神殺しの刃   作:musa

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十一話 覚悟を刃に変えて

 穀物は地下に播かれ、再び芽吹いて現れる『不死』の象徴だ。

 秋になって、鎌で切り殺され、非業の死を遂げる。そして、春になると復活を果たす。古代人にとって穀物は復活と豊穣の現れだった。

 死と再生のサイクル。大地が命を恵み育む能力。

 これが神無月宗一郎が、豊穣神デメテルより簒奪した復活の権能だった。

 宗一郎は微睡む意識の中で取り留めもなく思考する。

 死んでいた時のことは覚えていない。養母と自称する妖しき少女に遭遇し斬りかかっていった気もするし、誰にも会わなかったような気もする。真実は解らない。

 外界に意識を傾けると複数の声が聴こえてくる。昔から知っている声とつい最近知ったばかり声だ。

「やはり落ち着かない。王たる方が野ざらしに横たわっているにも拘らず、騎士たるわたしがそれを介抱することなく立って見下ろしているだけとは……」

「仕方ありません。お話した通り兄さまが意識のない状態での過剰な接近は危険です。慣れない気配を感じ取れば無意識の状態でも斬りかかってくるのですから」

「……ならば、あなたが介抱して差し上げればいいのではないか?」

「お忘れですか、リリアナさま? わたくしはいま生身ではなく幽体なのですよ? 物体に触れるには呪力を使用しなければなりません。ただでさえわたくしは回復力に優れているとはいえないのです。無駄な力の消費は可能な限り避けなければなりません」

「……ここ数時間ずっと考えていたのだが、あなたは神無月宗一郎が嫌いなのか? いくら権能の力があったとしても、命を落とすことが前提の作戦を強行するなど普通考えられないと思うのだが」

「いえ、大好きですよ? ふふっ、ええ、とっても。ただすべて勝利が優先されるというだけなのです」

「………………」

 本当に喧しい女たちだ。宗一郎の神聖にして不可侵の戦いに勝手に介入してくる上に、睡眠まで邪魔してくるとは。

 それにしても、会話が随分弾んでいるようだ。いつの間にあのふたりは仲良くなったのだろうか。とはいえ、女騎士の声に棘が含まれている気もするが。まあ妹の性格を思えば、棘どころか胸元に剣を突き立てられたとしても文句は言えまい。

 宗一郎は意識が急速に浮上していくのを感じる。どうやら休息の時は終わったらしい。ならばそれは戦の時が近づいているということに他ならない。

 ならば、備えなければならない。

 クー・フリンは強大な神だ。アレをやらねば、おそらく勝機はない。幾つもの欠陥を抱えた業であるが、あの英雄神相手なら上手く嵌るかもしれない。

 宗一郎は目を開けて、むくりと上半身をを起こす。

「兄さま、お気づきになられましたか」

 視界はぼんやりとしてはっきりとしないが足音はしっかりと聴こえてくる。

「あれからどれくらい経ちましたか?」

 目頭を押さえ、頭を振って視界を鮮明にする。

 宗一郎は近くに来ていた二人を仔細に観察する。当然ながら自分が死んだ後の状況などはまったく解らないのだが――本当にゾッとする――幸運なことにどうやら二人とも無事らしい。

 佐久耶はいつも通り――それはそれで問題あるが――リリアナは……若干頬が赤いようだがどうしたのだろうか。

「ろ、六時間ほどです、神無月宗一郎。お身体の方は大丈夫なのですか?」

「……? ええ、今のところ特に問題はないようです」

 挙動不審な女騎士に不審に思いながらも、宗一郎は己の体を精密に点検するためあっちこっちに手を入れて首を巡らす。

 何分初めて使用した権能なのだ。佐久耶の霊視と自分の直感でどんなの能力かまでは把握していたものの、実際使用しなければ解らないこともあるだろう。

 宗一郎は仔細に己の身体を調べていくと、自身の体に驚くべき変化が起こっていることに気付いた。傷跡が消えている! 修練で、実戦で負った古傷の痕跡までが綺麗さっぱり消えてしまったのだ。

 よくよく見直せば、身に纏っている狩衣の状態も変である。巨犬の牙に貫かれて、無残なぼろ屑に成り果てた筈なのだが……

 おそらく復活の権能は、使用者の体とその着用物を新品の状態に生まれ変わらせる能力があるのだろう。

 実のところ、宗一郎はこの事態に内心喜んでいた。 

 狩衣の方は着替える手間が省けた程度の関心しかないが、古傷が消えてくれたことには素直に喜ばしい。宗一郎は以前から体の至る所に点在する傷跡が気になって仕方がなかったのである。

 だからと言って、宗一郎に自己陶酔の気があるわけではない。姿見で自身の裸体を見るたび、若干自身の美観を損ねていたことに気になっただけである。

「神無月宗一郎? やはりどこか問題が?」

 熟考の末の沈黙を何か異常を発見したと感じたのか、リリアナが心配げに問うてくる。

「リリアナさま、心配する必要はありません。兄さまはただの自己陶酔に浸っているだけです」

 自分は自己陶酔者ではない、という宗一郎の抗議の視線を涼やかに受け流す佐久耶。

「それより兄さま。これから何をやるべきことは判っていますね?」

 その言葉でだれていた空気が一変する。宗一郎の佐久耶を見詰める漆黒の瞳に戦士の昏い光が灯る。

「―――無論です。それでクー・フリンはどうしました?」

「今日の夕暮れに再戦の意志を告げられたあと、どこかへと去って行かれました」

 リリアナがクー・フリンの言葉を伝えた。

「夕暮れ……あと三刻ほどですか。充分です。佐久耶、≪刃≫を研ぎます。準備を―――」

 空の天蓋、その中天に昇る太陽を見上げながら、宗一郎はそう勇ましく決意を告げると、力強く立ち上がった。

 ついにアレを抜き放つ刻が到来したのだ。

 神無月家秘中の刃を! 神を討ち滅ぼす至高の剣を!

 興奮に「血」が騒めくのを感じる。それも当然だ。

 神無月家が数百年の果てに研鑽し続けてきた窮極の秘術が、ようやく日の目を見るのである。長きに亘る一族の研鑽が決して無駄ではなかったことがついに証明されるのである。

 だがまだだ。宗一郎は必死に「血」を押さえつけた。

 まだ自分は≪刃≫鋳造のための不可欠たる三つの工程―――その内のひとつだけしか用意出来ていない。故に、今ここでもうひとつを貰い受ける。

 宗一郎が敵対する神についての「知識」を得たとき、≪刃≫はより一層完成に近づくのだから。

「はい。ではリリアナさま、後はよろしくお願致します」

 そう言って佐久耶は一歩退く。

「ま、待って下さい、神無月佐久耶! やはりわたしには無理です!」

 頬をますます赤らめてリリアナは叫んだ。

「申し上げたはずですよ。リリアナさまに許された選択肢は二つだけ。このまますべてから背を向けて、組織の裏切り者と蔑まれるか。見事お役目を果たして、羅刹の君たる兄さまと縁を結び、組織の功労者として讃えられるか。それはリリアナさま次第です」

 佐久耶はもう笑みを浮かべていなかった。極めて真摯にかつ冷厳な最後通牒を突き付けた。

「くっ」

 それでリリアナは抵抗を諦め、すべてを受諾するかのように肩を落とした。

「……先程からあなたたちは何を言い合っているのですか? 僕はリリアナさんではなく佐久耶、お前に言ったのですよ」

 宗一郎の口調には苛立ちが混じる。

 すぐにも≪刃≫を鍛えなければならないと言うのに、どうして妹は必要なコトを実行しようとしないのか? 佐久耶が古今東西の神話学に造詣が深いのは本来この儀式のためだと言うのに!

「お忘れですか、兄さまには魔術に対してほぼ絶対的な耐性を持っているのですよ。≪教授≫の術とて例外ではないのです」

 兄の不機嫌を察した佐久耶がやんわりとたしなめる。

「それくらい、勿論覚えています。だからこそ、術を練り込ませた呪石があるではありませんか」

 確かに、魔王の対呪力は強力である。正し、盲点がない訳ではない。呪術を直接体内に吹き込むのであれば別であるのだ。

 そして、呪術には特定の物質に術を封じ込めて、任意に起動することができる呪具がある。故に≪教授≫の術を封じた呪石を、宗一郎が口内から摂取すれば、充分事足りるではないか。

 だが―――

「呪石の作製には兄さまが思われる以上の時間がかかるのです。とても夕刻にまで間に合いません」

 あっさりと否定されてしまった。

 むぅと困ったように喉の奥で唸る宗一郎。が、何かを閃いたのか、ぱっと顔を輝かせて、

「何だ簡単ではありませんか。佐久耶、お前が接吻で体内に直接術を仕込んでくれればいいじゃないですか」

 自覚があるのかないのか、宗一郎はそんな非倫理的なことを口にした。

「絶対に駄目に決まっています! 神無月宗一郎、わたしがいる限り、そのような自然の理に反した所業、断じて見過ごすわけにはいきません!」

 リリアナは先程までの投げやりな態度はどこへやら、急に力強く毅然とした佇まいで反対を主張した。

「と、リリアナさまが主張されています。とはいえ、わたくしも同感です。初めての殿方が兄さまでは夢がなさすぎます」

 神無月の巫女の言葉にぎょっとするリリアナ。

「神無月佐久耶! わたしにあのような仕打ちを命じながら、当のあなたが乙女の心を口にするのか!」

「当然です。そもそもリリアナさまに選択の余地はありません。いい加減あきらめて下さい」

 取り澄ました態度で佐久耶は答えた。「くっ」と呻き、またもや肩を落とすリリアナ。

「お前たち、いい加減にしなさいっ。佐久耶、ならばどうすると言うのですか! ≪刃≫を鍛えるには、神の知識が必要なのですよ!」

「ええ、解っております。ですから、わたくしの変わりはリリアナさまが務めます」

「な!?」

 その提案が余程予想外だったのか宗一郎は目を見開いてリリアナを見やる。リリアナはその視線に耐えられず羞恥に頬を赤らめて縮こまる。

「佐久耶、何と破廉恥な事を言うのですか! リリアナさん、まさか承知したのではないでしょうね!」

 どうやら宗一郎にとって実妹の佐久耶との接吻は何の抵抗もなくとも、リリアナとのキスは羞恥を感じるらしい。

「……兄さまの基準はまったくもってよく分かりませんが、すでにリリアナさまの了解は取り付けております」

 冷たく兄を見据えて答える佐久耶。

「リリアナさん、見損ないましたよ! あなたには女性としての貞淑さはないのですかっ」

 宗一郎は柳眉を逆撫でてリリアナを糾弾する。

「……さっきから黙って聴いていれば、兄妹揃って勝手な事ばかり! わたしとて何も好き好んでするわけではないっ。初めての男性は運命の恋をする相手と決めていたのに! ああ―――なんでこんな事に……」

 これから暴行される乙女さながらに頭を抱えて嘆くリリアナ。

「……なるほどリリアナさん、そういう事ですか。佐久耶に何か言われたのですね? ならば安心してください。僕が責任もって妹には何もさせません」

 宗一郎は厳粛な面持ちでリリアナに告げた。

「か、神無月宗一郎……」

 リリアナは顔を上げて、驚愕に目を丸くする。

 そんなリリアナと見つめ合いながら、宗一郎は力づけるようにひとつ頷くと、佐久耶に漆黒の眼差しを向けて、これで問題は解決したと言わんばかりに、自信満々に言う。

 

 

「そういうわけです。佐久耶、儀式の支度をしなさい」

「神無月宗一郎、だからそれは駄目だと言っているでしょう」

 

 

 間髪入れずに、リリアナが割って入る。

「むぅ……どういうつもりですか、リリアナさん」

「どうもこうもありません。わたしの目が黒いうちは、兄妹でそのような如何わしい真似をさせるわけにはいきません」

 リリアナは不退転の決意でそう告げた。

「ならばどうしろと……」

 宗一郎は心底困惑のした風に呟いた。

「兄さま、答えならすでに出ているでしょう。何を言ったところでリリアナさまの決意はとうに定まっております。あとは兄さまの決断ひとつです。それとも、リリアナさまを排除して、そのあとわたくしの唇を奪いますか……」

 兄さまなら簡単にできましょう、と言外に呟く佐久耶。

 確かに出来る。だがそれはそれでやりたくない宗一郎だった。なんというか絵的に駄目すぎる、ということが解る程度の常識は宗一郎にもあった。

……色々と考えてみても、どうやら選択の余地はないらしい。

 どのみち、≪刃≫を鍛えないことには、クー・フリンとの戦いに勝利はないのだ。もとより宗一郎は、同じ相手に二度と負けるつもりなどない。

「……まったく、生涯の契りも結んでいない男女が接吻をするなどとは世も末です。リリアナさん、本当にいいのですか?」

 宗一郎は天を仰ぎ、溜息を吐きながら呟く。

 今どきキス程度中学生でやっていても珍しくないのだが、幸か不幸か宗一郎は俗世間のことはまったく知らない。

「よ、よくはありませんが、やむを得ないことであるとは承知しています。……わたしも騎士の端くれ、神の災厄に抗うためというのであれば、王たる御身と、キ、キスをすることに否はありません」

 恥じらいを含んだ声色で、リリアナは俯きながら言った。

「―――わかりました」

 そう言って宗一郎は進み出る。

 宗一郎は今の今まで騎士を女性として意識したことはなかった。が、接吻するとなるとそういうわけにもいかない。ついまじまじと彼女を見入ってしまう。

 恥じらいのあまり小柄な体格をさらに小さくしているリリアナの姿が素直に可愛らしいと思う。

 そんなことを思う自分の感情に宗一郎は驚いた。

 この世に生れ落ちてから、神無月家によって神を討ち滅ぼす刃金(へいき)として鍛え上げられてきた自分が身内以外にそんな感情を抱こうとは! それも佐久耶に感じているものとは、似ているようで違う気がする。

 男として原始的な欲求に突き動かされ、それが何なのか確かめるために、宗一郎はリリアナの顎に手を添え、下に向いた顔を上げさせて―――唇を奪う。

「ぁ――――」

 リリアナも無意識なのか、ひしっと宗一郎に抱き付いてくる。

 合わさる唇と唇。絡み合う舌と舌。交換される唾と唾。

 その瞬間、宗一郎とリリアナは霊的に繋がった。陶然とした漆黒の瞳と深青の瞳が交錯する。その度に宗一郎の知らない知識が溢れてくる。

「アルスターの勇者『クランの猛犬』。かの勇者は現在のアイルランドにまで語り継がれている大英雄です」

 リリアナが唇を離し、熱に浮かされてように、宗一郎の耳たぶを啄みながら囁く。

「太陽神ルーグと王女デヒテラとの間に儲けられた半神半人の英雄。しかし、太陽神の血を継ぎながら、クー・フリンに『太陽』との関係を窺わせる記述が少ない。むしろ、彼の生涯において最も彩られていたのは『戦争』の逸話です」

 リリアナはすべてを宗一郎に預けるように、しな垂れかかる。熱い吐息を吐いて、今度はリリアナから唇に吸いつく。

「そこにクー・フリンの神格を読み解く「鍵」がある。神無月宗一郎、それを理解して、神を斬り裂く刃を研いでください!」

アイルランドの大英雄クー・フリンの知識が、唇が触れ合った舌先から唾液を伴って激流のように流れ込んでくる。

 宗一郎はクー・フリンの完全な知識を得たことを確信した。《神殺しの刃》を産み出すための準備はこれでまたひとつ整ったのである。

 その一部始終を間近で熱心に見つめる一対の瞳があることを忘れて、二人はしばらく行為に耽っていた。

 


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