら消し去ってしまうのである。隠蔽の権能は心眼を以ってしても見切れないのだ。

 正直言って宗一郎は行使されたのが、どちらかひとつだけの能力なら対処する自信があった。神速の権能は武術的に対処可能の上、隠蔽の権能は奇しくも夜の公園での戦いでクー・フリンが証明してみせたように、呪術的に対応可能なのだ。

 だが、いまはそれが出来ない。

 隠蔽の権能を呪術で打破しようとすれば、呪文を唱えている隙に、神速の権能を行使した戦車の巨刃によって真っ二つである。この恐るべき二種の権能は同時発動することで互いの弱点を補い合い、より強大な能力を発揮しているのだ。

『クク―――頑張るじゃねえか、神殺し。だがそろそろ幸運も尽きかけてくる頃合いだろ。

 ―――次当たりで終わりそうだな』

 どこからともなく聴こえるクー・フリンの冷酷な死刑宣告。

 それは事実であろう。宗一郎は直感だけでどうにか回避しているに過ぎない。所詮は勘である。長くは続かない。神殺しである宗一郎に、果たして幸運の女神も四度も微笑んでくれるかどうか。

 ―――おそらく次はあるまい。少なくともこのまま座して天運に任せているばかりでは、幸運の女神も愛想をつかすだろう。

 それを誰よりも理解している筈の宗一郎は、漆黒の瞳に爛々と闘志の炎を灯し、口元には不敵な笑みを刻む。

 宗一郎とて何も三度の幸運を無為に消費していたわけではない。既に脳裏には、確かな勝利のための道筋を見出していた。

 一見すると、神速と隠蔽の権能は同時発動させることで、互いの弱点を補填し合っているように見える。

 神速は隠蔽の権能によって、殺気を捉えられず、回避を極端に困難なものにしている。隠蔽(ステルス)は神速の権能によって、術者に術破りを使用する時間を与えないことで、事実上無効化した。

 だが、宗一郎は隠蔽の権能に、もうひとつの弱点があることを看破していた。

 それは周りを見れば一目瞭然だ。美しい草地には幾条もの筋が無残に刻まれている。その跡が何であるかなど、深く考えるまでもないであろう。

 そう、二頭立て戦車の疾走した軌跡に他ならない。

 隠蔽の権能は外観を、体臭を、騒音を消し、殺気をも消失させしめる恐るべき能力である。

 だがしかし、重量まで消すことは叶わなかったのである。

 故に、敵の現在位置は目を凝らせばすぐに判別できる。なにしろ、二頭立て戦車の総重量は大型車両にも匹敵する。探し出すのはさして難はない。

 事実、宗一郎は上に何も存在しないにも拘らず、草地を押し潰したような状態でぴくりとも動かない場所を、体の正面で捉えて静かに見据えていた。

 間違いなくクー・フリンは、ソコで二頭立て戦車の御者台の上で座し、必勝の機を窺っているに違いない。

 宗一郎はクー・フリンがこの弱点を把握していたのかどうか自問してみる。

 ―――無論解っていた筈である。クー・フリンほどの戦上手な武人が、よもや自己の能力の欠点を把握していない道理がない。

 クー・フリンはすべてを承知の上で放置しているのだ。まるで、そんなことは取るに足らない問題であるのだと言わんばかりに。

 そして、その認識に誤りがないことを、宗一郎は認めざるを得なかった。

 なぜならば、二頭立て戦車の位置情報が解ったところで、戦況は何ひとつ好転しない(、、、、、、、、、)からだ。

 クー・フリンが神速と隠蔽の権能を同時発動した真意を見誤ってはならない。

 魔槍の英雄が隠蔽の権能に望んだのは、姿や臭い、音を消すことなどではない。そんなものは、ただの余禄に過ぎない。

 クー・フリンは隠蔽の権能に、ひとえに殺気を消すことのみを求め欲したのである。

 隠蔽の陥穽をつき、二頭立て戦車の現在位置を割り出したところで、神速の権能を破れるわけではない。殺気を感じ取れない(、、、、、、、、、)以上、このまま神速の前になすすべもなく敗北を喫する他ないのである。

 故に、宗一郎がこの事態の打開を図るには、殺気を捉えずに、神速を破るしか勝機はない。が、神速の使い手相手に後手に回っているようでは、勝利など到底望むべくもない。 

 必ず、先の先を執らなければならないのである。

 即ち―――意を捉えずに、機のみを掴む。

 クー・フリンの攻撃する「意思」を捕捉するのではなく、クー・フリンの攻撃する「機会」を創造するのである。

 この試練に宗一郎は己の天運にすべてを賭す。力ずくで幸運の女神を微笑ませてみせる!

「―――」

 宗一郎はゆっくりと体を動かす。くるりと体を半回転させて、真後ろへ向きを変えた。

 それが―――何を意味するのか。

 宗一郎は不可視の二頭立て戦車と正面から向かい合っていた。にも拘らず、そこで向きを変えて、背を向けるということは、クー・フリンに絶好の攻撃する機会を与えることに他ならない。

 ―――これは誘いだ。

 クー・フリンが宗一郎の背面を図らずも獲った瞬間を、好機と判断したのなら、神速の戦車に猪突を命じるだろう。

 それこそが、宗一郎が何より欲した「機」に他ならない。 

 だがクー・フリンがいまを好機と判断しなかったのならば? あるいは、クー・フリンが宗一郎の狙いを看破してしまったのならば?

 そのときは、宗一郎は物言わぬ屍と化して大地に還るのみであろう。故に、彼はそんな無駄なことは一切考えずに、己の天運にすべてを託す。

 宗一郎は跳ねるように振り返り、自らの刀に―――否、刀に込められた浄化の神力に命を下す。

「炎よ―――!」

 宗一郎の愛刀に宿っていた超高密度に圧縮された聖なる火炎が解き放たれる。

 紅蓮の奔流は火竜と化し、ようやく獲物に喰らいつくことに歓喜するかのように蛇体をくねらせ、猛然と驀進する。疾走する炎の竜は途中で目に見えない“何か”にぶち当たったかのように蛇体を震わせ、ソレが獲物だと解るや、直ちに丸飲みにせんととぐろを巻いて喰らいつく。

 それを見て取った宗一郎は、賭けに勝ったことを確信した。

 不可視の戸張を剥ぎ取られ、容を晒す二頭立て戦車。紅蓮の炎に絡みつかれて、苦悶の声を上げる神馬たち。豪奢を誇った戦車は、美しいな装飾の数々を炎によって燃やし尽くされ、なおも足りぬとばかりに猛火は車体にまで侵し始める。

 二頭立て戦車には『まつろわぬ神』ほどの呪力抵抗力はない。故に、火力に難のある浄化の権能でも燃え上がる。だが―――

 二頭立て戦車に喰らいつく炎の竜の腹を突き破るかのように、孤影が飛び出てくる。炎を振り払い宙に舞って、地に降り立つ痩身。無論クー・フリンである。

『まつろわぬ神』特有の圧倒的呪力抵抗力を持つクー・フリンにとって、あの程度の火力では何の意味もなさない。

 それでも構わない。宗一郎の狙いは、神速と隠蔽の能力を有する二頭立て戦車の破壊にこそあったのだから。

 クー・フリンは火傷ひとつなく茫然と己の愛車が炎に包まれる様を見ていた。

 二頭の神馬はたまらず力尽きドサリと倒れ伏す。最後の力を振り絞り、主に別れを告げるように嘶いて、二頭の神馬はこの世から消え失せる。

 二輪戦車もまた炎の勢いから逃れることは出来なかった。溶け崩れる青銅製の戦車。その御者台の上に最後に残った矮躯の影。

『無念だ、愛する兄弟……』

 ローグはそう呟いて、黒い霞となって霧散する。

「……」

 彼の兄弟たちが燃え尽きても、クー・フリンは現実を拒否するようにぴくりとも動かない。

 それ見て取った宗一郎はくっと口角を歪めて、

「どうしました、クー・フリン? たかが神獣(ペット)従属神(げぼく)が消えた程度でその様では、この先が思いやられますね」

 決して言ってはならない言葉を口にした。

 

 

「――――――――たかが、だと」

 

 

 死を孕んだ颶風がクー・フリンから吹きつけてくる。空間が凍り付いたかのように重く圧し掛かる。

「ええ、その通りです。たかが神獣や従属神如きが兄弟? つまらない冗談を言っていないで、早く槍を構えてください。死合が愉しくなるのはこれからなのですから」

 それに気づかないのか、宗一郎はクー・フリンを嗤いながら挑発する。

「―――人間如きが我が愛する兄弟たちを侮辱するか……」

 いままで彫像のように動かなかったクー・フリンが宗一郎の方へと体を向ける。憤怒に染まった虹色の瞳が宗一郎を射ぬく。

 

 

「―――よかろう。それほどまでに愉しみたいというのなら、存分に愉しみながら冥界へ逝くがいいッッ!!」

 

 

 クー・フリンの体が深く沈む。まるで力を蓄えるような体勢。次の瞬間、クー・フリンは、大きく跳び上がった!

 クー・フリンはロケット発射にも匹敵する速度で宙を蹴って垂直に駆け上がっていく。フェニックス公園でも見せた魔槍の英雄の両脚に宿る跳躍の権能だ。

 僅か数瞬で高度一キロメートルにまで到達し、尚も止まらず駆け登るクー・フリン。右手に持つ彼の愛槍が、天へと近づく度に禍々しく輝き紅の紫電を放出している。

 クー・フリンはダンと虚空を蹴り放ち、今までになく大きく跳ぶ。重力の枷を突き破り、真下の地上を見据えてクー・フリンは右手を天へと掲げる。

 瞬間、真紅の槍が解き崩れ、カタチを変えてこの場のみ本来の姿を取り戻していく。

 クー・フリンの右手に顕れたソレは紅い雷の束だった。

 ゲイボルグ―――その意は『雷の投擲』。

 その言葉通り、それこそが真紅の槍の真の姿だった。

 もとより雷とは天上から地上へと降り注ぐもの。神々よりこの槍を持つことが許され、天高く舞い上がる跳躍の権能を有するクー・フリンのみが、ゲイボルグの真の力を引き出せるのである。

 クー・フリンは『雷の投擲』を、

 

 

「―――我が槍は投げれば三十の鏃となって降り注ぐ。魔の雷よ、穿ち抉れェェッ!!」

 

 

 号令一下に撃ち下ろした。

 三十に及ぶ紅雷の束が一気に地上へと降り注ぐ。一束とて一軍を薙ぎ払う破壊力を持つ。ソレが三十。全弾まとめて撃ち放つとなれば、紅の雷霆は大地を徹底的に蹂躙し、焼き尽くすであろう!

 対する宗一郎はコレを待っていた。若き神殺しはフェニックス公園の戦いにおいて真紅の槍こそが、クー・フリンの切り札だと確信していた。

 そしてソレが、己の権能で対応できるに違いないと本能で嗅ぎ取っていた。

 なぜならば、『魔』を薙ぎ祓うことこそが神無月宗一郎の権能の真骨頂なのだから。それは魔の雷とて例外ではない!

 

 

「―――強く大いなる憤怒の尊は命じられた! 不浄を焼き払え、煩悩を破壊せよ、巨悪を退治せよと!」

 

 

 宗一郎は切り札を切る。

 これは仏の教えを信じない民衆を前にしたときのみに発動する、慈悲の言霊。

 民衆を何としても救わんとする慈悲の怒りを以て人々を目覚めさせる、聖なる焔を解き放つ聖句である。

 

 

「オン シュリ マリ ママリ マリシュシュリ ソワカ――――――」

 

 

 宗一郎は、後に賢人議会が『光炎万丈(ファイヤーストーム)』と名付けることになる、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の権能の真の力を解き放つ。

 言霊と共に若き神殺しの全身から赤い炎が立ち昇る。炎は赤く青く、そして白へと変わり、最後に荘厳な蒼い輝きを宿す。

 同時に宗一郎の体も変化を始めた。

 火で炙られた氷細工のようにぐにゃりと肉体が溶け崩れるや、焔がすべてを包み込み、収斂。宗一郎の肉体は蒼色の大火球と化す。それはまるで地上に降臨した小型の太陽のようだ。

 蒼の太陽はさらに膨張を続け、森の広場全体まで膨れ上がる。が、瞬く間に急速に縮小、収斂する。掌大にまで凝縮される蒼い小球。だが規模の変化とは真逆に内包する熱量は空恐ろしいほどに増大していく。

 そして、ついに熱量が極限まで達した超小型の太陽は、次の瞬間、炸裂した。

 地上では決して起こり得ない太陽フレアが発生する。蒼の火焔は光の柱と化して猛然と天高く突き進む。宗一郎は自らの身を究極兵器と化さしめ、クー・フリンを討ちに征く。

 紅き雷霆と蒼き火焔が高度数千メートル上空にて真っ向から激突した!

 慈悲の焔は仏の教えを信じぬ者にのみ振るわれる力である。当然、異教の英雄神たるクー・フリンはこの条件に合致している。

 一度行使されるや否や、物質魔力の区別なくすべてを焼き滅ぼす憤怒の一撃。にも拘らずそれを以ってしても、紅き雷霆は押し退けられない! 

 それどころか、紅い雷電は蒼き光の柱(そういちろう)に蛇のように絡みつき、雷気を閃かせて締め上げる。

 人間の体を捨てた筈の宗一郎に凄まじい激痛が走る。紅き雷霆は宗一郎の、いや人間の本質である魂をも灼いてくるのである!

 このままでは圧し負ける―――そうと解るや、苦痛を無視して宗一郎は、予備に回していた呪力を投入する。

『ああああッッ!!』

 貪欲に呪力を取り込んで、さらに膨れ上がる光の柱。そして、遂に紅い雷電の束縛を振り払い、蒼き火焔は天翔ける!

 紅き雷霆は無人の広場に降り注ぎ、滅多打ちにする。敗者たる紅き雷霆が唯一出来ることは、そうして敗北の苦い屈辱を晴らすことだけだった。

 対して勝者たる蒼き火焔は宿敵(しょうり)を目前にして一層輝き燃え猛る。

 クー・フリンは愕然と目を見開き、それでもなお諦めるつもりはないのか、指先が素早く翻し、真紅の大盾を召喚し、掲げる。

 だが、今更何をしたところで遅すぎる。蒼の奔流は怒涛の如くクー・フリンを呑み込んで、炸裂した!

 爆発の熱衝撃で大気が炙られ、撹拌される。蒼い火炎が渦を巻いて、結界によって閉ざされた空間を徹底的に嘗め尽くす。それでも、なお収まりきらない火勢は、出口を求めて上へ上へと殺到する。

 このとき宇宙空間から地球を観測している者がいたならば、さぞや驚いたことであろう。地球では決して見ることが叶わない蒼きフレアの姿を目にすることになったのだから。

 


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