神殺しの刃   作:musa

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八話 地中海の女神

 カプリ島――

 ナポリ市から南へ三〇キロメートルあまりの海上に浮かぶ小さな島である。風光明媚な土地として知られ、イタリアにおける有数の観光名所の一つに数えられている。

 古くは古代ローマ帝国二代皇帝ティベリウスがこの美しい島を愛し慈しみ過ぎたあまり、その統治の後半期をカプリ島に移り住んだまま、大帝国の政務のすべてを執り行っていたとされている。

 そのカプリ島にある美しい砂浜に、いま神無月宗一郎、神無月佐久耶及びリリアナ・クラニチャールは足を踏み入れていた。

 陽はとっくに西の彼方へと沈み、天は月を新たな主として戴いている。また夜が来たのだ。神魔が平然と闊歩する禍々しいときが……

 一行がこの歴史あるカプリ島に赴いたのは、もちろん観光目当てなどではない。――招待されたのだ。それも強大無比にして無双なる神に。

「――よく来ました。逃げることなくわたしの許まで来た、その勇敢さだけは褒めてやりましょう、神殺しよ!」

 言下に浜辺の中心部の砂地が間欠泉の如く噴き上がると、瞬時の内に凝固し、麗しき女神の姿を象る。

 純白のドレスを身に纏った威厳高い貴婦人、まつろわぬヘラ。そして、背後に二人の乙女を率い、威風堂々とした足取りで歩く神無月宗一郎。

 両者は十メートルの距離を置いて対峙する。

「この度は、お招きに預かりありがとうございます。ですが、褒めてもらう必要は、まったくありません」

 若き神殺しは一旦言葉を切ると、静かな微笑を浮かべてヘラを見る。

「獲物を前にして逃げる狩人などいませんからね」

「わたしが獲物だと? 大言壮語なその口上、必ずや後悔させてくれます!」

 どうやらこの女神は、軽い挑発すらまともに受け流すことができない性分であるらしい。相変わらず怒りの形相でまくし立ててくる。

「それは上々です。ならば、早速始めましょう。――僕たちの最後の戦いを!」

 そう言って、宗一郎は背中に帯びた長刀を抜き放ち、大上段に構える。刹那、その刀身がやおら蒼い火球に包まれた。

 <刃>鋳造に必要不可欠な要素の一つたる、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の権能により創り出された、鋼を精錬する聖なる(ほのお)である。

 そして、同じく<刃>鋳造に必要不可欠な要素の一つたる敵対する神の血は、昨夜の戦いの際に、すでに収得ずみである。

 ならば、後は詠うだけだ――<刃>鋳造に必要不可欠な要素の一つたる、敵対する神の知識を。

 以上をもって、神無月宗一郎は<神殺しの刃>を造り出す鍛錬を開始する。

「ほう、それは先の戦いでは出さなかったチカラですね。なるほど、それがお前の切り札というわけですか……」

 ヘラはそんな宗一郎の戦闘態勢を目を細めて見つめると、

「何をするつもりか知りませんが、それを大人しく待ってやる気はありませんよ!」

 宣言とともにヘラの背後から再度砂地が噴き上がり、巨大な樹の根が蛇のように鎌首をもたげてくる。それを凝視して宗一郎は、

「――蛇ですか。それは貴女の力の象徴。いえ、それだけでなく、貴女たち地母神の本質そのものだ」

 言霊を込めて、燃え盛る刃金に吹き囁く。

 これこそが、神無月家が神を倒すために編み出した窮極奥義。神を斬り裂く智慧の剣。

「貴女は常に蛇と関わりの深い神だった。さらに言えば、孔雀――鳥とも」

「それは……痴れ者め! わたしの忌まわしき『過去』を口にするかッ!」

 柳眉を逆撫でて女神は吼えた。

 いま宗一郎は、ヘラの文字通りの逆鱗に触れたのだ。もはやこの憤怒をなだめる手段は、敵の討滅以外にはあり得ない!

 故に、ヘラは背後に従えた樹蛇に下知を飛ばした。――敵を滅ぼせ、と。

 直後、まるで蛇が獲物を仕留めんとするかのように一息で宗一郎に襲いかかる。あれほどの巨体ならば、いかに頑強なカンピオーネの肉体といえど一溜りもあるまい。が、この程度のことは、宗一郎の脅威足り得ない。なぜなら、前回の戦いでも難なく切り抜けているのだから。

 ――そう、宗一郎の状態が昨夜と同様であったなら、それは容易く叶えられたことだろう。だが、違うのである。

 草薙護堂の『剣』と違い、神無月宗一郎の<刃>には、精錬中における自動防御のような能力がない上に、詠唱中自由に動ける機動力もない。

 鍛錬が始まるや否や、どうしてもその場に踏み止まり、全精力を傾けて集中する必要があった。必定、その間、宗一郎は完全な無防備な状態に晒されるのである。

 つまるところ、いまの宗一郎にはヘラの攻撃を躱す余裕などまったくなかった。

 にも拘らず――

「貴女が鳥と結びつくのは当然だ。なぜなら、貴女は大地と冥界を支配する神だからです。鳥には異界と現世を行き来する飛翔の魔力がある。

 そう――遥か昔、僕たちの祖先は信じていた。死者の霊は鳥の姿となって天へ昇り、あるいは鳥に導かれて冥界へと渡るものだと」

 宗一郎は、微塵も臆することなく謳うことを止めなかった。

 それは何故か? ――信じているからだ。自身に付き従う乙女たちを!

「視よ――我、樹を斬り倒し、新たな生命を創造せん。古きものよ、汝滅ぶべし」

 青い騎士は主より前に進み出て呪文を唱えた。砂地から伸び生えた蛇樹に対して、魔女術を行使する。

「森の妖精よ、御身の末裔たる魔女を守護し給え!」

 すぐさま効力を発揮して、宗一郎を直撃する筈だった蛇樹は、脇に逸れてリリアナたちの真横の砂地へと突き刺さる。

「ノウマク・サラバ・タタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバタ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビギンナン・ウンタラタ・カンマン!」

 すかさず白い巫女は兄より前に進み出て呪文を唱える。金剛手最勝根本大陀羅尼(こんごうしゅさいしょうこんぽんだいだらに)――不動明王の火界咒だ。

 爆発的な呪力が佐久耶の身体から迸る。瞬時の内に、呪力は火気へと転じ、一気に砂地に突き刺さったままの蛇樹に向かって伸び拡がる。

 木生火――木は燃えて火を生む。陰陽術の理に従い燃え上がる蛇樹。火の呪術はますます勢いを増し、ゆらりと猛火の矛先をヘラへ向けるや、奔流と化して直進した。

「小癪な真似を……!」

 怒声を放ちつつ、ヘラは神気を解き放つ。膨大な神気は水気に変じ、水流と化して猛火を押し流す。

 瀑布が宗一郎たちを呑み込まんとするその刹那、

「――させません!」

 佐久耶は五枚の木行符を召喚し投擲、宗一郎の眼前の大地に張り付き、砂地の中から若い芽が跳び出した。直後、瀑布が若い芽を押し流す――その瞬間、渦を巻いて豊潤な水気を吸収し尽した小芽は、瞬く間に五本の大木へと成長する。

 水生木――水によって養われ、水がなければ木は枯れ果てる。これもまた陰陽術の妙技である。

「ええい、先程から鬱陶しい術を使うッ! ――ならば、これはどうですか!」

 再度、神気を解放するヘラ。

 神気は水気に変じ、水流と化す。一見すると、それはまるで先刻の焼き直しである。しかし、実際はまったく違う。

 なぜなら、その水は黒かった(、、、、)

 触れる存在、悉くを塗り潰すような、禍々しい漆黒の色。そんなものが、ただの水であろうはずがない。

 それも当然。ヘラはここにきて『死』の権能を行使してきのだ。

 その脅威にいち早く気づいたリリアナは、魔女術を駆使して大地を隆起させて防波堤を形成、宗一郎を守る“盾”を増やす。

 そこに迫り来る黒い激流。樹木と大地の二重防壁は、だが何の効果も発揮することなくあっさりと死の奔流に溶けるように飲み込めれて消え失せた。

 それを見て取ったリリアナと佐久耶は、慌てて左右に散る。ともに練達の術者たる彼女たちであったとしても、生と死の女神の権能を前にしては、その飛沫を浴びるだけで死は免れ得ない。

 ところが、宗一郎は一向に避ける素振りを見せない。いや――避けられないのだ。若き神殺しには、まだやらなくてはならないことがあるが故に。

 やがて、ついに黒い水流が宗一郎の身体を捉えた。

「ぐあぁぁぁ……ッ!」

 苦悶に顔を歪める宗一郎。死の奔流の衝撃はあまりに強烈であり過ぎた。

 身体が冷たい。精神(こころ)が凍える。『死』が宗一郎の全身に絡みついて離れない。

 いまの宗一郎は無数の死神に集られているも同然の有様だった。ほんの少しでも気を抜けば、途端に身体は崩れ去り、彼の魂は冥界まで流されるだろう。

「神無月宗一郎!?」

「兄さま!?」

 宗一郎の窮状を見たリリアナと佐久耶は、顔色を失いながらも、冷静に術を発動させてヘラに飛ばす。少しでも女神の注意を惹いて宗一郎への攻撃を緩めようと言う算段なのだろう。

 が、ヘラはそんな手には乗らなかった。

「フフ――そのまま死になさい、神殺し!」

 ヘラは勝利の予感に喜悦に顔を歪ませる。

 もとより人間の小娘たちなぞ眼中にないヘラは、さらに水流の勢いを強めて確実に敵を葬らんとする。

 いまの宗一郎には、死の水圧に歯を食いしばって耐えるしか術がない。だがそうしている間にも、若き神殺しは体内に満ちる呪力に意識を傾けて、詠唱を続けるべく言霊を紡ぐ。

「……っぁあああ……へ、蛇と鳥――つまりは『翼ある蛇』こそが貴女の本質だ! そう、貴女はもともとあの女神アテナと起源を同じくする、大地と冥界を統べる女神だった。神の中の神。最高の権威を持つ、神々の女王です!」

 そもそも『ヘラ』という名は、明らかにインド=ヨーロッパ語系統には属していない。 

 つまりその意味するところは、インド=ヨーロッパ語族の来襲以前から、先住民の信仰を集めていた大女神こそが、ヘラの前身だということに他ならない。

 そして、ヘラがそのギリシアの先住民たちの信仰する独立した女神であったことは、考古学的に実証されている。のみならず、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスも「ヘラはギリシア北部の土着民ペラスゴイからギリシア人に受け継がれた神である」と言明している。

「――だからこそ、神王ゼウスをもたらしたインド=ヨーロッパ語族は、先住民の信仰対象を自分たちの最高神の配偶者や子に移すという習合方法によって宗教的支配を図ったのです。

 しかし、ゼウスは主権を完全に掌握したわけではなく、過去の信仰の根強さや宗教的融合の不完全さは、結局は後の神話に無視しきれない影を落とすことになった……」

 実際、ヘラは婚姻と結婚生活の守護神であるが、神話上のゼウスとヘラは円満な夫婦ではなく、たえず口論を繰り返している。

 それは歴史的な観点から見ると、ゼウスとヘラの不和の神話には征服民族と土着民の宗教的軋轢が反映されていると解釈できる。

「故に、古き地母神であった貴女は、夫ゼウスの愛人やその子どもたちを迫害する意地悪な女神に格下げされ、その執拗なまでの嫉妬深さを物語る逸話には事欠かない怨讐の女神にまで堕とされた!」

 ついに<神殺しの刃>が完成した。

 人類最古の呪術のひとつたる感染呪術の秘奥。

 人の業と神の能の融合。

 敵対する神の血液と敵対する神の知識を触媒として、聖なる炉で鍛えた刃金と結合させ鍛え上げた、神の神格を切り裂く呪いの刃が!

「その小賢しい口を閉じなさいと、言ってるでしょう……ッ!」

 怒号とともに、ヘラは水流の勢いを極限まで引き上げる。

 大嵐の直中さながらの怒涛の勢いで唸りを上げて疾走する黒い大瀑布。ヘラは必勝の確信に内心でほくそ笑む。

 これほど濃密な『死』を浴びては、いかにあのしぶとい神殺しといえど、今度こそ二度と蘇生することなく完全なる死に至るだろう。

 だが――ヘラは知る由もなかった。必勝の確信を得ているのは、宗一郎も同様であることに。

「ご心配なく――もう終わりました」

 若き神殺しの宣言と同時に、蒼い火球が風に煽られるように弾け、火の粉を散らして消失する。

 そこから顕れたのは、なんと刃渡り七メートルにも及ぼうかという赤黒い超特大の刃だった。

 そして、宗一郎は大上段に構えた長大な刀――<神殺しの刃>の柄を両手で握りしめたまま、その眼差しは迫り来る暴威を映す。宗一郎の身の丈を遥かに超える水嵩で、龍の咆哮さながらの唸り声を上げて押し寄せる死の奔流。

 だがしかし、若き神殺しは微塵も臆することなく――高らかに掲げた一刀を振り下ろす。

 赤き呪いの刃は、黒い激流を何の遠慮もなくぶった切った。断ち割れる鉄砲水。冥府の神が解き放った『死』は、ただ一振りの刀の前に屈服した。

 自身の権能が破られる光景を見届けて、ヘラは双眸を大きく見開いた。吹きつける太刀風を総身に浴びて背筋が戦慄に凍りつく。あの<刃>は危険だと本能が警鐘を上げている。

 その事実に女神は愕然とした。馬鹿な――よりにもよって、古き大女神たる己が、いま恐怖しているというのか! まるで男に襲われた人間の女のように?

「……人間に……男などに、わたしは二度と屈するものかぁっッッ!!」

 警告する本能を無視して、ヘラは攻勢に出る。大女神としての誇りが後退を許さない。

 宗一郎の全方位から砂地が爆発、蛇樹が束になって襲いかかる。ヘラは確かに逃げると言う選択を行わなかった。が、代わりにその力の行使に遊びが消えた。いまヘラは、全能力を総動員して宗一郎を殺しにかかる。

 だが――その決断は、あまりに遅すぎた。

「はあ……ッ!」

 宗一郎は腰を屈めて全身を旋回、長大な太刀を全方位に向かって薙ぎ払う。途端、まるで刈られた雑草のような脆さで、たちまちに虚空に流れて消え失せる蛇樹の群れ。

「……っ! まだです、まだわたしは……ッ!」

 続いてヘラは、雷霆の権能を叩きつける。が、それは無駄な抵抗に過ぎないことは明らかだった。事実、雷撃の一撃は宗一郎の刀の一振りであっさりと四散した。

 事ここに至って、ヘラは本能の警告の意味を正確に悟っていた。

 あの赤い刃は、彼女の神格(すべて)を斬り裂くのだ。神殺しが呪いの刃を抜き放つ限り、己に勝機はないものと認めるしかなかった。

(また、わたしは敗北するというのか。あの神話(とき)のように……?)

 まさに屈辱と汚濁に満ちた過去の再現。忌むべき歴史の繰り返し。その絶望に、ヘラは全身を凍りつかせる。

 その隙を若き神殺しは見逃さない。

 宗一郎は衣を翻し、白い矢と化してヘラへと走り寄る。果たして、必勝を賭した渾身の斬撃は袈裟懸け切りに女神ヘラを斬り捨てた。

 女神の輪郭がまるで砂細工のように崩れ、闇に溶けるかのように消え失せた。それを見届けた瞬間、宗一郎の身体はがくりと崩れ落ちる。

 人の身に過ぎた大呪法の行使に加え、濃密な『死』を浴びつづけた結果、宗一郎の肉体はとうに限界を超えていたのだ。

 慌てて宗一郎の許へと駆け寄るリリアナと佐久耶。それを視界の隅に入れながら、宗一郎は悔恨に臍を噛む。

 獲物(めがみ)を仕留め損ねた、と。

 その想いを最後に宗一郎は意識を手放した。

 

 

                †          ☯

 

 

 蟠る闇の中、何処からともなく飛来した砂粒が寄り集まり、一つの輪郭を形作る。

 カプリ島より三〇キロ離れた陸地の街――ナポリの波止場にて、まつろわぬヘラは実体化を果たした。奇しくも、そこは昨夜、神無月宗一郎と激闘を演じた場所に他ならなかった。

「このわたしが、無様に逃げねばならないとは……」

 だが――危なかった、と息を荒げながら、ヘラは苦々しくごちる。

 あの刹那、ヘラは呪いの刃に斬られながらも、何とか肉体を解きほぐし、瞬間移動を駆使して一命を取り留めた。

 とはいえ、神格の半ばまで斬り裂かれた今のヘラは、その総身にかつて莫大な呪力に漲っていたとは思えぬほど疲弊の極みにあった。こんな有様では今すぐにあの神殺しに意趣返しを行うなど望むべくもあるまい。

「……仕方ありません。ここは一旦引いて体勢を立て直すしかないようですね」

 業腹だが致し方ない。言葉通りこの場からも退去しようとしたヘラの背後から――

 

 

「いやー、それはちょっと待ってくれるかな。僕的にはもう少しだけでもここにいてくれないと困るんだよね」

 

 

 ――そんな呑気な声が響いてきた。

 凝然と振り向いたヘラは、闇の奥から人影が進み出てくるのを見届けた。

 金髪の青年だ。彼の手には一振りの長剣が握られている。だが、気になるのはむしろ、あの青年の銀色に輝く右腕の方だ。

 まず違いなく権能。であるならば、あの男はきっと神殺しなのだろう。……いや、よくよく思い返せば、何処となく見覚えがある気がする。

「……たしかお前は、わたしの神器の前で戯れていた片割れの神殺しですか」

「あ、憶えていてくれたんだ。うんそう、僕の名はサルバトーレ・ドニ。あの坊やとは、護堂と同じく終生の友にしてライバルという関係なんだ。あなたは多分、ヘラでいいんだよね?」

「如何にも。ですがお前如きに易々と呼ばれるほど、わたしの名は軽くはありませんよ」

 全盛期に比べて見る影もない状態にも拘らず、気位の高さを忘れないヘラに、あはっと能天気な笑みを浮かべるドニ。

「噂に違わないきっつい女神さまだなぁ。でもまあ、そもそも大人しい神さまなんて、いるわけないか」

 ヘラは金髪の神殺しの戯言を聞き流して本題に入る。

「お前はあの神殺しの友と言いましたね。ならば、その友を守るために今ここでわたくしと戦うつもりですか?」

「う~ん、ちょっと違うかな」

 ヘラの問いに、ドニはあっさりと否定する。

「本当言うとね。貴女と戦う理由は、社会貢献のためだの、それでも手負いの神さまはつまらないから逃げた方がいいだの、そういう事を言うのが筋なんだろうけど、今の僕は、そんなつまらないことを言うつもりはないだ」

「では、何のために戦うと?」

 ヘラに再度の問いに、ドニはにんまりと破顔する。

「それはね。宗一郎が執心している女神(あなた)を、もし僕が横取りしちゃったなら、と~ても愉しいことになるんじゃないかな、て思っているんだ。これも一応、日本流に言えば、NTR(寝取り)って言うのかな?」

 口調こそ冗談混じりであったものの、金髪の神殺しの双眸が暗い焔に燃えていることに、ヘラは気付いていた。主の戦意の応えるように銀碗が闇夜の中で輝き放ち、平凡な駄剣を白銀の神剣へと変じる。

「っ!?」

 ヘラは戦慄した。

 あの剣は不味い! ヘラの直感が黒髪の神殺しの手にあった長刀と同等の危険を訴えている。

 今度こそヘラは選択を誤らなかった。大女神としての矜持を捨てて、逃げに徹する。この屈辱は、いずれ晴らせばいい。いまは生き延びることが重要だった。

 だが――

「遅いよ。やっぱり宗一郎に相当こっ酷くやられたみたいだね。……解るよ、彼って本当に容赦ないよね」

 何か嫌なことでも思い出したのかドニは顔を顰めつつも、だがその動きには一切の遅滞はない。

 瞠目する女神の眼前まで電光石火の足運びで肉薄、袈裟懸け切りにヘラを斬り捨てた。期せずして、そこはついさっき宗一郎が斬りつけた箇所とまったく同じ場所だった。

 もはやその一撃に耐える力など、ヘラには残されていなかった。怨嗟や憎悪の声を発する暇もなく、ヘラの肉体は塵のように崩れ去り、今度こそ完全に消滅した。

 

 

「……やっぱり権能は増えないか。まぁいいか、どうせそっちはメインじゃなかったし――それよりそこの君(、、、、)、いまのちゃんと見てくれていたよね?」

 唐突にドニは誰もいない筈の波止場の一画に向かって問いかける。すると、彼の言葉に応えるようにその場所に白く淡い輝きとともに、一人の巫女が現れる。

「う~ん、君は誰かな? 多分初対面だと思うんだけど、でも彼の関係者でしょ?」

「ご慧眼恐れ入ります、“剣の王”よ。わたくしは、神無月宗一郎の妹で神無月佐久耶と申します」

 ドニの問いに、佐久耶はそう答えてから恭しく頭を垂れた。

「そっか、宗一郎の妹さんか。じゃあさっき見たことを、一部始終を余すところなく伝えてくれるよね(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)?」

 能天気な語り口ながらも、そこには対峙する者に有無を言わせぬ気迫(チカラ)が宿っていた。並の相手ならば、それだけで委縮して唯々諾々と従ったことだろう。

 とはいえ、無論、神無月の巫女は常人ではありえない。カンピオーネを兄に持つ彼女は、その非常識ぶりにおいて、極めて高度な耐性を備え持っていた。

「はい、確かに承りました。兄にはサルバトーレさまのさっきの所業(ひどう)を、一切誇張なく伝えます」

 故に佐久耶は怖じるどころか、むしろ嬉々として断言する。

「そっか、ありがとう」

 意見の一致をみた剣士と巫女は、互いに笑みを交し合う。

 

 

 今夜、草薙護堂に敗北したまつろわぬペルセウスはアテナが仕留め、神無月宗一郎に敗北したまつろわぬヘラはドニが止めを刺した。

 にも拘らず、古都ナポリに沈殿する戦乱の火は、むしろ消えるどころかますます烈しく燃え上がろうとしていた。

 


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