深海棲艦という生き物がその昔、この地球上には存在していたらしい。それらはとても凶悪で残忍で無慈悲なとても恐ろしい化物だったと今も僕達の世代に語り継がれている。
けれど僕は思うんだ。深海棲艦がどんなに恐ろしい奴らだったかしらないけど、きっと──母さんや小春がマジギレした時の怖さには敵わない。相手にもならない。
廊下で僕を押し倒し、目を血走らせながら今にも角が生えそうなほど怒り狂う妹を見て、どこか他人事のようにそう思った。
「一応、言い訳を聞いてあげる。私何時も言ってるわよね?クソ兄貴は変態を寄せ付けやすい体質なんだから一人で行動するなって。なのにどうして私を置いて先に家を出たの?答えて、早く」
怖い。小春が怖いのは何時ものことなのだが今日はさらに怖い。逃げ出そうと両手に力を入れ、馬乗りになる小春を退かそうとするが、彼女に掴まれた僕の両手首はピクリとも動かない。悲しいかな、兄である僕の腕力は妹の彼女に遠く及ばない。
いつもならこの時点で僕の負けだった。小春に捕まった僕はただ彼女に平謝りし許しを乞う。だけど今日の僕は違う。言うんだ、僕は一人が好きなのだと、小春もそろそろ兄離れしなくちゃいけないよと。きっと小春は世間一般でいう所の『ブラコン』になりつつある。小春が悪いわけじゃない、僕が今まで彼女を拒絶しなかったから---だからこうなってしまった。小春を兄離れさせるのは他でもない、兄である僕の仕事なのだから。
だから──言わなくてはいけない。
「はやく答えなさい。ど・う・し・て!私を置いて行ったのか!」
「小春へのサプライズプレゼントを用意したかったんだよぉ……」
どうやら僕は兄失格らしい。
◇◇◇
雑すぎる嘘で小春の怒りを沈めた僕は彼女に手を引かれ教室へと入った。そういえば小春さん、当然のように今年も僕と同じクラスなんだね……ちくしょう。
「あっ、こら
「ふざけんな!女となんて一緒にいられるか!俺は男友達と遊ぶんだ!」
教室に入るとそんな騒がしいやり取りが僕達を出迎えた。声の主は僕の友人であり『もう一人の提督』でもある今吉くんと、彼の幼馴染である天津風さんのものだ。良かった、今年も今吉くんと同じクラスだ。
「おっ!!お前もこのクラスなのか!やったな!今年もよろしく!」
僕に気づいた今吉くんがひまわりのような笑顔と共に駆け寄ってきた。「あっち行こうぜ!さっき友達になった奴お前にも紹介するよ!」そう言って今吉くんは僕の手を引く。
僕はチラリと小春を覗き見た。先程怒らせたばかりだ、また勝手に離れて怒らせる訳にはいかない。
すると小春はするりと手を離し、「私の目が届かないとこには行かないこと」とらしくないことを言った。
「いい……の?」
「そう言ってるじゃない。その……私も思う所があるのよ」
「そっか……小春もようやく兄離れしてくれるんだね」
「は?」
どうやら僕の勘違いだったらしい。本当に、ただの気まぐれなのだろう。僕は逃げるようにして今吉くんと共に新たなクラスメイトの元へ挨拶しに行った。だが、依然として小春の蛇のような視線が僕の背中を這っている。気になってしまいそちらへばかり意識が向く。
「曙、良いわね貴方のところの提督は素直で。私の提督なんてほんとにヤンチャで……羨ましいわ」
「天津風……そんなことないわ。大人しそうに見えるのは表面だけ、アイツも一人にすると何をしでかすか分からないんだから。この間なんて妖精さんを出してコソコソ何かやってたのよ?」
「あぁ……それはダメね。妖精さんだけは出させちゃだめ。私もあの人にそれだけはキツく言っておいた。分かってくれたのかどうかは分からないけどね。彼、私の言うこと全然聞いてくれないから」
「お互い苦労するわね、天津風」
「ほんとよ」
◇◇◇
予鈴が鳴り僕達は黒板に張り出された座席表に従ってそれぞれの椅子に座った。しかしながらここで一つ不測の事態が起こった。
僕達の学校は生年月日順でそれぞれの生徒に出席番号が与えられ、席順等はその出席番号によって決まる。つまり、双子であり誕生日が同じである小春は今まで必ず僕の後ろの席にいたのだ。
だが今回、僕と小春の席の間には一席の空席が設けられていた。誰が座るでもなく、ただぽっかりと主人のいない机が僕と小春に距離を設けてくれていた。
「なんなのよ──これ」
小さくガッツポーズする僕とは対照的に小春は世界が滅ぶかのような表情で絶望している。しかし次の瞬間に小春はその空席へと移動し自身の荷物を机の中へと移し始めた。
「ちょっと!小春なにしてるの!?そこは小春の席じゃないよ!」
「うるさい!別にいいでしょ誰も座ってないんだし」
「そこは空席ではありません」
突如僕の後ろから誰かが小春を諌めた。振り返るとそこにいたのは大人の女性だった。白筒袖に青い袴という、凡そ小学校には不釣り合いな格好、特に印象的なのはその感情を読み取らせない成熟した佇まいと眼つきだ。だれだろう、こんな人は見たことない。
「加賀です。本年度よりこの学校に赴任しました。よろしくお願いするわ」
僕が困惑した視線を向けていると青袴の女性はそう名乗ってくれた。加賀──どこかで聞いた名だと思った。確か──
「空席じゃないってどういうことよ。というか貴方がいるなんて私聞いてないんだけど?」
「言えばまた先手を打たれるのは分かっていたもの。けれど転校生が来ることは聞いていたのではなくて?」
「転校生って……まさか」
「そうよ。だから
他にも色々な作品を書いているので是非覗いて見てください。