神殺しの刃   作:musa

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二話 魔王相打つ

 時は少しばかり遡る――

 いち早く神無月宗一郎が、奇しくも同族同士の決闘場と化してしまった地下遺跡に赴いていたのは、妹の佐久耶に直接送り込まれたから……ではない。

 もちろん、ナポリまで瞬間移動の術で無事に密入国を果たしたのは事実である。だが降り立った場所は地下の遺跡ではなく、地上の街中だった。

 異国の都の大地を踏みしめた宗一郎は、直ぐに隠形の結界を張り、呪術の探査の糸を四方八方へと拡げた。もちろん地下にも、である。

 そして、探り当てたのだ。

 この都の地下深くの何処かより漏れ出している神力の気配を。

 それはあまりにも小さな反応だった。神々の気配に鋭い神殺し、それも呪術の修行を積み呪力の感覚を、さらに研ぎ澄ました宗一郎だったからこそ気付けた。のみならず、それと同時に微小の神力を取り囲むように展開している呪術、おそらくは神力を隠すために敷設された隠蔽術式もまた感じ取っていた。 

 この時点で、宗一郎は地下の神力の発生源の正体におおよそ見当がついた。

 『まつろわぬ神』が直接降臨しているのではなく、その神々所縁ある神具の類が存在しているのだろうと。

 それは神々を封じて置くには、宗一郎が地下から感知した結界の強度は、あまりに脆弱すぎたからだ。が、神具から溢れ出た神力を外に漏らさぬ程度のことなら充分である。

 実際、宗一郎も真剣に気配を探っていなければ、見逃していたかもしれない。

 間違いなくこの結界を張った術者は、神具を安置している場所に余人を近寄らせたくないに違いない。とはいえ、一度見つけ出した以上、宗一郎に行かない、という選択肢はあり得ない。

 そうと決まれば、宗一郎の行動は迅速だった。

 異国の見慣れぬ街並みは宗一郎の好奇心を刺激して余りあったものの、二か月前にダブリンの件で妹に厳しく諌められたことを思い出し、彼は悄然と項垂れ、前回のような「事故」が起こらぬようにと、念入りに隠形を強化。

 それから泣く泣く街の喧騒を掻き分け、地下から漏れ出している神力の気配がするちょうど上の地区まで足を向けた。

 そこは商店がひしめき合うとともに無数に入れ込んだ路地が拡がる区画だった。

 何の手掛りもない現状、宗一郎独りでこの広大な地区から地下へと通じる道を探し出すのは不可能だ。またこの地区にあるという保証もない。

 だと言うのに、宗一郎の歩調に迷いはない。彼にはある策があった。

 神具が呪術によって隠されているのなら、当然、呪術師の管理下にあるとみて間違いない。神具という重要かつ危険極まりない物品を、個人で管理しているとは思えないからだ。となれば、かなりの規模の呪術結社が動いていると見ていいだろう。

 ならば、組織の人員も相応の数が動員されているだろう。とくに地下へ続く入り口には間違いなく見張りが配置されているはずである。

 そう――呪術師を。

 ここまで思考を巡らせれば、後はやるべきことは明白だ。

 その呪術師を突き止めればいいのである。もし見張りの呪術師が特定できたのなら、同時に地下への入り口も見つけ出したも同然だ。

 だが、これが容易なことではないことは一目瞭然だった。

 この地区だけを限定しても優に数万人を超えるだろう住人たち。その中でも呪術師の数は一パーセントにも満たないだろうが、それでもなお、砂浜から砂金を探り当てるに等しい難行だ。

 とはいえ、手段が全くないわけではない。

 砂金がただの砂利と質量密度が違うように、呪術師と一般人では呪力密度に大変な差異がある。

 そして、神を弑逆して最強の呪術師へと成り上がった宗一郎の呪力感知能力は、この都の地下深くに隠されていたはずの神力を知覚出来きるほどだ。

 いわんや呪術師の呪力を感じ取る程度のことなど、さして難事ではない。が、流石にこの地区丸ごととなると少々骨が折れる作業になるものの、所詮はその程度の労力に過ぎない。

 もっとも、この都市全域を精密に走査する――となると、いかに宗一郎と言えども、何の準備もなしにやり遂げることは不可能であったが、もとより、そこまで本気で取り組むつもりは毛頭ない。

 焦る必要はないのだ。なぜなら、宗一郎がこの都市に足を踏み入れた時点で、神殺しの本能が戦いの時は近いと告げていたのだから。

 故に、地下に安置されている神具と思しき存在の探索など、ただの暇つぶしに過ぎない。地下への入り口とて、別段見つからずとも構わないのだ。

 実際のところ、『まつろわぬ神』が顕れるまでの間の無聊を慰められるのなら、何でもよかった。何時もの異国の街の散策が、宝探しに変わっただけ。

 だから、宗一郎は結果をまったく恐れる風もなく、悠々とある一角へと足を向けた。そこは彼が地下から感じ取った神力、その場所の丁度真上にあたる位置であった。

 

 

 潮の香りが風に乗って香ってくる。夜の静寂に寄り添うようにざあざあと優しい波の音が聞こえてくる。

 闇を抱えるばかりのこの時間帯では、風光明媚なナポリの海の景色を愉しむことはできそうにない。もっとも、もとより景観にさして関心のない若き神殺しには関係のない話であるが。

 いま宗一郎はサンタ・ルチア地区の波止場の片隅に陣取り、目を閉じ、精神を集中させ、<呪力感知>の呪文を行使する。

 術の効果を地上だけに限定し、更に半径数キロ圏内のみと走査範囲を絞り込む。これで効果がなかった場合、さらに走査範囲を拡げる必要があるが……

 果たして、反応はあった。数は予測通り少ない。十にも満たないようだ。だが気がかりなことが二つ。

 ひとつは、かなり高い呪力を持つ者が一人存在する。手練れの呪術師だろう。……何処か見覚えがある気配のような感覚があるのだが、おそらくは考え過ぎだろう。

 ふたつは、探知の術が一部弾かれたような感覚があったこと。余程強力な護符を所持しているのかもしれない。多少興味はあるものの、いまは宝探しの方を優先する。

 宗一郎は思考を切り替えて、再び足を動かし始めた。

 最初の目的地は、ここから数百メートルと離れていない。宗一郎は呪力の反応があった箇所を、近場から順繰りに調査していくつもりだった。

 そして、宗一郎は――とある古着屋、その扉の前に黙然と佇んでいた。

 真夜中にも拘らず、ひとり店内に残っている人間は、呪術師であることは先の術で把握している。

 そればかりでなく、店内から明らかな呪術を張り巡らしている痕跡が視て取れた。

 これは是非とも調べてみる必要があるだろう。それにこれは勘に過ぎないが、宗一郎は「当たり」を引いたような予感があった。

 だが宗一郎はいますぐ店内へと踏み込みたい衝動を何とか押し留める。店内の気配を探って見たところ、どうやら店員は店の扉が見える位置からまったく動きがない。

 もしかすると、扉を見張っているのかもしれない。実際このまま店内に侵入したのなら、即座に発見されるだろう。

 もちろん、無力化するのは容易いが……宗一郎は出来るならやりたくはなかった。

 と言うのも、店員の呪力の性質は陰の気――つまり女性だった。

 魔王の癖にフェミニストを気取る宗一郎としては、女性に危害を加えたくない、というのが正直な話である。

 そして、問題はそれだけではない。

 宗一郎はチラリと顔を横向ける。そこには、まるでこの店を見張るかのように、近くの物陰から一匹の黒い猫が隠れ潜むように蹲っていた。

 ただの野良猫……ではあるまい。あの猫の小さな身体から微かな呪力の気配がする。おそらくは呪術師の使い魔だろう。

 目的は店への出入りの監視、といったところか。あの使い魔の主は、この店に出入りする人間にかなり関心があるらしい。

 当然、店の扉の前で堂々と突っ立ている宗一郎など、あの猫の視界にばっちりと収まってしまっているはずなのだが、彼に慌てた様子はない。

 猫如きに自分の隠形術を見破られるはずがない、という自信ゆえだ。

 とはいえ、このまま扉を開けるのは甚だ宜しくない。あの猫の目には、無論、宗一郎は見えず、ただ勝手に扉が開閉する場面だけしか映るまい。だが使い魔には意味は解らずとも、その主にまで隠し通せるとは思えない。が、対抗手段がないわけではない。

 もっとも、それ以前に、店内にいる女性の方を優先的に対処しなければならないのだが、こちらはその必要があるのなら何とでもなる。

 もちろん、荒事はなしで、だ。呪術を修めている宗一郎にとって、選べる手段は無数にあるのだ。

(さて、どの方法を選べば、無難にこの状況を切り抜けられるでしょうか……)

 しばらく手段について熟考していた宗一郎だったが、不意に店内の気配の主が建物の奥に移動していくのを察知した。ひょっとすると何かの小用が出来たのかもしれない。おそらく僅かな間に過ぎないだろうが、これで障害のひとつが消えたことになる。

 この突然の好機を宗一郎はすぐさま活用した。

 彼は呪術の糸を物陰から古着屋を盗み見ている黒猫へと伸ばす。使い魔の主に気取られぬよう迅速かつ精密な呪術操作で、野良猫の支配権を奪い取る。

 そこから先、宗一郎が駆使した呪的技法を現代技術に例えるならば、ハッカーが監視カメラにハッキングして、人が映った映像を誰も映っていない偽映像へと差し替える作業に似ている。

 事実、呪術師の使い魔は、宗一郎が<解錠>の術を使用して、扉を開け、隠形を維持したまま、店内に滑り込むように侵入をした彼の姿はもとより、扉が開いた光景すら脳内に記憶していなかった。

 ただ何の異常もない日常の光景を映していただけである。

 宗一郎は扉を閉めて施錠し、黒猫を支配していた呪術の糸を何の痕跡も残すことなく撤退させた。

 これでまず間違いなく使い魔の主は、何も気づくことなく宗一郎が上書きした黒猫の偽りの記憶を信じるに違いない。まさに超一級の技と言えよう。

 その後、店内の気配に注意を払いつつ、宗一郎は建物の奥へと忍び足で進んでいく。そして、まんまと呪術で隠されている地下遺跡の入り口を見つけ出したのである。

 無論、宗一郎は何の躊躇もなく足を踏み入れる。その顔には罪悪感など欠片もない、超一流の不法侵入(仕事)をした満足感で一杯だった。

 さらに暫くして店主が何時もの定位置に居座った後に、サルバトーレ・ドニが近くの物陰に隠れ潜んでいる黒猫に気付いた風もなく、一級のピッキング術を駆使し、たちまちに扉の鍵を開錠、目にも止まらない速さで店内に侵入して、目を丸くしたでっぷりと太った魔女を当身で気絶させる。

 後は勝手知ったる他人の家とばかりに、昼間に来たルートをなぞって地下遺跡の入り口をあっさりと見つけ出し、悠々と入っていく。その顔には罪悪感など欠片もない、一流の不法侵入(仕事)をした満足感で一杯だった。

 さらにさらに暫くして、リリアナ・クラニチャールは己が配置した使い魔から記憶を抽出して、すべてを了解し、慌てて地下遺跡へと駆けだしていった。

 そこでまさか「二人」の不法侵入者たちと対面する羽目になる、などとは想像だにすることもなく……

 

 

 

 

 

 そして、現在――

 激突する長刀と長剣。

 刃金と刃金がぶつかり合うたびに、満開に花開かせる火花。百花繚乱、絢爛豪華。

 また両者の剣捌きは、千変万化、変幻自在。

 片や剛の技を繰り出せば、柔の技にて軟らかく受け流す。片や柔の技で応じれば、剛の技にて正面突破を図らんとする。その時々に応じて、攻勢のスタイルを変じ、互いに必殺の一撃を叩き込まんと剣を(はし)らせる。

 一撃ごとにボルテージが猛っていく相手とは対象的に、宗一郎の精神は冷え切っていく。敵の挑発に乗ってみたものの、依然、彼はこの戦いに何の意義も見い出すことが叶わない。

 ただの作業。ただの肉体労働。

 いや、何の報酬もないのだから無報酬労働(ボランティア)と変わらない。それも、失敗すれば命を落とすのだから、まったく割に合わない。馬鹿馬鹿しくてやっていられないというのが本音だった。

 だが、これは当然なのだ。

 そもそも神無月宗一郎とは何者か?

 決まっている。

 神無月宗一郎とは神を討伐するために産み堕とされた存在。剣士であって剣士ではなく、術者であって術者ではない。

 サルバトーレ・ドニが『純正の剣士』ならば、神無月宗一郎は『純正の神殺し』だ。

 故に両者は混じり合うようでいて、根本では決して噛み合うことはない。似て非なる存在なのだ。

 確かに目の前の剣士は強い。己が純正の剣士でなくとも、技を比べたいと思う。だがそれは一瞬の夢の如く泡と消える。

 なぜならば、それ以上、心が昂ぶらない。魂が吼えない。

 それは何故か? 

 決まっている。

 それはサルバトーレ・ドニが『神』ではないが故に。

 そうとも彼は強い。剣腕に置いては、間違いなく自分を上回っているだろう。業腹であったものの、宗一郎にはそれがはっきりと理解できた。

 宗一郎が知る由もないことだが、それは至極当然のことである。

 仮に宗一郎とドニの剣の才能が同等だとするならば、後は積み重ねた研鑽の量がモノを言うのが道理である。およそ十年にも及ぼうかという年齢差に加えて、宗一郎は呪術の修練まで剣と同等の密度で積んでいるのである。

 ただ一心に、ただ無骨に、己が生涯を剣のみに捧げてきたサルバトーレ・ドニとは、剣に対する取り組み方が根底からして違いすぎる。

 そのドニの妄執染みた剣への執着心は、宗一郎が掲げる神仏必滅の想念に通ずるものがある。すなわちその根底にあるのは、天下無双に到らんとする「狂気」に他ならない。

 これでは宗一郎に勝てる道理がない。

 基本、神やカンピオーネに呪術は通じない。剣術勝負に到っては、地金が違いすぎて話にならない。

 それでも、宗一郎とて一振りの刀にて神を屠った神殺しの剣士である。五本に、いや三本に一本の割合で勝利を掴み取って見せる自信はある。

 だが、そんな自信が現実の技量差(キャリア)の前に何の価値があるというのか。

 そう、価値などない。あるはずがないのだ。

 にも拘らず、どうして宗一郎はこの状況下で――

 

 

「はは――」

 

 

 ――涼やかな笑みを浮かべているのか!

 年齢の差異(キャリア)? 修行の密度(キャリア)? 技量の錬度(キャリア)

 下らない。下らない。下らない。

 なんなのだ、その言葉遊びは?

 そもそも魔王に堕ちた人間に、そんな常識を当て嵌めようとすること事態、すでに間違っている。

 事実、宗一郎は眼前の金髪の剣士との勝機は、五分(、、)であると認識していた。

 当然だ。カンピオーネ同士の戦いにおいて、確率論など論じても意味はない。真の強者である彼らは、千億に一つの率でも勝利を掴み取ってしまう埒外の存在なのだ。

 そうでなければ、どうして天災の化身たる『まつろわぬ神』に勝利できようか。

 ましてや三本に一本も勝利できる(、、、、、、、、、、、)敵など恐れるに値しない。その勝利できるその一本の力を、この実戦にて発揮すればいいだけのこと。

 そして、敵もまた魔王。

 それも宗一郎から三本に二本を獲れるほどの地力を有しているなら、相手もまたその勝利できる二本の内一本を実戦に持ち込めばいいのだと考えているだろう。

 そして、両者ともに自分ならばそれが可能であると露とも疑っていない。

 故にこそ彼らは「互角」なのだ。

 暴論? 極論? 否、否である。これは正論だ。

 これが、神を弑逆せし埒外の存在同士の戦いなのだ。彼らの戦いにおいて些細な戦力差など、ゼロに等しい。

 宗一郎は長刀の柄を握りしめ、更なる一撃を加えるべく深く一歩を踏み込む。

『まつろわぬ神』打倒の前に立ち塞がる、鬱陶しい石ころを排除するために。

 

 

 閃く剣光の煌きは星々の輝きに似て、刃金の激突で散る火花の激しさは、その星が終わる超新星の爆発を連想させる。

 地上から見上げる星々の輝きが過去から届けられる星光であるように、リリアナがいま垣間見ている斬光が瞬いている間にも、既に何十もの剣戟が繰り出されているのだろう。

 古代ギリシアでは四年に一度、神々に武闘を捧げる巨大な祭典があった。現代のオリンピックの起源ともいうべき古代のオリンピックである。

 ならば、いまリリアナが目撃しているのは、ギリシアの神々の女王の神具――ヘライオンの御前にて開催された競技会(オリュンピア)

 決して表舞台に出ることはない、闇の武闘会(オリュンピア)であった。

 英傑ひしめく古代ギリシアの戦士たちであろうとも、いまこの場にて剣舞を披露している二人に比肩する剣士が、果たしていたかどうか。

 リリアナは人類最強の剣士を決定するといっても過言ではない、史上類をみない決闘を目の当たりにしつつも、感動ではなく、恐懼に身を震わせていた。

 無論、リリアナとて超常の戦いを目にするのは、何もこれが初めてというわけではない。

 古くは四年前に、そして、最近では二ヵ月前にも関わっている。こちらはリリアナ自ら剣を執り、神と直接矛を交えすらした。

 奇しくも、それら二つの事件の中心的役割を担った人物たちこそ、いま彼女の眼前にて死闘を展開している剣士たちに他ならない。

 故に、いまさら超常の戦いを目にしただけで臆するリリアナではない。

 『神』に一振りの剣で立ち向かう『王』の光景を見たことがある――

 『王』と『王』が互いに奪い取った「神の能」を以って、戦い合う光景を見たことがある――

 だが、そんなリリアナであっても、『王』と『王』が互いに練り上げた「人の業」を以って、斬り合う光景だけは目にしたことはなかった。

 そして、その光景のなんと凄惨たる有りさまであることか!

 カンピオーネ同士が超権を駆使して戦う光景は、ただ圧倒されただけであった。それは常人ではまったく理解できない法外な力を以って戦い合っていたからだ。

 だがこの戦闘は違う。

 彼らが駆使しているのは「神の能」ではなく、「人の業」。そして、二人の得物はリリアナにも扱いの心得がある武器たる剣。

 天才と謳われようとも、彼らと比べれば所詮は常人のひとりに過ぎないリリアナである。だから、二人の剣士が繰り放つ秘技の一端たりともまったく理解できない。

 そんな彼女でも彼らの強さの根源にあるのは、才能などと言った、あやふやでカタチのない物などでは断じてないことは肌で理解できた。

 それは血反吐を吐くほどの荒々しい修練によってのみ培われる努力の結晶に他ならない。

 彼らの人生はある意味、単純に廻っているのだろう。

 黒髪の少年は、神を斃すために。

 金髪の青年は、剣を窮めるために。

 己が定めた『道』の最果てに到らんがために彼らは剣を執る。ただ真っ直ぐに、ただ愚直に、一本の道だけを確かに見据えて、迷いなく進んでいく。

 彼らの在り方を言葉で表現するのは簡単だ。だが普通の人間は、彼らのようには生きられない。

 そもそも道と言ったところで、現実の道と違って一寸先は闇だ。

 目に見える形ではっきりと道筋を照らしてくれるわけではない。目に映らない以上、当然迷うこともあるだろう。

 本人は正しい道を歩んでいるつもりであっても、実際はまったく違う方向に足を向けていることもあるに違いない。

 あるいは、ある日突然自分が歩いていた道が間違っていると感じて、それまでとはまったく別の道に乗り換える者もいるはずだ。いや、それ以前に、自分の道を見出すことが出来ない人間も存在するだろう。

 それが普通の人間――常人というものだ。

 だが彼らはそうではない。己がそうと道筋を定めた以上、どれほどの艱難辛苦な試練が待ち受けようとも、それに殉ずる覚悟を備えた男たち。

 凡人たちがどれだけ不可能だと、訴えようとも彼らの歩みを止める理由にはなり得ない。彼らが奉じるそれを、信念と表するにはその『道』は峻厳であり過ぎる。

 彼らの道を歩むには、清澄な光を灯したような「信念」など懐いていては、到底歩めまい。もっと汚濁に満ちた「愚念」に穢されていなければ、踏破など望めないだろう。

 すなわち、それは「狂気」に他らない。だからこそ、彼らは神を討滅するほどの武技を体得出来たに違いない。

 人間の身でありながら、それでもなお、人間を超えさせるに到った「狂気」の持ち主同士のぶつかり合いは、リリアナを以ってしても恐怖に顔を青褪めさせる。

 即ち一振りの剣で神を屠った剣士たちの戦いとは、磨き上げた剣技の競い合いというよりも、胸の内に秘めている狂気の比べ合いだからだ。

 「正気」の人間の正視に耐えられるはずがない。にも拘らず、リリアナは視線を逸らすことが出来ない。

 確かにこの戦いは、凄まじい。

 だが同時に、狂気に取り憑かれた剣士たちの戦いは、悍ましく、途方もなく醜くもある。

 そう、リリアナははっきりと感じ取っていた。彼女の真っ当な感性では、神を滅ぼすほどの武を磨き上げる彼らに対して、共感出来ないからだろう。

 だが、理解は出来る。無論、辛うじて、であるが……

 リリアナとて一端の剣士であり、魔術師でもある。ひとたび剣を執った以上、これを窮めんとする志とは無縁ではなかった。

 また、魔術師として生を受けた以上、最強の魔術師たるカンピオーネに成り上がる、という野心を懐かなかったかといえば嘘になる。

 これは何も彼女に限っての話ではない。この世界すべての魔術師たちならば、一度ならずとも懐いたことのある共通の理想(ユメ)だろう。

 事実、リリアナの旧友であるところのエリカ・ブラデッリなどは、その典型だった。

 若く才溢れるあの女ならば、他の凡百の者たちより切実にその理想を懐いていた筈だ。もっとも、七人目誕生の場に居合わせたことで、カンピオーネがどういう存在であるか直接体感することで、その野心を断ち切ったようだが。

 一方リリアナは、魔女の資質を有していたために、直接『まつろわぬ神』と遭遇せずとも、直感的にカンピオーネとはどういう存在であるか理解していた。だから、そうそうにその理想(ユメ)から解放されていた。

 そして、あの剣士たちはかつてリリアナが、エリカが、世界中のすべての魔術師たちが一度は懐き、そして捨て去った見果てぬ愚念(ユメ)を叶えた生粋の愚か者たち。

 誰もが恐怖し、背を向けた峻烈な『道』を踏破した最強の剣士たち。

 リリアナの奉じる騎士道とは、どうあっても相いれぬ我執に満ちたその在り方。

 それでも、かつてリリアナも胸に灯した最強(ユメ)を実現した剣士たちの背から目が離すことが出来なかった。

 ――だからこそ、リリアナは見逃した。

 剣士たちが剣戟を響かせ合う度に、神具ヘライオンから立ち昇る呪力がまるで鼓動するかのように激しく変動していくさまを。

 


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