『アローラ』
新世界のとある島にある王国の名前だ。私達がいた島から船で一週間程掛かる場所にその島がある。
一週間。長いようで短いこの期間、私は新世界の脅威の一部を体感した。毒の雨が降る天気、雲まで届くほどの大波、島と同じ大きさを誇る海王類に新世界の海賊。
加えて新世界の気候と海流は常に不安定で、リィルが航海士が必須と言う意味が痛いほど理解させられた。エターナルポースが指す方向に向かっているだけが、こんなに大変だと夢にも思わなかった。
だが、その長い航海も終わりだ。
「……ようやく着きましたね。取り敢えずリィルは髪を隠してください………。私はあまり懸賞金が高くないので知名度はまったくありませんが、リィルは最近までその…………とある噂があったので有名です……特にその髪と瞳は目立ちますし」
「わかったわ」
私は身をすっぽり包む外套のフードを深く被り直しながら、改めて『アローラ』の町並みを眺めた。
舗装された道を挟むようにレンガの建物が連なってできた町並みは、私が今まで見てきた町並みとはまったく異なって見えた。
他の町は殆どが木でできた建物ばかりなのに、この町の建物はレンガと土で作られている。ペンキで彩られたのとは違う、落ち着いた赤い土色の町並みは新鮮だった。
だけど、こんなにも落ち着いたように見える町の裏では、奴隷達は今も死ぬことに怯えているのだろう。
昔の私ならこの街を見れば感動していただろうに、今の私はそれが出来るほど子供ではいられない。
この街が。この世界が。黒く濁って汚れて見える。
「取り敢えず宿を探して、その後に彼等から聞き出した
「こっちだったわよね? その
リィルに尋ねておきながら、私はそちらに目的の場所があると確信して歩みを進める。
私は今から奴隷を解放する。
でもそれは奴隷達に同情したから助けようと思ったわけではない。同じ道を………同じ地獄を通ってきた私だ。彼等を憐れむ余裕があるはずがない。何せいつ己が死ぬかもわからない身で、誰かの境遇を、苦しみを、死を…………当たり前の事を可愛そうだなんて思う事が無理なんだから。
ただ………彼等はいわば、私の同胞だ。仲間だ。
時も場所も、支配していた者も違うが、私達は常に自分達を助け合って生きてきた。死なないために助け合ってきた。助けることが自分がいきるためのメリットになるから。
だから奴隷から解放された私は、誰かを助けよう、救おうだなんて思いはなかった。そこにメリットがない。むしろデメリットしかないから。
でも、今の私は目的のために彼等を救出することが必要なのだ。
そして、同胞だからこそ私は彼等の苦しみを知っている。理解している。
だから…………どうせ助けるなら、どんな事情があろうと、すぐに助けた方が良いに決まってる。
それに…………奴隷がどうこう以前に、私を地獄に落とした要因のある物は全てぶち壊したいじゃないか。
「さて……」
そこは落ち着いた町とはかけ離れた、薄暗い場所だ。
見るからに治安の悪く、路地裏の奥へ進んでいくと、少しずつガラの悪い人達が現れ始める。ヒューマンショップに辿り着くまでに数回ほど絡まれた程だ。
そして目的のヒューマンショップもまた、普通の一般人なら近づくことすら躊躇うような雰囲気があった。
見た目が怖く屈強な男達が用心棒のように入り口の前に立ち塞がり、私の感性ではあるが中からドロドロした気持ち悪いモノが感じられる。
私が近付くと、案の定用心棒らしき男達が睨みながら道を塞いできた。
「なんだおい。ここはガキの来る場所じゃねぇぞ」
「そこの嬢ちゃん。さっさとガキ連れて帰りな。それとも、俺等と一発遊んでいくかい?」
男達が私の後ろを歩いていたリィルに下卑た目を向ける。
別に男達が彼女に襲い掛かろうと実力差があるので特に危険性は無いのだけど、イライラしてる私にとって男達は殺したい対象でしかない。
「私に血を献上しなさい」
男達の怪訝な顔が、死の恐怖で固まった。
「やった。やった! 俺は自由なんだ!!」
「夢みたい…………あの人の下に帰れるなんてッ」
「ありがとう! ありがとう英雄様!」
かつて気持ち悪い欲望と己の未来への絶望で満ちたヒューマンショップは、今は人々の喜びで満ちていた。
ヒューマンショップにいる人間達を殺し、奴隷になる予定の囚われていた人達を解放した。
悲観に暮れていた彼等を助けたときの彼等の喜びようは…………大袈裟、と言って良いのかわからなかった。なにせ私も奴隷だったから、彼等の気持ちが痛いほどわかる。
でも……私達が奴隷から解放されたとき……こんなに喜んだだろうか? 確かにあの時は逃げなければならなかったから、そんな余裕は無かったと言えばその通りなのだけど…………
彼等の様子を見て感じる違和感に疑問を感じていると、喜んでいる輪の中から一人の女性が私の方に向かってきた。
その人は少し垂れ目で、雰囲気が優しそうな人だ。リィルより歳上に見えるが、目元に涙を浮かべているせいで少し幼く見える。
「ありがとうッ! 貴女達のお陰で助かったわ。何かお礼が出来たら良いのだけど……」
「当然の事をしたまでだわ。私達はその為に……奴隷を解放するために世界中を旅しているのだから」
「!! 貴女達が? でも……少なくても貴女はまだ私より幼いでしょう? 私より若いのにそんな……」
信じられない、というよりは告げられた真実に驚いている様子だった。疑わないのは自分達が私達に助けられたからだろう。
優しそうな見た目とさっきは思ったが、彼女は現に優しいのだろう。自分より幼い私達が善意でこんなことをしているのだと疑わない。感動、共感、正義感のような感情が伝わってくるのだから。
良い傾向だ。リィルが狙っていた通りの展開に心の奥でほくそ笑む。目の前にいる女性から私達に協力的な様子であるのがわかる。
この調子で各地の奴隷達を助ければ、もしかしたら…………
「なああんた等………特にその幼い嬢ちゃん」
そんな事を考えていた私は、男に呼ばれた。
「あんたもしかして……"奴隷の英雄" ルナだろ?」
その男は一般的な男性と比べると粗暴で怖い顔をしていた。先程私が殺した男達と雰囲気がどこか似ている。違うところと言えば、囚われていたせいか頬が痩せこけて髪もボサボサなくらいか。
ヒューマンショップの男達が悪代官とその用心棒だとすれば、彼は山賊だろう。
先程の喜びに満ちた様子とはまったく違う、男の物々しい様子。それに気付く解放された人達からは次第にその喧騒が失われていく。代わりに、私を見て小声でざわつき始めた。
「もう死んだって世間では騒がれていたが……まさか生きてこんなことを続けていたとはな」
「確かにそんな噂が流れているそうね。でも私は生きてるわ…………それで、それがなにか?」
「生意気なガキだぜ。まあ、助けてくれた事には恩がある………だが、死んだ筈のお前が生きているなら話は別だ。なあ、おい。知ってるかルナさんよぉ」
ニヤついた気持ち悪い笑みと、ドロドロした欲望の感情。吐き気がする男は私や周囲に人達に叫ぶ。
「懸賞金額一億五千万ベリー! おいそこのお前ら! 気付いているか? 俺達の目の前にはお宝が不用心に放置されているんだぜ!!?」
男の声に何人かの肩が跳ね、表情が次第に変わっていく。
それとは別に、そんな彼等に気付いた他の人々が私を護るように前に出てくる。
「お前………わかってるのか!? この子は俺達を助けてくれたんだぞ!?」
「お前こそわかってんのか? 奴隷に落とされそうになった俺達にそんなこと言ってる余裕なんてあるわけねぇだろ」
先程の喜びが嘘だったかのように対立し言い争う彼等。
そんな彼等を見て、私はようやく違和感に気付いた。
彼等は
彼等は違うのだ、私達と。彼等は奴隷に落とされそうになっただけで、未だに彼等は
金を目当てに私を欲望の目で見る男も、そんな私を護ろうとする人達も。
皆が生きることに対して余裕がある。
奴隷は………言っては悪いが、何処か欠けている。いや、大切な何かを失わされたと言うべきか。
表情を失った人を見た。感情を失った人を見た。理性を失った人を見た。思考を失った人を見た。
そして奴隷に対して行われた行為に依るが、皆が共通して失った物がある。
生きる事に対する余裕が無い。
私がそうだ。生きるために何でもさせられた。化物にだってなった。人を信じることが出来なくなった。今だって私を庇う人達を信じる事ができないし、共に来たリィルに対してすら警戒している。
私達は弱者だ。常に何かに怯えている。
言い争いは加速し暴動が起きる寸前にまで発展していたが、そんな彼等を無視し、私はこの場にいた一匹の同胞を見る。
集団から離れた端の方で膝を抱えていた痩せ細っている少年………だった物。大人しさはなりを潜め、先程の男の『宝』と言う発言からずっと私を狼のような血走った目付きで凝視してくる獣が、今まさに私に襲いかかってきた。
「ルゥアアアアア!!!」
その獣に気付いたのは私とリィルだけ。突然の猛獣のような叫び声にようやく反応した盗賊の見た目の男は、少年の進路上にいたために無惨にも体を引き裂かれた。
鋭い爪が私に襲いかかる。
「なるほど……私と同じ悪魔の実ね」
「ガルルァァア!!」
彼の鋭い爪を同じように私の尖った爪で防ぐ。
人間ではあり得ない鋭い爪と、痩せ細った姿からは想像もつかない程の人間離れした力。私と同じ悪魔の実の能力者であることがわかる。
「ルナッ……」
「大丈夫だよリィル。アレは私に任せて」
加勢しようとしたリィルを制して、私はこの少年の全身を隈なく観察する。
少年は全身が犬のような毛で覆われ、裸足の手足は鋭い爪が伸び、頭には犬の耳が生えている。ここだけでも人間ではあり得ない体なのだが、極めつけはその目だ。
まさに飢えた獣の目。私が先程から私よりも幼いこの少年を獣と言う理由がそれだった。
「殺す以外、生きる事が許されなかった狂犬ってところかしらね」
「グゥッ!?」
吸血鬼の膂力を使って獣を力任せに吹き飛ばす。
周りにいた人達もそれに巻き込まれたが、正直どうでもいい。今、私の瞳に写るのは同胞だけだ。
きっと彼の前の持ち主は彼に犬になるよう
その結果が宝と言う言葉に反応し、『危害を加えられない為に』と言う獣の防衛本能に従って襲いかかる狂犬へと彼を変えた……そう言う事をする天竜人を私は見たことがあるので、簡単に想像が付いた。
辛かっただろう。可哀想なのだろう。普通なら助けてあげるべきなのだろう。でも、私に歯向かう者に…………たとえそれが同じ奴隷だろうと私は容赦しない。
「ガァアアアアアッッッ!!」
「さようなら。私の同胞だった人」
せめて最期は痛み無く安らかに。
再び襲いかかる狂犬の首を、私は一瞬で撥ね飛ばした。
床に落ちる首の無くなった体と壁にぶつかった首が重い音を立てる。トプトプと流れる赤い血。床と壁に薔薇色が広がる。
彼がこの世に残した最後の爪痕だった。
「…………」
死体となった物から目を逸らし、私は周りを見渡す。
最初に私に話し掛けてきた優しいお姉さんは私を見ていた。先程の男の口車に乗せられそうになった人達も私を見ていた。そんな彼等から私を護ろうとしていた人達も私を見ていた。
皆、ただ驚いた様子で私を見ていた。
「誰か」
一番近くにいた、優しそうなお姉さんの肩が跳ねる。
何処からか砂利が擦られた音が私の耳によく残った。
「航海士の人はいないかしら? ああ……もしくは航海士の情報でも構わないわ」