ザオリクよりもベホマが欲しい   作:マゲルヌ

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7話 言葉では伝わらないこともある

◆◆◆

 

 

 親父に笑いかけてもらった記憶はほとんどない。

 旅行に連れていってもらったこともないし、褒められたことだってほとんどない。

 物心ついてから覚えている親父の姿は、いつも不機嫌そうに金槌を振っているか、ノコギリを引いているか、図面を眺めているか、そのどれかだった。

 

 俺がある程度成長してからは、大工の技術を仕込まれる日々が始まった。

 間違えては怒鳴られ口答えしては殴られ、仕事の基礎を延々叩き込まれる毎日。当たり前だが全然楽しくはなかった。

 

 不満だったのは修行についてだけじゃない。

 親父は仕事中もむっつり押し黙り、常に眉を寄せている。手掛けている家が完成しても大して表情も動かさず、達成感などを感じているようにも見えなかった。そして次の日にはすぐ新しい仕事に取り掛かり、また黙々と仏頂面で作業し続ける日々。一体何が楽しいのかと疑問に思うばかりだった。

 

 正直辛い大工修行などさっさとやめたかったが、情けない話、親父に怒鳴られるのが怖かった俺は嫌々ながらそれを続けてきた。

 おかげで技術だけは無駄に身に付いたと思うが、こんな心境でやってきた仕事を好きになれるはずもなく、俺は日々鬱屈した感情だけを募らせていった。

 

 そんな俺が唯一気を紛らわせることができたのが、本を読んでいる時間だった。

 聖剣に選ばれた勇者が魔王を倒すという、まあ内容自体はありきたりな英雄譚だ。でも、修行漬けで娯楽なんかほとんど知らなかった俺にとって、それは何にも勝る心躍る時間だった。

 

 中でも俺が強烈に憧れたのは、主人公である勇者ではなく、その相棒の武闘家だ。勇者と違って聖剣もなく、精霊による加護もなく、出自もただの農家の次男坊。女にモテるような描写もなく、言ってしまえば勇者の引き立て役だったのだと思う。

 

 だけどそいつの、自分の力だけで敵を倒し仲間を守る強さに、俺は強烈に憧れた。何度も読み直す内にその憧れはどんどん強くなっていき、自分もこんな風になりたいと思い始め、そしてある日、俺は武闘家になることを決心していた。

 空想話に中てられたガキの妄想ではあったけど、それでも俺が初めて自分で選んだ道だったんだ。

 

 そして今じゃこんなに強くなった。昨日は頭に血が上って情けないことになっちまったけど、今日のこの姿を見ればきっと親父だって俺を認めてくれるはずだ。

 

「そうだ、どうせなら親父がピンチになってから助けた方が効果的かもな。俺より強い親父がこの辺の魔物にやられるわけねえし、しばらく物陰から様子を見てようか。はは、そうだな、それがいいや」

 

 俺はそんな親不孝なことを考えながら北門へ向かい、そして、

 

「っ!?」

 

 ――敵に囲まれて血を流す親父を見た瞬間、全てを忘れて地面を蹴った。

 

 

「親父いいいっ!!」

「ハッサン!?」

 

 膝を着く親父に大量のギラが撃ち込まれる寸前、どうにか俺はその射線上に割り込んで両手を構えた。そこへ炎が突き刺さる。

 

「ぐうううっ!?」

 

 凄まじい熱気が肌を焼き、苦痛から思わず逃げ出したくなる。

 だが自分の後ろには傷付いた父がいるのだ。なんとしてもこの攻撃だけは凌ぎ切ってみせる!

 師匠がやっていたことを思い出すんだ。手に意識を集中させ、集めた魔力で拳を覆い、そして――――拳圧で魔法を消し飛ばす!

 

「がああああッ!!」

 

 束ねられたギラの中心を強く突く。炎の壁は俺の拳と一瞬だけ拮抗した後、やがて空気が爆ぜるような音とともに消し飛んだ。

 

「ギ、ギギイ!?」

「はあっ、はあっ、……へへ、やったぜ」

「ハ、ハッサン……お前……」

 

 やや焦げてしまった右手を振りながら敵の集団を睨み付けると、連中は目に見えて動揺していた。ここは一気に追撃をかけるチャンスだ。

 できれば助けに来たドサクサで親父を一発ブン殴りたかったとこだが、この状況じゃ仕方ない。その代わり、親父の前で俺の実力をキッチリ見せ付けてやる。 

 

「さあ、下がってな、馬鹿親父! これくらい俺が全部片付けてやるぜ!」

「っ! 生意気言ってんじゃねえぞ、馬鹿息子!」

「あっ、何やってんだ!?」

 

 と思っていたら、親父が素早く立ち上がり魔物の群れに突っ込んでいった。流れる血も拭かずに、次々と魔物たちを殴り飛ばしていく。慌てて俺も後を追い、親父の隣で拳を振るった。

 

「おい、怪我してんだろうがっ! 大人しく後ろで見てろよ!」

「寝言は寝て言え! これくらい怪我の内に入らねえってんだ!」

「嘘吐け! さっきはやられそうだったじゃねえか!」

「これから反撃するとこだったんだ! それを余計な真似しやがって!」

「な!? こ、このクソオヤジ~~!」

 

 せっかく助けてやったのになんて言い草だ。

 緊急時にも関わらずこの頭の固さ。これじゃいくら武闘家になりたいと説得しても聞き入れてくれないはずだ。

 

「だいたいなんで一人でこんなとこ来てんだよ! みんなを待ってから一緒に来りゃよかったじゃねえか!」

「そんな悠長なことしてたら、魔物がどんどん入ってきちまうだろうが! 門を作った当人として、俺にはキッチリ運用する責任があんだよ!」

 

 ハエまどうを殴りながら怒鳴る。その隣で親父は、ビッグフェイスを盾ごと殴り飛ばしながら叫び返す。

 ちくしょう、見れば見るほど俺より強えな! 実は武闘家が本職なんじゃねえのか、このオヤジは!

 

「そういうのは警備兵の仕事だろ!」

「馬鹿野郎! ここまで含めて職人の義務だ!」

「あーもうっ、どんだけ頑固なんだよアンタは!」

 

 ピーポを殴り飛ばし、一旦距離を取るため後ろへ跳ぶ。

 そこへ反対側で戦っていた親父も下がってきて、期せずして二人背中合わせの状態になった。警戒して遠巻きになる魔物たちを睨みながら、こちらも息を整える。

 

「……人の命を預かる『家』を建ててるんだ。半端な真似は許されねえんだよ」

 

 不意に、親父が静かな口調で零した。

 お互い気を落ち着けている最中だからだろうか。最近じゃ珍しく、その言葉は素直に俺の耳へ入ってきた。

 

「……自己満足と言われても構わねえ。けど俺は、大工として人を幸せにすると決めたんだ。そのためにできることならなんだってやるさ」

「親父……」

 

 初めて聞く親父の内心に、俺はなんと返答したものかわからなかった。

 

 親父の言っていることが全て正しいとは思わない。魔物と戦ってまで街を守る義務なんて職人にはないだろう。

 要するに親父は古い人間で、なんでもかんでも背負い込む面倒な性格をしているってことなんだ。近くにいると疲れるタイプ。昔からいろいろ付き合わされてきた息子としては、実にいい迷惑である。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ――だけど、

 

 だけどそうやって、自分の仕事にどこまでも誠実であろうとする姿は、……悔しいけど少しカッコよく思えてしまって、

 

「怖いならお前は帰ってもいいんだぜ? あれくらいの魔物、俺だけでも十分だ」

「けっ、年寄り一人に任せて失敗したら、皆に申し訳が立たねえよ。仕方ねえから最後まで付き合ってやるぜ」

「ふんっ、なら足引っ張るんじゃねえぞ!」

「こっちのセリフだ!」

 

 ――俺は初めて、親父の助けになりたいと思ったんだ。

 

 …………。

 ………………。

 

 いや、本人には絶対言わねえけどな!

 

「オラッ、どきやがれ魔物ども! 世界一の大工様のお通りだ!」

「自分で世界一とか言ってんじゃねえよ!」

 

 ……初めて親父と一緒に遊んだような気分になって、少し楽しかったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 そのまま一気に雑魚たちを倒し、ついに俺たちは門を守るボスと対峙した。

 

「グルルルル……」

 

 目の前の赤い大型モンスターが、低く唸ってこちらを威嚇してくる。

 師匠の本によると、こいつは確か『いどまじん』という魔物だったはずだ。この辺りの連中と比べるとかなり強い、俺にとって明確な格上だ。

 だが早く門を閉めるためには、こいつを速攻で倒すしかない!

 

「よし、行くぜ! 遅れんなよ、親父!」

「親に向かって命令すんな!」

 

 己を奮い立たせるために叫び、その場を駆け出す。

 

「ゲギャアッ!」

「そんなもん食らうかよ!」

 

 いどまじんの投げた石つぶてを掻い潜りながら、懐まで一気に潜り込んだ。思ったよりも動きは遅い。これならなんとかなる!

 

「「はああっ!」」

「グゲエッ!?」

 

 俺は親父とタイミングを合わせ、いどまじんの腹へ拳打を叩き込んだ。拳には確かな手応え、奴は苦痛に顔を歪めている。

 

「よし、もう一発っ――」

「!? 下がれ、ハッサン!」

「えっ?――ぐあっ!」

 

 追撃しようとした瞬間、真横から凄まじい勢いで何かがぶつかってきた。一瞬視界がブれた後に体が浮き上がり、続いて背中にドンっと衝撃が走る。

 次に目に入ってきたのは青い空。何か硬い物に打ちつけたのか、後頭部にも鈍い痛みが感じられた。

 そこでようやく、地面に殴り倒されたのだと理解した。

 

「ぐっ、くそ……」

 

 グワングワン揺れる視界に耐えながらなんとか体を起こすと、いどまじんの野郎は、尻尾をブラブラさせながら嫌らしく笑っていやがった。

 ちくしょうっ、効いたような表情は演技かよ! 馬鹿みてえな面して頭使いやがる!

 

「ゲギャッ!」

「がっ!?」

「ハッサン!」

 

 頭の中で悪態を吐いていると、再び奴の尻尾で殴り飛ばされ、街壁に叩きつけられた。先ほどの攻撃と合わせて、どこか骨でも折れたかもしれない。それぐらいの衝撃だった。

 

「ゲギャギャギャッ」

「くっ、お前なんぞに……やられて、たまるか……!」

 

 なんとか立ち上がろうとする俺を、奴は小馬鹿にするように笑う。それに対し気勢を上げるものの、体は全く動かない。

 いどまじんがゆっくりと近づいてくる。一足で距離を詰められるくせに、奴はなかなかこっちまで来なかった。

 人間なんかに本気を出す必要はないってことか? それとも、殺される恐怖を味わわせるためにワザと時間をかけてやがるのか。くそ、魔物ってのは性格も悪いのかよっ。

 

「グルルルゥ……!」

「――?」

 

 …………。

 

 ……いや、おかしい。時間をかけるにしたってさすがに遅すぎる。さっきから全く動いていない。しかも奴は、イラついてるような表情まで見せていて……。

 

「ぐおお……おおお……!」

「っ!?」

 

 そして気付いた。

 違う、ゆっくり歩いているわけじゃない!

 

「止まり……やがれ……!」

「グラアアア……!」

「人様のガキに……手ぇ出してんじゃねえぞ……!」

 

 親父があいつの尻尾を掴んで、こっちに来れないようその場に留めているんだ! 自分の何倍も大きい魔物を相手に一人で!

 

「グルアア!」

「ぐおっ!?」

 

 当然、そんなことをすれば奴も黙っていない。

 いどまじんは敷石を砕き、親父に向かって投げつけた。両手で尻尾を掴んで踏ん張っている状態では防ぎようもなく、親父は全身に石つぶてを受け、見る見るうちに傷だらけになっていく。

 だが、それでも――

 

「へっ、これぐらいで放すかよ。お前にはもうしばらくここにいてもらうぜ!」

 

 頭から血を流しながら、それでも親父は手を放さなかった。

 

「グラアア!」

「ぐ、ぐうっ!?」

「お、親父……!」

 

 ちくしょう、何やってんだ俺は! 調子に乗って攻めて、油断してやられて、一方的に守られて。思い切り足手まといになってるじゃねえか!

 こんなザマで何が『強くなった』だ!

 立て! 立つんだ、このポンコツが! 今立たねえでいつ立つんだよ!

 

 自分の情けなさに歯噛みしながら、震える膝に拳を打ち付ける。体の中の弱気を、叫び声とともに外へ吐き出す。

 

「俺は……俺は……世界一の武闘家になるんだあああ!!」

「グゲッ!?」

 

 そして、全身に鞭を入れて立ち上がった。

 頭がクラクラするし、視界もユラユラしてるが、今はそんなもん知ったことか!

 さっきのお礼だ。特大の一発をお見舞いしてやる!

 

「親父いい! そのまま押さえてろおお!」

「っ! おうよ!」

「グ、グオオオッ!?」

「へっ、放さねえって言っただろうが。大工の足腰舐めてんじゃねえぞ!」

 

 立ち上がった俺を見て、焦りの声を上げて暴れ出す井戸魔人。だがそれを親父が強引に抑え込む。

 その力強い姿に、俺は感心するよりもむしろ呆れてしまった。まったく、大工ってのは皆こんなに足腰が強いのかよ。

 

 ……ああ、そうだ、師匠にも言われていたのをすっかり忘れていた。

 武闘家は下半身が命。ちゃんと腰を使って拳を振らないと、効くものも効かなくなってしまう。まったく、こんな大事なことを親父の言葉で思い出すなんて、悔しい限りだ。

 

「ちょうどいい、この悔しさもまとめてお前にぶつけてやるぜ! 覚悟しな!」

 

 俺は再び奴に向かって走った。苦し紛れに振るわれたパンチを掻い潜り、もう一度懐に潜り込む。

 もう甘い一撃なんて撃たない。今度こそ本当の全力だ。

 両足を前後に開き、腰を深く落とす。

 足首、膝、腰、肩。全身を回転・連動させ、全ての力を拳に集約する。そして最後に、

 

 ――後方まで撃ち抜くように、目の前の目標をまっすぐ突く!

 

「せいけんづきいいい!!」

「グゴアアアアッ!?」

 

 一直線に放たれた拳が、いどまじんの腹に突き刺さる。骨が砕ける音とともに巨体が浮き上がり、奴はそのまま壁を越え、街の外まで飛んでいった。

 間違いなくこれまでの人生で最高の威力。会心の一撃と言っていい手応えだった。数秒遅れて聞こえてきた落下音と微かな振動が、その確信を後押ししてくれた。

 

「ざ、ざまあ……見やがれ……。ぐうっ!?」

 

 しかしその分こちらの受けた反動も凄まじい。体中がズキズキと痛んでおり、今までのダメージもあってその場に膝をついてしまう。呼吸は激しく乱れ、腕だってしばらく上がりそうになかった。

 ……はっきり言って、もう戦闘不能だ。もしこれで奴が倒せていなかったら、間違いなくやられてしまう。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ど、どうだ……?」

 

 緊張しつつ壁の向こうを見据える。

 先ほどからずっと待っていても、奴が戻ってくる気配はない。

 しかし、それでも中々安心することはできず、俺は初戦闘直後のように、いや感覚的にはあのときの十倍くらい、その場に留まり続けた。

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「~~~~っ! ぷはあ! はあっ、はあっ、はあっ」

 

 苦しくなってきた呼吸で我に返り、ようやく安堵の息を吐き出す。同時に緊張の糸も切れてしまい、その場へ力なく倒れ込んだ。

 

「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅぅ…………、……ぁぁぁぁああああ~~~~っ!! 怖ええ!! 超怖ええ!! ほんっと死ぬかと思ったああああ!!」

 

 そして、勢いよく弱音を吐きまくった。

 

「もう怖いっ、怖いっつーの! あんなん子どもが戦う相手じゃないっつーの! つーか大人たちは何やってんだよ!? 警備兵はどこ行った!? ああちくしょう、もう二度とやらねえからなこんな無茶!」

 

 ギリギリの戦闘を潜り抜けた反動か、情けなさ三割増しで泣き言を叫びまくる。武闘家を目指す身として有るまじき発言もいくつか含まれていたが、どうか今だけは許してほしい。

 初めての戦闘でマジモンの命の危機を味わったのだ。今の内に泣き言の一つでも吐いておかないと、精神的にどうにかなってしまう。

 加えて今回は自分だけでなく、親父の命まで懸かっていたのだ。感じる重圧はさらに倍。初心者には些か厳し過ぎるデビュー戦だった。

 

「何ぶつぶつ情けないこと言ってんだ、オメーは」

「…………大物を倒したんだから、少しくらいはいいだろうが……」

 

 寝転がったままいろんな不満を漏らしていると、呆れ顔の親父が上から覗き込んできた。……いつものむっつり顔じゃないのがちょっと新鮮だ。

 

「お前がへたり込んでいる間に、こっちはちゃちゃっとやることやってきたぜ。これでもう魔物は入って来れねえ」

「姿が見えねえと思ってたら、いつの間に……」

 

 どうやらさっきの間に閉門の作業を済ませたようで、北門はすでに固く閉じられていた。意外に抜け目のないオヤジである。

 というかこっちは未だに倒れたままだというのに、俺より重傷の身でもう動き回っているのはどういうわけだ。……やっぱり職業の選択がおかしい気がするぞ。

 

「まあ、今回はお前にしちゃ頑張ったじゃねえか。最後の一撃なんかは中々のもんだったぜ?」

「…………え?」

 

 なんとも言えない気分で見上げていると、親父が血を拭いながらニカリと笑った。

 久しぶりに見る親父のまともな笑み。呆れ顔よりもさらにレアなその表情を見て、不覚にも動揺してしまう。でもその事実に気付かれたくなくて、俺は意識してぶっきらぼうに返した。

 

「……ふ、ふん、昔から何度も食らってきた拳骨を参考にしたんだよ。腰の入ったパンチを子どもに撃ってくる、大人げない奴がいたからな」

「へえ、そいつは酷え奴がいたもんだ」

「はっ、まったくだよ」

 

 ――いつも通りの憎まれ口になってしまうのが……歯痒かった。

 

 正直、今回勝てたのは親父の言葉と、その、言いたくはないが、『親父に手を出すな』という怒りのおかげだったと思う。

 だからまあ、ここは感謝の一つでもしておいた方が良いのだが、出てくるのはこんな言葉ばかりで……。あーくそっ、そう簡単に素直な言葉なんか出てこねえよ、師匠……。

 

「ぐう……!」

「あ、お、親父!」

 

 そんな風に悩んでいると、急に親父が倒れ込みそうになり、俺は慌てて起き上がってその体を支えた。

 そして今更思い出した。

 この傷の大半は、俺を助けてできたものだということを。

 先ほど親父が必死の形相で、俺を庇ってくれたのだということを。

 

 …………。

 ……いや、まあ、俺も最初に親父を助けてやったんだからお互い様で、別に感謝をする必要もないと言えばないんだが……。

 でもまあ偶には息子として、労いの言葉でもかけてやらないと親不孝かな? とも思うわけで――

 

「ゴホン、ゴホンッ。……あー、親父?」

「あん?」

「……まあなんだ、その、ここは危険だからよ、さっさと避難したほうがいいんじゃねえか?」

「…………は?」

「ほら、親父ももう年だし。早く家に帰って休んだほうがいいと思うんだ」

「…………」

「あーっと、ほらあれだ、不安なら俺が家まで送っていったって良いし……」

「…………」

「えっとつまり何が言いたいかっていうと。今日は親父のおかげで助かったっつうか……、少しは感謝してやっても良いというか……、まあそんな感じなわけで」

「ハッサン……」

 

 なんか……、初めて親父に対して素直に言葉が出た感じだ。

 どうにも変な気分。やっぱり俺たち親子には似合わねえかな。

 

 親父を見ると、あっちも目を丸くしながら驚いている様子だった。……でもその顔は、少し笑っているようにも見える。

 そんな、普通の親子っぽいやり取りが初めてできて、俺の口からも笑いが零れた。

 ――まあ、偶にはこういうしんみりしたのも、悪くはねえかな? なんて……。

 

「ハッサン……おめえ……」

「へ、へへっ」

 

 そして親父は、口をポカンと開けたまま、ゆっくりと俺の頭に手をやった。そして、

 

 

 ――――ズガンッ!!

 

 

「いってええええっ!?」

「ナマ言ってんじゃねえ、馬鹿息子!」

 

 思い切り人の頭に拳骨を振り下ろしやがった!

 

「な、何しやがんだ、この馬鹿親父!」

「うるせえ! こちとらガキに守られるほど落ちぶれちゃいねえ! 余計な気ぃ回してんじゃねえぞ!」

「はあ!? なんだよ、その言い草は! ひ、人がせっかく素直に感謝をだな!」 

「はんっ、素直なてめえなんか気色悪いだけだっての! これで傷が悪化したらどうしてくれやがる!」

「なっ!? こ、このクソオヤジ~~!」

 

 俺は三十秒前の自分をブン殴りたくなった。

 やっぱりこの馬鹿親父に感謝なんか必要なかった! ヘマして傷だらけになったのを笑ってやるくらいでちょうど良かったんだ!

 ちくしょう、恥ずかしい思いをした上に殴られて大損だ! もう二度と労いの言葉なんか言ってやるものか!

 

「んなことより、おめえにゃまだやることがあんだろうが」

「……え?」

 

 あまりのムカつきに一発殴り返してやろうかと拳を固めていた俺は、親父のその言葉に動きが止まった。慌てて顔を上げると、そこにはさっきまでとまるで違う、親父の真剣な表情があった。

 

「その拳は何のために鍛えてきたんだ? こういうときのためだろうが。こんなおっさん一人守ってないで、もっと多くのもんを守ってみせな」

「お、親父……そ、それって……」

 

 恐怖、安心、しんみり、怒りと、先ほどから感情の起伏が激し過ぎて一瞬分からなかった。でもその言葉には確かに、俺に対する激励が込められていて……。

 ――それって……それってつまり、親父が俺のことを、

 

「世界一の武闘家になるんだろ!? だったらこの町くらいキッチリ守ってみせやがれ!」

「っ! お、おう! やってやらあ!」

 

 親父の煽りに対して、こっちも全力で叫び返す。

 

 ――そうしないときっと、顔に入れた力が緩んでしまうだろうから。

 

『親父なんて関係ない』、『自分の将来なんだから勝手に決めちまえ』、そう思っていたのに……。

 いざこうなってみたら、それが嬉しくて堪らなくて……。

 俺は戦いの最中だというのに、ニヤケ面を隠すために余計な体力を使うはめになったのだ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「おいハッサン、ボケッとすんな!」

「えっ?」

「見ろ、早速次の奴らがおいでなすったぜ!」

「!? お、おう!」

 

 気付かない内に俺は、しばらくその場で呆けていたらしい。

 親父の声で我に帰ると、今度は町の内部から新たな魔物たちがここへ近付いてきていた。慌てて臨戦態勢を整える。

 

「おいおい、どうした、ついにお疲れか? なら今度こそ引っ込んでてもいいんだぜ?」

「ぬ、抜かせ! おっさんより先にバテてたまるかよ!」

 

 照れ隠しに叫び返しながら、顔を叩いて気合いを入れ直す。

 先ほどから続いての連戦。体力もギリギリで、本来ならかなり辛い状況だ。でも今はなぜだか体が軽くて、全く負ける気がしなかった。

 町のみんなも親父も、全部俺が守ってやろう。自然とそんな気持ちが湧き上がってきているのだ。

 

「よし! やってやるぜ!」

「……ふう。……今度、お前の師匠とやらに挨拶にでも行くかな。後継ぎを武闘家にされちまったのは悔しいが、お前をそんな風に鍛え上げてくれた礼くらいは……な」

「へへ、そりゃ構わねえが、この戦いが終わって生きていたらの話だぜ? 俺は問題ねえけど、親父の方は少し心配だな!」

「はっ、そのセリフそっくり返してやるぜ!」

 

 軽口を交わしながらお互い構える。まさか親父とこんな風に話せる日が来るなんて思ってもいなかった。

 これも元を辿れば師匠のおかげだな。アマンダにも恋愛指南なんてしてたし、強くするだけじゃなく心の悩みまで解決してくれるなんて、本当に最高の師匠だぜ!

 自分の口から直接礼を言うためにも、ここは絶対生き残らなくちゃならねえ!

 

「よし、行くぜ親父!」

「おうよ!」

 

 そして俺たちは同時に駆け出そうとし、

 

 

 ――ドガアアアアアン!!!!

 

 

「「ぬわああああああ!?」」

 

 前方で起きた謎の爆発によって、二人揃って吹き飛ばされた。

 道端の木箱に突っ込んだ痛みに耐えながら、状況を把握するべく急いで体を起こす。

 

「な、なんだ一体!? 爆発魔法!? あんな攻撃ができる魔物なんていたか!? もしかして新手か!? ど、どこだ!?」

 

『いどまじん』にブッ飛ばされとき以上に揺れる視界の中、必死に敵を探す。

 幸い直撃を食らったわけではないようでダメージは少なかったが、新たな強敵の可能性に俺はかなり焦っていた。

 

「落ち着け、ハッサン! 上だ、上! 空を見ろ! あいつの仕業だ!」

「な、何言ってんだ親父! 飛んでるわけでもあるまいし、一体空に……何が……いるって…………」

「まさかあんなとこから魔法を撃ってくる奴がいるなんてな。こいつぁかなりの強敵だぞ。気を付けろ、ハッサン。………………おい、ハッサン?」

「…………」

「おい、どうした、返事しろ! どこか怪我でもしたのか!?」

 

 親父が心配そうに揺すって来るが、俺にはそれに反応する余裕はなかった。

 ――だって――――だってあれって、

 

「師匠じゃねえかああ!!!!」

「はあ!? あ、あれがか!?」

 

 間違いない。神父服の上からマント被って顔を隠している大男。そんな怪しい奴が他に存在するはずがない!

 ……いや、でもそれにしたって、なんで師匠が俺たちに攻撃を……。

 

「ギ、ギギィ……」

「ん?」

 

 か細い声に釣られて前方を見ると、黒煙が充満する大通りにちょうど風が吹きこんできた。

 煙が晴れるとそこには、

 

「キキ……」

「ピギィ……」

「キュウ……」

 

 激しく炎が燃え上がる中、今にも衰弱死しそうな魔物たちが大量に横たわっていた。その後ろでは、難を逃れた魔物たちが青い顔で震えている。それを見て俺は事態を悟った。

 ああ、そうか。つまり師匠は、上から町を観察しながら、誰か危なそうな人がいれば助けてあげるつもりだったわけだ。

 ――で、さっきはボロボロの俺たちに魔物が迫っているのを発見し、助けるためにメラゾーマを放った、と。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ふざけんな、この馬鹿師匠! 危うくこっちまで死ぬとこだったぞ!? メインストリートまで粉々じゃねえか! もっと弱い魔法使えよ!」

 

 両手を上げてガーッと抗議する。すると師匠は何かに気付いたようにハッとし、こっちに向かって小さく手を合わせた。

 

「……ふう、どうにか気付いてくれたか。うん、そうだよ、もっと弱い魔法を使って軽く援護でもしてくれれば、それで十分なんだ」

 

 俺はきちんと伝わったことに満足して頷いた。そして、

 

 

 ――そして師匠は、新たに100発以上のメラゾーマを生み出した。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「追加注文じゃねえよ! 『他所にも撃ってあげて』なんて言ってねえよ!」

 

 全く伝わっていなかった。

 このままでは洒落にならないと思い、身振り手振りも加えて必死に伝える。

 しかし師匠は、グッと親指を立てて頷くのみ。

 いや、『ありがとう』の合図じゃねえから! 応援の踊りじゃねえから!

 

「つーかなんなんだよ、その数!? まさかそれを町中に降らせるつもりじゃないよな!? なあ、お願い師匠、嘘だと言って! そんなもん落としたらこの町は終わりだぞ! ねえ、ちょ、ホント待っ、早まらないで! 俺の故郷滅ぼさないで――ってああああっ、落としたああああ!!」

 

 

 ――ああ、忘れていた……。最近の修行で俺もすっかり毒されていた……。

 ――そうだよ……そういえば俺の師匠って、常識知らずの加減知らずだったんだ。

 ――確かに優しいし理性的だけど、それを上回るトンデモ戦士だったんだ。

 ――冷静に、慎重に、とか言っておきながら、実際は本人が一番アレだったんだ。

 

 ――ああ――やっと思い出したよ、大切なことを……。…………もう遅いけどね……。

 

 

「おいハッサン! あれがお前の師匠なのか!?」

「ああ、そうだよ……」

「頭おかしいんじゃないのか、あいつ!?」

「ああ、そうなんだよ……」

 

 諦観の笑いを零す中、やがて俺の視界は光に包まれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 平和な港町サンマリーノで起きた、この一連の出来事。

 これは後に、歴史に残る大事件として世界中で広く知られることになる。その事件名はズバリ、

 

 ――『サンマリーノ魔物襲撃事件』

 

 

 ではなく、

 

 

 ――『サンマリーノ大炎上事件』

 

 

『世の中何が起きてもおかしくないのだ』という教訓として、末永く語り継がれることになったのである。

 

 

 

 

 


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