海を渡って1日。
眼下に広がる青い絨毯を眺めながらひたすら飛んでいた私は、とうとう大きな街のある島に辿り着いた。
とても発達している街で、一つ一つの建物は大きいし、たくさんの人が大通りを歩いているのが上空から見える。
それらを見下ろしながら、飛んでいる姿を見られたくなかった私は建物で身を隠して、人目が無い路地を探す。
途中、いい感じに太陽を遮り人がいなさそうな路地を見つけて、私はそこに降りてようやく島への上陸を果たしたのだった。
路地から見える大通りにはたくさんの人が溢れかえっており、ざわざわとした街の賑わいが聴こえてくる。ここなら海軍に追われることも、食料に困ることも無いだろう。
それを理解して、私は張りつめていた息をようやく吐き出せた。
「ようやく安全な場所に辿り着けれた………」
コートに入っていたお金をジャラジャラと触りながら通りに出て人の流れに入る。久しぶりの人の往来。笑顔と喜びで満ちたこの場所がとても眩しく見えてくる。
なんだかこうして歩いていると、昔を思い出してしまう。記憶に蘇るのは、よくお父さんやお母さんと一緒に手をつないで、町に出てお買い物を良くしたこと。
着実に、私は二人の下に帰ることが出来ている。あとはこの街で私の故郷がどこにあるのか尋ね回って帰るだけだ。帰れる手段はあるのだから、あとは場所を聞くだけ。
それで、私の長かった奴隷生活にようやく終止符が打たれるんだ。
そうと決まれば誰に故郷の場所を尋ねようか。
普通なら治安維持をする海軍に聞くのが正しいと思うのでけど、あの組織はもう信用できない。一度目どころか二度も私を助けてくれなかったのだから。
となると………酒場?
昔読んだ本か何かで、情報収集するなら酒場だって書いてあった気がする。本当かどうかわからないけど、何処にも当てはないし……うん、酒場を探そう。
きょろきょろと辺りを見回して、それらしい建物を探す。すると、一つの建物に「べトライ」と看板に書かれた飲み屋が見えた。
良い滑り出しに気分が良くなる。このままトントン拍子で私の故郷もわかるんじゃないかと、胸に期待を膨らませながらお店に近づいて店の前までたどり着く。
木でできた扉を開けて中に入れば、昔訪れた飲食店より開放的な店内が目に入ってくる。
テーブルや床は全て木製で、カウンター席から見える棚に陳列したお酒らしき瓶の数々が。
初めて訪れた大人のお店のような感じがして、奥に進むのに少しだけ躊躇いが生じてしまう。
こんな昼間から飲む人はいるようで、各テーブルにはジョッキを持った男の人がチラホラいた。
居心地の悪いその空間に気圧されながらも、勇気を振り絞ってカウンターでグラスを磨いている店主の男の人に近寄った。
中年のおじさんは私が近づいてくることに気付いたのか、顔を上げると訝し気な顔で私を見てきた。
「おいおい嬢ちゃん。ここはお前みたいな若い娘が一人で来ていい所じゃねえぞ? わかったらすぐ家に帰んな」
ぶっきらぼうだけど、少女と言う理由だけで気遣ってくれるような対応に少しホッとする私。だけど素直に出て行くわけにも行かず、カウンターの椅子に座っておじさんに話し掛ける。
「別にお酒を飲みに来たわけじゃな……ありません。ただ帰るにしても、遠すぎて場所がわからないので……だから私は、こうやって聞き込みをしているんです」
「あん? 迷子ってことか?」
迷子と言うのは何だか癪に触るが、事実なので黙って頷く。するとおじさんは少し迷惑そうな顔を私に向けてくる。
だけど、それでも追い払おうとはしてこないで、ちゃんと話を聞いてくれる態度を私に向けてくれた。
「んで、どっからきたんだ?」
「えっと………ノーティスから来ました」
「ノーティス? うーん……覚えがねえな。聞いたことねえってことは、相当遠くにある島だよな 嬢ちゃんの家族はどこにいるんだ?」
「いません……一人で来ました」
そういうと、おじさんは信じられないような顔で私を見てくる。そんなに驚くことなのか。
私の考えが顔に出ていたようで、おじさんは驚きを隠そうともせず私に聞いてくる。
「ここは新世界にある島だぞ!? 嬢ちゃん、どうやってこんなところまで来れたんだ!」
「私……奴隷としてここまで連れて来られたんです。それで、運よく逃げれたらこの島に辿り着いて……」
するとおじさんはハッとしたような表情で何かに気付いたようで、ぶつぶつと呟きながら考え事をし始めてしまった。
小さな声で聴きとりづらかったけど、呟きの断片から推測するに、私たちが逃げた奴隷脱走のことだった。まさかニュースになっているとは知らなかったが、それでも話がスムーズに行くかもと思いおじさんに話し掛けてみる。
「そういうことだからおじさん。誰か地理に詳しい人を紹介してもらえないですか?」
「え? あ、ああ………それは構わないが、嬢ちゃん。一応、名前を教えてくれるかな?」
? なんだかおじさんが急に余所余所しくなったというか………慎重に話しかけてくることに違和感を覚える。
元奴隷ということで、もしかしたら同情してくれているのかもしれない。もしくは、どう対応したらいいのかわからないとか……。
とりあえず名前を聞かれたということは見捨てられていないということなので、私は素直に答えた。
「名前はフォールド・ルナっていいます」
「……ルナ、だと? それに、その赤い瞳と銀の髪……」
おじさんはまた何事か呟きながら、考えに没頭してしまった。
が、いきなり考え込んでいた顔を勢いよく上げると、私の肩を掴んで真剣な表情で話し始めた。
「ルナちゃん、よく聞くんだ。今、世界は奴隷達を再び捕まえようと躍起になって探しているんだ」
「え……な、なんで?」
肩を強く掴まれたと思ったら、その衝撃的な事実を教えられて思考が一瞬固まった。その私の様子におじさんは頷くと、ゆっくり丁寧に話掛けてくれる。
「嬢ちゃん達を奴隷にしていた奴等は天竜人って言ってな。俺ら市民は誰も逆らえない、世界貴族って身分を持っているんだ。だから政府も天竜人に命令されて、躍起になって奴隷達を探しているんだ」
「そんな……」
「本来なら、俺達市民も奴隷を見つけ次第、海軍に報告しろって言われてるんだけど……」
ああ……だから私は、あの時海軍に追われたのか………
腐ってる。何故あんなにも酷いことをした奴等が偉い身分だと言うのか。何か偉業を打ち立てたから? 世界を救ったから?
わからない。わからないが、奴等は私の敵だ。
だけだどうすれば良いのだろう…………今の話が本当なら、私は誰にも頼れないことになってしまう。
当てずっぽうで海を渡るか? この途方もなく広い海を? 無理に決まってる。
私は故郷に……ノーティスの街に帰れないのか。
…………いや、帰る。帰らないといけない。きっと、お父さんもお母さんも帰りを待っているに違いないのだから。
でも、そうするにはどうしたら
「…………どうすれば、良いんですか? 私はどうやったらノーティスに帰れますか?」
気付けば私は、親切に教えてくれたおじさんに頼ってしまっていた。ここまで教えてくれるおじさんなら信用できるって思ったから。
そしたらおじさんはニッコリ笑ってこう言ってくれた。
「安心しなルナちゃん。俺は嬢ちゃんを海軍に引き渡すなんてことはしねぇ……嬢ちゃんの街がわかるまで、俺が嬢ちゃんを匿ってやるから」
「…………ぁ」
その言葉を聞いて、私は……不覚にも泣いてしまった。
人の悪意を受けて、謂れのない罪で追われて、命の危機に何度も脅かされて…………私は疲れたんだ。
私は人間以下ですらない、奴隷だ、家畜だって何度も強制させられて。
いつ死ぬかわからない現実。諦めた瞬間、命を落とす地獄の中で、ずっと耐えて耐えて耐え続けて。ようやく、気の許せる場所を見付けてしまった。
「グスッ………ゥあッ……」
それがどんなに嬉しくて、どんなに安心してしまったのか。このおじさんはわかっていないだろう。
それでも、一時だけでも…………私はようやく、本当の意味で人間になれたんだって。彼の言葉で救われたんだ。
▽
その後、私はカウンターの奥にある通路まで通してもらって、二階に繋がった階段を登るおじさんのあとを付いていく。
そこは一階の店内と違って、とても生活感のある場所だった。
「ここの建物は一階が飲み屋で、二階は俺と女房の寝床になってんだ。たまに飲んで潰れた野郎を余った部屋に放り投げてるから、ルナちゃんが寝れる部屋も余ってんだ。これからはそこを使うと良い」
そう言っておじさんが連れてってくれる部屋は、一つのベットとテーブルが置かれた簡素な一室だった。
私がその部屋を見てとても感動していると、おじさんはこれから仕事に戻るらしく、私にここにいるよう伝えて出ていこうとする。
だけどただでお世話になるのも気が引けた私は、何かお手伝いすることはないか慌てて尋ねた。
「んー……気持ちは嬉しいんだが、もしかしたら働いている嬢ちゃんが奴隷だって気付いちまう奴がいるかも知れねえからな。取り敢えず今日はここで休んでいると良い」
「……何から何までありがとうございます。それなら……恩人のおじさんの名前を教えて貰えませんか?」
「ああ……教えてなかったな。俺の名前はべトライってんだ。これからよろしくなルナちゃん」
おじさん……べトライさんはそう名乗ると私の頭を撫でてニッコリ笑ってくれた。
べトライさんが出ていく時に、見つかったらいけないから外には絶対出ない方が良いと言い残して、仕事場に戻っていった。
私はしばらくべトライさんが出ていった扉を眺めていた。
撫でられた頭になんとなく触れて、嬉しい気持ちが沸き上がってくる。
「……フフッ」
頭を抑えたまま、私はベットの上に腰掛ける。奴隷の時や木の上で寝た時と違う、柔らかい感触。そのまま寝転がってみれば、私の身体を包み込む優しい心地が伝わってきた。
するとその心地が気持ちよくて、私は迫る睡魔に抗えずそのまま意識を落とすのだった。