吸血鬼になったというショックからようやく抜け出し、私は男の死体を先ほどいたゴミ山の部屋へと投げ捨てた。
翼も生えて、爪は恐ろしく鋭い。何より人の血を啜る牙は吸血鬼という化物になった明確な証拠。
話に聞いたことのある、悪魔の実。それがあの果物の正体だったのだろう。そうでなければこんなことはあり得ない。
後悔はしていない。あの時、あの実が無ければ、食べなければ私は確実に死んでいたのだから。
だけど、悲しくはあった。
人で無くなったことを明確に突き付けられては、今まで奴隷という底辺な身分だったとは言えショックが大きかった。
ただショックを受けていても仕方無いのは事実で。
今はここから抜け出せる力が手に入ったと割り切るしかない。そうでなければここから抜け出せないから。吸血鬼になったことは変わらないのだから、後で考えればいい。
私は人が通っていないか確認して部屋からでて通路を慎重に歩く。
あの男に虐待される時に色々な場所へと連れ出されたから、元いた牢屋までの道は大体覚えている。ただ外に出る出口までは流石にわからない。
あの牢屋は地下室であったようだし、ここも地下室なので構造はわかるから迷う事はないので安心だ。ただ彼女達と合流してからが問題だ。
外への道がわからなければ逃げられないのだから。
一抹の不安を覚えながら、私は人に会わないよう注意して牢へと向かった。
牢屋がある道の出入口前、その場所の道の角に辿り着くと、入口前に監視らしき人が立っていた。
牢屋から出ることは叶わないことも彼は知っているようで、油断した様子で欠伸をしている。
そんな彼に素早く近付き、彼のを喉を切り裂く。よろめいたところで首に牙を突き刺して血を啜る。
すると血を失って干からびた監視の男は、声をあげることなく絶命した。
だがそれよりも興味深い事があった。さっきの死んだ男から吸った血より、圧倒的に美味しいのだ。喉越しが良いと言うか、満足感が違う。
先程はあまり満足出来なかったから、もしかしたらと思い生きた状態で吸ってみたのだ。
腹が満たされたような感触と、人から離れた行為に悲しみを覚えながら男を掴み牢屋に続く道へと入っていく。
どうやら速度だけでなく、身体の力も上がっているのは確認済みだ。
鍵の掛かった扉を開けるときに、鍵を何とかしようとドアノブを捻ったら引っ掛かっていた鍵が壊れたのだから。常人より圧倒的に力が上がっているのがわかる。
その力を駆使して、男を引きずりながら最初の牢がある場所の前を抜けようとする。が、その牢の中から慌てたような声で呼び止められた。
「お、おいそこのお前! 何故牢の外に、しかも首輪も無しに出歩いているんだ!?」
声が聞こえてきた牢に目を向ければ、そこには魚と人を足して割ったような人がいた。
そして私は彼と似たようなみすぼらしい格好をしているから、彼は私が奴隷だったと言うことが一目でわかったのだろう。それも首輪が付いていない状態で外にいるのだから、思わず声を掛けたと。
さて、どうしたものか。騒がれても困るのだけど、この人も奴隷だ。逃がしてあげた方が良いのかもしれない。
でも解放させるためには首輪の鍵を探さなくては。
そう思い、まずはハンコックお姉さん達の安否を確認するために、その人を無視して奥に行こうとしたのだけど。その前に制止の声が掛かった。
「まて! お前が探している首輪の鍵の場所なら俺は知っている!」
その言葉を聞いて、私は立ち止まってもう一度彼の事を見た。
その目は嘘を付いているようには見えなかったので、とりあえず話を聞くだけ聞いてみようと、彼に声をかける。
「それは本当? …………なら場所を教えて貰う。そうすれば貴方を助けることを約束する」
「…………いや、俺だけじゃ駄目だ」
……何故か反論されたことに私は驚く。あの男は自分が助かりたくないのだろうかと、そう思わずにはいられなかった。
だが彼の次の言葉を聞いて、彼の言葉にも話を聞く余地もあると思い、彼との会話をする。
「奴隷は全員救出する。そのために力を貸せ人間」
「…………それは脱出するのにとても危ない選択。私は確実にこの場所から逃げたい。だからそんな危ない橋を渡りたくないと思うのは必然」
「逃げる時に騒ぎになるのが嫌なんだろう? 見つかるリスクが上がるからな」
…………色々省いているが、まあ端的にいうならそうなのだろうと一応私は頷く。
するとその様子を見た男はニヤリと笑って私にある条件を持ち出したのだ。
「俺が暴れる。それ以上の騒ぎになるほど大胆に、天竜人がおののくほど恐ろしくな。そうすれば奴隷の脱走など見向きもしないだろう」
「…………」
私は少しばかり考えた。確かにそれなら奴隷解放も容易くできるのかもしれない。私が逃げる前にやりたいことも、その混乱に乗じてできるかもしれない。
でもそれには、奴隷達が逃げるより重大な騒ぎ。あの男達が命を脅かす程の騒ぎが必要となる。
そう考えると、この男を信じて良いのかわからなかった。もしかしたらこの話は嘘で、私を裏切って一人で逃げるかもしれない。
私達は奴隷だ。色んな人を蹴落としてでも、この状況から脱出したいと奴隷の誰もが思っている。私だってそうなのだから、この男が裏切る可能性は否定できない。
「俺が裏切らないか怪しんでいるな?」
そう考えてたら、驚いたことに私の思考を当てられてしまった。
「お前の危惧もわかる。だが、裏切るなら最初から奴隷全員を解放するなんて条件はつかん。俺一人でこっそり逃げれば良いのだからな」
確かにそうだ。逃げたいだけなら、彼は奴隷全員の解放なんてリスクを真っ先に避ける筈。
私と同じように、誰か助けたい人がいるのだろうか?
しかし、このまま呑気に話をしていてはいつ見つかるかわからない。
鍵の場所もわからないのだから、まずは男の条件に納得したフリをして、それから考えよう。
「わかった。その条件を呑むから早く鍵の場所を教えて」
「わかった。場所はーーーーーーーー」
私は牢のある道から遠く離れた通路に隠れ潜んでいた。
今の場所は黒いスーツを着た男がそこかしこにいて、あの男と同じ変な服を着ている奴等をよく見かける道の角。
窓からはもう見ることは叶わないことと思っていた空の景色が見える。
今なら逃げられると思わなくも無いけど、お姉さん達の顔がチラついてそれを何とか踏み止まった。
そして再び廊下を見て、私はどうすればいいのか迷っていた。
何しろ人通りが激しい上に、お目当ての部屋まで今いる場所からとても離れている。このまま進めば確実に見つかるであろう程、警備と人の数が多いのだ。
どうしようかと考えていたとき、ふと自分の身体に目が行く。
私の身体で何か出来ないだろうか。吸血鬼、かどうかはわからないがそれに似た姿になったのだから、この状況を変える何かが無いか。
…………そう言えば、お伽噺では吸血鬼は霧になってバレないよう人の血を吸っていたという描写があった気がする。
それも私に出来ないだろうか?
いつこの場所が見付かってしまうか気が気ではない。私は集中して自分が霧のように細かくなっていくようなイメージを頭に浮かべる。
バラバラとあの男に身体を崩されていく感覚。砕かれ、切り刻まれて細かい肉片に変わっていくようなあの感覚。
気付けば、私の身体がフワフワと落ち着かなく浮いているような錯覚に陥った。
慌てて身体を見ると、そこには人の形をした霧のような身体がある。手を動かすと、ふわふわ頼りない手が私の身体から離れてしまいそうになる。
霧になることができたと、私は喜んだ。
まだ上手く出来ないが、なんとなく身体を散らすよう意識すれば、密集して人の形をしていた霧がふわっと道いっぱいに広がった。
思ったよりも密度のある霧の身体は、薄くなりながら延びていく。
私はバレないようできる限り薄い霧になった状態になって、ようやく鍵があるらしい部屋へと進んだ。
「? なんだこの霧?」
途中何度か廊下を歩いていた黒いスーツの男達に見付かったが、元いた道からここまで覆うほど伸ばされて薄くなった霧は、怪しまれても何かされることは無く。
私は順調に鍵のある部屋まで進むことができた。
ドアの隙間から部屋の中へ入っていくと、そこには鍵束が数個ほど壁に掛けてある部屋だった。
目的の物を見付けられて私は嬉々として鍵の傍による。だがここで、どうやって鍵を持っていこうか、再び考えなくてはならなくなった。
別に鍵が持てないというわけではない。
ゆっくりと霧の一部を集めて固めれば、宙に私の手が形成される。そのまま手を動かして鍵の束を持つこともできた。
鍵を持つことは問題なくできた。ではこの鍵を監視に見付からずにどうやって持っていくか、それが問題だった。
この霧化は私の身体しか出来ない。さっき着ていた服も、廊下の隅に置きっぱなし状態だ。
流石に彼らも鍵を持つ手が宙に浮かんだいたらすぐ気付くだろう。
見付かるような騒ぎはまだ起こしたくない。
どうしようと、部屋に付いている窓に目を向けて、私は閃いたのだった。
窓を開け、外に出て私は解放感で満たされた気持ちになった。
霧化しているとは言え、久々の外の空気に触れて詰まっていた何かが抜けていくような、充実感がある。
しばらくの解放感に浸り満足すると、私は家の屋上まで身体を浮かせる。
まあ、家というよりはこの大きさは城である。視界に収まらないほど大きな城は、私を捕まえていたあの男の身分が高かったことを嫌でも理解させられる。
嫌悪感を抱きながら、私は通ってきた通路を上からなぞるように空を進んでいく。
そのまま私が初めて霧化した位置の上まで進むと、高度を下げて元いた場所を窓から覗き込んだ。
誰もいないことに満足しながら窓を開けて素早く中に入り辺りを警戒する。
そのまま身体を集合させていき、手に持つ鍵からどんどん人の形へと戻っていった。
「ふう…………上手くいった」
私は落ちている服を着ながら、空に誰もいないと予想して行った計画が上手くいって安堵する。
一部の霧を元いた場所にゆっくり戻しながら、鍵を持つ手を外に出してここまで持ってきたのだ。お陰で迷うこと無く簡単に戻ることができ、見つかることもなく鍵を手に入れることができた。
思ったよりも凄く便利な身体に、私は少し気持ちを弾ませながら、牢屋のある道まで戻っていった。