港から出て半日、私は再びベネッカの街に舞い戻ってきた。
あの後、腕をなんとか削り落とした私は あの時の脱力感が嘘だったかのように力を取り戻し、空けられた壁から嵐渦巻く大海原へと飛び出すことに成功した。
怒号の鳴り響く軍艦から少し離れて後ろを振り返れば、私が逃げ出せた要因である海賊団の船と戦う海兵達の姿が見える。
ドクロに髭のマークが入った海賊旗を掲げている、クジラのような外見の大きな船だった。
その海賊達はかなり強いのか 海軍相手に優勢な戦いをしている。
ただ私はそれにあまり興味を抱かず、それよりも再び捕らわれたくない考えがあったため、すぐにその場から離れた。
そして私は帰ってきてしまった。
いや、悪い訳ではない。ここの街はかなり好きだし、なによりベトライさんとバネットさんがいるのだから悪い訳ではない。
というより、私を匿っていたあの二人が海軍か政府の手先に捕まっていないか心配だ。
街に着いた私は空を飛んだままベトライさん達が経営している店に向かう。
「二人は大丈夫かな………もし海軍のやつらがいたら、どうするのが二人に迷惑を掛けないだろ……」
海兵に囚われていたとして、さっきのヤツくらい強い相手だと私では……。
いや、敵を殺す事は二の次にしてしまえば逃げれる筈だ。私は翼を持っているから、空から逃げればあるいはなんとかなる筈。
策を練りつつベネッカの上空を飛び続ければ、目的地であるベトライさんのお店にたどり着く。
そこから写る光景は、私の予想通りであった。
店の前に二人の海兵が見張りをするように立っている。まるで店に入るのを禁止するようにして立つ二人の海兵の姿が、店の中の惨状と二人の現状が良くないことを教えているみたいだ。
「海兵ッ……!」
私の覚悟は決まった。
空から急降下し、二人の海兵を店の扉ごと壊すように襲い掛かる。
狙った獲物を上空から狩る鷲の如く。空気切る速度で襲い掛かる私に二人の海兵は直前まで気付くとは無く、私の爪が扉ごと二人を切り裂いた。
遅れてやってくる破壊音が鳴り響いた頃には、私は店の中へと侵入して中にいた海兵の胴体を切り裂いていた。
「ぎぃゃあああ!!」
断末魔を聞き流しながら家の中を確認すれば、部屋には十数人の海兵や政府の役人と思わしきスーツの男。
そして驚いたように立ち上がるベトライさんとバネットさんの姿だった。
「二人から離れろ!!」
二人から海兵達を守るために、私は海兵達の前に立ち塞がる。
それを見て驚きながらも瞬時に警戒する海兵達。その一瞬の状況判断は、私が二人を連れてこの場から去る難易度を露骨に示しているようだ。
ジリジリとお互いの出方を伺うように対峙する私達。
すると私の背後でようやく状況を理解したように驚いた反応をするベトライさんの声が届いた。
「る、ルナちゃん………? 何故ここに……」
「説明は後です。すぐに二人をここから逃がすので、まだ動かずにじっとしていてください」
私は二人を庇うように少しずつ後ろへと下がる。
今の状況は冷静に眺めながら、自分が有利であることを理解する。
―――敵は前方のみ。背後は壁だけど、私の力で簡単に破壊して脱出できる。
厄介なのは、二人が私の速度に耐えきれないため速度を出せないのと、敵が遠距離から攻撃できるピストルやライフルを持っていることだ。
二つの問題を解決できる策を考えながら、私はいつでも敵の攻撃に対応できるよう警戒を強める。
私の背中に二人の内のどちらか一方の身体が触れた。
「…………ケホッ?」
その直後だ。
私は全く警戒していなかった後ろから、身体を貫くような衝撃と、慣れてしまったように感じる痛みが 頭へと届いてきた。
予期せぬ攻撃と背中を熱く燃やすような感覚に、私は戸惑うことしか出来なかった。
「…ぇ………あ?」
それが銃弾を身体に受けた結果だと経験から私の肉体が教えてくる。しかし何故銃弾を背後から受けたのか頭が理解していない。
だって後ろにはベネットさんたちがいるんだ。気配だって感じるし、いつも感じていた
二人の姿を誰かが偽り 私を騙して攻撃して来たとしても、気配ですぐに気付く。
だから私は状況の理解が出来なくて、無意識に背後を振り返った。
「えっ……? ベト、ライさ……?」
そこにはいつも見せていた笑顔を私に向けていたベトライさんとバネットさんの姿があった。
私の返り血を浴びて 口から煙を噴く銃を持っていなければ、二人の様子は違和感すら感じなかっただろう。
ベトライさんが私に普段と変わらないように話し掛けてきて。
「駄目じゃないかルナちゃん。政府のお偉いさんに迷惑を掛けるなんて……ましてや、今までさんざん面倒を見てきた俺達に迷惑掛けるなんていけないことだぞ?」
「…ぇ……え?」
全然 今の状況がわからない。意味がわからない。
そんな私にベトライさんは構うこと無く、彼が手に持つ銃を私の足に向けて…………撃った。
「ッ……!」
足から伝わる痛みと、今起こった現実。
わかっているのに認めたくなくて、私は馬鹿みたいに驚いて固まることしか出来ない。
何故ベトライさんがこんなことをするのだろう。政府の誰かが二人を脅してこんなことしているのか。 それとも、誰かに操られているのか。
彼の今の行動が本心でやっているのではないと私は願っても、彼等の言動がそれを許してくれない。
彼等から伝わるいつもの欲望の気配が、偽物でないと否定する。
「あんた何やってんだい。ルナのやつ倒れてないよ? 下手くそだね」
「あれ、おかしいな……? おい政府の役人。早くこいつを引き取ってくれよ。二度俺達が捕まえたんだから金もその分貰うからな」
そう二人で日常会話をするような場違いに近い軽いやり取りのせいで、今の状況を忘れてしまいそうになる。
あまりにも見慣れすぎたようなやり取りに対して呆ける私は、バネットさんが勢いよく突き飛ばしてきた事すら気付かなかった。
そんな私の状態でその衝撃に抵抗することができる筈もなく、床の上に簡単に転がされた。
背中からお腹まで貫通した傷口から衝撃で血が溢れだし、木の板で出来た床に飛び散った滴が染みを作る。
「……なん……で」
溢れ出す血が床に広がっていくのを眺めながら、私は弱々しく呟いていた。
ポタポタと私の顔から流れる液体が床に落ちて、薄い木の色を濃く染めていく様子が何故か惨めに見える。
「何でなの……ベトライさん、バネットさん………私は……」
「はー……これだからガキは嫌いだぜ。何かあるとすぐに泣く」
「この泣き虫ともようやくおさらばなんだ。しかもルナのおかげでお金もたんまり。泣くぐらい許してやんなよ」
二人は倒れている私を見下ろして、吐き捨てるように呟いた。
敵意や悪意は感じないのに、何故ベトライさんは私に銃を撃ったのだろう。
天竜人のように私を痛め付けようとする欲を感じないのに、何故私を突き飛ばしたのだろう。
今でも私を匿おうと、大切にしようと、護るような気配が伝わってくるのに、何故二人は私を政府に渡そうとしているのだろうか。
明確な拒絶と敵対行動をこの身に受けても そんな感情を私に向けてくるのだから、私は二人を否定することが出来ずにいる。
今の事 全てが何かの間違いだと思わずにいられなくて、私は二人に尋ねることしか出来ない。
「何でよ? 私を娘みたいに大事に思ってるって…………言ってくれたのに……なんでッ?」
嘘だと言ってくれれば、私は信じる。
これが演技で、二人が私を囮にして逃げようとするなら私はそれを喜んで受け入れよう。
でも、そう見えないから。政府の役人と親しげに会話するように話す二人の姿が嘘に見えないから。
さっきの海軍と軍艦も、まるで二人が手引きしたように話すものだから。
それでも僅かに残る希望に懸けて、私は二人に尋ねた。
「金のために決まっているだろ? それ以上でもそれ以下でもねーよ」
しかし現実はやはり私に冷たくて。何処までも私に対して無情で、残忍で、容赦がない。
「お金の……ため……?」
「そうだ。じゃなきゃお前みたいな面倒な奴隷、拾ったりしねーよ」
お金のために、私は拾われたのだ。救われたと思っていたのに、お金のためだった。
―――同情でも良かった。
求められていた欲があったのも知っていた。それを理解して求められることをしようとしたのに、実際は私すら見られていなかった。
―――嘘でも良かったのに。娘のようだと、大切だと言われて嬉しかったのに…………それは全て私の思い違いだった。
二人は最初から裏切っていて、最初から私に救いなんて無かったのだ。
「大事にしてたのも将来貰う大金の為だ。だからお前を誰にも見付からないよう隠して、偽ってきただけだ」
「あんたに逃げられても困るからね。何処ぞの誰ともわからないガキを
二人の言葉一つ一つが、私の心にあった何かを粉々に砕いていく。
今まで立っていた足場が突然崩れ落ちるような喪失感が、私の頭の中を支配する。
裏切られたと言う結果が、悲しみと怒りで私を赤く染める。
「…………ッ」
「さて、会話はもういいだろ。おら、そこの海兵! さっさとこいつを縄で縛ってくれ。逃げられて金が貰えないんじゃやってられないからな」
ベトライさんの言葉に反応して私の後ろにいた海兵の一人が近づいて来る。
未だに仰向けで倒れている私に少し警戒しながらも、放心したように動かない私の腕を無遠慮に掴んだ。
「………へ?」
しかし海兵が私に何か出来たのもそれだけだ。
掴んだ腕を引っ張ろうとしたその男は、私の腕を一ミリも動かすことなく自分の腕だけ持ち上げた。それが予想外だったのか、勢い余った力は男に尻餅を付かせて驚いたような声を上げさせた。
自分の腕がどうなっているかも知らずに。
「ああああああああ!!? 俺の、俺の腕がぁあ!!?」
その海兵が手首を切断されたことに漸く気付いたのか奇声を迸らせて叫んだ。
そんな彼を私は無視して立ち上がり、目の前で状況を理解していないベトライとバネットの二人に近付く。
「な、何が……」
「私ね……ずっと考えてたの」
この一週間の思い出が、泡のように浮き出ては消える。
二人の綺麗だと思っていた笑顔が、目の前に晒されている汚物のような醜い顔に刷り代わっていく。
あかく赤く、血のように紅く。二人が血塗れの
「貴方達に流れる血の色は………その輝きは……」
「ひっ!」
返り血なのか、それとも私がさっき撃たれた血のせいか。
フラフラと覚束無いような足し取りで近付く私に、二人は面白いように脅えて 後ろに一歩下がる。
その姿を赤い視界の中で捉えながら、ゆっくりと二人にわかるように、届くように告げてやった。
「お前達の血は、どれくらい美味しいんだろうって」
告げて、バネットの身体に襲いかかった。
常人離れした私の動きを目で追うことすら出来ず 彼女は簡単に私に捕まると、その首筋に鋭い牙が突き刺さった。
「痛い痛い痛い!! やめてくれぇぇぇぇえええええ!!!」
飲み物を啜るような音が彼女の悲鳴で欠き消されるのを耳が捉えながら、私はその血を味わう。
いつ怪我ひとつないその首筋に牙を突き立ててやろうかと思っていた。
穢れのない身体から出る赤い血はどんな味だろうとずっと考えてた。
それを我慢して我慢して我慢して、我慢していたのに。
啜った血は最悪の味だ。
「ぁあ……ぁ……」
「まだ殺さない。まだ殺してやるものか」
あらかた血を啜って干からびたバネットだけど、まだ死んではいかった。
全身に回る痛みからガクガクとバネットの身体から振動が伝わってくる。
彼女の恐怖と絶望の震えに喜びと楽しさを覚えながら、突き立てた牙から今までとは逆に 私の血を彼女の傷口から流し込んでやった。
瞬間、先程と比べ物にならないほど大きな声量と地鳴りのような重苦しい悲鳴が部屋中に轟いた。
「ィがガガガががギゅぇいイぇ!!?」
なんとも間抜けに聴こえるバネットの声を無視して血を送り続ける。
「ゴギュッ!?」
すると身体からバキポキと異質な音を立て始めたので、血を送ることを中断してバネットから離れた。
身体の節から異質な音がどんどん鳴って、グチョグチョと肉が蠢いて気持ち悪い。
目や鼻、口からは血を吹き出し、身体中から血の噴水が私の身体を濡らしてくる。
「ひぃぃいいいいい!!」
突然のバネットに起こる身体の変異に、近くにいたベトライや海兵、政府の役人が恐ろしい物を見たように腰を抜かす。
そんな彼等は見ていて面白いが、その時間も長く続かなかった。
腕が捻曲がり、身体の至るところから血が溢れ出しているバネット。そんな彼女は目から血を涙のように流しながら 隣で腰を抜かしたベトライに紅く変色した目を向けた。
すると彼女だったモノがベトライに襲いかかったのだ。
「なっ!? や、止めろバネット!」
ベトライの制止の言葉を無視して襲いかかったバネットは、彼の首にいつの間にか尖っていた牙を突き立てる。
すると私が血を啜るような音を響かせて、私と同じようにベトライの血を啜り始めたのだ。
「アはッ」
その光景が私にはとても愉快な物で。
ベトライの悲鳴を聴きながら、知らず知らずに嗤っていた。