『お嬢様、今日も今日とて良い魂日和ですな』
『ええ、そうね。こんな日に死ねば、私の魂も天に昇り、綺麗さっぱり浄化してくれそう』
『お嬢様……』
『妖忌、貴方は私の従者でしょう? しっかりと務めを果たしなさい』
『…………御意』
────西行邸に一人の姫と、一人の従者がいました。
姫は、それはそれは美麗で可憐な容姿をしていたと言われております。
そんな彼女には、悪い噂が常に付きまとっていました。それはまるで仙人を狙う死神のように。
その悪い噂の一つに、彼女には死霊を操る異能があるという。
ああ、不気味。不気味だ。人々はそう囁いた。
死霊なんて縁起が悪い。転じれば悪に。転じれば天に服し輪廻転生を果たす。
死霊なんてもの、操れる奴は人間では無い。
きっと物怪、妖ぞ。
殺せ、殺せ!
殺せ、殺せ!
殺せ、殺せ!
殺せ、殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
人々は姫を蔑み、見下し、嫌悪致しました。死霊に纏わりつかれる少女を、好き好んで好意的な干渉するような酔狂、人々には存在致しませんでした。
“人々には”。
外を一歩でも出れば、石を投げられ、罵倒を掛けられ、裏で陰口を言われる日々。半人半霊の従者以外で、彼女に関わる人物はいませんでした。従者も、自分の事を半人半霊だと隠す所詮爪弾き者で。
しかし、少女は寂しくありませんでした。
何故なら、彼女には大切な親友が三人もいたからです。
親友達は姫を多くの場所に連れていき、悪戯をし、時には苛めっ子を成敗したこともありました。
姫が言うに、その時の自分はまるで至福の時を生きる天上人のようだ……とのこと。
それもまさに事実。従者も、そんな姫を見て頬を緩めておりました。
時は過ぎ。経験を経て。そう、最期。彼女の運命を変える場面がやって来たのです。
生物として、母が子を。子が母を愛する事は、太古から刻まれた遺伝子による、当然の感情であり行為であります。故に、両者間で零から無まで一つも愛せぬのならば、それは生物ではないのでしょう。
零────生の始まり。
無────生の終わりであります。
赤子を愛す者もいるでしょう。
幼児を愛す者もいるでしょう。
小児を愛す者もいるでしょう。
同年を愛す者もいるでしょう。
熟年を愛す者もいるでしょう。
人を愛す者もいるでしょう。
それで良いのです。愛すという行為は、生物として当然の行為であり感情なのですから。
愛を受けずして育つ子もおります。では愛されなかった分だけ他を愛しましょう。
愛しましょう。
愛しましょう。
戯れ言ではありません。
世は思うより残酷で厳しく。
人は思うより悩み、苦しみ、強く、温かいのです。
もしそれを享受出来ぬのならば。
それは罪であり。
咎であり。
狂であるのでしょう。
いいえ、責めているのではありません。
穢れに満ちた大地。状況も、環境も、場合もあるでしょう。しかし愛す事を止めてはいけません。
裏切られても。殺されそうになっても。決別しても。
愛す事を止めてはいけません。なりません。
さて、話を戻しましょうか。
姫の人生を変える場面。それは愛無き故に起こった悲劇でした。
西行邸。姫の能力によって、そこは老若男女問わず罵声を浴びせかけられる場所でした。
西行桜が咲く、とても趣深い庭園。そこには大きな桜が植えられております。曰く、春が来るごとに命を奪う化け物桜。その理由も全て、姫の能力の性にされて来ました。
彼ら彼女らは気づきません。その桜に溜め込まれた怨念を、狂い染みた穢れを。
なんと愚かな事なのでしょう。人は興味を、好奇心を持つ生物であり、それらは留まる所を知りません。夜な夜なその噂の真意を確かめようと、従者の目を掻い潜り忍び込む輩もいます。
もし忍び込んだ者が雄であれば。姫の美しい身体に飛びつくでしょう。
もし忍び込んだ者が雌であれば。姫の持つ財貨に目を付けるでしょう。
しかしどれもこれも、次の日に見つかるのです。
────死体となって。
西行邸の系譜は名だたる人物も多く在りました。
しかし、そのどれもこれもが西行邸に咲く桜の下で亡くなったのです。
姫はその事に耐える事が出来ました。何故なら親友が支えてくれていたから。辛いときも、悲しい時も、側に居てくれたから。
姫“は”耐える事が出来ました。
そう、これは姫が自尽なさる日の一週間前。姫の母君が、姫に向かって刃を抜いたのです。
愛する我が子に向けられる最期の言葉は、なんとも醜く穢らわしい物でした。
姫も抵抗致します。どれだけ人生が、能力が辛くても良い。親友と共に天寿を全うするために……と。
もし母君が刃を抜かず。姫が天寿を全うしたならば。
紫は妖を愛さず。
幻を愛さず。現を愛さずにいたでしょう。
ちょっとした運命の綻び。断崖絶壁の崖の、小石が落ちるようなもの。
結局、母君は駆けつけた従者の当て身で大人しくなります。もしここで終わっていたならば。母君が狂人と言われるだけで済みました。そう、物語はここで終わらなかったのです。
従者も、姫も目を見開きました。
西行の庭園に植えられている西行桜から、一片の花びらが落ちたのです。咲いたようには見えない。けれど、それは花びらでした。
ええ、そう。その花びらが地に落ちたその瞬間、母君が苦しみ始め、そして息を引き取ったのです。
姫にとって始めての恐怖でした。その日は従者の手によってすぐさま寝床に入られますが、姫は一睡も出来ませんでした。
死の間際の顔。近親の死。桜への恐怖。
色んなものが混ざっていたのだと思います。
そして恐怖は現実へと変わり、現実は混迷へと変わり。その際の精神の不均衡のせいか、姫の能力が変質なさったのです。
『死霊を操る程度の能力』から。
『死を操る程度の能力』へと。
そこから先は、なんとも惨めなものでした。
唯一残った従者に別れと使命を告げ。
数少ない親友に、生への懇望の念と寂しさを説き。
支えてくれた親友に、花見の楽しさを説き。
酒が好きな親友と、酒を飲み交わし。
そして、死を手繰る西行桜の下で。
──────自尽なさったのです。
ええ、その時の桜を、私は見ることが出来ませんでしたが。親友は、従者である妖忌は見れたと言います。
美しかったのでしょうね。
私の命を糧にした西行妖は。
封印は解けかかり、生者である私と、死者である西行寺幽々子の意識は混濁し始めております。
もし解ければ、全てが終わるでしょう。
もし解けなければ、彼女は再度迷い続けるでしょう。
最適解など無いのです。
もし願わくば、もう一度貴女達と並びたい。横並びに、すぅーっと並んで、星を見ながら、人を見ながら、桜を見ながら、酒を飲み交わしたい。
叶わないのです。もう、分かっております。
ただの愚か者が望んだ戯言と捉えて下さって構いません。
しかし西行寺幽々子は望んでいる。私が生きている内で唯一叶わなかった、桜の下での花見を。
……生者と死者の違いってなんなんでしょうね。
あーあ、何だかよく分かんなくなっちゃった。
西行妖の底に眠る私。
親友である────紫、蓮華、萃香。
愚か者の願いを聞き、自らも命を糧にした魂魄妖忌。
愚か者の些細な願いを邪魔しに来る、侵入者達。
次世代の子らよ。
地に埋まる生者の頼みをどうか聞いてください。
愚か者に天誅を。貴女の世に、どうか幸あれ。