博麗の巫女である博麗霊夢は、早速森の上空を飛行していた。それは異変の元凶を退治するためである。
夏の暑さゆえに人里離れた古道具屋からかっぱらってきたおんぼろ扇風機で涼んでいたところ、なんと人里の責任者である里長が博麗神社まで依頼してきたのだ。
内容はこの紅霧の原因を突き止め、もしそれが自然現象でないのならば解決してきて欲しい……と、確かこんな感じだった。最初は渋った霊夢だったが、何度もおだてられ、仕舞いには報酬金をちらつかされた辺りから霊夢の目の色が変わった。
安請け合いも安請け合い。霊夢は今でも少量の報酬金で了承してしまったことを後悔していた。しかし既に終わったこと。今は異変の解決に集中することにしたのだ。
霊夢には行く宛などない。通常ならば聞き込みや情報集めなどをするべきだが、霊夢は自分の勘を信じて飛び回っているのだ。結果的に、その勘は当たっていた事が後々分かることだが。
森の上空も、果てしないほどの濃い霧で覆われていた。視界も悪く、先行きも見えない。
「ったくこれじゃあ、お洗濯も出来ないじゃない……」
異変の最中であるのに、洗濯物の事を考える霊夢。メンタルは大物のそれである。
そんな霊夢が、突如動きを止めた。霧の中。視線の先に、陽炎のような揺らめくなにかがいたからだ。
それは漆黒そのものだった。その他全ての色を排除した黒き球体は、霧の中を直進し一直線に霊夢の方へ向かってきたのだ。
ぼやぼやとまるで蜃気楼の如く朧気に揺れる球体。それは霊夢の前で突然止まった。
(なにかしら、これ)
霊夢はまだ齢十に達したばかり。危機感や恐怖、不安より好奇心が勝る時期であった。子供の好奇心とは時に残酷であるが、恐怖を与える存在に恐怖を抱けないことこそが、最も残酷である。何故なら、恐怖を与える存在とは一様に危険である。その存在に恐怖を抱けないことは、まさに準備もせず登山をするようなもの。降りかかる恐怖に、危機に、暴力に、死に気づけない、まさに最も残酷だ。だがそう思うのはその光景を見ている者だけであって、当事者からしたらどこ吹く風である。
霊夢がその綺麗な指先で、シャボン玉でも触るかのように優しくそっと触った。その瞬間、霊夢の視界は全て闇に包まれる。
「…………ッッッ!!? な、なによこれ!」
闇。闇。闇。どこを見回しても闇。全てが闇。まるで自分だけが世界を切り取られて、その世界に閉じ込められたかのような……。
言いようもない不安が背中を駆け巡る。霊夢にとって、初めての危機感であった。そして、遅すぎた危機感であった。
「闇なら……照らせば良いのよ」
霊夢は持参しているお札を一枚取り出し、それを軽く放った。するとどうだろう。お札に書かれている文字が青白く光りだし、お札自体が素早く回転し始めた。簡易的な灯りのような物である。霊夢は灯りがついたことに幾分か胸を撫で下ろす。どうやらここは世界が切り取られた絶海の孤島ではなく、いつも自分がいる幻想郷のどこかなのだ……と。ということは、この闇は何者かの……十中八九妖怪の仕業だと見当がつく。
「出てきなさい、あんたが妖怪だってのは調べがついてるのよ!」
「そーなのかー。それで、あんたは食べても良い人類?」
「きゃっ、……いきなり出てこないでよ!!!」
「えぇ……」
自分から呼び出しておいて、なんという理不尽だろうか。あまりの横暴に、妖怪であり捕食者の立場である妖怪でさえ困惑の表情を浮かべた。
そして現れたのは可愛らしい女の子。白黒の洋服を着こんだ赤目で黄色髪のボブ、左側頭部には赤いリボンのような札が巻きついている。ルーミア……という名前の、里の人間には有名な妖怪であった。
「それで、何か用? 無いんだったらさっさとこの闇を晴らしてよ」
「ふーん、そんなに晴らして欲しいんだ?」
「ええ。だってこんな暗闇の中じゃあ、あなたの素敵なお顔も見えないもの」
「口説いてる?」
「世辞よ」
だよねっとルーミアは嘆息した。
闇を操る妖怪である自分を見て怖気づかない人間は初めてだ。それ故に、興味が尽きない。気づいたら舌戦。終わらぬ探りあい。身体を駆け巡る高揚感。そう、これだ。この頃退屈だと思っていたのは、この感覚が足りなかったからなのか。
「ひひっ、ねぇあなた。うーんそうね、巫女さんはスペルカードって持ってる?」
「星の数ほど持ってるわ」
「あらなんてロマンティック。……じゃあ私とちょっとだけ暗闇デートしない?」
「食人趣味は間に合ってるわ」
「趣味じゃないわよ、生きるためよ」
「そんな事どうだって良いの。弾幕ごっこでしょ? スペルカードは三つ、残機は一ね。さっさと始めるわよ」
「嫌だなぁ。話の聞かない人は。……食べるまでの過程を縮める愚か者は、美味しさに至るまでの過程を知らない」
「あなたさっき、生きるために人を食べるって言ってなかったっけ?」
「食べるにしても、不味いものは食べたくない。これ、誰にでも宿る食への欲求じゃないかな。さ、弾幕ごっこ開始だよー」
「はぁ……。あんたはソクラテスでも見習った方が良いと思うわよ」
霊夢は頭を掻いた。
全く……調子を持ってかれる、と霊夢は思った。妖怪なんて一部の例外を除き皆がエゴイストだ。それに付き合わなければいけない人間の気持ちも考えて欲しい。だが、そこにこそ理性が本能を凌駕した人間の持ち得ない魅力というものがあるのだろう。
ましてや、人を食べるとの行為。カニバリズムと揶揄されるこの行為は、どこの文化、歴史を紐解いても禁忌とされる。同族殺しとはそれほどまでも狂った行いなのだ。故に、同族は同族を殺すことに抵抗感、畏怖が生まれる。本能に、そう洗脳されているからだ。
種族の繁栄を一番とする本能からすれば、それは自らの行うべき行為とはまた逆の行為であるわけで。そりゃあ恐怖するわな。
だからこそ、ルーミアは妖怪なのだろう。人の忌避感、恐怖感、畏怖感を刺激する恐怖の象徴なのだろう。
霊夢は背に仕舞っておいたスペルカードを三枚取り出した。ルーミアもそれは同じで、霊夢は素早く決着を着けるために、敢えてスペルカードを宣言せずに待つ。
「あれ? 宣言しないの?」
「宣言せずとも十分よ」
「なにか狙いが?」
「いえ、優しさよ」
「ひひっ、闇符『ディマーケイション』」
ルーミアを中心に、赤青黄の三色を用いた弾幕が展開される。一つ一つの弾は混じりあい、交差し、ハの字型の弾を作り出す。
霊夢は全神経を避ける事ではなく、近接の為のルートを決めるために使った。別に弾幕ごっこのルールには、撃つ役を攻撃してはいけないなどというルールなんて無いのだから。
というよりも、霊夢はこの勝負に真っ向で挑んでは勝てぬと思ったのだ。ルーミアの能力で霊夢の視界は暗闇で包まれている。唯一の光源は、自分の札とルーミアが放つカラフルな弾幕のみ。こんな状況じゃ、もし黒色の弾幕なんて放たれてしまったら、流石の霊夢でも避けれる自信はない。
(一発で決める……容赦はしないわ。怨まないでね、食人妖怪)
幾多もの層に分かれる弾幕を掻い潜り、次の層を超えればルーミアの目の前……というところで、ルーミアは更に弾幕を増やした。
放たれたのは霊夢を狙う青い弾。
(くっ、このタイミングで……!?)
ばら蒔かれるように連続して放たれる霊夢狙いの弾。範囲は広く、まるで自分に近づかせないように放たれる弾幕だった。
霊夢は一時撤退を余儀なくされるも、ルーミアの弾は執拗に追ってくる。
回避。回避。回避。時として上空に逃げ、時として高度を落とす。緩急をつけながら虎視眈々と隙を待つ。
だが、ルーミアは攻撃の手を決して緩める事はなかった。
「月符『ムーンライトレイ』」
突如ルーミアが手をかざす。霊夢はなんだか嫌な予感……というよりも、自分の中の勘が警告を発した。
その勘があったからであろう。ルーミアの両手から発せられた目で追えぬ青白いレーザーを、かする程度で避けれたのは。
「くぅっ!」
「弾幕ごっこだからって、怪我しないってわけじゃないわよー」
「そんなことっ、知ってる、わよ!! ──霊符『夢想封印』ッッ!」
青白いレーザーと色鮮やかな光弾がぶつかりあい、互いに打ち消しあう。
その隙に、霊夢は急加速。牽制用の弾幕と二本のレーザーを掻い潜り、再度近接まで持ち込む。だがルーミアも負けていない。レーザーを振り回し、霊夢を近づけまいと応戦していた。
この時既にルーミアは霊夢の狙いが分かっていた。自分がこの暗闇を利用した弾幕を撃つ前に、近接して早期決着を着けようとしているのだろう。
(ふふ、可愛い子じゃない。博麗の巫女って)
元から自分はそんな弾幕を放つ気など更々ないし、逆に負けるつもりで勝負に挑むハズであった。しかし噂に聞いていた博麗の巫女を見て、自らの欲求が抑えられなくなり、今こうして応戦しているのだ。
妖怪と人。そこには圧倒的格差がある。強さという格差が。人と妖怪を近づけさせず、身近に感じさせるとして幻想郷の賢者が編み出したスペルカードルールという決闘法。そこには異変を起こしやすく、それでいて人との強さの格差を、遊びとして有耶無耶にする狙いがあるのだろう。
それでも弾幕ごっこは怪我をするし、最悪死ぬかもしれない。でも、楽しいのだ。
ルールを定める事によって、脆い人間でさえも自分達と同じ領域に立てる。
ルールを定める事によって、人は自らにチャンスを課せる。
ルールを定める事によって、命かけずとも戦いの臨場感を味わえる。
それが弾幕ごっこの良き点であり、妖怪と人との強さの格差を埋める最もな妥協点だ。
それに、ほら。私が必死こいて応戦しているにも拘らず、博麗の巫女は私の弾幕を掻い潜り既に目と鼻の先だ。
だから止められないんだ。だから楽しいんだ。
妖怪である私でも、たった一人の人間に負けてしまうのだから。
「喰らいなさい!! 霊符『夢想妙珠』っ!!」
闇の中でもハッキリと見える輝き。
私の闇じゃあ、こいつの光を陰らせる事は出来ないみたいだ。
私の意識は、視界が目映くような色に埋め尽くされた後、黒く塗り潰された。