咲夜さんは多分だけど、時を止めて春を取り戻そうとしたのだろう。しかし、彼女の能力の毒牙に掛かった。
まだ事切れてはいないようで、呼吸もしている。だがかなり浅い。
「ねぇ幽々子……幽々子は何がしたいの?」
「混迷へ、混迷へ、その従者もどこかの巫女のように、迷い子へ成ったわ」
「幽々子……ねぇ、違うでしょ? そんな事、こんな残酷な事、幽々子はしない筈……」
「貴女は自分の視界に映る物を偽だと疑うのかしら?」
ああ、くそ。くそ。くそ。なんだよ、おい。なにやってんだよ幽々子。その能力がどんな能力かは知らないけどさ、人を死に足らしめる危険な代物なんだろ?
なんで、そんな平気な顔で居られるの……?
幽々子にはもう罪悪感なんて無いって言うの?
「さぁ私の親友。さっきは邪魔が入っちゃったけど、今度こそ貴女と一対一の弾幕ごっこを始めましょう。大丈夫、大丈夫。貴女は殺さないわ。だって、一緒に桜を見るんですもの。満開に咲いた西行妖を」
倫理の箍が外れている。
「ふふ、怯えた顔をしないで。ただの友達同士の戯れよ。怯えるんじゃなくて、笑顔を見せてほしいわ」
現実が見えていない。
「そう、そうよ。その顔よ。怯えを無くしたわね。やっぱり貴女は蓮華にそっくり。いえ、蓮華本人よね?」
端的に言うと、狂っている。
「ふざけんな」
「あら、以前の貴女と比べられるのは嫌? ふふ、貴女も案外可愛い所が──────」
「ふざけんなって言ってるんだよ幽々子! さっさと咲夜さんと博麗の巫女を戻せ!!」
怒りだ。無辺に沸き出る怒り。私は怒っている。
こいつは……こいつは。
「怒っちゃったの? ほらほら、後で貴女の好きな甘味を用意するから、機嫌を治して?」
幽々子はあくまで私を親友のように、今から遊ぼうとする関係のように接する。そこには罪悪感など一切無く、純粋な期待と享楽へ至る羨望だけ。
……いや、そうか、分かった。分かったよ。幽々子はここまでして、思い出に浸っているんだ。過去に縛られ、過去に未来を閉ざされているんだ。
だって、幽々子が話しているのは、見ているのは。私じゃなくて、前の蓮華なんだもの。
「じゃあ行くわよ。亡郷『亡我郷 -自尽-』」
「待った」
「あら、どうしたの?」
……もう彼女と弾幕ごっこをするつもりはない。
言葉遊びも、ふざけあいも。
するつもりはない。
「幽々子……貴女がやったことは、もうごっこ遊びの範疇じゃないよ」
「へぇ、それで?」
「あんたを……元友達を止めさせてもらう。能力でもなんでも使うと良い。私は絶対に死んだりしない」
「反抗期……かしら?」
界を結んだ───。所詮ただの障壁型結界だ。咲夜を隔離し、白玉楼を囲むように張り巡らせる。
誰にも入らせない。邪魔させない。そんな私の意思を結界に乗せて、外の全てを遮断した。
幽々子はまだ理解していない。いや、命を賭けるという行為に無頓着なんだ。だって、亡霊だもの。
そこが隙となる。最初の最初。初っ端で全力。一気に目を覚まさせてやる。妄想から現実へと。
私の結界は障壁型結界を除き、その使い方が厄介だ。
何故ならば、内と外で効果が相反するからだ。しかも、結界内の効果は絶対だけど、外には絶対の効果は得られない。しかも、結界内に生物がいるとその分の力を消費してしまう。これまで通り、『固定と動作の結界』を使って幽々子の動きを止めるなんて到底出来ない。
今思うと、幽々子は強いなぁ。亡霊で、能力持ちなんて反則だよ。
私なんて……あれ、そう言えば意外と私も生き残ってるな。片腕失っちゃったけど。
そんな風にもたもたしていると、それを見かねた幽々子が口を開く。
「……来ないのね、蓮華。貴女は優しいわ。いつだってその甘さに足を取られて転んでも、何度も立ち上がってきたのですから」
彼女は自分の事のように悦び、身体全身でその感情を表現した。両手を大きく広げ、その指先からは綺麗な桃色の蝶が放たれる。
というか完全に思考に没頭してて、幽々子の隙を突くとかそういう次元じゃ無くなってしまった。
完全な自業自得。画期的な作戦を一つ潰してしまった。
そしてそんな私の心の乱れを読み取るかのように、幽々子はその能力を使った。
「ねぇ、蓮華。“今の”貴女は『死』を体験したこと、あるのかしら?」
「──────は?」
途端、空気が無くなった────と錯覚するように、息が吸えなくなる。これは窒息死か……?
幽々子の奴、本気で殺しにきた。私は条件反射で首を押さえ、空気を吸い込もうとするが、パクパクと口が動くだけ。私には空気を出す事しか許されていないのだ。
「かっ…………はっ、……はっ……ぅい……」
これは不味い。時間にして20秒。多分これが私に残された時間。
まだ思考は働いている。大丈夫だ、能力も健在。
幽々子、そっちが『死』なら……こっちは『生』だ。
───『生と死の結界』
内が生で、外が死。
これで窒息死という状況は回避され、私は思いきり息が吸えるようになる───筈だった。
「けふぁっ! ……あっ……ぐぎ……」
息が吸えない……! ヤバい、拙い。これは不味い。なんで、なんで息が吸えないの?
いや、そうか。私の結界は内側の生を固定。いわゆる故意で死なない状況が必ず訪れるだけで、窒息という状況は治らない。むしろ死にはしない分、昏睡昏倒まで行く可能性の方が高い。
「ぐぇぁ……ぃ……はぁ……ひっ……ぎぃ……」
ああヤバイ。意識が飛ぶ。
「くぇぁ…………ひ……………」
考える事を止めるな。それこそ、思考に必要な酸素を使ったとしても。
止まるな。止まってはいけない。止まるんじゃねぇぞ……。
もがき、手足をバタバタさせて窒息の苦しみから逃れようとするが、やがてそれも緩慢になってくる。
とうとう私の身体が悲鳴を上げ、活動限界に達したのだ。
くそ…………。流石にこれ以上は無理か……。
う……うぅ……。考え…………ろ…………。
………わた………しなら………出来る。
…………結界を………………張れぇ……………っ!
───『常と止の結界』
内が止。外が常。
「ぜはぁーーひぃ、ひぃ……」
「流石ね。どうやったかは知らないけれど、私の能力を防いだのね」
「ぜひゅぅーー……。ぜひゅぅーー……。ひぃひぃ。
幽々子、あんた、私を殺そうとしたの?」
息絶え絶えの風体で、思っていた疑問を口に出した。彼女は私を友達と言った。けれどやったことはこんなこと。所詮人殺し未遂。人じゃないけど。
どこかおかしいのだ、今の彼女は。まるでなんというか、実態が掴めないと言うか、彼女を操っているなにかが彼女を侵食しているような。
それを確かめる為に私は幽々子に問うた。
ついでに確かめたい事も、もう一つ有った。まぁ幽々子がどんな能力を使うかって事だけど。
「うん? そんなわけ無いわよ。死ぬ前に止めるつもりだったもの」
「……幽々子の能力って、まさか生死でも操れるのかな?」
「亡霊が生死を操るなんて、領分を弁えていない。ふふ、面白い冗談ね」
言葉を躱された。けれど意図して躱したのであれば、能力は私が言った言葉に近いって感じだろう。おそらくは。しかし少しだけ情報が出来た分こちらの方が有利だ。幽々子は私の能力を知らない筈。さっきの発言でも、それは見てとれる。
そして私が創った結界『常と止の結界』は、能力を阻害し、また能力を継続させる力を持つ。
内は止の効果を持っているので、現在私に掛かるあらゆる能力を無効化しているのだ。しかしそれは私も一緒。内部にいる私も、能力を発現させる事は出来ない。
この結界を出れば、また始まる。
死を体験するのだ。
「幽々子、私は絶対貴女の元へ行って目を覚まさせる」
「うふふ、蓮華にはこの状況が夢や幻にでも見えるのかしら?」
「見えるね。幽々子が悪夢に侵されているこの状況が」
「貴女こそ、私が悪夢に侵されている夢を見ているとしたら?」
「悪夢も、夢も、見ている人は気付けないし、気付かない。起きたらすぐに、朧となる」
「じゃあ私と貴女が目覚めたのならば、朧になるの?」
「さぁ? 一回確かめてみようよ♪」
ああ、怖いなぁ。怖いよぉ。いつだって目の前に死が広がっていると、足がすくむね。古来から英雄ってのはこの一歩を。死線を踏み越えた奴の事を言うのだろうね。私は踏み越えたくなかったなぁ。踏み越えたくないなぁ。
結局英雄じゃなくって良いんだよね。今の人生が楽しかったらさ。名誉、名声が欲しいってのは分かるけど、実際人間は怠ける生き物であり妥協する生き物なんだ。
いつか越えられない壁にぶつかるし、才能を羨み挫折する者だっているのさ。簡単に壁を越える奴────そう、英雄みたいな奴は、それらの人間の想いを背負わねばならない。そんなの、面倒じゃん?
でも越えねばならないんだ。英雄じゃなくても良い。勇気とか、讃えられなくても良い。でも越えなくちゃならない。
しかし決意と行動は違う。どれだけ覚悟を抱いたとしても、行動に繋がるとは限らない。
そう、私は死線を踏み越えれずにいた。
口だけと罵ってくれても構わない。というか、罵って欲しい。罵詈雑言を投げ掛けられれば、反発心で越えれるかもしれないからだ。
人だったら死を。妖怪だったら、自己の否定を。その二つの終着点は、無だ。
結論はさ、生物は無に消える事を怖がっているんだ。
そして人生に絶望でもしていない限り、無に自ら飛び込む事なんて無理だろ。私だって無理だ。多分そんな事が出来る人は、どこか狂ってるんだろうね。生物としての根幹を否定してるんだから。
時間が経過する。長い、永い時間が。
目の前の死に足が動かない。飛び込めない。
もう嫌だ。あんな怖い思いをするのは。
もう嫌だ。苦しみたくない。死にたくない。
「けふっ、けふっ、ケハァッ! ヒューー、ヒューー」
咳─────というよりは、嘔吐のような音が聞こえた。音の方向に顔を向けると、発信源は幽々子のようだ。幽々子は口元を手で押さえ、咳き込んでいる。
そして、私は見たんだ。
“幽々子の手から滴り落ちる、赤い蝶を”。
いや、それは蝶なんて綺麗な物じゃない。
夥しいほどの赤黒い血。石垣の隙間から漏れる泉のように、滾々と幽々子の口から溢れ出てくる。
パリンっと。
何処かが割れた。
それは外部ではない。内部だ。
幽々子の様子を見たショックか、突然の事態によるパニックか。考えられる理由ならば多々あった。しかし結果は変わらない。確かに割れたのだ。
私の中に眠る、“記憶の結界”が。
───『死を操る程度の能力』───
その能力の危険性と、起こりうる事態。
そして、西行妖────。
幽々子…………。
友達、かぁ……。
目を瞑る。
記憶を思い出したと言っても、それは幽々子の持つ能力と、それに準じる情報だけ。彼女との思い出も、彼女の素顔も、何も思い出せない。
けど。
幽々子が、私と友達だったって事はなんとなく分かったよ……。
私は目を開け、死線を踏み越えた。
────西行妖の下に、幽々子が眠っているなんて知らなかった。
そしてその結界を、誰が施したのかも。
以前の蓮華と友達だった幽々子。
今度は今の私と、友達になってくれないか?
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白玉楼を囲む結界の外。巻き込まれないように、と放り出された咲夜の指が、ぴくりと動いた。