昔々、私が幼い頃。白玉楼に春が乱れ咲く様子を尻目に、お祖父様が言った。
『妖夢……私にはもう時間が無い。幽々子殿を、頼んだぞ……』
そして幼き頃の自分には重たすぎる刀を受け取った。よろける身体を支えてくれるお祖父様は、どこか懐かしそうで。どこか寂しそうな瞳をしていた。
まるで、今まで何度も見てきた死者の諦観のような……。
私はなんだか怖くなって、お祖父様に思いきり抱き着いた。未来の魂魄家幽々子様付きである私は、決して弱味を見せるなと教えられていたけれど。
でも、その日だけはお祖父様は何も言わず、私を抱き締め返してくれた。それがとても嬉しかった。
─────この時から、お祖父様は突如姿を消す。
お祖父様は私に何を望んでいたのだろうか。
私はしっかりと務めを果たせるのだろうか。
いや、もうお祖父様はいない。決断するのだ、私が。
西行寺幽々子様に、『従者』として付くか、『魂魄妖夢』として付くか。
天神剣『三魂七魄』
斬撃の余波から粒状の弾幕を形成し、それを散布。不規則的な軌道を描いた後に弾の速度が遅くなる。しかしその遅い弾幕に油断すれば、すぐさま足を掬われてしまうだろう。
この弾幕の怖い所は、遅くなった弾幕が、次の瞬間突然速度が戻るという点だ。遅い弾幕に目を慣らした相手の意表を突く形となる。初見では対処の難しい弾幕だ。
魔理沙や咲夜さん達は、どんな方法を使ったのか知らないけれど幽明結界を越えて、こうしてやって来てくれた。誰かに助けて欲しい……と望んだのは、自分ではなかったのか?
何故今、私は魔理沙を倒そうとしている?
……何故? 私は誰かに助けて欲しかったのではないのか。まさか主である幽々子様より、魔理沙や咲夜さんの命の方が大切だとでも思っているのか。
いいや何か違う。
私は多分、そう……、嫉妬しているのだ。
従者として行動する私。しかしその行動の行く末には、恐らく主の死が待っている。しかし魔理沙達は? 彼女らは自由だ。きっと主を救うことだって出来るのかもしれない。
悔しい……っ! 貴女達が出来て、何故私は出来ない……っ。何故一歩も踏み出せない……っ!
つくづく嫌になる、臆病な自分。
その自己嫌悪感は弾幕にも如実に表れ、それを心配した魔理沙からの一言で我に帰る。
「おい、妖夢。てめえふざけてんのか?」
言葉からありありと滲み出ている怒り。それは私の弾幕に対して言っているのか、それとも私にだろうか。
「ふ、ふざけてなんか……なぃ……」
「ふざけてるだろ? その顔を見れば明らかだ」
「顔で判断しないでよ」
「顔は口ほどに物を言うってな。他人である私がそう感じたんだから、妖夢がどうであれ、それはふざけてる事になるんだよ」
なんだそれは。なんて理不尽なんだ。
私がどれだけ苦しんでいると思って……。
「あー、妖夢さ。理不尽だーとか、ふざけるなーとか、一瞬でも良いから思っただろ?」
私は何も答える事が出来ない。それを肯定と捉えたのか、魔理沙は話を続けた。
「顔は口ほどに……ってのはな、何も言わない奴ほど胸に突き刺さるんだ」
「…………」
「自分の気持ちを必死に隠して、隠して、隠して、その過程を得て仮初めの人格を形成し、上っ面を並べ立てて、自分の意見を、意思を隠す。そりゃあ突き刺さるわな。だって思ってることと言ってる事が違うんだから」
「隠して何が悪い」
魔理沙は笑みを浮かべながら、まるで子供をあやすように諭してきた。
「隠す事は時に美徳であり、時に罪になる。それと同時、状況を好転させる事もあるし、悪化させる事もある」
「…………」
「だけど、主張しないこととすることは別なんだ。そりゃ場合にもよるが、自分の意思を主張しないことは、ずっと自分に対しての状況の悪化を意味するぜ」
筋さえ通っていない、適当な理論。偽善染みた物言い。それらは私を納得させることは叶わない……筈だった。
別に納得なんてしていない。だが、憤りが湧いてきた。何が主張だ。何が隠すだ。自分の事を分かった振りして、勝手に私に講釈を垂れるな。虫酸が走る。
「嘘吐き!! どうせ言ったって状況の好転なんてしない癖に!!」
いつの間にか、口が勝手に動き出していた。これこそ、まさに私の意見、意思なのかもしれない。だが今はそんな事どうでも良かった。こいつの答えが聞きたい。ほら、意見と意思を言ってやったぞ。どうだ、状況を好転させてみろ!
「妖夢、人間ってのは元から嘘吐きさ。そして私は状況を好転させる事は出来ない。結局、好転させる為には、神じゃなくて自分の力が必要だからだ」
「なによそれ……」
私は唖然とする他なかった。
期待していた。と同時に、どうせコイツじゃ……という嘲りの気持ちもあった。
なんだよ、期待とかそれ以前じゃないか。
何も湧かない。残ったのは空虚感に似た失望だけだ。結局はコイツも口ばかりだったか。
……はぁ、もういい。魔理沙じゃ幽々子様を救えない。期待して損した。思いを断ち切る為に、斬り捨ててやる。
私は二刀の内の片方を鞘に納めた。二刀流は死角を封じ、手数を増やせる利点があるが、一刀両手持ちの威力には敵わぬ。コイツを倒すためには、二刀じゃダメだ。半端に終わってしまう。
私は意を決して最後のスペルカードに手を伸ばし、魔理沙を睨み付ける。
「スペルカード、もう切れたわ。弾幕ごっこなんて、早く終わらせてやる」
「……どうにも失望、って感じだな、そりゃあ」
「失望しないとでも思ったの? お花畑ね」
「残念、桜並木だ」
「良かったじゃない、春が訪れていて。暖かそうよ」
もう止められない、止まらない。決着まで邁進する足。跳ね上がる鼓動がリズムを刻む。
「今まで妖怪を斬って斬って鍛え上げられたこの楼観剣。既に切れぬものなど余り無し」
「豆腐でも斬れねえのか?」
ああ、ムカつく。未だ飄々としているコイツがムカつく。今まで何度も相手をしてきて、『相手』としてすら認めていなかったコイツが、自分の中でかなり躍進したものだ。
木端から、敵へと。斬らぬよう手心を加えていた者が、斬るべき敵へと。
「魔理沙、私は今まで貴女に手加減をしていた」
「おお、そうか。そりゃ悪かったな」
「もう、手加減はしない。せいぜい首だけになって黄泉を彷徨うがいい!」
「妖夢こそ私に負けて、主から従者の首を切られねえようにしろよ?」
魔理沙が変な機械を取り出した。形からして、八卦炉だ。
何度も戦っている内に分かった事がある。彼女がそうやって八卦炉を取り出すときは、大抵マスタースパークの前準備の時だ。彼女が今まで使ったのは、『ファイナルマスタースパーク』と、『マスタースパーク』だけ。しかも前者は虚仮威しときた。
いける。
勝てる。
斬れる。
「さぁーって、最後までしっかりと弾幕ごっこをしようぜ?」
「付き合う気は毛頭ない! 六道剣『一念無量劫』」
「だったらこっちも恋符『マスタースパーク』」
魔理沙の八卦炉から大きな光の奔流が生まれ、まるで暴れ狂う激流のように光が放たれる。
確かあれは二ヶ月前だったか。彼女のマスタースパークに真っ向から反抗した覚えがある。そして打ち負け、避けざるを得ない状況まで追い込まれた。
あの時は二刀で相対していたが、今回はより威力の強い一刀。押し負ける筈もない。
「そのマスタースパークは……斬れるぞ?」
マスタースパークは固形ではない。故に、一度斬ってそれっきり……という訳にはいかないのだ。
斬れば、その空間を埋めるように広がる。完全に斬るためには、斬り続けるしかないのだ。
六道剣『一念無量劫』
自分の周りを八芒星をなぞるように斬り刻み、更に斬った空間から楔弾が放たれるスペルカードだ。
だが今はそんな楔弾なんて関係ない。魔理沙のマスタースパークを斬る。それだけだ。
決意は固い……と、そう感じさせる為に、私はマスタースパークに斬りつける。
感触は重い。魔理沙らしい力強く質量の込められた弾幕だ。だが、私の決意の方が固いのだ。決して心を開かない。
斬る────斬る───斬る──斬る─斬る。
魔理沙の想いを、心を斬り刻んでいく。
弾幕ごっこの意義とは少し反するが、私は断固として自分の意思を曲げたくなかった。半端者が半端でいたら、それはもう中途半端以外の何者でもない。
既に私と魔理沙の距離は数m。斬り刻み、邁進し続けた結果だ。今はマスタースパークで見えないけれど、魔理沙は焦りを感じているだろうか。
絶対的自信の上に成り立つ彼女のマスタースパーク。それが真っ向から破られたら、奴はどんな顔をするのだろうか。
「チィッ、こりゃダメだ」
突如、視界が晴れる。
光で満たされていた眼前は、冥界に広がる春の欠片へと変わった。一片の桜の花びらを境にし、私と魔理沙は睨み会う。
「どう? 弾幕ごっこ、もう終わるみたいだけど」
「確かに」
私は刀を振り上げる。
「これで、終わらせる。斬り伏せて、終わらせてやる」
「なぁ……」
私は刀を優しく握り、脱力の形を取る。
「これこそが、私をバカにした冥罰だ!」
「妖夢は結局何がしたいんだ?」
振り下ろそうとしたその瞬間、魔理沙の一言で私の全てが止まった。
「さっき言ってたよな? 嘘吐き、状況の好転なんてしない癖に……って。妖夢さ、本当は助けて欲しいんじゃないのか?」
「何を言って……」
本当に何を言っている、コイツは。
私が助けて欲しい? そんな訳ない。そんな訳ない。あってはならない。有り得ない!
ふざけんなふざけんな!! 今更そんなことを言うな! 私を期待させるような事を言うな!!
魔理沙が意地の悪い笑みを浮かべる。今すぐにでもコイツの顔を斬って、その顔を恐怖に染めたかった。
普段思わないほどの怒りが、まさに今、私の中で渦巻いている。
「図星か? それとも胸に突き刺さったか? 取り敢えず、出来た隙は有効活用させてもらうぜ」
魔理沙の八卦炉が光始める。その光景で、私は今の状況がどれだけ拙いか理解した。
中途で止まっている腕。これでは刀を巧く振れない。
踏み出しただけの足。これでは更に踏み込めない。
揺れ動く心。動揺だ、冷静じゃない。
「怖い顔だなぁ……。そうだ、今からちょっとしたマジックを見せてやろう。驚くぜ?」
歯軋り。魔理沙は私をどこまでもバカにしてくる。正直、彼女は時間稼ぎをするだけで勝てるのだ。何故なら、私は既に最後のスペルカードを使ってしまっているからだ。
時間は20秒を切る。
勝敗が決するまで残り僅か。状況は絶望的。
こんな奴に負けたくない……!
絶対に勝ってやる……!
妖夢の心の奥底で、熱い何かが湯水の如く湧き出してくる。それは渇望。人間ならば必ず持つであろう、闘争間での生へと紡ぐ本能。
以前の魔理沙に圧倒していた妖夢ならば、思う筈も無かったであろう。
しかし、心の動揺。
追い詰められた際の心理。
魔理沙への苛立ちが重なり、半人半霊である妖夢の人間部分……その奥の奥。勝ちたいという勝利への欲求が爆発した。
「見せてやるぜ、恋符『ダブルスパーク』」
魔理沙の八卦炉が光り始める。それは希望の光となるか、絶望の光となるか。
超極限集中状態。いわゆるゾーンというものに、妖夢は入っていた。
彼女の体感する時間は圧縮され、思考は急速に加速を始める。酔いしれる絶対的な自信が、どのような原理かは知らないが妖夢を包んでいた。
魔理沙が光を放とうとする瞬間、妖夢には思い当たりがあった。
もし……八卦炉を斬ったらどうなるか。
魔理沙のマスタースパークは、主に八卦炉から放たれる。その理由としては魔力削減や魔力制御が関わってくるが、今までの戦いで魔理沙がマスタースパークを撃つときは必ずや八卦炉から放っていた。
他の魔法は魔方陣を描くか召喚しているのにも関わらず……だ。
ということは逆に考えると、八卦炉を取り出した時はマスタースパークしか撃たないということではないだろうか?
一考の価値はあった。次は実践だ。まず私にとって後戻りの道は既に途絶えている。眼前に垂らされた救いの糸。そこでその糸を疑っててどうする。
乗るしかないんだ。登るしかないんだ。今の私にはまたとないチャンス。掴め、離すな、引き寄せろ。
賭けるんだ…………ッッ!!!
妖夢の唇に血が垂れた。それは鼻から垂れた物。興奮からくる物か、はたまたギャンブルへの快感か。
だが方針は決まったとしても、妖夢の今の状況は変わらない。もう一度楼観剣を振ることは出来ない。振り上げるまでのロスタイムこそが、今の私を突き刺すナイフとなるからだ。
ならばどうするか。簡単だ。
“刀から手を離せば良い”。
空中へ置いてきぼりになる楼観剣。その光景を見て、一瞬だけ魔理沙に動揺が見られた。
私は、その動揺を見れただけでも嬉しいよ。
そのまま離した手を腰に当て、鞘に納めていたもう一つの刀、白楼剣を逆袈裟の形で振り上げた。
弾幕と関係ない……なんて言葉は通らない。弾幕ごっこには審判もいないし、ルールを破った際のペナルティも無い。結局は妖は楽しいから興じるだけだし、元々は無力な人間が圧倒的格上である妖との差を埋める為に創られたもの。そこに明確なルールは有れど、破るかどうかは両者間に委ねられる。
楼観剣よりかなり短い白楼剣。短刀に分類されるそれは、有り余るリーチを抑え、丁度魔理沙の持つ八卦炉を吹き飛ばした。
……斬れなかった。八卦炉がどんな材質かは知らないが、最低でも緋緋色金ほどはあるだろう。
しかし、吹き飛ばした。
マスタースパークを無効化したのだ。
ダブルスパークがどんな技かは知らないが、八卦炉さえ無かったらそれはどんな効力も持たない。
時間は残り10秒。しかし10秒もあれば、数十合は斬り伏せられる。
勝った。魔理沙……私の勝ちだ!
「……油断って一番の敵だと思うぜ」
「ふん、何とでも言え」
「そうかい」
その時、魔理沙の帽子から何かがズリ落ちる。そのズリ落ちた物体を魔理沙はキャッチし、こちらに向けた。
「なっ…………!?」
息が、身体が硬直した。
その一瞬の隙が、ナイフとなってまさに私を刺し殺した。
魔理沙がこちらに向けた物。
それは紛れもなく八卦炉だった。
「ダブルスパーク。へへ、八卦炉は二つ有ったんだぜ? 霖乃助へ送った素材。それを全額注ぎ込んだ威力を思い知りやがれ」
躱せない。
避けれない。
見切れない。
頭に警報が鳴り響くも、その事態を好転させる手段は私には残っていなかった。
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半霊使えば良かったなぁ……って。そんな今更な思いは、冥界の空に溶けていく。
私は負けた。最後の最後に、魔理沙のダブルスパークによって被弾したのだ。吹き飛ばしたと思ったら、もう一つスペアがあった。うん、確かに端から見れば、それはマジックのように見えるだろう。
大の字に倒れた私の瞳には、もう何も映っていない。
『従者』か、『魂魄妖夢』か。
『主に反し、主を救うか』
『主に服し、主を殺すか』
私はどっちだったのだろう。
ハハ……。
負けたんだし、私にはどうする事も……。
「ここは梅雨か?」
突然襟元を掴まれ、引き寄せられる。脱力感に苛まれていた私には、その力に抵抗する力なんて無く。むざむざと相手の力に屈した。
引き寄せられた先には、黄金を表すような金髪が。いや、これ、魔理沙の髪か。邪魔なんだけど。
自ら髪を退かすと、魔理沙の表情が見えた。
どこか憎らしげで、どこか勝ち誇ったような顔。
けれど、どこか不思議な魅力がある。
少女特有の幼さと、成長半ばの稀有な凛々しさが混じっているせいだろうか。
私がその顔に見とれていると、魔理沙が思いきり引っ張って、私を無理矢理立たせる。
「行くぞ」
「えっどこへ?」
素朴な疑問だった。何故かそれを聞いた魔理沙は、少しだけ困ったような表情をしていたが。
「行くんだよ、お前の主の所へ。居るんだろ、この階段の向こうに。私の当初の目的は妖夢を倒すことじゃなくて、冥界の主をぶん殴る事だからな」
「あっ……」
苦情も言えず、拒否も出来ず。私は半ば強制で魔理沙に引き摺られていった。
……中途半端な私には、自分か従者かなんて決めれない。答えを出せぬほど、私は弱いし幼いのだ。
けれど、共通している所が一つだけある。
それは……。
私は幽々子様を慕い、ここに居るという事だ。
────桜が舞う白玉楼。
まるで舞踏会のように、蝶と銀狼と神が踊っている。
誰かが言った。美とは彼女らの為にあるのだと。
美を尽くす冥界の姫。舞う姿は蝶のよう。
忠を尽くす銀の従者。それはまるで狼のよう。
我を尽くす蓮の華。その神々しさはまさに神のよう。
命を賭けて。
春を懸けて。
友を賭けて。
彼女達は闘争には最も不釣合な舞を踊っているのだ。
そこに、観客が“三人”加わる。
妖夢と魔理沙は気付かなかった。
冥界の入口。幻想郷の至る所から幽明結界へ。
幽明結界を越えて、漏れ出てくる霧状の存在が、白玉楼に向かっていたことに。