神殺しの刃   作:musa

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第二章
序  不幸&幸福


 七月下旬、イタリアのフィレンツェ――

「……ああ、了解した。卿には私から直ぐに伝えておこう」

 そう言ってアンドレア・リベラは通話を切った。沈黙した携帯電話を眺めたまま、彼は深い吐息をついた。

 ふと顔を上げると、そこには熱く煮えたぎる太陽がアンドレアを傲然と見下ろしていた。

 今日も今日とてアンドレアは、まるで世に蔓延る不運を一身に背負ったかのような暗鬱とした面持ちで佇んでいた。

 先の電話相手は女性からの連絡であったものの、艶っぽい話ではぜんぜんない。

「仕事」の話である。むしろよくよく記憶を辿って見ると、ここ四年ほどそういう話から遠退いている気がする。

 それもこれも、すべてあの馬鹿の責任だ! 奴こそがアンドレアの不幸の原因に他ならないのだから。

 アンドレアはイタリアに君臨する『王』に仕える騎士である。

 それも側近中の側近。その役職を古風な言い回しで例えるなら、イタリア魔術界の宰相というべきか。もっともイタリアの魔術師たちからは、なぜか“王の執事”などと呼ばれているが……

 ともあれ、ある意味イタリア魔術界のナンバーツウと言っても問題ないアンドレアだったが、今の自分の地位を羨む人間はいないだろう、と確信していた。

 それこそ全財産あるいは生命を賭けてもいいぐらいに揺るぎなく確信している。

 そもそもアンドレア自身今のポジションに望んで就いたわけではなかった。当然だ。こんな面倒だけの役職など誰が進んで就きたがるものか! 

 それもこれも今から四年前――「やあアンドレア、久しぶりだね! ところで頼みたいことがあるんだけど、いいかなあ」などと言う能天気な声を聞いてしまったのが災難の始まりだった。

 それからイタリアの魔術師たちから乞われるまま――正確には奴の師匠の命令に等しかった――なし崩し的に今の地位を押し付けられてしまった。

 だがそれでもアンドレアは、それがイタリアの魔術界のためになればと、そう信じればこそ、今日まで真摯に職務に励んできたのである。

 アンドレアの仕事は第一に、あの馬鹿、いや『主』の動向を把握することにある。それは、奴のイギリスの同族ほど重症ではないが、彼の『主』にも放浪癖があるからだ。

 権能で文字通り神出鬼没なイギリスの王と違い、奴は初級の魔術も碌に扱えない落ちこぼれの騎士に過ぎない。『王』に成りあがった今でもそれは変わらない。

 だからこそ、当初、監視は容易いものと考えていた。なのに、あの馬鹿は動物的な感覚で監視されている状況を察知するや否や、尾行者を煙のように巻いてしまう。

 ならば、魔術による監視に切り替えたが、これまた権能で魔術を斬ってしまう始末で、意外なことにあの馬鹿は、監視が困難な相手であった。

 なのに、手を変え品を変えて『主』の監視を図っているのは、奴が引き起こすトラブルを必要最低限に抑えるために他ならない。

 無論、未然に防止できることが出来れば最善だ。とはいえ、そうそう、うまく事が運んだためしは今のところ皆無である。

 そして、もう一つの仕事はアンドレアを経由して入ってくる、とある「仕事」を『主』へと仲介することであった。

 先の電話相手もその仕事の依頼者だった。どうやらまた厄介事が起こったらしい。まぁ今に始まった話ではないが。

 溜息を吐きつつ、アンドレアは携帯電話を懐に仕舞い込み、背後にある居酒屋(オステリア)の扉を開いた。電話を取るために一端外に出ていたのだ。

 陽気で大らかなイタリア人男が多い中、アンドレアは珍しく生真面目なタイプで、当然、夜中にもなってもいない時刻で積極的に酒を飲む習慣はない。が、アンドレアの『主』は典型的なラテンの血が入っているため渋々入るしかない。

 店内は無人だ。どんな店でも経営陣がイタリア系魔術結社と繋がっている場合、アンドレアの『主』が来店してきた時点で貸し切りになるのは、ここイタリアでは慣例だった。

 アンドレアはカウンターで独り赤ワインをがぶ飲みしている金髪の青年に歩み寄り、

「おい、馬鹿――ではなく、サルバトーレ卿。『仕事』の依頼が来ております」

 自らの『主』――サルバトーレ・ドニに向かってそう恭しく語りかけた。

「へえー、僕に依頼ってことは当然神さま関連ってことだよね? 最近凄く暇だったから、久しぶりに愉しめるかな」

 葡萄酒を飲み干した杯をカウンターに置きながら、“剣の王”はその瞳に剣呑な光を灯す。

 やはり今日もアンドレアは不幸である。

 

 

 その半日後、イタリアのサルデーニャ島――

「ちょ、ちょっと、待って下さいよ……っ!」

 草薙護堂がそう叫んだときには、既にとき遅く電話相手は通話を終えた後だった。

 プーと無機質な電子音が護堂の鼓膜を無駄に震わす。沈黙した携帯電話を眺めたまま、彼は深い吐息をついた。

 ふと顔を上げると、そこには冷え冷えと凍てついた月が護堂を冷然と見下ろしていた。今日も今日とて護堂は、まるで世に蔓延る不運を一身に背負ったかのような暗鬱とした面持ちで佇んでいた。

 先の電話相手は、護堂の困窮した現在の状況を改善してくれるはずの唯一の知人だったのだが、残念ながら断られてしまった。

 それもこれも、今護堂が宿泊している貸別荘にいる麗しくも恐ろしい女どもの責任だ!

 いま護堂はこの南国の島に三人の少女と一人の女性とともに夏休みの長期休暇を利用して、貸別荘を借りて過ごしていた。

 まあ、ここにきた理由は色々あるのだが、主な理由としては、ここサルデーニャ島に住む祖父の知人である女性に招かれたためであった。

 とはいえ、この話だけでは、まるで護堂が南欧の島国でいずれも見目麗しい四人の女性たちとひと夏のアバンチュールを愉しんでいるのだと勘違いするかもしれない。

 だが、違うのである。そんな生易しい話ではないのである、と護堂は確信している。

 それはこの四日間というもの、護堂はたび重なる女たちの「攻撃」にひとり健気に耐え抜いてきたからである。

 金髪の外国人美少女の強引過ぎる誘惑の数々に。その彼女の従者である日系年上少女の名状し難い手料理の数々に。純和風美少女の冷厳とした諌める言葉の数々に。グラマラスな肢体を誇る年齢不詳の美女の無軌道に周囲を煽る行動の数々に……

 世の男たち――特に護堂と同じ年代の少年たちなら、今の護堂を見て「一体オマエの何処が不幸なんだよ! このリア充爆発しろぉぉッ!!」と血の叫びを発しただろう。

 しかし、違うのである。

 所詮、幸福、不幸と言われる事象は、往々にして相対的なものである。

 これと言った絶対的な数値を持つことはない。個々人の感覚的な判断、満足度の充実の度合いによって決定されるものに過ぎないのである。

 一生使いきれない程の金銀財宝を所有し、毎日を享楽的に生きていながら、自分は不幸だと嘆く者もいるだろう。また、経済的に困窮して明日をも知れない毎日を送りながら、自分は幸福だと断言する者もいるに違いない。

 それと同様に、四人の美女美少女に囲まれて過ごしながら、護堂は間違いなく自分が「不幸」な人間だと確信していた。

 だがそれも、もう限界だった。護堂はこのまま不幸であり続けるつもりなど毛頭ない。

 今宵、草薙護堂は旅に出る。

 避難場所を提供してもらおうと、藁にもすがる思いで電話をかけた相手からは、素気無く断られてしまったが構うものか。このまま野宿してもいい。重要なのは女どもから離れて英気を養うことである。

 その想いをあらたに護堂は、携帯電話を懐に仕舞い込み、夜の道へと意気揚々と踊り出す。

 もう一度顔を上げると、天上に輝く銀色の半月が、心なしか今度は自分を優しく包み込んでくれているような気がした。

 ――だが、やはりそれは護堂の勘違いでしかなかったらしい。

 護堂は少し前から危険な予兆を感じ取っていた。

 背筋に緊張が走り、体と四肢に活力が漲ってくる。神殺しの魔王が仇敵である神々と接近した時のみに起こる体内の変化。

 そして、サルデーニャ島の夜の海辺にて草薙護堂は、とある女神と対峙していた。

 まつろわぬアテナ。

 かつて護堂が東京で戦い、辛くも勝利を収めた戦女神。

「ひさしぶりだな、草薙護堂よ。あなたとの再会に、妾の心も些か昂ぶっておる」

 かの幼くとも美しい女神が傲然と口を開いた。

 やはり今日も護堂は不幸である。

 

 

 同時刻、日本――

「……」

 都心の喧騒も遥かに遠い、山奥の人口湖。その湖畔にある地元民が決して足を踏み入れない、広大な森林の奥に居を構える純日本邸宅の壮麗な屋敷。

 その一角にある道場にて神無月宗一郎は無言で携帯電話を弄っていた。

 リリアナさまと連絡を取り合ったらいかがでしょうか。ちなみに、リリアナさまの連絡先は既に入力済みです――などと、妹が妖しく微笑みながら強引に押し付けてきた、使い方が全く解らない電子機器。

 結局、一度も使用することがないまま、少し前に何故か光るのを止めて、それ以降うんともすんとも言わなくなった。

 沈黙した携帯電話を眺めたまま、彼は深い吐息をついた。

 ふと顔を上げると、そこには……いつもの見慣れた道場の天井だった。心なしか汚れが目立つ気がするものの、今はとても雑巾を手にする心持ちにはなれなかった。

 今日も今日とて宗一郎は、まるで世に蔓延る不運を一身に背負ったかのような暗鬱とした面持ちで佇んでいた。

 それもこれも、二ヶ月以上もの永い間、『まつろわぬ神』と戦っていないせいである。

 どうして世界は、かくも理不尽な所業を自分に科すのか、彼には皆目見当もつかなかった。毎日毎日、神を狩るために厳しい修行を勤勉に励んでいるというのに。にも拘らず、さっぱりご褒美ひとつ渡して来ない天の責任だ!

 一月ほど前の今頃は、こんな惨めな思いをすることはなかった。

 『まつろわぬ神』と死合ったわけではない。が、それに匹敵する者たちと激闘を演じていたのだ。

 とある戦神から啓示を受けて以来、初めて己の同族と戦う機会が巡ってくるや否や、宗一郎は躊躇うことなく挑みにかかった。

 結果は三者三様、痛み分けで終始し完全な決着こそつかなかったが、彼はそれでもまったく構わなかった。一時とはいえ、無聊を慰められたのだから。

 しかし、『まつろわぬ神』と戦うときほどの充足感を得ることは、ついに叶わなかった。どうやら自分は生粋の神殺しであるらしい。そんな自分自身を、宗一郎は誇りに思っていた。

 同族との戦いは、確かに悪くはなかった。が、宗一郎にとって主菜にはなり得ない。せいぜい前菜かデザートといったところ。暇があれば相手をしてやろう、という認識に過ぎない。

 とはいえ、只今絶賛暇している宗一郎であるが、同族に殴り込みに行く気持ちは沸いて来ない。今はただ神と戦いたいと言う一念しかない。

 鬱屈とした気持ちを静めて、宗一郎は携帯電話を床に置き、道場の壁に立て掛けてある木刀を手に執る。

 道場の中央まで移動して、長木刀を上段に構え、鋭い呼気と共に打ち下ろす。――二振り、三振りと続けて静寂に満ちた空間に、大気を切り裂く斬音が響く。その調べが耳朶を打つ度に、宗一郎の心は洗われ、五感は研ぎ澄まされていく。

 剣を奔らせるのは、やはり心地良い。宗一郎は自らを剣士であると任じている。とはいえ、別段、剣ばかりに拘っているわけではない。

 生まれ落ちた瞬間より、神を殺すことを義務付けられてきた宗一郎の事である。

 武芸百般はもちろんのこと、呪術にも通暁している。その中でもとりわけ剣を恃みにしているに過ぎず、決して純正の剣士というわけではない。

 状況次第によっては剣を捨てて、徒手空拳で応じる上に、手足を使えぬとあらば、歯牙だけで敵の首を噛み切ることも辞さない。

 妖しき超権を信用するよりも、彼は己が肉体を徹底的に活用する。それが最も若き神殺しのスタイルだった。

「ふっ――」

 再び上段から打ち下ろす。そして戻して、もう一度――身体はその単純作業を一心不乱に打ち込みつつも、同時に精神は別の場所に飛んでいた。

 純正の剣士。その言葉に引っかかるものを覚えた。そういえばと、ふと宗一郎は以前に妹が言っていたことを思い浮かべる。

 自分の同族に、ひと振りの剣のみで神を屠ったが故に“剣の王”と異名をとる凄腕の剣士が外の国にいるとか。

 あいにく名前は記憶していないが、妹の話では自分のように呪術に手を染めることなく、純粋な剣腕のみで神を殺めるに至ったとか……

 その話が真実なら、まさに純正の剣士の理想形。真に無謬なる剣士だろう。なるほど“剣の王”を名乗るに相応しい人物に違いない。

 少なくとも自分のような「雑ざりもの」にその名を戴く資格はあるまい。

 果たして、その剣士はどのような技を修得したのだろうか。その剣士はどのような理を体得したのだろうか。興味は尽きない。だがそれでも、今は何より神と戦いたい!

 その宿願の前には、それ以外の願望など二の次だ。

 宗一郎はたちどころに先刻まで懐いていた想いを忘れ去り、無心に返って素振りを繰り返す。神々を仕留めるためには、修練を欠かすことはできないのだから。

 その宗一郎の傍らにふっと現れる白い影。それは黒曜石の如く滑らかな長い黒髪に、凛とした清楚な雰囲気を併せ持つ巫女装束を纏った娘である。

 彼の妹、神無月佐久耶だ。生身ではない。この巫女に備わっている幽魂投出の霊力による幽体である。

 修行を中断して、宗一郎は訝しげな眼差しを妹に向ける。この時間、佐久耶はいつも儀式の間に籠っているはずだが……

 佐久耶の体質的理由なのか、それとも月の魔力の影響によるものかは、定かではないものの、妹は夜になると霊能力が冴えわたるらしい。

 それ故に、最高潮時ともなると、神無月家の秘術と合わさり、佐久耶は神々の現界の『感知』のみならず――『予知』をも可能たらしめる。

 そのため夜の到来とともに、彼女は『生と不死の境界』に己の御魂を沈めて、霊視を賜るべく儀式を試みている。

 とはいえ生憎とこの二ヵ月、それが実を結んだ(ためし)はない。いかに佐久耶といえども、常に能力を最高の水準で保てるとは限らないのだろう。

 だから、今夜も宗一郎はさして期待していなかったのだが……こうしてわざわざ、幽体で現れたことを考えると、ひょっとして成功を収めたのではと、思わず期待してしまう宗一郎。

 事実、佐久耶は兄の思いを肯定するかのように柔らかく微笑み、告げる。

「兄さま、どうかお喜びください。『まつろわぬ神』の顕現を予知しました」

 最も若き神殺しは、口元に戦士の昏い笑みを刻む。 

 今日の宗一郎はもう不幸ではなかった。

 

 

 かくして、南欧の地で今なお栄える古き都にて、三人の魔王の運命が絡み合い、喰らい合う事に相成った。

 


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