東方付喪録   作:もち羊

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116季 星と春と火の年


「う……ぁ……ぇ……」

 

 激しく喉が渇く。水という命を欲す。鉄のような味が口の中の奥底まで広がって、じんわりとした痛みが喉を焼く。

 

 手を伸ばせ。足を動かせ。生きるために全てを使え。

 

 かきむしるが如く地面を掻き、生を掴もうと何度ももがく。足をばたつかせても、腰に力が入らない。芋虫みたいに身体を引きずって、やっとの思いで進む。

 

 そして少しだけ顔を上げると、ひんやりとした冷たい感触にパチャパチャと顔に跳ねるなにか。

 それは私が愛して止まない水だ。生きる源でもある。

 

「ぇぅぅ、……ぁ、んぐんぐ、ヒュ、ぷふぁ……」

 

 大量の水がこちらに寄せられる度に、水が鼻孔を塞いで息を詰まらせる。けれどそれは生きるために些細な事へと置き換えられ、私は恥も外聞もなく獣のように水を啜った。

 

 どれだけの時間がたっただろうか。

 

 もう私の周りに水はなく、息も自由に出来るようになった。そして、それは身体も同様だ。

 先程まで力なく垂れていた首も、腰も、今では自らの意思に従い動かせる事が出来る。

 

 早速、私は立ち上がる事にした。

 

 生温い風が、髪を揺らす。長い髪が目に痛い。

 

 私の目の前にそびえるのは樹。後ろに見えるのは池。その池は、蓮の花と葉が木漏れ日に照らされながらも池の水面上に浮き、神秘的ながらどこか不思議な雰囲気を醸し出していた。

 

「え……と、ここ、どこ? 私は……だれ?」

 

 今気づいた。私には記憶がない。

 

 自分の存在、身体の各部分や器官名、幾つかの知識やそれに近い言葉は使えるが、名前も思い出も何一つない。

 突如不安が襲ってきた。暗闇に一人取り残されたかのような怖さ。

 

 危険があるかもしれない。一刻も早くこの場から脱け出さなければ。けれど想いに反して身体は動かず、蹲ってしまう。

 

「う、うぇ、う、うぅ……」

 

 涙が溜まり、溢れ落ちていく。助けを呼びたくても、何故か心が否定する。自分の力だけで生きろ……と。そういっているかのように。

 

 私がそうやって独りで啜り泣いていると、後ろから重い声が響いた。

 

『主か、池を荒らす者は……」

 

「えっ! なに今の声、誰!?」

 

 驚いて辺りを見回す。誰かがいるって事実から来る安堵と、得体の知れない声による恐怖がごちゃ混ぜで、逃げるなんて気持ちさえ無かった私は大声で声の主を問い質した。

 

『この池は神聖なる池。それを飲む愚行、冒涜した主には万死に値する。大人しく腹中で眠れ』

 

 ばか正直に問い質しても、状況が好転するわけでもないのに。

 そうして告げられたのはあからさまな死刑宣告。

 

 私の頭は真っ白になって、パニックのまま逃げ出した。

 

「───っは、っは、っは」

 

 ナニかが追い掛けてくる。足音からして、かなりでかい。

 木と木の間をスルスルと抜けていき、合間を縫ってたまに方向転換をしながら逃げていく。

 

 それでも、声の主は迷わず私を追ってくるのだ。

 

 木を掻き分け、地を蹴り、恐怖の正体が少しずつ、少しずつ近づいてくる。

 走りに慣れていない私の足はすぐに悲鳴を上げて、肺は新鮮な空気を求めようと過剰に稼働し痛みを発する。

 

「誰か……たす……だめだ、声が……っは……っは、声が出ない……なんで……」

 

 ─────死になさい─────

 

 息も絶え絶え。視界も歪む。口内に競り上がる吐き気を我慢し助けの声を上げようとするも、ストッパーが掛かっているみたいに上手く声に表せない。

 

 ─────死になさい─────

 

 ということは……誰も助けに来てくれないというわけだ。

 

 ─────死になさい─────

 

 背後に気配を感じた。危険とかそんな柔なもんじゃない。まさに死の気配だ。

 

 ─────死になさい─────

 

 あ、終わった…………って思った瞬間、すごく時間が延びて、遅くなって、恐怖を感じる心さえ無と化した。

 

 けれど生への執着は止まらず。

 

 無と化した死への恐怖と、生への執着の矛盾。

 

 それを埋める為に、私は“界を結んだ”。

 

『ぬっ小癪な……』

 

 生と死。それら相反する二つの矛盾を解き、絶つ為に内側は生。外側は死と設定し、界を結んだ。

 結界は一度界を解かない限り永続的に機能し続ける。だから私がうっかり界を解かない限り、この結果内は安全というわけだ。

 

 そして私は立っている事さえままならなくなり、緑豊かな大地に倒れ込む。

 自分がなにをしたのか分からぬまま、意識は消えていく。

 

 

───────────────────

 

─────────

 

 

 危なかった。かなりだ。この小娘、なんという術を。

 

 大蝦蟇の池を荒らした者を、いつぞやの青い妖精かと思い高を括っていたのが裏目に出たか。

 この小娘の桃色の髪、その髪に添えられている蓮の花。通常の蓮よりかなり小さく、そして異質だ。

 

 こやつ……付喪神か。それも物ではない。花……いやもっと奥底の、なにか異質で恐ろしい物を器として憑いておる……。

 

 多くの魂を看取ってきた我にとって、この小娘の正体を暴くことは簡単だった。

 

 付喪神とは本来器物……容器や物につく霊のような存在で、怨念から渇望……善から悪までの激しく強い願いや思いで付喪神になる物が多い。そして付喪神になる条件は様々である。

 逆に草花や自然そのものに憑く存在を妖精という。それに当てはめるならばこやつは妖精となる。けれど、違うのだ。こやつからは生への執着が感じ取られてしまった。

 

 妖精は元来死に戻りを体現しておる。妖精自体、生そのものだからだ。故に、こやつから死の恐怖と生への執着が感じ取られたのはおかしいことである。

 さらば妖怪の可能性もあるが……魂の拠り所が違う。この小娘の魂の拠り所は、実体ではなくなんらかの器だからだ。

 

 大蝦蟇となった身、こんな経験は初めてだ。

 

 この小娘がやったことは、まさに死を与えること。内と外で生と死を分け、内にいる自分には生の状況を固定。外にいる我らに死の状況を固定させたのだ。

 このままでは危ないと思った我は、簡易的なものだが自分も結界を張り、その死の状況という限定的な条件を閉じ込めたのだ。

 力もまだまだ未熟故に死といっても少し寿命が減ったくらいだが、これが更に力を付けていくと……どうなるか分からない。

 今のうちに葬るのが最もな吉だが、生に守られている小娘には今の我では手が出せぬ。

 

 ここは報告か。

 

 幸いこの大蝦蟇の池の祠に祀られるは名居守の一族。彼ら天人は死を追い返す存在であるので、最悪名居守様らに助力を頼もう。もしこの小娘が怪物にでも、英雄にでも成ったとしても……その危険性は変わらないのだから。

 

(ふぅ……妖の存在が弱まってきた今、こんな異例に出会うとは。妖怪の賢者はどうお考えなさるかのぅ)

 

 そして、大蝦蟇は元いた池に戻っていった。

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