「霊夢、おい霊夢! 春だぜ! 桜だぜ!」
グイグイと巫女服を引っ張ってくるその親友に、霊夢は溜め息を禁じ得ない。
「はいはい魔理沙。桜は逃げないわよ」
「つい最近まで逃げてたっつーの!」
「……? まぁ、良いわ。私も暖かい陽気は好きだもの」
幻想郷に春が訪れていた。
それは、妖からすればただの変化であり。
人からすれば新たなる一年の始まりでもある。
遅くはあれど桃色を照らした桜は、その身を揺らして春を告げる。数日前に春乞いとして叩きのめされたレティのお蔭かもしれない。
今回の異変。春雪異変と名付けられた異変は、人里の一部の者を除いて自然的に解決された特異な異変としてその記憶に刻まれた。
冥界での小競り合いも、春を巡った争いも、全てが幻想へと帰したのだ。
これに乗じて、春を告げる妖精もここぞとばかりに活発になった。冬が続くことにより、今まで身体を縮こまらせていた反動だろうか。
そんな平和が訪れた時、この頃珍しい人物を見た……と。人里で噂になっている存在がいた。
彼女が有名になっているのは、その可愛らしい容姿のせいでもあるのだが、最もは身体に刻まれた痛々しい傷の数々だろう。
ラフな格好をしているが故に、左腕の袖が風に揺れている事がハッキリと分かる。
髪型も切り揃えられているが故に、右目へと填められた、特殊なデザインを模す眼帯が目立つ。
彼女の溢れだす人外の気配に、人々は物怪の類いだと確信をしていた……が、如何せん証拠がない。
どれだけの書物を調べられようと、彼女に対しての文献は見つからない。
蓮華……と呼ばれる、幻想郷の賢者にして、創設者である人物と酷似している点から、彼女の娘かその関係者ではないかと、現在ではその噂で持ちきりである。
その噂が……どこかで特ダネを探す文屋の耳に入るのは、また別のお話。
人々は噂好きであった。それはどこの世でも同じであり、通信を常とする人間の当然なる行いで権利でもあった。そんな噂の中には、こんな物まである。
神と妖と鬼と亡霊が集まる宴会場が何処かにある……。
なんて、誰が発したのか分からぬ眉唾物。しかし噂の本質とは、偶像や妄想の産物が人と人の通信によって具現化するものであり、それは妖怪や神の起源にも繋がる。
そして当然、その噂も人と人との間で伝わり具現化された。
冥界、白玉楼庭園。その縁側で腰を下ろす四人の存在と、忙しなく動き回る一人の従者の姿があった。
無論、知っての通り四人とは蓮華、紫、萃香、幽々子であり、従者とは魂魄妖夢の事である。
蓮華が人里で買ってきた団子や菓子を頬張りながら、萃香の調達した甘酒を啜る。それだけ見れば、ただ友人同士で茶を啜る和やかな雰囲気であり、どこにでもある一風景に他ならなかった。
実際は少し違う。幽々子と紫は罰の悪そうに。萃香はそっぽを向いて酒を喰らっている。普段通りなのは蓮華だけだ。
このような雰囲気になったのも、如かず一週間前まで幻想郷を襲っていた永き冬を起こした張本人と、それに関係のある人物、そして異変を解決しようと動いた人物に分かれるからであろう。
萃香に関しては、命の危険まで覚悟したのに肩透かしを食らったのでご立腹しているという、なんとも純粋で鬼らしい理由であったが。
「ねぇ、幽々子、そこの菓子、取ってくれない?」
「え、ええ、良いわよそれくらい」
紫が自分の菓子が無くなっている事を確認した後、最も多く菓子を持っている幽々子に分けてもらおうと声を掛ける。両方ともぎこちなく、少し遠慮をしているようだった。
「あ、甘酒無くなった。萃香お代わり」
「……ん」
蓮華も機嫌はいつも通りとは言え、その雰囲気に当てられてか、口数が少なくなっている。
頑張っているのは妖夢だけだ。
当の妖夢は、幽々子の意向でせめてもの花見にと、余った春をかき集めて白玉楼にばら蒔いている。その姿はどこか、御伽噺の花咲爺のようであった。
「……紫、怒ってる?」
恐る恐る幽々子が口を開いた。その様子は、友達というよりは悪いことをして罰の悪い子供のようだ。かなり前にも己の従者が魔理沙に向けてこのような様子をしていた事は、幽々子は知らない。知らず知らず、主従は似るのである。
「……怒ってないわ。何事にもならなかったですもの。蓮華には感謝しきれないけど」
視線を蓮華へと向ける紫。自分の元友人が菓子を口一杯に頬張り、見事な頬袋を携えているのを見ると、どことなく吹き出してしまう。
突然自分の顔を見て笑った紫に、なにか失礼な視線を感じ取ったのか、蓮華が菓子を頬張りながら文句を言った。
「ぐぐむ、むもぐぐぐもむ、むももむもー!」
「アハハハハハハ、蓮華ったら、まるでコブ取り爺さんみたいね。妖夢と相まって、ここは御伽噺の世界かしら」
止まらぬ笑い声。それに釣られて幽々子も静かに笑みを溢した。
その笑い声が気になったのか、萃香が向き直る。そして次の瞬間大爆笑をするのだ。向き直った瞬間、眼前に映し出される蓮華の崩れた顔。
不細工と言っているのではない。その余りにも場に合っていなかった、馬鹿馬鹿しい顔の解れに萃香も釣られたのだ。
「く、ククククク、なんだい蓮華、その顔は。まるで猿だね。猿カニ合戦の猿みたいに弛みきっているじゃないか。紫の言うことは本当だったみたいだ。確かにここは、御伽噺の世界だね」
「むむむむむ、紫、萃香、めちゃくちゃ爆笑してるじゃんか! しかも幽々子まで笑ってるし!? くっそー、この美人どもめ、更に笑わせてやるわ!!」
蓮華が更に顔の筋肉を弛め、横に大きく引っ張った。蓮華の行う変顔によりその可愛らしい顔は鳴りを潜め、より笑いを引き起こすような、潰れたヒラメのような形相へと変貌する。
「ふっ、ふふふあははははは! 蓮華、やめなさいって。それ以上は無理無理!」
「ふっふーん。まだまだバリエーションはあるんだよ! ハイ、次ー」
次に蓮華は顔を両手で押し潰す。先程のヒラメとは違った、潰れたフグのような顔。萃香と紫は変わり続ける蓮華の顔面のギャップに笑い転げた。
「アーッハッハッハ、蓮華ぇ、それ、一種の天才だよ! 変顔の天才」
「全然嬉しくないんですけど!?」
いつか忘れた理想郷。忘却と化した桃源郷は、数百の時を経て、この冥界に作り出されていた。しかも────同じ人物の手によって。
「蓮華」
二人が笑い狂っているなか、幽々子が静かに蓮華へ声を掛ける。
「ん? なんだい幽々子。笑わせて欲しいの? 私の変顔バリエーションは後百四つあるよ」
「確かにそれは少し気になるけれど……話は少しだけ違うわ」
「んー、友達になろうって?」
「ふふ、蓮華にはお見通しね」
マジで!? という興奮は蓮華の心の中で嵐のように巻き起こっていた。表情には出してはいないが。
「私達、友達じゃないなーって、今思い出したのよ。邂逅は初では無いけれど、貴女との〝思い出〟は一つも無いしね」
「……うん、そうだね。なろうよ、友達。これからその思い出を私と創っていこう」
「ええ、宜しく。私の友達」
いざ言われると心が痛んだ。忘れ去られるという行為は、これほどまでに辛いんだとまだまだ幼い頭で考える。この辛さを味わいたくなかったから、二代目は逃げたのだろうか。
いや、それはもう分からない。〝思い出〟は西行妖と共に封印され、これから先思い出される事は無いのだから。
それに私は進むって決めたんだ。何を犠牲にしても、何を壊しても。友の為に生きていくと、二代目に誓ったんだ。
蓮華が決意を露にしている中、笑い終えてひーひーと息を整えている紫が、とある事に気づいた。
それはありふれた事。誰しもがあり得る事。
「幽々子、頬に菓子の破片が付いているわ。動かないで、すぐに取ってあげる」
その声に、さっきまで感じ取れた堅苦しさはもう無い。どうはともあれ、蓮華の変顔祭により、どこか空気が緩和されたのだ。幽々子もそれを感じ取ってか、大人しく紫に従う。
「はい、取れたわよ」
「ん……『ありがとう』、紫」
「いいえ、どういたしまして」
紫がふふんと鼻を鳴らす。
その姿はいつもの友人の姿。その姿がどうしても、幽々子には輝いて見えた。どんな宝石が有っても、どんな宝が有っても、今の幽々子には霞んで見えるだろう。それほどまでに、今の関係は光を放っている。
稀有。故に人は目指す。求める。
「―花見れば そのいはれとは なけれども
心のうちぞ 苦しかりける―」
「あら、歌かしら」
「ええ、少しだけ昔の歌を詠んでみたの……。でも今の私には響かなかったわ。だって、貴女達がいるもの」
西行法師は詠んだ。桜の花を見ると、訳もなく胸の奥が苦しくなるものだ―――――との想いを込めて。
しかし今の幽々子には必要もない歌だ。
萃香はそんな三人を見て、空に言葉を漏らした。
「……妖忌やい。あんたの主は、幸せそうだよ」
その言葉は大気に溶けるように消えていき、空へと消えた。
ここまで見てくださり、ありがとうございます。
付喪録はまだまだ続きますが、春の章は次の話で終わりです。
あと、それぞれのメモリーのタイトルを変更。
前書きにそれぞれのメモリーのコンセプトを記載しました。別に見なくても問題はありませんが、一応報告を。