大地に亀裂が走る。
鬼の足が踏み込みに使うだけで、泥濘んだ土など紙吹雪同然。大きく泥渋きを上げて、萃香は姿を消した。
噂されるようになったことで、力を少しだけ取り戻した萃香。その身体能力は目を見張るばかりだ。
「博麗の巫女は人間って聞くじゃないか! 鬼と人の対決なんて久々過ぎて血沸き肉躍るなぁ!」
霊夢の背後の木が割れた。萃香が足場として使ったのだ。
「私は迷惑よ。勝手に頭を沸かせておきなさい」
木が割れる音が響く。
「鬼に挑む者は、ある種頭が沸いてるくらいが丁度良いんだよ!」
響く。
「じゃあ蒸発でもしてなさい」
響く。
「気体になりゃ良いのかい? お茶の子さいさいだね」
響く。
「大気と同化して一生姿を現さないで欲しいわ」
音が止んだーーー。
次の瞬間、霊夢が飛翔。天高く舞い上がる。
身体が動いたのは無意識だった。所詮直感というものだ。春雪異変の油断を反省し、気を張り詰めていたのが功を奏したのだ。
(もし〝アレ〟を喰らってちゃ、楽に死ねるなんて夢のまた夢ね)
霊夢は眼下に広がる状況を天から見下ろす。
その光景は先程までの静かな場所とは思えないほど、凄惨な事になってしまっていた。
萃香が霊夢の居た場所に深く拳を埋め、その周りには弾幕の嵐が渦巻いている。
左右どこに逃げていても大怪我は免れないだろうそれは、霊夢の命を確実に刈り取ろうとした死神の鎌そのものだ。
「流石! 直感だけは良いね」
「直感はまだ前菜よ。メインディッシュはこれから」
「ハッ、鬼は嘘を嫌う。口だけだったらその口を裂いて殺してやろう」
「あんたこそ私を殺せない癖に、嘘ついてんじゃないわよ。神技『八方鬼縛陣』」
霊夢を囲むように目が痛くなるような赤い弾幕が射出。円型状に展開され、回る。さながら陰陽玉のようで、紅白の巫女服を着ている霊夢にぴったりな弾幕だと萃香は思った。
次に弾幕が下を向く。弾幕ごっことは通常空中戦なので、三次元空間の密度を上げるように展開されるが、今の萃香は地上にいる。この時の天の利を見逃す霊夢ではなかった。
空中を埋めるように展開されるはずだった弾幕が、まるで打ち付ける雨のように、直下へ落とされる。
数の暴力は圧倒的だった。すぐさま爆風と噴煙、弾幕の赤い光で地上が覆われていく。
弾丸のような速さで迫る弾幕。悪くなる視界。二次元的な運動しか出来ない地面。これらの要素から、萃香の残機を確実に奪えるだろうと鷹を括っていた。
「甘いよ。甘酒よりも甘い!!」
萃香は首に下げている三つの分銅の内、二つを片手に持ち、上に掲げて振り回した。
独楽のように回るそれは、萃香に降り注ぐ雨のような弾幕を弾いていく。分銅に繋がれた鎖の間を弾幕がすり抜けても、もう片方の手で持っている瓢箪で丁寧に叩き落とす。
「あんた、やるわね」
「鬼を舐めるな、人間風情が」
「鬼、鬼、鬼って……。あんたは妖怪でしょ?」
「巫女も落ちたね。鬼を普通の妖怪だと認識してる限りじゃあ、あんたに勝ち目は無い。そうだ、鬼の力の一端を見せてやろう。数で計ることなど烏滸がましい、圧倒的密度を!」
「計る気なんてさらさら無いわ。面倒」
「言ってな。符の壱『投擲の天岩戸』」
萃香の合わせた両手の中に、そこらに散らばった小石やら岩石やらが吸い込まれていく。
「大は小を兼ねる」
「そうね。お金は多い方が良いもの」
「いや、それはちょっと違う気が……」
萃香の手の中にすっぽりと収まるような丸い石が一つ、広げた掌に乗っていた。
その石に使われた小石、数百。岩石、丁度百。大小問わぬ大きさであった筈なのに、萃香の手には石が一つしかない。霊夢は何がしたいのかと首を捻る。
「あんた……お団子遊びでもしたいの?」
「おい、今どこ見て言った。博麗のあんたも同じようなもんだろが」
「私は、成長するのよ」
「貧困窮まれりな巫女が、大きくなるとは思えないけどねぇ。豪快に生きろ、豪快に。我欲を持つんだ。あんたは我欲が足りない」
「うっさい。陰徳あれば陽報あり、よ」
霊夢の言葉に、萃香は鼻を鳴らした。そんな絵空事、食えるような物でもない。
人間の心は汚いもんだ。この巫女は人間の道徳心なんて物を信じてそうだが、ならば何故鬼が地上から去ったのか、何れ答えを聞いてみたい。
心の中で自嘲した。期待はもう飽きている。嘘吐きは信用するな。嘘は麻薬だ。一度嘘に沈んでしまえば、特別な存在でない限り、それ以上上がる事は不可能。
故に、嘘に覆われたこの時代。
人と鬼が共存することは……もう、無い。
「お喋りは終わりだ。喰らいな!!」
投擲ホームをとり、全身の力を効率よく運用しながら、その石は投げられる。
霊夢は自前の直感による、石が辿る筈のルートを予測。既に回避運動へと移っていた。
生憎石は湾曲したり、消える事もなく、ただただ直線上の道筋を描いていった。
(まさかこれで終わりじゃないでしょうね)
霊夢は石を避けたのだとどうしても思えなかった。明確な理由は無いが、鳴り続ける甲高い警告音が、頭から離れないからだ。
背後。光が満ちた。
「散れ」
爆発ーーー続いて爆音。暴風が髪を拐っていく。光に隠れて現れたのは、小さな丸い石に圧縮された岩石片であった。
「後ろを気にしてて良いのかぁ!」
「くっ!!」
萃香が妖力弾を放つ。その数は一目で計れぬほど。まるで蜂の大群のようだ。
妖力弾は小さい。人の顔よりも小さく、朧気に光る。しかし萃香が展開した数は、妖力弾の美しさを〝そんなこと〟だと断じてしまうほど、激しく、多く、霊夢に襲い掛かる。
背後から迫るは大小の岩石片。
目前に迫るは萃香の力。
背後に迫った弾丸のような小石を、顔を捻るだけで躱す。次に来るのは、萃香の妖力弾。お祓い棒と陰陽玉を使って軌道を逸らしていくが、相殺した際に発生した小規模な爆発に、視界が包まれる。
見えるのは煙。灰色に濁った視界の中で、霊夢は全神経を集中させた。
躱す。
躱す。
躱す。
躱す。
身体を捻り、躱す。
お祓い棒を使って、受け流す。
舞踏のように、それでいて一つ一つが鋭く磨かれた、格闘技の御披露目のように。
未来を見ているのか……と錯覚しててしまうような、まるでそこに弾が来るのが分かっているような動き、動作。
萃香は目の当たりにする。霊夢の直感という、未来予知にまで匹敵する神技を。そして博麗の巫女と呼ばれるだけはある、その実力を。
「はは……こりゃ面白い」
「ふぅ……まだまだ隙間もあって避けやすかったわ」
額につく汗を拭いながら、粉塵を纏わせ、博麗の巫女は降り立った。
同じ場。同じ大地。
萃香は嘲った。この博麗の巫女は馬鹿なのかと。鬼と同じ大地に立った人間が、どのような末路を辿るかなど、今の幻想郷ではその史実さえ消えている。故に、博麗の巫女を無知だと嘲った。
だが史実が消えた今、状況を制すのは勇気。鬼の前では簡単に霞みそうになる己との実力差。それを理解してなお、立ち続ける勇気が、今の場には必要なのだ。
実際、霊夢は目の前の鬼との実力差を把握などしていない。霊夢は、迷惑な妖怪は倒すーーー以外の思考理念を持ち得ていないのだ。そのせいか、彼女は無知であり。そして無知であるがゆえに、鬼との実力差を知らぬけれども、鬼の場に立ち続ける事が出来たのだ。
「どうぞ、私はこの距離からも避けれる余裕はあるし、好きに弾幕は撃ってくれれば良いわ」
「じゃ遠慮なく。符の弐『坤軸の大ーーーぶげっ!」
萃香の視界が回った。最初に映っていたのは、霊夢の透き通るような瞳。次に、青い空。次に、背後の景色。最後に、泥濘んだ地面。
萃香は重力の赴くままに、地面に顔から激突した。
「どう? あんたの額の使い方、分かった? それと・・・被弾一よ。まさか卑怯とは言わないわよね」
霊夢が萃香にしたことは簡単。萃香がスペルカードを宣言しようとした直前、顎に向かって宙返りをしながらの打ち上げ蹴りを放った。まるで強いアッパーを打たれたような感触、萃香の軽い身体は簡単に浮かされてそのまま一回転、地面に激突したのだ。
萃香は震えていた。
それは恐怖か? ーーー否。
武者震い? ーーー否。
それはーーー喜び。
久々の人間、しかもその人間が未だ目の前に五体満足で立っており、今では自分が被弾してしまう事態。
存在の確立云々以前の、鬼として原始的な喜びに、萃香は打ち震えていたのだ。
「見直したよ、あんた」
「それは、どうも」
萃香は泥に身体を濡らしながらも、立ち上がる。
「スペルカード、残機ともに一つずつ。そしてあんたはスペルカード残り二枚なれど、残機は一度も減っていない。絶体絶命、ほぼ私の負けだ」
「そうね。……言っとくけど、あんたが負けても治療費は払わないからね?」
「博麗の巫女は私をなんだと思ってるんだい……。そしてそれはあんたにも言えるんじゃないか?」
「私は払わないけど、欲しいのよ」
「分銅ならやろうか?」
「売却金次第ね」
萃香は髪の毛を掻いた。
どうせ逃げれる手段なんてないのだ。そんな下賎な考えは、頭から捨てろ。
「知ってたかい? 熱が萃えりゃ爆炎となるんだ」
「知ってた? 現金が集まると幸せになれるのよ」
「おい、なんだか話食い違ってないかい?」
まぁいいや、と萃香は吐き捨てる。
今から宣言するのは正真正銘最後のスペルカード。そして、その危険度合いは今までの弾幕よりも一線を画する。
萃香は霊夢の表情を見た。凛々しくも、怯えのない真っ直ぐな表情。その顔は、萃香に挑み敗れてきた猛者と誰一人合致しない、新しい顔。
化け物ってのは人間に退治されるのが常だが、人間ならば、対峙したときに瞬間的に気付く。己が今目の前にしている存在との、種族の差。恐怖、戦慄、何れも種族としての本能が警告を鳴らすのだ。
だが、違う。彼女は違う。博麗の巫女で、人間で、それでもその顔に怯えは見つからない。
どこか、彼女は怯えという感情からも浮いているのかもしれない。
「これで最後だ。受ける覚悟はあるかい?」
「あんたも、泣きべそかく準備は出来た?」
「言うねぇ言うねぇっ!! 鬼火『超高密度燐禍術』」
「私に、現金を分けてくれ。宝具『陰陽鬼神玉』」
森羅万象、自然界のエネルギーが、幻想郷のとある一角で渦を巻き始めた。
エネルギーを集める元は、霊力であるかもしれないし、または圧倒的密度かもしれない。
創るーーー。それぞれの手段で導きだした、相手を殺す術。これは一人の人間が演じる鬼退治。鬼はそれを受ける義務がある。
これは弾幕ごっこという遊びの範疇であるがゆえ、本気で相手を殺そうとする意思は感じ取れないが、もし二人が構成した術がどちらかに当たれば、それは簡単に命を奪えるほどの代物となっていた。
大きな球体が二人の掌に浮かび上がる。
片や霊夢の方は、陰陽玉を模した巨大なプラズマを携えている。
片や萃香はまるで太陽のような、流れる焔が渦を巻き、一つの小惑星に近い存在を形成。
紫電を纏わせながら、霊夢はその球体を萃香に投げる。そしてそれは萃香も同様だ。
二つの球体がぶつかりあった途端、二つは激しい光と熱を発生させ、見るもの全ての眼を焼く。
雷と焔がじゃれあうように絡みつき、遊び、殺しあい。その戦いが苛烈を極めていく毎に、外へと及ぼす影響も更に激しいものへと変わっていった。
大地が暴風に巻き上げられ、地を打ち付ける雷によって、地面が抉りとられた。
焔と雷。災害にも例えられる二つがぶつかった結末は、それはそれは良いものなんてものではなく、〝破壊〟という二文字だけがマヨヒガに残った。
幻想郷の一角を占める妖怪の山。その一部が、強烈な光と音を伴って、消え去ったーーー。
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「ふぅ、避難が間に合わなかったらかなり不味かったわね」
その惨状を見下ろす霊夢は呟いた。
マヨヒガの猫の里。長閑で恒久的なその場所は、妖怪と人によって、見るも無惨な姿になっていた。
「これならアイツも簡単には生きていないわね。重傷か、最悪死んでるかもしれないけど。ま、自分を恨む事ね。さぁて、帰って緑茶でも飲もうかなぁーっと」
マヨヒガから去る博麗の巫女。その顔は清々しく、一仕事終えたという感じだ。
ーーー彼女が見えなくなった後、影で戦いの行方を見守っていた桃色髪の神様がその姿を現す。
彼女が結界を張ったかと思うと、驚く事に壊れた小屋から倒れた樹木まで、全てが元の通りに戻っていく。
まるで今までの戦いが嘘であったかのように。
彼女は土砂の下で埋もれていた萃香を見つけ、引きずりながら小屋の中に入っていった。