深く、深く……どこまでも沈んでいく。
固くざらついた感触がしばらく身体を嘗めた後、今度は微かな浮遊感が身を包む。
――ああ、これは水の中の感覚だ。
地割れの影響で島の内部を突き抜け、ついには海にまで落ちてしまったらしい。閉じられた瞼を通して、視界がどんどん暗くなっていくのが分かる。筋量の多いこの身体は比例して比重も大きく、海水を掻き分けてどこまでも深く沈んでいく。そうしていずれは海底に到達し、そこで眠ることになるのだろう。
誰もいない静寂の中で……、たった一人で……。
……にもかかわらず、心の内は非常に穏やかだった。暗く寒い中に一人取り残されているのに、恐怖など微塵も浮かんで来ない。
――初志を貫徹できたから?
――最後までレックたちを守りきれたから?
確かに、それらも多少はあるだろう。
だが何より今私の心を落ち着かせているのは、この身に感じる心地良さに他ならなかった。冷たさの中にも仄かに温かみを感じさせ、全身を揺りかごのように包んでくれる、母なる海の抱擁。
それは死の淵にあった私に、とある重大な事実を教えてくれたのだ。
そう、それはすなわち――
――『あ、コレ今回も死んでないぞ?』ってことだった……。
……。
…………。
………………。
うん、冗談でもなんでもなく、私まだ生きてるわ……。
だって……、自分が今どういう状態なのか、ここまで明瞭に考えることができているのだぞ? それって意識も思考も、この上なくはっきりしているってことではないか。要するに今回もまたいつものアレ。なんやかんやでギリギリ生き残ってるお騒がせパターンだよ……。
――……えますか? わ…………ビスです。勇敢な……よ、あなたに…………
考えてみれば、最後のイオナズンをくらった後もそこそこ動けていたし、意識にも結構余裕があった。トドメに“激しい炎”をもらったわけでもないし、そりゃ瓦礫に圧し潰されたくらいでサタンジェネラルが死ぬわけなかったわ……。
……それをあんなニヒルなヒーロー気取りで最期の言葉を呟いてッ、あああ゛あ゛思い出しただけで恥ずかしい! 非日常の空気に酔ってたあああ!
――……あれ? ちょ……あの~~、……えてますか? も……~し?
ふぅ……。
とはいえまあ……、さすがにすぐ動けるようにはならんし、しばらく休息は必要だろう。
ならもうちょうど良いので、このまま静かな海底で眠ることにする。ここなら誰かに見つかるようなこともないし、ゆっくり傷と羞恥心を癒せるだろう。
――ちょ、…………え? 嘘ッ? こ、こんなとこで…………んですかッ?
あーしかし……、コレ目覚めた後はどうするかなあ? ガッツリ魔王軍に反逆しちゃって、もうお尋ね者になっているかもしれないし……。
なら今まで通り一カ所に留まるのは難しいか? ……う~ん、一体どうするべきか……。
――で、ですから、それも含めていろいろ…………、まずは返事をですね……!
?? ん~……?
なにやらさっきから不快な幻聴が聞こえるな。耳に藻でも詰まったか? 今後のことをいろいろ考えないといけないのに、すごく邪魔だ。
――なっ!? 女神の託宣を幻聴って! しかもこの美声が不快な声!? ちょっと聞き捨てなりませんよ!? 撤回を求め――!
まあ、いいや。もう疲れも限界だし、無視してさっさと寝てしまおう。
早く聞こえなくなれ、不快な濁声ぇぇ……――――ンゴゴ……、クカー……。
――――ブチッ……。
「だから起きろっつってんでしょうが! このアホ魔族があああーーッ!!」
――ドゴオオオオオンッ!!
「ウボあああああッ!?」
微睡みに落ちる寸前、突如おぞましい雄叫びが襲い掛かってきた。
「なな、なんだ!? 敵襲か!? 大魔王でも現れたかッ!――――あ、あれ?」
慌てて跳び起きて構えてみれば、眼前に広がっていたのは予想外の光景……。
そこは想像していた暗い海底ではなく、何やら神殿のような場所だったのだ。周囲に人の気配はなく、吹き抜けになっている上層からは海水が滝のように流れ落ちている。なんとも面妖な場所であった。
「ど、どこだ、ここは? 海底の廃墟……? ま、まさか魔物の巣窟かッ?」
「神のお社です! この荘厳な場所を見てなんでそんな感想になるんですか!」
「ぬ?」
背後からキャンキャン響く声に振り返る。するとそこには、見知らぬ女が一人立っていた。
薄いヴェールを身に纏った、天色の髪と尖った耳を持つ謎の女。その全身からは超常の力が強く発せられ、十中八九人間ではないことが確信できた。
「はぁ、ようやく気付いてくれましたか……。では改めまして自己紹介を。私の名は――【ビタン!】――――え?」
……私が腰を抜かした音である。
「え、ちょ、どうしたんですか? 一応回復は施しましたけど、もしかしてまだどこか怪我を?」
「…………ゆ……ゆ……ゆぅ!」
「…………はい?」
「ゆ……ゆ…………ゆゆゆぅッ……!」
「え? ……何、なんて? ――ゆゆ?」
誰もいない廃墟に潜み、謎の力で生き物をおびき寄せる怪しい女。
そう、つまり……、こいつは紛れもなく――
「ゆッ、幽霊だあああああーーーーッッ!!!?」
「いや違いますけどッ!?」
――どう考えても、危険なアンデッドに相違なかった!
「くく、来るな、ゴーストめ! せっかく生き残ったのに今さらそっちへ行ってたまるか! 悪霊退散! 悪霊退散ーー!」
「だから違いますって! 私はそんな怪しい者ではなくてですねッ? あのちょっと、話を聞い――ブフェエ!? ゲホッ、ペッ、ペッ! ちょ、塩投げないでくださいよ!?」
「南無妙法蓮華経ッ! エロイムエッサイムッ! 聖水をくらえ! 成仏しろ悪魔ああ!!」
「ぶふぁ!? お、乙女の顔に、ガラス瓶投げるとは何事ですか!? ちょっ、ほら落ち着いてください?(ニコリ) 大丈夫、ここには何も怖いものなんてないですかr――」
「ニフラム! ニフラム! ニフラムぅうううーーッ!!」
「誰がゾンビだコラあああーーッ!!」
「ゴッハアああ!?」
重傷の上から正拳突きをくらい、私の身体は地に沈んだ。
全身の動きが一点に集約された、恐ろしくキレのあるパンチだった。
……あ、血が噴き出し……ゴフッ。
「ああッ、しまった!? ちょ、待っ、せっかく助けたのに死なないでくださいよ!? ベ、ベホマ! ベホマ! ベホマアアア!?」
……とりあえず幽霊でないことはわかったが、……アカン、これは冗談抜きで……死ぬ……かも……。
そして今度こそ、私の意識は闇に落ちたのである。
◇◇◇
……死んでなかった。……良かった。
謎のゴリラ女は、自らをルビスと名乗った。
その正体はなんと高位の精霊であり、人間たちの間では“大地の女神”とも呼ばれる超常の存在らしい。より上位の神から世界の管理を任されており、ここから地上の人間たちの行く末を見守っているという。
今回、サンマリーノでの騒ぎで偶然魔族(私)を発見し、それ以降こちらの様子を探っていた、とのこと。はざまの世界の魔族がどんな悪事を企んでいるのかと思いきや、子どもと戯れたり海で溺れたり床を転がったりと奇行ばかり繰り返すため、かなり困惑したそうな。放っとけ……。
で、最終的にムドー相手に反逆し、さらには意外にも善戦していたことから、『お、これ支援すればいけるんじゃね……?』と思い、ここから一時的な加護を飛ばして能力を底上げしてくれたらしい。マホトーンで幻術を破れたのも、高位呪文であるベホマを一瞬で修得できたのも、彼女の後押しがあってのことだったのだ。なるほど、だからムドーはあのときルビスの名を叫んでいたのか。納得。
そしてその後は私も知っての通り。
ムドー城が崩壊し、死にかけの私が海に落ちてきたため、お礼もかねてこの場所まで呼び寄せ、回復を施してくれて現在に至るというわけだ。
――と、そこまでひと通り話し終えたところで、ルビスは深く腰を折った。
「……改めまして、ここまであなたを監視・利用したことを謝罪いたします。そして、ムドーを倒し、地上の子らを救ってくれたことに深く感謝を……。本当にありがとうございました」
「お、おぅ……」
女神からガチめの感謝を示されて、魔族としてはちょっと戸惑うところである。
……いやいや、別にそこまで気にしなくて良いのだぞ?
チャンスがあれば魔王討伐に賭けるのは、管理者として当然の行いだと思うし。それに、本来なら負けのところを引っくり返してくれたわけだしな。むしろこっちが感謝するところだ。
「そ、そうですか?」
うむ。それに何より……、こうしてベホマまで習得できたのだからな。命を助けてもらった上に最終目標まで手に入れさせてもらって、これで文句を言ったら罰が当たるってモンよ。
「だからまあ、細かいことを気にするでない! フハハハ!」
なにせこれで、身の安全はほぼ盤石となったわけだしな。これから先何をしていくにも、もうこれまでのように怯えなくて済む。
矢でも鉄砲でも魔王軍でも、まとめてドンと来いって話だ! ワーッハッハッハッ――
「あ、あの…………ベホマはもう……使えませんが……」
「フハハハ、なんだそんなことか。それくらい別に気にしな――」
………………。
「…………?」
なにやら今、聞き捨てならない単語があった気がした。
……TSUKAENAI?
…………。
……ツカエナイ?
……。
…………。
………………。
「使えないッッ!!!?」
「ひぃ! 怖い顔ッ!」
「どど、どういうことだッ!? だって! さっきはあんな見事に使いこなせてッ!!」
「あ、あれは、女神の加護で下駄を履かせていただけで……、た、戦いが終わったら当然、元の状態に戻りますが……」
「う……嘘……。で、ではッ……今の私の、僧侶としての力はッ?」
「えっと、聞いていた通りでしたら……、も、元通り……、ホイミだけ、ですね」
「そ、そんな……。あ、あんな死ぬ思いまでしたのに、……結局……進歩なし、だと……?」
「……えっと、まあ…………、はい」
……。
…………。
………………。
「ウボァァ」
「あ……」
本日何度目かのダウンを喫していた。
天国から地獄まで一気に急降下。そのショックは、敵将を討った褒美として部隊長の地位(クレイジーどもの管理役)を貰ったときに匹敵する。あれは本当にフザケンナと思った……。
「……え、えーっと……。何やら落ち込んでいるところ申し訳ないのですが……。あなたにはまだ、聞かなければならないことがあるんです」
「……なんだよぉ。今傷心中なんだから、放っておいてくれよぅ……」
「す、すみませんが、これも務めでして……」
力ない訴えを無視して、ルビスは続ける。
くそぅ、やはり神に人の気持ちなど分からないのだ。
「あなたが善良であること――少なくとも悪ではないことは、ほぼ確信しています。……ですがそれでも、あなたは我らにとって不倶戴天の敵・魔族。たとえ1%でも敵対の可能性があるのなら、管理者として見過ごすわけにはいきません。……どうか答えてください。あなたはこれからこの世界で、何をなさるおつもりなんですか?」
……なんだよ、そんなことかよ。神のくせにみみっちいことばかり気にしおって。
勝手に監視して利用したんだから、少しは誠意でも見せろってんだ。
こちとら一度手に入れたベホマを失って落ち込んでる最中なんだぞ?
ああもう、これだから神って駄目だわ。まったくもってダメダメだわ。
地上の管理はガバガバだし……、魔王軍の侵略阻止できてないし……、神託告げるだけで自分じゃ全然働かないし……。
ホント神って駄目だわ。
お願いだからしっかりしてくれよ、……神。
マジでほんと……頼むよ、……神。
責任ある……立場なんだから……、これからはちゃんと……しろよな……かみ……。
この世界を……管理……している…………か……み…………?
……。
…………。
……………………神?
「あ、あの……? そろそろ……返事をしてほしいんですが……。…………え? これ無視? ……私女神なのに、無視されちゃってるの?」
「あ、神(ベホマ供給元)だ……」
「……はい?」
――私の脳裏に、再び天啓が舞い降りた。
「……よろしい。我が野望についてお答えしよう」
「えっ? あ、はい……。ど、どうぞ」
「私がこの地上でやりたいこと……。それはズバリ――」
「ズ、ズバリ……?」
今回の経緯から察するに、僧侶の修行とはおそらく『善行を積み重ねる』だけでは不足なのだ。むしろ重要なのはその先……、善行を『神に認められ』、『加護を得ること』こそが肝の部分と言える。
つまり――
「人類の平和と安全のためッ、この身を賭して働こうと思っているッ!」
女神の目の届くところで、こうしてキッチリ自己アピールすることが重要なのだ!
……。
…………。
………………。
「…………はい? ……え……何? ……なんて?」
ルビスが怪訝そうな顔で耳に手を添えた。
おいおい、せっかくの所信表明を聞き逃してしまったのか?
仕方ない、では分かりやすくもう一度言ってやろう。
「慈愛の精神に溢れるこの私は、『社会のために力を尽くして働きたい!』と言ったのだ。……まあ要するに、世直しと人助け、というやつだな。ほら、あなたが心配するようなことなど何もないであろう? だから安心して見ていると良いぞ、女神殿。クフフフフ……」
「ひぃ!? さ、さらに怖い顔! 絶対嘘だ!」
「何を言う。私は忠実なる神のしもべ、神父なのだぞ? 女神に対して嘘など吐くはずがあるまい」
「し、神父!? あなたがッ!?」
視線が頭頂から足先まで三往復しおった。
――失礼な。サンマリーノから監視していたのなら、私がどれほど品行方正かなど自明であろうに……。
「具体的には、人々を苦しめる魔王軍を抹殺して回り、傷付いた者たちを治療していきたいと思います」
「えぇぇ……」
今度はドン引きしおった。
――失敬な。社会に貢献したいという信徒に対し、女神がこんな目を向けちゃいかんだろうに……。
なんて憮然としていると、ルビスは恐る恐る手を上げてきた。
「……あ、あの……、明らかに何か企んでそうな事実は、一旦置いておくとして、ですね……?」
「む? なにかな?」
さっきから気になる物言いだが、これも信用を得るため。質問には真摯に答えよう。
「わ、私の立場でこんなこと言うのもアレなんですけど……、その、良いんですか……? 先ほどの言葉を信じるなら、あなたは同族と殺し合うことになるわけですが……。その……、もし昔の知り合いとかに会ったりしたら、困るのでは……?」
「はははっ、なんだ、そんなことか。全く問題ないぞ」
「え……?」
「向こうでは殺し合いなど年中行事だったからな。同族で殺し合う葛藤とか、命を奪う罪悪感とか、生まれたその日の内に綺麗さっぱり無くなっておったわ。たとえ戦場で同輩とかち合ったとしても、躊躇なく殺れるぞ!」
「え、えぇぇぇ……」
なにせ生後30秒で命懸けの戦いを強要されたからな。襲い来る敵を必死で八つ裂きにして生き残り、その後も“訓練”と称して大量の敵をひたすら粉々にしてきた。(※同期との乱闘含む)
罪悪感なんぞ、感じる暇もなく吹き飛んでいたわ!
「ゆえに、今さら魔族どもを抹殺するくらい何の躊躇もない。安心して任せてくれて良いぞ、女神どの!」
「何一つ安心できる要素がないんですがッ!? ヤ、ヤバいよ、この人やっぱり紛れもない魔族だよ。笑顔で顔見知り殺す宣言とか、充分アブない人だよ……!」
なにやら、私が同期の連中を見るような目で見られている。
これから同僚(?)になろうという相手に、ちょっと失礼ではあるまいか?
……いや、初対面の魔族をいきなり信用しろというのも難しい話か。ならば、今後の行動でそれを払拭していくとしよう。
「――というわけで女神どの、私は早速治安維持の旅に出たいと思う」
「えッ、いや、あの……」
「最初は、そうだな……北の方から行くとしようか。確かあの辺りは誰の管轄でもなかったはずだし、肩慣らしにはちょうど良いだろう。さすがに二連続で魔王と戦うのは勘弁願いたいからな!」
「いえッ、気になるのはそういうことではなくてですね!」
「ははは、心配せずとも、活動時には女神どのの名前を前面に押し出していくさ。喜ぶと良い、これであなたの名声はさらに高まるぞ!」
「“魔族と結託した”なんて名声困るんですけど!? 裏切り者扱い不可避なんですけど!? ちょ、聞いてますか!?」
フハハハハ!
女神に直に見てもらいながら善行とか、こんなのもう成功が約束されたようなものではないか! 最後の最後にこんなボーナスステージを用意してくれるとは、日々真面目に祈りを捧げてきて本当に良かった!
「ああああもうッ! 分かった、分かりましたよッ、私も着いて行きますよッ!」
「なぬっ?」
改めて天に祈りを捧げていると、ルビスの口から思わぬ宣言が飛び出した。
なんと女神である彼女が、地上の一生命体のために着いて来てくれると言うのだ。まさか助けてくれただけでなく、アフターケアまでキッチリとやってくれるというのか!?
「ええ! ええ! こうなったらもう覚悟を決めますよ! 勝手に利用しちゃった借りも返さないといけませんし、もう毒を食らわば皿までってヤツです! ――それに何より! このままあなた一人で行かせたら、色々なものが終わってしまいそうですからねッ! 主に私の経歴とか将来とかッ!」
な、なんと優しい心遣い! これが女神の慈悲なのか……! 夷険一節たるこの私が、思わず宗旨替えを検討するところであったわ。
……いや、もし首尾よく事が運んだなら、いっそその選択も有りかもしれない。
「“女神専属悪魔神官”か……。なるほど、グローバルでダイバーシティなマネージメントにアポロプリエイトなプロフェッションだな。字面的にも特別感があってとても良い」
「よく分からん妄言はその辺にしといてください。それよりもいいですか? こちらの指示には全て従ってもらいますからね? とりあえず絶対条件として、その顔は決して人目に晒さないように――って言ってる傍からそのまま行くなアアッ!!」
「さあ女神どの、ぐずぐずしてないで早く出発しよう! 世界中の困った人を片っ端から助けていき、そして今度こそ私は、ベホマをこの手に掴んでやるのだ! ヌハハハハーーッ!」
「あああもうッ、なんでこんなの助けちゃったんだろうッ!! コラッ、一人で勝手に行くなと言ってるでしょうがッ! ちょ、待ちなさーーい!!」
――――
【サンマリーノ・タイムズ巻頭特集】
統一歴722年、実りの月17日。
この日、長きに渡り人類を苦しめてきた魔王ムドーは倒れ、その居城は海底へ沈んだ。どうやらムドー城にて激しい戦いがあったらしく、その余波で島そのものが崩壊してしまったようだ。
個人の戦いで島が割れる……。なんとも非現実的な話ではあるが、かつて見た魔王の力を思い起こせば、この事態も有り得ないことではないと思えてしまう。
そんな強大な力を持つ人類の敵が滅びたのだから、確かにこれはありがたい話なのだろう。
――だがここで一つ、重大な疑問が残る。
言わずもがな、『誰がそれをやったのか?』ということだ。
レイドックの公式発表によれば、『討伐隊がムドーを倒し、その戦いにより島が崩壊した』とのことだが、そんな話を鵜呑みにするほど我々は純真ではない。
レイドック兵は確かに人類トップレベルの精鋭だが、失礼ながら、さすがに魔王を倒せるほどの力はない。……いや、筆者は別に他国の兵士を貶したいわけではない。どう好意的に考えても、あれはただの人間に――否、普通の生物の手でどうにかなる存在とは思えないのだ。
ならばレイドック兵たちは、一体どうやって任務を達成したのか?
その疑問を解く手がかりとして、筆者はとある興味深い会話を紹介したい。以前レイドックへと赴いた際、私はムドー討伐隊と思しき者たちを偶然酒場で発見し、その会話を漏れ聞いたのだ。
彼らは深刻な表情を浮かべ、次のような言葉を語っていた。聞こえたそのままを掲載させていただく。
『くそッ……。部外者のあいつ一人に全て押し付けちまった。なんて情けないんだ、俺たちは……!』
『やめろ……、もう終わったことなんだ。それにどの道、俺たちの力じゃどうにもならなかったよ』
『わかってるよ、そんなことは! ……けど、……けどよォ!』
『一番辛いのは俺たちじゃないだろ? 今誰よりも悲しんでいるのは……』
『う……。わ、わかってるよ、ちくしょぉぉ』
『…………それにしても、まったく気丈な御方だ。我々に心配をかけまいと、今日も輝くような笑顔で壁走りの練習をなさって……』
『くぅ、泣かせる話だぜ……!』
……。
…………。
………………。
……いかがだろう?
漏れ聞こえる単語だけ拾っても、とても興味を引かれる内容ではないだろうか?
“部外者”
“一人”
“押し付けた”
“俺たちではどうにもならなかった”
これらのキーワードを繋ぎ合わせていけば、自ずと一つの結論が導き出されてくる。すなわち、
――『討伐隊にはレイドック兵とは別に、強大な力を持つ協力者がいた』ということだ!
それも、そんじょそこらの半端な手練れではない。単独で魔王と戦えてしまうような、それこそ伝説に謳われる勇者並みの力を持つ何者かだ。
推論に推論を重ねた形になって申し訳ないが、兵士たちの真に迫った態度を鑑みれば、この荒唐無稽な結論にもある程度の信が置けるのではないだろうか?
だがこの仮説が正しいとすると、さらなる疑問が生じてしまう。
そのような強者が在野にいるなら、自然と有名になるはずなのに、今日まで噂すら聞いたことがない。
加えて、ムドーを討伐した立役者ともなれば、国を挙げて称賛・喧伝し、魔族と戦っていくための旗頭とされそうなものだが、こちらも全く音沙汰がない。
一体なぜ……?
存在を知られてはならない人物なのか? 出自が真っ当ではないのか? 過去に重罪を犯した犯罪者? それとももしや、秘匿された王族の誰かなのかッ?
……下世話な邪推をしている自覚はある。
しかし記者としての勘なのか、私はこのヤマをこのまま終わらせるべきではないと、強く感じている。この事件の裏には、何か公にはできない、大きな秘密が隠されているように思えてならないのだ。
我々サンマリーノ・タイムズは、これからも社の全力を挙げてこの謎を追っていきたいと――
――パコーーーンッ!!
「いったあああッ!? ちょっ、何するんですか、編集長!」
「こっちのセリフだ、馬鹿野郎! このネタはもう追うなって言っただろうが!」
「そ、そんなの納得いきませんよ! これは絶対背後に陰謀とか黒幕とかがいますって! 突き止めれば大スクープ間違いなし! 何と言われようと、俺は絶対に諦めませんかr――イイ痛たたたたッ!?」
「う・え・か・らのお達しなんだよ! てめえ、俺まで道連れでクビにする気かッ! しかも何だこれッ、『記者としての勘なのか』? 一年目の新米にンな大層な勘があってたまるか! 記者舐めてんのかッ!?」
「ひいいッ! す、すみませんでしたあ! もう勝手なことはしませんんッ!」
「…………ちっ、分かりゃいいんだよ。……それで? 言い付けておいた巻末コラムの方はできたのか?」
「あ、はい……。それはもう終わってます。ど、どうぞ……」
「フン……、やることはちゃんとやってんじゃねえか。……そうだよ、新人はまず、こういうとこから真面目に積み重ねを――」
【謎の妖怪の正体に迫る!】
近年、世界各地で魔王軍と戦う謎の戦士がいるのをご存じだろうか?
その人物は、人々が襲われているところに颯爽と駆けつけると、圧倒的な力で魔物を撃退し、さらには無償で回復魔法まで施してくれるらしい。世知辛いご時世に珍しい、なんとも慈愛の心溢れる御仁である。助けられた人々はその立派な行いに感激し、彼を“妖怪ホイミマント”と呼んで広く讃えているのだとか。
……だが筆者のイチ推しはむしろ、相棒の“女妖怪ゴリラエルフ”の方で――
――パッコーーーンッ!!
「いっだあああッ!?」
「ウチはオカルト雑誌じゃねえんだよッ!! てめえマジでブッ飛ばすぞッ!?」
「ひぃぃ! ごご、ごめんなさい! お、面白いと思ったんですううッ!!」
「待ちやがれ! このアホ新人がああーッ!!」
………………。
――神は天にいまさずとも、すべて世は事もなし。
世界は少しずつ確実に、平和へ向けて歩み始めているようであった。――(校了)
第三者が主人公のことを噂するシーンって、なんかニヤニヤして良いですよね。
そして次回、最終話です。