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――ありえない! ありえない! 本っ当にありえない!
「普通女の子にあんな酷い真似する!? やっぱりあいつ、凶悪な犯罪者だったに違いないわ!」
あの頭のおかしい男に相談してから数日後の朝、私は憤慨しつつサンマリーノの街を歩いていた。レディとしてはもっとお淑やかにいきたいところだけど、あの男の笑い声を思い出すだけで腹が立つのだから仕方がない。
いつも住民たちを魅了しているこの可愛い顔も、残念ながら今は輝きを失ってしまっているだろう。私とすれ違うのを待っていた男どもには、悪いことをしたかもしれない。
「……ううん、ジョセフ以外の男なんて気にしてもしょうがないわね。それより今はとにかく、あの頭のおかしい訓練をなんとかしないと……」
うら若き乙女を魔物の前に放り投げるなんて、まともな人間のやることではない。最初はなにやら良いことを言っていたから、意外に頼りになるんじゃないのかとも思ったけれど……とんでもない。
本質は見た目通り、頭のおかしい変質者だった。
「やっぱり最初の予定通り、適当にサンディを脅してもらうだけにすればよかったのよ。そうすればジョセフも私を見てくれたはずだわ」
だってジョセフと同世代の女の子はサンディと私くらいしかいないんだもの。ならあの娘がいなくなれば、彼も自然と私のことを見てくれるはず!
そうよ、なにも恋人ってわけじゃないんだし……。偶々小さい頃から傍にいたから惰性でいっしょにいるだけ。いなくなったらすぐに忘れてしまう程度の浅い関係よ。
サンタのやつは社会道徳?がどうとか、よくわからないことをいろいろ言っていたけど、きっと協力するのが面倒で適当に誤魔化そうとしていたに違いない。
それか、恋愛経験がなくて本当に方法がわからなかったってとこかしら。……そうね、そっちのほうが可能性ありそうだわ。
いかにもモテなさそうな顔――――は見たことないけど、そんな雰囲気してるものね! まったくっ、冴えない男の嫉妬は見苦しいものだわ!
「……ふん、まあいいわ、今更あいつに頼むのも癪だし。うだうだ考えるのはやめて、もう正面から行ってしまえばいいのよ」
そう、怖がることはない。
今まで機会がなかったから躊躇していたけど、実際に話してみればすぐにサンディなんかより仲良くなれるに決まってるわ。
あんな芋っぽい娘より、優雅な私の方が絶対に気に入られるはず!
そうね、次にジョセフに会ったら軽ーく挨拶して――その後はお洒落な男女の会話と洒落込みましょう! うん、それで私たちの仲も一気に進展だわ!
「自信を持つのよアマンダ。あなたなら絶対にいける!」
と、歩きながら決意を新たにしたときだった。
「きゃっ!?」
「わっ」
ドンっと誰かにぶつかり、私は尻もちをついてしまう。
せっかく気分が上向いたところでこの躓き。それに対して私は、恥ずかしさからつい大声を上げてしまった。
「い、痛いわね! 一体誰よ!」
「ご、ごめん、前をよく見ていなかったから……。立てるかい?」
「え……」
そして即座に後悔する。
カッとなって声を荒げた私に対し、優しくその手を差し伸べてきたのは――
「ジョジョジョ!? ジョージョジョ、ジョ、ジョセフ!?」
「え? う、うん、そうだけど……」
私の想い人、ジョセフだったのである。
――――
「えっと、大丈夫? 本当に怪我とかしていないかい?」
曲がり角でぶつかった後、ジョセフは私に手を貸して広場のベンチまで連れてきてくれた。私が顔を顰めているのを、体のどこかを痛めたのだと思ったようだ。
今も隣に座って心配そうにこちらを見てくれている。
「え、ええ……、問題ないわ……」
勘違いから始まったとはいえ、景色のいい公園に二人きりのこの状況。本来ならば『よっしゃコラあ!』と、心の中で小躍りするところである。
だがしかし、今私の胸の内はバブルスライムのようにウネウネになっていた。
――ああああ、なんであんな叫び声を上げちゃったのよ、私! あそこでもっとお淑やかにしておけば、その後の会話でいろいろアピールできたのに! あれじゃただの、性格が悪いうるさい女じゃないの!
「えっと、すごく辛そうな顔してるけど……、やっぱり足でも痛めたんじゃ……」
「い、いえ! ほ、本当になんでもないのよっ?」
お、落ち着くのよ、アマンダ。まだ決定的な失敗をしたわけではないわ。そう、ピンチこそチャンスに変えるのよ。二人きりであることに違いはないのだし、さっきの予定が少し早まっただけと思えばいいの。
そうね、軽ーく挨拶――はもうしたから、……次はお洒落な会話ね。よし、ウィットに富んだ大人の会話をして、一気に気分を盛り上げるのよ!
…………。
「何話せばいいのよおおおお!!」
「っ!?」
ダメッ! 全っ然わかんない! お洒落って何? ウィットって何? というか会話ってどうやって始めればいいんだっけ!?
えっ、『話す』ってこんなに高度な動作だった!?
「ど、どうしたんだい!? やっぱり打ち所が悪かったの!? 頭大丈夫!?」
……ああもう、これじゃ頭のおかしいうるさい女じゃないの。このまま別れちゃ印象最悪だわ。と、とにかく何か話さなきゃっ。
で、でも一体何を話せばアアアアッ……………………はっ!
――『なあに、難しく考えることはない。相手が興味を持っているもの、いつも行っていることなどを話題にすればいい。そうすれば向こうも話し易い』
――『ならばこの場合、お前がやるべきは一つしかない。犬を飼うのだ』
――『相手の目を見て、お互いの心を通わせるのだ』
……。
…………。
………………。
よ、よーし……。あ、相手の目を見て……。
「じ、実は……数日前から悩みがあって、今もそのことについて考えていたの」
「あ、ああそうだったのか。それで難しい顔をしていたんだね?」
「ええ。だ、だからちょっとイライラしてしまって……。さっきはあんな風に怒鳴ってしまって……ごめんなさいね、ジョセフ」
「ううん、気にしなくていいんだよ。誰でもそういう日ってあるよね」
………………。
ぃよっしゃああああ! リカバリー成功!
私は心の中で小躍りした。いやしかし、重要なのはここから。さらに仲良くなるための楽しい会話をしなければならない。頑張れ、私。
「あ、あの……、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
「ん? なんだい?」
「えっと、ジョセフって確か、犬を飼っていたわよね?」
「うん、そうだよ。飼い始めたのは父さんだけどね。でも僕にも結構懐いてくれていてすごく可愛いんだ」
や、やった。好感触だわ。
「そ、それは羨ましいわ……。じ、実は私も今動物と触れ合っているのだけど、あまり懐いてくれなくて……」
「へえ、そうなのかい? ……あ、もしかして悩みっていうのは――」
「え、ええ、それなの。その子と仲良くなれなくて困ってるのよ」
「ふむふむ。何の動物なんだい?」
「え、えっと……」
…………す、少しくらいの嘘なら、……良いわよね?
「い、犬?かしら……。野良だから正確には分からないのだけど……、うん、まあ多分そんな感じ……」
「ああそっか、野良かあ。ウチの『ペロ』は赤ん坊だったからすぐ懐いてくれたけど、野良はなかなかねえ……」
「ええ、そうなのよ。………………まあこっちもある意味赤ちゃんだけど……。『ベビー』ゴイルだし」
「え?」
「い、いえっ、なんでもないわ。と、とにかく、吠えられたり噛みつかれたりで、まだまだ仲良くなれてないのよ」
「え、噛まれるの? それ大丈夫なのかい?」
「ええ。小さな子だし、噛まれるくらいは平気」
だってもっと酷いこと――刺されたり燃やされたり――もされてるし……。それに比べれば噛みつきくらい……ねえ?
…………。
なんか感覚が麻痺してる気がする……。ホントよく死ななかったわね、私。『みずのはごろも』半端ないわ。
「……そうか。君は優しい人なんだね」
「へ?」
私が訓練内容を思い出してヤケっぱちな笑いを浮かべていると、なにやらジョセフが穏やかな顔でこちらを見ていた。
「相手が可愛い子犬でも、何度も噛まれていれば負の感情の一つも浮かぶものだよ。でも君はそのことを話すときも、落ち着いた優しい目をしていた」
いや、落ち込んで死んだ目をしていただけだと思うけど……。
「きっとその子と本気で仲良くなりたいから、多少噛みつかれても気にしていないんだろう? それは本当に優しい人にしかできないことだよ」
いや、いつかブッ飛ばしてやりたいと思っているけど……。
……い、いやでもこれはチャーンス! いい感じに勘違いしてくれているし、ここで一気に優しい女アピールよ!
「ええ! 多分あの子も怯えているだけだろうしね! 私に慣れてくれるまで、何度でも挑戦するわ! いつか仲良くなれるのなら、多少噛まれるくらい全然気にならないもの!」
「おお、素晴らしいよ、アマンダ。同じ動物好きとして尊敬するよ!」
よし、これもうまくいったわ!
「あ、そうだアマンダ。何か進展があったら、またこうして教えてくれるかい?」
!?!? き、来た!! あっちからお誘い! 密会のお誘い来たああ!!
「ええ! 是非またお話を聞いてほしいわ!」
「そうか。じゃあうまくいった報告が聞けるのを楽しみにしているね?」
「ええ! 頑張るわ!」
「ふふ。じゃあ、またね?」
「ええ! また!」
そして私たちは楽しい会話を終え、お互いに良い笑顔で別れたのだった。
そして――
……。
…………。
………………。
「いやっふぉおおお!! イエイ、イエイ、イエエエエイ! 私大勝利いいい!!」
私は一人残った広場で、淑女らしく喜びを爆発させていた。
偶然出会った想い人と楽しく会話し、次に会う約束まで取り付ける。まさに完全勝利だった。
これはもう、目標は達成されたと言っていいんじゃなかろうか? 恋人コース確定なのではあるまいか?
「ああ……、ありがとうサンタ、いえ、師匠! 私は最初からあなたを信じていたわ。この人についていけば何の問題もないって!」
私の目に狂いはなかった。だってサンタの言う通りにしたからこんなに早く成果が得られたんだもの。
きっと故郷では凄腕の指導者だったに違いないわ。まったく誰よ、あの人のことを変質者とか言った愚か者は。そいつの目は節穴ね。
「ふふ、まあいいわ。違いのよくわかる私は、師匠の元で真面目に励むとしましょうか。ジョセフからも応援されちゃったわけだし、もっともっと頑張らないとね!」
こうして私は、断固たる決意とともにその場を走り出したのである。
――――
「師匠! よろしくお願いします!」
「お、おう……?」
そして今日も今日とて街の外で修行三昧。昨日までなら文句の一つも出るとこだけど、今の私は一味違うわ。
「師匠、あなたのおかげで今朝ジョセフと二人きりで話せたの! しかもまた今度会う約束までしちゃった!」
「お、おう、そうなのか……」
「相手の好きなものを話題にする。目を見て心を通わせる。全て師匠の言う通りだったわ、ありがとう!」
「そ、それは何よりだ……」
「じゃあ今日もベビーゴイルと戯れて来るわね! 私頑張るわ!」
「う、うむ、いってらっしゃい。………………これは、動物効果が表れた……のか?」
ふふ、考えてみれば、昨日までの私は傲慢で自分勝手だったわね。感情的に叫んで自分の主張を押し付けるだけじゃ、何も得ることなんてできないわ。
そう、落ち着いて誠意を持って対話すればこそ、相手も同じ想いを返してくれるのよ。人も魔物も同じこと。
そのことがわかった今、もうこの訓練も怖くないわ!
「さあ、だから仲良くしましょう、ベビーゴイルちゃん! 私と心を通わせて! あなたの胸の内を聞かせてちょうだいな!」(……くくくくく。さあ、早く私の踏み台となるがいいわ、この畜生風情め)
「…………」
「(ニコッ)」
「…………」
そしてベビーゴイルは、微笑みとともに返事を返してくれた。
「キキー」(よう、負け犬女。無駄な努力ご苦労様だなあ、ケケケ)
……。
…………。
………………。
「……………コォォォォォ」
「キキィーッ!?」
アマンダは つめたい いきをはきだした! ベビーゴイルを やっつけた!
「ちょっ、何やってるのだ、アマンダ!?」
「気にしないで。同じ想い(悪意)を返してあげただけよ」
「いやそれ悪意じゃなくて殺意!」
うるさい。私を怒らせるこいつが悪い。
「キキィ……」
「あら?」
なんと ベビーゴイルが おきあがり みのがしてほしそうに こちらをみている!
みのがしますか? →いいえ。
「生きていたならちょうどいいわ。あんた、私の下僕になりなさい」
「キッ!? キキーッ!」
「逃がすかぁ!」
「グエェ!? ……ギ……ギ……ギギィィ……」
私が頭を掴み上げると、奴は最初こそ抵抗したものの、やがては観念したように腹を見せ服従の意を示した。
少し予定とは違ったけれど、これにて目標達成である。
「ふぅ……。見て、師匠、心が通じ合ったわ」
「いや通じ合ってないっ! それ恐怖で支配しただけっ!」
「なるほど、あれが魔物との心の通わせ方なのか……。一度殺らなきゃダメなんだな……」
「ハッサンも納得しないで! あんなやり方絶対ダメ! 情操教育に悪過ぎる!」
「さあベビーゴイルちゃん。あんたにはしっかり、ジョセフとの会話の種になってもらうからね? 覚悟しときなさいよ」
「ヒ、ヒギィ……」
この日、少女は自らの殻を破り、新たな領域へと足を踏み入れた……。
――――そう、『魔物使い』として、覚醒したのである。
半殺しにして配下に加え、その後ずっと戦力として酷使する。
こうして書くとかなり怖い人ですよね、魔物使い。