ソウルジェム、魔法少女が肉体を遠隔操作できるのは半径100メートルが限界。それ以上離れると操作限界となり、思考装置である脳の操作もできなくなるため、完全に意識を失う。こうなってしまったら肉体は死体と変わらない。
昼間のゲームセンターというのはやはり人が少ない。そんな中杏子は一人、ダンスゲームに熱中していた。そのリズミカルな足捌きはダンスゲームを知らない私から見ても大したもののように思える。
「よう、今度はなにさ?」
杏子はゲームに集中しながらも、後ろにいる私に気が付き声を掛けてくる。私は率直に用件を伝えた。
「あなたと協力関係を築きたい」
杏子はそれを聞いて、軽く眉を顰める。
「マミの件なら私は一人で調べるつもりだよ。群がって調べても意味がない」
杏子は早々に話を切り上げようとした。だが、私の話の要点はそこではない。
「違うわ。戦力的に貴方の力を借りたい」
「一体何が言いたいのさ。目的は?」
杏子が如何にも興味なさげに私に聞いた。その声色は困っているようにも聞こえる。
「二週間後、この町にワルプルギスの夜が来る」
ワルプルギスの夜。観測史上最大の魔女であり、結界を張らなくてもいいほど強い魔女である。
「――ッ……なぜわかる」
「それは秘密。あなたにとっても悪い話じゃないはずよ」
ワルプルギスの夜を倒したとなれば魔法少女としてかなりの箔が付く。そうなれば他の魔法少女に襲われることが少なくなるし、縄張りにも人が入ってこなくなる。それに杏子にとっても狩場を荒らされるのは困るはずだ。
「ま、確かに一人じゃキツくても二人いれば何とかなるかもね」
どうやら杏子はワルプルギスの夜を倒すために協力することには乗り気なようだったが、さやかを勘定に入れていないようだった。
「あれでも衛生兵として優秀なのよ?」
「素人引き連れて倒せるような相手かよ」
「私も戦力としてはあまり期待していないわ。」
杏子は何か考えるように黙った後、私に質問をする。
「おい、あのひよっこ……名前なんてったっけ?」
「美樹さやかよ」
「その美樹さやかってのはどんな願いで魔法少女になったんだ?」
杏子は華麗にステップを踏みながら私に聞く。これは、答えてもよいのだろうか。だが、杏子には何か考えがあるようだ。
「たしか、どんな怪我でも病気でも治す力だったかしら。美樹さやかの自己治癒能力はそこからきているものよ」
「ふーん、道理で。この話、少し待ってもらうよ。私としてはあんたらと組むのもやぶさかじゃないんだけど、あのルーキーと話をつけてからにしたい」
「どういう風の吹き回し?」
話をつける。杏子が言うのだから文字通りではないだろう。
「ああいう勘違いをしている馬鹿見てるとイライラすんだよ。あの様子だと今も間違い続けてるんだろ? 魔法なんて徹頭徹尾自分の為に使うものなのに」
杏子は自分の願いで家族を壊してしまった暗い過去がある。多分杏子としてはさやかを放っておけないのだろう。だが、ほかの時間軸と違って今回は事情が微妙に違う。願いも広域的なものだし、上条恭介との恋仲も成立している。そういう面では自分のために魔法を使っているとも言えるだろう。
「ええ、構わないわ」
「じゃあ決まりだね」
杏子は最後のステップを踏み終わり、くるりとこちらに振り向く。その手にはポッキーの箱が握られている。そしてゲーム画面にはパーフェクトの文字が現れていた。
「食うかい?」
日もすっかり沈み、見滝原は闇に包まれてきた。養殖された魔女を狩りつつマミに関する情報を集めていた杏子は偶然にも上条恭介の家の前でさやかと鉢合わせる。
「よう、昨日ぶりだな」
「――ッ!? アンタ、まだ見滝原にいたんだね」
さやかはじっと杏子を睨む。杏子はそれを真正面から見つめ返した。
「そりゃこんなに魔女がいるんだよ? 狩らない手はないね。それとも、マミの縄張りだからってことで追い出すかい?」
「……勝手にすればいいじゃん」
「ああ、私はいつも自分勝手に生きてる。魔法少女ってのはそういうもんだよ」
杏子の言葉にさやかは拳を固める。それを見て、杏子はニヤリと笑みを浮かべた。
「お前のような奴がいるからマミさんはッ!! 自分の生きる為に他人を犠牲にするなんて、そんなの絶対間違ってる」
さやかの言葉に、杏子は顔から笑みを消して真剣な表情を作った。
「そんなのが本当に続くと思ってんのか? いつか絶対に無理がくる。奇跡を叶えた代償ってのはそんなに安いもんじゃねぇんだよ。マミのやつはそんなことも教えてくれなかったのかい?」
「お前みたいなのがマミさんのことをわかった風に語るな! お前にマミさんの何がわかるんだ」
さやかの言葉を聞いて、杏子は深くため息をつく。
「わかってねぇのはそっちだ馬鹿。お前こそマミの何を知ってるんだよ。何も知らないだろ? 出会ってそんなに時間も経たずにくたばっちまったんだから。なんにしても、もっと自分に正直に生きな。そうじゃないと、今に絶対後悔する。とてもじゃないが哀れで見てられねぇよ」
杏子は話は終わったとばかりに背を向けて歩き出す。怒りが頂点に達していたさやかは魔法少女に変身すると、杏子に背後から斬りかかった。普段の自分だったら絶対にやらないであろうその卑怯な行為に、自分のことながらさやかは驚愕する。逆に杏子は予想していたのか、それを半身になって避けつつ、一層顔をにやけさせた。
「ここじゃ人目につきそうだ。場所変えようか」
学校の宿題というものは非常に面倒くさい。伊達に頭のいい学校ではないので、量そのものは少ないものの、質が高いのだ。私はまどかと向かい合いながらペンを走らせる。そんな時、いきなりキュゥべえが部屋の中に入ってきた。
「大変だ! さやかが危ない! ついてきて!(まさかさやかと杏子がまたぶつかるとは。ここでどちらかが無駄に死ぬのはエネルギーの無駄使いだ)」
キュゥべえの言葉に、まどかは椅子から立ち上がって聞き返す。
「なに!? さやかちゃんがどうかしたの?(危ないって、どういうこと?)」
「杏子と今にも殺し合いを始めようとしてる。このままではどちらかが死ぬまで戦い続けるだろうね(さやかはともかく、杏子の目的が読めない。一体何の目的でさやかと戦おうとしてるんだ?)」
キュゥべえの思う通り、これ以上戦力を減らすのはまずい。私は宿題を片付けるとまどかと一緒に家を飛び出した。
「国道の上の歩道橋だ! 急いで!(これをきっかけにまどかが魔法少女になってくれるといいんだけど。難しいかな)」
キュゥべえの案内に従って私たちは見滝原の町を駆ける。目的地の歩道橋についた頃には完全に息が切れていたが、どうやら間に合ったようだ。二人はまだ睨みあっている段階である。
「待って! さやかちゃん!(杏子ちゃんと戦う理由なんてないのに……)」
まどかは歩道橋の上でにらみ合っている二人に対して叫ぶ。だが、二人とも意にも介していなかった。
「まどか、これは私の問題。まどかには関係ないわ(これは私とマミさんの戦いだ。まどかを巻き込んじゃいけない)」
いや、マミは関係ないだろう。マミは少なくともさやかよりかは魔法少女のことをわかっていた。さやかは魔法少女に夢を見すぎている。
「駄目だよ! 戦いで決着をつけようだなんて、そんなの絶対おかしいよ!(話し合いでなんとかならないのかなぁ)」
「ギャラリーついちゃったじゃねぇか。見せもんじゃねぇぞ」
杏子はソウルジェムを取り出すと、魔法少女に変身する。それと同時に、ほむらが姿を現した。
「話が違うわ。話し合いで解決するって言ったじゃない(やっぱりこうなった。なんでいつもこうなるのかしらね)」
「言ってない。話をつけるといったんだ。手段に関しては定めた記憶はないね(こういうのは一回痛い目を見せておかないとわかんねぇんだよ)」
「貴方とさやかじゃ結果は目に見えてるわ。不毛よ(さやかが瞬殺されて終わりでしょうね)」
ほむらの言葉にさやかは明らかに機嫌を悪くする。
「ナメんじゃないわよ!(ほむらのやつ、いつの間にアイツと関わりを? なんにしてもここで痛い目みせないと)」
考えることは同じか。似た者同士め。さやかは変身しようとソウルジェムを掲げる。
「(確か、ソウルジェムがなければ変身できないよね。だったら、さやかちゃんからソウルジェムを取り上げれば――)」
「あっ……」
私はまどかを止めようと咄嗟に手を伸ばすが、まどかはスルリと私の手の届く距離から離れ、さやかの元へ駆け寄った。
「さやかちゃんごめん!(これでさやかちゃんが戦わなくても)」
そしてさやかのソウルジェムを横から掠め取るとさやかのソウルジェムを歩道橋から道路へ投げ捨てた。ソウルジェムは重力に任せて落下すると、そのままトラックの荷台に載り、遠くへ運ばれていってしまう。ほむらはそれを確認すると同時にその場から消えた。判断が早すぎて明確に読めなかったが、どうやらさやかのソウルジェムを追ったようである。取り敢えず、ソウルジェムはほむらに任せればいいだろう。
「まどか! あんたなんてことを!!」
「だって、ああしなきゃ……(さやかちゃん、ダメだよ)」
まどかが必死に言い訳しようとした瞬間、さやかの思考がぷっつりと切れる。どうやらソウルジェムが接続限界距離の外に出たようだ。魂を失ったさやかの体は糸の切れた人形のようにバランスを崩し、地面に倒れそうになる。まどかは突然のことに驚きながらも咄嗟にさやかの体を受け止めた。
「さやかちゃん?(いきなり気絶しちゃった? でも、さっきまで普通に話してたのに)」
「まどか、今のはまずいよ。よりにもよって友達を放り投げるなんて、どうかしてるよ(まあ、戦いを止めるってだけなら合理的ではあったけどね。なんにしても、これでソウルジェムのことをまどかたちに話さざるを得なくなった)」
杏子は槍を消し去り、まどかに歩み寄るとさやかの首根っこを掴んで持ち上げた。
「どういうことだおいっ、こいつ死んでるじゃねぇか!(今の一瞬で何があった!?)」
杏子は優しくさやかの体を地面に寝かせる。そしてキュゥべえをじっと睨んだ。
「どういうことか説明してくれるんだろうね?(ソウルジェムを捨てた瞬間だった。ということは……)」
「魔法少女が身体を操作できるのは百メートルぐらいが限界だからね。普段は肌身離さず持ち歩いているからこんな事故は滅多に起こらないんだけど(基本的に魔法少女がソウルジェムを無くしたら、そのまま死ぬことが多い。いくらソウルジェムだけで生きられるといっても、ソウルジェムだけじゃ考えることすらできないからね)」
「いいから結論を言え。ソウルジェムってのは一体なんなんだ?(昔から胡散臭い奴だとは思っていたが、こいつまさか……)」
杏子は真っ直ぐ槍をキュゥべえに向ける。キュゥべえはまったく表情を変えずに言い切った。
「何って、名前の通りだよ。魂の宝石。ソウルジェムこそ、君たちの魂さ。僕たちとしても、普通の人間と同じような壊れやすい身体で魔女と戦ってくれなんて、そんなことはお願いできない。君たち魔法少女にとって、身体は外付けのハードウェアでしかない。君たちの本体としての魂には、もっと安全で魔力を効率よく使える姿が与えられている。魔法少女との契約を結ぶ僕の役割はね、君たちの魂を抜き取って、ソウルジェムに変えることなのさ(ここまでしてもまだ十分とは言い切れないんだけどね)」
「てめぇなんてことを! ふざけんじゃねぇ! そんなの、ゾンビにされたようなもんじゃねぇか!(ソウルジェムが自分の魂だと? ……でも、ありえない話じゃねぇな。なんにしても、こいつの目的が読めない)」
「むしろ便利だと思うんだけどな。どんな傷を負っても、全身から血を抜かれても魔力さえあれば回復できる。ソウルジェムさえ無事なら君たちは無敵だ。弱点が多い人体よりも戦いやすいだろう?(本当はスペアが用意できればいいんだけど、全員が全員同じ見た目になるのも反感を買うからね)」
「酷いよ……そんなの、あんまりだよ……(ほむらちゃんは知ってたのかな。知ってたから、魔法少女にはなるなって言ってたの?)」
まどかはさやかの身体に抱きつき声を上げて泣き始める。杏子はその様子を只々見ていることしか出来なかった。
「馬鹿馬鹿しいですね。そもそも魂の在り処なんて認識出来ていないのに」
ついぽろりとそんな言葉が私の口から溢れてしまい、私は咄嗟に口に手をあてた。まどかには聞こえていなかったようだが、杏子にはバッチリ聞かれてしまったらしい。
「だったら良いってか!? そんなわけあるか!(こいつ、やっぱり人間じゃねぇ! 何処か価値観が人間と違う)」
私がこのようなミスをするのは珍しい。まあこの際だ。慰めておこう。
「私ならむしろ喜びますけどね。あるかどうかもわからない魂があるとわかっただけで。思考というのは所詮電気信号による物理的なやり取りでしかありません。言ってしまえば感情すら電気信号の物理的な働きでしかないわけです。そんな中、自分が自分であり、ただの物理的な思考機械じゃないとわかったんですから」
「そういう意見は珍しいね。でも確かにそうだ。君たち人間はそもそも魂の存在すらまともに証明できていないじゃないか。それがソウルジェムという形になって証明されたんだ。自己の証明を手にできるというだけでも君たちにとって利益のあることだと思うよ?(古明地さとり、彼女は全く読めない。彼女の目的がわかればもう少し対処のしようもあるんだが)」
「お前ら、それマジで言ってんの?(そんなこと言われてはいそうですかとは行かねぇだろ)」
まあ、人間の価値観はわからなくても、理解はしているつもりだ。杏子の気持ちもわかる。
「ですが、だからといって実際に自分の魂を自分の体から取り出して欲しいなんて誰も思わないでしょうね。キュゥべえ、これは契約違反では?」
「どうしてだい?(契約違反? 今度は何の話だ?)」
「あなたは魔法少女になって欲しいといって契約していますよね。あなたにとって魔法少女にすることと魂を引き抜くことは同じことなのですか?」
「違うよ? 魔法少女にするために魂をソウルジェムに変えるのさ(当たり前のことだよね)」
「それの説明はしましたか?」
「してないよ? 聞かれなかったからね(もっとも、直接的に聞かれた場合以外ははぐらかすけどね)」
まあ、そういうことだ。聞かれなかったというのは言い訳に過ぎない。私は深くため息をつくとさやかのソウルジェムを取ってきたほむらに向き合った。ほむらは肩で息をしながらも、さやかのソウルジェムをさやかの手のひらに乗せる。次の瞬間、さやかが息を吹き返した。
「ほむら、貴方はこのことを知っていた。さやかのソウルジェムを取ってきたということはそういうことなんですね」
「――っ、……ええ、知っていたわ(言えるわけないじゃない、こんなこと)」
ほむらが無理やり無表情を作って言う。その瞬間、さやかがガバリと起き上がった。
「さとり、ほむらを責めるのはやめて。こんなこと、知ってても言えるわけがないじゃない(それに、こうやって自分で体験するまでは絶対にこんなこと信じないだろうし)」
さやかはソウルジェムを握り締めると、指輪の形に戻す。そしてそのまま急ぐように走り出した。
「さやかちゃん! どこ行くの!?(このタイミングで一体どこに?)」
「恭介のとこ! ちょっとメンタル的に厳しいから恭介成分補充してくる!(ソウルジェムのことについて、相談しないと……)」
「えぇ……(さやかって、上条恭介と恋人同士になるとここまでメンタル強くなるのね。これは良いことを知ったわ)」
「恭介って誰だよ(あいつの男か?)」
さやかはこの場から逃げるように歩道橋を去っていく。なんともまあ一途なことだが、どうやらさやか自身混乱しているようだ。この場から逃げたいがほむらの家に帰るわけにもいかない。だったら向かう場所はひとつしかないだろう。
「恭介はさやかのボーイフレンドよ。さやかは恭介を助けるために魔法少女になった(まあ、あの時は自分の身も危なかったみたいだけど)」
「ちゃっかりものにしてるあたり、なんていったらいいんだか。はぁ……先に上がらせてもらうよ。今日は疲れた(それに、キュゥべえに聞きたいこともあるしな)」
杏子はキュゥべえの耳を掴むとため息をつきながらさやかとは反対方向に歩いていく。ほむらはそれを見届けると改めてまどかのほうに向いた。
「まどかたちももう帰ったほうがいいわ。でも、わかったでしょう? 魔法少女なんかになるものじゃないって。魔法少女になるっていうのは、人間をやめるということよ(この世の常識から外れるということ。まどかには平凡な日常を送って欲しい)」
「それは――」
「それは違います。魔法少女も人間ですよ。魂の位置が何処にあろうと、人間は人間です。ほむら、あなたは世界を知らなすぎる。特殊な能力を持った人間なんて、この世に大勢います。貴方はその全てを人じゃないといって差別するのですか?」
「そういう話をしているわけじゃないわ。私はまどかに平凡な日々を送って欲しいだけ(そんなこと、わかってる。私もそれは理解しているつもりだ。本当に魔法少女が人間ではないなんて思っているわけじゃない)」
ほむらはもう少し自分に正直になるべきだろう。魔法少女について悪い印象を抱くようにまどかを誘導するのはあまりよくない。まどかのためを思ってやっていることでも、していることはキュゥべえと同じだ。
「人間じゃない私からしてみれば、貴方は立派な人間ですよ。さて、じゃあ帰りましょうか」
私はまどかの手を掴む。そしてその反対の手でほむらの手を掴んだ。
「え?(えっと、いきなり何?)」
「どうせ今日はさやかは帰ってきません。一緒にまどかの家に行きましょう。まどかもそれでいいですよね?」
「も、勿論! いこ、さとりちゃん、ほむらちゃん!」
どうせさやかは今日は恭介の家に泊まりだ。だとしたら、中途半端な状態でほむらだけを放っておくわけにはいかない。ほむらもいきなりの誘いで少々困惑気味だったが、内心まんざらでもないようだった。
プロ顔負けなバイオリンの音色が響く。私はその音色に耳を傾けていた。あの時は強がって恭介に会いに行くなどと言ってしまったが、いざ家を目の前にして本当に会えるわけがない。だって、私の本体はこんなよくわからない石ころなのだ。言ってしまえばゾンビのようなものである。
「どんな顔して恭介に会えって言うのよ。それに、恭介にも気を使わせちゃう」
それに、恭介とはつい数時間前にあったばかりだ。今行ってもしつこい女だと思われちゃうだろうな。そんな風に考えると、どうにもインターホンを押す気にはなれなかった。
「へぇ、いい音出すじゃん。相当上手いな、お前の彼氏」
不意にそんな声が聞こえて、私は咄嗟に横を見る。そこにはいつの間に現れたのか、杏子が立っていた。
「今度は何しに来たのさ。今日はもうそんな元気ないわよ」
「うるせぇ、黙って演奏を聞かせろよ」
杏子はそう言って恭介の家の門にもたれ掛かる。私は何も言えずに、ただただ恭介の演奏が終わるのを待った。
「音楽ってのはいいね。昔を思い出す」
「さっきから、一体なんなのさ」
私は堪え切れずに杏子を睨み、声を荒げる。私のそんな様子に杏子はけらけらと笑った。
「ほむらの奴から聞いたか? 二週間後にワルプルギスの夜がくるんだってさ。笑っちゃうよね。一体なんの根拠があって言ってるのやら。さやかは何か聞いてるか?」
「ワルプルギスの夜?」
一体なんだったか。聞いたことがあるような、ないような。でも、魔法少女にかかわることだっけ? 私が聞き返すと杏子は私以上に怪訝な顔をした。
「もしかして、ほむらから何も聞いてないのか? ワルプルギスの夜について」
杏子は私の態度から察したのか、ガシガシと頭を掻く。そして大きなため息をついた。
「秘密主義にも困ったもんだな。……ここでいいか。ちょっと話に付き合えよ」
杏子は何処からともなくスナック菓子の袋を取り出すと無造作に開けてポリポリと食べだす。
「ワルプルギスの夜っていうのは魔女のことさ。それも普通の魔女じゃない。超大型で強力な奴」
「強い魔女?」
「そうさ。過去に現れた時は一度に何千人も犠牲になってるって話だよ。ほむらはそれを倒そうとしているらしい。」
杏子はスナック菓子を食べながら話を続ける。
「私も協力を頼まれたよ。そのうちアンタも頼まれるんじゃないか? 一緒に戦ってくれって」
「それで、OKしたの?」
「一応ね。ワルプルギスの夜が通り過ぎると見滝原だけじゃなく私の狩場の風見野も滅茶苦茶になっちゃうし」
それは意外な答えだった。私の印象では、断ったものだと思ったのだが。
「つまり、あんたとも共闘するってことになるわけよ。それで心配して様子を見に来たんだが……案の定だね」
杏子はじっと私を見た。
「会っていかないのか? あんたの祈りで勝ち取った男だろ?」
「違う、私はそんなこと願ってない。私はもっと人の為に――」
「別に責めてるわけじゃねぇよ。むしろ、それで正しいんだ。自分の為に願って、自分の為に戦う。それで正しいんだよ。私たち魔法少女ってやつは」
「そんなことない! 自分の為だけに魔法を使うだなんて、私は絶対そんなことはしない。この力は使い方次第で、きっと人の役に立てるから」
「その考えが甘いって言ってるんだよ。魔法を人の為に使っても、ろくなことにはならない。さやかがしようとしていることは、金もねぇのに買い物をしようとするようなもんだ。続くもんじゃねえよ」
私は反論しようと杏子の顔を睨むが、言葉が出てこない。杏子の言いたいこともわからなくはないのだ。一方的に奇跡を振りまいていては、その皺寄せが何処かにくる。杏子はそう言いたいのだろう。
「心配してくれてるの?」
「ちが……いや、そうだな。はっきり言うぞ。私はあんたのことが心配だ。あんたは間違い続けてる。見てられないんだよね。そういうのさ」
恭介はまた演奏を始めたらしく、ゆったりした音楽が流れ始める。そんな演奏を少し聞いてから杏子は話し始めた。
「昔話をしてやるよ。私の親は、神父だった。正直すぎる人でさ、それこそ、新聞に載ってる些細な事件に真剣に悩み、涙を流すような人でね。新しい時代には、新しい信仰が必要だって、いつもそう言ってた。」
杏子は私のほうにスナック菓子の袋の口を向けてくる。私は恐る恐るスナック菓子を受け取り、口に入れた。
「そんな人だ。ある日、教義にないことまで信者に説教し始めた。だけど、どれだけ正しいことを親父が言ってたとしても、傍からみたらただの怪しげな新興宗教だ。信者の足はぷっつり途絶え、私ら家族は毎日食うのにも困るありさまさ。皮肉なもんだよな。五分でもいいから真剣に親父の話を聞いてくれるやつがいれば、親父が間違っていないことは分かって貰えるはずなんだ。」
杏子は少し悲しそうな顔をする。
「だから、私はキュゥべえにお願いした。みんなが親父の話を真剣に聞いてくれますようにって。翌日には、教会は人で溢れてた。そりゃもう毎日怖いぐらいの勢いで信者が増えていってね。私は私で晴れて魔法少女の仲間入りってわけよ。そりゃもう毎日馬鹿みたいに張り切ってさ。マミの奴に弟子入りして毎日毎日戦ったね」
「……あんたみたいなのがマミさんの弟子? そんなふうには見えないけど」
「言っただろ? 私も昔は目指してたんだよ。マミのような正義の魔法少女ってやつをさ」
「あんたが?」
杏子が少し恥ずかしそうに頭を掻く。だが、すぐに真面目な顔に戻った。
「でもな。そんな日々は長くは続かなかった。からくりが親父にバレたんだ。大勢の信者が魔法の力で集まったものだと知って、親父はブチ切れた。私のことを人を惑わす魔女だなんて罵ってさ。笑っちゃうよね。私は毎日、本物の魔女と戦ってたってのに」
「……杏子。今、その親父さんは?」
「死んだよ。家族を全員巻き添えにして自殺した」
予想以上の答えが返ってきて、私は黙ってしまう。そんな私に構わず、杏子は話を進めた。
「私の願いが、家族を壊しちまったんだ。そのとき誓ったんだよ。もう他人の為に魔法を使ったりしない。この力は全て自分の為に使い切るって」
「そんなのって……」
「おかしいって笑うかい? だが、あんたに何がわかるんだ? 実際に経験している分、少なくとも私の話のほうが説得力がある。違うか?」
杏子は軽く微笑むと、私の額をツンと突く。
「まあ強制するつもりはねぇよ。だが、これだけは覚えておいてくれ。奇跡の代償っていうのは、あんたの考えている以上に重たい。お前は、まだ何も失っちゃいない。だからこそ、ここで間違うな。私からの話はそれだけだよ」
なんだよ、こいつ。いいやつじゃん。
「心配してくれてるんだ」
「――馬鹿、そんなんじゃねえよ! 私はただそういうのが気に入らないってだけでだな……」
「ありがとね。使い魔を見逃すことはしないと思うけど、奇跡の価値を、よく考えることにする」
「ああ、そうしな。んじゃな」
杏子はそういうと何処かへ歩いていってしまう。私はその後姿を見送った。
「奇跡の価値……か」
私は意を決して恭介の家のインターホンを鳴らす。取り敢えず、恭介と一緒に話し合ってみよう。これはある意味教訓だ。できるだけ秘密を作らず、価値観を共有したほうがいい。
次の日、さやかは行方不明になった。
魔法少女の現実
ソウルジェムが自分の魂であると知った魔法少女は絶望することがある。だが、キュゥべえの言う通り、それがない限り魔法少女はまともに戦うことができない。ソウルジェムという緩衝剤がないと、痛みに耐えることができない。
奇跡の価値
皆が幸せな世界というのは実現しないように見えて、条件を付ければ実現が可能である。人間が行っているあらゆることを機械、またはそれに準ずる何かが行えばいい。だがこの場合、皆が幸せな世界ではなく、幸せなものは幸せな世界が誕生する。