神殺しの刃   作:musa

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三話 やはり彼は幸運だった

 幽世の深淵。真なる神の座。

 不死の領域と呼ばれるその界層にて、『彼女』は剣戟の音を、鬨の声を、確かに聞き咎めた。

 戦士たちが神々の女王たる己に武を捧げているのだろう。かつてこれと同じ斬音(おと)を最高神の傍らに座して、幾度も見聞きした。

 その懐かしい刻を改めて振り返り『彼女』は――かつて懐いていた憎悪(オモイ)が蘇える。

 憎い、憎い、憎い!

 戦士が憎い。英雄が憎い。男神が憎い。己からすべてを奪い尽くした男どもが憎くて堪らない!

 遥かな太古の時代――何処からともなく来襲してきた、戦うことしか知らぬ野蛮な男たち。軍馬を駆る、あの戦士たちが『彼女』の真の民を殺戮し、ついには屈服させしめた。

 それのみならず、あろうことかあの野蛮人どもは、その穢らわしい手で以って『彼女』の神話(カラダ)をも凌辱の限りに尽くしたのだ。

 こうして最も古い『彼女』の神話(カラダ)は切り刻まれ、バラバラに鋳潰された上、野蛮な男どもが持ち込んだ新しい神話(カラダ)へと焚べられ鋳直された。

 古代から永きに亘る年月、『彼女』の神格は歪められ、貶められ続けた。

 『彼女』の民を征服した野蛮な男どもは、『彼女』を自分たちが崇める最高神の妻――神々の女王の地位を恭しく迎え入れはしたが、それが何の慰めになろうか。

 しかし、『彼女』とて今の身分を甘んじて受け入れたわけではない。無論、何度も反抗を試みた。が、すべてが徒労に終わったのである。

 神話がそれを赦さない。民衆がそれを認めない。忌まわしき最高神の妻であれ――と、『彼女』を征服者どもが定めた鋳型に強引に押し填める。

 『彼女』こそが至高の神である――と、跪き崇め奉った民たちは、歴史の重みに押しつぶされ、儚く消え失せた。残ったのはその残骸のみである。

 『彼女』の古き神話は、余すところなく完全に新たな神話へと組み込まれてしまった。

 『彼女』の示してきた誇り高き「反抗」の数々は、そのことごとくが最高神への「嫉妬」と心得違いも甚だしい勝手な解釈へと貶められ、更なる神話の土壌と化した。

 この神話の中に身を置き続けている限り、胸を焦がすこの怨讐を晴らすことは、永遠に叶わない。そう、今までは……

 だが、ひとたび忌まわしき神話の中から抜け出す機会が巡ってきた今このとき、果たして自分はどう振る舞うべきなのか。

 すべてを赦し、忘却し、不死の領域に満ち足りた、この永遠の安らぎに包まれ、眠り続けるべきではないのか?

 ――否、否、否、そんなことは不可能である!

 なぜなら『彼女』は思い出してしまった。自分の神話(カラダ)が穢されたという事実を。あの刻の屈辱を。あの刻の憎悪を。

 そうである以上、二度と以前の自分には還れない。いや、還るつもりなど毛頭ない。

 自分を犯した野卑なる男神どもに復讐を。己の民を殺戮した英雄どもに鉄槌を。『彼女』をこのような身に貶めた世界に災いあれ!

 現世に具現化した祭具から流れ込んでくる下界の不浄なる空気に触れて、『彼女』が穢れていく。狂っていく。堕ちていく……

 かくして、一柱の『まつろわぬ神』が今まさに降臨せんと、胎動を始めた。

 

 

              †          ☯

 

 

 神具ヘライオンの前――神無月宗一郎とサルバトーレ・ドニは、剣術界屈指の名勝負が嘘だったかのように戦闘の開始時とまったく同じ位置において、両者再度対峙していた。

 先程まで騒々しかった地下遺跡の空間に、再び静寂が舞い戻る。だが、それは一時の間に過ぎないことは、この場にいる全員が解っていた。

「――そろそろ、身体も良い感じで温まってきた頃合いだし、ここからは、戦いのレベルをもう一段階上げてみようよ、宗一郎!」

 そう嘯くと同時にドニの右腕から白銀の光が輝き放つ。剣の王が所有する最強の権能。その準備が始まったのだ。

 神々しい白銀の輝きが、薄暗い地下空間を席巻する。いまやドニの右腕は、血肉が通った人間の腕ではなかった。金属造りの腕。その精緻な拵えは人工物ではありえまい。

 それもそのはず、かの銀腕は神造鋳造された神代の品に他ならない。

 ドニの右腕は、手に持つ長剣を白銀に染め上げ、ただの駄剣を神代の剣へと変える。銀の腕で振るう“得物”に、形在るもの悉くを断ち割る、神威を授ける。

 それこそサルバトーレ・ドニがケルトの神ヌアダより簒奪した権能――『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・ザ・リッパー)』である。

 対して、宗一郎もまたそれに応じるように、両手に握る長刀を意識して精神を集中させる。呪力が怒涛の勢いで長刀に注ぎ込まれるや、その刀身が燐然と赤く輝き、白銀(ドニ)に負けじと空間を紅蓮に照らす。

 神無月宗一郎が密教における明王の一尊――烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)を倒して得た『聖火』の権能。邪悪を打ち破る破邪顕正の炎を長刀へと封じ込めて、人剣を神剣へと進化させたのだ。

 奇しくも両者、人造物から神造物へと造り変えた得物を手に執り、相対する。

「へえ~、これから先は、流石に今までのような剣術勝負は無理だと思っていたんだけど、どうやら僕の考え過ぎだったみたいだね。これは嬉しい誤算だよ」

 そう言って、本当に嬉しそうにドニは双眸を輝かせて、宗一郎の長刀を見やる。

 さりとて宗一郎は何もドニの期待に応えてやるために、権能を行使したわけではない。

 敵が晒した権能――金髪の剣士が持つ白銀の剣の威力を正確に推し量ったが故に、彼も自らの得物を権能にて強化せざるを得なかったのだ。

 普段は権能の使用を躊躇する宗一郎であるが、それは相手が神々に限ってのこと。純正の神殺しである宗一郎にとって、神以外の敵まで「真剣勝負」に拘泥する理由はない。

 ましてや、いま宗一郎の眼前にいる敵は、『まつろわぬ神』との戦いを邪魔する障碍物に過ぎない。それを排除するために、全力を尽くすことを躊躇う道理がない。

「さっきは、僕から仕掛けたからね。今回の先手は宗一郎に譲るよ。――さあ、何時でも撃ってきていいよ!」

 傲然とそう言い放って、ドニは神剣を下方に向ける。千変万化の構え――無形の位。

 対して宗一郎は、

「そうですか、では――有り難く、もらっておきます……ッ!」

 その言葉と共に白装束を翻し疾走した。

 相も変わらずこの死合いを心底から興じる腹のドニとは裏腹に、宗一郎にはそのつもりなど毛頭ない。その心胆にあるのは、戦闘開始時と変わらぬ思い、すなわち、可及的速やかに障碍物を排除する一念のみ。

 故に、最速の剣にて決着をつける!

 轟音。ここが地下であるにも拘らず、まるで天空から雷が降り注いだかのような怪音。

 ――それが、ただ独りの人間の踏み込む足音であるなどと誰が信じようか。

 激烈な震脚と同時に大気の絶叫。逆巻く風と共に巻き上がる砂埃を背負い、宗一郎はひた走る。生身の人間では到底為し得ることが叶わない、音速を超えた超高速の歩法。

 だが宗一郎には解っていた。この程度ではあの最強剣士の“目”から逃れられることなど叶わぬことを。

 故に、もう一手工夫する。

 金髪の剣士の間合いに突入する寸前、宗一郎の身体がやおら真横に流れる。まるでダンス会場で踊っているかの如き、軽快なステップでもって、微塵も速度を減じることなく瞬く間にドニの背後へと廻りこむ宗一郎。

 直進すると見せかけて、急旋回による背後取り。

 虚と実が入り混じった宗一郎流――幻惑の歩法。たとえ、達人の域に達した武術家といえど、碌に反応できないまま斬り伏せられたことだろう。

 だが――

「無駄無駄~。その迅さも権能に因るものなんだろうけど、アレクや護堂ほどのスピードは無いみたいだね。でもその分、君の技が入っているから、あの二人よりは見物だったけど、やっぱりその程度じゃあ、僕の“目”からは逃げられないよ、宗一郎!」

 サルバトーレ・ドニは、只の達人に非ず。神を屠った最強の剣士である。己が刃圏に侵入した形あるモノを悉く切り刻み、無に帰していく。

 故にこのときも例外ではない! 

 白銀の剣が閃く。自らの背後に侵入した敵を両断せんと横一文字に斬光が輝き放つ。狙い過たず神剣は白い影を斬り裂いた……

 眉を顰めるドニ。手に何の感触もない。どうやら逃したらしい。まったく敵ながら天晴な軽功術である。が、些かの問題もない。なぜなら、彼の“心眼”は完全に敵の姿を捕捉している。

 上だ。裁断される直前、上空に跳び上がって難を逃れたらしい。それのみならず、おそらくは天井を蹴り上げて上空から強襲を仕掛けてくるつもりなのだろう。そうと見切ったドニは、顔を上向けて、余裕を以って手元に剣を引き寄せる。

 宙を舞う宗一郎を視界に収めたドニは、ふと違和感を覚えた。

(高さが足りない……?)

 この地下遺跡の天井高さは六メートルを超える。だが宗一郎の跳躍はその半分ほど。すでに勢いが失速しているところを見ると、あれが限界地点なのだろう。

 しかし、それはあり得ないはずだ。敵が軽功術の達人であることは、とっくにこの戦いで証明されている。ならば、六メートルの高さ程度、跳び上がれない筈がない。

 ドニの直感が、けたたましく警鐘を鳴らす。

 それを証明するかのように、宗一郎の身体が旋転、天地を逆転させながら、双眸ははっきりとドニを見定めていた。

 そこから繰り出される脚。本来何もない空間を薙ぐばかりの脚は、だがそのとき、確かに虚空を蹴って(、、、、、)、ドニ目掛けて襲い掛かってくる!

 これぞ神無月宗一郎が北欧(アイルランド)の英雄神クー・フリンを倒して得た飛翔の超権。宗一郎第三の権能――後に賢人議会が名付けることになる『跳躍の奥義(ザ・ジャンパー)』である。

「!?」

 瞠目するドニ。物理法則は嘲笑う、その挙動にさしもの彼も半秒対応が遅れた。そこに凄まじい勢いで魔鳥と化した宗一郎が獲物を喰らうが如く、上空からドニを強襲する。

「ぐっ」

 防ぐドニの総身には、位置エネルギー、脚力、剣撃その他諸々プラスされた超エネルギーの塊が牙をむく。

 踏みしめる地面が同心円状に罅割れ、パワーに屈して膝がガクリと下がる。片口には、敵の切っ先が喰い込んでいる。だがそれでもなお、ドニは全身の力を総動員して押し返さんと更なる力を剣に込める。

「……?」

 上空から床面に着地した宗一郎は、訝しげに眉を顰めた。

 彼の紅蓮の長刀は、敵の右肩に刃先を喰い込ませている。だがそこまでだ。それ以上ビクとも動かない。

 都合三手工夫した連続攻撃は、見事に嵌り金髪の剣士に渾身の一撃を見舞うことに成功した。が、本来なら敵を一刀両断してしかるべき威力が秘められていたと言うのに、なぜか彼はピンピンしている。

 与えた傷も掠り傷程度だろう。生命どころか今後の戦闘行為にも何ら支障はあるまい。

 怪異である。あり得ない出来事であった。理解が及ばぬまま、更なる異常が宗一郎を襲う。

剣先から届く感覚がおかしい。人体を切り裂いたにしては、あまりに硬すぎる(、、、、)

「……っ。これは、まさか!?」

 ようやく理解が追いつき瞠目する宗一郎。

「やあ、その様子じゃあ、もう気が付いたみたいだね。そうさ、僕の身体はちょっとばっかり頑丈なのさ。だから大抵の攻撃は簡単に弾き返せちゃうんだ。でもこの権能は君相手じゃあ卑怯かな、って感じていたから使うのは止めとこうかな~と思っていたのに、なんか強引に使わされちゃったみたいだね」

 それが余程嬉しかったのか鍔迫り合いの中、互いの刃越しだと言うのに、ニヤリと笑いかけてくるドニ。

(やはり、鋼の肉体……!)

 厄介な、と胸中で舌打つ。

 その動揺が刀の勢威を削いだのだろう。僅かな隙を見咎めたドニが、右脚を跳ね上げて、宗一郎の左脇腹を激しく打擲した。彼の身体は、まるでサッカーボールのように後方の壁まで撥ね飛ばされる。

 強かに背中を遺跡の壁に叩き付けられる宗一郎。だが派手に吹き飛ばされた見た目ほど手傷は少ない。咄嗟に蹴り技が直撃する寸前、ダメージを軽減するために、自ら後ろへと跳んでいたからだ。

 思いのほか後方に流されたのは、ドニの蹴りが想定以上に重過ぎたためだろう。肉体を硬化すると言うことは、攻撃にも転化でき得るということである。

 ぐらりと、よろけつつも宗一郎は、前へと進み出る。

 正直に言うと戦況は厳しい。敵が有するのは、剣士殺しの鉄壁の肉体。

 だが絶体絶命と言うには程遠い。それは、あらゆる呪術を焼き祓う『聖火』の権能たる破邪顕正の炎が、敵の権能に対して明らかに効果を発揮しているからだ。

 宗一郎の剣撃は結果的に皮一枚切り裂いてだけで止まったにせよ、それは『鋼』の権能の効果というより、ドニの剣の技量によるところが大きい。

 彼の感覚では、防御されなければ、両断は出来ずとも、肩の骨までは断っていたはずである。後二撃、いや三撃――同様の箇所を責め立てれば、確実に致命傷を負わせられるだろう。もっとも、それを簡単にさせてくれる敵ではあるまいが。

 また敵の銀剣においては、致命打はもとより有効打を貰っても不味いと、直感が宗一郎に警告していた。アレはクー・フリンの得物と同種の『魔剣』であると。

 ただでさえ、宗一郎は相手より剣の技量が劣っていると言うのに、それだけでなく、攻撃力、防御力ともに劣悪であるらしい。

 無論、その程度で動じる宗一郎ではない。何よりスピードでは明らかにこちらが優劣しているのだ。

 ならば、軽功を駆使して戦場を縦横無尽に駆け巡り、敵を翻弄してしまえばいい。いかに敵の攻撃力が優れていようと、被弾しなければゼロに等しい。敵の防御力とて『聖火』の権能が有効に働くのであれば、必ずや勝利の展望も見えてくるだろう。

 斯くして三度、神具ヘライオンの前にて対峙し合う宗一郎とドニ。

「本当に愉しいねえ、宗一郎」

「後が閊えているんです。さっさと死んでください」

 どこまでも相いれない言葉を交わしながら、両者ともに必殺を期して業を繰り出さんと隙を窺っている。濃密な闘気が立ち込め、空間が軋み上げる。

 そのとき――

 

 

『実に良き立会いです。わたしも感服しました、勇者たちよ! 褒美をとらせましょう、疾く我が元に馳せ参じなさい!』

 

 

 不意に凛とした麗しい美声が地下遺跡に響き渡る。

 その瞬間、ヘライオンから莫大な呪力が間欠泉のように噴き出す。そのまま呪力は眩い青緑(エメラルドグリーン)の閃光を纏い、地下遺跡の天井を突き破って、地上へと奔流となって流れ出していった。

 間違いない、神だ。宗一郎の魔王としての本能が、声の正体を直ちに報せてきた。ついに待ち神が顕れたのだ! 

 事此処に到って、もはやこの場に止まる意味はない。すみやかに『まつろわぬ神』を追い駆けなければならない。

 ところがどっこい、そう問屋が卸さないらしい。

 ヘライオンから湧き出した閃光が地上へと噴出した直後、地下遺跡の天井が崩れ落ちてきたのである。

 いまは細かい破片がパラパラと舞う程度だが、直に呪力の奔流が押し流した地下遺跡から地上まで覆っていた岩石群が、降り下りてくるのは明白だ。

 神が出ようが出まいが、こんな場所さっさと脱出するに限る。

 ――とそこで宗一郎は、ようやく思い出したのか、リリアナ・クラニチャールを見やる。彼女も一緒に連れ出した方がいいだろう。まあ、その……知らぬ仲でもない。自分が付いていながら、こんなところで生き埋めにさせるのは気が引けた。

 そう考えていたのだが、どうやらそれは大きなお世話であったらしい。

 宗一郎が見守る中、突如女騎士の細い体躯を青白い光が包み込や否や、瞬く間に地上へと駆け昇っていってしまった。

 以前宗一郎も世話になった魔女術のひとつである<飛翔>の術だろう。

 あっけにとられて見送るしかない宗一郎。この混沌とした状況の中でありながら、彼女の冷静な対応力は見事という他ない。が、一切言伝なく置いて往かれた宗一郎としては、何となく釈然としない心持ちだった。

 とはいえ宗一郎もこんな崩落現場で茫然としている場合ではない。彼も『跳躍』の力を行使する。

 この権能は三界――即ち陸、海、空を遍く己の足場として、自由自在に駆け巡る力を与えてくれる。

 また、脚力、瞬発力が急激に上昇し、神速には及ばぬものの、人間離れしたスピードで疾走することも可能なのだ。

 故に、若き神殺しは、ときに落ちてくる岩盤を足場とし、ときに何もない虚空を蹴って、先に跳び出した騎士に追随するように疾駆する。

 ――そして、宗一郎はナポリの海辺において、全長三十メートルに及ぼうかというほどの大怪獣と対峙した。

 青緑色の鱗に覆われた竜。大都市の港の上空で巨大な竜が翼を威圧的に広げ、下界の街並みを凄然と見据えていた。

 竜を見上げた宗一郎は、喜悦の笑みを口元に刻む。

 あの竜はただの神獣だろう。だが依然、彼は神の気配を感じ取っていた。と言うことは、いまだ姿を顕さない『まつろわぬ神』の正体は、地母神に違いない。竜即ち、『蛇』は鋼の英雄に屈した地母神の零落した姿に他ならないのだから。

 どうやら久方ぶりに狙っていた獲物にあり付けそうだ。今日は随分と紆余曲折を経てきたものの、最後には幸運で締めくくれそうである。

「いやー、すごいね。あの柱から本当に竜が出てくるとは思わなかったよ。ビックリだ。でも、神さまは何処に行ったのかな? 間違いなくいるはずなんだけど……」

 戦意も新たにしていた宗一郎の背後から、そんな暢気な声が聞こえてきた。

 サルバトーレ・ドニである。彼もまたあの崩落現場から無事に生還を果たしたらしい。まぁ驚くに値しない。あの鋼鉄の肉体の前では、岩石の塊が降ってきたところで、小雨同然だったに違いない。

「……神無月宗一郎、サルバトーレ卿! 先程までのお二人の振る舞いゆえに、このような事態に発展したのです。少しはご自重くださいっ」

 と今まで呆然と立ち尽くして竜を眺めていたリリアナが、苦言を呈してくる。

「ごめんごめん。責任もって、僕たちで何とかするよ。……でも結局決闘の決着がつかないまま、君の言った通りに神さまたちが降臨しちゃたけど、こうなった以上、どっちが先に神さまを倒すのか勝負しようか、宗一郎」

「はい、それで構いません。サルバトーレさん」

 まずもって「このような事態」を望んでいた宗一郎に自重を求めるのは不可能に等しいし、その上口にした言葉とは裏腹に彼は、今度ばかりは「勝負」するつもりなどさらさらなかった。

 神討伐の邪魔になるようなら、背後からでもドニの頭をかち割る算段だった。

「いやだなー、宗一郎。だからドニで言いってば~。地下深くであんなに熱く語り合った仲じゃないか、水臭いよ」

 金髪の青年の戯言を聞き流して宗一郎は、竜を見上げる。その双眸にはかつてない闘志が燃え立っていた。

「おやめください、お二方! この土地の精気を凝縮して生まれた神獣を倒されたりしたら、この近隣一帯の霊脈が枯れてしまうかもしれません。危険すぎます!」

 女騎士が何かを叫んでいるが、宗一郎もドニも共に聞く意志はない。

 リリアナとっては、はた迷惑この上ないだろうが、出会って初めて両者の意見が見事に一致した歴史的瞬間であった。

 まさかそれを待っていたわけでもなかろうが巨竜が動いた。

 咆哮が轟く。

 竜の怒号が戦いの開始を告げる鐘となって、ナポリの夜気を激しく震撼させた。

 同時に、強烈な呪力が竜の巨体から迸る。

 騒めく波の音。そのリズムが次第に激しくなっていく。静かな夜の海がまるで台風でも上陸するかのように刻一刻と荒れ果てていく。

「ふふん、少しばかり波を強くしたからって、どうだっていうんだい?」

「すこしばかりではありません。あれをご覧ください!」

 宗一郎には見なくとも、状況を完全に把握していた。だから、彼は海ではなく余裕綽々に構える金髪の青年の空の手をそっと見やり――ほくそ笑んだ。

 それで宗一郎は竜の、いやあの神獣を使役しているだろう『まつろわぬ神』の狙いを看破した。

 いま剣の王の手には、その異名の代名詞とも言うべき神剣が握られていない。おそらくは地上に脱出する際に取り落としでもしたのだろう。

 あれでは、これから起こり得る「異変」に対処できるかどうか。そして、それこそがいまだ見ぬ神の意図することに違いない。

 『まつろわぬ神』はターゲットの選別を行おうとしている! 

 さしもの強壮にして無双なる神といえど、魔王ふたりを相手取るのは嫌ったのかもしれない。「異変」を引き起こして、ひとりを脱落させてしまう腹なのだろう。

 “剣の王”の異名の通り、あの金髪の剣士の最強の攻撃手段は、地下遺跡で目にした神剣に違いない。

 あの白銀の剣を失えば、宗一郎をして甚大な脅威と判断させしめたあの攻撃力は見る影もなくなるのではないか、彼の直感がそう囁いてくる。

 ならば、あの神獣が生み出す「異変」を切り抜けられるのは、この場においては自分しかいない。

 やはり神は自分を選んだのだ。

 宗一郎は恍惚とした表情で胸の奥から湧き上がる甘い痺れに全身を震わせた。なんたる愉悦。なんたる悦楽か。

 今日までの苦難はいまこの瞬間のためにあったとするならば、宗一郎は天のこれまでの理不尽な行い、そのすべてを赦し受け入れよう。

 果たして、歓天喜地の至境に達した宗一郎の察した通りに、「異変」たる大津波がナポリの波止場に押し寄せてきた。

 この季節、常に穏やかなナポリ内湾に到来する筈のない、大自然の猛威が迫りくる。

「ふん、こんな波くらい僕の剣で……って、しまった! さっき地下で落っことしたんだっ。ち、ちょっと待った! もっと正々堂々戦おうよ、ねえ!?」

 この期に及んで、ようやく自らの剣を消失したのに気が付いたのか、ドニは大きく訴え、同じく何かを叫んでいるリリアナ、そして陶酔の面持ちで巨竜を見詰める宗一郎共々大海嘯に呑み込まれ、夜の海へと押し流されていった。

 




リクエストがあったので、一応。




神無月宗一郎の権能
 光炎万丈(ファイアーストーム)
 神無月宗一郎が烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)から簒奪した最初の権能。
 烏枢沙摩明王とは、古代インド神話において元の名をアグニと呼ばれた炎の神であり、この世の一切の汚れを焼き尽くす功徳――即ち、不浄を滅する聖なる炎を生み出すことが出来る。
 その能力は、呪詛や魔術の類の力を焼き滅ぼす破邪の力。とはいえ、普通の物質も取りあえずは燃やせるものの、絶大な対魔力を有する『まつろわぬ神』やカンピオーネ相手には、まったく効果がない。
 ただし、『蒼い火焔』という地上を焼き払うための攻撃形態が存在する。これは仏の教えを信じぬ者にのみ振るわれる力であり、一度行使されるや、物質魔力の区別なくすべてを焼き滅ぼす憤怒 の一撃を顕現できる。だが、これを行うと半日ほど、この権能は使用不可になる。


神殺しの刃
 神無月家が数百年の果てに研鑽し続けてきた窮極の秘術であり、正確には権能ではない。
 その術理は、人類最古の呪術のひとつたる感染呪術の秘奥。
 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)から簒奪した権能『光炎万丈(ファイアーストーム)』を使用して聖なる(ほのお)を創造し、そこに敵対する神の血液と敵対する神の知識をくべて造り上げる、神の神格を斬り裂く呪いの刃。
 あくまで神を殺す刃金であるため、その能力の特性上カンピオーネ相手には発動しないが、対象とした神には絶大な威力を発揮する。ただし、完全発動には時間が掛かり、実戦では仲間の援護が必要不可欠。


輪廻転生(リィンカーネーション)
 神無月宗一郎が地母神デメテルから簒奪した第二の権能。
 死してもなお、蘇える不死の力。発動すると数時間後、植物が咲くように地面から生きたまま顕れる。死亡時は地面に吸い込めるように消える。
 復活時は完全復活――直前の戦闘の傷はもとより戦闘とは関わりのない古傷さえ消し、まるで生まれたように肉体を再生させる。のみならず、使用が不可能だった権能すらすぐさま行使可能になっている。
 蘇生時間により権能の掌握具合が分かってしまい、人間離れの度合いを自覚させるため、護堂同様、宗一郎もまたこの権能をあまり使いたがらない。
 

跳躍の奥義(ザ・ジャンパー)
 神無月宗一郎がケルト神話の英雄クー・フリンから簒奪した第三の権能。
 城壁を軽々と飛び越える驚異的な跳躍力を得るだけでなく、空や海もまた自在に駆け巡ることも出来る。生身のままアストラル界への『跳躍』も可能。
 脚力、瞬発力が急激に上昇し、神速には及ばぬものの、人間離れしたスピードで疾走することも出来る。
 護堂の『駱駝』同様、打突部位に呪力を集中させて、打撃の威力を爆発的に高められる。さらに加えて、宗一郎の体術の腕も合わさり、その一撃は、『駱駝』以上に神の肉体を爆裂させる超必殺技の域に達している。

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