太陽の光を通さない森の中、私はあまりの暑さによって目を覚ました。
「……ん…………」
奴隷の時よりも安眠できたお陰か、枝の上で寝ていたというのに体の痛みや朝の怠さを感じない。起きても毎日のように振るわれた暴力が今はない。
久しぶりに安心できる朝だった。
しかし私の近くでバキバキと何かが折れる音が聴こえて、安らかな朝に水を刺される。私の朝の一息を邪魔するとは何事か。
私は辺りを見回して騒音を響かせる輩を探した。
発生源は真上。視界いっぱいに広がる炎が、音の原因だった。
「な………なに、これ?」
チリチリと炙られるような痛みが肌を襲う。茹だるような気温の暑さに、顔が歪んでしまうのがわかる。
森が燃えていた。
何故森がいきなり燃えているんだと叫びたかったが、今はそんな事気にしている余裕はない。
熱から逃げるために、私は地上に降りようと体ごと下を向いて。
土が見えない視界に、今度こそ頭がこんがらがった。
目の前が葉、枝、幹。それだけがある。いや、それだけで視界が埋められている。土が見えない。繁っていた草も。あるのは『木』一つだけなのだ。
止まっていた思考が肌を焼く痛みで正気に戻る。
すぐさま身体を霧に変えて後ろの熱から逃げ出した。
空間を埋め尽くすような枝や葉っぱをすり抜けて、私は地上へと目指すのだったが、すぐにまた違和感に気付いた。
(…………おかしい)
地上に辿り着くのが遅い。
いくら霧になってゆっくり移動しているとは言え、寝た時の枝の高さは20メートル程度だった筈だ。なのに今の自分は100メートルは降りている。
(誰かに拐われた? …………それにしては特に外傷もないし、それくらい私でも気付く)
そして可能性も少ない。
網のように張り巡らされた枝や葉っぱが私の侵入を許さないのだ。霧化しなくては人が通れない程、枝が張り巡らされている。
(…………まさか、ね)
あり得ない予想をしてみたが、それこそあり得ない。野鳥か何かに拐われたところを、野鳥が火に慌てて私をあの場に落としたのだろう。
既に霧化で降下してから30秒は経ったと思う。視界が覆われているせいで距離感が掴めていないのだけど、距離にして500メートル以上は降りた気がする…………
そう考えていたら、ようやく枝の隙間から地面が見えてきた。
地面に辿り着くのを見計らって霧化を解く。
なんだか久しぶりな気がする地面の感触を感じながら、私は周り見回す。
「場所が…………わからなくなったな」
昨日は落ち着ける場所を探して歩き続けたわけだけど、別に宛もなくウロウロしてたわけじゃない。
森を抜けらるようまっすぐ進んでいたつもりだったし、何本か木に目印もつけていた。
だけど探しても付けた目印らしき木は見当たらない。あるのはやはり不気味な草達と巨大な木ばかり。
「…………はぁ」
面倒な事態に溜め息が溢れる。
また歩き進めてもいいけど、それでは昨日の繰り返しだ。吸血鬼の体のお陰で体力や疲れなんかがないのが救いではある。それでも嫌なものは嫌だ。
また木の上まで行って、出口の方向やら何か見えないかなと考えていて、そう言えばと気付いたことがあった。
なんでこの森の上は燃えていたのだろうか?というか、森火事だったとして、この森は大丈夫なのだろうか?
視界一面を覆う炎の空。多分、自然の力では鎮火は不可能だろう。なら、この森が燃え尽きる前に森から離れなければならない。
「って、言ってもなぁ…………」
森の外へ出るのに何処を通っていけば良いのかもわからない。
完全に手詰まりだ。どうしよう。
止まっていて考えていても仕方がないので、とりあえず私は今日の食料を探しに暗い森の中を歩き出した。
「おかしい」
そう、おかしい。
動物が全くいない。昨日狩った野鳥すらいない。生き物の気配が全くしない。なんなのだこれは。
相変わらず毒々しい見た目の茸や草が生えているだけで、他に食料になるものも無さそう。
もう既に夜。夜目が効くとはいえ、夜になった暗闇の森の世界は光の全てを閉ざす。吸血鬼だとしても光がなくては動物を見つけることは困難なのだ。
目標だった人の住む場所は見つからず、食料もない。この森から出ることが出来ずに、酷く不安になる。こんなことなら、太陽の光など嫌がらず何処かへ飛んでいけば良かった。
今日は諦めるしかないと考えて、私はまた木の枝に飛び乗って眠りに付こうとする。
一週間くらいは飲まず食わずで耐えられるが、それ以降は流石にまずい。
明日は確実に食料を手にいれなければと決意を新たにして、私は眠りに付くのだった。
そして次の日には目の前が炎の海だった。
距離が離れているのに肌を焼くような熱気を感じる。あり得ない程の熱量が、森の木を燃料にさらに燃え上がり増える。
慌てて私は霧化して、その場から離れ地上に移動した。
地上に辿り着いて見れば、やはり周りは知らない場所だった。目印に刻んでいた傷痕はどの木にもなく、記憶に無い場所に草が繁っている。
「景色が…………また変わった」
また誰かに連れ去られた。そう考えることはできるが、そう何度も同じことがあると思えない。
だから、私はこの森の特性についてだんだん気づき始める事ができた。
二度も寝起きに私の場所が移動しているのだ。しかも上に。相変わらず燃えている木の上辺りは、枝や葉が私の周りを囲むように生えている。
私は連れ去られたのではなく、ただ本当に上に移動しただけなのではないか。そう考えると辻褄が合う気がしてきた。
眠ったら知らない場所で、周りが枝で囲まれている。地上に降りれば変わっている景色。上は業火の地獄なのに、下は平穏なまま。
考えられることは酷く単純な生命の神秘。つまり成長だ。それも圧倒的な速度での。
普通ではありえないけど…………お伽噺のような存在になってしまった身としては、馬鹿らしいと一笑に付せる筈もない。
「確かめなきゃ…………」
私の考えが合っているのか確かめるためにも、私はすぐ傍にある木に近付きしゃがみこんだ。
爪で木の根っこ近くに傷を付けてみる。そのまましばらく観察して様子を見た。
すると気付きにくいが少しずつ少しずつ…………確実に傷が上に上がっている気がするのだ。加えて、傷がちょっとずつ小さくなっていくような…………。
やはりそうだ。確信した。
この森の木はすごい早さで成長している。だとすれば上の方で燃えていてもこの辺に被害が無いのも説明が着く。
たぶん、木が燃え尽きるより早くに成長して炎を上へ上へと押し上げているのだろう。そうすれば下に炎が燃え移らない。
「私は…………なんて所に漂流してしまったんだ…………」
こんな木が生えている森など、聞いたことも見たこともない。どれ程私は故郷から遠ざかってしまったんだろう。
奴隷となった経験も、自分に起こった異変も、この森の異常さも。まるで別世界に移動してしまったかのようだ。
もしかしたらあの家に帰れるかもしれないという、私の淡い願いが…………とても、とても遠のいたように感じる…………。
「ッ………今更、だ。こんな化物、受け入れてもらうなんて………無理だよ。隠せても、いつかきっとバレちゃう…………」
今更になって、あの家を思い出してしまった。
お父さんとお母さんの温もりが、恋しくなる…………なってしまう。
無理だとわかっているんだ。
それでも、もしかしたら…………。またあの生活ができるって。戻れるって…………。お父さんとお母さんならこんな私を、変わってしまった私を受け入れてくれるって、思ってしまう。思わずにいられないんだ。
おぼろげだけど、記憶は霞んでいるけど。それでもあの二人の笑顔は覚えているんだ。私に優しかった、あの温かい家庭が忘れられないのだ。
「元気に、してるかな…………? ごめん、なさい……あれだけ愛してくれたのに、突然いなくなって…………ごめんなさい。こんな、化物になっちゃって…………」
ここにいないお父さんとお母さんに謝ることしかできない。それがどうしても、悲しい。
酷いことをされた。惨めな思いをさせられた。解放されたいと、自由になりたいと何度も思った。
とても辛かった。悔しかった。苦しかった。痛かった。悲しかった。帰りたかった。
温かいご飯が食べたかった。柔らかいお布団の上で眠りたかった。遊園地に行ったり、お買い物に行ったり…………お父さんにお帰りって抱っこされたい。お母さんによく頑張ったねって抱き締められたい。叱られてもいい。全然構わない。
とにかく会いたい。ただ会うだけで良い。
「―――――そうだ、よ。会うんだ。また、お父さんとお母さんに会うんだッ…………。頑張ってこんな森抜け出して。海だって翼で飛んで…………。また二人に会うんだ。頑張れる………わたしは………ルナは――――できる子だって、辛くたって頑張れるって…………二人がそう、言ってたんだから」
お母さんが言っていた。ルナは凄い子だって。
お父さんが言っていた。ルナは頑張り屋さんだって。
二人の言葉を思い出したら勇気が湧いてきた。
こんなところで躓いてなんかいられないのだ。早く二人の所に戻って、私は元気だって教えなきゃいけないのだ。安心させなきゃいけないのだ。
決意を新たに、私は目の前に見える森の道を睨み付ける。
一刻も早くこんな森から出るために、霧化してまっすぐ、ただまっすぐ直進した。
なのに。一心不乱に、体力も気力も振り絞る気で飛んだのに。私は森から出られない。
「ハァ……ハァ………」
なにも見えなくなるほど暗くなった森の中。代わり映えの無い景色が私を襲い続ける。