「くふふふ。この心の傷、大暴れすることで癒してくれるわ!!」
「癒しを求める顔じゃねえぞ、アマンダ!」
「お前たち、背中で暴れるな!」
二人を背負って街の中心部へ急ぐ。
ハッサンから第一報を聞いたときは、ついにアマンダが街全体を巻き込む陰謀を企てたのかと危惧したが、どうやら別口だったようでそこはホッとした。
が、安心したのも束の間、今度はアマンダの奴が『暴れてストレス解消しよう』という酷い発想に至ってしまった。確かに元気を出せとは言ったが、こいつはジョセフにフラれた理由をもう忘れてしまったのだろうか。そういうとこだぞ?
これでは将来的に、戦闘狂か変態としか結婚できなくなってしまうのではなかろうか。弟子の行く末が本気で心配である。
「師匠! もっと急いでくれ!」
「!? わかった!」
しまった。余計なことを考えていて動きが鈍っていた。
ハッサンの口ぶりから考えて、街に迫る魔物の群れはかなりの大群。住民の戦闘能力が低いこの街では大量の死傷者が出かねない。
――そうなる前に急がねば……!
私は余計な思考を削ぎ落とし、ひたすら民家の屋根を蹴った。
◇◇◇
「見えた!」
「チッ、もうあれほどの数が……」
そのまま百回ほど跳躍を繰り返した後、ようやく我々は中心街まで辿り着いた。
……が、どうやら一足遅かったようだ。上空から見下ろしたところ、すでにかなりの数の魔物が街に入り込んでいるのが見て取れた。幸い正門はすでに閉じられているためこれ以上の流入はなさそうだが、今いる魔物だけでもどのくらいの被害が出ることか。
この辺りの魔物など自分にとっては物の数ではないが、こうもあちこちに散らばっているとさすがに厄介だ。街ごと吹き飛ばすわけにもいかんし、一匹ずつ倒そうにも、街の細部を把握していない私では時間がかかり過ぎる。
――くそっ、どうすればいい? 一体どうすればっ。
「なあ師匠! どうするんだ!? 早くみんなを助けねえと!」
「テキハドコ? エモノハドコ?」
「!?」
そのとき、背中からの声に妙案が浮かんだ。
そうだ、こいつらがいたのだ!
昔からサンマリーノで暮らしているこの二人ならば街の構造にも詳しい。特に子供時代はいろいろな場所で遊んだりするので、入り組んだ道などもだいたい把握していることだろう。
人選としては最適である。
「…………。……よし、二人とも聞いてくれ。生憎私はこの街を完全には把握していない。だからお前たちの協力が必要だ。街の中の魔物たちを、お前たちで手分けして倒してほしいのだ」
「え? 俺たちが一人で……?」
「ああ。少しでも早く解決するためには、私が外の連中をなんとかしている間に、土地勘のあるお前たちで中の敵を倒すしかない。街の入り組んだ場所となると、私では対応が追い付かんのだ」
「だから、俺たちの力が……」
「ああ、そうだ。…………もちろん、強制はできんが」
私の提案にハッサンが唾を飲み込む。
無鉄砲気味に見えてもこの少年は馬鹿ではない。自分の実力や状況を冷静に見極めるくらいはできる。今がどんなに危険な状態かもわかっているし、初めての実戦に対し恐怖も感じているのだろう。
しかし――
「わかった……。俺、やるよ」
「そうか。……助かる」
顔を上げたハッサンは決意の表情で宣言した。
そうだ、彼は恐怖を知らない愚か者ではない。だが、動くべきときに動けない腰抜けでもないのだ。
ふっ、こちらの弟子もどんどんと成長しているようだ。やはりこの人選に間違いはなかったな。
よし、私も張り切って奴らを爆殺してやるぞ!
「さあアマンダよ、お前も頼んだぞ!」
「リョウカイィ。ケケケ、コロセー!」
…………。
じ、人選に間違いはなかったはずだ、多分……。
うん……ただまあ、私の担当する相手に関しては、殺さずお帰り願うくらいの慈悲を見せてもいいかもしれない……。
そもそも虐殺が嫌で人間界に来たのだから、高揚感に任せて無用な殺戮などしては本末転倒だ。奴らと一緒になってしまう。
うん、そうだ。いやあ、危なかった、『人の振り見て我が振り直せ』とはよく言ったものであるな。以後気を付けよう。
「よし、ではお前たち、作戦を開始してくれ。……くれぐれも慎重に、冷静にな?」
「了解だ、師匠!」
「ケケケ、シネー!」
…………。
「お、おい、アマンダ。わかっているな? 守ることが目的なのだからな? 虐殺が目的じゃないんだからな? なあおい、聞いてるのか――って、コラ待てえ!」
「ワレニツヅケエエ!!」
「ゲギャーーーッ!!」
アマンダは従えた魔物たちを引きつれ、メインストリートをカッ飛んでいった。その背中はすでに、一軍を率いる魔将の風格を纏っていた。
「あいつの将来、本当にどうなってしまうのだろう……」
とりあえず今度、宿屋の主人には謝罪に伺ったほうがいいかもしれないと思った。
◆◆◆
師匠たちと別れてから、俺は建物が複雑に立ち並ぶ区画を目指して走っていた。
最初は家族の無事を確認することも考えたが、俺より強い親父がいるんだから大丈夫だと思い直し、まずはこちらを優先した。
そう、今何よりもするべきは、師匠に頼まれた任務の遂行だ。
街の中央からやや外れた位置にある集合住宅地。
あそこは二階建ての長屋になっており、住民たちのために多数の出入り口が設置されている。
しかしそのせいで魔物が入り込みやすく、また入った後は発見もしにくくなってしまうという厄介な構造になっている。子どもが多く暮らしていることもあり、真っ先に守らないといけない場所なのだ。
正直一人で戦うのは怖いが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
ビビるな、ハッサン! こんなときのために鍛えてきたんだろ!
俺は自分を奮い立たせ、船着き場の角を曲がった。そして――
「うわあああ! た、助けてええ!」
「っ!? くらえっ!!」
「ギュアア!?」
出会い頭に現れたヘルホーネットに、とびひざげりを叩き込んだ。
胴体部に膝を受けた巨大な蜂は、苦悶の声を上げながら海に落ちていく。咄嗟のことで闇雲に出した技、手応えも何も分からなかった。まだ向かって来るか……?
俺はしばらくその場で構え、海面を睨み付けた。
そのまま十秒……二十秒……と時間が経ち、そして、もう襲って来ないと確信したところでようやく構えを解く。
「ふうううう……」
大きく息を吐き出した。
気付かない内に固く握り込んでいた掌がズキズキと痛む。師匠から『冷静に』と言われていたのに、初っ端から全然守れていなかった。冷や汗はダラダラと流れているし、心臓はバクバク波打っている。たった一匹を相手にこのザマとは情けない限りだった。
――だけど、
「……倒した。誰の力も借りずに……一人で倒したっ!」
気が付けば俺は、喜びで拳を突き上げていた。
今まで鍛えたことが無駄じゃなかったと分かり、こんなときだというのに嬉しくて堪らなかったのだ。
「ハ、ハッサン……お前……」
「あっ!」
そんな俺を背後から聞こえた声が呼び戻した。
地面に座り込んで腰を抜かしているフランクに慌てて駆け寄る。
「フランク! 怪我はねえか?」
「あ、ああ、お前のおかげで助かったよ。……し、しかしすごいな、魔物を一撃で倒しちまうなんて」
「へへ、今すげえ達人に教えてもらってるからな。かなり強くなれたんだぜ?」
まだまだ師匠には及ばないだろうけど、この街周辺の魔物には十分通用するようで一安心だ。残りの奴らも全て片付けてやる。
「それでフランク、他のみんなは――」
――きゃああああっ!?
「!? い、今の声は!」
「不味い! 加勢に行ってやってくれ! 今はなんとか皆で応戦しているが、やられるのも時間の問題だ!」
「くっ!」
そうだ、悠長に喜んでいる場合じゃなかった。早くみんなを助けてやらねえと!
俺が急いで階段を駆け上がると、そこでは男たちが魔物と入り乱れて戦っていた。全員戦いには不慣れなのだろう。すでに全身傷だらけだ。
しかし絶対に建物の中には入れるものかと、彼らは恐怖に堪え、歯を食いしばりながら抵抗を続けていた。
先ほどの悲鳴は後ろにいる女たちだろうか。板や金槌を持って出入り口を塞ごうとしているようだが、怪我を負う男たちが心配なのか中々作業が進んでいない。
なら俺のやることは一つだ!
「魔物ども! てめえらの相手は俺だ!」
「グギャッ!?」
男たちへ攻撃を加えている『どろにんぎょう』へ背後から近づき、再びとびひざげりを放つ。泥の体がバラバラになるのを確認しながら、その隣の『ピーポ』を引っ掴んで階下へ投げ飛ばす。
ようやく気付いて振り返った『ビッグフェイス』の盾を蹴り上げ、顔面に拳を叩き込む。落ちてきた盾を掴んで、触れないように『バブルスライム』を薙ぎ払う。
さっきの戦闘で緊張が解れたのか、今度は驚くほど簡単に体が動いてくれる。
敵の攻撃は掠りもせず、逆にこちらの拳は面白いように相手へ突き刺さる。
ほどなくして俺は、十匹以上いた魔物を全滅させることに成功した。
「みんな、大丈夫か!」
「あ、ああ……助かったよ。もう少しでここも突破されるところだった」
緊張の糸が切れたためか、戦っていた男がへたり込みながら礼を述べた。
その後ろから老人や子どもなど、建物に隠れていた人たちもやって来る。見たところ、皆大きな怪我もないようだ。
「大工の旦那のとこのハッサン、だったかね? あんたのおかげでみんな無事だよ。ありがとう」
「兄ちゃん強いんだな! 俺驚いちまったよ!」
「へ、へへへ、いや、それほどでもねえよ。みんなが無事なら何よりだ」
このとき、口では調子の良いことを言いながら、俺は内心で小躍りしていた。
人から言われたことで改めて実感する。自分は強くなれたのだと、自分の選択は正しかったのだと。
――どうだ、親父! 俺は力を付けて人の役に立ったぞ! いち早く危険な場所に駆け付けて、一人の死人も出さずに皆を守ったぞ! 大工なんか継ぐより、よっぽど世の中のためになってるだろうが!
俺は親父に対して勝った気になり、心中で何度もそんな言葉を重ねたのだ。
「いやあ、旦那のとこは親子で俺たちを助けてくれて、ほんと頭が上がらないよ」
「…………え?」
だが、住民の何気ない一言に、俺の心の声は止まった。
「親父が……みんなを助けた? それってどういう……」
「あれ? 知らなかったのかい?」
疑問を発した俺を見て、住民たちが意外そうな顔をする。
「この家は旦那が建ててくれたんだよ。頑丈に造ってくれたおかげで、魔物の攻撃を受けてもビクともしなかったんだぜ?」
「そうそう。まさか魔法を喰らっても大丈夫とは思わなかった」
「他の街の大工だったら、壁が崩されていたかもしれないよなあ」
「この辺り一帯は旦那が手掛けてくれた建物ばかりだからな。死んだりした奴は一人もいねえ。まったく命の恩人だぜ、あの人は」
彼らの言葉を受け、辺りを注意深く見回す。
「そう言えば……あの家も、あっちの商店も、倉庫も、壁も……」
全部、見覚えがあった。
……そうだ、それも当たり前の話だ。
ここは親父に弁当や荷物を届けるため、俺が何度も通った道だった。
毎日同じ場所で同じような仕事をしている親父の姿を、『つまらねえな』なんて思いながら何度も通った道だった。
……つまり、俺がここに素早く駆け付けられたのも、一人の死者も出さずにヒーローを気取れたのも、
――全て、全て親父のおかげだったってことで……
「ハッサン!」
「!? な、なんだ?」
考え込んでいた俺は、フランクの声で再び現実に引き戻された。振り返ると、大きな家具や木材でギチギチに塞がれた大扉の横で、彼が俺を呼んでいた。
「ここは全部の出入り口を塞いだからもう大丈夫だ。後はこの勝手口を打ち付けちまえば、連中は入って来れねえ」
「そ、そうか。なら一先ず安心だな」
「ああ。お前はどうする? 一緒に中に籠るか? しばらく出入りはできなくなっちまうけど」
「い、いや、俺はまだやることがあるんだ。残りの魔物を倒しに行かねえと」
そうだ。また余計なことを考えて時間を食っちまってた。今は早く他のところも回らねえと!
「そうか……。わかった、気を付けてな! お前のおかげで本当に助かったぜ!」
「ああ。あんたのおかげで夫が死なずに済んだんだ。礼を言うよ」
「俺らも今度は一緒に戦えるよう鍛えておくぜ!」
「兄ちゃん、頑張ってな!」
フランクだけでなく、建物の中に避難した住民たちが口々に礼を言い、励ましてくれる。
「お、……おう! 任せとけ!」
そうだ。
俺が来なきゃ皆危なかったんだ。俺はこの力で人を助けたんだ。
俺の選んだ道は間違ってねえ。親父のことなんか気にする必要ねえんだっ!
そう、自分に強く言い聞かせた。握り込んだ拳がさっきより小さく見えたのは、きっと気のせいだと思いながら……。
「……よ、よし、じゃあ俺はこの周りを見回って来る。誰か魔物がいそうなところに心当たりがあったら教えて――」
「た、大変だ! だ、誰か! 誰か戦える奴はいねえか!?」
そこへ、血相を変えた男が走り込んできた。魔物に追われてきたのかと思い一瞬身構えたがそうではなく、しかし彼は青い顔で助けを求め続ける。
「は、早く! 早くしないと!」
「おいおい、落ち着けよ。こっちはもう魔物はいないし、安全だぜ?」
フランクが何とか宥めようとする。
しかし彼が落ち着くことはなく、続いて放たれた言葉に、今度は俺たちのほうが慌てふためくことになった。
「大変なんだ! 街の裏門が開きっ放しで、そこからどんどん魔物が入って来てる!」
「なんだって!?」
「お、おい! そりゃ本当か!?」
俺は慌てて男に掴みかかった。
本当だとしたら不味い。
先ほどは十匹程度であれだけ押し込まれていたのだ。だというのに、さらに大量の群れが押し寄せて来ては、彼らでは一たまりもない。
一刻も早く門を閉じなければ!
「どこだ!? 北門か! 南門か!」
「き、北だ! 戦えるんなら頼む、一緒に来てくれ! 他にも仲間を集めているところなんだ!」
「わ、わかった!」
複数人で事態に当たると聞かされ、少しだけ安堵する。さすがに大群を相手に単独で立ち回る自信はまだなかった。
だが――
「この先の広場に集まっているから着いてきてくれ! すでに一人で向かっちまった奴がいるから急がねえと! 放っておいたらやられちまう!」
「な! どこの馬鹿だよ、そいつは!?」
「それが、――――――あ、おい!」
最後まで話を聞かずに、俺はその場を飛び出していた。男の呼び声を無視し、そのまま大通りを全力で駆け抜ける。
「くそっ、何やってやがんだ、あいつは!!」
走りながら思わず悪態が零れる。
――自分が作った門だから自分で閉めに行くだと!? こんなときにまで頑固発揮してんじゃねえよ! くそっ!
取り返しのつかないことになっては不味い、と全力で足を動かした。別に心配なんざ欠片もしていないが、お袋を悲しませるわけにはいかないからだ。
まったく、年甲斐もなく面倒をかけやがって! 後でブン殴ってやる!
「ああちくしょうっ、無事でいろよな! クソ親父っ!!」