ザオリクよりもベホマが欲しい   作:マゲルヌ

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4話 勢いで行動するもんじゃない

「ここが噂に聞く溶岩洞窟……ですか」

「ああ、山頂にあるムドー城まで通じている唯一の道だ。当然、配置されている魔物の数もかなり多い。十分に注意しろ」

「は、はい!」

 

 さて、先ほどは予想外のアクシデントに見舞われてしまったが、なんとかかんとか気を取り直し、我々は船着き場正面の洞窟へと足を踏み入れた。

 

 ――溶岩洞窟。岬からムドー城まで続く、その名の通り溢れる溶岩に覆われた長大なダンジョンだ。

 内部は活火山の影響で非常に熱く、空気が薄い閉鎖空間となっている。また道が複雑に入り組んでおり、ところどころ溶岩流を避けて迂回せざるを得ないため、ただ歩くだけでも大幅に体力を削られてしまう。

 そこへ強力な魔物が群れを成して襲って来れば、生半可な戦士ではたちどころにあの世行き……。魔王討伐に訪れた者を、その過酷さによって篩にかける、まさしく天然の要害と言えるのだ。

 

「しかしまあ……、危険な箇所は全て把握しているので問題はない。お前は遅れないよう、しっかり着いて来るのだぞ?」

「わかりました!」

「いい返事だ。……では、行くぞ!」

「はいッ!」

 

 そして我々は、気合いを入れて第一歩目を踏み出し、

 

「みんなッ、どうか無事でい熱っづああああ!?」

「ッ!?」

 

 派手な悲鳴とともに早速躓いていた。突然の奇声に驚いて隣を見ると、そこではレックが右足を抱えて地面をのたうち回っていた。

 

「せ、先生! 足の裏がすごく熱いです! 焼けるようです!」

「あ……」

 

 悲鳴を上げる姿を見て思い出した。そうだ、人間は溶岩を踏んだら火傷するんだった。自分が平気なもんだから完全に忘れていた。『あちゃー』と頭に手を当てながら凡ミスを反省する。

 

「ううう……、酷いですよ、先生。危険な箇所は教えてくれるって言ったじゃないですかぁ……」

「ば、馬鹿者、戦場で手取り足取り全てを教えられるわけがなかろう。最低限の危険くらいは自分で察知するものだ。溶岩を踏めば火傷することくらい、子どもでもわかる常識だぞッ」

「うっ……、確かに……」

 

 気まずさから強引に責任転嫁すると、レックは素直に反省して肩を落とした。

 その姿にちょっと罪悪感。ハッサンあたりなら全力でブーイングしながら謝罪を要求するところなのに、同じ子どもでもえらい違いである。

 

「……ん? あれ? じゃあなんで先生は平気だったんですか?」

「ゲホッ、ゲホッ!?」

 

 基本チョロいくせに妙なとこだけ鋭い奴め……。一瞬で魔法を習得したのを見る辺り、頭脳面はむしろ優秀なのかもしれぬ。

 

「ゴホン。……それは当然、身体を鍛えたからだ」

「えっ! 人間が鍛えただけで溶岩が平気になるんですか!?」

「そ、そうだ。肉体というものは鍛えれば鍛えるほどどんどん強くなる。地道に鍛錬していけば、いずれは斬撃や魔法、ブレスさえも平気になるのだ。人間の可能性は無限大だからな。溶岩を踏んで無傷で済むのも……、うむ、まったくもって当たり前の話なのだ」

「な、なるほど、さすがは先生です。……わかりました。溶岩はまだ無理ですが、今度裸足で焚き火を踏んで鍛えておきますね!」

「あ、いや……、そこまで無理しなくていいのだぞ……?」

 

 自分で言っておいてなんだが、こんな適当な嘘を信じてしまうとは……、前回に引き続いて再びこやつの将来が心配になってきた。

 いつの間にか人のことを『先生』などと呼び始めているし、今ならもう何を言っても信じてしまいそうだ。……しばらく冗談の類は自重しておこう。

 

 

「それはさておき……、困ったな。これでは最短ルートが通れないぞ。他の道は多分迷ってしまうだろうし、どうするべきか……」

「すみません、僕がひ弱なせいで足を引っ張ってしまって……。トラマナでも覚えていれば良かったんですけど」

「うん?」

 

 話を戻して考え込んでいると、レックの口から気になる単語が出てきた。

 

「レックよ。その……トラマナ、とは何なのだ?」

「あれ、ご存じありませんか? ダメージを受ける床を乗り越えるための補助系呪文ですよ。足元に魔力の膜を張って、地面に触れないようにしてダメージを回避するんです」

「ほう、こっちではそんな便利呪文があるのか」

 

 人間の発想力の凄さに思わず感嘆の声が出る。

 毒床もバリアも素通りしてしまう大魔王城の連中では、とても思い付かない発想だ。基本的にあいつら、『放っときゃ治る』の精神で怪我も出血も気にしないからな。……改めて思い出しても頭おかしいぜ。

 

 ……まあ私も、ちょっとピリッとする程度なら我慢して普通に通っていたから他人のことは言えないけども。

 しかし文明人としてはやはり、トラマナのようにスマートに解決する方向を目指したい。魔力で被膜を作って溶岩を防ぐだなんて、よく思い付いたものだ。

 

「ん……? あ、そうか、触れなければいいのか」

「え?」

 

 ――と、そこで、グッドアイデアが舞い降りてきた。

 

「レックよ、おかげで良い方法を思い付いたぞ。要は溶岩に触れさえしなければ問題ないわけだ」

 

 首を傾げるレックに対して、背中を向けてしゃがみ込む。

 

「あ、なるほど、僕を背負って歩いてくれるんですね? すみません、お手数をおかけします」

「いや、そうではない。それでは熱気に晒されてお前がダメージを受けてしまう。それに、いざモンスターに襲われたときも対処しづらいだろう?」

「?? ではどうやって先に?」

 

 再びキョトンと首を傾げる少年に対し、私はその冴えたやり方を教えてやった。

 

 

「――飛べばいいのだ」

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 煮えたぎる溶岩が、地面のそこかしこから溢れ出している。その熱量は最高位の閃熱呪文にも匹敵し、十分な距離を取っていてなお、熱気によって皮膚が泡立っていくのを感じる。

 迂闊に触れてしまえば人も魔物も関係ない。皆等しく燃やし尽くされ、この世から消え去ってしまうだろう。ここはまさに難攻不落と呼ばれるに相応しい、生きとし生ける者の存在を拒む、過酷な道行きなのだ。

 

 

 

 ――そんな、これまで幾人もの勇者が命を落としてきた難所を、

 

 

 

「のわあああああッ!?」

「レック! 落ちないようにしっかり掴まっていろ!!」

 

 

 

 ――我々は今、全力でショートカットしていた!

 

 

 

「せ、先生いいいっ! もう右も左も上も下も分からないんですけどっ、これホントに大丈夫なんですかああ!?」

「問題ない、順調に進んでいるところだ! お前はしがみ付くことだけに集中しろ!」

 

 背中に向かって叫びつつ、岩壁を踏みしめて強く蹴り出す。下から吹き上がる熱気を浴びながら空中を横断し、落下する前に逆側の壁へ。そこでさらにもう一蹴り。今度は天井に向かって飛び上がり、上から出っ張っている岩を片手で掴む。振り子の要領で体を揺らし、反動を使って前方の高台へ飛び移る。

 周囲を見てモンスターがいないことを確認。台地部分の端まで助走をつけ、勢いそのままに大きくジャンプ。眼前の溶岩流を軽々飛び越え、我々は悠々と洞窟最奥部へ進んでいった。

 

「お、おおお! す、すごいッ、岩もマグマもどんどん飛び越えていきます! 難所のダンジョンをこんな方法で突破するなんて、さすがは先生!」

 

 ふっふっふ、驚いたか。これが魔族式ダンジョン攻略法よ。

 チマチマ地面を進んで行くなどまどろっこしい。こうして三角跳びで一気に飛び越えて行くのが一番早いのだ。

 これぞまさにトラマナ(物理)! 合理的最速クリア法である!

 

 ……仕様を無視しているようで若干申し訳ない気もするけども、今はさっさとレイドック勢に追い付かなければいけないので許してほしい。

 私一人なら溶岩の中を突っ切ってもいいのだが、子供連れの今それをするわけにもいかないからね。ゆえに、空中を突っ走るこの方法こそが現状の最適解なのだ。

 

「下の魔物たちも、全くこっちに気付いていません! なるほど、これが盗賊の特殊技能『しのびあし』なんですね!」

「え? ……あ、いや、これはそういうんじゃなくて、ただの力技なのだが……」

「僕もいつか習得できるよう頑張らないと! 手始めに今度、城のバルコニーで壁走りを練習しますね!」

「あ、うん、えーと……、まあ……頑張って」

「はいッ!!」

 

 ――舌の根も乾かぬ内に再び少年の常識を破壊してしまったことに、若干の罪悪感を覚えるが……。

 

 まあこれも、レックと兵士たちを早く合流させ、全員を生きて帰してやろうという親切心100%の行いゆえ。目的のための致し方ない犠牲なのだ。

 レイドックのご両親よ。彼が国元へ帰って何かアホなことをしでかしても、そしてその原因が旅先の怪しい人物にあるとわかっても、どうか寛大な心で許してやってほしい。

 

「ひゃっほおおい! 先生、もっと飛ばしましょうーー!」

「コ、コラ、そんなに身を乗り出すなっ、落ちちゃうだろ!」

「はーいっ!」

 

 あとついでに、その他諸々のやらかし案件も水に流してくれると大変ありがたい。

 ……ホント、知られたら不味いことをいろいろやっちゃってるので。

 

 一国の王子を出合い頭に殴り倒し、土下座態勢で謝罪させ、嫉妬心からアイアンクロー。そして最後には、魔物の巣窟に連れ込んで危険地帯を大爆走。

 ……どう考えても、不敬罪からの打ち首獄門コースである。

 

「…………うん、今後十年くらい、レイドックには近づかないでおこう」

 

 自分と少年の将来を案じつつ、私は再びヤケクソ気味に石壁を蹴った。

 

 

 

「あのー! 先生ー!」

「なんだー! あんまり喋っていると舌を噛むぞ!」

 

 景色が高速で後ろに流れていく中、声を張り上げるレックに負けじと、こちらも大声で返す。

 

「先生の故郷ってどんなところなんですかー!」

「はっ……? どうしたのだ、藪から棒に……?」

「あはは! ちょっと気になりましてー!」

「……??」

 

 

 ――そんな中ふと、レックの発言内容に違和感を覚えた。

 

 ……いや、違和感がどうのと言えるほどこいつのことを知っているわけではないのだが、洞窟を進み始めてからこっち、どうにも言動がチグハグに感じるのだ。

 妙にテンションが高いかと思えば、今度は唐突に意図の読めない質問を投げかけてくる。……なんというか、地に足がついていない印象だった。

 

「あのですね! 僕ずっとレイドックで育ってきたので、他の土地に興味があって!」

「…………」

 

 ……これはもしや、初めての体験が連続して平常心を失っているのだろうか?

 ならば今の内に注意しておいた方がいいかもしれない。変に精神が高揚し過ぎたままでは、この先どんなミスをするか分からない。

 

「レイドックって大きい国でしょ? 近くに他の国はないし、それで――」

「おいレックよ、お前先ほどから少し浮かれ過ぎでは――んん?」

 

 だが、声をかけようと振り返ったとき、私は両肩に微かな震えを感じ、それを思い留まっていた。マント越しに肩を握りしめるレックの手が、カタカタ震えていることに気付いたのだ。

 

「そ、そんなに強いってことは、やっぱり武門の国ですかっ? あっ、もしかして、アークボルト出身とか……!」

「レック……お前」

 

 そして、矢継ぎ早に話すその顔を見て、ようやく違和感に合点がいく。

 口を笑みの形に吊り上げて叫んでいながら、レックのその目は全く笑えていなかった。

 

「え? な、なんです? 正解ですか? あ、あはは……ッ」

 

 ――そう、少年は恐怖心を払拭しようと、先ほどから無理やりに気分を高揚させていたのだ。

 初めて見る魔物への恐怖、魔王の本拠地に来てしまった恐怖、そして、自分自身が死ぬかもしれないという恐怖。それらが綯い交ぜになって幼い心を襲い、黙っていては不安に押し潰されそうになっているのだ。

 

 自分から敵地に飛び込んでおいて何を軟弱な、と思うかもしれない。だが忘れるなかれ、彼は未だ十二歳の少年なのだ。

 たとえ訓練された兵士であっても、戦場で怯えて使い物にならなくなる、なんてことは多々ある。それがただの子どもなら何をか況や、だ。

 

(もしかすると最初に私に挑みかかったのも、恐怖心を払拭したいがための防衛行動だったのかもしれん……)

 

 こんな状態では、いくら言葉で『落ち着け』と言っても効果は薄いだろう。

 ……かといって、ウチのパワハラ上司よろしく威圧したところで、ますます萎縮し、悪化するだけ……。

 となれば、ここで取るべき最善の行動は、

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ウ、ウチの兵もなかなか強いんですけど、最近は海戦が中心だったせいか、直接戦闘がちょっと苦手になっているらしくて――」

「辺境の小国だ」

「…………え?」

 

 気付かれないよう小さく溜め息を吐く。

 これが魔王軍の新兵なら、二、三発ブン殴って『さっさと逝ってこい』と蹴り出すところだが、人間の子ども相手にそれは少々酷である。

 ゆえに――

 

「お前の言う通り、私の故郷は武門の国でな。年がら年中、朝から晩までひたすら戦闘ばかりやらされ、何度も死にかけたものだ」

「あ、え……えっと……?」

「それが嫌になって国を飛び出し、今はこうして盗賊稼業なんぞをしているわけだが、まあそこそこ楽しくやっておる」

「あ……そ、そうなんです、か……?」

「…………」

 

 えーい、何を呆けておるのだ! さっさと察しろ!

 

「ゴホン! そんなわけで、私は世の中の常識に少々疎くてな! ……お前の国の話など聞かせてもらえると、とてもありがたいのだが?」

「え……? ……あっ! は、はい! 喜んで!」

「……フン」

 

 まあ、どうせ追い付くまでは暇なのだ。少しくらい世間話に付き合ってやっても罰は当たらんだろう。図らずも『先生』などと呼ばれてしまったことだし、『かうんせりんぐ』とやらの真似事だ。

 

 ……一国の王子の話ともなれば、有益な内部情報も聞けるだろうしな。そいつを持ち帰ってムドー様に報告すれば、魔王軍での私の地位も盤石。明るいバラ色未来が待っているって寸法よ。

 フフフ、仲間のメンタルケアと自身の出世を同時に達成してしまうとは、さすがはこの私。一石二鳥の見事な采配であるな! フハーッハッハッハッ!

 

「あ、あの、先生……!」

「ファーッハッハッハ――ん?」

 

「……えっと、その、…………ありがとうございます」

「………………。フン、何のことだか分からんな。それよりも早く、面白い話を聞かせるのだ!」

「は、はい!」

 

 ――というわけで暫しの間、私は少年の昔語りに耳を傾けたのである。

 

 

 

 

 

 …………決して絆されたとかじゃねーから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――魔族が他人を気遣い、人間が笑顔を返してくれる。

 

 そんなガラにもないやり取りを繰り返し、もしかして気が緩んでいたのだろうか? 後から思い返せばこのときの私は、少々楽観的になり過ぎていた。ここまで一度も戦闘が起こらなかったこと、そして、レイドック兵が戦った痕跡さえ見られなかったことから、当初の危機感が薄まっていたのだ。

 

 ――もしかしてムドー様は積極的に迎撃する気はないんじゃないか? このまま行けば戦いなんて起こらないんじゃないか?

 

 いつの間にかそんな甘っちょろいことまで考えていた。

 魔族が縄張りに入った敵を見逃すことなどないと、誰よりも分かっていたはずなのに……。

 

 

 

 

 

 ――最初に反応したのは嗅覚だった。

 

 

 

 

「それでですね、そのときに父が言った言葉が「ッ!? 静かにッ!!」わぶっ!?」

 

 出口の一つ手前の階層、大空洞の灯りが遠くに見えたときのこと。レックの話を遮りながら、その場にて急制動をかける。

 

「い、痛つつ……。ど、どうしたんですか、先生? 早く行かないと」

「静かにッ! ……少し待て」

 

 鼻を打ったらしいレックが訝しげな声を上げるが、生憎それに構っている余裕はない。戸惑うレックを背中から降ろしながら、もう一度大きく息を吸い込む。

 そのまま何度か深呼吸を繰り返し、集中すること、……五秒、……十秒、

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……間違いない。

 

「血の臭いだ」

「……え」

 

 魔族の鋭敏な嗅覚が、空気に乗った鉄くさい臭いを嗅ぎ取っていた。

 野生動物が狩りを行った程度の小規模なものではない。多数の個体が血を流したと思われる濃密な臭気、それが前方から強く漂ってきていたのだ。

 ……おそらく、この先で大きな戦いが起きた、もしくは、今現在も起きている。

 

 即座に意識を切り替え、緩んだ気持ちを引き締める。

 まだここから十分な距離はあるが、戦闘領域以外にも見張りの連中がいるかもしれ――

 

「みんなッ!!」

「あッ! おい待て、レック!」

 

 周囲の気配を確認しようとしたそのとき、すでにレックは走り出していた。止めようと伸ばした手は一瞬遅れて空を切り、慌てて自分もその後を追う。

 

「バ、バカモノ! どこに敵が潜んでいるかも分からんのだぞ! もっと慎重に行動を――ってああもうッ、聞いちゃいない!!」

 

 後ろからの必死の呼びかけも聞こえていないようで、レックはどんどん先へと進んでいく。驚くほどの速さだった。火事場の馬鹿力なのか、それともあの一瞬で強化魔法でも会得してしまったのか。すぐに捕まえられるという思惑は外れてしまい、その差はほとんど縮まってくれない。

 

 その間にも、遠くに見えていた灯りは見る見る近付き、それに伴って血の臭いもどんどん濃くなってくる……。レックの五感でも感じ取れる距離になったのか、その背中は目に見えるほど強い焦燥にかられていた。

 あの場で大掛かりな戦闘が行われたことはもはや確定的だ。

 

 せめて……、せめて一人でも生き残っていてくれ! 

 悲痛な顔でそう思っているだろうレックを見ながら、やがて我々は転がり込むようにしてフロアへと飛び込んだ。

 

 

 ――果たして、そこで目に入ってきた光景は、

 

 

 

「こ、これは……」

「そん……な……」

 

 辿り着いたその場所で我々が見たもの……。それは予想に違わぬ、激しい戦いの痕跡だった。

 

 無残に破壊された、穴だらけの岩場。

 激しく燃えさかる炎と、立ち上る黒煙。

 幾重にも亀裂が走り、今にも崩れ落ちそうな土壁と天井。

 折れ飛んだ刀剣類に、ひび割れた防具の数々。

 

 そして、

 

 

 

 ――――辺り一面に広がる、夥しいほどの血の痕だった。

 

 

 

 地面のそこかしこ、左右の岩壁や木々、果ては天井にまで赤黒い飛沫が飛び散っている。一人や二人の出血量ではない。これを見てなお彼らが無事だとは、私には到底思えなかった。

 そしてそれはおそらく、レックも……。

 

「…………っ! いやまだだッ、まだ分からない! 誰か! 誰かいないか!?」

「ッ待つんだ、レック!」

 

 我に帰ったレックが叫びながら駆け出した。視界が悪くフロア全体が見通せない中、我武者羅に走り、叫び、生存者を探し回る。

 

「皆! どこ!? どこにいるんだ!? 頼む、返事をしてくれ!」

「落ち着けと言うに! まだ敵がいるかもしれんのだぞ!」

「離してください! 皆を、皆を探さないと!」

 

 腕を掴んで制止するも、取り乱したレックは聞く耳を持たない。

 これだけの惨状だ、おそらくレックも私と同じことを思ったのだろう。

 しかし、頭に浮かんだそれを振り払うように声を張り上げ、見知った顔を探し続けている。そうしないと心がもたないのだ。

 

「トム! フランコ! いたら返事をしてくれ! 僕だ、レックだよッ!!」

 

 錯乱寸前のレックを見ながら、いっそ強制的に意識を落としてしまうべきかと悩んでいたそのときだ。

 

 

 ――ザッ、ザッ、ザッ。

 

 

「ッ!? レック!」

「あっ!」

 

 咄嗟にレックを抱え込み、壁際の岩陰へと滑り込む。振り返って声を上げようとする口を押さえ、目の前で人差し指を立てる。

 

「(先生、何を――)」

「(静かに! ……何か来る)」

「ッ!」

 

 洞窟出口側の通路から、多数の音と気配がここへ近づいて来ていた。

 感じ取れる魔力の質から見て、おそらく人間ではなく魔物の集団。レイドック兵と戦った者たちか、それともただの偵察兵か……、いずれにせよここで鉢合わせるわけにはいかない相手だ。

 レックもそれを理解してくれたのか、暴れるのをやめ、物音を立てないよう息を潜めた。

 

 そしてそのまま、ジッとすること十秒ほど……。

 やがて暗がりの奥の方から多数の影が浮かび上がってきた。

 そこに見えたのは、二足歩行ではあるものの、どれも到底人間には見えないシルエットで――

 

 

 

「あーあー、メンドくせえよな、後片付けなんてよ。なんで俺たちがこんなことしなきゃならねえんだ」

「そう言うなって。地面がこんなガタガタじゃ不便だろ」

「だからってなあ、戦闘部隊の俺たちにやらせなくてもいいじゃねえか」

「仕方ないだろ? スライムどもにやれって言ったって無理なんだから」

「そりゃまあ、そうだがよ……」

 

 

 予想通り、大勢の魔物で構成された部隊がフロアの中へと入ってきた。昨晩ムドー城で見た顔ぶれも多数含まれており、全員が地面を均す道具や袋などを携帯している。

 

「おい、無駄口はその辺にしておけ。作業を始めるぞ」

「「うーす」」

 

 気だるげな様子でぼやきながら、連中はフロア内に散らばり作業を開始していった。各自が地面を埋めたり、火を消したりと、テキパキと戦闘の跡を修復していく。

 ……レイドック兵たちが通った後の道で、魔物たちが無警戒に土木作業を行っている。その場には大量の血痕が残っており、彼ら自身はすでにここにはいない。それらを合わせて考えれば、嫌でもその事実に気付いてしまう。

 

(これはやはり……、“もう終わった”……ということなのだろうな……)

 

「……ッ」

 

 チラリと横を見れば、レックもそれを察したのか、大きく目を見開いて息を呑んでいた。

 その間にも、連中の会話と作業は続いていく。

 

 

「ちっ、人間どもめ、余計な手間かけさせやがって」

「怒るな、怒るな。久しぶりの戦闘で楽しめたじゃねえか」

「そりゃお前らだけだろうが。俺が来たときにはほぼ終わってたんだよッ」

 

 血の気の多そうな一匹が地面をガンっと蹴って叫ぶ。

 

「くそ、貧弱な奴らめ、もう少し楽しませろってんだ! それが無理なら抵抗なんざせずにさっさと死ねよ! 中途半端に粘って仕事だけ増やしやがって!」

「おーおー、荒れてんなあ」

「ま、人間ごときにイラつかされりゃそうなるわな」

「次のときは優先的に回してやるから、機嫌直せって」

「どうせ人間ども、懲りずにまた来るだろうしな」

 

 まるで、狩りの獲物について話すような見下した口ぶり。聞いていてあまり気分の良いものではなかった。はざまの世界では人間相手に戦うことなどほとんどなかったためか、この手のいわゆる、『魔物らしい会話』にはどうにも慣れない。

 ……我々本来の立ち位置からすれば、あいつらの方がむしろ正しいのかもしれないが……。

 

「ケケケ、それにしても奴らにゃ笑えたよな?」

「ああ、自信満々の顔して『我らが魔王ムドーを討つのだー』だもんな。あの程度の腕で何ほざいてんだっての」

「俺なんか無駄に警戒して恥かいちまったよ。『ここから一発逆転の技でもあるのか!』なんて真面目に構えてよ」

「結局何もなかったけどな。ホント口先だけの雑魚!」

「まったく人間ってのは身の程知らずだぜ! 馬鹿は死ななきゃ治らないってか!」

「「ぎゃははははは!」」

 

 

 

「~~っ!!」

 

 口汚い罵倒にレックの総身が震えた。

 王子として、仲間として……、部下たちが侮辱されるのが我慢ならないのだろう。今にも奴らに向かって行こうと、私の腕の中で必死に身を捩っている。

 ……気持ちは分かるが今は我慢してくれ。この場で奴らと事を構えてももう意味はないのだ。彼らのためにもせめて、こいつだけでも無事に返してやらなければ。

 そんな思いでレックの身を押さえながら、私はしばらくその場で息を殺し続けたのだ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 そしてそのまま、30分ほどが経過し……。

 

「よーし、こんなもんでいいだろう」

「ふいー、やっと終わった!」

「じゃあさっさと帰ろうぜ。今日はもう働きたくねえ」

 

 やがて連中は粗方の作業を完了させたようで、三々五々、城へと引き上げ始めた。

 

 その後ろ姿を見ながらホッと息をつく。

 途中、何度も怒気を発するレックに肝を冷やしたものの、時間が経ったおかげで僅かに冷静さを取り戻したのか、レックは魔物たちの背を苦々しく見送りながらも、もう向かって行こうとはしなかった。

 自分の中でなんとか折り合いを付けたのか、それとも私を巻き込むわけにはいかないと自重してくれたのか……。

 

 いずれにせよ、この場で我々にできることはもうなかった。

 後は誰にも見つからないよう海岸まで戻り、レックを国元へ帰すだけ。それで今回の事件は完全に終了だ。

 

『助けようとした者たちの全滅』という、なんとも後味の悪い結果に終わってしまったが、長く生きていればこんなことも珍しくはない。レックも今は辛そうに沈んでいるが……、彼は心の強い少年だ、いずれは受け入れてなんとか前に進んでくれるだろう。

 

(せめて早く立ち直れるように、何か元気付ける方法でも考えておこうか)

 

 そう思ってフッと気を抜いた、そのときだった。

 

 

 ――――何気ない彼らの会話が、風に乗って聞こえてきたのは……。

 

 

 

「しかしよお、ムドー様はどういうおつもりなんだろうな? 適当に痛めつけた後は奴らを素通りさせろ、なんてよ」

 

 

 ――ッ!!!?

 

 

「さあてな、たまには自分で手を下したかったんじゃないか? 最近俺らばかり獲物を狩ってたし」

「ムドー様直々にか? そりゃかわいそうに、あいつら骨も残らねえぜ」

「苦しまずに一瞬で死ねるんだから、むしろ幸運なんじゃねえか?」

「ハハハッ、そりゃ違いねえ!」

 

 

 そんな軽口を叩きながら、今度こそ連中は洞窟を出ていったのだった。

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「………………」

 

 二人だけで取り残された空間が、痛いほどの静寂に包まれる。その中で私は、思わず漏れそうになった舌打ちを飲み込んだ。

 誰かが無事だと分かってこんな反応をするのは、不謹慎だとはわかっている。しかし少なくとも今だけは、『余計なことを言いおって』というのが正直な感想だった。

 

「……皆を、……皆を、助けないと……」

「待て、レック。……行ってはならん」

 

 案の定、俯いたままだったレックは、出口へ向かってフラフラと歩き出していた。その肩をつかみ、半ば無駄とは知りつつ思い留まるよう諭す。

 

「おそらく……、彼らはすでに敵の中枢だ。いまさらお前が行ったところで、どうにもならん」

「……わかっています」

「いいや、わかっていない」

 

 掴んだ肩を引っ張り、強引にこちらを振り向かせる。

 

「いいか、よく聞け。先ほどまでなら確かに、ギリギリではあるが生き残る目はあった。城へ着く前になんとか彼らに追い付いて、お前が一言『帰ろう』と言えば、おそらく皆従っただろう。そしてそのまま敵に見つからず船まで戻れれば、全員で生還することは十分に可能だった」

「…………」

「……だが、魔王が関わっていてはもう無理だ。人間では決してあれには勝てん。彼らを助けるどころではない、お前まで確実に死ぬことになる。あの魔王を間近で見た私の、確信に近い予測だ」

「…………」

「悪いことは言わん、このまま国へ帰るんだ。お前はまだ子ども、ここで逃げても誰も責めたりしない」

 

 でき得る限りの言葉を重ね、説得を続ける。

 するとやがて、俯いたままだったレックの口からポツリポツリと言葉が紡がれだした。

 

「…………先生のおっしゃったこと、きっと正しいのだと思います。僕らよりずっと強くて、多くの魔物を見てきた先生が言うなら、それは間違いないのでしょう。僕のような未熟者はもとより、わが国の精鋭たちでさえ、きっと魔王には敵わない」

「……ああ、その通りだ」

「僕らの見通しは甘過ぎた。少なくとも今の段階では、魔王とまともに戦っても勝ち目がない。ならば今は生きて帰って父にそれを伝え、その上でなんとか民が生き残る術を模索する……。それが今できる最善の選択です」

「そうだ。その通りだ。だから今すぐに――」

「わかっていますッ!!」

「っ…………お前」

 

 振り上げられたその顔を見て、やはり無駄だということを私は悟った。

 

「わかっているんですッ、それが正しい選択だと! ……でもッ! それでもッ! このまま彼らを見捨てて行くなんてできません! もう……もう大切な誰かが死ぬのなんて、見たくないんです!!」

 

 ここで気絶させて無理矢理連れ帰ったとしても、おそらくこいつはまたここに来ようとするだろう。そう思わせる目をしていたのだ。

 

 同時にストンと腑に落ちる。

 レックが言っていた、『個人的理由でここまで来た』という話。悲しんでいる両親に明るい知らせを届けてあげたいという目的。……確かにそれらは嘘ではないのだろう。建前として言っていた『国のためを思って』という理由も、きっと本心だ。

 

 だが、本当の本音は――根っこのところにあるこいつの本心はきっと――『もう誰も失いたくない』という(いた)ましい想いだったのだ。大切な妹を喪って抱いた、もう誰とも離れたくないという幼子の我が儘。本来ならばどうすることもできず、いずれは悲しみながら折り合いを付けていくはずだったもの。

 

 だが幸か不幸か、レックには現実に噛み付くだけの力があった。自ら行動を起こし、魔物の巣窟に乗り込んでしまえるほどの強さがあった。それゆえ無謀にもこんなところまでついてきてしまい、そしてそれが、さらなる悲しみを呼び寄せることになったのだ。

 

「ッ……取り乱して、すみませんでした」

「…………い、いや……」

「サンタさん……、ここまで連れてきてくれて、ありがとうございました。……そして、こんな危険なことに巻き込んで、本当に申し訳ありませんでした」

「レック……」

 

 こんなときなんと言えば良いのか、私にはわからなかった……。大切な者などいたこともなく、殺し合いばかりの生を送ってきた自分に、レックの想いを本当の意味で理解することはできない。

 一体どうすればいい? この傷付いた子どもに対し、一体私は何と声をかければ良い……?

 

「お見送りできない無礼をお許しください。……どうか道中、お気をつけてッ!」

「あっ……」

 

 こちらが手をこまねいている間に、すでにレックは別れを告げていた。そして最後にもう一度頭を下げると、脇目も振らずに城へ駆けていってしまったのだ。

 そのまま一度たりとも、こちらを振り返ることなく……。

 

 私は咄嗟に、その背中に手を伸ばそうとして――

 

 

 

「――ッ……ここまでだ……!」

 

 ――――ギリギリのところで、……今度こそそれを思い留まっていた。

 無意識に伸びようとする右腕を、左手で強く押さえ付ける。

 

 ……これ以上は駄目だ。ただの親切という枠を超え、こちらも命をかけることになってしまう。外郭部ならまだしも、ここより先へ進めば確実に誰かに見咎められるだろう。本拠地内部で敵の王子と同行しているなど、言い訳のしようもなく内通者だ。

 そうなれば待っているのは、あの超越者からの逃れられぬ粛清のみ。見ず知らずの他人のために、そこまでのリスクを冒すことなどできない。

 

「……ここまでだ。……そもそも、途中まで連れてきてやっただけでも十分な温情なのだ。この上忠告を無視して死地に向かう愚か者のことなど、もう放っておけばいい。無関係の私が罪悪感を覚える必要など……、どこにもない……」

 

 自分を納得させるべく、何度もそう言い聞かせる。

 しかしいくら言葉を重ねてみても、苦し紛れに地面を蹴り付けてみても、心に薄く張り付いたよどみが消えることはなく……。

 

 

 結局私は進むことも戻ることもできないまま、しばらくその場に立ち尽くすしかなかったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――レイドック兵の殲滅と、王子捕縛の報が全軍に通達されたのは、それからおよそ、一時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※この作品らしからぬ突然のシリアス展開ですが、物語ももう終盤ということで、何卒お許し頂ければと……<(_ _)>
 おそらくあと5~6話くらいで完結します。最後までお付き合い頂けますと大変嬉しいです。



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