先生、運命が始まりました。
それは、俺の一言から始まった。
俺の言葉に、何の話か分からない先生に無言でスマホを見せる。
スマホを凝視し、先生の瞳が俺を射抜く。
その瞳は揺れていて、動揺を隠しきれていない。
スマホと俺を交互に見ていた。
「これは、最近やってるやつじゃないか」
「来ましたよ、コラボ。しかも、ベースは本店と同じです」
職員室、静かな空間でガタッと一際大きな音がした。
それは驚く先生が立ち上がった椅子の音だ。
平塚先生が震える手で俺の両肩に手を置く。
「そんな、嘘だろ。本店に行かなくても、味わえると」
「喜べ先生、先生の望みはようやく叶う」
「悪いが付き合ってもらうぞ、私の身体が尽きるまで」
他の教師の静止を振り切る先生の背中を見て、俺は校門まで移動した。
そして校門前にやってくる外車、恐らくアストンマーティン。
推定で五百万以上、謎だ。
「行くぞ比企谷、財布の中身は十分か」
颯爽と乗り込み、目的地へと移動する。
生徒と先生、うるせぇ!そんな細かいコンプライアンスはな、限定という言葉の前では不要なのだ。
パーキングに車を停めると、店の前には人の列があった。
「馬鹿な、よもやよもやこれほどとは」
「なんでさ」
速い、余りにも速い、仕方ないが並ぶ。
遂に俺達の番が来て、店内に入ると目元と鼻を刺激する強烈な香り。
渡された食券に淀みない動きでそれはやってくる。
マグマを思わせる赤、そこに浮かぶ白く柔らかい塊。
粘性のそれは冒涜的な香りを放っており、こちらの正気度を奪う刺激がある。
麻婆だ、それも激辛麻婆豆腐だ。
輪切りにされたゆで卵、細かく切り揃えられたネギ、赤いタレを纏った豚肉、野菜はクタクタになるくらい柔らかくなっている。
スープは赤とは対象的な醤油ベース、出汁のように透き通る黒みを帯びた澄んだ液体だ。
麺は太く、食べごたえはありそうだ。
「比企谷、これが」
「えぇ、プリズマ☆麻婆ラーメン」
まずはスープを飲む。
オイスター、オイスターが入ってる!ほのかな甘味、いや辛い!
「ゲホッ、うぅ、ゴフッ、んぐっ、うぇ」
「は、速い!泣きながら、食べているだと!」
「ひ、比企谷。ロットを乱すな」
「せ、先生……その食べ方は」
先生の器を見る、そこには麺と麻婆豆腐が逆転した状態があった。
天地返し、ある流派に伝わる麺が伸びるのを防ぐ食べ方。
まさか、いやあの発言、先生はあの流派の人間に違いない。
だが、それは蒙古タンメンに対しては邪道。
麻婆豆腐とスープが混ざり、辛さが激減する、中和してしまう禁じ手。
「私も、食べたかったさ。だが、私はレベルが足りない」
「そうか、先生の舌はその星を食べられるレベルではない」
「そう、私はまだ五目程度しか食えないのだ。そして、これが大人の力だ」
それはチーズ、辛さをマイルドにするチーズ。
先生は入れるのを躊躇しながら苦渋の末にチーズを入れた。
トッピング!学生じゃ出来ない、大人の力、課金!
俺がクーポンで大盛りにしているのに、ずるい!
チーズで辛さをダークチューニング、俺の大盛りというシンクロとは別のムーブだと。
人の事を見ている場合ではないので、俺も食べる。
辛い、辛い、甘い、辛い。
辛さの中に、甘さを感じる。
だが徐々に甘さが際立つ。
そう、辛さに慣れると出てくるスープの甘み。
味噌にはない、スッキリとした醤油ベース特有の甘み。
だが、それは偶にでいい。
「水、飲まずにはいられない」
「ふ、震えが止まらない。胃が爛れるように痛い、でも箸が、箸が止まらない」
「先生、飲み物は飲まないほうが良いですよ。舌が、リセットされる」
「な、なんだって……」
喉を潤す水、ヒリつく喉。
戻ってくる痛み、激痛、激痛の中に甘みが戻ってくる。
辛さの向こう側、これぞ愉悦!
愉悦はあるかないかではない、知るか知らないかなのだ。
「「ふぅ……」」
この後、メチャクチャ胃がずんがずんがした。
先生とラーメンの後、商業施設マリンピアの書店に寄った。
勉強用に新しい参考書を買ったのだ。
家に帰宅して勉強していると、少し遅めの時間ながら塾から帰ったのか小町が帰ってきた。
「ただいまー」
「帰ってきた、戦士達が」
「ダメ、お兄ちゃんこのままじゃ祟り神になってしまう。負けないでお兄ちゃん、次回お兄ちゃん死す」
「殺すな。流石に言葉を話せなくなるほど弱体化しないよ。飯は?」
「食べてきたー、サイゼのドリアめっちゃ美味かったよ地中海風ってやつ?」
「ミラノ風では?」
なんだ食べてきたのか……うん?
「小町ちゃん小町ちゃん」
「はいはいお兄ちゃん」
「ボッチ耐性皆無であろう小町ちゃん、一人でサイゼ行ったの?」
「小町がボッチ耐性ないのはお兄ちゃんと違ってぼっちになったことがないからなんだよ」
「ぐはぁ……ば、馬鹿な。同じ血を分けてどうしてこんなに差が……っていうかやっぱり誰かと行ったのか」
「あー、うん、アレ。昨日話したでしょ、川崎大志君」
俺は淹れてあったコーヒーを一気飲みする。
ちょっと、急用を思い出した。
「少し出かけて来なければいけないようだ」
「えー、今から?」
落ち着け俺、クールに行こう。
俺と大志はまだ知り合っていない、つまり何があっても警察に接点があると思われないのだ。
思われるとしたら妹の小町、うん、今日はやめておこう。
小町が友達と遊んでいるアリバイがあるときがいい、それがいい。
「あー、お兄ちゃんやらしーこと考えてるでしょ」
「そうだな、どうやって人を陥れられるか考えていた」
「やらしいのベクトルが違う!?」
というか、そういえば川崎の相談を受けたような受けてないような。
あーそうだ、メイド喫茶行ったの思い出した。
そうか、俺がラーメン食べてた今日だったか。
そう言えばあの時は参考書を買って、ファミレスで勉強しようとしたんだっけ。
あれ、川崎まだバイトしてんの?
「相談乗って欲しいってさ、タダとは言わないからってご馳走してもらっちゃったよ。いやー、小町も払いたかったんだけどね、次の時にって言われちゃったんだよねー」
「おい、さり気なく二回目の誘いしてんじゃねぇよ。ダメだこの妹、早く相手をどうにかしなきゃ……」
「もう、そんなんじゃないってば。大志君はタダの友達?」
疑問形、疑問形だと!?
馬鹿な、速すぎるフラグが建ってたんだ。
大志のアプローチをどうにかしなきゃ、幸い奴はまだ中学生。
口実もなく女を口説くことは出来るレベルではないはず、ならば川崎の件を解決すればデートに誘えないのでは?
「勝ったな、風呂入ってくる」
翌日、ユニクロで黒シャツとジャケット、スキニーパンツを買って、髪をセットした。
オールバックにして、アクセでもつけようか。
シルバーのアクセサリーとかさ、いや、そのセンスはねぇよもう一人の俺。
メイド喫茶を検索して、あぁエンジェルなんたらだったなと思い出した。
検索すればすぐに川崎のバイト先が分かる、そうスマホならね。
一応、親父の名刺を財布に入れておいてホテル・ロイヤルオークラに向かう。
そういえば、ここのランチ美味いけど高いんだよな。
この体じゃ来たことなかったかと、ふと思った。
重そうな木製のドアをくぐり、脇に控えたギャルソン。つまりは男性店員に軽く手を立てて静止する。
「人と待ち合わせなんだ。カウンターで構わない」
男性店員はスッと頭を下げて、また仕事に戻る。
第一関門は突破した。
グラスを磨くスラリと背が高い泣きぼくろのお姉さんがいた。
薄く化粧をしていて、年齢はパッと見じゃ分からない。
「よぉ、バイト続けてたんだな」
「……どちら様でしたでしょうか?」
「教室であっただろ、比企谷だ」
「……あぁ、で、誰?」
「おい、笑いながら言い直すなよ」
コイツ、分かってて知らないフリしてんな。
川崎は肩を竦めながら、俺の前にMAXコーヒーを置いた。
「おい、まだ頼んでないが」
「前に、駐車場で飲んでなかったけ?」
「まぁ、頼むつもりだったけど」
「この仕事はお客さんを見るから……それで、用件は?」
「別に様子見だ。と言っても、調子はどうだとかそんな程度」
「わざわざ、そのために服買ったの?タグ付いてるけど」
えっ、ちゃんと外した筈だけど。
首元を確認するが、値札はない。
そんな俺の様子にクスクスと含み笑いが聞こえた。
この野郎、騙したな。
「やっぱり、買ったんだ」
「うるせぇ……それより、なんでバイトしてんだ」
「もう辞めるよ。まだお金が足りないって理由もあるけど、やめますって言って辞められるものじゃないから。今月一杯まではいなきゃ、店にも迷惑だから」
「なんだそんな事情か。まぁ、家族に心配かけんなよ。お前のとこの弟、お前を口実にウチの妹口説いてるんだわ」
「口説……大志、後で話さなきゃ」
なんてことはなかった。
普通のバイトと一緒で、急に辞められると困ると店側に言われたかららしい。
バックレればいいのに、給料は月末締めだから貰うまではそれも出来んらしい。
「そういえば、お前って貯金ある?」
「急に何の話、あとお前って言うのやめて。沙希って名前があるんだから」
「えっ、じゃあ沙希さん?」
「……やっぱお前で……は恥ずいから川崎で、それより貯金ならあるけど何なの」
「お、おう。なんか怒ってないか?」
「……別に」
「投資信託興味ないか?来年から絶対上がる奴があんだわ、俺はもう全財産ブチ込んでるんだが」
俺が教師だった頃、世間じゃ投資ブームだった。
国がバックアップしてたのもあるし、日経平均株価が上がったのもあった。
まぁ、俺はその時に特集をやってた投資信託会社を知っている。
今は無名だが上がると知っているのだから、未来知識チート万歳である。
「お前の全部を俺にくれよ、悪いようにしない」
「……ねぇ、私口説かれてんの?」
「口説いてねぇーよ」
「はぁ……まぁ、考えとくよ。大志のことありがとね、ウチでもコソコソしてたからさ」
「おう、じゃあ俺はこれで」
そう言って俺はグラスの中身を飲み干して立ち上がった。
そんな俺を川崎が呼び止める。
「ねぇ、比企谷」
「……お、おう」
振り返ったら、川崎が俺をジッと見ていた。
まるで何かを急かすような、そんな視線だ。
「私の言いたいこと、分かってる?」
「……待て、どういうことだ」
えっ、これ、あれ。
もしかして、俺、今なんかモテ期とかそういうアレ?
えっ、おじさんに女子高生が……いや、俺ってば高校生だった。
そういえば、なんか照れてたような随分と前の事を覚えていたような。
アレ、勘違いじゃないんじゃないか。待て、俺には雪ノ下が、いや雪ノ下は友達だしな。
あと由比ヶ浜もいるが、いやいや二人共、前世じゃ友達だったし、今も友達だしな。
っていうか、俺、凄い色々考えてないか。
これアレじゃね、死ぬ前の、ハンターハンターのナックルみたいな奴じゃ……
「お会計」
「すいませんした」
勘違いでした、どうもすいません。