「おいッ! 奴は目を覚ましたのか!?」
「はい! でもまだ動けるほどじゃありません! あと少しだけ時間を稼がないと!」
「くッ、なぜ我々が魔族などのためにッ!」
「文句を言ったって仕方ないでしょう! 今はあの二人を守ることだけに集中して!!」
「ええい、さっさと全快せんか、あの不審者め!!」
――――
「……は…………えっ…………おぉ……?」
あり得ない光景を目の前にすると、人の思考は止まってしまうらしい。今の自分の状況がまさにそれだった。
死んだと思って次に目を覚ましたら、必死な形相の弟子になぜか治療されており、さらには敵対していたはずのレイドック兵に命を守られていた。
……まったくもって意味が分からない。
こいつら先ほど敵を全滅させて、すぐにでも逃げられる態勢になっていたのではないのかッ? それがどうしてこうなっている!?
「す、すみません、先生。無意識の内に身体が動いてしまって……、いつの間にかこんなことに……」
「む、無意識って……」
つ、つまり?――――レックが勢いでここまで戻ってきてしまい、さらにそれを追って部下たちまでが戻ってきてしまって……、それでなし崩し的に私ごと守る破目になったということか!?
おいコラ、何をやっているのだ兵士どもッ、幼い主君の面倒くらいちゃんと見ておかんか!
「い、いや、今からでも遅くない! さっさと逃げるんだ! このままでは全員死ぬぞ!」
「あ、先生、ちょっと動かないでもらえますか? うまく傷が塞がらないので……」
「いや回復とかいいから! 貴様この状況を理解しておらんのか!?」
「さ、さすがにホイミだけじゃすぐには……」
「コラ、話を聞かんか! 私のことなぞ放っておいてさっさと逃げろ! 何のために時間稼ぎしたと思っておる!」
「ッ…………か、重ねがけだと効果が薄まる、のかなあ?」
「良いか、よく聞け! この闘技場を出て真っ直ぐ進めば中央廊下へ出られる。そこを左へ曲がって百メートルほど進めばすぐに出口だ! 一直線だから迷うこともない、わかったらさっさと逃げろ!」
「……も、もう一回、ホイミ……!」
ちぃ! 聞こえているくせに無視しおって!
ええい、ならば部下の方を説得するしかない!
「おいッ! おい、トム、聞こえるか! 早くこの馬鹿者を連れて逃げろ!」
「フランコ、負傷者を後ろへ回せ! 穴は私が埋める!」
「了解!」
「いや聞けよッ? つーかお前たちも、何を馬鹿正直に私ごと守ろうとしているのだ!? さっさとこいつを回収して射線上から退避すれば、逃げるくらい簡単に――」
「ええい、黙れ魔族め、気が散るであろうがッ!!」
「ッ!?」
「いいからお前はそこで大人しく治療されていろ! あと気安く名前を呼ぶな!」
「お、おぉぅ……?」
『自分など放っておいて逃げろ』と言おうとしたら、怒鳴り声で却下されてしまった。しかも魔族に対して『治療してやる』、という言葉まで……。
……え? この状況ってまさか、部下たち自身の意思でもあるのか……?
…………あれ? ひょっとしてこいつら……、
「もしやお前たち……、自発的に私を守ろうとしている……のか?」
ま、まさかッ……! 私の誠実さがついに人間の心を開いて――!
「そんなわけあるか!! 王子の命令でなければ誰が貴様など守るか!」
「え? ……あ、なるほど、……そりゃそうか」
再びの怒鳴り声でようやく理解が及ぶ。勢いだけで行動したと思いきや、レックの奴め、きちんと部下に指示は出していたらしい。その冷静さを褒めれば良いのか、死地に戻ってきた無謀さを咎めれば良いのか……。
「えッ? 兵士長、さっき王子が命令する前に一緒に飛び出して――」
「ッ!? だ、黙れ、フランコ! そんなわけがあるか! ――ああまったくなんてことだッ、王子が飛び出して行かれるのをお諫めできなかった! これでは臣下失格だ! どうしてくれるんだ貴様! 仮に国へ戻れてもこれじゃ辞表を出さねばならん! この歳で無職だぞ、無職! どう責任取るつもりだ、この野郎ッ!!」
「え、ええぇ……」
理不尽過ぎる八つ当たりに呆れ混じりの声が漏れる。最初に助けてやったのはこちらの方だというのに、なんて酷い言い草だろうか。
……というかそもそもお前たちこそ、そんな無謀な命令を素直に聞いてるんじゃないよッ。
お前たちの第一の使命は未熟な主君を無理やりにでも助けることだろう! これでは本当に部下失格だぞ! せっかく助けてやった命を主従揃ってわざわざ捨てに来おってッ、結局私の頑張りがただの徒労ではないか!
「――――ク……ククク…………ククククッ…………クハハハハッ……!」
「「「ッ!?」」」
「フハハハハハッ!! アーーーハッハッハッハ!!」
不意に、地鳴りのような笑い声が辺りに響いた。……いや、“ような”ではない。笑い声とともに発散された魔力によって、地面が激しく揺れ動いていた。
原因は言わずもがな。ブレスによる煙が晴れたその先では、とどめの攻撃を防がれたはずの魔王が、この上なく愉快そうに笑っていたのだ。
「クカカカカッ、な、なんなのだ、それは!! 一番の予想外が起きたぞ!! よもや人間どもが魔族を庇おうとは、なんたる驚天動地! ……ああいや、すでに逆のパターンを見た後だったな! ならばこれも十分予想できたことだったか!」
「か、勘違いするな、魔王ッ! 我々はただ王子をお守りしているだけだ!」
「おお、そうかそうか、それはすまんな。いや何れにしても面白いぞ! まったく、貴様らはどれだけ私を楽しませれば気が済むのだ! フハハハハッ!!」
自らを鼓舞するようにトムが言い返すが、その様子すらもツボに嵌ったのか、今日一番の高笑いを上げるムドー。虫けらの足掻く姿が余程面白いものと見える。
「クククッ、良いぞ良いぞ、こうでなくては張り合いがない。よし、では余興の延長だ。手加減してやるから、できるだけ耐えてみせい! ――ベギラマ!」
「ぐ、おおおおッ!?」
「そらそら、どうした! もっと力を込めて防御せんか! ヒャダルコ! イオラ!」
「くううッ! な、舐めるなああ!!」
ムドーは薄ら笑いを浮かべたまま、再び攻撃を加え始めた。手加減と言うその言葉通り、中級魔法を中心とした構成でじわじわとレイドック兵を攻め立てていく。すでにボロボロな状態の彼らを、生かさず殺さず限界まで痛めつけるつもりなのだ。
「……うぐぅぅッ…………お、王子、急いでください! そう長くはもちません!!」
「ふははは! そら、頑張らんと大事な王子が死んでしまうぞ!」
くそッ、ムドーの奴め完全に面白がってやがる。あれではそう遠くない内に嬲り殺しだ。
どうするッ? 私がもう一度攻撃を受け止めてその隙に逃がすかッ?
…………いやダメだ、まだまともに動けるような状態じゃない。
それにもしやれたとしても、レイドック兵たちを“遊べる玩具”と認識してしまったムドーが、今さら簡単に逃がすとは思えない。
ならばもう一度挑んで倒すか?
……それこそ無理に決まっているッ。そもそも万全の状態で簡単にあしらわれたのだ。このままもう一度戦って敵うわけがない!
ダメだッ、考えれば考えるほど詰みだ!
どうすればいいッ!?
この絶望的な状況を、どうすれば切り抜けられる!?
どうすれば、
どうすればッ!
どうすればッ――!!
「――どの道…………もう無理なんです」
「ッ!? おいレック! お前何を言って――ッ!?」
他人事のような言い草につい怒鳴ろうとした私は、その顔を見て、続く言葉を失っていた。
「ッ……お、前……」
「残念ながら、さっきの戦いで皆力を使い果たしてしまいました。今できるのは精々、こうして盾になることくらい……。もうまともに戦う力は残っていません」
なぜならそれは、覚悟を決めた顔だったから……。
「あの悪辣な魔王のことです。逃走ルートに伏兵くらい配置しているでしょう。今の僕らがそいつらに勝てる可能性は…………残念ながらゼロです」
それは明らかに、ここを死地と定めた顔だったから……。
「だったら、僕たちが闇雲に逃げるよりも……、強力な戦士に復活してもらって、その人にムドーを倒してもらう方が、生き残る可能性はまだ高いと思いませんか?」
レックは悲愴な表情を引っ込めると、最後になんとも似合わない得意顔を浮かべてみせた。
「ふっふっふ! というわけで先生。重傷のところ悪いんですが、最後まで利用させてもらいますからね? 僕たちがここを生き残れるかどうかは、全て先生にかかっているんです。なのでここは大人しく治療されて、ちゃっちゃと戦線復帰しちゃってくださいねッ」
「…………こ、のッ」
……馬鹿野郎がッ!
明らかに今考えた……、取って付けた理由だろうが!
そんな苦しい言い訳を本気で信じると思うのか……!
その青い顔と上擦った声で、本気で誤魔化せると思っているのか……!
「だったらせめて、手の震えくらいは隠して言えッ!」
「……ッ! じゃ、じゃあ、僕も行ってきますね! ホイミが完全に効くまではあと少しかかると思うので、それまでジッとしててください!」
「! おい待て! 待たんか!」
引き止める声も聞かず、レックは傍らに置いてあったドラゴンシールドを拾うと、兵たちのところまで走っていった。
合流してトムと二、三言話したレックは、そのまま彼らのサポートへと回る。隊列を組んで魔法を防ぐ兵たちの後ろを駆け回り、体力が危ない者にはホイミをかけ、穴が空いたところは一時的に自分が入ることで戦線を維持していく。
「しっかりするんだ、皆! ホイミ!」
「ッ! た、助かりました、王子!」
「息が上がっている者は後ろへ! 防ぐ範囲は狭めて良い! 二列になって交互に身体を休めるんだ!」
「了解!」
「王子、こいつに回復魔法を! そこは自分が代わります!」
「頼んだ、フランコ! みんな、最後まで諦めるな!!」
「「「はっ!!」」」
将来一流の戦士になるであろう片鱗を感じさせる、レックによる的確なサポート。そのおかげで、一度は戦線が盛り返したように見えたが……。
「…………ふーむ、もっと時間をかけて別々に愉しむ予定だったのだが……。……まあ、ここらが潮時かの。――メラミ!」
「な!? うあああああッ!!」
「フ、フランコ!!」
「さすがに同じことの繰り返しばかりで飽きてきたのでな。そろそろ終わりにさせてもらうぞ。――稲妻よ!」
「あぐうううぁッ!」
「トムッ!!」
「兵士長!!」
所詮は焼け石に水であった。
もともと彼らは立っているだけでも精一杯の状態。いくら手加減されているとはいえ、魔王の攻めにいつまでも耐えられるわけもない。ムドーが少し力を入れれば、先ほどまでの拮抗が嘘のように、抵抗もできず一人ずつ吹き飛ばされていった。
「――そら、残るはお前だけだぞ、王子よ?」
「くッ、まだだ、まだあきらめ――があぁぁッ!?」
そして、最後の一人となったレックが、視線の先でムドーに掴み上げられる。魔族の中でもとりわけ大柄なムドーが子どものレックを掴んでいるため、その全身はすっぽりと覆われ、身動き一つできなくなる。
「ククク、確か、『諦めない』のだったな? では最期まで頑張ってみるがいい。――そらッ」
――グググッ――ベキリッ!!
「!?うあ゛あああ゛あ゛ッ!!」
「レック……!」
ムドーはジワジワと嬲るように圧を加え、レックの身体を破壊していく。もはや攻撃するまでもない。ほんの少し腕に力を入れるだけで、レックの命はその身体ごと握り潰されてしまうだろう。
「クハハハッ、さあ、どこまでもつか――なッ!」
――バキリッ!!
「うあ゛ああああッ!!」
「く、くそ……ッ。だから逃げろと言ったんだ、この愚か者め!」
衝動に任せ、僅かに動く腕で地面を叩き割る。
ああ、まったくもって度し難い! なんと不合理な生き物なのだ、人間とはッ!
他人が自分に都合よく動いてくれたのだ。ならば『運が良かった』と喜んでおけば良かったのだ。不審者なぞ見捨ててさっさと逃げれば良かったのだ。
たとえ本当に伏兵がいたとしても、逃げられる可能性はゼロではなかった。少なくとも、この場に留まって魔族を庇うよりは余程マシだったはずなのに!
「それをわざわざ自分から戻ってきて、部下まで巻き込んで格上に挑んで、それで結局死にかけていれば世話はないッ! なんと浅はかな行動か! なんと愚かな生き物か! まったく呆れ果てて物も言えんわ!!」
こちらの意図はことごとく無視され、全てが裏目に出てしまい、結局最後は揃って全滅するという惨めな結末……。もはや私には、この怒りをどこに向けて良いかすら分からなかった……。
「…………そん……なの……ッ!」
「ッ!?」
――だが、その激情を沈めてくれたのもまた、優しい愚か者の声であったのだ。
「そんなの……! 当たり前じゃ、ないですか……!」
顔を上げれば視線が合う。骨を何カ所も圧し折られ、激痛に苦しんでいるはずの少年は、無理矢理作った笑顔を浮かべながら、真っ直ぐに私の顔を見ていた。
「先生は……、助けてくれたじゃ、ないですかッ!」
「な……に……?」
「……逆らえば、粛清されると……分かっていたのに……、それでもッ、恐ろしい敵に立ち向かい、……僕たちを……助けてくれたじゃ、ないですかッ! ……手を差し伸べて、くれたじゃないですかッ!!」」
蒼白い顔に恐怖を浮かべながら、しかしそこに、絶望や後悔など欠片も浮かべず、ただ真っ直ぐに叫んでいた。
「だから僕もッ……同じことをしたんです! 愚かだと、お怒りになるのでしたら……、僕にそれを……教えてくれた人に……、言って、くださいねッ! ……何せ僕の先生は……、思わず真似したくなってしまうほどッ……、立派で、優しくて、カッコいい人なんですからッ!!」
「ッ……」
愚かだとは分かっている。申し訳ないとも思っている。
しかしそれでも、この行動に後悔はないのだと、その下手くそな笑顔が何より雄弁に語っていた。
「ッ……、この……大馬鹿者が……!」
吐き捨てながら、再び地面を殴り付ける。
……だが情けないことに、今度は碌にヒビすら入りやしない。
ああ……、嗚呼……、本当に愚かで度し難い生き物だ。
いつもいつも感情で動いて、道理を無視して場を乱して、そして最後は自分だけ満足そうな顔で死んでいく。
なんて傍迷惑な奴らなのだ。少しは振り回されるこちらの身になれ。努力を全て無に帰される徒労感が分かるか。まったく腹立たしくて仕方がない
……しかし、何より今一番腹立たしいのは――
「それを心地良いと感じてしまっているッ、愚かな自分自身だッ!!」
ああ、なんてことだ、ちくしょうめ……。
己の身が最優先、それ以外はどうでも良かったはずの私が……。
格下ばかりを相手にし、勝ち目がなければ決して格上には挑まなかったこの私が……、
――『命を捨ててでも、誰かを助けたい』と思ってしまうなんてッ!!
まったく、どうしてくれるのだ!
仮にまたこんな事態に遭遇したら、きっとまた衝動的に動いて無謀な戦いに挑んでしまうぞ。一回ごとに命の危機だぞ。
これから先の私の一生、ただ生き延びるだけで恐ろしい難易度になってしまったんだぞ? ホントにどうしてくれるんだ、この野郎!
「クハハハハッ、その戯れ言が遺言で良いのだな? 矮小な人間らしい、惰弱で愚かな言葉だ。魔に滅ぼされるのも当然というものよな!」
「……黙……れ! 人間も魔族もッ……関係ない! 先生から頂いた優しさを……、同じ形で、お返ししただけのこと! そこに種族など……関係ない! たかが魔王如きに……揶揄される謂われなどないッ!」
これはもう絶対に、こいつらに責任を取ってもらうしかない!
魔族どもに見つからないよう城へ匿ってもらい……、一生グータラできるよう生活費も出してもらい……、物騒な争いが起きないよう治安を良くしてもらい……、ついでに、顔出しで外を歩けるよう、魔族のイメージ向上キャンペーンもやってもらわなくてはならん!
そうでなくては割に合わんッ!
「クハハハ、そんなにあやつが好きか! よかろうッ、ならば最期の慈悲として、奴の得意技で葬ってやろう! そら、放してやるぞッ!」
「うぐっ!?」
「お、王子ッ!!」
そのためにもこいつらには、何が何でも生き延びてもらわねばならない! 一生分の恩を感じてもらい、その上でこの身を、全力で養ってもらわなければならない!
ゆえに私は! 今この場所で……! なんとしてももう一度、立ち上がらなければならないのだ!
「や、やめろ、魔王! 殺すのなら我々からにしろ!!」
「フハハハハ、この順番の方が面白そうなのでな! なに、貴様らもすぐに後を追わせてやる! まずは主君の死に様で存分に愉しむが良いッ!」
「けほっ、けほっ。……お、お前などにッ……、もう二度と、屈してたまるかッ!」
「そうかそうか。身体が焼け焦げてもその意地を張り続けられるか、実に楽しみなことだ! さあ、よく見ておれ、人間ども! 貴様らの大事な主君の、惨めな最期の姿だッ!」
体中の力をかき集めろ。
余計なことなど考えるな。
今守りたいもののために死力を尽くせ!
脳裏にはすでに浮かんでいる。使い方はわかっている。
思いの丈の全てを込めて、目の前の理不尽など叩き壊せッ!!
「死ね! ――メラゾーマッ!!」
「…………先生……ッ!」
……この、腐れ魔王が……ッ。
人様の弟子に――!
「手をッ、出すなあああああーーーーッ!!!!」
「「「ッ!?」」」
咆哮と同時、私の右腕からまばゆい光が放たれた。
それは空中で幾重にも枝分かれすると、ムドーの全身を鎖のように締め上げ、そして――
「な、なんだとッ!? 私の魔力がッ、ぶ、分解され――!?」
「消えろおおおおおッ!!!!」
――パアァァァァァンッ!!
魔王の極大の火球を、粉々に消し飛ばしてみせたのだ。
ようやくシリアス区間が終わりました。
長かった……。
次回、反撃です。