ゾイドを欲しがる姪っ子の様子を見て、遠い日の愛犬の姿を思い出す。それはゾイドを巡る辛い思い出だった。

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マッドサンダーとちび

 妹が、小学校五年生の自分の娘を連れて我が家に遊びに来た。妹は旦那さんとの時間調整のために、我が家に寄ったのだ。

 姪が我が家を訪れるのは初めてである。そして意外な事に、我が家の和室にむき出しのまま飾ってあるゾイドの棚に吸い寄せられた。

 ウルトラザウルス、マッドサンダー、ゴジュラス、ゴジュラスギガ、アイアンコング、そしてエナジーライガー。ゾイドの中でも錚々たるラインナップだと思う。でも女の子だ。頻りにゾイドを眺めていたが、一番下の段に飾ってある黒エナジー(アニメ『フューザーズ』のエナジーライガー)が気に入って、母親に耳打ちしたそうだ。

 妻は、あげちゃえばいいでしょ、たくさん持っているんだから、と言う。

 大人としてそうすべきなのかもしれないが、やはり簡単には譲れない。姪も分別のある小学校高学年なので、駄々をこねることもなかったが、女の子なのにゾイド好きとは、と、血の濃さを痛感する。

 ひとしきり談笑し、時間は過ぎていく。

 何気ない日常の一コマに過ぎない。

 だが、妹の来訪と、昨日の出来事とが重なり、ある記憶が呼び起こされていた。

 

 飾り棚に展示してあるゾイドの中で、唯一マッドサンダーだけが旧版である。こまめにホコリを払い、定期的に展示棚も掃除をしているのだが、日焼けと経年劣化は避け難く、次第にプラスチックの色も黄ばんで来ている。貴重なものなので、分解した上で収納保存すべきなのかもしれないが、目の届かない場所にしまい込むことができないでいる。

 妹もマッドサンダーを目にしたが、何も語りはしなかった。覚えていないのか、それとも遠い過去の日の出来事など語っても仕方のないことと思っているのだろうか。呼び起こされた記憶を殊更問うのは辛かった。

 妹親子が帰った後、何も知らない妻は買い物に出掛けようと言う。断る理由もないので愛車に乗るが、ステアリングを握る両手が不自然に力むのを悟られないように気遣っていた。

 

 前日の朝、いつものように勤務先に向かって愛車を走らせていた。

 自宅から約三十キロ離れた職場は〝いなか〟と呼んでも構わないだろう。平成の町村大合併で県内最大数の七町村が合併し、市制が敷かれた。結果として出来上がったのは、むやみに面積の広い〝市〟で、山間部も多く、職場はその北端地区だった。

 以前の勤務先は県北部の企業城下町で渋滞がひどく、二十キロ足らずを場合によっては二時間以上かかっていた。混雑に辟易していたので、距離こそ遠いが渋滞がない運転は快適であった。

 晴れ渡った初夏の風の中を愛車は走る。二ケタ番号の国道を横切り、三ケタ番号の国道に入ると、気温と湿度の関係もあって絶好調のハイブリッドエンジンは最高燃費を示す。安全運転を心掛けつつも、拡張工事を終えた四車線に滑り込み、加速をつけた。

 田植え直前の水を張った田園地帯を抜けると、緩やかな上り坂に差し掛かる。見通しの良い直線道路で、坂の上の左手に大型ショッピングモールの看板が見える。右に車線変更し、田植え準備の農機具を積んだ軽トラックや、大型トラックなどを悠々と追い越しながら(制限速度に関しては聞かないで欲しい)、愛車は最高のコンディションで走行していた。

 坂を上り切ったショッピングモール駐車場進入路あたり、スピードを上げていた愛車は赤信号につかまった。

 

 停車すると、横断歩道と重なった中央分離帯に、三人の大人が不自然に集まって何かを覗き込んでいる。一人は老齢の女性、残り二人は中年の男性で、男性たちは私と同じく通勤途中の会社員のようだ。

 道路脇には停車した大型車がある。

 接触事故か。

 野次馬根性も手伝って、信号待ちで停まった前の車との車間距離を詰め、何を覗き込んでいるのかを、運転席から覗き込んだ。

 

 分離帯の影に隠れていたのは、横たわる大型犬だった。

 毛の長さや色から、どうやらゴールデンレトリバーらしい。飼い主らしき老齢の女性が、頻りに犬の頭を撫でている。

 詳細はわからないが、恐らくは朝の散歩の途中になにかの拍子で車と接触し、轢かれたのだろう。老いた女性は悲しげな表情で犬を撫で続けている。早朝ではないが、まだ動物病院が開診している時間でもない。それに大型犬であるため、簡単に分離帯から運び出すこともできないのだろう。

 老齢な女性にとって、散歩の途中愛犬が轢かれるのを目の前にしたのだから心情的にもショックだと思う。

 やがて信号は青に変わり、愛車はその場を後にする。

 泣きそうな表情を浮かべながら、それでもなんとか犬を助けようとしている女性の姿が遣る瀬無かった。そしてその出来事が、我が家にマッドサンダーがやってきた日の記憶に繋がっていったのだ。 

 

 大学四年生の頃、おんぼろの中古の愛車で毎日キャンパスに通っていた。貧乏学生ゆえに自家用車通学は贅沢と言えたが、マニュアル車でエアコン未装備、エンジンの調子は悪く、下手をすると上り坂でエンストしてしまう代物である。

 普通四年生になれば論文作業くらいしかやることはないはずだが、就職課での情報収集と、ゼミや授業の空き曜日に大学でのアルバイトを組み込んでいた。バイトの職種は工事現場での土木作業。校舎新設のため、ゼミの教授の知り合いの工務店を紹介され、日給八千円に惹かれて即承諾。それが毎日大学に通っている一つ目の理由である。

 もう一つ理由が、少し歳の離れた妹が県立の女子高に通っていたことだ。妹の通う高校は自宅から十二キロほど離れている。直通の交通機関は、平気で二十分遅れる時刻表の当てにならない路線バス、そのうえ地方だから運賃も高い。かと言って、鉄道で通うには自宅最寄りのJR駅まで約四キロ。ディーゼル列車に揺られて二十五分。降りた駅から女子高までまた二キロで、鉄道で通うのもかなり面倒だった。

 やむなく妹は、十二キロの道のりを自転車で通うのだが、体力にせよ、交通事故にせよ、そしてやはり年頃の女子なので心配ではある。大学から女子高までは反対方向で七キロほど離れているが、妹を高校に送ってからでも充分講義やバイトに間に合う。それに女子高に堂々と入り込めるという下心――などはない――と思う――もあって、ほぼ毎日、妹の女子高に送迎のため通っていた。

 バイトは日給制なので勤務時間は決まっているが、大学の講義が休講になったりすると移動時間は不規則になる。図書館などで空き時間に資料研究もできるが、当時はまだ市街中心部のデパートは健在で、よくおもちゃ売り場や本屋に行って、時間つぶしをしたものだ。昔はよかった、と、安易に言いたくはないが、あの頃はおもちゃ売り場に魅力的な商品があふれ、もちろんゾイドもたくさん売られていた。だからただブラブラするだけでも楽しいし、箱を持ち上げてその重みを確かめるだけでも良かったから。

 

 あれも、春先だったと思う。あるデパートのおもちゃ売り場で、驚くべき特売品を発見した。

 マッドサンダーとギルベイダーがそれぞれ1980円。念のために確認すると、本来ならどちらも通常価格で6000円近くする商品だ。デスザウラーだけは辛うじて定価で購入していたが、当時から〝積み〟は貯まっていて、価格のこともあり手を出せなかった。

 丁度メカ生体ゾイドシリーズも末期であって、直後にZiナイトシリーズの商品展開を控えていた時期だ。爆発的人気にも陰りが見え、店舗在庫を一掃してしまおうというデパート側の思惑もあったのだろう。値段からすれば申し分のない魅力的な超巨大ゾイドが、予想もせずに目の前に現れた。二つ合わせて約4000円。バイトをしていたとはいえ、バイト代は授業料に消えていくし、当時の愛車の管理費もかかっていたが、この価格を見れば誰でも買ってしまうと思う。迷わず巨大な箱を抱えてレジに向かい、会計を済ます。意気揚々と愛車の後部座席に放り込み、興奮したまま女子高に向かった(誤解を受けそうな表現なので注意)。

 女子高の昇降口から、制服姿の妹が下校してくる。同じく制服姿の女友達にさよならのあいさつをし、駐車場に停まるおんぼろの愛車に乗ると、少しあきれた顔をされた。

 今でこそ、妻にバレないようにプラモを買うテクニックを身につけているが、妹にそんな小細工は必要ない。妹にしても、兄の嗜好は知っているので、安かったんだ、ふーん、で会話は終わる。自宅までの道のりを、帰宅後箱を開ける楽しみを思って、エンストを注意しつつ愛車を走らせた。

 

 帰宅後真っ先に出迎えてくれるのは、小さな家族だった。

 当時我が家では「ちび」という犬を飼っていた。目が開いたくらいの仔犬の頃に、妹が友だちからもらってきた雑種犬である。安易なネーミングだが、母親がそう呼んでしまい、なし崩しに家族みんなで「ちび」と呼ぶようになっていた。ネーミングの影響かどうかはわからないが、飼い始まって三年目になるというのに、片手で抱き上げることができる大きさにしか成長しなかった。

 小柄な分だけ身軽な「ちび」は、帰宅と同時に興奮し、帰宅直後に車の窓を開けると、喜びのあまり開けた窓から飛び込んできた。

 少し説明すると、「ちび」は放し飼いにされていたわけではないが、鎖に繋がれていたわけでもなかった。

 我が家の自宅脇には、両親が営む零細の町工場(こうば)があって、コンクリート打ち放しの工場の中、「ちび」は自由に歩き回っていた。父親も母親も「ちび」をかわいがっていて「ちび」も旋盤作業をする父親や母親の椅子の後ろにちょこんと乗って、そのまま眠ってしまうくらいに懐いていた。おかげで動物特有の臭いこそなかったが、旋盤のスピンドル油の臭いがしていた。

 工場の出入りの際には、「ちび」が逃げないようにしていたが、完全ではない。なぜなら、おんぼろの愛車が車庫に入って来るのに気が付くと、居ても立っても居られずに、工場を飛び出して車の窓から飛び込むのが「ちび」の楽しみでもあったから。

 多分、一番懐いていたと思う。帰った直後にすぐに散歩に行き、十数分「ちび」の付き合いをするのが日課である。

 だがその日は、マッドサンダーとギルベイダーに気持ちが移っていて、油断していたらしい。

 記憶が定かではない。散歩を終えて工場に戻した後なのか、それとも散歩を後回しにしてしまったのか、「ちび」の姿が見えなくなっている事に気付くのが遅れた。

 不安が過った。普段であれば、自宅の庭から離れることはなく、芝生の上を少し駆け回ってから外の犬小屋に繋いで夕方の餌にありつくのが習慣なのだが、その日だけは違っていたのだ。

 工場から五十メートルほど先には、三ケタナンバーの国道が走っている。季節は動物達が発情期を迎え、興奮しがちな時期である。実は数日前に、白い仔犬が轢かれているのを、工場に通う従業員が目にしたと聞いたばかりだった。「ちび」の年齢は三歳。犬の成長は、ヒトの七倍と言われるので、凡そ二十歳の盛り時だ。普段取らないイレギュラーな行動も、充分予測しておくべきだったのに。

「ちび」は見つからない。状況は決定的だった。家の周囲から離れたらしい。気を付けていたつもりが、僅かな隙に「ちび」はどこかに飛び出していた。

 マッドサンダーもギルベイダーも箱を開けることなく、家族と共に家の周りを探した。「ちび」と呼ぶ声が広がったが、呼び声はすぐに終わった。

 

 むせび泣く声で、目を真っ赤にした妹が戻ったのは数分後だった。

「ちび」は国道のアスファルトの上で横たわっていた。

 四本の脚が全部折れ、頭も半分位に拉げて血を吐いていた。

 獣医に診せる以前の状況だった。

 苦しむ間もなく、なぜ「ちび」は自分が死んだのかもわからないくらいに、即死だったに違いない。

 ゾイドを買えた喜びなど霧消した。

 

 母親は私を責めた。そんなもの買ってくるから、ちびは死んでしまったのだと。謂われ無き非難であるが、反論することはできなかった。確かに、ゾイドに心を奪われていたから「ちび」を殺してしまったのだと、自分でも自分をものすごく責めた。

 家族だった愛犬が死んだ。勿論泣いた。妹も、母も泣いた。頑固親父の気風を残す父親だけは涙を流さず、頻りに不平を漏らして怒るだけだったが、その後三日ほど寝込んでしまった。いまにしてみれば〝ペットロス症候群〟だったに違いない。頑固者ゆえに涙を流せず、感情を内向きに溜め込んだ父は、抑え込んだ感情に押し潰され、私以上のショックを受けてしまったに違いない。誰よりも「ちび」を愛していたのは頑固な父であったのだろう。以来父は、家で犬を飼うことを許すことはなかった。

 

 大切な家族の一員を失って、悲しくて仕方なかった。それでもマッドサンダーだけは、その日の内に組み上げた。楽しくて組み立てたのではなかった。死んでしまった「ちび」の魂が、マッドサンダーに宿るのではないか、という虚しい願望からだ。

 完成したマッドサンダーは、力強くマグネーザーを回転させ、ライトを点滅させながら歩いた。しかし、やはりそれは無機質に歩く玩具でしかない。歩くマッドサンダーを見ても、涙が止まらなかった。「ちび」はマッドサンダーと同じ位の大きさだったから、余計に悲しくなった。「ちび」は死んだのだと、自分に言い聞かせたが、理屈で割り切れるものではない。月並みな言葉だが、心の中に大穴が空いてしまった日々を、しばらくは過ごすほか無かった。

 ギルベイダーを完成させるのは、しばらく後の事になる。

 

 三年後、中古の愛車は廃車となった。ディーラーが引き取ってスクラップ場に向かう途中、まるで駄々をこねるように坂を登らずにエンストしたと聞かされた。

 今の愛車は四台目だ。

 

 翌週の朝の出勤で、ゴールデンレトリバーの姿を探したが、そこに横たわる犬の姿は当然無い。「ちび」のように身体が潰れていた様子はなかったのが、せめてもの救いである。

 あの犬は助かったのだろうか。

 

 仮に「ちび」が車に轢かれずに済んだとしても、必ず別れは訪れた、

〝機械生命体〟とは言え、ゾイドに命はない。目の前の色褪せたマッドサンダーは、あの日組み上げた時と変わらぬ姿で、力強くマグネーザーを回転させながら動いている。

 

 マッドサンダーを見ても、妹は何も言わなかった。

 

 妻にこの話を語ることも一生ないだろう。

 

 



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