夜を統べる王女   作:ヘイ!タクシー!

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ありふれた日常と、混じる異物

 ふと嗅ぎなれない、それでいて私の鼻孔を優しく突き抜けて来る香りを感じて、私は目を覚ました。

 キョロキョロと辺りを見渡せば、独房以外で久しぶりに眺めた気がする木の部屋が視界を埋め尽くしている。窓から見える空は既に黒一色に染まっていて、夜になったのだと私の体が教えてくれる。

 

 昼寝をしたのはいつぶりだろう。ずっと神経をすり減らして生きてきたからか……惰眠を貪った事実に、これが人間の暮らしなのかと少しだけ感動してしまった。

 なんの恐怖にも怯えず、無為に時間を浪費できる。今までではとても考えられないことだ。

 

 そうやってベッドの上でボーっと無駄な考え事に精を出していると、扉からコンコンと誰かのノックする音が部屋に響いた。

 

「ルナちゃん。夕飯ができたんだけど食べるかい?」

 

「あ、はい!」

 

 べトライさんの声が聞こえてきた。

夕飯……懐かしい響きだ。こういう普段使われるような些細な言葉が、私の心を満たしてくれる気がする。

 べトライさんに返事を返した私はさっと立ち上がると、ドアまで近づいてノブを回す。廊下には待っていてくれた彼がいて、私を見ると厳つい顔に笑みを作って笑いかけてくる。

 

「部屋で寝ていたみたいだったけど、起こして大丈夫だったかい?」

 

「はい。おかげさまでゆっくり休めました」

 

「ああ、そんな他人行儀なしゃべり方を無理にしなくていいよ。普通にしゃべりな」

 

 べトライさんはそう言うと、私を居間まで案内し始めた。居間は食卓と椅子、飾りの置かれたタンスに、台所のある部屋と繋がっている、ごく一般的な部屋だった。

 テーブルの上には既にシチューのようなものが入った鍋が準備されていて、席にはお腹の裕福なおばさんがくつろいでいた。そのおばさんは私を見ると、椅子から立ち上がって近寄ってくる。

 

「あんたがルナだね? 話は夫から聞いてるよ。元奴隷なんだってね。可哀想に…………アタシはバネットって言うんだ。この家はあんたの家だと思って暮らしていいよ」

 

 そう言って豪快に笑うバネットさんは、とても人の良さそうな人物に見えた。

 

 その後、椅子に座り三人で夕食のシチューとパンを食べることに。この食事を作ってくれたのはバネットさんらしく、見ず知らずの私に美味しい食事を作ってくれたことに感謝した。

 

 心が温かくなるとはこう言うことなのかと、漠然と思う。

 安心とはこう言う物なんだと、噛み締めて考える。

 

 

 ただ、何故だろう……。

 

 こんなにも美味しくて温かい食事なのに……。

 

 私のお腹は全くと言って良いくらい満たされない。充たされない。

 

 美味しいとは思う。でも、美味しくない。これじゃない、これでは足りない。そう誰かが叫んでる気がする。

 生命の残り滓とも言うべきか。確かに感じ取ることができるし、少しだけ満たされた気分を味わうことはできる。

 

 でも何か違う。まるで安いお菓子を食べているような、薄く味付けされた水を飲んでいるような…………そんな違和感が拭えない。

 せっかく丹精込めて作られた料理なのに、ケチ付けるようなことを考えるのはどうかしていると、我が事ながら思う。

 

 それでも、食事を終えて部屋に戻り、ベッドの上で寝転がってもその違和感が消えない。

 未だ湧き上がる食欲を押さえ付けて、私は強引に目を閉じるのだった。

 

 

 次の日。私はダルく感じる身体にムチを打ち、朝早くから起きて部屋を出た。そうすると台所で一人ご飯を作る人影があった。

 

「おや、ルナじゃないか。夕べはゆっくり休めたかい?」

 

「はい、お陰さまで…………あの、何を作っているんですか?」

 

 チラリとこちらを見て話し掛けながら、手元の包丁を動かして何かを切るバネットさん。その様子が少し気になり、私は近付いて何を切っているのか確める。

 どうやらお肉を小さく切っているようで、バネットさんは力を込めてそのお肉と格闘していた。

 

「店のつまみになる肉を細かく切っているんだよ。これに色々下味を付けて、唐揚げや肉炒めにするのさ」

 

「なるほど……」

 

 説明してくれるバネットさんの言葉に相槌を打ちながら、私は彼女の手元をずっと観察していた。

 

 私の中で、肉を切るという行為には二つの意味を持つ。

 一つは、昔の家で切れ味の良い包丁で食料である肉を切っていたお母さんの姿。

 もう一つは、切れ味の悪い包丁や鉈、ノコギリで私の身体を切り刻む天竜人の姿。

 

 その二つを思い出して、私は特に何かを思うことができなかった。

 ただ、物には嬉しいことに繋がることも嫌なことに繋がることも両方あるんだと、漠然と考えることしか無かった。

 最初はその包丁が恐ろしかった事もある。何度も同じところを刺され、アイツが包丁を握るだけで怯えたことは数え切れない。

 でも、私は痛みには慣れた。

 息をする度に傷が疼き。傷は塞がったというのに在りもしない過去の傷が幻痛となって私を襲い。生きている限り永遠に消えない痛みは、私にとって当たり前となったのだ。

 

 包丁を見て、恐ろしいと思うことも嬉しいと思うこともない。料理ができて、人を傷つける事が出来て、生き物の命を刈り取れる物。

 

 良くも悪くも、それしか思わない。

 

 

 そうして、ただ眺めている私に何を思ったのかバネットさんは振り向いて私に声をかけてきた。

 

「どうだいルナ? あんたもやってみるかい?」

 

 彼女は包丁の持つ手の部分、柄を私が握れるくらいスペースを空けて私に向けてくる。

 

 最初はそれが何を意味して、何をやらせようとするのかわからなかった。

 戸惑った私が包丁の柄とバネットさんを交互に見ていると、彼女は一口大の細切れになった肉を指差して私に言ってくる。

 

「これくらい肉を細かく切るんだ。どうせ見てるならやった方が良いだろ。やってみないかい?」

 

 そう言って私の手を取り包丁を握らせる彼女に、私はそっと息を溢した。

 

 ああ……彼女は知らないのだろう。この包丁が料理の為に使われる事を信じて疑わないのだろう。

 もし知っていたら、彼女は私達奴隷に包丁を渡そうとしない。

 

 飼い主は絶対に渡さない。それを奪われるとどうなるか理解しているから。

 

 刺されたことのある奴隷は奪う。目の前の状況から脱する為に。

 

 痛め付けられた奴隷は怯える。これから始まる地獄、無限に続く痛みは絶望するしかないから。

 

 

 では私は? 地獄を知り、痛みをなんとも思わず、身体が壊れようと再生し、食べるために命を奪い、弄ぶように人を殺した私は、包丁を渡されたらどうするのだろう?

 

 目の前でまな板の上に鎮座する何かの鳥肉。これに包丁を落とせば簡単に切れるだろう。

 だけど同時に。後ろを振り向いてその鋭い刃を振り下ろせば、バネットさんは簡単に殺せるだろう。

 

 こんなにも優しくしてくれる彼女でも、包丁を突き刺せば怯えるのだろうか。真っ赤であろう血は、彼女の心と同じように綺麗で濁りが無いのだろうか。

 

 彼女の血は、どんな味をするのだろうか。

 

 知りたい。でも、それは良くない。私の醜い欲望を私の理性が押し止める。

 

 

 バネットさんに手を握られて勝手に動く私の手を見ながら、私は醜いわたしを拒絶し続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 べトライさんとバネットさんの家に居候させてもらってから数日が経った。

 私といえば、バネットさんがしている裏方仕事を手伝うくらいだ。それでも二人のお手伝いをするのは遣り甲斐を感じるし、アレができるコレができるとお手伝いが上達すれば、二人も褒めてくれる。

 とても平和だ。でも、それは脆く崩れやすい平和なのかもしれない。

 

 時が過ぎていく内に、私はこの身体について気付いたことがあった。

 

 まず、この身体に宿る力がとても危険なのだ。

 普段はそうでもないのに、力を込めた時に限って相当な力がこの身に宿る。

 一度、手が濡れていたので握ろうとしたコップを滑らせないよう力を込めた。それだけでガラスのコップが粉々に割れたのだ。

 まるでそのガラスが握力に耐えられ無かったように。

 

 幸い、その時はバネットさんにバレなかったけど、いつまた力の調節を間違えるんじゃないかとヒヤヒヤしている。

 包丁で食材を切るときなんて、力加減を間違えてまな板と包丁を壊さないようにするのに、かなり神経を削る。

 

 次に傷の再生。

 まだ見られたことは無いけど、傷の再生する瞬間を見られるのは良くない。目に見える形で傷が再生する光景は、はっきり言って異常だ。

 だから、傷を再生させなくさせるか、最低一日は掛かる速度で傷を治せないか、何度か試して練習しているところだ。

 

 

 日常生活を送る上で、力の操作は急務だった。そのためにやることが多く、日が経つのがとても早い。

 そして思った以上に早く、私は帰れる手段を見付けることが出来た。

 

 

 ある日の朝、起きていつものように朝食作りの手伝いをしようとする私に、興奮するべトライさんが声を掛けてきた。

 

「ルナちゃんやったぞ! とうとうルナちゃんの故郷を知っている知り合いを見付けた! これで君は帰れるんだ!」

 

「え……ほんとですか?」

 

 唐突に降ってわいたようにべトライさんからもたらされた事実に、私は虚を衝かれて信じられないように私は彼を見て尋ねてしまった。

 

「ああ、本当だ! 二日後にそいつが漁船で海を渡るらしく、頼み込んでルナちゃんを一緒に乗せてもらうよう頼んできたんだ!」

 

 そう興奮しながら言う彼の言葉がとても切羽詰まったように見えて、本当のことなんだろうと私もようやく理解できてきたくらいだ。

 というのも、私としてはもっと先の事だと思っていたのだ。

 今の私は幸せな生活を二人に送らせてもらっている。ここの一週間が奴隷の時の一日と同じ感覚のようにすら感じていたくらいだ。それほど耐えてきた時間が辛く長かっただけに、私がお父さんお母さんと会えるのはもっと時間が掛かることだとばかり思っていた。

 

 私が事実を受け入れることにテンヤワンヤになっていることにべトライさんが気付き、彼は私が理解してなおかつ落ち着けるようゆっくりと事の説明をしてくれた。

 

 彼が言うには、私の故郷は北の海にあるらしい。偉大なる海(グランドライン)赤い土の大陸(レッドライン)によって4つに分けられた海の北側。そこはこの新世界の海から凪の帯(カームベルト)と呼ばれる風の無い海を挟んだ向こう側の海にあるのだとか。

 

 そしてべトライさんの知り合いが漁船の商人らしく、北の海まで仕事がてら送っててくれることになったらしいのだ。

 

「良かったじゃないかルナ。ようやくお前の保護者に会えるんだな」

 

「うん! やっと私の家族に会えるよ!」

 

 べトライさんの話を一緒に聞いていたバネットさんが笑って私を祝ってくれる。それに私はガラにもなく興奮していたのか大きな声で頷いたのだ。

 でもそれを聞いたべトライさんは私に悲し気な表情を見せてきた。

 

「そうだな……でも、そうすると寂しくなるな。うぅ……ルナちゃんがいてくれたからここ最近は賑やかだったんだが……」

 

 そう言って落ち込むべトライさんに、私はどうしようもなく申し訳ない気持ちが芽生えた。

 気持ちは私も同じだ。今まで優しくして貰った二人は私の中ですごく大事な人達になってしまっているし、私とて彼らと別れたいわけではない。

 

 でも。それでも私はお父さんやお母さんに会いたいのだ。

 この二人に保護して貰ったことはとても嬉しかったし、二人の親切な心遣いにはとても安心させてもらった。二人とも不器用なせいか妙にたどたどしかった時もあったけど、まるで私の親の代わりになってくれたのかのように接してくれた。

 

 だから、二人と別れることになるのはとても胸が痛む。恩も返せないまま旅立つことに私は顔を悲しく歪めてしまう。

 そんな私に気付いたのだろう。バネットさんがべトライさんを叱りだした。

 

「何言ってんだいあんた。この子はようやく元の家に帰れるんだ。それがわかってて泣いて引き止めるバカがどこにいるんたんだい?」

 

 バネットさんにポカリと殴られるべトライさん。叩かれたせいか彼はしばらく顔を俯かせていたが、それが功を奏したのか勢いよく顔を上げたのだ。

 

「そうだな……そうだな! 笑ってルナちゃんを見送らなきゃな!」

 

 そう言って笑う彼の姿は、何かを吹っ切ったようにとても晴れやかな笑みだった。

 

 その日の夕食は私の送別会と称してとても豪勢な料理が食卓に並んだ。

 

 だというのに、私はこの料理にすら満足感を得ることすらできずにいた。

 私はこの不安が払拭できないまま、二人と別れる日を迎えてしまった。

 

 

 

 







日常会話とか書けないから展開が早いんですよ。て、手抜きじゃないよ?
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