東方付喪録   作:もち羊

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真実。


萃香の記憶

 己の激しい動悸が聞こえた。

 

 こんなに走ったのは何年ぶりだろうか。

 

「ふふ……何とも愚かしい事よ。老体である身、更に寿命を縮めようなどと……」

 

 刀を持たぬその老人は、白玉楼の元庭師。呼ばれる名は魂魄妖忌。

 彼は幽々子の命を妖夢に託し、人知れず死ぬために遠くへと足を動かしていた。

 

 彼ほどの実力者が走っているのはどのような理由か。

 

 至極簡単だ。

 

 追われているのだ。

 

「ふぅっ……ふぅっ……、振りきれぬかッッ」

 

 闇夜に満たされた魔法の森を、妖忌は必死に掛けていく。敵は闇だ。今なお月明かりさえも閉じ込める、闇そのものだ。

 

「アッハハー! おじさん、そんなに私と鬼ごっこがしたいのかなー?」

 

「残念至極、余興や遊びは孫と主以外はお断りでな」

 

「そうなのかー。じゃあ、いただきまぁす♪」

 

 闇が加速を始めた。今までの速度は遊びだったとでも言うのか。それはみるみる内に距離を詰めていく。

 

「ぐぅ……ふぅっ…ふぅっ……」

 

 歯を食い縛り、黒き木々を右に左へと躱していく。その度に、腕が、脚が、腰が、頭が軋む。

 死に体に運動での酷使とは世も末だと、どこか他人事のように妖忌は思った。

 

「ちょっと~、動き回らないでよ~。落ち着いて食べれないじゃない」

 

「生憎私は半人半霊。味も通常の人間より半分劣るぞ」

 

「じゃあ初めて食べる霊の味も、半分楽しめるって事じゃない。一度食べて二度美味しいわね」

 

「君は食を愛しているようだ。参ったな……」

 

 妖忌は自嘲気味に嗤った。

 現在この闇の妖怪を追い払う手段を、妖忌は持ち得ていない。説得の手段を試みても、彼女には通用しないだろう。このまま走っていてもいつかジリ貧になるのは明白だ。妖忌は諦めたかのように足を止めた。

 

「…………ふぅ。年貢の納め時……か」

 

 修羅を極めた。剣を極めた。精神を極めた。

 

 歳は数千を生き、時を斬る。本来半人半霊の寿命はもっと短い筈だが、時を斬れるようになったことでそれもある程度は解決した。

 けれど彼には足りぬ物があった。

 それは才覚。時を斬る時点で、彼の欲す才覚とは何かを問い詰めたいところだが、彼の近場に己を遥か超す才覚を持つものがいるからこそ、彼はそう思ったのであろう。

 

「……たった数十年で神をも超える速さ。孫の力は侮れんな」

 

 ふと郷愁の念に駆られる。

 思い浮かんだのは主と孫の顔。

 皺と老いにより弱った視力は、溢れる涙で更に歪められた。

 

「あれ? 鬼ごっこはもうおしまい?」

 

「いいや、残念だがそうではない。鬼ごっこは今から始まるのだ」

 

「じゃあ私が鬼ねー」

 

「ああ。必死に抵抗するとしよう」

 

 月明かりに照らされた妖忌。その瞳に映し出されるのは、目の前の闇ではなかった。

 

「師として、従者として。魂魄妖忌、参る!!」

 

 真実は闇の中。果たしてそのような言葉を唱えた輩は、それがそのまま現実に反映される事があるのだと思って唱えたのだろうか。

 闇。闇。闇。そう、真実は闇の中。闇の中。

 

────────────────

 

─────────

 

「────もう止めておきな、ルーミア」

 

「んぅ? 貴女誰?」

 

「鬼さ。正真正銘の鬼」

 

「キャハハハ、そんなのいるわけないじゃーん。……ふふ、貴女、美味しそうね。油はのってなさそうだけど、身はぷりぷりしてて……。あ、骨はしゃぶってもいい?」

 

 闇の妖怪、ルーミアが言った。

 美味しそうに脚の残骸を頬張りながら。

 食人妖怪の悪い癖に、鬼が悪態をつく。鬼である己は、酒も飲むし人も食う。だがそこには一種の気品と礼節を持って行う行為であり、余裕という心の隙間を空けて食事に励むのだ。特に人に対しては。

 人でも頂きますは言うだろう。行儀よく箸を持ち、食事のマナーを守りながら、食べ終えれば手を合わせご馳走さまだと礼を述べる。

 

 現代では忘れ去られ始めている食への礼儀。

 鬼は豪快なれど、自らを形作る物、自らの欲を満たす物に対しては礼節を重んじる種族であった。故に、その逆。礼節を重んじない物に対しては牙を向く。

 鬼の圧倒的な力。それを振るわれても文句は言えぬだろうと、自分の中で合理化させながら。

 

「ルーミア…………〝止めておけ〟」

 

「ひっ……!」

 

 ルーミアは野良妖怪だ。どこかで属するという考えを持たない為に、その身に宿した強者を避ける為の勘だけは、どこぞの誰よりも凌駕する。

 ルーミアの勘が今までに無いくらいの警告を鳴らす。

〝コイツは危険だ〟〝逆らうな〟……と。

 

「三度は言わん。ここが潮時だ。去れ」

 

「は、はいっ!」

 

 ルーミアは後に語るだろう。もしあの時、一度でも咀嚼音を出しでもしていたら、次に咀嚼音を聞くのはその妖怪の腹の中にいる自分自身であっただろう……と。

 その言葉を聞いた八目鰻を焼く店主は、震え上がり肝心のソースをかけ忘れてしまったそうな。食べる相手がルーミアだっただけに、食に愛を捧ぐ彼女からお小言を言われる羽目になったらしいが。

 

 それはさておき、偶然妖忌を救った通りすがりの鬼は、下半身の半分を失った妖忌を近くの岩場にもたれかけさせて、自分独自の治療を行った。

 

「えーっと、この箇所は出血が酷いな。血を疎めて止血するか」

 

「む……ぐ……」

 

「なんだ、意識はあるのか。久しいな、妖忌。あれから幽々子は元気にしているかい?」

 

「ぬ……その顔は……萃香殿か。はは……これは(かたじけ)ない。どうやら命だけは助かったのか。私も運が良い」

 

 通りすがりの鬼……伊吹萃香は、幼い顔を近づけ、思いきり言葉の毒を吐いた。

 

「ハッ! バーカ。こんな夜に、地上に一人しかいない鬼と出会って運が良い? あんたも相当頭がおかしいんじゃないか?」

 

「だが、そんな鬼に手当てされている。恐怖の象徴である鬼とこんな邂逅をするのは、運が良い以外で何がある?」

 

 血の気が無くなりどことなく青白い顔をした彼からは、生来の覇気は感じられず、それも相成って萃香は出てきた言葉を飲み込んだ。

 

「あんたの主が心配してたよ。傷の事は私がなんとか説明しておくから、あんたは早く帰りな。それとも送ってこうか?」

 

 萃香の予想外の提案に、妖忌は目を見開く。続けて吹き出した。

 

「くっ、ははははは! 鬼に情けをかけられるとは、私も堕ちたものだ。だが、今宵の夜には鬼で十分。萃香殿。萃香殿には伝えておこう」

 

「あ? 何を?」

 

「私は〝死ぬ〟……それも近い内に」

 

 萃香は言葉を失った。それは妖忌の言葉の意味を知ったからではない。その瞳に宿る確信の炎。妖忌自身が己の死を予見しているということ。

 特段変わった事ではない。病床で伏せる者が死期を予見するのもよくあることである。ではなにか。彼の予見には常人とはまた違った視点でもあったのだろうか。

 

 否。それは断じて否。その予見は、死ぬものが言うことだ。しかし妖忌には、死ぬだろうという一種の諦観が見えないのだ。更に先、彼は死の先を見据えて、その言葉を吐いたかのような、死を超越した予見に萃香は驚いたのだ。

 

「ルーミアの食される時は本当に絶望したものだが、誰かに看取ってもらえるというのならば、また話は別。私の死による想いは繋がり、紡ぎ、また新たな子孫へと受け継がれていく」

 

「あんた、妖夢に何を託そうとしてるんだい?」

 

「それは難しい質問だな。だが敢えて言うのならば……そうさなぁ、託すのではない。糧としてほしいのだ。求めて欲しいのだ。己の師が到達できなかった更なる剣の高み。求めて求めて、極めてほしいのだ。我が主……幽々子殿を救えるほどに」

 

「あんたの願いってのはそれかい?」

 

「ああ、幽々子殿の能力、『死を操る程度の能力』。あれはまさに亡霊の領分を越す異能。幽々子殿は今もその能力に蝕まれている」

 

 それは初耳であった。幽々子自尽により施された、幽々子が消滅しないための結界。あれは幽々子の唯一の死を防ぐための対応策であり、幽々子を死に誘わない為の処置ではなかったのか。

 

「蓮華殿の結界は確かに効果的だ。しかし『死を操る程度の能力』は生半可な物ではない。あの能力に蝕まれている以上、幽々子殿は自分が死ぬ未来を勝手に歩き始めるだろう。それはまるで操られるかのように」

 

「な……そんな……」

 

「萃香殿は『密と疎を操る程度の能力』を持っておりましたな? でしたら頼みがあるのです」

 

「頼み?」

 

 突然の妖忌からの頼み。萃香は首を捻りながらもそれに応えた。

 

「ええ。幽々子殿が今後、死の道を歩もうとするときが来るはずです。幽々子殿の死とは西行妖を解くこと。当然幽々子殿を蝕む能力はそれを狙う筈」

 

「………………」

 

「だから書を嗜めた。私の書架に西行妖とそこに眠る存在について記しておいたのです」

 

「……っっ!? そ、それじゃあ……」

 

「いいえ、安心なされ。固き封印を施してあるので、しばらくは解けぬ。時間にして─────年ほどか」

 

「その間は安全ってことなんだね」

 

 萃香は胸を撫で下ろした。だがまず撫で下ろす胸がなく、手は空を切る。

 

「はい。確実に。幽々子殿の能力は、封印が解けた際に、必ず書架の書を取ろうと動き出す筈だ。萃香殿にはギリギリまで待機。それも西行妖が開花する直前まで待っていただき、開花する直前に西行妖の死を疎めて欲しいのです」

 

「ギリギリまで待つメリットは? ちゃんとした理由はあるのかい?」

 

「ああ、ある。幽々子殿が死ぬときは、西行妖が開花する時。西行妖の開花とは、生前の幽々子殿を解放する事である。死を操る程度の能力は、幽々子殿が輪廻転生をする度について回る呪いそのものだ」

 

「……」

 

「亡霊である幽々子殿が死する時、魂は元の肉体に戻り、通常の輪廻転生へ帰るだろう。その時に死を操る程度の能力も元の肉体に帰ろうとする筈だ。その瞬間を狙って死を疎めれば、幽々子殿の亡霊体を離れた能力は行き場を失い、消滅するだろう。能力とは、器が無ければ成立しない存在だからのう」

 

「見分け方は」

 

「幽々子殿の背後から特殊な流れが出来る。それを疎めてくれ」

 

「……はぁ、分かったよ。あんたの望みは分かった。でもそれこそあんたが死ぬ理由には繋がらないだろう?」

 

 萃香が呆れるように言った。

 ここで妖忌がふざけた事を口走った時には、すぐさまおぶって冥界まで連れ帰る気だ。死者が蔓延る冥界。幽明結界を突破する手段が萃香には無いので、その直前までに限るが。

 

 だが予想は当たらない。妖忌の口から出たのは、萃香を驚かせるのに十分な真実であった。

 

「私は幽々子殿の『死を操る程度の能力』の矛先を、その身に一心に向け続けた。それも己の命を削ってまで」

 

「なっ─────。なんでそんな馬鹿な真似を」

 

 話して分かったが、妖忌は聡明だ。永く生きた経験とその頭脳から裏打ちされる推測と結果。もっと良い方法があった筈だ。もっと他に頼れる者がいた筈だ。しかし彼は今の今まで、たった独りでなんとかしようと奮闘してきたのだ。

 その忠義。その在り方はなんて美しいのだろうか。萃香は己の口から出た悪態を、ただただ恥じた。彼は必死に従者であろうとしたのだ。それも命を削って。死への恐怖を乗り越えて。

 

「無論、幽々子殿を救う為。そして、私の書架の封印が施せるまでの時間稼ぎだ」

 

 言葉の一つ一つに重みが違った。

 彼の意思は本物だったのだ。結界を施した際に斬りかかるその意思の強さは、今でも全く色褪せていないのだ。

 

「感動……ああ、感動したね。ここまで感動したのは、蓮華がいなくなってから初だよ。ようし、あい分かった。鬼の名に免じ、約束をしよう!」

 

「ふむ……破らぬと誓えるか?」

 

「心外な。鬼は嘘はつかん。……ちょっとだけ付くときもあるけど」

 

「では、約束だ」

 

「ああ、約束だ」

 

 お互いが手を握りあう。これで約束は成立した。妖忌はバトンを手渡し、萃香はそれを受け取るのみ。

 

 ──────だが、異変は起こった。

 

「お、おい! 妖忌!?」

 

 萃香が手を握った瞬間、妖忌の手は乾燥し、まるで枯れた木の枝のように細くなっていった。

 

「寿命は来たようだ。……萃香殿。どうか幽々子殿が笑顔でいられる、そんな世の中であって欲しいですなぁ」

 

 ───萃香が最後に見た妖忌の姿は。

 

 世の理不尽を憂いながらも。

 

 それでも主の行く末を心配する。

 

 立派な従者の姿であった。

 

 

─────────────────────────

 

『妖忌、ねぇ妖忌』

 

『なんでしょうか、お嬢様』

 

『もし私が死んだら……どうする?』

 

『ふむ、お嬢様はお戯れが好きなようで。

 無論、お嬢様が満足して没したのであれば、私はお嬢様の寝姿を看取り、生き続けましょう。

 お嬢様が不条理によって没っされたのであれば、私はその不条理をお嬢様の代で断ち切りましょう。

 お嬢様が使命により没したのであれば……私は後世に紡ぎましょう。使命を全うした勇者の可憐なお姿を』

 

『ふふふ。それはとても頼もしい従者ね』

 

『ありがたき讚美の言葉でございます』

 

─────────────────────────

 

『妖忌、聞きたい事があるの』

 

『なんでしょうか、お嬢様』

 

『幸せってなんだと思う?』

 

『ふむ、お嬢様はお戯れが好きなようで。自分と相手が楽しければ、それが幸せでしょう』

 

『ふふ、だったら今の私は幸せね』

 

『おや、御友人様がいらっしゃいましたね』

 

『だって、貴女がいるもの─────』

 

──────────────────────────

 

『妖忌、お願いがあるの』

 

『……なんでしょうか、お嬢様』

 

『もし、私が死んでも、貴女は生き続けなさい。私の事なんて忘れて、どこかバカンスに行くのでも良いわ』

 

『お嬢様、その小刀をお離しになられてください』

 

『妖忌も、私の友達も……私を疎んでいたに違いないわ。ええ、そうに違いない。だって私は、呪われた忌み子なんですもの』

 

『忌み子でも幸せは享受出来ます。今の今まで、お嬢様は幸せではなかったのですか?』

 

──────────────────────────

 

『嘘吐き嘘吐き!! 貴方だって心の中で思っているのでしょう!? この不気味な女って。私、分かるもん!』

 

『お嬢様、いつか必ず私が貴女を救ってみせます。必ず……必ず……』

 

『うっ……うっ……嘘……吐きぃ……』

 

『今は嘘吐きでも構いません。いつか証明してみせれば、嘘吐きではなくなるのですから』

 

──────────────────────────

 

『ねぇ……妖忌。何故人は、桜に焦がれるのかしら』

 

『桜が一年に一度しか咲かぬからでしょう。人とは欲が有る限り、稀有な物に焦がれ、求める生き物です』

 

『じゃあ私は、桜足り得るのかしら』

 

『私の中では、貴女ほどの桜は見たことがありません』

 

『あら、お上手ね』

 

──────────────────────────

 

『妖……忌……』

 

『お嬢様、口を閉じて下さい! すぐさま治療を!!』

 

『手……手を……握って……』

 

『お嬢様?』

 

『怖かった時……辛かった時……貴方、私が床に着くときに、握っていて、……くれたじゃない』

 

『お嬢様……もう……もう……お止めを……』

 

『ふふ……ああ、桜。い……つか……桜の下で……貴方と……紫と……蓮華……と……萃…………香……と』

 

『お嬢様! お嬢様! 今すぐ助けを呼んできます! 少しお待ちを!!』

 

──────────────────────────

 

 ーーー私は、

 

 ーーー貴女の従者であれて、

 

 ーーー誠に幸せでございました。

 

──────────────────────────

 

 蓮華が消滅し、紫とも、幽々子とも連絡が取れない萃香。

 

 彼女は立派な従者の亡骸を土に埋め、たった独り従者の決意を心に閉じ込めながら、月を仰ぎ見た。

 

「あんたの忠義、私がしかと受け取った。……今はゆっくり休んでな。冥界の従者、魂魄妖忌』

 

 季節は巡り、廻り、そしていつしかその年がきた。

 

 冬は永いが春は来るだろう。

 

 妖忌は……見ていてくれるのだろうか。

 

 己が主の、春の訪れを。




春雪異変はこれで終了です。

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